はてなキーワード: 何だかとは
今からもう数年前の話になる。
推しはそれぞれ違うけどそれぞれの魅力だったり、アイドルあるあるやファンあるあるを語り合うのが楽しかった。
キャー!推し君!こっち見てー!!
という感じではなく
というタイプだった。
なので派手な行為をする厄介な同担はともかく、同担拒否などは一切せずむしろSNSなどで積極的に繋がって現場で会うようなことを互いによくしていた。
しかしある日
思わぬところから私と友達のドストライクを突く新たなニュー推し君が現れた。
全然推せるけど、本命もいるし〜でもすごいカッコいい〜推し変かも〜ww
くらいのノリだった。
もらってしまったのだ。
ニュー推し君がいた位置とか、私たちがいた位置とか、タイミングとか、色んなものが奇跡的に合わさって推し君が使用したものをステージから投げてくれたのだ。
私も友達も、どういうわけか今まで塩対応気味な子しか推してこなかった。
と物足りない気持ちを盲目な推しへの愛で誤魔化してきてはいた。
狙い撃ちファンサ。
私たちは大興奮だった。
私たちの「推しカテゴリー」にニュー推し君の名前が貼り出された瞬間だった。
友達は変わった。
前はそんなことしなかったのに、周りに同担がいないかキョロキョロと確認し、推し色の物を付けてる人を警戒。同じ色のペンライトを持ってる人を近くに見つけると残念そうな顔をしていた。
近くを推しが通ってもこちらを見ないとこの世の終わりかと思うくらいに落ち込み、他の人にファンサをしてる推し君を見て泣きそうになり、それでも推し君に関するグッズは買い込む。
いや気持ちはわかる。
私もあれから周りに同担いなければラッキーなのになとか思うようになったし、ファンサをもらえないと「ちょっと推し君!なんで?!」とか不満を覚えるようにもなってしまっていた。
私も変わっていた。
それでも、
同担とつるみ穏やかに推し活をしていた友人の変わった姿を見て、どこか得体の知れない不安を覚えた。
だけど友人をここまで変えた推し君を一周回って尊敬したりもした。
推しが一緒になった後も、色んなライブに行ったりもしていたが、曲がりなりにも同担である私は友人の目にどう映っていたのだろう。
今回は少年ジャンプ+
メタ的に見るなら、アグニが現状の展開について読者向けの説明をしてくれないから、ネネトがそのケツを持った感じ。
いや、本作ってどうもこのあたりの運び方があまり綺麗じゃないから今さらかもしれないけれども。
語らず見せるべきことと、見せても語るべきこととの過不足について作家自身苦戦している……ってのは邪推が過ぎるか。
今回は世界観説明というか、ヒロアカの設定資料を漫画で読んでいるような心地だった。
こういった架空の設定について理詰めで説明するのはリアリティが生まれて嫌いじゃない。
本作のテーマにも繋がっている解説だし、不必要というわけではないしね。
ただ、やっぱりちょっとファン向けというか、文字とフキダシの占有率が凄まじくて手放しで褒められた構成ではないけれども。
まあスピンオフって基本的に原作ファンとかが読むことが多いの前提だから、まあそれでもいいのかなあって感じか。
ちょっと前から始まった、読み切り&新連載ラッシュ。一つ一つ感想書く気力もなかったので、全体的な感想として。
ギャグ漫画、コメディ系のは軒並みイマイチ。酷い出来ってわけではないけれども、特筆して評価できるようなところもほぼない。私は、プロットが録になくて設定したキャラだけで何とか体裁を成そうとしている漫画を「キャラ漫画」とかいうことがあるけれども、概ねそんな感じだった。
別にキャラクターの描写に傾倒すること自体がダメってわけではないんだけれども、デザインや性格などの設定の羅列で終わってしまっているのがダメで。漫画はキャラが大事ってよく言われるし実際その通りではあるけれども、その認識が甘いというか。本当の意味で魅力的なキャラクターってのは、テーマやプロットなども包括してこそ。ドラマが言動に説得力を生み、相関関係が化学反応を起こし、そうしてキャラクターというものはより魅力的になる。
これといって大したことのない、何の捻りもないプロットに面白そうなキャラクターを配置しても、とりあえずは読めるものになるかもしれない。でも、すぐに底が知れて陳腐になり、漫画の話含めてキャラクターにもすぐに飽きる。特に会話劇とかが中心のコメディは、作家の手癖だけで描くと冗長になりやすいから、よほど自信がない限りはプロットから作りこんだほうが良いと思う。
ストーリー系の漫画は、クオリティ的には概ね良好だと思う。それぞれ個性を出そうとしているのも窺えるし。ただ、いかんせん私的に刺さったものがないので、語れることが少ない。
あと持論だけれども、私は表面的な表現手法とかは評価に値しないと考えているんだよね。極端な例えだけど、4コマ漫画を読んで「コマ割が良い」なんて言ったら馬鹿みたいでしょ。だからそういった表現手法は賞賛の対象にもならないし、批判の対象にもならない。どのようなテーマで、どんな構成やセリフを紡いで表現するかってことがストーリー漫画においては大事なんだと思う。もちろん、表面的ではない表現手法に関しては評価に値すると思う。私個人がそれを評価できるかはともかく。
スポーツ系のもあったけれども、正直ありがちなスポーツ漫画の読み切りだった。定型を何ら脱していない。王道的な構成と見ることも出来なくはないけど、私としてはもうこういうのはいいかなあ。
作品というものは絶対的な評価も大事だけれども、相対的な評価も大事。比較対象が多い媒体なら尚更。既存のものばかりで構成されているのなら、より洗練されていて欲しい。それが出来ないというのなら、(クオリティの良し悪しはともかく)せめて新しいものを。どちらも出来ていないなら、語るに及ばず。
Googleが間違った経路を通知してインターネットが一時混乱したらしい。
Googleに勤めてないが似たような外資に勤めてるので思ったことを書く。
まともに運営できるだけの人員を確保してなかった可能性がある。
【なぜ人員の確保ができないのか】
アメリカ企業では転職の数はあまり考慮にならないなので会社の職務がショボかったり人間関係でトラブったりするとすぐにやめていく。
職種を変わると給与が下がるし、一から覚えるのも面倒だし、だいたい好きでその仕事してるので転職しても職種は変わらない。
だから上昇転職も多い。ブラックでなくても十年で半数の人員が変わったりする。
日系の場合は何だかんだで引退前以外はやめずに続けることが多い。やめるとバイト並みの給料になったりするからだ。
そして賄えない分はサービス残業になる。
しかし普段から非効率な業務をしているため効率化によって急にサービスが低下しないことが多い。
米資系は違う。普段からギリギリの人数で回しているが、どんどん効率化で人数は少なくなる。
好況の時は新しい人員来るが不況になると退職者の穴埋めはなく業務ばかりが増え、人数は減っていく。
その変化スピードは日系と比べられないほど早い。
【結果どうなるか】
人員は確実に増えない。そうすると起こるのはサービスの低下である。
米資企業は殿様商売で政治力を背景に無理矢理買わせている企業も多い。
結果サービス品質は恐ろしく低下する。
私の会社も数年著しく雇用を減らしているが一人辺りの業務量は増えている。
自分の回りでもかなり大きなシステムトラブルが以前では考えられない頻度で起こっている。
【どうすればいいか】
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
自室が母屋とは別の建物でそちらには台所もあると話したところ、こんな話になってしまった。
台所には道具も調味料も全く揃ってないし、別の建物とはいえ実家なので家族から彼氏を連れてきたと思われそうなのも何だかめんどくさい。
好きな会社→はてな、吉野家、ユーグレナなどなど。純粋にその会社を応援したいし参加したいという気分。他にも好きな会社はいっぱいあるが、上場してないところもあるので、そういうところは上場したらすぐ買おうと思っている。あと、飲食店を運営している会社の場合は必ず現場がいいところのものを買う。現場のサービスや元気がなければ買わない。それって会社全体に繋がると漠然と思っているから。あとは心が躍る内容の会社。ワクワクする会社。そういう会社を選んでいる。それって楽しい。他にも街を歩いていて気になるお店があったら上場しているか調べて買う。儲けようと下心を持って買うと儲けられない。純粋な気持ちで買うと何だか儲かっていることが多いような気がする。
うちの上司はぱっと見の印象と実際の性格や仕事のやり方が全然違う。普段はへらへらして適当で冗談が大好きで、暇さえあれば飲み会やゴルフばかり行っているように見えるし、実際飲み会やゴルフの回数は半端ではないんだけど、仕事の資料を作って「見てください」と持っていくと案外きちんと見てくれる。しかも私が休んでいるときに本社からその資料について「数字がおかしい」と指摘が入ったら私の代わりに数字を計算しなおしたうえに本社側で直した部分の確認までしてくれていた。昔経理系の部署にいたせいか、日本語の単語や固有名詞を度忘れすることはあっても、案外数字には厳しかったりする。
その上司と同じ歳でとっくに管理職になっている人もいるので、別に出世が早いわけではないけど、人脈が広いうえに、偉い人に気に入られ度が半端でないので、下手に評判の悪い管理職より強い権力を握っているのではないかと思う。うちみたいな大きな組織で何が重要かって、人脈とコミュ力と周囲の評判だ。私より少々年上なだけなんだけど、持っているものの量が果てしなく違う気がする。なんかね、自分は人脈とかコネとか作るのすごい下手くそで、別に嫌いじゃない相手にも壁を作ってしまうところがあるので、正式ルート以外の情報が入ってくるということが全然ない。非正式ルートをいっぱい持っている人、いろんなところに仲良しがいる人の情報収集能力が羨ましい。
う~ん、自分はどこで乗り遅れちゃったんだろう?確か就職して2年目ぐらいのときの上司に「いろんなところで立ち話をできる相手がいるぐらいが良いのよ」と言われたけれど、私が苦手なジャンルがまさにそこだった。ある程度人脈を持っていれば、人事異動のシーズンになるといろんな情報が飛び交ったり、「お前は今度はここだ」という話が一足早く来たりするものらしいけど、私は正式ルートで話が来るまでただただ待っているしかない。
別に出世を望んでいるわけじゃないけど、そういう情報を教えてくれたりする人がいないのがとても寂しい。あと、ある程度評価の高い人は「○○さんってどんな感じ?」などと情報提供を求められるらしいが、そういう話も来たことがない。一言でいえば「信用がない」で片づけられてしまうんだろうけど何だかなぁ…。普通に上司や同僚や先輩・後輩と仲良く働ける環境を求めて生きていたはずなのに、気が付いたら全然違うところに来てしまっている気がする。
https://togetter.com/li/1141490
コイツ何を言ってるんだYO!と思ってブコメを開いたら、全然違う角度から反論されてて、更にみんな何を言ってるんだYO!と思った。
ミソジニーだ何だと言って反論してる人たちは、この話を次のように読んだんだろう。
「男の性欲が無ければいいのに…」と女が思うことがあるかも知れないが、それは間違っている(経済が回らないから)。
確かにそうとも読めるが、あくまで作者は「性欲がない世界」を戯画化しているつもりらしいので、これは男とか女とか一方の性欲についての話ではない。だからこの読み方は間違っている。(こう読めてしまうから拙いという批判は十分に成り立つ)
改めて言うが、恐らくこの漫画が目指したのは「性欲がない世界」。だからこれは「性欲一般がなかったら(例えば)経済が成り立たない」という話だ。(恐らく)
人間が色んな活動をする上では、意識していようがいまいが、実は性欲が大きな役割を果たしている、という考え方がある。人には生まれながら性欲があるが、性欲を性欲として満たすことができないときはその欲求が抑圧され、別の形の欲求として様々な活動の原動力になる。勉強とかスポーツとか芸術とか……ていうか人間の活動殆ど全部それじゃね??という考え方だ。((もちろん、性欲という言葉で普通考えられてる現象には幅があり過ぎるので、よくよく考えると、ちゃんと定義しないといけないけど、まあいいだろ))
これは、恋愛と性欲を結びつけることにすら抵抗を感じる人には、全く受け入れられない考え方だろう。だから、そのように性欲をナイーブに扱いたい人たちは冒頭のように「誤読」してしまったのだろう。
とにかく、この漫画を描いた人はこうした考え方をもとに描いているようだ。しかし、だからといってこの漫画に問題がないわけではない。だって、みんな性欲ドリブンなのが前提なのであれば、経済がどうこうどころか、性欲なしには殆どの人間活動を想定できないから。
まあ、たぶん男の性欲が高級バーやブランドやその他諸々を支えているというのは性欲がない世界のある種の比喩として書いたんだろう。だが、比喩としても不適切だし、比喩が比喩として伝わらないのも不適切だったといえよう。
結論。誰に何を噛み砕いて伝えようとしているのかが不明なまま噛み砕くと、結局何だかよくわからない唾液まみれのものが出来上がる。
某大手百貨店の仕事(というよりはアルバイト)で、地味に一年チマチマしたお礼で1万の商品券を頂いた
最初は、仕事で使うしとレディーススーツを探したけど、ビックリする程スペースが狭い
値段無視したとしても余り良い服が見つけられなくて、次に化粧品ゾーンに行った
…あの独特の匂いは何とか堪えながら見回っても何れも敷居が高くて喪には商品を見るのすらキツいと感じだ (一人で買い物を探すのは好きだけど、綺麗な店員さんに声を掛けられると勝手に凄く劣等感を感じてしまう)
なら親祖母に父にブレゼントを!と思ったけど、親のサイズの靴や身長はデカ過ぎでなかった(父はど田舎の建築業だから、服は無縁の人だし)
良い歳したし、服ならどうや!と思っても、何か好みの服も見つからない
今や当たり前になったネットの普及、匿名性の強い2ch、はてな、Twitterを斜め読みしてると、割と煽り言葉が多い
女叩きしたいスイ~ツ(笑)やま~ん(笑)とかは、女嫌いな過去でもあるんだろなぁ位の感覚で見てたけど、
相手を罵倒するのに、これだから韓国人(中国人)は、と暴れてる人は何故なのだろう…。
でも、国や政事や歴史なんかではない、日常雑談や(マニアックなモノやアニメとか限らず)オタク雑談で相手を煽るのに
何故、突如他国の人を持ち出して断定するんだろう。
(日本語の読解出来ないなら、頭弱いとか、そっちの煽り言葉を使えば良いと思う。尤もレベルの低い罵り合い自体は不快だから見たくないんだけど)
この傾向はネットに触れる人が多くなり始めてから、どんどん目にする事が増えてきた。
多分、簡単なスラングだから右翼とか関係なく手軽に使う人が増えてきたんだと思うんだけど、それはあくまでも個人的な解釈でしかない。
後はちょっと違うけど、日本死ねとかも、園児を抱えた母親の怒りは想像できるにしろ、ここまで世間に広がり取り上げられるのが違和感
そして更にまたネットから離れるけど、50近い職場上司オッサンがアイツ(中国人韓国人)らは頭がアレだからと結構言っている
確かに、反日教育だったり日本の災害時に祭りをする様な事をする人は居る。
けど、仕事で中国に行ったり日本で採用してる働き振りを見ていたら、結構の人(接してる中国人はエリートだからだろうが)が、仕事終わりの帰宅時や休日に勉強してどんどん自己を高めてたりしていて、しかもそれを当選のようにしていて凄いと思った。そして日本の比じゃない程、家族をとても大切にしている。
こんな姿を見てたら単純に凄いとしか思えない。
後は、上記上司は日頃から社内での話とはいえ大声で客である先方をボロクソ言っている。
どうにも仕事に集中出来なくて困る。
…何だか話の主題がブレて何が言いたいか自分でも分からなくなってきたな…。
別に聖人ぶってるつもりも他国ageのつもりはなくて、単純な疑問でモヤモヤしてたため書いてみた。
最初の韓国人か?って煽りがレベル低すぎて寧ろそんな言葉を平然と言う日本人もかなり、怖い。
悪口言いたくなったらなら、チラシ紙に書いて破って焼いたりすれば良いのに…。
あと5ヶ月も経てば、三十路になる。
高卒で働き出して、転職4か5回ぐらい。ほとんど正社員としての採用だったけど、最短1週間で辞めて、とにかく長続きしなかった。
今の勤め先は3年経ったから、勤続年数は一番長い。けど、ストレスの少なさは一つ前に派遣で勤めた会社が一番で、楽しかったなと思う。
思えば中高の部活動も何一つ最後まで続かなかったので、長続きしないのはその頃からだ。
少し経ってから、本人の口から聞いたけど、「あ、やっぱり」という思いがまさって、あまりいいリアクションが取れなかった。
もちろん嬉しい。楽しみでもある。
だけど、いいリアクションを取れなかったことで、何だか自分の底というか本性が見えて嫌になった。
その後私の結婚や出産の話になったけど、部活動にしたって、仕事にしたって長続きしない私の性格上 やっぱりどっちも長続きしないんじゃないかとか
1人の人間を責任持って育てられないと思うとか 色々言い訳を考えてるうちは無理なんじゃないだろうか。
何にもやる気が持てない。
こんな感じで30代を迎えるのか。
でもここ15年で書いた小説未満の駄文は全部合わせて100行未満!
それなのにいつか小説家になれると思ったままなんだからオラワクワクすっぞ!
マジで唐突に覚醒していきなり文庫本1冊分ぐらいならアッサリしあげてそのまま芥川賞GETとか思ってるのかねオレは。
流石にいい加減現実見ろよと思うんだけど、こんなくだらん妄想でも将来に対して何か明るいビジョンを持っておかないと人生が嫌になって電車ダイブかましそうだ。
俺を発狂させないためのストッパーになるからって事で、実現する気のない夢を見続けているのかも知れないな。
夢を実現させるのが目的ではなくて、夢を見ること自体が目的となっているという歪な姿が俺の諦める理由はいくらでもあるのに諦めるとは到底思えないこの夢の正体なのか。
なんだそれ……
聞かせる奴によっては
「アドラー心理学は本当だったんだ!」
とでもほざかれそうなレベルで滑稽な手段と目的と過程と結果の逆転現象が起きてやがんな。
とはいえ
今更現実を見て現実的な夢(人生の目的・目標)を探そうとした所で、何か見つかるとも思えないな。
日本百名山制覇?
山登り自体が面白いとは思えないのでヤマノススメオタクにでもおまかせします。
軽く漫画を練習してツイッターで白ハゲ漫画描いてチヤホヤされる?
承認欲求には飢えてますが飢えてるなりにグルメですのでそういう担がれ方はちょっとね。
今更頑張ってもそんなお金が稼げるとは思えませんね。
お金稼げるように頑張る?
頑張りたくない。
安くて美味いお菓子を沢山食べる?
健康的な体づくり?
頑張りたくない。
小説家になるためにまずは本を沢山読む?
往年の名作ゲームの制覇?
ゲームも飽きてきた。
大体どれも飽きてきた。
恋?
人付き合いにももちろん飽きてる。
この人生は本当に何がしたいのか。
多分もう何もしたくないんだ。
小説家になってチヤホヤされたいってのも、人生をやりきって1人の人間分として十分な結果を出したと自分に言い聞かせたいんだと思う。
それと一度ゆっくりしてそのまま再起不能になっても問題ない程度の金を手っ取り早く手に入れたいのだろう。
人生に疲れてるんだ。
とにかく一度休みたいんだ。
いつだって結果を求められる。
休んでいる間すら、何か仕事の役に立つヒントは掴めたのかと問いただされたりする。
休み方にすら有意義であること、リフレッシュしきる事、休み明けからはバリバリと働けることが求められる。
とにかく疲れる。
休まらない。
どこまでも休まらない。
一度冬眠したい。
もしもこれが一人プレイのゲームならとっくの昔に一度セーブして別の事をやっているだろう。
レベリングに疲れたRPGや、クリア後のトロフィー集めにウンザリしたゲームからそっと距離を置くように、そこから離れて別の事をやりたい衝動でウズウズする。
もしこれが本ならば一度閉じて別の事をしているだろう。
小説家を目指してると言っておいて実際は全く書いて無い奴らしいありきたりな表現だと自分でも思うけど、表現のしかたはともかく気持ち的には本当にコレなんだ。
寝ている間は人生のことを忘れられるはずなのに、夢の中でもふとそれが夢であることに気づいた途端に自分の本体が現実に有り、そのハードウェア上で動くソフトウエアとして夢が存在しているという事実に気づいてしまう。
眠っている時間は休んでいる時間であり、それはつまり、休んでいる時間にしっかり休んで仕事等で結果を出すための準備の時間として扱われてしまうのだ。
現実でバリバリ頑張るために必要なクールダウンに過ぎない眠りの時間は、結局は現実の一部のままなのだ。
夢から醒めて現実から帰ってきたとき、再び二度寝する事も出来ないわけじゃない。
仕事場に一度電話を入れたり、そもそも休日だったりすればいいだけだ。
でもそうじゃないんだ。
二度寝して三度寝して四度寝してトイレに行って少しお腹を満たして歯を磨いて五度寝して……それを百億回繰り返してもまだ百億一度寝が出来る状態を俺は求めてるんだ。
実際に百億回二度寝がしたい訳じゃない。
無限に休んでも何ら咎められる事がない、完全に人生の時間が止まった休憩時間が欲しいんだ。
でもそんなのは手に入らない。
だけど金を沢山持ってセミリタイアをしてみせたのならそれに近いことは出来る。
でもただ金を持ってるだけじゃケツ吹く紙にしかならなくなった時に困る。
それと単に沢山金を手に入れるんじゃなくてしっかり人間社会に貢献したという形で金が欲しい。
そうじゃないと何だか納得できない。
納得できない状態で何もしなくて良くなると、自分のような弱い人間はきっと自分を苛め抜いて自滅するだろう。
たとえ金の価値が何度暴落してもそのたびに何度でも金を手にするような力が欲しい。
そんな方法として、何か自分にも出来るような物として、自分は小説家で億万長者という幼稚園児レベルの夢を見たのだろう。
小説は文章を書くだけだからもしも俺が超天才だったなら才能が覚醒さえすれば(どんな前提だ)、億万部だって楽勝に達成できる。
意味不明だ。
冷静に考えると意味不明過ぎる。
だけど意味不明な物に根拠のない自信を持つと逆に理屈が通ってる気がしてくる。
スポーツや絵と違って才能の無さを証明するのも難しいという事が一役買っている面もある。
とにかく俺には夢が必要だったんだ。
滅茶苦茶でもいい。
その夢に向けて歩もうとする気力すら無いけど、その消えかけの気力を夢が支えているんだ。
何がどうなってそんな事になっているのかもう分からんけど、俺の心はいつの間にかそういう構造になっていたようだ。
最初に言ったけど本当にこんな奴どこにでもいると思う。
とにかく休みたいという願いを持ってる奴も沢山いるだろう。
天国の話に人が惹かれるのは、そこで幸せになれることよりも、そこに行けばもう頑張らなくてよくなるからなのかも知れないな。
ただ単に頑張らなくてよくなりたいだけなら死ねばいいけど、死ねば頑張らなくてよくなった自分を観測出来なくなる。
それだけじゃない。
それを無理に捻じ曲げれば自分の中から出てくる言葉が自分をいつまでも切りつけてくるようになる。
そういったシステムから脱するには、肉体を捨てた上で観測者としての意識を残して、努力を不要とする世界に行く必要がある。
もしかしたら俺は小説家なんて目指してないで(全く書いてないくせによく言う)、神にでも祈るべきなんだろうか。
でも流石に話がうますぎるな。
小説家を目指してるせいで見え見えの作り話に見えちまうぜ。
私は、高校三年生です。
先日、模試の結果が届きました。
確実に成績が上がり、前回D判定だった大学がB判定に上がっていていたのと、初めて偏差値が70を超える教科もあり、少なからず喜びました。
しかし、結果を親に見せたところ、「この成績で第一志望に行けるの?」と言われました。良かった教科には触れられもしませんでした。
とてもショックで言葉も出ません。
褒められることを期待したことが惨めに思えました。
でもそんなことはわかっています。とても不安です。でも、すこしくらい褒めてくれてもいいんじゃないかなと思いました。
思えば、あまり褒められた記憶がありません。小学生のときも、中学生のときも、習い事も、部活動も、勉強も運動も。
親から褒められた記憶があまりないので、人からプラスの意味の形容詞を使われたとき、どう対処していいのか、わかりません。
褒められたい気持ちだけでいろいろなことを頑張っているわけではないけど、すこしは褒められたい気持ちがあるので、張り合いが無いような気がします。
私がB判定を取った大学に通い、地方公務員になった従兄弟は「すごいすごい」と褒められるのに、なぜ?と思うこともあります。
私が褒められるためには、第一志望の大学に行き、将来、商社や省官庁に勤めるしかないんですかね?
ひとつだけ言えるなら、もしこれを読んでいらっしゃる方にお子様がいらっしゃったら、ぜひ、褒めてあげてほしいです。(上から目線で申し訳ない)
褒めることの重要性は長年説かれてきていて、とても大切なことです。
「生きてるだけで褒めてくれる〜」みたいなの、ツイッターで流行ったのを思い出しました。
人はみんな頑張ってるし、社会人の方々も頑張ってる。
「よくやった」とか、「すごい」とか。
先生や友だちから言われるのも、きっと嬉しいけど、親から言われれば、もっと嬉しいだろうと思います。
該当するバンドが好きな方にとっては悪口になると思うのでご了承ください。
僕は音楽を聴き始めてこの方、基本的にロックバンドを好んで聴いていた。
中学生の通過点ともいえるアジカンから始まり、やはりバンプは高校で一度離れたり、
洋楽はやっぱりグリーンデイがスタートだったり、ロキノン系聴いてる自分カッケーになったり。
至って典型的な「一歩外れていると思いきや何だかんだ王道系」な人間だった。
基本的に大体のロックバンドは好きで、わざわざお金を払ってウォークマンに入れるほど好きでないバンドもあるけど、
大体は好意的に捉えていた。
僕は今年で23歳だけど、早くも最近のバンドに着いていけなくなってしまった。
ここでタイトルに戻る。
僕がハマれないバンドは何個かに分類されるので、書いていきたい。
援助交際とか、銀亜鉄道の夜とか、透明少女とか、売れた曲はやっぱり売れるだけの理由があって、
僕も評判通りその辺の曲は好きだけど、そうでもない曲に関してはとことん合わない。
2.甘い声のバンド
ここ最近はとにかく多い。
甘い声というと語弊があるかもしれない。
そうでないとわざわざ聞きたいって気持ちにならない。
そもそも、この辺のバンドに共通して言えるのは「女性人気が高い」という事。
やっぱり、ハマる周波数というか、その辺がやっぱり違っているんだろうか。
3.明るすぎるバンド
ここ最近で言えばWANIMAだろう。
僕はパンクバンドも好きだ。それこそ、WANIMAの師匠ともいえるハイスタだって好きだし、
その辺と何が違うのかというと、とにかく明るいのだ。
歌詞を聞いてもらえば分かる。
CMでタイアップしてるから余計に、というのもあるかもしれない。
「曲調は激しいけど歌詞は案外ウジウジしてる」要素が薄くて
受け入れるまでに時間がかかっているだけかもしれないけど。
4.ヤバTとかキュウソとか
なんでここだけ名指し?となるかもしれないが、
ヤバTあたりはちょこちょこ対象をおちょくったような曲を出す。
でもそれは内輪でのイジリ合いみたいなもんで、
許さん、絶対に許さんからなみたいなリアルガチな代物ではない。
僕が人生がうまくいってなくて、音楽にある意味救いを求めている面があるから
こんな感想になるのかもしれない。
僕としてはそんなすかしっぺみたいな軽いディスじゃなく、
勢いよく出るウンコみたいな痛快なディスを含んだ曲が好きだ。
だから「ウケる~w」みたいなリアクションを人前で取れるような曲は
イマイチ好きになれないのかもしれない。
ここまで読んでもらえれば分かるが、これは単に僕が偏屈なだけだろう。
バンドについてだからこの程度だけど、EXILE系についてとかだったら
エライ有様になってると思う。
人前では寛容でいることが重要だ。
https://www.youtube.com/watch?v=CkYHlvzW3IM
まあ炎上させてPV稼いだろ!みたいな連中も多いんだけど、それにしてもこのムービーの「夫」を責める声が多くてびっくりするよね。そら少子化するよ。
冒頭ですぐに、これが機能不全に陥ってる家族のことだって分かるわけですよ。子どもの誕生日、当日の朝、今まさに出かけようとしている「夫」に、「妻」は「ケーキ買ってきて」と言う。そして仕事中の夫に「プレゼントも!」とLINEを送る。おかしいじゃん?普通ケーキもプレゼントも予め準備しとくじゃん?当日まで夫婦がそのことを話題にしてないって、そんなのもうひどくまずい状態ですよ。
特にプレゼントは、選択の責任が発生するから重たいんだよね。だから普通の夫婦なら、話し合って決めることで責任を分担するわけじゃん。「今年は何がいいかな」「こういうのがあるんだけど」「でもそれちょっと高すぎない?」「友達の◯◯ちゃんがアレ持ってて羨ましがってた」「あー、でも全く同じものってのもなあ」云々。こういうやりとり一切なしに、当日の昼間の仕事中に、妻から夫へ一方的に「お願い!」という状態。こんな状態が居心地いいものじゃないのはわかるよね?
でさらに、この小さなエピソードから、この夫婦において育児に関する責任は妻が主導権を握って「分配」してるんだな、というのが分かる。子どもに関してこれとこれとこれをやらなきゃいけない、妻はそこから自分でやることを選び、残りを夫に振る。夫はその分配作業には全然関わっていなくて、しかし妻から振られた「仕事」はやらなきゃいけないわけ、「家族思いの優しいパパ」として。
こういう関係って割によくあると思うんだけど、夫婦お互いしんどくなりがちなのよ。妻の意識としては、「自分が育児の責任を負担している」というのが揺るぎなくあって、夫に対する不満が発生しやすい。しかし夫の側は、自分が仕事を「外注」させられているような感じで、やりがいも誇りも見出しにくい。
こういうこと書くと、「それは夫婦でちゃんと話し合わないのが問題」とか言う奴多いじゃん?でもさ、こういう夫婦間の問題を話し合いでどうにかするって殆ど無理だから。夫婦って密室で、中立な裁定者もなく、何がルールなのかも分からない果し合いで、そもそもお互いの勝利条件が全然違ってる状態ってのが良くある。
このムービーの「夫」が、例えば誕生日当日にプレゼント選択の責任を押し付けられたことに対する不満を「話し合い」で解決しようとしたらどうなるか。まず絶対に逆襲されるよね。普段私がどれだけ育児の責任を負っていると思ってるのか、あなたは普段それを助けてくれないではないか、なのにこの程度のことで文句を言うなんて......とまあ、ブコメにも頻出してる刃が次から次へと飛んでくるわけですよ。
「夫」は、本当はケーキやプレゼントのことが不満なのではないわけ。夫婦において責任が共有されずに押し付け合いになってる(妻が分配しているが、妻は自分が選び取った責任の方も、状況によっては「夫に押し付けられている」と表現することもある)状況は良くない、一緒にこれを改善していこう、と言いたい。でも実際にはそれ、ありえないくらいの交渉上手じゃないと伝えられないから。絶対入り口のところで、「何?あなたはこれしか分担してないのにまだ不満があるわけ?」となって、そのままガチャガチャして終わり、それが繰り返されて次第に無力感が学習されていく。
だからこのムービーの「夫」は、もう話そうとしていない。妻からの電話にも出ない。自分の家族が何だかすごく居心地の悪いものになっている。でもそれは随分昔のボタンの掛け違いが、少しずつ積み重なってこうなったものだ。明確に悪い人や悪いものがあって、それを取り除いたら良くなるってものでもない。どうにもならない。こういう絶望を抱いている人、絶対この国にたくさんいますよ。
でさあ、今の日本では、「これってつらいよ、つらいよね」と言うことすら許されないんでしょ?「子どもの誕生日なのに何ふてくされてるの?そんな程度の育児分担も禄にできないの?こっちの方がつらいことが分からないの?これだから男は......」でしょ?どうすりゃいいのさ。そりゃ、「一生独身でいい」「二人目はいらない」が増えますよ。
だから俺はこのムービー、現代日本社会の醜悪な一面をえぐり出したものとしては極めて秀逸だと思う。メタ的には、このムービーに対するネットの反応も、現代日本社会の醜悪な側面を正しく反映していて、そういう意味では大成功。でも、「牛乳石鹸のCM」としては最悪。「さ、洗い流そ。」の狙いは分かるけど、このムービーが描いている問題は正に石鹸じゃ洗い流せないものなのよ。何も解決しないラストを見て、胃に重いものを差し込まれたような気持ちになった。風呂場に行って牛乳石鹸を見るたびにあの気持ちを思い出すとか、もう絶対嫌。
とりあえず、近場にいる色んな夫婦の生活を密かに観察してみることにした。
「離婚しちゃったのか」
捜索開始から、いきなり出鼻をくじかれた。
だがシロクロは意外にも喜んでいる。
自信満々にそう言ったシロクロを見ながら、俺たちはため息を吐いた。
「タオナケの言うとおりだ。その結論だと、離婚するために結婚していることになってしまう」
「シロクロには難しい話かもしれないけど、離婚ってのはしないに越したことはないものだから。そんなものをゴールに据える位なら、最初から結婚なんてしなければいいって話になっちゃう」
「つまりシロクロの結論は破綻しているってこと。それに結婚した後の生活もあるなら、離婚したってその後の生活もあるだろ。だから離婚はゴールじゃないよ」
「うーん、それもそうか」
ミミセンの話をシロクロが理解できたとは思えないが、納得はしているようだ。
「次だ! 次いってみよう!」
「あそこの人たち」
「いわゆるホームレスってやつだね」
「私、聞いたことがあるんだけど、ああいう人たちを“人生終わってる”とか言ってる人もいるらしいわ」
生きているのに人生終わってるって、よっぽどのことだ。
「そうか、つまりアレがゴールだ!」
「うーん、でも皆がみんなああいった風になるわけじゃないでしょ」
それもそうか。
一見すると人生終わっているように見えるが、あれでも生きていることには変わらない。
ホームレスが例外処理できれば、ここで結論を出してしまってもよかったのになあ。
「……ひょっとして、ゴールなんてないんじゃないかな」
こういう時、割と核心をついたことを言うのがドッペルだ。
俺も何だかそんな気はしていた。
その気持ちはみんな同じだった。
けど、いつまでも見えそうで見えないゴールラインに、みんなヤキモキしていたんだ。
「そんなこと言っても、こんなに探しているのに、まるで見つからないじゃないか」
「ゴールのないレースなんて走りたくない!」
「シロクロ、僕たちはレースの話なんてしていないよ」
だが、意外にも一理ある考えだ。
シロクロは何も考えずに言ったのかもしれないが。
ゴールもなしに人は走り続けられない。
ペース配分できないからな。
「うーん……」
この時の俺たちはさしずめランナーズハイで、いつまでも走れるような心地だった。
だがそれは、そう遠くないうちに息切れすることを意味していた。
それまでに、何とか結論を欲しい。
「なんか、あそこ騒ぎが大きくなってるな」
ホームレスの溜まり場で、やたらと人が集まっている場所があった。
変装が得意なドッペルに様子を見てもらう。
服をどこで用意していたかは知らないが、たちまち風景に馴染んだ見た目になる。
しばらくすると、俺たちが思っていた以上の成果報告をもって帰ってきた。
「……どうやらホームレスの人が誰か死んだらしい。原因は分からないけれども」
死。
「となると、ゴールは死ぬってことか」
「うーん、確かにもう先はなさそうだよね」
「それとも天国とか地獄とかが実在するなら、死ぬこともゴールじゃないのかな」
「とは言っても、それは実在するか分からないしなあ。それに、もし輪廻転生とかいうのがあったりしたら、ゴールどころかスタートに戻ってるよ」
「うーん……」
俺たちは走る体力も気力もなくなっていたんだ。
皆でしばらく唸っていると、ドッペルが何かに気づいたそぶりを見せる。
自信はなさそうで、恐る恐るその可能性を口にした。
「……なんだか“ゴール”って、候補含めてロクなものじゃないよね」
発想の転換に感動した一同は、まさに答えを見つけたといわんばかりに喜ぶ。
実際は何も導けていないんだけど。
「なるほど。そう考えると、結婚をゴール扱いされるのは確かに不服かもしれない」
「私、女だけど、その考えに賛成するわ」
「カンコン! ソウサイ!」
皆も迎合する。
「きっと、このまま探し続けても有るかどうかすら分からないし、あったとしてロクなものじゃないよ。そんなものを無理して暴いても、誰も得しない」
こうして、俺たちのゴール探しは、ゴールかどうかはともかく終着には向かったのである。
ほとんどの人は地元の国立大に進学していたからなあ‥狂ったように勉強する意味はなかったなと思う。
スクールカースト上位陣は、あんな環境でも楽しそうにしていたから
図書館に忘れ物をした増田の話を読んで、昔の苦い記憶を思い出したので書く。
小学生の頃、友達数人と図書館に行っていたら、カウンターの前にお財布が落ちているのを発見した。すぐに目の前にいる司書に届けたのだが、ここでは預かれないからすぐ裏の交番へ行けとのこと。何だか大事になってきたと思いつつ、警察官に事情を説明して書類を書いている所に持ち主のおっさんが現れた。自分は持ち主がすぐに現れてよかったと、少し嬉しかったのだけれど、警察官の一言で状況が一変する。「ここにいる子達全員に謝礼を払わなくてはいけません」
最初それを聞いた時は驚いたし(そんなシステムあるのは知らなかった)正直ラッキーと思った。と同時に、おっさんには少し同情した。なにせ合計4人に謝礼を払うことになったのだから。おっさんはずーっと「あっという間の出来事だった」と繰り返していたのを今でも覚えている。あまりにも悔しそうに言うもんだから、何だか自分たちが犯罪者になったような気分になった。そんなにぶちぶち文句を言われるぐらいなら謝礼なんて受け取りたくは無かったのだけれど、当時は拒否できることも知らず、また警察官から何の説明もなかったから、非常に嫌な気持ちで謝礼の500円受け取った。帰り道謝礼金のことには全く触れずに暗い雰囲気だったから、きっと友人たちも嫌な気分だったのだろうと思う。こんな思いするなら、財布なんて届けるんじゃなかったと思ったのをよく覚えている。
今思い返してみるに、おっさんは財布が戻ってくるのは当たり前だと思っていたのではなかろうか。だから財布が見つかっても感謝の言葉もなく、謝礼を「取られた」被害者の様な気分になったから、あんなに文句を言っていたのではと思う。自分はこれからも落とし物を拾ったら届けるべきだと思うけれど、世の中の人全員がそうするわけではないということを理解しておかないといけない。もし自分が落とし物をしたとしてもなくなって当たり前、ぐらいの気持ちを持っておかないと、落とし物が見つかってもラッキーぐらいしか思わなくなりそうだ。それはラッキーなんじゃなく、親切な誰かがわざわざ持ってきてくれた事をちゃんと理解していないと、他人の善意を当たり前のように受けるだけの横柄な人間になるだろう、という自戒でした。
あ、ここでいうpixivの小説は二次創作、主に腐向け作品だと思って読んでほしい。
pixivの小説って評価が相応じゃない。とても面白くて「人に読ませる」文章なのに、ブクマ数が極端に少ないとかザラにある。
もちろん人気ジャンルかそうでないかに差があるのは分かってる。
ブクマ数が多いなって思う基準が50なら1桁は少ない。基準が100なら20前後は少ない。
私もミーハーな人間だから、ブクマ数が多い小説に手を伸ばしがちである。しかし、冒頭数文で(あっ、この人は書くのが下手だな)だと悟って読まなくなることや最後まで読んでも(何が何だか分からなかった)とブクマせずに終わることも多い。
二次創作だから下手な人がいて良い。むしろそれを排除しようなんて思ったら二次創作という文化が健全ではなくなってしまうと思う。
文章構成が上手くできていなくても、ネタが良ければブクマしたりする。二次創作だから!商業じゃないから!
でも、下手なのに面白くないのにブクマ数が多い、過大評価されている、と感じるものが多すぎるのだ。
こんなに上手いのに何故評価されないのか。作者の宣伝が足りないのか。タグ付けの問題か。
でも、pixivでは匿名っぽく小説を上げている人も多い。タグも腐向けタグとカプ名だけの人も多いし、タグを何もつけていない人も多い。そういった人たちだけが極端に評価されていないわけではないしその人たちの作品のブクマ数はむしろ多い傾向にある気がする。
では、何が下手で大して面白くもない小説がpixivで評価させてしまうのだろうか。
私としては仮説が3つほどある。
一つ目
R-18。単純にエロがあるとブクマ数は伸びる。たとえ(なんだこれめちゃくちゃだ)と感じるような文章の構成のものから、"原稿用紙の使い方"自体から間違っているようなもの、キャラクターの解釈を大きく違えているもの、でさえもR-18というだけでブクマ数は大きく伸びる。
これは人間の三大欲求に則しているから理由としては間違っていないだろう。
ただ、それだけで評価されてしまうのは気味が悪いと思ってしまうのは私だけだろうか。そうか、私だけか。
表紙がある。
pixivでは小説に表紙が設定できる。pixivの提供しているシンプルな数種類のものはもちろん自作のイラストやら写真やらを表紙にすることが可能だ。大半の書き手たちは主にpixivの提供しているものをそのまま使用している場合が多い。
その中で自分の撮った写真や同人誌の表紙よろしくフォトショ等で自らデザインしたものを表紙にしている人たちもいる。そういった人たちは小説自体に深いこだわりが多い人が多い。故にそのような表紙を使う人のブクマが伸びるのは大いに理解することができる。
大手の絵師のイラストを表紙に使っている人だ。身内だとか交流があるだとか、それは理解できるし表紙を描いてもらうのも理解できる。けれど、イラストが表紙のものは内容に関わらず初動のブクマ数が異様に多い。イラストをブクマするかのごとくブクマ数が伸びる。
これが怖いし、気持ち悪い。これで初動のブクマ数が多いためにランキング入りしてしまうのも気持ちが悪い。
もちろん絵師のイラストを表紙に使うな、とは言わないしそういうコネクションがあるのは素敵なことだろう。
しかし、内容に関わらずブクマをつける人たちには憤りがある。内容を読んでから評価しろ。
装丁は大事だ。しかし何よりも大事なのは中身である小説だ。それを読まずして評価するのは首を傾げざるを得ない。
三つ目
一度面白い作品を書いた人はそのあとも一定以上のブクマがつく、評価がされる。もちろんファンがついたということもあるのだろうが、一回面白くて上手い作品が書けたとしても、次があるかなんて分からない。しかし、内容も見ずにブクマをしている人間がいるように感じる。
これに少しばかり関連して、ブクマ数が多いものにしかブクマしない人間がいる。ブクマする理由はただブクマ数が多いから、そう言わんばかりに読む小説に傾向なく、ブクマ数だけで小説を読んでいる人間がいる。
まあ、それで"当たり"は掴みやすいんだろうけれど気に入らない。
取り敢えず、いま思いつく3つの理由を考えてみたけれど他にも理由はあるはずだろう。SSみたいな短い話だけが良いだとか、会話文多めの方が良いだとか、ギャグの方が良いだとか。
もちろんSSが悪いなんて言ってないし、会話文多めの小説を見下してるわけじゃない。ギャグの小説をシリアスな小説の下位互換だと思ってるわけでもない。
ただ、実力よりも評価数が多かったり少なかったりするpixivの小説が謎だと思うという話だ。
あと一つ、最後にもう少しだけ私の仮説を聞いてほしい。これはいろいろなところから怒られそうだから、読み飛ばしてくれてもいい。怒られること覚悟でこの仮説を示そう。
もちろん、文学作品を親しむ人間が多いのは分かる。私も実際文学作品をよく読む人間だ。オススメはオーソドックスっていうかこんなこと書いたら逆に「お前それしか読んだことないんだろ」と言われそうだが夏目漱石だ。一番好きな話はこれまたド定番にこころだ。現代の作家なら村上春樹で、鏡という話が一番好きだ。他には山田宗樹の書く話も好きだったりする。でも、彼らの書く話は「人に読ませる」文だし面白い。
少し話は脱線したがオタクは意外にも本は読まない。読んだとしてもライトノベルやマンガ・アニメのノベライズだ。そもそもオタクに限らず本を読む人間というのは少ない。自分が読んでいるからと言っても隣の人が本を読む人間とは限らない。学生時代はそれなりに嗜んだけど、今はさっぱりだという人も多いはずだ。必ず月一冊は読んでいるというだけの人間ですら探すのは難しい。
オタクが読んでいる本は、小説は、文学ではない。実は読んでいるようで、真に本を読んでいないのだ。「ライトノベルを見下しているのか!」と怒られそうだが、怒られることを覚悟で書いている。批判もどんとこいだ。ライトノベルでも面白いものもあるし上手い文もあるが、基本的には似たり寄ったりだし、何よりラノベ独自の文章の使い方がダメだ。あれはあれで文化として存在しているのだろうけれど、小説に求められているものって本当にソレなのだろうか。
又吉直樹の火花という本がある。芥川賞を受賞したあの本だ。あれは個人的には素人に毛が生えたレベルだと思っている。でも、話題になったし売れたし何故か芥川賞も獲れてしまった。
何故だとお考えだろうか?
それは"小説を読まない"人間が手を伸ばしたからだ。普段小説を読まない人間だからこそ、なんとなく「凄い」と思わせたら書き手は勝ちなのだ。小説を読まない人間というマジョリティに話題になってしまえば書き手は勝ちなのだ。
どんなに小さなジャンルであってもマンガは投稿されてなくても小説は存在しているなんてことがある。供給に飢えているオタクはそれを読む。小説を読まない人間の勘違いの「凄さ」「萌え」によって実力不相応のブクマは増えていく。
"小説を読まない"人間に評価は難しい。小説語に慣れていない人間に評価は難しい。知識が足りない人間に評価は難しい。
絵については散々文句が言えたりするオタクたちも小説の評価に慣れていない。
私は小説に対する知識と教養が少ないオタクたちがpixivの小説に対する評価を歪めていると思う。
もちろんこれは原因理由の一部であって全てではないと思うが、確かに理由だと思う。
この意見に批判があるのは覚悟しているし仕方がないと思うが、私はこれを事実だと考えている。
もしも、これを読んで必要以上に怒りに狂った人がいるならば、考えてほしい。
あなたは小説が読めるのか、と。評論が読めるのか、と。国語ができるのか、と。
なんなら、学生時代まで遡って現代文の成績を考えてみるといい。読解はできたのかと。
まあ、私の書いている文章が読めているあなたは、自分が文章を読める力があっても周りの人間は、想像以上に読解力が無かったことを思い出せるだろう。そういうことだ。
冷静に考えた上で、この意見に批判があるなら聞かせてほしい。私は純粋に不当な評価のpixiv小説が存在することが不思議なのだ。その理由が知りたい。私の考察に至らないことは沢山あるだろうし、あると思っているから臆して匿名でこの文章を書いている。でも、できればこの文章をキッカケに理由が解明されればいいと思っている。純粋に知りたいから。
さて、最後に私は何が言いたいかと言うと、pixivで人に読ませる素敵な文章かつ面白い作品を書いている人の小説が不当に評価されているという事実が悲しい。
pixivで下手な小説かつ面白くない文章が不当に評価されているという事実に憤りを感じている。
下手な小説も上手い小説も面白い小説も面白くない小説も存在していていい。それが二次創作の良さだ。
もう何年も前にあるセミナーで知り合ったAさん。関わった時間はほんのすこしだったけど、ちょっと変わっていて印象に残るキャラだったのを覚えて居る。
ふとAさんについて気になってググって見たら、数ヶ月前に他人の子供への暴行で逮捕されてた。記事からは状況がイマイチ読み取れないが、カッとなって子供の襟首をつかんで床に押し付けたり両足を持って逆さ吊りにしたりしたそうな。肩書きは自称メンタルトレーナーになっていた。
実は、Aさんについては某掲示板にヲチスレが立てられていて、あぁ何だか大変なことになって居るな、でももう付き合いないしなー。と言った感じだったのだが、まさか逮捕されるとは。
ヲチスレを見ると、Aさんはメンタルトレーナーとして自分で高額インチキセミナーを開くようになり、セミナーに来た女性と手当たり次第に肉体関係を結び、元妻に暴行を働き警察を呼ばれ、終いには「僕には龍がついて居る、僕を尊師と呼べ」みたいな突き抜け過ぎてヤバイ感じになってしまっていたようだ。どちらにせよ結局尊師にはなれなかったようだが。
自分がAさんと出会ったのも実はスピリチュアル系セミナーで、自分は原因不明の体調不良の原因を精神世界に求めようとしてたけど結局持病が見つかって服薬したら治ったので足を洗ったんだけど、まぁそれは別の話。
その頃のAさんは普通の人と比べればまぁ変わっては居たけども、何方かと言えば面白い兄ちゃんと言う印象で、宗教始めようとしたり、誰かに暴力を働いたりするモンスターになるなんて私には考えもつかなかった。
面白兄ちゃんが尊師になりたがり失敗して、他人の子供に暴力をふるって逮捕されるまでに一体何があったんだろう。Aさんの連絡先は知らないし、共通の知り合いも今はいないため、確かめる事は出来ないけれど、何とも気になる案件である。
以前のツイッターの記事にブックマークをして下さった方、ありがとうございました。
あの後、ツイッターを止めようかと思ったけど、やっぱりせっかく繋がった方がいるし止めてしまうのは寂しいと思って止めれずにいる。
でもツイート見てやっぱり嫌な気持ちになる時もある。勝手だけど自分が参加していないイベントの感想は、あまり読みたくない。
チケットが取れたとかのツイートもあまり見たくない。本当に勝手だ。
こんな事自分のツイッターでは、呟けなくていい子の自分を演じてしまう。
日記を書いてからツイッターを開かなかったけど、やっぱり気になってしまってしばらくはツイッター止められないなと思った。
やっぱり感想を知りたいって気持ちもあるし、でも自分が知りたくないような感想は、読みたくない。
ツイッターで応援してる声優さんの事を、「写真盛れてる」とかいうツイートがあって何だか嫌な気持ちになった。
これってあまりいい意味じゃないよね?色々なファンがいるのは当たり前だけど、それが許せないというか嫌になる自分も嫌だ。
でも自分のツイートにいいねしてもらえたら嬉しいし、やっぱり承認欲求があるんだな。
認めて欲しいって気持ちがあるんだよね。