はてなキーワード: 情報格差とは
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
さて冒頭に戻るんですけど、日本の職業選択と自称貧困って具体的にはどんなイメージ???
先に定義しておこうぜ
自称、日本の貧困男性のいう日本の貧困や職業選択について教えてください><
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
さて冒頭に戻るんですけど、純粋に疑問。
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
俺の実家は(文明がなさすぎて)「ここは本当に日本なのか?」というレベルのど田舎だった。
1990年代に電気・ガス・水道すら半分くらいしか整備されていなかった。汲み取り式のトイレが当たり前で、電気が通っている家庭でもしょっちゅう停電していた。お年寄りは訛りどころか古語を使うので(本当に古語辞典を調べて会話したことがある)何を言っているかわからない。
こんなレベルなのでテレビは半年遅れで当たり前、ひどくなると年末にお正月特番をやっていた。もちろん東京では当たり前のテレビ番組が見れないなんて珍しくない。ちなみに東京まで行こうとすると3ヶ月かかる。
こんなど田舎から奇跡的に東京の大学に進学できたのだが、周りの同期が何を話しているのかさっぱりわからない。これだけ情報格差があるんだから当たり前だ。あれから十数年、いまだにみんな知っていて当たり前のタレントや漫画を知らないということが時々ある。情報格差は恐ろしい。
先日、父が亡くなった。がんだった。
父の呼吸が止まったのが14時半。来てくれた担当医さんが死亡確認したのが15時半ごろ。家族皆が泣いていた。自分も唇を噛み締めながら我慢して、それでも涙が溢れてくる。
訪問看護をしてくれていた看護師さんがとてもいい人で、自分たちも手伝いながら、髭をそったり着替えさせてくれたりして、父の準備をしてくれた。
家族で湯灌してあげて、最後の見送りすることがとても良い時間になるよ。と、いろいろ教えてくれた。
これまでの看病で疲れているし、親族や知人の対応は母することになるの明らかだったので、葬儀会社とやりとりするだけでもと、喪主をかってでた。
闘病中、なくなる数日前に、◯レマの営業さんが来て、契約とれないと来週クビになると言われ、母が契約したとのこと。
父は元教員だったので、教え子含めてある程度の人数が来ることが予想されたので、駅チカの広い葬儀場が使えるのが良いかと決めたそう。
15年ほど前に祖母がなくなった時には、地元の葬儀会社で、自宅葬だった。
在宅療養していた父がなくなり皆が動転している中、母は最後まで地元の葬儀会社にするか迷っていた。
とりあえず契約してるんだからという理由で、◯レマに電話を掛けた。
担当営業と契約担当者と葬儀場で連携が取れておらず、あちらに掛けて、こちらにかけて、折返し待ちして、とたらい回しされた。
加えて、最初に電話をかけた時点でこの時間で決めますがよろしいですか?と念押しされた。
こちらのことを知ってる営業からなんのコンタクトもないのか?と疑問におもいつつも、下手に時間を掛けても仕方がないので、最短の日にちで申し込みをした。普通なら、死亡後3日後が告別となるのが最短になるのだが、3日後が友引だったため、4日後となった。結果的には、日付が伸びたことで運良く救われることとなった。
それが終わると、葬儀のプランや料金についての説明が始まった。
私達は営業さんから貰った資料を確認しながら、プランの詳細を選んでいくが、一つひとつ決めるたびに、営業が話してた葬儀プランと言ってることが違うやんと言うことがどんどん出てくる。
契約時には、一般的な葬儀費用のように見えるこの内容で、事前予約75万のプランを契約していた。
この契約があれば、全部まかなえます。と営業さんは言っていた。追加のオプションは断れば良いとも。
https://cerema.co.jp/funeral/plan.php
・契約の葬儀プランでは、入り口近くの小さい部屋しか使えず、+10万ださないと、50名規模のホールには対応できません。
・プランで出来ると書かれていた花祭壇は、+10万ださないと、できません。
・病院から自宅までの寝台車費用は入ってるが、自宅から葬儀場への寝台車費用は入っていない。
→自宅で亡くなったため、おかしくないか?と問い詰めたら、じゃあプラン内の費用で対応します。と
・周りに飾る花代が最小16万~。無いと困りますと言われる。親戚から送られる分が合っても、親族一同の分が必須ですと。
・棺桶に掛ける布は燃やすために毎回新しいものが必要です。(+4万)
・湯灌できるけど、郊外の施設まで連れて行く必要があり、家族参加は不可。(+7万)
・骨壷も今のママだと貧相なので、アップしたほうがよいですよ。あと分骨するなら、追加費用(+1万)。
などなど、諸々で、事前の見積もりが180万ほどとなった。通夜の来場も50人と、少なく見込んだ上でだ。
契約書の文面を確認し、クーリングオフできますよね?と問いかけると、厳しい表情。
葬儀のトータル費用は相場からは離れてない。でも、言ってることこれだけ変わるというのはオカシイ。ちゃんと湯灌してもらえるのか?葬儀が滞りなくすすのか?
ただ、もう期日の予約はした、場所も親しい友人には伝えてしまった。今更変えるのも・・・・。悲しみに浸る間もなく、不安なまま夜を過ごす。
枕経をあげに住職さんが来る。母は自分の世代だと、珍しいと言いつつ、なんだかんだ年3回の法要を欠かせず行っている。
なので馴染みのある住職さんだ。
住職さんに、これまでの経緯を相談すると、◯レマの色々黒い噂を教えてくれる。噂についてはあとで詳しく述べる。
住職さんが、馴染みなので連絡してみますね。と地元の葬儀会社をあたってくれるが、友引明けなので、空きがないそう。
帰宅後にも別の葬儀会社を探してくれて、隣の市ならホールの空きがあるよと教えてくれた。
母の不安っぷりと、担当者が不審すぎて信用できない。これはキャンセルするしかない。
キャンセルもとい、クーリングオフすることを示すように電話。証拠として、電話の内容は録音する。
「次の予約が入っているのですが、そちらにお譲りして良いのですか?」何度も念を押される。
こういう引き止め工作が本当に手慣れている。
簡易祭壇の設置費用と、ドライアイス代で3万ほどかかったが、サンクコストとして考えれば安いもの。
営業担当の方が来て、説明してくれる。仏壇屋さんだったが、仏壇買いに来る人が葬儀の文句ばかり言われるので、なんとかせねばと作った会社だそう。
・花代は3万~。独自ルートで花を仕入れているのでその値段で胡蝶蘭も入っている。
・謎オプションはゼロ。分骨、フルーツ、棺の布、白装束。全部追加費用は不要。
・会葬返礼品の価格が、2万円ダウン。
・初七日するなら、会場費5万かかります。自宅ですることもできますよ。と教えてくれる。
見積もりは160万ほど。ただし、親族の花代と、通夜の時の親族の食事費用(2万)も含まれている。
費用は下がって、質が確実にアップした。
最初のプランの説明から、会場までの送迎、当日のオペレーション、ナレーション、葬儀後の祭壇設置まで。服装から振る舞いまで、すべてがプロの仕事だと感服する内容でした。
プラン説明時のアドバイスが的確で、常識よりこちらの都合を優先させて柔軟な対応してもらえたのが、ありがたかった。1時間以上かけて車で来る親戚が多かったので、通夜ぶるまいを通夜の前に変更。通夜中にお腹減ることや、通夜に来てくれた人の対応を後回しにせずに済んだ。また来てくれた親戚も早く帰せた。初七日供養後に、食べるのが普通だけど、粗供養品として、食事券を渡して帰ってもらうことにした。
他にも細かい相違点が色々。
・◯レマの線香が化学薬品臭がして、妻が煙たがっていたのが、変えた瞬間に問題なくなる。
・湯灌は家族でやれてよかった。父の体を拭いたりするのは、嫌な人は嫌かもしれないけど、お風呂入って背中流す感覚で、キレイにしてあげれたのは、最後の親孝行でしょう。
・花壇の品質がガッツリ上がった。◯レマの価格を見てたので、安いと思い、親戚からの花もだいぶ増えてしまった。棺に入れれなかった分は、すべて自宅に飾ってあり、1ヶ月近く経つがまだ元気だ。
・姉が嘱託で働いている先の互助組合の提携先葬儀会社だったため、-10万の割引。こちらからは何も言っていないにも関わらず、弔電を見て対応してくれた。
葬儀会社変更して、本当に良かったと思っている。変更の連絡しなおしたり大変な部分もあったけど、満足度が段違い。
結婚式と同じぐらいの金額払うのに、なんで文句言いながら、我慢しながら、サービス受けなあかんのかと。激しく問い詰めたい。
・勘違いさせる前提の資料を元に営業して、キャンセルできない。
・マルチ商法かと思うぐらいに、不安で人を動かそうとする。◯◯するのが普通。◯◯はできません。
・無駄なオプションつけてくる。ってか普通断れへんやろうぐらいの勢いで、オプションつけてくる。
・説明しない。
こうして◯レマをキャンセルして、地元の葬儀会社に変更できたのは、幸運が重なったからだった。
・契約して間もない状況で事前支払いが0円。クーリングオフで押し切れる状況だった。
・友引明けで、日程に1日分の余裕があった。
・付き合いのある信頼できる住職がいて、他の葬儀会社が見つかったこと。
これだけの条件が揃っていてようやくキャンセルできた。
今回は父の葬儀分を母が契約したが、普通はこんな契約はしない。なぜなら、営業担当は自分の葬儀を事前に支払う契約を勧めてくる。ここの情報格差を奴らは狙っている。
過去の噂を聞くかぎり、支払い済みの状況でキャンセルしようとすれば、事前支払い済み分は返金できませんと、そう脅されるだろう。
ちゃんとした式をあげるには+100万かかる状況で、葬儀までの時間はなく、決断は伸ばせない。
親族が亡くなって、気が動転している状況で、あとで事例調べるなり、情報収取するなり、冷静な判断がくだせるだろうか?
すでに親が70万支払いずみの状況で、プランの内容を聞いた後に、キャンセルする覚悟あるかと?
近所にも契約している人いたが、母はすぐ解約するように勧めた。
上にも書いたが、事前契約をメインに営業しているため、後々キャンセルされるケースも多い。
その場合に、解約手数料が掛かる形ではなく、1割も返金しないらしく、訴訟沙汰となっている。
https://www.sankei.com/affairs/news/150122/afr1501220037-n1.html
契約書にも、契約後、180日以後の解約は不可と書かれていた。
・どこかのお寺の檀家ではなかった場合、◯レマから仕事を依頼されることがあるという。
伝えれる範囲は限られるが、あまりタブー視せずに両親と話すこと。
「自分の葬儀代は自分でためておきたい。」「子供に負担を掛けたくない。」
そういう想いに、奴らは付け込んでくる。
なので、早めに話をして、事前に知っておけば、怖くない。
ほぼ悪徳商法なので、早く潰れることを願って、匿名ダイアリーに記します。
ブコメもらえて、拡散したので嬉しいです。(普段のブログでこんなにバズったこと無いので)
もちろん親族や各位には今回のことは包み隠す伝えたのですが、さすがに友達に言いふらすわけにも行かず。。。匿名ダイアリーに書きました。
親族でも、少し大きい規模で、280万という人もいて、葬儀場での話題になりました。
ちゃんとしたものにお金を掛けれた。という印象です。ロウソクや線香一つとっても、ケチるだけケチる姿勢が見えてしまい、なんの信用もできませんでした。5000円のランチ頼んだら、業務スーパーのパウチスパゲティが出てきた感じです。
あのまま乗っかった場合に、普及不要な請求をされそうだったのが一番の不安でした。
確かに160万は安くないと思います。(実際は来場者増えてもう少しかかりました。)満足度は5,000円出して、ちゃんとホテルのバイキング食べれたぐらいの気分です。
消されるの怖いので、反社記述だけ消しておきます。にしてもこんなこと匿名ダイアリーじゃなきゃかけない。
向こうは百戦錬磨でフル武装の営業モード。こっちは虚弱状態からスタートして意思だけで戦わなければいけない状況。
正直オプションを断ることだけに、体力と意思力を必要とします。途中から、やり取り自体が不毛だったので、さっさとやり過ごしてキャンセルできないか相談するモードに入ってました。
当日に葬儀会社まで決めてしまうのも良くなかった。という考えもあるので、決めるのはなくなった翌日でも良かったんじゃないかなと、後から思い返します。ドライアイス代が+1日で、+10,000円ほどかかりますが、4日後でも、最初から問題ないです。葬儀場が相手ないなら、1日ずらすとかでも良いくらい。
ほんとうに何から何まで、助けてもらいました。
看取ってくださったのが、緩和ケアを専門にやっている町医者さんだったので、看護師さんも経験豊富でした。(決して、年配の方ではないのですが)
冷たい対応されると、余計に辛いだろうなと思い返してありがたい限りです。
可能性としてはありえます。上記の通り、緩和ケアは車で訪問診療してますので、尾行すれば。なんの証拠もありませんが。
古めの住宅団地なので、営業さんがかなり訪問してまわっているそうです。
そのとおりですね。自分も、亡くなった父もそういう考え方です。
ただ、亡くなった人のためではなく、亡くなった人の家族・友人・知人・親族に向けてやるという感じでしょうか。息子としては、親がどんな生き方をしてきたのか知る数少ない機会だったので、ちゃんとやってよかったです。
これ、第三者としては「愚かな人だな」とは思うけど、別に醜悪だとは思わない。個人的にはどうでもいい、ごく普通の世間話の一つに見える。しかしこれを以ってして何か「女性性を貶めたい」という空気も感じていて、それは嫌だなぁと思う。
「供養」という表現も含めて、この人はむしろ友人として愛を込めて「笑い話」に昇華しているのだろうとは思う。私が問題視したいのは、それを消費する側の態度。
そもそも「既婚男性と未婚女性の不倫」という構造に非対称性・搾取構造がないとは言えないと思うんだよな。「お金が貰えなくなると生活が厳しくなる」という依存状況も、法制度に無知という情報格差も含めて、「個人の自由。自業自得」で済ませていい問題には思えないかな。
まあまずはポリアモリーを認めろという話ではあるけど、一方でポリアモリーという選択肢が認められた後でも「不倫」問題は残り続けるとも思う。
弁護士だと友人から相談を受けることもままあるけど、今回のは流石に酷過ぎるwww
女性も自分本位な人がいるのか?(笑)
お前が不倫の浮気相手なのに財産貰えるわけ無いやろ!!こんなの弁護士じゃなくても分かるわ!
あまりに面白かったのでツイートして供養します•••幸せなってくれよ••• pic.twitter.com/xmZaRSoDkt— 藤吉修崇@ユーチューバー弁護士(登録者2万人突破!) (@fujiyoshi_ben) November 2, 2019
https://anond.hatelabo.jp/20191030222754
物凄く稼ぐ男ってのは、とんでもないレベルで激務で働いていて、女と付き合うだとかそういう経験がかなり薄いまま来てしまうことが多いので
こういう女に引っかかることが多いので、ママ友セレブ文化みたいなのが構築されてる
別に俺はそれが悪いこととは思わないが、エリートなやつはもうちょっと不真面目にいろんな女ととっかえひっかえして異性というものを知った方がいい(男に限らず女にも言えるけど)
情報格差を利用して騙されるのは、会社の商売なら損害程度で済むけれども、結婚や子育てとなれば子供にまで悪影響や迷惑がかかるってのをよく考えた方がいい
といってもなかなかできるもんでもないんだけどね…
公開直前のインタビューで新海は「賛否が分かれるものを作った」と語った。
それを見て、「あ、いつもの新海に戻るのかな?」と思った。『君の名は。』で釣った客にポエムと自己完結の新海ワールドをぶつけて全面戦争を仕掛けるのか! と。しかしそんなこたー全然なかった。蓋を開けてみれば『天気の子』は単なる劣化『君の名は。』に過ぎなかった。がっかりだ。
ダメな点は色々あるがクリティカルだったのは物語の感情がまだらになってるところ。ようは暗いシーンのあとにやや明るいシーンが来るのだがまた暗いシーンになるためどういう感情でいればいいのかが凄くわかりにくかった。
『君の名は。』はややおセンチなモノローグから始まるが、すぐに入れ替わりのコメディシーンにつながり、テンポの良いそれは見ていてとても楽しい。
楽しい気分にひたっていてやや飽きを感じ始めた頃に瀧と先輩のデートが失敗し、「なぜか。もう二度と。俺と三葉との入れ替わりは起きなかった」という“謎”が提示される。
そして瀧は直に会おうと糸守を訪ねるが、そこで彗星の落下によって三葉がすでに死んでいることを知る(シリアス)、という感じだ。
『君の名は。』のストーリーはこれ以上追わないが、コメディ→謎→シリアス→目的の明確化(彗星が落ちる前に皆で避難する)→歓喜(かたわれ時の再会)→暗転→奮闘→大団円、と今どういう感情でいればいいのかということを物語が迷わせないつくりになっているし、『君の名は。』はそういった完成度を持った作品だった。
RADWIMPSの楽曲も、シーンの移り変わりや強調に使われて非常に効果的だった。
翻って今作である。
冒頭、ヒロインが天気の子になった経緯を説明されたかと思うと、家出してきた主人公が新宿歌舞伎町で世間の冷たさを味わうシーンに続いていく。いきなり説明→暗いシーンをカマされ気分は上がらない。
その後やや明るいシーンになるが、主人公やヒロインの生活環境がアレなので底部に流れるテンションは暗く、そしてそれがやがて表面化(その最たるはヒロインの消失)する。
その表面化も事前に予測がつくように設計されてるため、明るいシーンを見ていても「どうせ後で……」と落ち着かない。つまりずっと消耗させられっぱなしなのだ。これはキツい。
もうひとつキツいのは主人公が幼稚すぎて感情移入しづらいという点だ。
子どもが主人公がなんだからそらそうだろ、という話はあるのだが、“学校”がフィールドだった前作とは違って家出してきた少年のフィールドは“社会”になるためアテもなく家出してきたことやそれが故に困窮しても「帰りたくない」と言い張る姿はやはり幼く映る。
特にコイツやべーとなったのはヒロインが消えた理由を理解しない周りの大人にキレ散らかすところだ。普通こういう情報格差によって周囲が無理解な時、視聴者としては主人公側の心情に立つものだが今回は中々そうなれない。何故か。それは視聴者と主人公の側にも情報格差があったからである。
俺は基本的に主人公と視聴者の情報格差はない方がいいと考えている。視聴者が得ている情報によってこうすべきと思う行動を主人公が取らないと苛立つからだ。もし主人公と視聴者の情報格差を作るならフォローは必須だと思ってる。『天気の子』はそのいずれでもない。
ヒロインが消えると視聴者は早い段階で予測できる。そういう設計になっている。しかし主人公はそれを察しないし、決定的な情報が提示されたときも反応が鈍い。それなのに自分は周囲にキレ散らかすのだけは忘れない。ただのやべーやつである。
主人公がそんなだからヒロインと再会し、気持ちを確かめ合うように互いの名前を呼ぶシーンも冷めた目で見てしまった。『君の名は。』のかたわれ時やラストシーンのよっしゃ感とは雲泥である。
そろそろまとめに入ろう。最初に『天気の子』は劣化『君の名は。』と言ったが、『君の名は。』とは何でどう劣化しているというのか。
『君の名は。』とはひょんな出会いを果たした少年少女が超常現象によって引き裂かれ、残された側は相手ともう一度出会うために必死にもがいてそれを果たす“エンタメ作品”である(『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』以前は“エンタメ作品”ではない)。よく見かける構造といえばそれまでだがいずれにしても『天気の子』はその形を踏襲している。しかし肉付きが圧倒的に劣る。
これまで挙げてきた要素はその筆頭格だし、その他にもふたりが再会するシーンのアイデアや演出にも歴然とした差がある(「かたわれ時だ」は非常に美しい)。「忘れないように名前書いとこうぜ」からの「好きだ」のようなぐっとくる演出(コメディ部分で手に名前や苦情を書いて伝えていた、という点とつながるのが良い)もないし、ラストシーンの拙劣さは『君の名は。』に比べると目を覆わんばかりだ。「天気って不思議だ。ただの空模様にここまで心を動かされてしまう」という主張も正直「だから?」という感じで刺さらなかったというのもある(けっきょく大事なのは天気ではなく大事な誰か、という結論だし)。
『君の名は。』がヒットしたから次もそれで、というのは理解できるし、これ以外でどうやれというのかとすら思う。ただ肉付きでここまで劣ってしまうなら違う構造の話にチャンレジして死んだほうがまだマシだったのではないか。
というわけで『天気の子』はがっかりするほどの駄作だった。クソミソにけなしておいてなんだけど俺は新海誠のファンなので悲しい。
『ほしのこえ』で新海を知り、『秒速5センチメートル』で「これは新海の集大成だ!」と吹き上がった過去を持つ俺でも『君の名は。』のPVを見たとき「あ、これは売れる」と素直に思った。実際その通りになったし(もちろんあそこまでの大ヒットになるなんて思いもしなかったが)、そんなクソウザい古参でも『君の名は。』が新海作品の中で一番面白いと胸を張って言える。
新海誠はいつまでも過去やどうにもならない何かに拘泥する男を描くだけのクリエイターじゃなくなっていた。それはとても喜ばしいことであり、同時に階段をいくつも上ったんだと確信した。『天気の子』のPVを見て嫌な予感はしたが、押し殺して封切り初日に映画館へ向かった。嫌な予感を信じるべきだった。だって『君の名は。』はPVからして面白そうだったんだから。
前作の半分、悪ければ1/3ぐらいの興収だろう。口コミも広がらず、けっこうなコケ方をすると思う。
新海誠は新海的なものとの決着を『秒速5センチメートル』でつけ新境地を切り開こうとした。しかしそうして出来上がったのはジブリの劣化コピーだった。『言の葉の庭』という中編で再起を果たし、『クロスロード』という小品で手応えを得た新海は金字塔を打ち立てた。しかし次に作ったのは前作の劣化コピーだった。
新海はこの先、どこに向かうんだろう。今作が劣化コピーだったという認識なくして前には進めないと思うが本人も周囲もそれをひた隠して次なる場所を目指すんだろうか。
うちの母はアパレル店員で、25の時にはもう支店長任される話が出てたらしいんだけど、その話を蹴って親父と結婚した。
親父はクソな中卒自営業で、最初はうまく行ったはずなのにコロコロ事業変えて借金地獄になった。
兄弟みんなの学費の為に貯めておいたお年玉も全て借金に消えた。
母には死んでも言えないけど、母が働きに行ってる時に親父の浮気相手が家に来たような記憶がある。
こんなクソ親父と居たからか、母はうつ病になって寝込み、心臓病患って、なんか肺に水溜まってやばい事になってた。
そのまま寝たきりの母と一緒に離婚してから暮らしてたけど、泣いて殴られるし、人見知りだから学校も辛かった。
生活保護を受給して1年後、前より治安のマシな所に行ったけど、俺もおかしくなってて家にいたら母と喧嘩するのに家に引きこもってた。
母も医者と何か相談したのか、俺に関わらなくなって来て、頑張って学校には復帰した。それで高校受験も何とかなって大学も入れた。
離婚してから10年、自分の人生が離婚してからの方が長くなった。
親もちょっと抜けてて心配になる所はあるけど、家事もできるぐらいには復活した。
母の味はそんな変わってないと思うし、今の美味しいまま
ほぼ毎日掃除してるから部屋は常に綺麗で、床に埃とか見た事ない。絶対一人暮らししてる自分の部屋の方が汚いって断言できる。
大学卒業して、アパレル支店長の候補になった、給料も30万行くかもってぐらいで
本人も根気があって、なんでもできる、実際に昔家計を支えてたのは母親だって言うぐらいなのに
人の為に戦って、10年病で倒れただけなのに、社会のレールから外れたせいで辛い人生を歩んでると思う。
役所の自立支援に行って、とりあえずMOSを取らされたらしい(普通に難なく取ってた)
んで、働く所は食堂何だけど、話聞く限りじゃブラック。職業に貴賎はないと思うけど、給料はバイト程度だし、同僚の一方的な都合で仕事を負わされたりしてて可哀想だった
朝3時起きて出勤して、昼まで働く
働いた分だけ、保護費は引かれる(まあ申請したらある程度免除とかあるんだろうけど)
仮に正規雇用になっても、そんな労働環境じゃな...って感じだけど、40代後半で空白期間が10年も空いてたらそう言う所しかないらしい。
倒れる前に働いてた会社は、母を買ってくれてるんだけど、その市にクソ親父が住んでるせいで生活保護受給者はその市に住めない。
すげえ遠くまで電車で行くってなると、結局労働環境は変わらない。
なんで人のために頑張った結果がこれなのかよく分からない。親はどうすれば幸せになれるんだろう。
俺も中二病の時は「大人同士の折り合いのなさのせい」とか言ってたけど、でもこれからも地獄なの?
俺は大学に入って、悪くはない成績だけど、国公立って程賢い頭じゃないし(そのせいで今も自活がしんどい)凄いエライ企業で英才教育のツワモノ共と戦える気がしない。
不登校でも独学して何とかなったけど、数学だけは独学じゃどうしようもなかった。
幸い要領と運だけは良かったから、高校も大学も数学で詰むような選択をしなかった。
けどSPIはマジの中学数学じゃん...一応インターンや説明会で人事の人に気に入られて名刺やメアドを頂いたり、バイト経験から正規雇用を狙ったり、詰まない策は講じてるけど正直まだまだ不安だ
ちょっと話が逸れたけど、親の世話(できれば服屋をしたいって言う夢を叶えてあげたい)をできるぐらいの収入っていくらだろう?
社会人の皆さんはどれだけ稼いで、どう家族養ってる?どれだけ収入あれば安心だと思う?(そりゃあればあるだけいいと思うけど)
周囲にまともな大人がいなかったから、親がいくら稼いで子を養ってるのかも貯金額とかも分からん。
初任給22万円あれば万々歳?30、40代で30万円代だとキツい?18万だったとしても大抵無駄遣いしなきゃ奨学金は返せると思う。
将来情報格差で身動き取れない子に情報を知らせる仕事がしたくてYahooとかniftyとか俺でも知ってる会社にエントリーしたけどなんかダメそうだ
増田に嫌われる語りたがりの女オタクだからめちゃくちゃ長くてごめんな。
私が中学生、高校生のころは今ほどSNSは発展していなかった。
当時はmixi全盛期で、一応アカウントを持っていないではなかったが、当時好きだった映画と俳優のコミュニティに入っていた程度で、そんなに使っていなかった。
ということは、基本的に周りにいるのは同じ世代の子たちだけということになる。
私の高校はバイト禁止だったし、高校生はバイトしないのが当たり前で、するひとは特殊な事情があるか、学校まじめに行く気のない人、というのが学校の常識だった。
みんなそれが当然だと思っていたので隠れてバイトするような人もおらず、使えるお金はお年玉とお小遣いだけ。携帯の有料会員みたいなのもせいぜい「二つまで」とか決められてる。
要するに、みんながだいたい同じくらいお金持ってなかった。
当時はあるバンドが好きだったのだが、みんなFCの年会費払って、頑張ってお金ためて年に2回くらいライブに行くのでいっぱいいっぱいだった。
10000円もする初回限定版のアルバムが買えなくて泣く泣く3000円の通常版を買ったけど、周りの子も買ったのは3000円だった。みんなお金がないから。
欲しかったものはみんな持ってなかったし、行きたかったところに行けなかった。
だから誰もその『持っていないもの』の話をすることがなかったので、私の世界では『私の買えなかったもの』は『存在しなかったもの』にできた。
もしこのとき、自分だけお金がなくて全然買えなくて、でも周りの友達はみんな好きなものを買っていた、なんてことがあったとしたら、正直私は相当ひねくれ拗ねていただろうなと思う。
私も限定盤ほしい。私もリリイベ行きたかった、そういう感じで。
面白かったよとか言われたらなお妬んでいたに違いない。
学校という狭く似たような立場・環境の人間ばかりが集まるところなら気にしないでいられた。みんな持ってないのは同じだから。
でも、SNSに年齢と財布、在住地は関係ない。高校生とアラフォーが話すこともあるし、社長の嫁と知り合う奨学生だっているし、都民と離島住まいも仲良くなれる。
「ほしいけどこんなの買えるのお金持ちだけだなー」って思っていたものをバンバカ片っ端から買いまくる社会人のお姉さまの投稿を毎日見ることになる。
社会人になった今は趣味のために10000くらい平気で出せるけど、3000円で必死になっていた当時の私にはそんな感覚分かりゃしない。
自分が一回しか行けなかったツアーで全通する人がいる。何万もするコラボ商品を持ってるひとがいる。
大人になった今だから、働いて稼いでるんだしそんなのは当たり前のことで、羨んだりしたって仕方ない。東京に住んでないのが悪い、って思えるけど、高校生だった自分にそんな割り切り方ができるかっていうと、絶対無理だと思う。
「そりゃそうだろうけどでも悔しい」って思う。
推しが「バースデーイベやります!」とか告知してやったー絶対行く行く!たのしみ!って思ってツイート詳細見ると「また東京ばっかりでずるい」というリプライがついているのを見る。
ときどき地方でイベントをやったら「いつも東京のひとはたくさん行ってるんだから地方勢に譲れ自重しろ」みたいなのが拡散希望とかいってツイートされる。
好きなもの欲しいものにお金を払えるようになって、好きなところへ行けるようになった社会人の身では地獄のような民度だなと思う。
でも、ふと自分の過去を考えてみると、確かに「金を出さない奴が悪い」んだけど、それはそうって分かってても「私も行きたいのにずるい」って思っちゃうだろうなと。さすがに公式には言わないけど。
だからたぶん、そういうリプライを送っているひとたちは、「みんなは持ってるのに私だけ買えなかった」IFの高校生の私みたいなもんなのだと思う。
高校生のころの私の世界は小さかったから「みんな」はせいぜい同学年くらいのもんだったけど、今の高校生の「みんな」はたぶんファン全員なんだろう。
実際は「みんなが持ってる」わけじゃないだろうけど、欲しかった人間からしたらどうしても持ってるひとのほうが目に付く。
このSNS時代、努力が伴っているいないに関わらず、自分より良い環境にいる人間を簡単に見ることができてしまう。それって結構しんどいと思う。
私もそういう風に思われているんだろう。東京に住んでるのでイベントとか行きやすいし。
よく関東民が言う「〇〇(地名)が来い」みたいな冗談が地方民にはすごい腹立つみたいな、そういうのもこれだよね。
とはいえ今の私の立場からしたら「また東京かよ…」とか言ってる奴には当たり前だろじゃあ地方で埋まんのかよって思うし、「また有料かよ」とか言ってるの見たら「慈善事業じゃねえんだよ」って思うから、そういう文句つけてるのが見えちゃうのも結構嫌なものがある。
私は推し活のために東京に引っ越したし、行けるものは行くし買えるものは買う。全部自分がそうしたいから頑張ってる。
どうあがいたって変えようのないことなので解決したいとかそういうことは全く思ってない。
ただ、私が子供だった時代にこういう世界が広がるツールがなくてよかったなと本当に思う。しかもインスタ入れてるのが当たり前、みたいな感じで何もしないわけにもいかないし。私なら絶対心穏やかにいられなかった。嫌な意見だって見ること絶対増えてると思うし。
今なら「給料が低いから転職しよう」「地方だと不便だから首都圏に引っ越そう」っていう選択肢が大変とはいえとれる。それをやらないで文句を言うのは格好悪い。
ハラミ会とか女だけの街とか結構批判的だった人も多かった印象だけどさ
仮にネタバレOK・ネタバレされないと逆に興味が向いてこないタイプの人たちが「ネタバレNGの人たちが入ってこないSNS作って自由に作品の感想とか呟いたりネタバレ含むファンアート投稿したりしたい…」って言って実際にそれを作った、って場合はどうなるんだろ?
ネタバレOK派の人がそっちに作品を投稿するようになって、結果的に情報格差が作られることになりそうだけど、それも理屈的にはダメなんかな。
ハラミ会も女だけの街もネタバレOK派のSNSも、たぶんゲーテッドコミュニティのバリアントだと思うけど、社会的な許容度はそれぞれどう違ってくるんだろう。
というか、ぶっちゃけると、ネタバレNG派の人たちも、最初はOK派だけで集まります!って聞いたら割と賛成すると思うんだよね。
後から「好きな二次創作者があっち行っちゃって見れない…」となって初めて、「OK派はNG側にもアクセスできる」/「NG派は予想外のネタバレ踏む危険を侵さずにOK派にはアクセスできない」という情報アクセスの非対称性に気づくことになるだろうけど。
これは実際なんの問題なんだろう。差別の問題っぽくないし、どっちかというと作品の楽しみ方の権利の話っぽいし、そのスタンスに対する個人の選択の結果として、ふつーーーにあってもいいやつなのかな。
なんかそんな気がしてきたけど、それでも上にあげた二つと実際何が違うのか、ちょっとはっきりさせておきたいな。