「孤立」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 孤立とは

2021-05-31

孤独から抜け出すために努力したい、でもどうしたらいいのかわからない

独身27歳男。恋人友達家族LINEする相手すら全くいない。

一応仕事はしてるけど仕事柄朝に事務的なやりとりをいくつかするくらいでこのご時世だし会話などはほぼない。

多分社会的にはかなり孤立してる状態だと思う。

何も明日食う飯に困ってるわけじゃない。独身一人暮らし生活とかほぼ金かからないし収入あんまり関係ない気がする。

でも正直自分としてはこの状況は結構辛い。

この孤独から抜け出したい。ここから抜け出すためならどんな努力したって構わない。

でも何をどう努力したら良いのかわからない。

資格でも取る?でも目的もなく資格なんてとったところで孤立した男が資格もった孤立した男になるだけ。

宗教でも入るか?いや、流石にこのネットに毒された脳みそで今から神を信じるのは不可能だ。

別に世帯持つとかにこだわってないけど大人になってからだと週に1回一緒にモンハン遊べる程度の同性の友達を作るのすら難しいんだよなぁ。

結局今の御時世だと転職でもして年収上げて婚活市場で殴り合うくらいしか選択肢ってないのかなぁ。

自分みたいな人間にとっては本当生きづらい世界だなー、ってなんとなく思ったり。

2021-05-30

anond:20210530115134

知人を勧誘すると周囲から警戒されて孤立するじゃん

からますますアチラの世界にのめり込むんだよな

勧誘信者を増やすことじゃなくて戻れなくすることが目的なんだよ

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

anond:20210527145539

①「捏造」を主張するなら捏造それ自体証明しなくてはならないのでは?

捏造それ自体証明するとは、内容が色々とおかしいという事ではなく、誰がいつどうやって、っていう捏造行為それ自体5w1h証明否定論者は一つもしないって事です。例えば、イラク戦争だっけかな、ナイラ証言っていう捏造がありましたけど、広告代理店がやったと証明されています否定論者は定説に対して極めて高いハードルを求め、あれもこれもそれもどれも証拠にならないと主張するのに、自分たちが主張する捏造に対しては実質的には何一つ証明しません。なのに「捏造可能性があるから信用できない」というだけで、それら証拠文書などを却下するのが認められたら、ありとあらゆる証拠文書意味をなさなくなってしまます

イェーガー報告書のような証拠資料は、それ一つで事実証明しているわけではない。

これは上で示したリンクマガジンで徹底的に書いてあります翻訳されています)。イェーガー報告書記載事項に関しては、それに対応する様々な裏付け証拠がありますホロコーストで示される多種多様証拠はそれぞれが関連しあってこその証拠です。イェーガー報告書それ自体も、関連した事実を示している別の証拠に対する裏付けです。そうした他の裏付けがあるのに、「捏造可能性があるから信用できない、故に却下される」なら、それ以外の証拠も全てそのような捏造可能性の申立てが成立してしまい、事実証明行為のもの意味をなさなくなってしまます

 

極端な話をすれば、悪魔の例えがわからないのなら、バートランド・ラッセル世界五分前仮説はどうですか? 自分自身記憶を含めた何もかもが5分前に神によって創造された、という仮説は反証不能であり、否定することができません。故にそんなこと(タイプライターがあれば捏造できる=全ての物事捏造可能である)を言い始めたら議論にすらならないのです。陰謀論者はこんな単純な思考実験したことがないのでしょうか?

 

id:anmin7 あなたは正しさより屈服を求めてそう。

屈服した人なんかいるのかなぁ? すぐ逃げるっつーか無応答の人は多いけど、相手が屈服したとは思ったことなんかないですよ。陰謀論ホロコースト否定論者って、こっちの指摘で絶対に自説の間違いなんか認めることはありません。否定論のあまりにも酷い嘘を紹介した時に「それは確かに酷い」と認める人がいる程度で、否定論それ自体を間違ってると認めた人は見たことないですよ。逆に言って、ほとんど絶望的です。感覚として、こっちは常に孤立無縁だし、相手が折れることもないし、ほんとに絶望感の方が強い。それに、そんな人ばかりが相手なので、「自分が間違っているかもしれない」と思ったことは一度や二度ではありません。

 

私の根本的な発想の原点は非常に単純で、自分の近親者、それこそ自分の子供や親が殺されて、「実際には殺されていないのだから、君の言ってることは嘘だ」ともし言われたとしたらどんな気持ちになるか? です。普通にそんなの許せないと思うんですけどね。よく、「じゃぁパレスチナイスラエルがやってることを許せるのか?」みたいなことを言われることもありますが、それとこれとは全然別です。イスラエルのやってることは過剰すぎるもしばしばあるし、酷いことも散々やってるのも知ってるし、それはそれとして非難されて然るべき。でも、だからと言ってホロコースト否定するのは見当違いも甚だしい。それが常識的判断だと思うんですけどね。

 

気持ち的にはこのNHK記者の考えがすごくよく分かります。結局、「どうしてこの人たちはそんな考え方をするんだろう?」なのです。単純に「馬鹿から」で納得するようにするしかないと諦めてますけど、実際には納得できてません。全然からない。最近では何か脳の構造根本的に違うのではないかと思い始めています

ちょっと聞かせてください…!あなたがその指で「攻撃」に加わった理由|NHK取材ノート|note

anond:20210528203310

そんな辛いなら物理的にも精神的にも親から離れればいい。

原因から距離を置く(≒逃げる)のが悩みの解決への近道。

なんでそこまで肉親や実家固執するのかよく分からんわ。

今回の場合距離置けば自分母親も頭を冷やすことができるし、

彼女が側に居るからこの増田社会的に即孤立するわけでもない。

増田彼女との絆が深まり母親は冷静に自分発言反省する余裕が持てる。

しろメリットしか無いように思える。

2021-05-20

母が死んで思ったこ

去年の秋に母親が亡くなった。

大まかに言うと9年前に発症した乳がんが原因だった。

2019年年末から抗癌剤治療を辞めて終活をする」と言われていたので、ある程度覚悟は出来ていたしそこまで引きずらなかった。

でも母が亡くなって今まで母が守ってきたものって何だったのだろうと思うようになった。

母子家庭一人っ子祖父母は母が若い頃に他界父親DV気質だった為、私が物心つく前に離婚

お金持ちという程ではないが、不動産収入があったので幼少期から苦しい思いはしてなかった。

田舎だったのもデカいと思う。

小4の時母から「親戚の何人かにお金貸してる」と告げられ、それがおばあちゃん代わりになってくれていた人やお姉ちゃん代わりに遊んでくれた人だったのでショックだった。

その頃から親戚に対して少し軽蔑していたし、そんな親戚と仲良くしてる母親理解できなかった。

大人になって母はこの親戚との関係を断つと孤立してしまうんだと気づいた。

祖父方の親戚とはとうの昔に縁を切ったらしいし、残すは祖母方のこのろくでもない親戚しかいなかったのだと。

私は田舎が嫌で16歳で家を飛び出して都会で一人暮らしをし、癌治療中の母をその親戚に任せっきりにしていた。(とはいえ母もずっと入院していた訳ではないので、任せっきりというのはおかしいかもしれないけど語彙力がないので何と書けばいいかからない。)

なのでろくでもない親戚とは言えど感謝申し訳ないという気持ちはある。

でも母が死んでしばらく親戚にお世話になっているとやはりろくでもないなと思った。

祖母代理を務めていた人の家に泊まっていたのだが、日数が経つにつれ「父親に似てる」「お前の父親は最低だった」なんて話をされた。

私は内心「遺書で母からまだ100万借金してんの分かってんぞ。けど母の良心に命じて何も言わんだけだからな。」と思っていた。思ってるだけでチキンなので何も言えないまま苦笑いしてた。悲しい。

また実家を売るとなった際に、その祖母代理の息子から「いい不動産屋を何件か紹介する。その代わり日給をくれ。」と言われた。

こちらは相続税バカ高くて、泣く泣く思い出の実家を売るのに金せびるんかい

しかもお前の母親、うちの母親から借金してるんですけど?どの口が言ってんの?

と内心思ったが、チキンなのでまた何も言えないまま苦笑いして丁重お断りした。

母が亡くなって一気に親戚関係が崩れた気がする。というか私が壊したのか?

相続手続きもひと段落して、一人暮らしの住居に戻って約半年経つがその親戚からは何の連絡もない。

母の同級生の方がよっぽど連絡してくれている。

親戚からすれば私が身勝手に飛び出して母を任せたんだからお金をせびったり、嫌味を言ったりしてもいいと思っているのだろうか。

でも任せた分、お世話代として借金はチャラにしてくれと遺書に書かれていた。

年2回は毎年帰省していたし、高校卒業社会人になった後は親戚にもお礼としてご飯や買い物に連れて行ったりしていた。

うそこはイーブンなのではないか

私は母が守ってきた親戚との関係を壊したかった訳では無いのに、母というストッパーを失った事によってどんどん崩れていく気がしてならない。

幼い頃の親戚との幸せ記憶も、全て母の犠牲の上に成り立っていたのだと知ると居た堪れない。

母が守ってきたものって何だったのだろう。

それは私も守らなくてはいけないものなのだろうか。

この親戚と今後も付き合っていかなくてはいけないのだろうか。

2021-05-19

最近ブコメを見ていると、他のSNS意見が違う、はてなユーザー孤立している、的なことを言う人間をちらほら見かけるんだけど、そんなに人と違うことが怖いのかね。

弱い人間が増えてきたなーと感じる。

コミュニティって独自性があってこそ存在価値があると思うんだけど。

2021-05-18

anond:20210518222104

全部✕つけてもいいぞ

まあ社内で孤立するとそれなりに不利益は被るんだけどな

anond:20210518224909

人間って生きてるだけで面倒くさいのになんで人間寿命って伸びてるんだろうな

好きなことだけやって早死すれば面倒くさいこから解放されるのに

長生きのために食いたいもの我慢して運動するとか

老後の資金蓄えるために手間暇かけて資産運用を繰り返すとか

孤立しないために嫌なやつとも表面上は仲良くするとか

そんな面倒くさいことみんなよくできるわって思うわ

わしは面倒くさいことが何より嫌いなので

何もがんばらないで適当に生きて適当死にたい

2021-05-17

旧友と政治ツイッター

ありがたいことに、中高生時代の友人と今でも定期的にオンラインで飲む。主に私が誘っているので、私が誘うのをやめたらこクラスタ解散してしまうのではないかと幾分心配しているのだが、それとは別の話だ。誰しも年齢を重ねるにつれて政治的立場がどんどん離れていく。右もいれば左もいる。だから場の空気が悪くなるのを防ぐよう気を使うことになる。

例えばある友人は憲法改正論者で自民党支持反マスコミである。なるほど今のメディアには改善余地があるが、陰謀論に片足を突っ込んでいる話を聞くのは幾分つらい。とはいえ、近況をじっくり聞いていると転職先ではうまくやっており、仕事で知り合った相手うまい酒の話をしているそうだ。それを聞くと、無職歴の長かった友人を知っている身としてはほっとする。

別の友人もやっぱりリベラルツイッターで常習的に叩くようになってしまった。最初面白おかしヲチ対象リツイートしてツッコミを入れるというスタイルだったのだが、五年十年と経過するうちに本気で相手人間扱いしなくなってしまった。暴力的常軌を逸した発言をするアカウントは目に入れないほうがいいと忠告したのだが、聞き入れてはもらえなかったのが無念である。そのせいだろうか、他の旧友から距離を置かれつつあるらしい。

このままでは友人が孤立するのではないか心配になり、ときどき飲みに誘うのだが、話を聞いていると比較的まともに見える。たまたま見つけた成人向け画像RT垢でも礼儀正しい。それどころか、自分の知らないところで共通の友人と映画を見に行っていたらしい。それを聞いて、何も自分が友人の面倒をそこまで見ることはないんだよな、と安心した。ツイッターだけの人格が本人ではなく、オフラインだけの姿も本人ではない。人間はもう少し総合的で複雑な総体らしい。

ところで政治ネタで場が荒れそうになった場合は、右にも左にもある程度笑ってもらえる政治こぼれ話を披露してから話題を切り替えている。私は友人の政治談議を聞きたいのではなく、近況を知りたいのである

技術進歩物質的な貧困がなくなったらどうなるんだろうな

3Dプリンターによって建築に関わるコストが超低コストになって低所得者でも3LDKくらい余裕で住めるようになって、

物流ドローン配送などにより都会と田舎格差もほぼなくなる。

食糧生産自動化効率化が進んで誰でも栄養豊富で美味しい料理を好きなだけ食べられるようになって、

娯楽もサブスク無料コンテンツが今より豊富になって無料楽しいコンテンツだけでも消化しようにも全く追いつけないような感じに。

良質な教育コンテンツアクセスなども容易になって、少なくとも『教育機会の不平等』みたいなのも今よりは是正される。


そんな物質的な貧困がなくなった未来世界でも相対的貧困みたいな概念ってあるのかな。

その場合、モノやカネではなく人との関わりや属するコミュニティが貧弱な社会的孤立した弱者男性みたいな人間けが苦しみ続ける世界になりそう。

2021-05-16

なんて言ったっけ、あのバイアス

人間女子供保護しようとするけど、知らない男性保護しようとは思えない、というアレ。

薄汚いおっさんを救うための募金なんて(ストーリー無しでは)絶対に集まらないけど、イルカを救うための募金は集まってしまうというやつ。

人間の脳のデフォルトとして、もちろん個人差はあるにせよ、

赤子、子供女性高齢者>知り合いの男性犬猫イルカ動物、美しい大自然清潔感ある男性>>>>超えられない壁>>>>誰だか知らない不潔な男性、魚、虫>害虫

みたいな順で「守らなきゃ」と思うように出来ている。

昨今はてな界隈話題弱者男性問題を考えるには、まずこのバイアスを皆が自覚し、知性で補正して考えようとしないと議論が歪んでしまうと思うんだよね。

(しかネット上の議論でその前提を満たすのは困難なので議論で何かを得るのは諦めた方が賢明だろう。)

弱者だろうと弱者でなかろうと認知バイアスによる差別は行われるが、その影響を受けやすいのが社会的孤立貧困の状況にある弱者男性だという話。

anond:20210516200838

フランスもしんどそうだな

劇場文化根付くというのは、どんな状態ですか?

平田ヨーロッパでは当たり前なのですが、お芝居やダンスを観たり、音楽を聴きに行くことが、ある種の嗜みとして習慣化されている状態です。たとえば、フランス月曜日職場に行ったとき、週末に何をしていたかが問われる社会なんですよ。それを語れないと出世できないくらい、劇場文化社会に密接に結び付いているわけです。

金森:理想的ですよね。日本では、それを誰が政策として発案し、実現できるのかが課題なんです。特に実現に関しては、批判孤立を恐れない覚悟と、行政言語化と、芸術的創造力のすべてが必要になる。


https://www.cinra.net/interview/201606-noism/amp

ワンオペ育児無理難題から。(30歳男性

今年の1月に初めての子どもが産まれたので、出産に併せて育児休暇を取ることにした。

育児休暇を、取ることを決めたのは、共働きだし、家事も分担制なので、育児だけ妻にさせるのはフェアではないし

また職場育児休暇をとることを推奨していたからだ。

三か月なのは、最短で保育所に預けれるのがそれくらいだということだったからだ。

長期間育児休暇を取ることを、伝えると、多くの人に「奥さんが働くの?」と聞かれた。なるほどいっしょに休暇を取るという発想は、まだまだ浸透していないのだなと感じた。

育児が大変なのは、いろんな媒体で見たり聞いたりしていたが、正直子ども一人に対して、休んでいる大人が二人いれば、余裕だろうと思っていたが、初めての育児はそんなに甘くなかった。

最初の1、2か月は二人いてぎりぎりだった。

というのも産後の体力の低下により、妻が病気発症し、入院することになったからだ。両方の両親は高齢かつ遠方なので頼れなかった。

二人で行うはずの育児がいきなり、ワンオペ育児になってしまった。

わかったことは、ワンオペ育児心理的・肉体的負担が強い。

24時間気持ちの切り替えができない。

子どもが産まれた瞬間から、常に子ども存在が傍にある。子の傍から離れることはできない。自分が世話をしないと子は死ぬ。このプレッシャー毎日ずっと続く。

仕事は定時に始まって定時に終わるから切り替えができるが、育児にそれがない。

肉体的に辛いのは、寝れないことに尽きる。

新生児は2、3時間に一回授乳を求めて、泣き叫ぶ。おっぱいミルクをあげれば、またすぐに寝るわけでもない。

そこから抱っこして、あやして、寝たと思って、ベッドに置いたら、また泣き叫ぶ。そんなことを繰り返してようやく寝てくれる。

それが1時間2時間続くこともある、気づいたときには次の授乳が迫っている。

仕事をしているだけのほうが育児の何倍も楽だが、あえて仕事に当てはめるなら、早朝勤務があって、そのまま日中の勤務もありつつ、夜間深夜勤務もあり、翌日もそのまま早朝勤務というルーティン毎日続く。

休日などない。

寝ても覚めても仕事が続く。気持ちの切り替えなどできない、肉体的にも辛い。どんなブラック企業だ。

さらにだ、これに家事プラスされる。

自分ご飯など二の次、三の次だったがそれ以外にも、毎日出る洗濯物と、洗い物、ゴミ捨て、日用品の補充、買い出し。

新生児を抱えている以上、おいそれと出かけることは、心理的肉体的にもハードが高すぎる。

ここまでくると、いったい何の罰ゲームをさせられているのだと、混乱し、毎日がいっぱいいっぱいで、どうしようもなくなってくる。

食欲もなくなり、体重は減少した。

子どもはまったく可愛くなくなってくる。

何をしても、泣き止まない子供を、抱っこしていると逆に憎しみすら湧いてくるようになる。

睡眠不足朦朧した頭で、助けを求める気力すら湧いてこない。

新生児は泣いているとき以外は、天井を見つめて、バタバタと動くのみで、自宅にいると孤立感と孤独感が襲ってくる。

この世界自分子どもと、ふたりぼっちなんだと、何かあっても、どうすることもできないと恐怖すら感じ涙が出てくる。

今余裕が出て、こうして振り返ると、そんなことはない、多少離れても問題ないと思う。

当時は余裕がなさ過ぎて、産後うつに入りかけていたと思う。

育児をしてみるとわかる。新生児期は特にワンオペ育児をするべきではない。

女性特に産後一か月は体力が戻らない、実際うちの妻は産前ばりばりの運動家健康だった。結婚してから2年たつが、一度も体調を崩したことはなかった。

自分も休んでいたので、家事全般は全部自分がして、妻には授乳だけをしてもらうような体制を作っていた。

そんな妻でさえ、産後精神的に落ち込み、体力も低下したことにより病気になってしまった。

これから出産を控えている人に言いたいのは、ワンオペ育児をさせない方が良い。

少しでも休んでもらって、育児してもらうのはもちろんだが、気持ちの切り替えと、睡眠不足解消のため、協力してもらった方が良い。

基本的には妻が休んで育児するパータンが多いだろうから

夫は休めないのなら、産後一か月は体力の回復のため里帰りをしてもらうか、どちからの親を読んでサポートをしてもらう。

それも無理なら、産後ケア施設というものがある。母子で1か月ほど入所できる施設だ。費用はかかるが、補助をしている自治体もある。

うちは二人休んでれば余裕だと思って、どちらかが倒れた時の心の準備が足りていなかった。これはパートナーが休んでいようといないと起きうることだから

なんかネガティブなことをばかり書いたが、2か月が過ぎたくらいで、子ども笑顔が出るようになったり、夜寝るようになってから余裕ができて、子ども可愛いし、育児楽しいし、成長に感動する。

これからも大変だとは思うけど、頑張れる気がする。

2021-05-14

弱者男性だけど丁寧な暮らしをしてみた

  • 嫁や子供なし
  • 恋人できた経験すらなし
  • 親は片方死んでてもう片方とは超仲悪い 何年も連絡とってない
  • 兄弟は連絡先すら知らん
  • 家族なし
  • 友達すら絶無

このご時世で完全在宅勤務になったし業務以外で最後に人とまともに会話したのが何年前かもよく覚えてない。

LINE電話マンション管理会社とか火災保険更新催促とか以外で何年鳴ってないかなぁ。

最後電話電話らしく使ったのは母が死んだ報告を受けたときくらいか

まあ多分終わってるので十分弱者定義に入ると自負してる。

ほとんどの奴は来世で俺になんてなりたくないだろ?俺だってこんな俺になりたくなかったよ。

貴方幸福ですか?不幸ですか?」みたいなアンケートがあったら間違いなく不幸カンストで回答するね。


2020年コロナに怯えてたのもありオール引きこもり生活だった。

週末にゴミ出しと買い出しで1回外に出て、次の週末に先週出たゴミゴミ出しと買い出しで外に出るという週1回のみ外出が許可される完全な自粛生活

そんなんで去年はほとんど金自体使わなかった。食事自炊だし趣味もサブスク映画見るくらいだし生活保護の人達の方がよっぽど金費やしてたと思う。

流石に色んな部分で病みそうだったので2021年はといろいろと目標を建てた

  • 部屋をオシャレにする
  • 服の大部分を買い換える
  • 1日1回は(散歩でも)外に出る
  • 1日30分以上は運動する
  • 食事水準を上げる

まあ要するに「暮らしを丁寧にする」ってこと。割と実践は出来てると思う。

まず住んでた1DKマンションから1LDKに引っ越した。

ちょっと広くなったのと築年数が新しくなって部屋の細かい部分がイケてる感じになった。あとゴミ出しがすげー楽になった。

家電を色統一するために買い直してベッドやらオフィスチェアやら(管理めんどいけど)イカした観葉植物やらレンガ風の壁紙やら買って、いろいろ頭捻ってレイアウトして今は誰が来てもカッコいいねって言われる自信はある。

服もかなり買い直したね。メルカリとか駆使しつつでそこまで高いブランド物買ったわけじゃないけどまあ無難セットアップを何着も揃える戦法で今までよりは絶対ましになった。

食事については予算を数万ほど上げた。もともと自炊だったからそんなに酷い食生活送ってたわけじゃないけど、

鶏そぼろ丼からビーフストロガノフ、鶏の唐揚げからブリしゃぶくらいになった。安くてうまいものから普通にうまいものアップグレードした感じ。

あと朝食にサラダチキンとかレタスがつくようになったのとか地味に大きいかも。

運動日光浴びるという目的散歩及びウォーキングと、まだジムに行くのはご時世的にアレなのでリングフィットアドベンチャーになんとかしてもらってる。

大体1日30分くらい。今のところまだ続いてる。最近ゲームは凄いね

今年になってから生活改善したと思うけど、しかしながら結局俺の人生は何も改善してないし人生問題は何も解決していない。

絶望的な社会的孤立中の底辺無敵男」が「丁寧な生活を送る絶望的な社会的孤立中の底辺無敵男」になっただけ。

部屋をオシャレにしたってそこに呼ぶ人はいないし、運動したってこの人生の不幸度は何一つ変わらなかったよ。

人生自分の味方は誰一人いなければ、恋人どころか雑談する相手すらいない。

わかるよ、俺くらい終わってる人間のなり損ないへのアドバイスなんて

「お前は逃れられない、望むもの絶対手に入らない、おとなしく諦めろ、悟りでも開いて足るを知れ」くらいしかないものね。

保育園落ちた日本死ね」みたいな人間様の悩みとはわけが違う。

終わってるのなんて俺が一番良くわかってる。

でも少しは考えてほしいなぁ。『持ってる側』が『持ってない側』に上から目線

貴方自分らしくいれる価値観アップデートしよう」とか「持たないことを受け入れる価値観を持てば救われる」「丁寧な暮らしをしよう」

ぶっちゃけこういうアドバイス結構ムカつくんだけど、こういうこと言ってる人たちはそれで俺たちが救われると思ってるのかね?

しろ他の悩みに置き換えたとしてもこんなクソアドバイスで「なるほどー!」って納得して救われる人間なんて存在するのか?

こういう奴らって自分が俺の境遇に陥ったら絶対耐えられないくせになぁとしか思えないわ。

あんまり俺ら無敵男の絶望を舐めないでほしいわ。

2021-05-13

偏差値68か67だったなあ

飛びぬけてすごいわけじゃない

かといってふつーというわけでもない

周囲の頭が悪すぎて孤立

進学先では周囲の頭が良すぎて孤立

どっちつかずの半端モノ

そんな自分を表す象徴的数値だったな

今思えば

anond:20210513071310

そんなに切り分けてって最終的にどうしたいの?

・・・結果的に各々が孤立して、相互になんの共感理解も無くなるだけなんじゃないの?

2021-05-12

anond:20210512111454

しか日本にいる嫁いできた外国人女性の方が普通に地域に馴染んでる主婦だけど、男は孤立してるかギャング組織の一員なのでは?みたいな偏見はある

anond:20210512110745

それはわかるんだけど日本人女性外資で馴染んでる人が多くて、男性ほど弾かれて孤立するケースがないんだよね

わざわざ外資に行く女性っていうガッツがあって適応力がある層なのかもしれないが

2021-05-11

anond:20210511102616

普通強者ってのは「普通にやってきたら順当に社会の上の方に位置してた」という感じなので、

強者競争最中で余裕がない」「弱者には敗北者であり続けてほしい」みたいな認識そもそもあんまり的確じゃないよ

あと弱者存在っていうのは見ていてあまり気分の良いものじゃないし、嫌らしい話だけど治安なんかにも関わってくるから

自分が激しく割りを食うんじゃない限りは「いい感じに救済されるといいですね」ぐらいに思う人が大半じゃないか

ただ性質全然異なる他人同士なので、弱者積極的連帯したいか(=自ら関わって孤立を防ぎたいか)というと、

それはまあごく一部の志高い人々を除いて大抵の人にとってはNOだろうとも思うよ

その意味では困窮の問題孤立問題は切り分けて捉えたほうが良さそう

弱者男性の味方になってくれる人は居ない

弱者男性定義は色々とあるようだ。

 ただ弱者男性について語ろうとすれば、「弱者男性とはなんぞや?」を定義しない事にはどうにもならん。

 なのでここでは仕事恋愛などで敗北を繰り返し、敗者という立場固定化された男性弱者男性とする。

 競争社会における敗者=相対的に弱い=弱者って訳だな。

弱者男性には同じ弱者男性以外に味方になってくれる人がいない。

ついで言えば弱者って時点で余裕が無いから、弱者男性同士もあんまり協力できない。

もちろん例外的に寛容で心優しい人も居るだろうが、まあ滅多にいない。

まず強者男性は味方になってくれる訳がない。

だって競争に負けて脱落した弱者男性と違って、強者男性競争の真っ最中からね。

弱者男性を助けてあげる余裕なんかないよ。

それに敗者である弱者男性が救済されて敗者という立場を脱するという事は、相対的に勝者にして強者たる自分立場を弱体化させる事になる。

勝者として強者男性振る舞うには弱者男性には敗北者で有り続けてもらうのが一番都合が良い。

からよっぽどメリットが無い限り、或いは親友だったり命の恩人だったりといった個人的理由が無い限り弱者男性を助けたりしない。

強者女性はどうだろう?

どうやら強者女性強者男性以上に弱者男性嫌悪感を抱いてる様だ。

強者女性は、女性が不利になりやす男性社会の中で競争に勝ち抜いてきたという自負がある。

それだけに男性特権を持ってる癖に弱者に甘んじている連中の存在なんて、存在のものが許しがたい。

ネットでの弱者男性への反応を見ても、一定以上の地位を持ってる女性弱者男性に対して苛烈発言をする人が多い。

自分達が持ってなかった特権を持ってた癖に、それを活かせなかった無能め! 活かせないなら私達に譲ればよかったのに!」ってのが強者女性本音なんだろうね。

から強者女性弱者男性を助けるなんて事は宇宙が終わるまであり得ない。

では弱者女性はどうだろう? 同じ弱者同士なら連帯できる?

お互いの境遇共感できる部分はあるかもしれない。

でも同じ弱者である以上、限られた福祉予算というパイを取り合う相手しかないんだよね。

福祉予算の増額を政府に求めたりといった限定された状況であれば共闘可能性はあるにせよ、基本的にはお互い蹴落とす対象しかない。

から弱者女性弱者男性が助け合うという構図も期待薄だ。

その上で弱者女性の方が支援を受ける上で少しだけ有利な背景はある。

それはフェミニズム存在だ。

強者女性弱者女性にも対立軸存在している訳だが、男性のそれよりも(少なくとも表面上は)顕在化しにくい。

それはフェミニズムという思想が両者を繋ぐ接着剤の様な役割果たしているのだと思う。

利害や思想女性同士の対立があるにせよ、抑圧者たる男性から女性を開放しようという思想存在が完全な分断を防いでいる。

から男性側ではなかなか見られない強者女性弱者女性支援したり、弱者女性の声を代弁したりという事例が普通にでてくる。

これは弱者男性にとって許しがたい事だ。

弱者男性の多くは自分支援を受けられないのは「自分競争に敗れた存在」だからだと思ってる。

それが社会ルールなんだと自分に言い聞かせて、自分境遇を納得できないまでもなんとか飲み込んできた。

そして男女同権を謳うのであれば、弱者女性自分達と同じ様に扱われるのだろうと思っていた。

ところが弱者女性フェミニズムという思想を通じてフォローされる仕組みが出来つつある。

「じゃあ俺も助けてもらえるのかな?」とのこのこ出ていったら「お前は男だから駄目」って言われる訳だ(フェミニズム的には当たり前なんだろうけどな)。

それで「自己責任じゃなかったのか! なんで女だからって助けてもらえるんだ! 俺は男だから駄目なんて差別じゃないか!」ってなっちゃう訳ね。

弱者男性差別!」って吹き上がってる人は基本的にこれだと思ってる。

女性からすれば弱者男性保険料払ってないのに健康保険使おうとする連中みたいに見えるんだろうけどね。

弱者男性差別云々は本題では無いので、ここまでにしておく。

長々と書いてきたが弱者男性が如何に孤立した存在かという事を理解して貰えればありがたい。

もちろん、個々の弱者男性達の言動や行動が原因で孤立しているという面はある。

無闇矢鱈にフェミニズム女性攻撃しようとする奴がいるのも孤立を深める要因だろう。

ただ弱者男性社会から孤立していく構造的な問題は確実に存在している。

強者男性からは「競争社会の敗者だから」、強者女性から強者男性と同じ理由に加えて「男性から」、弱者女性からは「少ないパイを取り合う競争相手から」それぞれの理由弱者男性排斥される構造がある。

そしてその構造存在している故に弱者男性は常に少数派であり続ける。

自身弱者男性の側の人間なんだが、正直弱者男性に対する救済は無理だと思ってる。

社会弱者男性を救済する意義がなさ過ぎるし、弱者男性自身自己責任論を心の支えにしてまってる人が多くて社会による救済自体を拒んでしまう。

弱者男性権利拡大を訴えるとしても社会運動を継続するには、弱者男性が今後も社会供給され続けなければならない。

俺は俺より若い世代が俺みたいな立場になるのは嫌だ。

俺は俺みたいな人達が減っていく社会が良い社会だと思うし、その為にお前達は迷惑かけずに死ねって言われるのも仕方ないと思ってる。

頭の先まで自己責任論に浸かって生きてきたから、こういう思考しかできないんだよね。

読解の前に、88cmと8kg氏の他のnoteを読むのもよいと思います

女性に「キモい」と言われ続けた経験

結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。

フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note

弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note

小学校の頃から女子「だけ」からずっとキモい、目が腐る、不潔、鼻が曲がるとずっと言われ続けてきた。

仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性から一言もない。今でも。

そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます自分名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分名前よりもすぐに反応する言葉になります

ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性モテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性から孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。

小学生くらいの幼少期から女性集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われている

ここから個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です

キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合自分名前よりも多く投げかけられます



キモい」という言葉に感じる強い恐怖と抑圧

こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています

なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストラン女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉同級生を笑うとき、それが延々と続く場合笑顔を作って席を外して心を落ち着けます

そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています

今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。



フェミニストも「キモい」という言葉を使っているという認識

ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。

フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note

最近ある卑劣事件が起きました。

女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員逮捕事件事故徳島ニュース徳島新聞」

記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、

女子高生は友人2人とコンビニの前にいただけなのに、

・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、

・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、

・逃げ遅れた女子高生を容赦なく暴行した。

という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムのもの事件です。 そして、こういった事件現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったか暴力されても仕方ない」だとかいセカンドレイプのもの意見も、現代では正当化されず批判されます自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります


として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます



これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います

私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。

 今回の件は100%加害者男性が悪いと言い切れますしかし、キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から女性集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的ことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめ記事になったことが何度ありましたか男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモいから悪いんです。告発しても女性無罪放免、怒った自分先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?

まり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判なのは

  1. コンビニの前にいた女子高生たちに見知らぬ男性が「家に来ないか」と声を掛け、女子高生達が「キモい」と言ったところ逆上し、逃げた彼女たちをしつこく追跡し、逃げ遅れた女子高生を容赦なく暴行したという事件があり
  2. その事件自体については88cmと8kg氏も「100%加害者男性が悪い」と思っているんだけど
  3. その事件への反応に「キモい」という言葉を素で使っているツイートが多数あり
  4. 88cmと8kg氏はそれらが「フェミニストのみなさん」によるツイートだと考えている

からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合自分名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するとき普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別正当化しているんだ、という主張だと思います

キモい」はヘイトスピーチ女性フェミニストはこの言葉弱者男性差別しているという認識

そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます

例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます特に後者言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。

実際問題自分フェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間悲鳴はすべてミソジニー」というような意見フェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分ミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかりますいかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会正義の名のもとに差別正当化される苦しみは無視できないのです。

嘘だと思うのなら、最も弱者男性差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性人権侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人自由なので社会国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性トランス女性とかアジア人ゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスク差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性人権侵害している。」「アジア人ゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害貧困差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニストネトウヨ白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?

 そもそもゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情しかよらない侮蔑語は、マジョリティ規範依存する言葉です。上記属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記人達人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやす特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。



88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件犯人批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性人権侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性フェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います


anond:20210510221656

いじめ問題になった学校出身です

旭川事件を知って思い出した。

自分、一時期世間を賑わせたいじめ問題になった学校出身のものです。

前提として荒れてる学校だった。

近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。

私たち学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。

そんな学校から、成績ももちろん低くて私たち学校価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。

クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。

授業もできないか先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違いする奴らがあまり喋っていない俗に言う陰キャを構ってあげてる、という名目でのいじめをした。

それがいつの間にかおもちゃになっていじめに発展するのが決まりコース

いじめたヤツらにとって「自分たちは先生に認められた特権階級」って思っているし、先生たちも正直他の生徒が万引き喧嘩やらで外部に迷惑をかけているから内の問題に構う暇なんてなかったと思う。

というか真面目そうに見えて万引きする奴らよりも分かりやす問題を起こして馴れ馴れしく先生に話しかける彼らを先生可愛い生徒と思っていたかもしれない

結果、兄弟の学年で問題になってしまってマスコミに大々的に報じられた。

元々あった先生負担が倍増し何人かの先生が来なくなったし、ストレスや親が通わせたくないという意味での不登校児童も多発した。

マスコミ過熱してて、休日私服の私に「あの中学出身だよね?」と話しかけてきたりしていた。

いじめたヤツらは守られたりもして、さらに結束を強めたように見えたけど、親含む内部で罪の押しつけあいで最終的には分解した。

というか周りの生徒が孤立させてていじめグループ内でいるしかない状態だった。

教師に持ち上げられたか勘違いするいじめなんてするバカだったから、ほとんど高校も低い偏差値しか行ってなかった。

勉強してちゃんとした高校行っても同じ中学の人たちからリークでばれたりするから孤立して退学したりもしたらしい

自分中学を忘れようと高校は私しか進学していない高校に行ったけど、「あの中学出身」と言われていて、友達は出来たけどいじめ事件の事を興味本位で聞かれたりした。

地元には悪い思い出がほとんどで、同級生も帰っていない人達が多い。成人式も半分しか来なかった。

故郷の思い出は息が詰まる思い出と自分いじめターゲットにならないかとビクビクした記憶だったり、高校の時の「あの中学出身」っていうヒソヒソ話と人を死なせる要因をつくったという罪悪感でぐちゃぐちゃになる。

多分旭川の子達も同じようになるんだろうな。

強く生きて欲しい。

旭川ニュース見ないようにしていたけど偶然見ちゃって思い出したので整理つける為に書いておく。

----------------

追記

身バレ防止の為に兄弟いじめ問題になった学年って言ったけど文章的に合わないところ多すぎた。

自分いじめ問題になった学年と同じ学年です。

いじめ問題になったクラスは別クラスだけど、噂には聞いていて正直他のクラスよりまとまっていたクラスだった。

亡くなっていた子がスケープゴートになっていたのは外から見てもわかってたけど、皆自分が助かるためなら仕方ない、って感じだった。

よくいじめがあるクラスはまとまるって言うけどあれは自分がそのターゲットにならないように無理矢理合わせているだけ。見せしめと変わらないよね。

あと強く覚えているのはいじめた子の親がうちの家に電話してきて、うちの親に「マスコミに子を売ったのはお宅か?」と質問してきたりしたことかな。

近くに附属中があったからって書いたけど、うちの学校以外はみんな普通に過ごしていたし、成績も附属中よりも少し下だったけど、普通に過ごしていたから、本当にうちの学校のみの問題だったと思っている

今思えば小学校の時、附属中にいく生徒が皆一斉にやっていた習い事をやめて塾行き始めて、何となく附属中組と公立組に別れ始めた所から公立組は劣等感を感じ始めたし、そこから荒れる生徒もポツポツ出始めたな

----------------------

追記2

近くに国立私立があるからみんなそうって訳ではないと思う。

私の書き方が悪いから附属中ある公立校がみんな荒れてるって感じになってしまったけど。

現に1番その附属中に近い公立中学平和で全体の成績も良かった。

私の学校が荒れたのは周りの中学生からみて「荒れている」というイメージ中学で、成績も低くてバカ中って言われていたからそれの劣等感もあった。

先生の質も良くなかった。

荒れている→成績が下がる→質の悪い教師が赴任→さらに荒れる

という流れ

体罰もどうだろう。

そういう先生もいたけど荒れてたままだったから生徒たちの根本劣等感が消えないと意味ないと思う

ーーーー

秋田いじめ事件があったらしいね

久しぶりに思い出したことあったから書いてみる

最近秋田学校いじめを苦に自殺未遂があった学校記事を見て思い出したことあった。

秋田いじめた子達、被害者の子逆ギレしたんだってね。

あれと似たようなことあったよ。

事件があったあと、問題になったクラス人達教室別になっていた時があった。(理由は分からないけど調査とかマスコミ対策のためとかだと思う)

部活動もそのクラス人達は全員不参加で登下校は親が送り迎えしていて、問題クラスでそこそこ話していた子と会った時、「なんで私たちだけ」って切れていたんだよ

彼女は直接いじめには加担していなかったし、マスコミのために外にも満足に出れない日々だったし、親も親で彼女いじめに加担していないかとか聞かれたりしたりしていたから、つい言っちゃったんだと思う。

彼女というか、そのクラスからすればいじめで亡くなった子は必要存在で、求めてやっていたのに亡くなりながってって思ったんだと思うし、いじめ主犯たちは全員学校来ていなかったから「お前らのせいで」っていう悪意を向ける先もなかったと思う

あと学校内でも物凄いスピード事件は広まったか学校全体で問題になったクラス人達には話さない、顔を見ない、隔離されたクラス場所には行かないなどの学校中総シカトみたいな雰囲気があって、学校というか地域全体で無視されるっていう気分で、それを言いたくなちゃったのも正直わかる。

話を戻すと秋田の子達もきっと学校からいじめをした人」っていう針のむしろ状態になっているんじゃないか

それで自分被害者と思ってしまっているんだと思う

自分加害者って思えるのも強さが必要だし、いじめをして結束するメンタリティの子達にそんな強さがないかいじめた子を加害者だと思って攻撃したんだと思う

自分を守るために必要な事だとは思うけど、ただ繰り返すと本人たちにとっても良くないから、親とか周りが彼女たちをケアして早く自分たちが加害者だと思えるようになって欲しい

2021-05-08

真人間のふりをする

先日、少しだけ偉くなった。

辞令を出された時は完全に寝耳に水。きっとアホ面をしていたと思う。

マスクをしていたので助かった。

 

今の会社就職する前はニートだった。

派遣で完全に精神がやられたので、失業手当を貰いながら3ヶ月ほどダラダラとしていた。

元々派遣関係ないところで精神をやられていた上に、派遣先で完全に空回りしてしまい、孤立

まさか社会人になってまで便所飯するとは思うまい

次に働く場所では、不器用なりにうまく立ち回ろうと思った。

 

ハロワ仕事を探す際に、保険も兼ねて障害者雇用検討することになった。

当時病院に通っていたので、手帳の取得はすんなりといった。結局クローズ就職したので使わなかったのだが。

就活では真人間のふりをした。学生の頃から続けた接客業経験をフルに生かす。

 

晴れて就職が決まるものの、初日遅刻、3日目に休憩時間に外出したら車がエンストし戻れなくなる…などアンポンタンの極み。

果てには新人しからぬ上司への忖度の無さ。まさに傍若無人

よくクビにならなかったと思う。

 

そうして研修期間が終わってから、一番過酷な外の部署に配属された。

ただし自分にとって、客の対応は得意。

家では根暗、人と極力会おうとしないコミュ障っぷりだが、仕事ではスイッチが入ったように"演じる"ことができる。

人間性はともかく、業務で同じ失敗を極力しないように、メモだけは自分なりにまとめながら取った。

努めて真人間のふりをした。というか8割方愛嬌だけで乗り切った。

配属されて間もない頃、下請け会社の人に「いつもニコニコしてるね」と何度か言われることがあった。

「笑っとけばプラスになることが多いんですよ。気分も上がるし」とか返した気がする。

 

部署異動と人事評価でそれなりのものを経て、後輩の指導に当たることも増えた。

最近では色々と仕事を任されることもある中での辞令

何だかんだで仕事必要なのはコミュ力だと気付かされる。

未だに上司に対して指摘はするし(業務上のことも倫理的なことも)、我ながら可愛げのない人間である

プレッシャーにとても弱いので、期待されても何も出んぞと思いながら、今日真人間のふりをする。

2021-05-06

弱者男性存在ってそんなに理解し難いか

簡単だろ

男性としての生きづらさに直面してきて、結果社会的孤立したり経済的に困窮したりしてる人のことだろ

普通にまわりにたくさんいるけどな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん