私は20年間虐待を受けて育ってきた人間である。内容については別に重要では無いので割愛する。その中で鬱を発症したり色々な修羅場があった。
ある日ついに我慢の限界がきて爆発して家を飛び出し、それから一度も帰っていないし、親に連絡をしたこともない。もう10年以上は経つと思う。その間連絡をしたいとも思わなければ、親と絶縁したことに対する罪悪感など1ミリも感じたことは無かった。
死んだとしても知らないだろうし、万が一知らされたにせよ、葬式に出るつもりもない。
今後一切連絡や関わりを持つつもりはない。一生ね。
住民票開示拒否もしたし、母親に私の情報を流す祖母や親族も全て縁切りした。
そこに何一つ躊躇いもなければ、戸惑いも、罪悪感もなかった。
確かに自分は家を飛び出す時、当時交際していた恋人(現夫)の協力があったり、義母が理解ある人で保護してくれたりなど非常に恵まれたところはあったとは思う。
そういう助けがあったからこそ逃げられたというのは否定しない。
でも理解できないのは、親に苦しめられながらも絶対に離れようとしない、離れられない人間のことだ。
愛して欲しいと思っているのかもしれない。
でも、それを諦めきれないという人が、本当に理解できない。そいつが生きて何十年経っていると思ってるんだ。そのいい歳になっても子供を別の人格として人として尊重できない人間が、ある日突然愛せるようになるかなんて無理に決まってるだろう。
あとは離れても少し謝られたりするだけで心が揺れて連絡を再開させてしまう人とか。
例えどれだけしおらしい態度になって謝って、こちらの機嫌を撮ってきても、それは絶対にひと時だけ。
相手は絶対に変わらないし、ケロッとして同じことを繰り返すのが分かりきっている。
なぜ分からない?なぜ害悪を撒き散らし、人を傷つけるだけのバカに期待する?期待することをやめられない?諦めきれない?
私はそれがどうしても分からない。
「あなたは強いね」と言われてきたけど、あなたが逆に弱い、というか甘い、だけじゃないのかな。
絶望が足りてないんじゃないのかなあ。そんなふうに思う。
虐待家庭とは全く縁のない人がそういうものが分からないというのはよく聞く話だけど、逆に自分もそうだったから、私はできない人がどうしても分からない。誰か説明して欲しい。そんなふうにたまに思う。
元増田の方が絶望が足りてないんだと思う だからまだ逃げようというエネルギーが残ってたんだと思う 本当に絶望した時は自殺ですらどうでもよくなるよ
逃げられないについては理解できるが、それでも尚自分から接触していく人間が理解できない。
消したみたいだけど、 離れられない人とか離れない人を一括に扱うことが理解できないと仰るなら なら離れられない人間に対してでは無く離れない人間に対する疑問に変更してあげま...