最近いくつかのニュース記事を読んでいて思ったのが、タイトルである。
それはつまり自分の微々たる体験を元にしたのではなくて、いくつか別々の事柄についての記事を読んで、その背景として共通するものが、他人を信用してないことではないかと思い当たった。
昨今なにやら保育園が足りないという問題が声高に叫ばれて、国や自治体も増設に向けて動いているけれど、全然間に合ってなくて、さらに地域と摩擦が発生しているなどという記事をちらほら見かける。
女性の社会進出を政策として掲げているのだから、子供を育てる場所を他につくらなければならないという話は、もっともに聞こえる。
ならば他の手だてを考えることもできる。ベビーシッターとか、他の家庭に子供を預ける仕組みとか。他国ではすでに普及しているものも多い。
残念ながらそちらの方面に積極的な記事はあまり見かけず、保育所を増設する論調ばかりもてはやされている。
一応日本にもベビーシッターはあるのだけれど、費用が高額で、シングルマザーが現実的に利用できる可能性は小さい。
つまりこれは、余程の保育のプロ(資格を持っているとか)でないと、子供を預けるに足る信用を持っていないと、暗黙の了解があるのではなかろうか。
子供が親の元で育てられることは、世界的に推奨されている。孤児の場合は里親になる。
しかし日本では、ほとんどの孤児は施設に入れられてしまい、家庭での成長を経験できない。このことが海外からも指摘され、子供の人権を守るよう勧告されている。
なぜ日本で孤児が里親の元に行けないかというと、行くためには実親の同意が必要であり、実親はそれを拒否することが多かったり、あるいはそもそも連絡がとれないこともあるからだそうだ。
連絡が取れない場合、実親の同意も取れないため、結局里親の元には行きづらくなる。
ここにも根底に、他人の家族に子供を預けるのは不安という心理が、実親側にも行政側にも働いていると思う。
海外では学生などが大きな部屋を複数人で借り、家賃を分割して払うというルームシェアが広く普及している。
プライバシーは侵害されやすいが、費用は減り、複数人と言えどいい部屋で生活することができる。
これも日本では普及していない。理由としてワンルームマンションが普及していたり、大きい部屋はほとんど分譲向けで賃貸には出てこないから。
とはいえ不動産業界側も需要が見込めればこれらの物件を手がけるはずで、普及してないということは、需要が見込めないから。
さて日本人が人間不信かというと、そうでもない。代わりに信じるものがある。
大学を卒業する前に、大学生は皆同じリクルートスーツに身を固め、革靴を履き、髪を切り黒く統一し、説明会やら面接に通う。
企業のほうも見る点はどこも同じようなもので、学歴で書類選考をし、適性検査やら、同じような選考を課す。
どちらも学生を同じ型をはめ、より良い型にはまることがまず評価されることを示している。
学生の優れた個性や特性はその型以下に扱われる。たとえばいくら優秀でも面接にジャージを着ていったら落とされるだろうし、留年や浪人はすればするほど評価が落ちる。
自分は移民賛成派なのだが、反対派の意見を聞くと、外国人を信用してないんだなと思うことが往々にしてある。
外国人には型が通用しないしね。