はてなキーワード: 被虐とは
正直、ウクライナ-ロシア戦争で左派の平和主義者が混乱してるのも無理はないと思う。
日本の戦後教育、ひいては世界の第二次世界大戦に対する総括として日本の立ち位置があまりにも曖昧過ぎた。
別に"大日本帝国はアジアの植民地を解放した!"とか思ってるわけじゃない。
でも帝国主義、アジア人、日本によるアジア人虐殺、米国による日本人虐殺、ファシスト、自由主義などなど当時の日本は現代の理屈で考えてもあまりにも体系立てて語るのが難しすぎる。
差別主義者で被差別民で先進国ありながらマイノリティであり、虐殺者でありながら被虐殺者である日本の立ち位置が難しすぎる。
そのせいであまりにも多すぎる矛盾に板挟みになった左派平和主義者は"ウクライナはファシスト国家に降伏して、ネオナチ政権を一掃すべき"みたいなわけのわからない結論に至らざるを得なくなってる。
毒親育ち、被虐待児が虐待をしやすい傾向にあることはもう認められているので(もちろん全員がそうだというわけではない)それを踏まえて自分がまともな子育てをできるタイプか?を子どもが生まれる前(妊娠前)に考えなきゃいけないんだよね。
全員がそういうわけではないんだし…と安易に産んでやっぱだめでした〜!じゃあ次の燃えるゴミの日に出してきま〜す!なんてできないんだし、
「毒親育ちとはいえ全員が子育て失敗するわけじゃないし私は大丈夫な可能性もある!」って一人の人間の人生をギャンブルみたいに扱うのもおかしい。
まず親になれる人間なのかどうかを自問自答してほしい。毒親育ちでなくても。
自分も被虐待児だったけど、疲れてるときに電車で子どもが泣いてると「言って聞かないなら叩いとけば黙るのに」と思ってしまう瞬間があるので絶対に育ててはいけないタイプだと自覚して子ども産まない、育てない選択をした。
いくつか気になることがあるので書かせてほしい。
これ本当なのかな?
少なくともこの文章へのレスを見ると、増田を高く評価してるか、嫉妬や傲慢で無闇にdisっているかのどちらかに見える。
嫌われ、見下され、というのは違うんじゃないか。
実生活でも、実は増田のことを嫌っていない人もいて、それを変な形で遠ざけてしまっているのではないか?
親切でまともな人に会うと、なんか怖くて遠ざけちゃったりしてない?そういう人ほどグイグイは来ないからなぁ。
被虐待のケースにありがちな気がするんだけど、俺は専門家ではないので、可能性の言及に留めておきます。
> 何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。
ここも怪しくて、少なくとも文章力はかなり高いし、受け答えも「相手が期待している」もの、あるいはそれ以上のものを返している。
ただし、一つの可能性としては、むしろ知能が高いが故に、例えば両親の痛いところを突いてしまって苛立たせた、ということは考えられる。
多くの人々は、本当のことであろうと痛いところを突かれるのは避けたいから、なぁなぁにする術を学ぶと結構うまく行くかもしれない。
(俺が言ってることがそれに当てはまってる気もするわ、まぁ同類じゃないとこんなこと書かないってことだ笑)
何が言いたいかというと、冒頭からずっと自分を責めるように結論づけながら書いてるけど、
実際に起きてた出来事に目を向けると、増田が虐待されてた告白なんだよね。
つまり、出会った嫌なやつの言う悪口を間に受けてしまっていて、自分が悪いと錯覚してしまっている。
多分だけど、大抵のケースで増田は全然悪くないか、多少悪くてもそこまで糾弾されるほど悪いことしてないよ。
悪口言ってくるやつっていうのは、ただ弱そうなやつをいじめたいだけだから、筋なんか通ってない。
理性ではなく獣性で、オドオドせず、相手の圧力に屈せず対処する気迫が求められる。
他の人が「ボクシングでもやったら」って言ってたのは、そういう非言語のスキルを鍛えるべきだから。(…だと思う)
一般論だと「すぐ親のせいにするのは良くない」って論調もあるけど、このケースに関しては親が悪いよ…
その父親は危険な人だという警戒をして、離れるのがいいと思う。その方向に動いてるみたいだから、応援する。
父親はあの手この手で邪魔してくるだろうから、あんまり情報を開示しないこと。夜逃げするぐらいがちょうどいいよ。
現代で31なんて案外若いし、これだけ前向きに考えれる人なんだから、むしろ人生これからだと思うな。
世の中には他人の面倒見るのがすごく好きっていう男性もいるから、自分を大事にしてくれる人と結ばれる未来もありえるよ。
人を見る目は養わないとちょっと危ないけど、増田は本当は賢い人だから、時間が解決すると思う。
あと、なんか心ないこと書いてる人もいるけど、そういう人は心が弱い人たちだから、そっとしておこう。
今余裕のない増田が相手する必要はないし、間に受けなくていい。
韓国のネットスラングで、フェミニズムに理解あるフリをしつつ内心は下心しかなくてフェミニストに聞こえのいい言葉並べて口説きまくってフェミニストハーレム作ってるような男を『クンニ男(穴吸男=ボパル)』っていうらしいんだけど、
「男らしさに執着しない」という信念があってひ弱な優男(愛妻家で妻の活動にも理解がある)と下降婚したフェミニストの妻が長身高収入イケメンフェミニスト男性(本心は女性のことは性処理道具にしか思ってない)に口説き落とされて
主人公はフェミ間男の子供を托卵されて育てるハメになっちゃうみたいなお話。
結局男は男らしくないと苦しむんだよね、どんなに取り繕って理屈並べ立てたところで女は雌として男らしさを求めちゃうんだよね、
っていうジェンダー問題と非モテ問題とNTRジャンル好きの被虐欲求を合体させた胸糞特化の話
こういうの誰か作ってくれよ
食うに困らずある程度贅沢出来る暮らしを20代全部捨てて得た。
馬鹿だし被虐待児のゴミ屋敷育ち、途中から保護されて施設で育ててもらった。
そしたら運良くこんな年収になれた。
安全の欲求が満たされた幸福感でしばらく楽しくて仕方なかった。
でもさみしい。
1人目は途中から二股掛けられて、典型的な「お前はひとりで生きていけるから」って捨てられた。
2人目はすごく愛してくれてると思ったら途中から仕事やめて生活費私の使いながら女も作ってた。
突けば金吐くATMですか
あーーーーーーーーーーーーーー
あーーーー
女にしては金もあるし、人柄も評判いいんだけどな
あーー
周りの人にも恵まれて優しくされた
そんなのこっちが言いたいくらいだよ
私を働かせてくれてありがとう
親に何度殴られて鼻の骨折られるのも相手の気が済むまで黙ってりゃいいから簡単だったな
次の日には謝られて抱きしめてもらえたしな
愛されたかったな
仕事用に揃えた高級な服も鞄も靴も虚しい
少し曲がった鼻も、ゴミ屋敷で育って出来たアレルギーでまともに飯が食えないのも虚しい
もうだめかな
20代全部捧げた結果がこれか
幼少期から30歳の今日までしがみついて生きてきたのに、たったひとつ、さみしいってだけでもうこんなに生きるのやめたくなっちゃうんだ
あーもう
今度こそダメかもしれない
すごくわかりやすかった。そう考えると脳を作り替える必要性はかなり強くあると思う。
これもまた偶然だけど、自分は被虐待ネグレクト児で何度も父親が変わったり、最終的にはやくざものに育てられた人間です。
学生時代の友人や社会人になってから知り合った方々がとてもいい人で、世界に対して憎しみは感じません。
ただ、精神疾患はあるので薬を飲みながら、かろうじて健常者のフリをして薬を飲みながら働けているのが現状です。
愛されることに強い憧れがありますが、この育ちでは恋人が出来ても結婚は難しいだろうという諦めもあり、これもまた「社会の普通」とは遠いものだと思います。
横です。
厳格なポリティカル・コレクトネスでは、個人が持つ多種多様な弱者性を加算し、最終的に一人一人の弱者性を比較します。
また、女性である時点で、黒人である時点で、克服が困難なレベルの大きな弱者性があると考えます。
幼少期の被虐待経験とトゥレット障害も弱者性として計上できますが、ジョーカーの場合は白人男性という圧倒的な強者性が邪魔をしてしまいます。
被虐待経験を加算してもなお、女性や黒人の弱者性を持つ人物と比較するなら、ジョーカーは社会的に有利な立場と見なされてしまうのです。
冒頭のaquatofanaさんのコメントは、このようなポリティカル・コレクトネスの考え方に立脚すれば自然と導き出されるものなのです。
被虐待経験も深刻な問題ですが、厳格なポリティカル・コレクトネスでは、他の弱者性との比較を行わざるをえません。
弱者性を計算して厳格に比較するポリティカル・コレクトネスには、「血も涙もない」「人の心が通っていない」との批判が向けられることも少なくありません。
しかし、このような手続きを踏まない限り、社会的公正を具体的な政策に落とし込むことは不可能です。
ご理解いただけるでしょうか。
id:watapocoですが。私はこのブコメ見て以来2日位半分寝込む状態でした。
というのはid:aquatofana氏をお気に入りに入れていた元被虐待児だからです。
彼女の女性差別に対する発言には共感していたのだけど、被虐待児についてはこれほどまでに突き放せるのかと。
虐待の体験と生まれ持った性別・人種の比較において、生与の(それゆえ本人には全く責のない)後者こそが本来の属性だというのかと。
あのね、これすべての人に言いたいんだけど、誰が弱者かって子供以上の弱者はいません。
乳児でも幼児でも児童でも、子供は男女問わず人種問わずどんなにか弱そうな母親よりも肉体的に弱いです。
経済や権利の側面ではなおさらで、子供は親の許諾がなければ何一つ自由がありません。
おそらくですが、だからこそ子の虐待が起こるのだと思います。どんな人でも親になれば絶対的な権力者になれるからね。
はてブでは母による子の虐待が事件になると、ワンオペ育児かわいそう、父親はどうしたってコメントで埋め尽くされます。
そんなのこっちが一番わかっているんだよ。
被虐待児は親に迷惑かけてごめんなさいとしか思っていないんだよ!!!!
そんなのさあ、体を心を損なわれても、それが生まれついた環境以外に何の責がなくても
親は悪いんじゃないと思う子どもが(アーサーが母親の味方だったのは被虐待児としては虐待の記憶がなくてもそうなると思います)、
ほとんどな訳ですよ。
ICUに自身の学力で入ったから眞子様佳子様はゆるせんと思えるくらい、
自分が勉学に励める環境にいた訳ですよね。それが、それこそがすごく特権階級なのですよid:aquatofana さん。
眞子様佳子様は公務をやりたくてやっているのか?違いますよね。あなたよりはるかに勉学に励めないそもそも人権も制限されている環境にいた訳です。
まずそもそも匿名アカウントがソース皆無で出してる話を丸ごと信じるのってアホじゃないの?
統一協会の話の時にはてサは都合のいい話にすぐ飛びつくって言われてたけどあれと同レベルだよそれ。
創作を実話のように描くのは良くないのは前提だが、今回調子に乗ってオタクヘイト作品を描くなと言ってるバカも出始めてる。
逆だよ。創作であるならこういう作品はむしろどんどん描くべきと表現の自由主張側は言わないといけない。
だってお前らの主張は
「エロもリョナも非実在なら被害者がいないからいくらでも描いていい。」
「むしろそういう欲望がある人間は創作物で描いたり読んだりして捌け口にしてるから無くすと現実でやり始める。」
だったじゃないか。その理屈ならむしろ「創作オタク漫画は特定のモデルがいないから誰も傷つかないしどんどん描こう。公共の場でもオールOKです。」って言わないと。
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誤り①『女性役員を増やせ、女性議員を増やせという主張は、それ自体が男性がそういう役職に就くことを妨害するものではない。あくまでも能力主義で実力がある人間を取り入れ、多様性のある決議を行うべきだ、ということ』
指摘①女性であるというだけで、役員や議員等の権力のある立ち位置に推挙するというのは「能力主義」とは真逆である。
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誤り②『女性に対する性犯罪をなくせという話も、即ち男性への性犯罪を軽視しているということにはならない』
指摘②文面からするとその通りだが、男性のシェルター建設運動がフェミニストによって潰された事例が海外にある。イギリスの第二波フェミニストであったエリン・ピゼイは、1982年「Prone To Violence(暴力を受けやすい体質)」という本でDVの男性被害者についての著作を発表したところフェミニストによって激しい中傷にあい、移住を余儀なくされた。また日本でも、被虐待男児のシェルターが少ない事を指摘したツイートに対して、フェミニストから激しい中傷が寄せられた事は記憶に新しい。これらの事実から、フェミニストは男性の犯罪被害を軽視しているというのは紛れもない真実だろう。
https://note.com/neroreport/n/n40cc76224f4c
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誤り③『松戸市のVtuberの起用などがその例である(中略)アンチフェミはどちらの例においても「どこが女性搾取であるのか」という具体的な説明を求め』
指摘③まず、当該のVtuber「戸定梨香」氏を交通安全啓発キャンペーンに起用したのは千葉県警松戸警察署だ。松戸市が当該プロジェクトに初めて関与したのは、松戸市議であり、また全国フェミニスト議員連盟共同代表である増田薫氏によるクレームが初めての事である。また、署名活動のページを見ればわかる通り、「どこが女性搾取であるのか」ではなく、「女性搾取と断定した理由」「性犯罪を誘発するとみなした理由」を主として尋ねるものであり、事実認識に誤りがある。
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誤り④『Vtuberの例でも、女性の平均的身体からかけ離れた、過度にセックスアピールを強調した描写がされているのは疑いようもないことだ。(中略)そうした表現が一般的に社会には受け入れられるものではなく、むしろ嫌悪の対象となることは理解しているはずである。』
指摘④実際にNHKが松戸市駅頭で動画を往来者に見せてインタビューを行ったところ、20人中19人は「問題ない」と回答した。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211004/k10013281331000.html)この事からも、『嫌悪の対象となる』事の方が、一般的ではない事は明らかである。
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誤り⑤『(もしそうした影響がないと主張するのであれば、根拠をアンチフェミ側が示すべきである。)』
指摘⑤アニメ等メディアからの情報によって、性犯罪やセクハラといった犯罪を犯しやすくなるというのは、所謂「メディア効果論」の事だと思われるが、これは否定されている(参考:有田(2021))。また、通常、このように「ある事柄Aが原因でBという結果が生じている」という疑義を呈するときには、疑義を呈した側に立証責任があるのではないだろうか。
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ざっと読んだだけでもこのくらい、事実誤認・思い込みが含まれた文章であることが分かった。
私の文章もお世辞にも褒められたものではないと思うが、この返信を読んで、事実に基づき、表現規制には断固として反対する同志が増えることを望む。
これが揃っていれば「産もうかな」と思えるんじゃないかなというリスト。
他に何かある?追記していってくれ
日本国内で言う「普通の子育て」は、金がかかる。個人的に、原因は先進国じゃないのに形だけの先進国らしさがあるからだと思ってる。
例えば…
保育園入れない←祖父母や親戚と暮らせ、それができない被虐家庭は連鎖するから子づくりするな
教育費が高い←給付型奨学金もらえないような頭の子供は義務教育+公立高校で終わらせろ
養育費取れない←その程度の稼ぎしかない男と子づくりするのが間違い
ほかいろいろ
これが現実
保育園←概念がない。暴力や虐待は日常茶飯事だから被虐家庭っていう概念もない
案外、日本もこんな感じじゃない?もう、日本は途上国なんだよ。この程度で暮らさないといけないの。子供いたらこういう暮らしになるんだよ。わかる?
格差社会が許せないなら自分でその悔しさを終わらせようとは思わないのかね?少なくとも、自分はここで終わらせようと思う。こんな国に子供を産み落とすのは、子供が気の毒だ。絶対に産まない。そんなこともわからないアホだから貧乏人になるんだよな。貧乏子沢山は途上国の象徴だもんね。
その度に、自分の事を話さない上でちょこちょこその反応に言及する事があります。
定期的に犯罪関連でニュースは賑わうし、割と火を使われてる事が多いんで、もうその度に「オワーーーそうか〜…」って世間というかTwitter上での世間を眺めるんですよね。
自分を傷つける方法や他人を傷つける手段の話は、出来れば共有しないで欲しいなってツイートをしたんだけど、あまりうまく言えなかった。
現在hotなものだと、サラダ油に引火するかしないかとかの話ですね。
ぶっちゃけうちの父は私が6歳の時に、職場の懇親会で上司からガソリンをかけられてバーベキューのコンロに引火させられて亡くなってて、死因が全身の火傷だからだったんですけど(亡骸が酷すぎたのでお葬式も顔を隠されてて見せてもらえなかった。父方の叔母の旦那さんは病室から出て泣き崩れてた)
全身火傷だったけど、18時間くらい生きてたからね…痛かっただろうな。
弟と私も取り残されたけど、加害者本人に助けられて生きてる。私はちょっと顔を火傷したくらいだったけど弟は一歳なのに右手を結構大きく火傷してしばらく右手は包帯ぐるぐるしてたよ。
2歳の妹は先に母と逃げてたけど、火傷しなかったから良いって話ではなかった。
なので、私はなんか弟が大きくなったって感じる弟の誕生日の方が、あの頃から経った時間をより感じるんだよね。
あの時の事件を覚えてるの、私と母と父の職場の人だけなんだよね。
共有できる人で会えるのは母しかいないし、その後の母からの虐待で関係が難しい事になってるので、誰にも分かち合えないんよね。
まあなので、まずそういう、火を使う犯行を聞くのが珍しくないのがしんどいポイント1なんすよ。
なんで人を燃やそうとするんかねぇ。熱いんだぞ
どういうことをしようとしたのか、事の大きさ考えて…
んで、これは二つ目で、私と同じように施設出身の友人がいてよく話してるんですけど、その子のご友人(その子もまた施設出身)が、所謂具体的な自死の方法を看護師さんから聞いちゃったらしく、その子の状態の危うさで衝動が起こった時に、方法を知っていたが故に実行しちゃったんですよ。
父の加害者の方も、お酒で酔ってたが故にストッパーがなかった。線を超える時のきっかけって、衝動が多いんですよ。
まあなので、敢えて自分と他人を傷つける方法って書き方をした訳だよね…。
別に、その話をしないでねって事では無いんよ。
私にとっては火っていうのは怖い存在だし、思い出す一つのトリガーになる事もあるけど、ぶっちゃけ私の記憶力ってかなり細かくて、きっかけがあろうとなかろうといつもいるにはいるんですよ。(この記憶とかはPTSDの影響あるだろうけど、その前の記憶から結構覚えてたり、やたら覚えが良いねって褒められていたのでおそらく元々良い方ではある。)
20年も経ってるので、もうパニックとかにはならないけれども。
なので、私が思い出して怖いからやめて〜って言うより、「どういう流れの中で、どういうつもりで言ってる?」っていう話なんですよね。
もし、その事件の文脈で気をつけてねってお話をするのであれば「もし火がつくものがあっても、こういう行動すれば抑えられるよ」みたいなものが受け入れやすいものになるし、しかもそれって渦中の出来事で緊張が漂ってる時を選ばない方がいいと思うんだよ。
少なくとも、「火がつく時はこういう原理でこれの方が燃えます」ってのは、ちょっとどの範囲の話でそれ言ってるのかな?となるんよね。
だって心が不安で揺れてる時に、危険性の話をメインにするのは危ないもん。
日常の中に危険が含まれてるから、その話を避けてはいけないとかそういう話でもなくて、本当に今それをしなきゃいけないお話かな?ということを言いたいんよ。
そういう時それについて調べる人って、事件の件でサーチかけてる人ばかりじゃない?って思うし、そういう人が安定してる可能性がどのくらいなのかって話じゃん。
私、Twitterの検索開いてトレンドにいるだけでちょっと暗い気持ちになるよね。
悪意がある人が手段として用いようとしたケースがあった時に、不慮の事故の場合の話をするのであればかなり厳重に問題を分けて整理してから話した方が良いし、そういう特殊が起こってピリピリしてるときに、日常にも危険が潜んでいるという話をするのが本当にベターかな?
私は被害者遺族の他に施設出身っていう属性を持っていて、今のところ被害者遺族って言う理由で同じように施設に入った子には直接は会った事がないんだけど、それぞれの事情で世間に安心とか居場所とか落ち着ける時間がない子が結構いて、そういう中で生きていく過程で張り詰めている子を何人か見ているし、私自身社会で頑張らなきゃいけない間はもう少しピリピリしてた。
優しくない人の行動に嫌だなって感情向けてたりね。
一応私は昔から、絶対に理不尽な経験を理由に腐らないってのを軸に生きているので、形を変えつつも社会を否定しないって手段を取っているのですよね。
お父さんは元々不良が大人になったみたいな人で、なので事件について「何か原因があったんじゃないの?」とか言われる事があって、実際そういう育ちとしては良くないかなって言われる家庭の人でもあったんだよね。
それでも、私に学が必要だって勉強を少し力入れている幼稚園に入れたり、末っ子の弟が産まれた時には母方との溝を埋めようと頑張って、自分の親にはそこは頼れないからマンションを買う時の保証人として母方の祖父に頼み込んだりさ。
稼ぎがほしくて当時仕事を割り振る加害者の方と、仕事を受けさせてほしいって事で揉めたり。
けして焼き殺されていい人ではなかったし、父がそういう悪人かどうかとか、加害者の方が小さい私を可愛がってくれていた優しい人だったとか、そういう話ではなくて、これは線を越えた加害者の人がいて、私はそれで失ったものが沢山あるから、私は相手を許せないんだよ。
悪人(に見える人)がいるというのは、誰かの加害を正当化できるものではないんだよ。
私にとって小さい頃って本当に幸せな時間で、会う人みんなが私にとって大好きな人だったんだよ。加害者の人も含めてさ。(まあなので、事件があった時に加害者の人間性の話にはしてほしくはないかな。加害者が良い人だったとしても線を越した事はなくならないしね。第三者が加害者をデフォルメしちゃうのもうーーーーんてなるかな。)
その中で私が憎悪に負けて、理不尽を与える側になったらさ、父に何て言えばいいかわからないよ。
なので、私は腐らない。
善人になりたいわけではないけど、自分の心からは逃げたくない。逃げて誰かの理不尽になりたくない
それでも、相手を受け入れるだけだと、伝わらなくても相手は生きていけるときに、どうして自分はこれを貰えなかったのかなって気持ちが抑えられなくなる事もあったので、私の悲しい気持ちや相手が本当に出来るものか、そもそもしなくてはいけない責任があるものかっていう所を分解しながら考えてる。
まあ大体個人に個人を助けなきゃいけない理由はないし、私が傷を受ける事が正当って訳でもないから相手を否定しない形で伝えるしかないかなに至る。
福祉は頑張ってくれると助かるなぁ。
父の件の後は、好きだった人たちとの関係がしんどくもなる事が沢山あったけど、大好きだった記憶は忘れられないし、それから経験した楽しい記憶もなくならなくてね。
だから、理不尽な現実そのものは憎いけど、やっぱり他人を嫌いになれないんだよね。
だってみんな大変だったし、人が起こす理不尽て大体それに至る流れがあるからさ。
その上で、(自分で言うのもアレなんですけど)これ理不尽を受けたって感じてきた子がやるには難しいんだよ。
自分の場合は決意するきっかけがわかりやすいけど、理不尽のかたちは沢山あって、それは施設の子なんか一般家庭の人よりわかりやすいし、わかりやすくなくても世の中でいう女性故にかかえるハンデとか、結構身近に憎悪の種はある。
「きちんと考えられない人を憎んでいるな」とか
実際、生きるのが苦しい理由って、他人から受ける事情にも沢山あって、だからこそ自分で自分を大切に出来た方が良いとも思うんだけど、私はそういう流れで育てられた憎悪をコントロール出来ないって、自己責任だとは思えないよ。
そう言う範囲の人って、いわゆる精神障害として認定される事多くて、私は私でPTSDと被虐待児症候群て診断されてる。
私だって、何かが違えば世界への憎悪をトリガーに取り返しがつかない事を引き起こしてたかもしれない。
色々気になる事に対して、あなたが過敏だからではないかとか、「気にしない方がいいよ」って言葉をかけられる事もある。
でも、自分自身こういう経験をしてて、あとはちょっと身近な人を自死とかで亡くしてたりする。
自分だけじゃなくて、同じように施設出身の界隈の子がそういう社会での絶望とか孤独を理由に命を絶とうとするみたいなのを、結構な期間ずっと聞いてる中でさ、そういう人に対する影響は考えちゃうよ。
どうしても、心の弱さで加害者や被害者になり得る人へのリスクを優先してしまう。
私は、それを経験してない人や知らない人に対して、「貴方が知らないから悪い」とは言いたくないんだよね。だって私は経験したくなかったもん。
自分がしたくなかったものを、他人に「この人は経験してないからいけないんだ」なんて言ったらさ、敵しかいなくなるし。自分の経験が社会的には少ない事は、多分大体の人がそう思うだろうなって感じだしね。
(苦しい気持ちに優劣はないけど、社会的な位置は存在するかなとは思う。わかりやすいものとわかりにくいものとかね)
例えば、火がつく原理の話を、知識を持っていれば有事の際に対応できるかもしれないとか、何か有益になるかもしれないからって人もいると思うんだ。何かしなきゃって善意からやっている心そのものを否定したら、それは混乱する理由になるよね。
じゃあどうすればいいの?ってなると思う。
そういう、傷ついてきた人にとってはズレているかもしれない善意を、否定はしたくないんだよね。
でも、私が自分の為に相手と一緒に生きたいからこそ、自分の心が傷ついた時に私が経験していて、勝手に傷ついてるとも思いたくない。
向こうは善意でやってるのに、そこを理解しない自分が悪いとも、ちょっとできない。
経験してない人と私の違いって何?私が悪かったからこんな経験してるの?っていう。
相手も自分も否定したくないからこそ、相手の心を否定しない言葉を頑張ってるし、「どういう事?」「なんの話?」ってなる所までは説明を頑張るけど、それを私が相手を黙らせたいからやってるとか、相手をわからせたいからやってるみたいに捉えられると、こまるんだよ。
それは私が一番やりたくない事なんだよ。
だって社会と一緒に生きたいから、なかった事にしたくないから、それが今やる事かなとか、それで追い詰められる人がいるってことは、伝えたいんだよ。
私が世界のこと好きじゃなかったら、もう少し割り切って世間を馬鹿にしながら生きていたし、頑張れない人がいても私は頑張れてるから頑張れない人が悪いって切り捨てられてたよ。
それでも私には、世界を好きにさせてくれる理由が生きてる中で沢山あったから頑張ってるので、悪意と見なされるのが本当に悲しくてどういう方法をとっていけば少しでも伝わるのかなって考えてしまうよ。
私これネットだけで感じてるものじゃないよ。むしろ現実の方が伝えられなくて難しい。
ネットだと、相手のそれまでの言葉を遡れたりするので、それが本当でも嘘でも、流れをまだ見る事が出来るんだよね。
出来てこれだから辛いんだけど。
どうしたらいいのかね。
頑張りたいからこそ、ひとりで頑張れないからこそ、ちょっとネットに書き込ませて貰いました。
読んでくれた方はありがとうございます。
出来れば、これを「考えようとしない人が悪いって言葉」とは受け取らないで欲しい。
そういう事が他人の事でもしんどいなって方は、少しでも自分を大切にする方を優先して欲しいな。
考えられる方は、できれば“誰かが悪い”ではなくて、その悪い気持ちを何が生み出しているのかとか、理不尽な言動を何が生み出して、どうしたら少しでも折り合いをつけられるのかを一緒に考えてくれると嬉しいな。
弱者男性論はフェミニズムへのカウンター・ミラーリングから生まれた概念で、だからこそカウンター・ミラーリング以上の社会的意義を持たないし目的もないというのは正しいと思うし、そのカウンターとしての意義すら見失ってしまった「あてがえ論」や「女性の教育や社会進出を制限」などという時代錯誤な意見は論外だと思う。
そういった過激な思想を取り除いたとしても弱者男性論は結局の所かわいそうランキング向上運動でしかなく、弱者であるから優遇されるべきだ、弱者なんだから強者(女性)への攻撃は正当化されるといった外部への責任転嫁に終止してしまい、その「成果」を得るためにますますかわいそうランキングを向上しようと自身の弱者性をアイデンティティにしてしまう矛盾に苛まされることになる。だからこそ、弱者男性論に解決すべきイシューはなく救いようはないという意見や反論もわかる。
そうは言ってもフェミニズムという性別による差別に戦ってきた先輩の方法論に学び、弱者男性という階層・集団が発見され名前がつけられたことは意義があったんじゃないだろうか。名前があることで初めて対象を考察できるようになる。弱者男性の存在を頑なに認めない人もいるが、課題があることを認めることはそれを即時解決しなければいけないことを意味しないし、ましてや解決していないからと咎められることもない。人間できること・やれることには限界がある。まずは「弱者男性」という概念があることだけでも認識されれば十分な気がする。
そんな非モテ弱者男性を本当に救うのは、あてがえ論や女性の社会進出の制限など女性の権利を押さえつけることではなく男女平等を実現することではないかと思い至ったので簡単に書き下してみる。この増田では上でも書いたとおり特に非モテにフォーカスした非モテ弱者男性論について書くので低収入等については考慮しない。一般に弱者男性とモテの話が切り離せない理由、弱者男性論が女性に向けられる理由も同時に書こうと思う。
フェミニズムや反女性差別の本丸の一つは間違いなく所得格差だろう。具体的な数字もありわかりやすく、女性の社会進出の指標としてよくあげられる。実際のところ、正規雇用社員において女性の所得は男性の75%程度に留まると言われており、男性と同一の労働でありながら女性であるからという理由で所得格差がもたらされているとすればそれは差別的と言える。
たとえば、統計的に女性の20代後半から30代の離職率が高いので女性という属性によって雇用を渋ったり昇進を阻んでいるとしたら、それは犯罪率が高いという理由で男性保育士の雇用を渋るのと同様に差別的だ。
グラフやデータはほしい結論を仮定して読むと見誤る。女性の所得が低いのは女性が差別されているからというのは本当だろうか?女性自体が高い所得を望んでいないとしたら?日本の女性の幸福度は男性の幸福度に比べて著しく高い。目的と手段を取り違えてはならない。大金を手にすることが目的ではなく幸せに生きることが本質的であり金はそのための手段に過ぎない。日本の女性は稼ぐ必要に迫られずとも幸せになれるからそもそも稼ぐ必要がないということはないだろうか?逆に男性は「稼がされていて」それゆえに不幸で、女性は労働から解放されていて「稼ぐ必要がない」ゆえに幸福なのではないだろうか?
仮に実際に稼ぎたかったとしても女性は稼ぐ努力をしているだろうか?非モテ弱者男性が悲鳴を上げているとき真っ先に投げかけられる「モテる努力をしていないのでは?」「だからモテないんだ」という言葉、そのまま返ってくることは考えなかったのだろうか?まさかキラキラ文系キャンパスライフみたいなことをしてなんの学も積まずそれゆえに「パンプスを履かされる」ような労働しか選択肢がないことを差別などといっているのだろうか?低い職業能力しかないから容姿が問われるような目にあっているというぐらいの想像力もないのだろうか?女性性を求めず、責任に伴って高い給与を与えてくれる仕事なんていくらでもある。
シンプルな話として、そんなに稼ぎたいならなぜ女性は理系を選ばないのか?少なくとも稼ぎたい女性であれば実際的に稼げる能力やそういったキャリアパスに投資すべきだろう。理系修士・博士女性の知人友人なら年収1000万程度かそれ以上も珍しくない。
成果物を求められる仕事は成果物こそが全てだ。愛想笑いでは機械は動かない。そういった世界では性別なんてものは些末で、結果を出す人間こそが正義だし高い対価も支払われる。なぜそれを目指さないのか?「稼げる努力をしていないのでは?」「だから稼げないんだ」と言われても仕方ないのではないだろうか?
フェミニズムや反女性差別の文脈で特徴的な表現に女性の性的客体化や性的消費というものがある。性的客体化はものすごく簡単にいえば「女性をモノとして扱うこと」「女性の主体性を認めないこと」である。
女性に限らずだが同じ人間を人間として認めずモノのように扱うのはまったくもって不当であるし、そういう風景を見るのも不快に感じる。そして女性がそのような人間的でない、男性の性欲を満たすためのモノ扱いを受けるといったシーンは見たり聞いたりする。そういった加害者と戦うべきだ。書くのも嫌だがいわゆる「ヤリ捨て」といった言葉などにもあるように、モテ強者男性が女性をモノのように扱うような話は枚挙にいとまがない。ではフェミニストや女性はモテ強者男性と戦っているだろうか?
これはトートロジーではあるがモテ強者男性は女性にモテるのだ。すなわち、なぜかフェミニストや女性は自らを性的客体化するモテ強者男性を攻撃しない。それどころかモテ強者男性に群がっているのだ。つまり女性の性的客体化を積極的に支持しているのは女性自身という矛盾が生じる。そしてなぜか女性には触れることも会話することも早々にかなわない非モテ弱者男性を攻撃するのである。
フェミニズムの文脈ではこの性的客体化の不自然な適用がしばしば行われる。いわゆる二次元女性に対して「これは女性を性的客体として扱っており、そのような表象は女性の累積的な抑圧経験の強化につながる」と。たしかにこういった表象は男性をATMに例えたり年収で評価するようなことを公の場で発言することで直接的な男性の経済的客体化・モノ化と同様抑圧的かもしれない。
このような過激な言説は一部の極端なフェミニストの行動であり大半の女性はそのような攻撃的なことは行っていないと思うかもしれない。しかし様々な研究で明らかになっている通り女性は男性の上位2割程度にしか魅力を感じず、そして魅力を感じない非モテ弱者男性8割についてはその行動の如何に関わらず不快だと感じる。席替えで非モテ弱者男性が隣の席になったからと泣く女性がいた場合、加害者はどちらだろうか?
このような非モテ弱者男性を積極的に排斥しようという女性の本能的欲求が、相手を求める男性の「正(+)の性欲」に対して相手を排斥しようとする女性の「負(-)の性欲」と表現されたことは記憶に新しい。
この負の性欲と「女性が不快と思ったら加虐」とされるセクハラ・性的消費という概念の組み合わせは非常に強く、何をやっても女性に不快と思われかねない非モテ弱者男性は女性の気分を少しでも害したらセクハラだと指弾され社会的に抹殺されかねない。
女性は男性に対して身体的に弱いため男性が近くにいると恐怖を感じるという話と同じように、非モテ弱者男性は女性からの中傷やセクハラ指摘ナイフによっていつ刺されるか常に怯えながら生活しているのだ。悪いことに、暴力を振るえば逮捕は免れないが、セクハラ指摘なら非モテ弱者男性を社会的に殺してもなんの罪にも問われない。
これが弱者男性論が非モテと不可分であることの理由である。モテの量は女性の感情的な加虐性からの盾であり、非モテであることは女性からの加虐を受けることを直接的に意味する。そしてその意味において現代日本の男性はほとんどが弱者男性であり、結婚していても「本当に結婚したかった男」にはなれずATMとして扱われたり旦那デスノートで罵倒されたり托卵されたりなど被虐される立場にあるのだ。あてがえ論は女性の人権を制限するという意味でもまったくもって荒唐無稽であるが、同時に弱者男性の救済にも値しない。
ここまでだらだらとフェミニストの主張や女性差別について考察してきた。端的にまとめると現代日本では一般的に女性は理性的に行動ができず本能を抑えることができない野蛮で怠惰な状態にあるということが言えるかと思う。そしてそれが非モテ弱者男性という女性に加虐される被差別階級を生み出している。
しかしここで短絡的に「だから女が悪いんだ!女はダメなんだ!」と思った方々は少し落ち着いてほしい。これは上記のあくまでごくごく僅かな例から一般化した話であり、女性のすべてがそのように振る舞うということを意味しない。今短絡的に怒りに飲みこまれたあなたより遥かに理性的で、高い成果を上げ人類に貢献してきた女性はそれこそ星の数ほどいるだろう。すなわち「女性であること」は「理性が弱く本能を抑えることができない野蛮で怠惰な状態」の必要条件でも十分条件でもない。つまり弱者男性論に散見される女性叩きではなにも解決しない。そうではなく、現代日本の女性がそのような野蛮で怠惰な振る舞いをしてしまいがちな構造的な問題があると考えるべきだ。
そしてその構造的問題を解消できれば、女性が理性的で主体的になり男性同様本能を抑えられるようになることが期待できる。そしてそれは非モテ弱者男性にとって本質的な救いになりうる。
社会が男性に本能を抑制するように要請することで近年の社会秩序の発展と女性の地位向上がなされてきたように、女性が本能を理性によって抑制できるようになれば女性による非モテ弱者男性への中傷や排斥的加虐が抑えられ、何度も訴えられてきた非モテ弱者男性の消耗した自尊感情や社会とのつながりの回復も期待できるだろう。
では、女性が本能を理性で抑制できず野蛮になってしまう構造的問題とはなんだろうか?おそらくそれは男女の不平等だろう。
未だに「女性が高学歴だと結婚できない」「男性は自分より所得の多い女性と結婚したがらない」「女性は家事と愛嬌」といった女性に対する社会的抑圧は残念ながら存在する。そしてこのような女性の教育や社会進出を推奨せず結婚して扶養されることこそが幸せだという価値観の押しつけは女性の教育・社会進出を阻害するだけでなく、そういった過程で培われる理性的思考や主体性を女性から奪ってしまう。同時に女性に「私は社会から抑圧された」という言い訳を与えてしまい努力するモチベーションを失わせて堕落させてしまう。こうして本能のままに弱者男性を攻撃排除し被害者面をしながら強者男性に媚びを売る怠惰な女性が構造的に発生してしまう。繰り返すが彼女らにその責任はない。構造的問題は構造的に解消されるべきだ。
ではこれらの慣習を打破し、男女平等を実現して女性に理性的になってもらうにはどうしたらよいだろうか。高度化した現代では教育の水準がある程度強く所得に影響しており、経済的事由によって教育を受けるインセンティブを設定できる。すなわち女性が「稼がねば」と自ら思うような状況を生み出すことで、必然高い教育を受け理性が鍛えられ本能を抑制できるようになることが期待できる。
ではどうやったら女性が「稼がねば」と思うようになるだろうか?わかりやすいのは婚姻制度にメスをいれることだ。しばしば「女性は婚姻制度で楽をしている」「理解のある彼くん」と批判されるように、女性が男性の収入に依存する構造が女性を怠惰に堕落させ社会進出を阻んでいる。ひいては最初に上げた所得格差などを温存する結果となっている。
そのため女性が男性の収入に依存できないようにし、女性自身が必死に「稼がねば」と思うように法律を修正するのが効果的なはずだ。たとえば
このように、女性が男性の収入に依存するための多くの法律や制度が存在する。基本的にこれらの法律の修正をしたとしても「一人暮らしが二人」の経済状況とは変わらないため、女性がきちんと社会進出し労働し稼げている限りにおいて女性が極端に不利になることもないはずだ。にもかかわらずこれだけ「女性は男性の収入に依存せよ」というシグナルが法律にまで入り込んでいるのはグロテスクに感じる。女性が社会的制度によって強く婚姻や男性に依存して堕落することを動機づけられてしまっているのは異常だし、社会で活躍したかった・できたはずの多くの女性にとって悲劇と言えるだろう。フェミニストとしても解決したい課題のはずだと思う。
もちろん女性の出産に伴うフォローのための法改正も同時に必要になるだろう。これだけは男性にはどうしようもない。1年間の法定産休・育休と休職期間中の給与保証などの大胆な支援策もあるべきだと思う。フェミニストのいう結果平等はこういった形で強力に推進されるべきだろう。
出産後に男性の経済的支援があるならとパートタイム等の責務の軽い・時間の短い仕事に移ってしまう女性も多いと聞くが、上記婚姻制度改革によって男性依存を断ち切ることで改善が期待できる。男性のように「働かなければ・キャリアを失ったら死ぬ」という緊張感があれば成長意欲も刺激されるだろうし離職率も下がって「女性は30代になると離職するから」などという理由で採用・昇進を渋られることもなくなっていくだろう。
このような先進的な男女平等の実現・婚姻制度の解体によって女性も男性同様社会に参画し、男性に求められるよう女性も理性によって本能を抑え他者への加虐性を抑制することで、弱者男性は初めて「弱者男性」としてではなく「弱者」として男女平等な救済の道に進めるだろう。弱者男性の本質的な救済は男女平等を推し進めることにあるはずなのだ。
私は20年間虐待を受けて育ってきた人間である。内容については別に重要では無いので割愛する。その中で鬱を発症したり色々な修羅場があった。
ある日ついに我慢の限界がきて爆発して家を飛び出し、それから一度も帰っていないし、親に連絡をしたこともない。もう10年以上は経つと思う。その間連絡をしたいとも思わなければ、親と絶縁したことに対する罪悪感など1ミリも感じたことは無かった。
死んだとしても知らないだろうし、万が一知らされたにせよ、葬式に出るつもりもない。
今後一切連絡や関わりを持つつもりはない。一生ね。
住民票開示拒否もしたし、母親に私の情報を流す祖母や親族も全て縁切りした。
そこに何一つ躊躇いもなければ、戸惑いも、罪悪感もなかった。
確かに自分は家を飛び出す時、当時交際していた恋人(現夫)の協力があったり、義母が理解ある人で保護してくれたりなど非常に恵まれたところはあったとは思う。
そういう助けがあったからこそ逃げられたというのは否定しない。
でも理解できないのは、親に苦しめられながらも絶対に離れようとしない、離れられない人間のことだ。
愛して欲しいと思っているのかもしれない。
でも、それを諦めきれないという人が、本当に理解できない。そいつが生きて何十年経っていると思ってるんだ。そのいい歳になっても子供を別の人格として人として尊重できない人間が、ある日突然愛せるようになるかなんて無理に決まってるだろう。
あとは離れても少し謝られたりするだけで心が揺れて連絡を再開させてしまう人とか。
例えどれだけしおらしい態度になって謝って、こちらの機嫌を撮ってきても、それは絶対にひと時だけ。
相手は絶対に変わらないし、ケロッとして同じことを繰り返すのが分かりきっている。
なぜ分からない?なぜ害悪を撒き散らし、人を傷つけるだけのバカに期待する?期待することをやめられない?諦めきれない?
私はそれがどうしても分からない。
「あなたは強いね」と言われてきたけど、あなたが逆に弱い、というか甘い、だけじゃないのかな。
絶望が足りてないんじゃないのかなあ。そんなふうに思う。
虐待家庭とは全く縁のない人がそういうものが分からないというのはよく聞く話だけど、逆に自分もそうだったから、私はできない人がどうしても分からない。誰か説明して欲しい。そんなふうにたまに思う。
表題通りです。
2階の自室にいるときに母の声に呼ばれた気がして慌てて下に降りて「呼んだ?」と聞くと呼ばれてない時がある。でも、気づかないでいると、あるいは気のせいだと思っていると2回目には怒号が飛んでくるから怖くて無視出来ない。
母は声が大きかった。そして常に苛立っていた。
私はただ母が怖かった。
近づくと「来ないで!」と怒られるのでなるべく近づかないよう、話しかけないよう息を潜めて生きた。それでも、子供だから限界もあった。私は毎日母にはしゃぐたびに怒られていた。
いっぱいいっぱいだったのだと思う。子供を育てるのは大変だってネット上でいくらでも見る。
子供は自分勝手で親の気持ちなど知らず利己的で理性が無くて甘ったれで騒々しい。親はそれに苛立つのなんか当たり前なのだと教わった。1日も早く「人間に成れ」と言われていた。
またそれを補完するためなのかネット上の育児ブログなんかもよく読まされた。ブログの中でも概ねそのような内容だった。どの母親も子供の未熟さに悩んでいた。生きているだけで迷惑をかける生き物なのだと思った。
虐待の記録を目の前で読み上げられ「あんたはほんと幸せね」と言われた。
本当は私も虐待を受けていたのだと気づいたのは大人になってからだった。
私は小学校の頃、母に「子供を堕していいか?」と相談された。「お金がないの。この子を産むことも出来るけど、そしたらあなた達にかかるお金がなくなっちゃう。それでも○○は兄弟が欲しい?」
私はそう問われ、何日も体調が悪かった姿や、すでに金銭的な悩みを日常的に相談してくる母のことを思い出して「兄弟はいらない」と答えた。
婦人科まで私も一緒に行った。
母は妹が先に産まれていれば私など産まなかったという。
祖母にお金を借りるのに、母が行きづらくて私が行ったこともあった。
母は金銭的な悩みでよく私の前でだけ泣いていた。慰める言葉の出ない私は黙って「そう…」と言うしかない。
子が近づくことを許さない母に名前を呼ばれる時は、大体悪い出来事の前兆だった。
幼少期から不眠症と夢遊病、また自傷癖があった。口の中は常に血が滲んでいて頭はマダラに禿げていた。
何度も体調不良を訴えては病院で「気持ちの問題ですね」と言われて、いつしか病院に連れて行ってもらえる機会は減った。
メンタルクリニックは「頭がおかしい人みたいだからやめてよ」と言われて行けなかった。成人するまで、保険証は母が携帯していた。
成人してから親に内緒で病院に行きまくった。3ヶ月連続で採血された。
くつろいでいて、隣人の声が聞こえると「呼ばれた」と思って焦って飛び起きるがそもそも母はここにはいない。実家を出る時も見送りも何もなかったし、興味もなかったから、私が住んでいる場所も知らないはずなのに。
過去のことを思い出す時間が増え、不眠症が悪化し、メンタルクリニックで入眠剤をもらおうと思った。
常に思い出す過去のことを一通り聞いたあと、カウンセリングの心理士は言った
「その家庭で育って、よくもっと大きな病気にならないでいてくれましたね」
私の家、おかしかったのか……と思った。
過去を振り返ると、母を、父を助けてくれる人は周りに誰も居なかった。両親も様々な虐待を受けていて、でも子供が産まれてしまったから祖父母に頼らざるを得ない環境だった。
今でも私は「私の家がこうだったのは仕方なかった」と思う。そう思うしかなかった。心の壊れた父や泣き叫ぶ母を見てもっと頑張れなんて子供の身分では言えないししっかりしてくれよとも言えない。
ただ怯えて隅で固まっていただけの役立たずだった私がいまさら言える不満なんてない。
何も言えないまま、助けにもならないまま、大人になって逃げ出した。
ネットで毒親や、被虐待児の相談を見て、回答で言われる「自分の人生を生きて」「子供を産んで優しくしてあげて。自分がして欲しかったことをしてあげれば癒しになる」「子供を産めば親の気持ちもわかる」
そして失敗した両親を私はよく知っているのだ。
色々調べて、家族は要らないなと思った。子供も欲しくない。親の気持ちを理解する努力を20年間ずっと続けてきたから、もうわかっている。
私に出来るのはせめて両親を祖父母にしないこと、もう苦しませないこと、この血筋を終わらせることだけだ。
もう何代前からこの血は虐待を受けているのだろう。親戚の話を思い出しても、虐待、虐待、虐待。戦後の世代から養子を受け入れ兄弟をたくさんもうけても、一人しか結婚しない。親戚には初老にまでなった独身者が異常に多かった。
呪われているんじゃないかとすら思う。
さて、私は血を残さず死ぬまでの自分の人生を歩み始めた結果、このようにいきなりつまづいてしまい薬の世話になっている訳だが、なんとか頑張って生き抜きたいとは思っている。
だが、どうしても、一人で部屋にいると「もうどこにも帰れないのか」「私には頼れる、愛してくれる人は誰もいないのだ」と思ってしまい眠れなくなっていく。
寂しさに負けたら同じ歴史が繰り返されるとわかっているのにただ寂しい。
それだけがまだ辛い。
さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論したか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。
それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智がいるかどうかを尋ねた。
「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしますから」
彼女はそういって、店先から見えている階段の上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、
「オー」
と変な返事をして、明智はミシミシと階段を下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。
何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。
「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」
私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。
私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎の為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪や探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富な知識を持っていることだ。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。
「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」
明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。
「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。
「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」
私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑と安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。
「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋が犯人の指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います。
それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てをしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈したか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。
さて、犯人の着物の縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチの指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者の友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」
そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。
「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後の指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。
併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋の人達の指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。
君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチに指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件の発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」
この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。
「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから、刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。
ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり、人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」
古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。
「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから、便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手が蕎麦屋ですから、便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。
そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物の縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事は自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」
私は少し言葉を切って、明智に発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。
「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋のトリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから、第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。
さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋の便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」
読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。
「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから」明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんでいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」
「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」
「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから、犯人の着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」
彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。
「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。
嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実を申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題の自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。
私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」
それは左の様な記事であった。
(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物の出版は一九一一年)ゲッティンゲンに於て、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかもカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合の最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホールの真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉や動作が、予め予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるものは茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものはコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋の便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人の通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対の結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」
読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人の申立てを否定し、犯人の指紋を否定し、犯人の通路をさえ否定して、自分の無罪を証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪そのものを否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。
「で、君は犯人の見当がついているのですか」
「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜