はてなキーワード: プライバシーとは
【実在の登録商標名をネット上に書き込みをしたりニュースで言うと、商標権の侵害となったり使用料(ロイヤリティ)が発生する。】という意見があります。結論から言うと、その意見は誤解です。商標権の侵害となったりお金を請求され払わなければならないという事は【ありません】。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/284937.html
「STAP細胞はあります」が商標登録出願されたと話題に / Twitterユーザーの声「意味不明すぎる」「ないのに」
http://news.livedoor.com/article/detail/9875730/
下記はソースです。専門家の方が名前を出して解説しているため、信頼性が高いものと思います。
(もっとも、法律の条文を読んでも、名前を書くことが商標権の侵害の要件となるという根拠を見つけることは出来ませんでした。)
http://www.tamba-pat.com/article/13612390.html
また、似たような誤解で、他人が登録商標を使用したらどんな場合でも商標権の侵害になるというものもあります。
登録商標が指定商品又は指定役務に関連して用いられて初めて商標権の侵害となるのであって、登録商標を商品やサービスから離れて、たとえば文章中などで用いたりしても商標権の侵害とはならないのです。
紹介文
http://news.ameba.jp/20160923-83/
たとえば、『iPhone』は商標登録されていますが、単にiPhoneという表示をしただけ、あるいはiPhoneを紹介したとしても、商標権侵害とはなりません。これは、自他識別機能や出所表示機能が害されているわけではないからです。
紹介文
*著者:弁護士 清水陽平(法律事務所アルシエン。インターネット上でされる誹謗中傷への対策、炎上対策のほか、名誉・プライバシー関連訴訟などに対応。)
http://ipfbiz.com/archives/kuchikomi.html
そしてもう一つ、単に商標の文字列を記載する行為のみでは、商標としての使用にはなりません。商標的使用であるためには、出所表示機能や自他商品等識別機能を発揮する態様での使用である必要があります。
紹介文
安高史朗@IPFbiz
特許庁での審査官補、シンクタンクでの知財コンサルタント、インターネット企業での知財戦略・知財法務・政策企画を経て、安高特許会計事務所を開業しました。
@ITに掲載されている栗原潔氏の記事でも同様の説明がされています。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1305/16/news018_3.html
言葉やマークが製品やサービスの出所を示す機能を提供していなければ、それは商標ではありません。そのような使用に対しては商標権の効力は及びません。
しかし、例えば、自動車雑誌でポルシェという言葉を使って記事を書くために独ポルシェ社の商標権の使用許諾を得る必要はありません。この場合、ポルシェという言葉を商標的に(製品やサービスの販売とともに)に使っているわけではないからです。書籍タイトルや歌詞にポルシェという言葉が出てくる場合も同様です(もちろん、業界の礼儀として一言断りを入れておくべきという話は別です)。
商標権とは言葉やロゴの使用そのものを独占できる権利ではありません。その言葉やロゴを、製品やサービスを提供する際に出所を表示するために使用する(つまり、商標的に使用する)ことを独占できる権利です。
名前を書くこと自体が商標権の侵害になるわけではないと解説されています。
本当に簡単に言ってしまうと、商標を無断で言う(書く)のは合法、商標を無断で使うのは違法という事です。
また、商標権という言葉は出てきませんが、この問題に似た事案について判例が存在します。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=84462
結果 棄却
3 争点
(1)本件ページへの本件名称の掲載が本号(不競法2条1項2号)所定の不正
競争に当たるか(争点1)
イ 本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか
(2)本件ページへの本件名称の掲載が原告の人格権に由来する名称権等の侵害
4
に当たるか(争点2)
(3)原告の損害及びその額(争点3)
イ(本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか)
本件サイトは,新聞や雑誌,一般のブログ等とは異なり,掲載された情
報に経済的価値を認め,広告価値を最大化して利益を得ることを目的とし
ているから,本件ページを含め,飲食店の情報が掲載されたウェブページ
は,それぞれが独立して経済的価値を有し,取引の対象となっているとい
うことができ,商品性があるので,被告は,本件名称が表示された本件ペ
そして,本件サイトを利用する者は,上記各記載のほか,本件サイトの体裁自
体によっても,本件サイトが各地の飲食店の基本情報や口コミを集積し,一
般消費者の利用に供するウェブサイトであることを,容易に認識することが
できる(甲2,乙6,16,23の7)。
したがって,被告による本件ページへの本件名称の掲載は,被告の商品等
の出所を表示したり,被告の商品等を識別したりする機能を有する態様で本
件名称を使用しているということはできず,被告が自己の商品等表示として
原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用していると認めることはでき
ない。
しかし,本件についてみると,法人の名称ではない店舗の名称について個
人の氏名と同様の保護が与えられるべきか否かはともかくとして,被告は,
本件ページを掲載することにより本件名称を表示していることが認められる
ものの,その態様は,前記1(2)のとおり,本件店舗を本件サイト内にお
いて特定したり,本件ページのガイドや口コミが本件店舗に関するものであ
ることを示したりするために本件名称を表示しているものにすぎず,本件名
称を用いて,被告が本件店舗を営業しているかのように装ったり,原告が本
件サイトを運営管理しているかのように装ったりしているわけではなく,本
件店舗や本件サイトの運営主体の特定や識別を困難にするものではないから,
冒用には当たらない。
しかし,原告は,法人であり,会社であって,広く一般人を対象にして飲
食店営業を行っているのであるから,個人と同様の自己に関する情報をコン
トロールする権利を有するものではない。そして,上記のような原告の要求
を認めれば,原告に本件店舗に関する情報が掲載される媒体を選択し,原告
が望まない場合にはこれを拒絶する自由を与えることになるのであり,その
反面として,他人の表現行為や得られる情報が恣意的に制限されることにな
ってしまうのであって,到底容認できるものではなく,原告の上記主張も理
由がない。
名称を書くだけでは名称利用には当たらない、裁判となった被告のサイトに本件名称を書いただけだという事は被告のサイトを見れば分かるとして、裁判所は原告の主張を退けています。
また、原告が情報媒体を選択できるなら、表現の自由の侵害の恐れがあるいう趣旨のことを述べています。
これらはインターネットに限らず、書籍や漫画などでも同様でしょう。
※このダイアリーで記述しているのは商標権の話です。名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害は別の問題ですので、誤解無きようお願いします。正当な批判の範囲を超えた、名誉毀損のリスクのあるような内容ならば、配慮の必要性があり初めから触れるべきではないと思います。言い換えるなら、それらの名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害などの問題が無い限りは、実名を出すことに問題はないでしょう。
余談:
・上で紹介した教えてgooトピック内の投稿に「マスメディアは公に正確な情報を報道する義務をもつ。
いろいろと他の決まりがあるのでマスメディアとweb siteでは違います。」という部分があります。
これは私の想像ですし言い方が悪いのですが、この部分は、「一面に大きく載る銀行の統廃合の記事も,経済面にのる新商品の紹介も,社会面で報じられるどこそこ本社の火事も,いちいち伏せ字にするか,記事を書くたびに取材相手の会社にお金を払っているか,許可を得た上でないと報道できないことになります。」という他の人からの指摘に対して、話の辻褄を合わせる為に持ってきた話ではないかと感じます。
しかし、この説明の仕方には違和感を覚えます。第三者が登録商標名を投稿することが違法であるとして法律問題を主張するのであれば、マスコミによる報道についても「例外規定が法律上存在します」という法律論であるべきではないでしょうか。
実際には例外規定は法律に存在しません。第三者が登録商標名を投稿する事自体が法律上禁止されていないので、そもそも例外規定は存在しません。
マスコミは正確な情報を報道するべきであるという、あるべき論で言えば、我々一般人も誤解や誤りの無い正確な情報発信をすべきであるし、それがマナーだと私は考えます。
二重国籍の問題自体は、まだ決着がついたわけではないが、現時点で振りかえって、ネットと既存のメディアとの対立について感じたこと。
いわゆるリベラルなメディアは、当初、二重国籍に関する指摘があった際、これを無視する。そのあと問題が大きくなると、党首の要件として「二重国籍は、大した障害にはならない」という主旨の記事を出してきた。とくに典型的なものは以下の記事。
「二重国籍は、大した障害にはならない」のであれば、指摘があった時点で民進党がわに事実を公表するよう促すべきだった。そして、蓮舫議員の二重国籍の事実が公表されたのち、自社の見解として、それは大した障害にはならない、と述べればいい。なのにそうしなかった。
民進代表選で蓮舫陣営に入っている一人は「日本で育ち、日本語をしゃべり、日本人として生きてきた。人を差別するような見方をしないでほしい」と話す。
将来的に外交に携わる可能性のある人物の選挙なのに、プライバシーの問題にすりかえることや議員自身の経歴詐称への批判はすでに出つくしているし、ここでは触れない。ここで注意したいことは、この時点では「二重国籍」であることはまだ公表されていはなかったこと。「二重国籍ではないか?」との詮索自体が差別で、やっていはいけないこととされていることだ。
いままで、伝えなかった事実について、それについて伝えたところで問題になるようなことか、と言っている。
いままで事実を知らせようともせず、伝えたところで問題になるのかと言い、他人の口を借りて、そのようなことを詮索するのは差別だ、と述べている。朝日新聞の記者は、こういっているのだ。「きみらに二重国籍かどうか、判断の材料は与えない。二重国籍だとしたら、差別主義的な判断をする恐れがあるからだ」と。われわれの正しい判断に従いさえすればよい、と。
「二重国籍」に対しては、外国でも見解は一致していないところが多いし、そのことを批判するのが、この文書の目的ではない。問題は、事実の公表により、聞いたものが自発的に判断し、開かれた議論が起こり、多様な意見が生まれることくらいは誰でわかるし、事実そうなったのに、この記事がそれに水をさす内容であったことだ。
「(二重国籍による)多様性を認めないのか」ということばで意見の多様性を抑圧し、「差別するな」といいながら、ネットで発言する人間の判断力を自分たちより劣ったものとみなしている、そう思われても仕方がない。
普通選挙で一部の人のみに許された政治的な判断をし投票する権利が全国民にいきわたったように、ネット・メディアの登場により、事実を探しだし、それによって政治的な判断を行ない、表明することが一部の限られたメディア以外でもできるようになった。
そして今、ネットと既存のメディアとの対立の本質。それはネトウヨ(右翼)とリベラル(左翼)といったイデオロギーの問題ではない。それ以前に、人々の自由についての問題だ。人々がマスコミや政党による限定された情報によって意見を誘導されることなく、自発的に情報を収集し、政治的な判断し、表明する自由だ。
たしかにネット上での現状では、ネトウヨに代表される危なっかしい議論も多い。さすがによく読まれている署名付き文書はまともなものも多いだろうが、この増田のような文書も含めると、九割近くはゴミクズだろう。いたずらに人を傷つける書きこみも多い。だからと言って鳥越俊太郎のように、これを否定していいのか?といったことだ。
先に言っておくがタイトルほど内容は無い
周りの誰にも話せない事で、ずっと一人で抱えているのもつらいかったから
ここで吐き出させてもらうことにした。
主義主張のある内容でもないしまとまりもないからさらっと流してほしい。
いわゆる性嫌悪なのかと思っていたけれど、性欲自体はあるからそれも多分違う
彼氏はいらないけどセックスはしてみたい、という気持ちが年々強くなった
”いらない”というよりも”できない”といったほうが身の丈に合っているのは自分でも分っている
そこらへんが苦手なあたり、私は”正常”な人間からずれてるんだろうな
それに、「セックスしたい女は風俗で働けばいい」なんて簡単に言うけど
正直なところ相手は選ばせてくれ
誰でもいいわけじゃない。清潔感とか距離感とか、そういうのあるじゃん
プラス、顔が良いに越したことはないけど
風俗だったら金をもらって奉仕する以上、どんな客が来ても相手を喜ばせるために
だから、”セックスしたい=風俗で働く”という方程式には無理があると思う
一方、売るんじゃなくて買えばいいじゃんとも思ったけど
「若い女性は無料でお相手します」なんていう女性向け風俗も気味が悪い
結局はお前の快楽のためだろ?と思って利用する気になれなかった
そういうHPや他の女性のレポ等を読んでるとこれは無理だと思った
前述したが、友達の猥談が無理という時点で身近な人と関係を持つことも不可能
結果、私はハプニングバーに行った(どういうところかわからない人は検索してみてください)
プライバシーはそこそこ守られる
化粧もそこそこにそれなりの身なりをした女なら基本的に無碍な扱いは受けないし
なんて素敵な場所なんだろうと思った
しかし一回行ってみるだけじゃ飽き足らず、同じ店にもう一度行ってある事を学んだ
一度でも顔見知った相手を私は受け付けないんだという事
話した内容が猥談な分、拒否反応は日常で出会う人との比じゃなかった
もう、これって何かの障害なんじゃない?と悩んだ。ぶっちゃけ今も悩んでいる
不特定な相手だから病気も怖いしハプニングバーに通い続けるのも正直どうなのかしらとは思っている
ついでに言いたい事としては、”あそこにいる女は風俗嬢とかのサクラばっかりだ”って言う人を目にするけど
こういう女だって紛れ込んでるんだぜ、って事かな
女の性欲、セックスは相手への愛情だとかなんとか良く目にするけど
イコールで結びつかない自分が確かにここにいて、もやもやが続いている
結局、私は他人に自分の事を深く知られるのが恐くて気持ちが悪いんだろう
人と心の距離を詰めるのは無理、なんて言っている以上
このままなら恋人なんてものも出来ないだろうし、作るための行動をする気もないし。
いつの日か、いわゆる”心がつながるセックス”なんてものを経験出来たらいいですねって
とりあえず一人で生きていける、一人で迷惑をかけないように死んでいけるように頑張ろうと思う
人を好きになる、人を愛するって何なんだろうな…
「全てのセックスは性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。
正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックスは性差別になる」という主張である。
この条件さえ付ければ、「全てのセックスは性差別」という主張は決して間違いではない。
しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。
現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。
そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。
仮にある作品が差別的だとしても、あくまで特定の社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。
だから「性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別を批判すること」は問題なく両立する。
どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別を批判するとも言えるのではないか?
別の例で言い換えてみよう。
「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人を批判すること」は問題なく両立する。
どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現が現実の殺人へと結びつかないために、現実での殺人を批判するとも言えるのではないか?
いずれもまったく同じ構図だろう。
それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。
言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である。
分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。
しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。
現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。
しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。
批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。
「フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」
だからオタクは、別にフェミニズム的批判の正しさを認めても構わないのである。
(もちろん他の批評と同じく、低レベルなフェミニズム批評まで認める必要はない)。
そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。
「性差別的である」ことを理由としてただちに「表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である。
(もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体は自由である。しかしその発話内容が不当である以上、当然批判が殺到するであろう。
不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)
あたかも「オタクとフェミニズムが対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである。
そういった点も踏まえて、後述するように「マンガ・アニメという表現様式一般が性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。
●結論
辛辣な批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベルで無意味な批評は無視すればよい)。
フェミニズム的な批判を、何か特殊な批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である。
フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。
そして表現者の責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。
(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)
酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。
仮に「ある作品が性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。
「その作品は性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別的効果を止めるには充分である。
「この作品における○○○○な描写は、性差別的意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから。
批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別的効果を止めること。これは充分に可能である。
批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす
(この点については、また別の機会に述べようと思う)。
そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。
だけど忘れてはいけない。
フェミニズム的解釈が妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。
そして、これも再度強調しておかなければならない。
「(現在の社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別を批判すること」は両立する。
どころか、前者を好むからこそ、現実での差別を批判するとも言えるのではないか?
しかし、そのことだけを理由に表現の取り下げや禁止を要求することは不当である。
同様に、そのことだけを理由に「フェミニストが表現の取り下げや禁止を要求している」と早とちりすることもまた不当である。
●最後に補足を二点
もちろん私は、「マンガ・アニメという表現様式一般が性差別である」などという乱雑な主張には与しない。
たとえば大城房美が指摘するように、「日本の少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカのコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない
(大城房美編著『女性マンガ研究 欧米・日本・アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。
日本においては、マンガによって女性が表現する場所が確保されてきたのである。
そして少女マンガは女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。
以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、
たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。
http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブとガルパンをフェミニズムが評価すべき5つの理由 [メディア・家族・教育等とジェンダー]」)
活動量計つき腕時計のWithings Activiteを24時間ずっとつけているのだけど、シコってるのが可視化されてしまっていて、ちょっと困っている。
http://www.withings.com/jp/ja/products/activite-pop
Activiteの連携アプリで、一日を通してどの時間に歩いていたか走っていたかがわかるんだけど、寝る直前に異常なほどの活動量が毎日記録されて、なんだこれ??バグか?とずっと思っていたんだけど、オナニーの手の上下運動が記録されているんだと気付いた。
歩いている時間は黄色、走ってると赤くなって区別されるのだが、昼間は黄色く、寝る直前の時間だけ赤くなってるのでわかりやすい。
https://itunes.apple.com/jp/app/health-mate-by-withings-bu/id542701020?mt=8
Appstoreのスクショも起床直後が赤いけど、これシコだったりするんだろうか。いや正午から記録されてるから運動する直前に時計を付けた感じか。。
最近はそういううがった見方しかできないようになってしまった。
元気のあるときは棒グラフが長くなり、疲れているときは短くなる。
朝と夜で2回赤い棒グラフが出ている日もある。
赤い棒グラフが多ければ、むしゃくしゃしてんのかなーとか思う。
って見返すのは面白いんだけど、これ過去の記録を他人に見られたら結構ヤバイ。恥ずかしさで死ぬ。プライバシーの塊である。
対策を考えてみた。
利き腕を変えるのが大変困難なことは皆さんご承知のことだと思う。
果てた後に力尽きるように睡眠を開始する癖があるので、Activiteを付け忘れ、睡眠をトラッキングできなくなってしまいそうだ。
自動的に睡眠トラッキングしてくれるのがActiviteのウリなので、ちょっともったいない。
やってみるとしたらこれかな。今のところシコは日課であり、もはや切り離せないので、ごまかすには毎日走らねばならない。結構体によさそうだ。
Withingsを付けている人はたまにいるけど、他人のHealth Mateアプリは無闇にのぞきこまないでくれ。プライバシーの塊だぞアレ。
横浜市内初。高校生が選挙啓発<、参院選向けて始動(2016年4月)
18歳の選挙権が実現するのを前に若者世代の選挙に対する関心を高めようと、港南区役所が区内の高校生に呼びかけ、「若者会議」を発足させた。2016年3月29日、第1回会議が区役所で開かれ、メンバーらが投票率アップに向けたアイデアを出し合った。
メンバーは市立日野中央高等特別支援学校の吉岡秀真さん(2年)と吉田瑛穂さん(1年)、県立横浜南陵高校の根岸海さん(2年)と山脇空輝さん(2年)、県立永谷高校の本間佑美さん(2年)と浦邊純子さん(2年)、県立横浜明朋高校の杉山 麗(2年)の6人(カッコ内は開催時の学年)。
高校生が選挙啓発に取り組むのは横浜市内で初めての試み。この日は選挙に対する思いやイメージについて、「選挙は大人が行くイメージなので、まだ実感できない」「ニュースをみてもっと政治に対する興味を持ちたい」といった意見を出し合った。中には政府が進める安保法制について意見が及ぶ場面もあった。メンバーは今夏の参院選に向けて若者の投票率アップをめざす啓発ポスターづくりに取り組む計画だという。次回の若者会議の開催は7月の予定。参院選以降も各校の文化祭で模擬投票などを行い、啓発活動を続けるという。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E9%BA%97
浪費の結果入学金50万を工面出来なかったとかいうのは全部やらせを疑ってしまうのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20160820004448
「できると思ってるんでしょうか?」は反語大島はできないと思っているし、この場合はつまり「やらない」という表明になる
「こんな企画を立案した奴にまともな倫理感があるはずがないんだから簡単にできる。」は低能拗ね男のまともな根拠のない決めつけでしかない
「できないだろ?だから問題ないんだろ?」に対して「できる」と言ってるので的外れもいいとこ。
出来ないと思っているし、と書いた文章も忘れてやらない表明だから!と苦し紛れなのクソウケる
やらないといっても信用できないくらいのクズだと言われてるのに読めないアスペはそれで反論になると思ってるんだろうか
こんな企画を~に関してはこんな企画立案する時点で倫理観がないクズ初めから企画すらするなよクズという皮肉だぞ。
これまた低能の決め付け低能脳内にしか存在しない「細心の注意」を他人に押し付けないように
これまた低能の決めつけ
細心の注意を払うくらいの気遣いができるアピールするくらいなら初めから企画なんてするなやゴミというだけの話
大島はプライバシーの侵害や晒し行為について語っているんであって、恐怖感など問題にしていない感じるかどうかもわからない恐怖感について配慮するという発言ではない
他人が必ず恐怖感感じるだろうなどと勝手に決め付けてはいけない
さらにネットで他人に罵倒しまくっている低能拗ね男が恐怖感を云々すること自体片腹痛い
罵倒された相手が恐怖感を感じる可能性について全く考えが至っていない
おまえにそんなことを言う資格は無いんだよw
低能すぎる
恐怖感など問題にしていない
恐怖感など問題にしていない
恐怖感など問題にしていない
他人が必ず恐怖感感じるだろうなどと勝手に決め付けてはいけない
他人が必ず恐怖感感じるだろうなどと勝手に決め付けてはいけない
他人が必ず恐怖感感じるだろうなどと勝手に決め付けてはいけない
いやそこが問題だろって話なんだが
むしろこれが大島のスタンスならば「他人の気持ちを慮ることができない非人間的サイコパス自殺推奨キングオブゴミクズが繊細な注意とかいってエクスキューズしてるけど脳内感情で突っ走ってるだけ」っていう話になるだけだし
罵倒された相手が恐怖感を感じる可能性について全く考えが至っていない
「既に引退してるのにネットでネタにされまくってる同性愛者が探されても恐怖を抱かない可能性がある!」とか言ってる人間が「ネットで出会いもしない人間から罵倒されただけで恐怖を感じるかもしれないだろ!」とはおまえの恐怖センサー引きこもりすぎてぶっ壊れてんじゃないの
まともな社会人なら損失リスクとか想定する上で確率だけでなく損失額もちゃんと計算するだろうにやはり引きこもらーは一般常識すらないな
これも低能の決め付け
可能性の話をさんざんしてきたのに自分がキライな奴が語るリスクを全否定するバカはさすが三秒で記憶が無くなってるんだろうな
何の反論にもなっていない売名というのがただの決め付け
売名じゃないというのもただの決めつけ
主張は企画するなじゃないぞバカ引退した同性愛AV男優を探すなんて38度の日差しで脳みそとけてるのか知らないけどそういう企画をするなという話だぞゴミ
なにがわからないのかがわからない
実際に眼で見ないと血の通った人間だと思えないまたは思えないに違いないとかバカじゃないの
本気で叩きが止まるに違いない!と思ってるなら脳みそ腐りすぎて冷凍庫に入れても手遅れなのでまるごと粗大ごみに入れるレベル
「架空」をアスペ的な理解しかできていないこの場合の「架空」は実在しないという意味ではなく、相手が存在していることをどれだけ実感できるかの尺度のうえで用いられている
低能は自分のときだけ気軽に低能決めつけを連発するといういい例
「どれだけ実感できるか」のために問い合わせしている!とでも言うのだろうかさすが脳みそ腐ったマヌケだな常人ではそんな発想出てこないわ
普通におもちゃ感覚で遊ぶためだろこの企画してるヤツはそれを助長してるだけの癖に「叩きを無くしたい」というトンデモエクスキューズかましてやってるゴミだという事実を実感しような
ビリーネタの数に関しては減ったという意見と変わらないという意見が混在していてよくわからないリンク一つ貼っただけで減っていないと言われてもなんとも
減ったと明言出来ないけど引退した同性愛者を取材交渉かませるレベルになる前から企画をぶちあげるとかリスク感覚がなさすぎて脳みそ腐ったゴミとしか言いようがないな
番組に出るだけでお墨付きをえたと思うキチガイがどれだけいるかだなあ
今回の企画で知らない人がさらに知るようになればキチガイの母数によりリーチするのでやはりリスクが高いな
前述したとおり「架空」をアスペ的な理解しかできていない
これも頭の悪い言葉遊びでマジレスするのが面倒くさいが
企画をぶちあげる時点で晒しだという感覚がないサイコパス自殺推奨キチガイの「既に晒し者にしているのならば映像に映しても問題ないねw」という倫理観がよくわかるな。
新しく知った人間には淫夢厨化するクズしかいないと思っているらしい
マーケティングすら知らないバカにとっては顧客にリーチするという観念がないらしい
「悪い意味」がこれまた決め付けというか大島はこのインタビューでそうではないと説明しているのになおも根拠ゼロで決め付けを続けるのだから、日本語が通じないキチガイの相手はめんどうくさいねw
叩きを無くしたい~というゴミエクスキューズかましてるけど実態は個人の生活のリスクを上げてでもおもちゃにされてるヤツを探す企画という時点で悪い意味にしかならないから
そんなつもりはなかったは言い訳にすらならないんだよ
「ビリー・ヘリントンを小ばかにしてる連中なんかほとんどいないだろ」はいこれ
大島が狙っているのはまさにこれなんですねー
別物だからという話をしてるときに一文だけ切り貼りしてる読解力のないゴミだという自己紹介をしてもらえましたね
だから大島は(そこでは)淫夢厨じゃないお前の話はしてないんだよwでしゃばんなってw
淫夢厨じゃないヤツには反論できないのか、なんだとっくにKYOUMOEの勝ちだったのか
大島は拗ね男言うところの「クソ」のことを「偽善」と言っているだけ
別に同性愛がどうという問題ではないよ。はっきり言って、その「A」の態度は失礼極まりない。
告白した、断られた…そこまではいいよ。だが、「分かった」と言っておきながら、その相手にしつこくつきまとう? まして甘える? それは明らかに踏み越えてる。ましてや、そこで再度の拒絶にあい、謝罪でもするならまだしも当てつけのように「学校来ない」→「留年」のコンボ。これはもう完全にアウトな奴だ。増田が仮に女性で「A」が異性愛者だったとしたらどうだろう? こんな勘違いのクズ野郎は一人で滅べ!とはてなの皆さんも燃え上がることだろう。
ここまで人間的に未熟な人は恋愛する資格自体がない。この「A」は完全にただの迷惑な地雷でありただの自業自得野郎であって、増田にはなんの責任もないし罪もない。翌年の様子みても、なんら反省している様子がないし人間的に成長したようにも見えない。これは十分ブチ切れていいレベル。「オレのせいで留年したって言いたいのか」と増田が思うのは当然で、これは実際そう言ってるのと同じだし、悪く言えば「増田が同性愛に偏見があるせいで…(チラッ)」と言ってるようにさえ見える分だけ悪質だ。こういう、人権問題を利用したハラスメントをかましてくる相手には、きつい灸が据えられるべきだと思う案件だ。
だが、一橋の件については、まったく逆だ。なぜそう言えるか?
結局のところ、告白というのは「した側」の所有物でもなければ「された側」だけのものでもない。両者が共有する「プライバシー」なんだ。だから、どちらかが一方的にそれを公開するのはやはりルール違反だ。きわめて個人的な関係での「相談」とか、そういうところで用いるならばまだしも、だれかれ構わず公開することは、事後的に相手の許可が得られることを確信していたとしてもあまりお行儀のいい振舞いではないし、まして許可など得られないだろうという場合においては、単なる暴力に過ぎない。増田は暴力を振るわれた側。一橋の彼は振るった側。両者を一緒にすることはできないと私は思う。
増田がアウティングを踏みとどまり、一橋の彼がそこを踏みとどまれなかった理由を考えていれば、結局のところ「彼がゲイだ」という事実に関する、二人の意識の在り方の違いにあったように思う。それを飲み込んでいられた増田の人権感覚が比較的まともであったのに対し、「もう黙っていられない」と簡単に限界に達した一橋の彼は(その確定的な書きぶりから、おそらくすでに周りにしゃべったあとで、それがAの耳に入る前にLINEで伝えておくことでアリバイづくりをしただけという風に感じられるが)、その部分において非常に底の浅いダメダメな人権感覚しか持ち合わせていなかったということだろう。「誰かに聞かれたらしゃべっていた」と増田は言うが、文章の書きぶりをみてあまりそうは感じない。後で周囲にカムアウトしていたAのイメージがあるから、今の時点でそう思うだけなのではないだろうか?
増田は、自分と一橋の大学生との間にそれほどの差はないと言いたいようだが、やはり人間は、事実として「やったこと」で判断されるべきだと思うし、その点において増田の振舞いと一橋の学生の行為との間には、やはり決定的な違いがあるように私は思う。
上(下?)の回答から続きです。「2:相手に重い荷物を背負わせてしまう」について。
世の中には「言うまでもなく秘密」という物事がある。「告白」はそれに入る、と俺は思うけど、これも男女差なんだろうか…。
女性の間で恋バナが重要なのはわかる。ただ、そこにも「線引き」がある。あなたも「ゲイであるというプライバシーは他人のモノだから、それは喋っちゃいけない」と分かっている。
『「ゲイであるというプライバシー」は他人のモノだから、それは喋っちゃいけない』かつ『「愛を告白された経験を話すときでも」それは喋っちゃいけない』んだよ。(「普通のコイバナ」での話ね。親友に一対一でとかは別)(その親友がまた別の親友に話すのは無しよ。それはあまりにも口が軽すぎる)
これはできないことではない。事実俺も、俺の友人の女性も「同性から告白されたことがある」とまでは言ったが、名前までは出してない。
「誰々に告白されたんだ~」と言いたくなる気持ちは分かる。俺だって増田で「俺は男からも告白されたことあるんだぜ~」と言ってるわけで。ただそこに「相手の名前なんて必要ない」の。
「自分のモノである「愛を告白された」という経験を喋りたい気持ち」と「相手のプライバシー」を天秤にかけたら後者が十分に重いの。そのことに思い至らないってのはやっぱりまずい。
普通に応対してれば「上手くボカして喋らないとまずい場面」まで進まない。その状態まで話が進んでしまっているということは「自分の経験を喋りたい気持ち」>「相手のプライバシー」と既になって各種情報を出してしまったからこそストップがきかない状態まで行っちゃってるわけ。
自分が告白された当事者になったことろで大抵は「同性から告白された。その人は~」という三人称で事は済むの。
だって単なる情報としてなら「誰々がゲイだという情報」が絶対必要だなんて人はいないよ。名前を教えてくれなきゃ友達やめる、なんて人がいたらその通り友達やめた方がいい。
何より、秘密を伝えるにしても時と場所が大切。これは元記事でも一番重要視されていた部分。
1:いままでの人間関係を壊したのは告白した側なのだから、今までと同じように(普通の同姓の友人として/普通の親子として)付き合うのは「もうムリだ」って言われても仕方ない
これはその通りだと思う。
2:秘密という重い荷物を背負わせたのは告白した側であり、告白された側は背負いたくて背負ったわけじゃないのだから、お前の秘密を守るのは「もうムリだ」って言われても仕方ない
確かに「お前の秘密を守るのは「もうムリだ」」と言うのは許されると思う。繰り返すけど、時と場所と相手は絶対に考える必要がある。例えば義理の母との関係だったら家族会議で知らせることになっても仕方ないと思う。でも「これは家族外に知らせるようなことではないな」という思考が働くよね。それと同じくゲイの友人の場合も、どこまでが許される範囲なのか一度考えてから相談しようということだ。
つまりこの二つを加味しても
悩んで悩んで「やっぱ隠しておけない。みんなにも知って欲しい」ってなってもそれも仕方がないじゃないですか
の「"みんなにも"知って欲しい」という部分は間違っている。(言葉のアヤで「誰もかれもという意味ではない」と分かっていたらごめんね。読んでると「普通のコイバナ」で伝えてしまうのも仕方がないと読めたので。)
元記事でも指摘されていたように「親友に相談するのは許される」が「LINEグループで送信することは許されない」友達同士での普通のコイバナでだってダメだよ。
同じ秘密を漏らす場合でも前者なら「秘密を漏らしたひどい人間だ扱い」は誰もしない。「告白されたことを親友に相談する」てのは古今東西定番だしね。そういう相談ができる親友がいるのはいいことだ。でも友人間のLINEグループは勘弁して。
義理の母から「あなたのことが異性として好きなの」って言われたら動揺するでしょ
義理の父から「おまえのことが異性として好きだ」って言われたら動揺するでしょ
これは極端な例だけど、「友人(友情)だと思ってたら違った」ってのも基本的には同じことだよね
「自分たちは仲のいい親子(友人)だ」と思ってたら本当は違ってたことに動揺するわけだから
もちろん新しい関係性を築ける可能性はあるけどね。今までは親子だったけどこれからは恋人、とかな
「他人の秘密は守らなくてはならない」という倫理的義務を強制的に背負わせてしまう
「そんな秘密なんて知りたくなかったのに!」と言ってももう遅いわけですよ
例えるなら、乗りたくもないのに他人の所有する高級車をずーっと死ぬまで運転させられるようなもの
要するに
「愛を告白された」っていう経験は自分のモノであって、それを他人に話すかどうかは自分自身の責任において完全に自由じゃん本来は
まあ振ってるわけだからペラペラ自慢げに喋るようなことではないけど、喋ったら「守秘義務ガー」とか責められるようなことじゃないわけですよ
だけど「ゲイであるというプライバシー」は他人のモノだから、それは喋っちゃいけないわけだ
でことは「愛を告白された」って経験も喋れないわけだよ そっちは自分のモノなのに
上手くボカして喋ればいいんだけど、勘のいい奴が「それって○○じゃね?あいつってゲイなの?」ってなったら「秘密を漏らした酷い人間」扱いされるわけじゃん
不条理でしょ
個人的には、告白とはある意味で暴力的だけど、人と人との付き合いってのはそういうものであって、仕方ないとも思うよ
アラフォー女性が義理の息子(大学生)に愛を告白してもいいし、まあそれは自由じゃん 仕方ないよね 黙っとけ心に隠しとけとは言えない
んでもそれで動揺した息子が「恋人にはなれないけど、これからも親子として」とか最初は言ったけど、
悩んで悩んで「やっぱ隠しておけない。みんなにも知って欲しい」ってなってもそれも仕方がないじゃないですか
「仕方がない」っていうのは、
っていう意味な
ブコメページを見ていると時々「あれ、この○○○って人、もしかして×××という人と同一人物?」と思う事がよくある。
「よくある」と言っても両手で数えられるぐらいしか無いと言えば無いのだけれど。
はてなではメイン・サブ併せて5つのアカウントを使い分けられるのだから別におかしな事では無いのだろうけど。
「何でわざわざそんな面倒な事してんの?」という疑問がわく程度に興味を引く。
プロフィールのページに「○○○は×××のサブアカです」とはっきり明示している人もいるし(滅多にいないけど)、IDで明らかに同一人物と推定できる人もいる(アナグラムになっていたりとか、[id]_sub みたいなあからさまな奴とか)
言及・反応する話題についてもカテゴリ(クラスタ?)で明確に使い分けている人は少数派。
大半の人がそれぞれのアカウントでの活動の分量がさほどあるわけでも無いので「いっそ1つに纏めた方がいいんじゃないの?」と思ったりもする。
気になるのが「○○○は×××のサブアカ」という事について言及する際の微妙な空気について。
空気というか全力でスルー力というか抑止力というか何ちゅうか本中華。
これは「メインアカウント-サブアカウントの紐付き情報は個人のプライバシー」という事から来ている変に微妙な圧力だという事は知っている。
だからってどうって事も無いのだ。「結局お前は何が言いたいのだ?」って言われる事も判っているのだ。つまりは
「あれ?この人どう見てもサブアカで自分のダイアリーのエントリに自分でスター付けてんじゃね?」
「わざわざ別アカウントでレスポンス返してんじゃね?それを皆承知した上でそのまま言及続いてカオス空間の不思議時空じゃね?」
「別アカ同士でフレンドになってんじゃね?」
これを読めばいかにモテねえお前らでも、モテまくってチンコが休まる暇がなくなるはずだ
無い奴は論外だが、まあ程度の差はあれ増田なら誰でも考えたことはあるだろう
お前ら好きな子はいるか?好きとまでいかなくても、気になる子とか、可愛いと思える子
おそらく知らないだろう。シャイなお前らはそんなこと聞けないからな
電話番号を聞くのが恥ずかしければ、住所録とか見たら載ってるだろ
最近はプライバシーがどうので載せないことが多いが、とにかく分からなかったら誰かに聞け
とりあえずメール?ライン?からって、そんな悠長なこと言ってられるか
お前らは後がないんだ。まず、それに気づけ
出るまで何度もかけろよ。それでも出なけりゃ、留守電にメッセージを吹き込むんだ
内容はなんでもいい。ここで重要なのは、相手にお前の存在を知らせ、意識させることだ
まあ、2,3回メッセージを吹き込んでやったら、相手もお前を意識するだろうよ
電話の次は、自宅を探れ
どこにあるのかが分かったら、しばらく近所をうろついてみるんだ
間違っても、いきなり訪問なんかするんじゃねーぞw
近所をうろついて、さりげなく近づくんだ
そのうち、どこかですれ違うから、初めはニコニコして相手の顔を眺めてろ
天気の話が無難だな。いきなり告るなよ。相手がびっくりするからな
どうせお前らのことだ、天気の話が終わったら、もう話題尽きるだろ
ここまでうまくいったらほぼ成功だ。あとは誕生日を口実に飯に誘え
もちろん、ある程度高級な店な。ラーメンとか食いに誘うなよ。友達と遊びに行くわけじゃないんだ
行くときはちゃんと服装に気を遣え。まあ、お前らこ汚い服しか持ってないだろうから、スーツが無難だ
薔薇の花束を持っていけ。これくらいのインパクトを与えないとだめだ
相手はびっくりするかもしれないが、実は内心喜んでる
花ってのは女がもらって一番うれしいものなんだ
で、もうめんどくさい、いきなり告ってしまえ
断られたら、翌日もう一回電話して告れ
熱意があれば大丈夫だ
まあ、長々と書いたがこれで終わりだ
お前らがモテるようになることを祈ってるよ
総務省 情報通信政策研究所の本体はどういった人がいるか分からないけど、委嘱している研究員の顔ぶれはこんな感じ。
http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/advisors.html
平成27年度 情報通信政策研究所 特別研究員(五十音順、平成28年1月29日現在) ●特別上級研究員 【法学系】 青木 淳一(慶應義塾大学法学部准教授) 専門:行政法、政府規制産業法 石井 夏生利(筑波大学大学院図書館情報メディア研究科准教授) 専門:プライバシー権・個人情報保護法、情報法 佐々木 秀智(明治大学法学部教授) 専門:英米法、情報メディア法 新保 史生(慶應義塾大学総合政策学部教授) 専門:憲法、情報法 杉原 周治(愛知県立大学外国語学部准教授) 専門:憲法、ドイツ法、メディア法 曽我部 真裕(京都大学大学院法学研究科教授) 専門:憲法、メディア法 寺田 麻佑(国際基督教大学教養学部准教授) 専門:行政法、情報通信法 東條 吉純(立教大学法学部教授) 専門:経済法 西土 彰一郎(成城大学法学部教授) 専門:憲法、マスメディア法 西村 暢史(中央大学法学部准教授) 専門:競争法、競争政策 林 秀弥(名古屋大学大学院法学研究科教授) 専門:経済法、独占禁止法と競争政策 平野 晋(中央大学総合政策学部教授) 専門:不法行為法、契約法、アメリカ法 若林 亜理砂(駒澤大学大学院法曹養成研究科教授) 専門:経済法 【経済系】 依田 高典(京都大学大学院経済学研究科教授) 専門: 応用経済学 春日 教測(甲南大学経済学部教授) 専門:産業組織論、経済政策 高口 鉄平(静岡大学大学院情報学研究科准教授) 専門:情報通信経済学、産業分析 佐々木 勉(ポリシー・リサーチ・ユニット株式会社主任研究員) 専門:情報通信経済学 宍倉 学(長崎大学経済学部准教授) 専門:公共経済学、産業組織論 実積 寿也(九州大学大学院経済学研究院教授) 専門:通信経済学、公共経済学、産業政策学 竹村 敏彦(佐賀大学経済学部准教授) 専門:応用経済学 田中 辰雄(慶應義塾大学経済学部准教授) 専門:情報通信産業の実証分析 手塚 広一郎(日本大学経済学部教授) 専門:産業組織論、公益事業論、交通経済学 徳原 悟(拓殖大学国際学部教授) 専門:開発経済学 中村 彰宏(横浜市立大学学術院人文社会科学系列教授) 専門:産業組織論、計量経済学 森脇 祥太(大阪市立大学大学院経済学研究科教授) 専門:ミクロ計量経済学 【人文・学際系】 秋吉 美都(専修大学人間科学部教授) 専門:情報行動のミクロデータ分析、社会統計 内山 隆(青山学院大学総合文化政策学部教授) 専門:メディアとエンターテイメントの経営戦略と経済政策 岡田 仁志(国立情報学研究所准教授) 専門:電子商取引論、電子通貨論、地域情報政策論 北村 智(東京経済大学コミュニケーション学部准教授) 専門:メディア・コミュニケーション論、情報行動論 小泉 力一(尚美学園大学芸術情報学部教授) 専門:教育工学、情報教育 小舘 亮之(津田塾大学学芸学部教授) 専門:メディア情報サービス、マルチメディア情報通信工学 土屋 大洋(慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授) 専門:国際関係論、情報社会論、公共政策論 橋元 良明(東京大学大学院情報学環教授) 専門:コミュニケーション論、社会心理学 ●特別主任研究員 【法学系】 生貝 直人(東京大学大学院情報学環特任講師) 専門:情報政策(知財、プライバシー、表現規制等) 早川 雄一郎(京都大学大学院法学研究科特定助教) 専門:経済法、競争政策 【経済系】 橋本 悟(帝京大学経済学部専任講師) 専門:公益事業、公共経済学、ミクロ経済学、産業組織論 山本 渉(電気通信大学情報理工学部講師) 専門:応用統計学 【人文・学際系】 河井 大介(東京大学大学院情報学環助教) 専門:情報行動論 齋藤 長行(お茶の水女子大学非常勤講師) 専門:メディア政策、行動経済学、教育工学 吉見 憲二(佛教大学社会学部現代社会学科講師) 専門:情報コミュニケーション、情報通信経済学 ●特別フェロー 工藤 郁子(慶應義塾大学SFC研究所上席所員) 専門:情報法 田中 康裕(専修大学社会知性開発研究センター客員研究員) 専門:国際情報通信学、社会情報学 堀川 裕介(東京大学大学院学際情報学府博士課程) 専門:社会情報学(メディア利用と心理)
最近いくつかのニュース記事を読んでいて思ったのが、タイトルである。
それはつまり自分の微々たる体験を元にしたのではなくて、いくつか別々の事柄についての記事を読んで、その背景として共通するものが、他人を信用してないことではないかと思い当たった。
昨今なにやら保育園が足りないという問題が声高に叫ばれて、国や自治体も増設に向けて動いているけれど、全然間に合ってなくて、さらに地域と摩擦が発生しているなどという記事をちらほら見かける。
女性の社会進出を政策として掲げているのだから、子供を育てる場所を他につくらなければならないという話は、もっともに聞こえる。
ならば他の手だてを考えることもできる。ベビーシッターとか、他の家庭に子供を預ける仕組みとか。他国ではすでに普及しているものも多い。
残念ながらそちらの方面に積極的な記事はあまり見かけず、保育所を増設する論調ばかりもてはやされている。
一応日本にもベビーシッターはあるのだけれど、費用が高額で、シングルマザーが現実的に利用できる可能性は小さい。
つまりこれは、余程の保育のプロ(資格を持っているとか)でないと、子供を預けるに足る信用を持っていないと、暗黙の了解があるのではなかろうか。
子供が親の元で育てられることは、世界的に推奨されている。孤児の場合は里親になる。
しかし日本では、ほとんどの孤児は施設に入れられてしまい、家庭での成長を経験できない。このことが海外からも指摘され、子供の人権を守るよう勧告されている。
なぜ日本で孤児が里親の元に行けないかというと、行くためには実親の同意が必要であり、実親はそれを拒否することが多かったり、あるいはそもそも連絡がとれないこともあるからだそうだ。
連絡が取れない場合、実親の同意も取れないため、結局里親の元には行きづらくなる。
ここにも根底に、他人の家族に子供を預けるのは不安という心理が、実親側にも行政側にも働いていると思う。
海外では学生などが大きな部屋を複数人で借り、家賃を分割して払うというルームシェアが広く普及している。
プライバシーは侵害されやすいが、費用は減り、複数人と言えどいい部屋で生活することができる。
これも日本では普及していない。理由としてワンルームマンションが普及していたり、大きい部屋はほとんど分譲向けで賃貸には出てこないから。
とはいえ不動産業界側も需要が見込めればこれらの物件を手がけるはずで、普及してないということは、需要が見込めないから。
さて日本人が人間不信かというと、そうでもない。代わりに信じるものがある。
大学を卒業する前に、大学生は皆同じリクルートスーツに身を固め、革靴を履き、髪を切り黒く統一し、説明会やら面接に通う。
企業のほうも見る点はどこも同じようなもので、学歴で書類選考をし、適性検査やら、同じような選考を課す。
どちらも学生を同じ型をはめ、より良い型にはまることがまず評価されることを示している。
学生の優れた個性や特性はその型以下に扱われる。たとえばいくら優秀でも面接にジャージを着ていったら落とされるだろうし、留年や浪人はすればするほど評価が落ちる。
自分は移民賛成派なのだが、反対派の意見を聞くと、外国人を信用してないんだなと思うことが往々にしてある。
外国人には型が通用しないしね。