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はてなキーワード: 一年とは

2024-04-30

俺が人生の中でやってきて良かったことを書いていく

追記コメントあざす。質問への回答は本文の下。

 

↓本文ここから↓ 

学生時代恋愛結婚

 学生時代から付き合っていた彼女と6年交際の末、結婚した。

 結婚後も関係性は良好で、お互い楽しく過ごせている。

 

 いま、自分地方メーカー工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業

 うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。

 

 社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリ一生懸命取り組んでいる人がちらほら。

 色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。

 だって金も時間無駄にしたくない年頃じゃない。

 

 学生時代恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。

 打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せことなんじゃないかと思う。

 

Fラン大学から国公立大学仮面浪人

 個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。

 Fラン私大国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ学費、そして友達の質。

 自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルけが一新されることに最初はとても戸惑った。

 だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。

 彼女もここでようやく手に入れた。

 変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。

 

 ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。

 修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。

 

毒親から離れた

 国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要ときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。

 俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。

 母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合い結婚

 今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分小学校に上がるタイミング家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。

 俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母掃除した家で過ごした。今でも祖母自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味祖母だ。

 祖母パート家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAO韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。

 たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。

 後は祖母執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。

 自分受験に落ちたとき、母は自分をなじった。 

 母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fラン私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。

 そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。

 

 こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。

 たとえ血を分けた肉親だろうとクズクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。

 ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。

 

就職活動に本気で取り組んだ

 国立大学とはいえ自分理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。

 今までやってきた研究就職してから行う仕事マッチング率が低く、ES面接に落ちることもしばしば。

 同期の大半が諦めて適当地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。

 そんな中、自分メーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。

 

 就活理解のある研究室ではなかったため、教授から目線は冷たかった。

 が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップアルバイト面接対策に精を出し、最後に結果を出した。

 教授努力を認められたときはとても嬉しかった。

 

 いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。

 もちろん年収能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。

 でも、いまのうちから貯金資格取得、勉強など自己啓発積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。

 

 それにしても。

 日本だけなのかわからないが、受験しろ就活しろ局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。

 でも、その大きな流れを個人が変えることは不可能

 今の日本制度に異を唱えて貴重な時間無駄にしたり努力放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。

 

・車を持たなかった

 これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。

 維持費もかかるが、なにより運転している時間無駄。その点電車バスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。

 車での移動がどうしても必要場合レンタカータクシーで十分。

 

 それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。

 丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。

 時々会社の人からバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。

 

 ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターコンバイン軽トラを所有する田舎農家

 当たり前のように生活の中に車があった。

 学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付

 そんな父の堅実な選択に、今ではとても感謝している。

 

・人の悪口を言わない、他人を変えようとしない

 超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。

 今回、こうして日記人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアル人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。

 ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネット世界だけにしてる。

 なんなら日記に書くのも初めての経験だ。

 

 年収恋愛学歴貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。

 多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくま事実として淡々発言すべき。

 間違っても他人比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。

 

 自分も時々不要一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。

 自分100%正しいと感じても、他人批評はやめた方が良い。うまく言葉説明できないのだが、批評気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。

 

 「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。

 確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。

 だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトけが残る。

 それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。

 もしこういう奴が居たら俺はそいつ発言を3割程度に受け止めるようにしている。

 

 大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。

 自分意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)

以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。

 

追記

仮面浪人時代学費について

 初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料奨学金から

 それ以外、仮面浪人時代生活費や受験にかかわる模試だとか受験費用国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金

 それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。

 

ミニ四駆好き?

 別に。俺と同じような境遇持ちでミニ四駆好きでもいたんかな。

2024-04-29

anond:20240426070102

勉強半年とか一年とかくれるんなら教科書で真面目に学ぶけど?

そんな甘い仕事なんて滅多にないからね

通勤ルートにある味と接客はいいから気に入ってた飲食店、同じ値段なのに男女でボリューム副菜の数に差がつけられていることを気のせいだと思い込もうとする努力一年かけていよいよ限界に近づいてきた(現場ネットにあげられる写真から

腹いせにドリンクだけで開店から閉店まで居座ろうかな、GWに。

2024-04-28

一年たったのでお抱えのイラストレーターの支払い1000円アップしてあげた

喜んでてかわいい

離人症サバイバー

これから書く事は、創作でも虚構でも捏造でもない。

全て私に関する本当の事だ。

匿名しか書けない事は、時として歯痒く、辛い。

だが、本名を明かして書く勇気はない。

それでもこうして書いているのは、他ならぬ私自身が救われたいと願っているからだ。

なのに私は、今はもう人を信じる事が出来ない。

救われたいと願う反面、対立する感情葛藤している。

自分一人ではどうする事も出来ないレベルに達し、ネットという不特定多数の集まる場で、見られるかどうかも分からない悲痛な叫びを上げている。

から見れば、他力本願に見えるかもしれない。

私も他人に期待したり、縋ってはいけないと思う。

けれど、そう思っていても。

ずっと苦しみに追われている。

私は疲れた。書いている今も、無性に涙が溢れそうになる。

それが、見て見ぬ振りの出来ない、紛れもない真実なのだと思う。

前置きが長くなったが、どうか私の話を聞いてやってほしい。

私は離人症であり、回避性パーソナリティ障害であるらしい。

(前者は一応診断らしきものを下されたが、後者あくまDSM診断基準を満たしているという視点である)

また、HSP気質もある。典型的な「生きづらい」タイプだと思う。

素のままでこんな話をすれば、恐らく大抵の人は困惑するだろう。

心理学精神医学を学んだ方、色々調べて知っているような方でないと、あまりピンとこないであろう症状だと思うからだ。

正直、HSPに関しては、言う事自体が一つの免罪符のように思える為に、あまり声高には言えない。もちろん、他の当事者の方について、あれこれ言うわけではない。

ともかく。自らが抱える様々な特性に、私はずっと悩まされてきた。

例えば、学校での場面。私は苦手な同級生の話をどうしても聞く事が出来ず、ずっと耳を塞いでいた事があった。

辛い情報遮断して、自分を守ろうとしていたのだと思う。

同級生には失礼極まりないし、申し訳ない事だったが。

小学生の一時期、不登校(正確には、給食が始まる前までは出席していた日もあったが、その後に早退していた)だった時もある。

あの時迎えに来てくれた母の拒絶するような、悲しげな後ろ姿。

母の後ろを申し訳なさげに歩く自分の悲しさを、今でも覚えている。

高校時代も、一年から辛かった。文字通り「死んだような顔」をした私は、上手く笑顔になれなかった。

同級生は優しい人も多かったが、結果的に馴染めず、一年持たずに中退した。その後は別の高校に入り直したが。その前後の時期が、人生の前半で一番の暗黒時代だったと思う。

母に「こんな子産むんじゃなかった」と言われたのも、この時期だ。

父は元々家族としっかり関わる人ではなく、私が普通に学校に通えない事を腹立たしく思っていた。

もっと遡れば、幼稚園時代から、私は集団に馴染むのが上手ではなかった。

どちらかと言えば、砂場で一人黙々と砂遊びをしている方が落ち着いていたように思う。

大人になった今でも、私には静かに過ごせる場所、一人になれる時間が不可欠だ。

騒がしい場所や、絶え間なく流される情報さらされるのは耐えられない。

人付き合いでも悩まされる。私は好かれているという確信がない限り、人と上手く付き合う事が出来ない。

正確に言えば、無難な付き合い(出来ていたかは自信がないが)は出来ても、必ず相手に壁を作り、相手に「堅い人」「近寄りがたい人」という印象を与えやすい。

(表面上は「優しい」と言われたり、子供に怖がられたりした事はないので、相手がどう感じるかは分からないが)

そうした特性があると、人間社会では兎角生きづらい。

何故なら、会社であれ、日常生活であれ、人と関わる場面を避ける事は困難だからだ。

あれこれ一人で考えては疲弊し、人付き合いを苦手に感じる。

完全に一人相撲、空回りだと、自分でも思っている。

今も悩み、苦しんでいる事の根底にあるのは、人間関係であるように思う。

しかし、そうした苦しみをまともに受け続けていれば、とっくに精神崩壊していただろう。

いや、もう崩壊していたのかもしれない。

その結果が、離人症からだ。

私にとって離人症フィルターは、現実ダイレクトに受けずに済ませるクッションのような働きをしている。

正確に言えば、私の頭の中にはシャボン玉の幕(カーテン)のようなものが掛かっていて、外の物事はそれを通して感じている。

故に、今一はっきりしない。かと言って、知覚出来ていないわけではない。平たく言えば、現実感がないだけだ。

かれこれ、付き合いは十数年以上になる。

たまに忘れていた現実感が戻りかける瞬間もある。

そうした時、私は敢えて「戻らなくていい」と願う。

目を覚ませば、現実直視しすぎたら、辛すぎるからだ。

かつて死にたいと強く願い、実行した事がある。

結果、死に損ねて今に至る。

死にたい気持ちが完全に消えたわけではない。浮き沈みを繰り返し、今は死ねいから生きている。

から苦しい。私は、どう生きればいい?

私がもっと子供の時に、私を理解しようとしてくれて、手を差し伸べてくれる大人がいれば。或いは違っていたのだろうか。

たらればの話をしても虚しいだけだが。そう思わずはいられない。

この投稿最後になるが、私は「ただ一人の理解者」を求めて、ネットの海を彷徨っている。

本当なら十代の頃にでもするべきだったのだろうが、前述の通り、色々有りすぎて、自分と向き合う余裕なんてなかった。

また、ネットも今よりはあまり身近に感じていなかった。

ネット上で思いを吐露するなんて発想も手段もなかった。

人を信じる事が出来ない私が救われたいなんて、身勝手だと思う。

だが、信じられなくなった経緯があるのも確かなのだ

たった一人でいい。良き友人が欲しい。勝手な願いだが、ずっと願い続けている。

こうして投稿を綴るのも、自分を救いたい願いと、誰かと繋がりたいと思う二つのいからだと思う。

こんな私に少しでも興味を抱いてくれる方がいるかは分からない。

もしもそんな優しい方がいるなら、私はその人と話してみたい。もちろん、重たくならない範囲で、だが。

私の悲しみが、いつか和らぐ事を願っている。


追記:拙い記事言及頂いた皆様、ありがとうございました。

ご指摘頂きました通り、離人症を「病名」と表記してしまったのは不適切でありました為、「症状」に訂正致しました。

投稿タイトルにつきましては、あくまで「離人症状のある」という意味合い使用しております為、原題のままに致しております

また、恥ずかしながら、はてな匿名ダイアリー礼儀作法(暗黙のルールマナー等)を詳しく理解出来ていない為、どのように回答をさせて頂けば失礼にあたらないか配慮が至らない点もございます

追記という形で恐縮ですが、この場をお借りして、お礼とお詫びを申し上げます

2024-04-27

上司休職しそう

正直言ってザマァである

元々あんまりきじゃなかった(私がとある仕事ミスを連発したため、過去の完成形のデータではなく、せめて判断基準がかかれた引継書のようなものが欲しいと言ったら、そんなものはないあったとしてもこんな初歩で間違うなら理解できないよ。経験を積んで何とかしなさいと言われた。見限った)し一年しか下にいなかったけれど、マジザマァwwwとなっている。

当時他の部署(例として営業補助課)の若手係長自分仕事ふりまくってたんだけど、その係長が転勤で元上司が後任になった。

上司の後任は別支社から転勤してきた今年度昇進した係長なんだけど、その人がきっぱり言う人で元上司が若手係長に押しつけた仕事を戻そうとしてるのをぶったぎって爽快すぎた。

過去メール確認しましたが、その仕事は元さんが若手さんに今後やるよう依頼してますよね?つまり経理でやるより営業補助でやる方が効率的だと判断したんでしょう。もちろん元さんが営業補助の仕事をした結果経理が適任だと判断したのなら、両方の仕事経験した結果ということで私も尊重しますけど、新年度早々はないでしょう。私の今の印象、仕事押し付けられてるなーです。適任だから営業補助に回したんですよね?自分がやりたくないから若手さんに押し付けたんじゃないですよね?」と総務と人事の前で社内携帯電話しててニッコリしちゃった。

早くに作った子供とすれば通用する位の年齢差の新係長押し付け作戦ことごとく失敗して、過去自分押し付けまくった仕事忙殺されて営業部長に配慮の申し出したらしいけど、適当に流されてた。

そしたらww五十過ぎのオッサンwwww体調不良で休むとww連絡してきたwwwww

数日休んでひょっこり出てきたと思ったらwww本当に急ぎの仕事以外はしてもらえておらずww押し付けてきた仕事たちはそのままwwwなぜなら元は経理仕事から営業補助の人達は分からない。若手係長は後任が元上司から仕事がわかってると判断して引継書は営業補助関連しか作成せずwww

元は経理部のヒラにヘルプを出そうとしたが新係長対応!「あ、今電話全部私がとってるんです。皆さんに名前覚えてもらいたくて!あと大丈夫ですよ、(私)さんに聞いたんですけど元さん引継書無くても完成データみれば経験からこなせる優秀な方らしいじゃないですか!私なんかは凡庸なんで引継書っていうド素人をなんとか使えるようにする底上げがあってやっとな人間なんで羨ましいですよホント!」でガチャ切り。

次の日からまた元上司休みwwwwしかも連絡してきたのはまさかまさかの~~~………嫁!!!自分www連絡しろwwwwww

公務員になって1ヶ月

20代後半の男。

転職して地方自治体職員となり1ヶ月が経過。

有給をとって連休にしたので4月の勤務は終了した。

自分転職組の先輩や同期との会話を通して感じた公務員になって良かったこと、悪かったことを紹介する。

公務員になって良かったこ

・緩い上下関係

もちろん常識的範囲での先輩や上司への言葉遣い挨拶はみんな心得ているが、前職のような厳しい上下関係はない。

お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分料理飲み物自分で取る。

ノルマがない

前職のようにカード、定期、投信ノルマを課されることはない。事務処理の締日はあるが、遡って処理できるし間に合わなかったら来月付にすれば良いだけ。

・昼休み自由

前職は昼休みでも顧客が来れば対応したし電話も出なきゃ行けなかった。外食や外出も基本禁止だった。

今は昼休み自由外食や外出できるし、窓口に人が来ようが電話が鳴ろうが昼休みなら対応しない。

有給が取りやす

部署にもよるが、基本的に先輩たちは一年から有給をほぼ使い切っていたらしい。

・先輩や上司が味方になってくれる

前職ではトラブルが起これば基本的上司顧客側に立って「お前は何をしたんだ!」って感じだった。顧客大口なら尚更である

今では怒り狂った市民が来ようが上司や先輩たちは基本的自分の側に立って「そちらに不備があったのでは?」という感じのスタンスを貫いてくれる。正直こっちにミスがあったとしてもそれを事前に報告していれば「こちらに問題はない」という態度を取ってくれる。

公務員になって悪かったこ

飲み会が多い。

盲点だった。先輩や上司は平日の真ん中でも朝まで飲んで青い顔で出勤してくることがある。痛風率高め。

残業

残業普通にある。電話や来庁者がいなくなった定時後に事務処理を集中して行うので仕方がない。ただ、自分で「この週は残業して事務仕事を片付けて、来週は定時で帰る」という様に管理できるので苦痛ではない。

前職では不祥事防止のため残業禁止支店のみんなで一斉に退社していた。事務仕事ノルマもあるので残業禁止普通にきつかった。

研修がない

前職では4月はほぼ研修だった。

必要仕事知識電話対応、全職場共通システムの扱いを一通り身につけてから支店に配属だった。

自治体基本的入庁式の直後に部署突っ込み新人も戦力にカウントして配置を行っている。初日から何もわからない状態仕事をするため、知識0で市民対応をして市民たらい回しにし怒らせてしまったり、書類同姓同名の別の市民に発送してしまミスもあった。ミスで詰めてくる上司や先輩がいないので良いが、何もわからない状態で周りと同じ仕事をしなきゃいけないのが大変。

結婚をする理由とか決め手を教えてくれないか

アラサーの男だけど同棲してる彼女結婚迫られてる

でもタイトル通り結婚に踏み切る決め手がないんすよ

.

付き合って一年半くらい

.

彼女のいいところ

・見た目がめちゃくちゃタイプスタイル

最初ヒステリック気味だったけど徐々に改善されつつある

・付き合い始めてから貯金を頑張ってるらしく、もしもの時は助けられると言われている

(体のいいことばかり言うので実際はわからんが)

.

気になるところ

・テイカ気質で与えることで幸せを感じるタイプには見えない

最初は好き好き~って感じだったが今はほとんど自分から来てくれない

セックスの相性がイマイチ彼女普通前戯あんまり効かない)

言葉では体のいいことを言うが行動が伴わない(ご飯作る!とか言って結局作らないこと多々)

自分の逃げ道を作って責任逃れしてばかり

.

気になるところばっかり思いついて悲しくなってきた

.

家事は8割方俺がやってる状態で、

彼女が飯作ってくれたことは10あるかないかという感じ

.

この状態あなたのことが大好きだから結婚してほしいと言われてるんだが、

どう考えても俺が幸せになる未来が見えないんすよ

.

俺がドロップアウトボーイで安月給のザコだから

結婚してほしいと言ってもらえることには感謝してる

.

でも俺が好きなのは彼女の見た目だけなのかもしれないと時々思ってしま

.

近々話し合う予定ではいるけど

みんなだったらどうする?てか俺はどうすべき?

世の結婚してる人はどうしてるの?

.

もうなんもわからん

陸八魔アルにパフェ奢りたい

anond:20240426204459

スゲー平凡な名字から、全国に百人もいないらしい超珍しい漢字名字になって一年目だけど、私自身は毎日ものすごく楽しいわ。

一応、渡邉渡辺みたいな、常用漢字もある系の名字から職場ではそれで通ってる。

夫の親戚に聞いたら入籍タイミングで常用の漢字に変えた人も多いっぽいけど、そんな制度があるの知らなくてこうなった。

夫は名前間違えられたり漢字ワープロで出ないのが苦痛っていうけど、私はそれも勲章って思ってる。

まじで字面珍しすぎてお役所関係手続きが遅延する上に99%カタカナになる(正式名前で書かれる書類マイナンバー免許証戸籍謄本くらい)弊害はあるから、誰彼に勧めようとは思わんし、もうすぐ生まれてくる子どもに、

まれときからこの名字で生きていくしんどさを強制してしまうのは、申し訳ないなとは思う。

それでも多分、私は子供が生まれたら、この名字を誇りに思ってほしいって伝えるよ。

って自分語りしちゃったけど、全国民佐藤さん問題ニュースみて、即効淘汰される名字なんだなーってガハハ!って感じ

2024-04-26

お金のこと相談できる人あんまりいなくてここに吐く。

資産運用方法について。

33歳。年収600万。転勤族

親共働きの準富裕層で育ち、子供にもそんな暮らし提供させたいが、転勤族のため妻は専業主婦

そのわりに私の稼ぎはしょぼく、しか副業禁止。これを資産運用でカバーしたい。

ここまで動機背景。

んで、去年時点で資産は1千万だったんだが、今年になって瞬間火力2千万になってしまった。

雰囲気で株をやっていたが、コロナの往復ビンタ戦争の往復ビンタで懲りた。-400万くらい。

かわりにオルカンにつぎ込む。先週、インド人口に期待してインドインデックスに100万NISA入れた。

現金350万円。

オルカン550万円。

インド100万円。

計1000万円。ここまでは良い。

もう一つ、ひとまず円高に向かう雰囲気を感じられるまでは、金利で儲けようと、FXを始めた。

目的金利である

金利差を得るのに、レバレッジをかけられるのってやばくね?っていう雰囲気FX口座に40万入れて1000万円分のドルを持ったのが去年。

年末で400万円(1億円分のドル持ち)になった。

1億持ったら、金利差が大体年利5%として、1億持ったら500万稼げるやん、不労所得いけるかと思い、まぁ元手40万やしとレバレッジかけて1億円分持った。

400万が一年で900万、税込800万になるんやで、年利200%や〜。

少なくとも円高傾向になるまではこの金利差もらっとこ。

って、途中で何度か狼狽売買して数百万の損をしつつも、今1000万に到達した。

堅実系資産1000万。

ギャンブル1000万。

や、どうしよこれ。さすがに1000万が0になったら有金全部溶かした顔の人になる気がする。

資産1億に到達したら、これに手をつけず5%の運用益で食ってこ〜とか思っててんけど。

聞きたいのは、金利を得るのにレバかけてもらえるのFXの他になにかあります

レバ投信ってのは、値動きに対してレバかけてるようなやつって理解で、これは長期保有すると単に不利になるのでだめ。

今は円安基調からええけどこれ変わったら瞬でしょぼーんやわ。

半額惣菜生活は癖でやめられんけど、子供できたらそっちにぶっぱしたいから、ええ感じの運用方法を知りたい。

無難オルカンに全部切り替えしかないんかなぁ。

てか5%運用益で食お〜って発想がすでに日本インフレ0%を仮定してるようなもんだよな。

働くしかないのか……

とりあえず聞きたいのは、金利にレバかけれる他の金融商品があるかどうかということ。

言い換えれば、為替変動リスクを0サムゲーム見立て場合利益期待値スワップポイント、つまり金利差となる、なら変動リスク許容さえできればレバかけるだけ差額の期待値高くなる(400万の元手レバ25倍で5%金利20%なら年末期待値800万になる)という考えが間違えてるかどうか教えて欲しい。

最初ロスカットリスクさえ越えれば、他になんかリスクあるんかね?

俺の想像を超えてくるやつがいない

職場で偉い立場やってるけど、部下の仕事を見てるとほんとつまんねーなーって思ってしま

このぐらいはやってくれるだろうという想像を超えてきてくれるやつがほとんどいない

場末零細企業から、部下って言ってもむしろ年上の人間ばかりで俺より業界経験長い人ばかりなんだけど

マニュアル通りやればできる出来映えの8割ぐらいの結果しか出してくれない

まあ一年に一回ぐらいは「お、やるじゃん」と思える仕事をしてくれる人が数人はいるけどね

 

個人がどう思おうが毎日8時間働かなくちゃいけないんだから、その中で自分の力を発揮して楽しくやればいいと思うけど

うちの会社に来るような人の「楽しく」ってのは「いかにたくさん手を抜くか」なのだろう

からうちみたいなクソ零細企業しか勤められないわけだ

悲しいね

2024-04-25

異国での失恋後のぐちゃぐちゃな感情について

2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!

4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらカオスな心境になってきた。

渦中にいるとき全体像が把握できないし、何より感情時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。

そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。

知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたこからすべては始まった。

その時になんて言われたのかを思い返してみよう。

「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」

今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」

などと言われたことを思い出し、カス元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。

実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。

ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである

元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。

コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。

ちなみに補足情報として春日外国人で、私は現在海外修士課程留学中の在外邦人である紆余曲折あって音楽趣味が合い意気投合したのが出会いだ。

慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。

春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。

春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。

私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。


そして、プロカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。

付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。

ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式賃貸契約場合ニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。

状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日不動産営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。

その頃、湖畔に弾丸キャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。

引っ越し後は、私は円安による金欠奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日ニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。

そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職春日留年して金欠外国人という最強の布陣が出来上がった。

一月頃、金欠、将来の不安引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神病み始めるが、打破するため近所のカフェバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。

私のバイト夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。

卒業必要単位も取り終わったこ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日牛丼を大層気に入り、吉野家すき屋松屋を食べ比べたのちにすき屋牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフ古本市場はしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。

日本から帰ってきたころ、私はリモート仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族問題論文プレッシャー円安制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。

一方春日は、貯金が尽きて彼の母から仕送り生活するようになった。とはいえ日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェ日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格たからえらいよね。

年末年始を彼の地元で過ごし、春日自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女コンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家活動したら?と提案したのだ。

そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである

出会った頃元気がなかった春日精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。

しか現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人メンタルおばあちゃんしかなかった。

春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。

私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語文化も違う二人が関係健康に維持するにはお互いの努力必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。

もちろん私にも落ち度はあった。私が学業資金繰り外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送り日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日イライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロ判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。

そして再び春日地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。

そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。

そもそもだって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも外国人ネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼

矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないか大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国家族に囲まれぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさら劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。

から最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。

というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通りんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。

友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。

私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス

あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスしか思えなかった。

そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家必死感情爆弾のように抱えた。

急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。

「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去あんたとの思い出も、私の存在くそ薄っぺらものになったことに悲しんでるんじゃボケままごとしてたんとちゃうカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。

家に帰ったあと、春日SNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレSNSを見るのは一種自傷行為である

一カ月間、必死自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?

異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格否定される言葉一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。

私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ

この一連の出来事のおかげで今まで出会たことのない感情たちに出会たことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなとき自己存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したこと皮肉である

また、時間が経つと不思議なことに、カオス感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。

人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペット植物筋トレ美容創作活動はいいぞ。

2024-04-24

「おまえはぜんっぜん俺を大事にしてくれない。テメーなんかいらねーよ!」

 

深夜2時。彼が小部屋の出入り口を塞ぐように仁王立ちになり、壁を叩きながら怒鳴り散らしはじめて3時間は経っていた。

生育環境から私は罵倒暴力も慣れていたため、特に慌てることも怯えることもなく無表情だったと思う。

夫婦って結構同じ事考えてるんだな、虫の声しか聞こえない閑静な住宅街に夫の怒鳴り声は響き渡ってるだろうなと思った。

 

結論から言うと離婚した。

別れを切り出されたので応じただけだが、元夫はその後別れたくないと号泣したり絶叫したり大の字になって泣いたり、義両親を使って再構築するよう一年近くかけて説得させたりした。

義両親は事情を知らないので、彼の話を鵜呑みにして私を責めた。

彼は2人になると「お前は俺を騙したんだ!」と怒鳴り散らしていたが、家族がいると萎らしくしていた。

彼は日常的に私を殴り、首を絞め、髪を引っ張っていたし、悪意ある性的暴行もされた。前戯なしに無理やり挿入されたのだ。数時間殴りながら。

俺は仕事を辞めたいのでAVソープで稼いで養ってくれ、俺の借金を肩代わりしてくれと日常的に言っていた。

好きだ好きだというので交際したが、多分彼は私のことが好きではなかったんだと思う。

初対面で「死にたい」と言い、過去の辛い記憶を背負っている彼を慰めた時、まさか自分も同じようにPTSDになるとは思っていなかった。

告白された時、がっかりした顔をさせるのが可哀想で付き合ってしまった。別れ話のたびに死ぬと言っていたから、ここまできてしまった。

 

「お前は俺の悪口ばかり周りに言いふらしてるんだ!ひどい女だ!」

なんの話をしているのかわからなかった。私は彼の愚痴や悪評を周りに聞かせたことはなかった。

後になってわかったことだが、彼は自分に都合の悪い話を全て伏せて周りに私が悪いと吹聴していた。彼の周りの人はどの人もみんな口を揃えて私が悪妻だというらしい。

でも、彼が刃傷沙汰を起こしたことは誰にも言ってなかった。事実を知った人たちは手のひらを返した。

義両親に相談したら、「親に心配なんてかけたくなかったのにおまえはひどい」と怒っていた。

いかに私が酷くて最悪か、新婚当初からずっと言っていた。気に入らないなら別れれば良いのに、別れることは許されないと絶叫していた。一生かけて俺を幸せしろと。

 

別れたら新しく殴れる女を探すと言っていた。

今にして思うと去勢してやればよかったなと思う。世の女性たち申し訳ない。

その後、私は大変大事にしてくれる人が見つかったので幸せにやっている。

2024-04-23

三井住友カード ゴールドNL)の扱いに関するメモ

三井住友カードの変更点とスケジュール

統合前のVポイントをメインポイントに設定していると思ってたけど、確認したら未設定になってたかTポイントにしておいた。これで自動で変更されるはず?

https://site2.sbisec.co.jp/ETGate/WPLETmgR001Control?OutSide=on&getFlg=on&burl=search_home&cat1=home&cat2=none&dir=info&file=home_info240322_01.html

統合前のVポイントをメインポイントに設定しているお客さまが、引き続きVポイントをメインポイントとして設定するには2024年4月28日(予定)以降にメインポイントを青と黄色のVポイントへ変更いただく必要があります

ポイントをメインポイント設定しているお客さまは、自動的に青と黄色のVポイントに切り替わります。Vポイントアッププログラムを利用したい場合は、別途お手続き必要となります。※1

対象コンビニ飲食店ポイントアップだから普段遣いしないならいらないかも?

条件3以外はやってるっぽいので、3が面倒そうならやらない

https://www.smbc-card.com/mem/for_sbi/sbi_vpoint/point.jsp

2024年5月1日(水)からの条件

上記No.10~12のVポイントを獲得するには下記条件をすべて達成する必要があります

(条件1~3については、2024年4月28日(日)(予定)からSBI証券WEBページにてお手続きできます。)

条件1

Vポイントアッププログラム対象カードをお持ちのうえSMBC ID登録すること

条件2

インポイントを青と黄色のVポイントに設定

条件3

Vポイントカード登録

条件4

三井住友カードVポイント認証(Vpass/SMBC ID登録)」の登録

10万円で0.75%を目指す。

利用期間の集計は2023年10月1日(日)~2024年9月30日(月)。前年度分かと思ってたら固定だった。

(分かりづらいところにあった https://www.smbc-card.com/nyukai/pop/details_gold_nl.jsp#pattern_a

https://www.smbc-card.com/mem/cardinfo/cardinfo4010785.jsp

10万円で0.75%を目指すために

当面は

2024年9月30日までに10万円いってるか確認する。

これ特典達成状況からだと自分の入会月基準なっちゃうんだけど9/30までの一年間の合計額を見る手段ってあるのかな。

履歴見て積立分引くしかない?だるい

はてな民って賢ぶってバカだよなってほんと痛感するのが

こういう、ちょっと文芸的なレトリックを少しでも入れた記事を書いたときの反応なんだよな。

このタイトルを見て、本文を眺めて、ラストの〆までをサラッと目でなぞれば、「ああ、このタイトルの「有害な」は制限用法か非制限用法かと謎かけをして、最後に答え合わせをしてるんだな」くらい一瞬で理解して欲しいんだけど、その程度のよくある遊びも気づけない、気づけないほど文章を全体的に把握する訓練ができてないのがここで読書ぶってインテリぶってるアホどもなんだよな。

そういうの相手に、ついつい自然にこういう文章を書いちゃうから失望けがたまる

進学校高校一年生くらいの方がお前らの何百倍も理解力は高い。

はてなより高校文芸誌に書きたい。

プロでもない大人のための進学校文芸レベルコミュニティってどっかにないのかね。

2024-04-22

復職するけどすっごい不安

うつ病は完全に治った訳じゃないけど、医者によれば復帰できるらしい

一年半もやすんだし、傷病手当も切れるから仕方ないね

またあの仕事やるのか

まあできなくはないけど、体持つかなぁ

なんか楽しみ見つけないと持たなさそう

あーお金欲しい!

でも本当は健康が欲しい

うつ病はほんと目に見えない病気から他人に優しくされにくいし、大変だね

でも復帰したいんだよ

家にいるのも暇すぎるし

しんどいけど、なんとかなるかな

コードは小分けにして1ファイル機能のみにしろ

とおもってたけど、ただいま二千行ぐらいある

一年で膨れ上がった

anond:20240422010446

登場から一年くらいはこれでもかってくらい可愛く描かれてたのに今老眼のおばちゃんみたいなんだよなあ

2024-04-21

anond:20240421232821

判例読んでるなら低価値表現一言が出てこないのがまずおかしいし、お前の言う「予防のための規制」は表現の自由論にもいくつも無数に出てくるよな

名誉毀損だって名誉が傷ついたことによる損失の予防」「それによる社会への影響の予防」の一面が肯定されているし、予防のための規制否定されてるなんてどこにも出てこない

少なくとも本読んで判例読んでる人間ではない

学部一年生でもこんなこと言わない

明らかに聞き齧りの自称法律を知ってるおじさん

なんでさっさと無知謝罪しないの?

無知だよね?ネットサーフィン知ったかぶりちょっと本読んだだけでどうして増田他者批判したの?

なんでお前の方が無知とか意味不明理屈で粘ったの?何を根拠に?

どんな気持ちで書いてるの?

具体的な説明をしない学歴詐称って誰?自分知識がないのに何を根拠にそんなこと言ってたの?何のこと?お前のことだよね?

明日の朝、「市役所辞めます」と上司に言うつもりだ

「ねぇ、増田くん、『せっかく転職したのに、こんなはずじゃなかった』って思ってない?笑」

市役所転職した1年目、6月の半ば、午後11時過ぎの市役所の3階。終電のある上司PCの電源を切り、帰宅の準備を始めていた。

営業車で事故死しないだけマシだ、ってこないだ妻に言ったら笑ってましたよ」

ハハハ、と一笑いして、その日僕らは解散した。

新卒営業職を2年やって、ワークライフバランスやらなにやらを考え、地元市役所転職した。

営業時代終電、あるいは終電後に営業車に乗って帰宅する日ばかりだったので、市役所転職すれば憧れの9時5時だと思っていたが、わずか2か月でそれがかなわぬ夢だったということを悟った。

6月の残業時間は正確には66時間だったが、翌月、別室で新人研修中に管理職に呼び出され、廊下で「申し訳ないがこれは……」と言われた。

「わかりました」と答えた。給与明細確認すると、44時間になっていた。

僕はそれからその部署にいた3年間の間、平均で60時間程度時間外勤務をしていたが、時間外勤務手当は毎月10時間申請していた。

「えっ?俺、8時以降残ったこと今まで一度もないよ」

税金関係部署に配属になった新卒ストレート同期と偶然昼飯を一緒に食べに行くことになったときに、同期がそう言ったのを今でも覚えている。(この8時というのは、たまにやる夜間の納税相談業務が終わる時間のことだ)

4年目、2部署目では課長補佐からパワハラを受けて、常に胃痛を抱えて仕事をしていた。朝食を食べても吐くので食べなくなった。

課長補佐マイクロマネジメント攻撃してくるタイプで、係長時代から担当破壊しまくっており、前々任者も、前任者も病休に追い込まれていた。

1月ぐらいに人事課に相談し、人事課の用意したカウンセラーと話をした。

「こういう時、手に職でもあれば『やめてやる!』ってなるんですけどねぇ」と僕は話した。

結局、係長課長補佐課長の3人が人事課に呼ばれて何か指導をされて終わりで、課長補佐は年度替わりに異動していった。

電話だって何を言い出すのかわからいから聞いてるのに」課長補佐が対面に座る係長に向かって、僕に聞こえるようにそう言ったのを耳にしたとき、いささか僕は驚いた。

「そうですね……前の部署で一緒に仕事をしてた外部の方と電話した後に、「なんだ今の話し方は」って言われたんですよ。相手フランクに話すのも気に入らないんでしょうね」

どんな指導が辛かったですか? とカウンセラーに尋ねられた質問の答えを、本人の口から聞けるとは思ってもいなかったからだ。

係長とはもう一年一緒にやったのだが、「自身パワハラ消極的には加担していたこと」だったり、前年度のパワハラによるデバフのかかった自分評価基準だったので、ギクシャクしたまま一年を終えた。

6年目、新しい係長自分のことを前々から買ってくださっていた方で、「前任からお前の評価を聞いてはいるが全く信用していない、一緒にいい仕事していこう」と言ってくれた。

実際、温めていた企画提案して採用されたり、ワークライフバランスも最高に良くなった。仕事終わり、料理係長と一緒にスーパーに買い物に行き、日テレ夕方ニュース番組「every」がやっている時間帰宅し、妻の帰宅を待つ日も増えた。

6月の金曜日、突如課長に呼び出された。

「隣の係に異動してきたAが来週から病休に入ることになった。申し訳ないが、来週からAと配置変換してくれないだろうか」

Aはお察し枠の人間で、配属される部署毎に病休を取っていて、下馬評も最悪だったのだが、その災禍がまさか自分に降りかかってくるとは思ってもいなかった。

ちなみに、Aと同時に異動してきた隣の係長定評のあるお察し枠で、最終的にその係長自分配置転換後、すぐに病休に入った。

係長不在の中、Aの担当していた仕事、Aが残した爆弾(やり方がわからないので手を付けてません、と付箋を貼った4月受付文書)やAが戻ってくるまで、戻ってきた後も前の係の仕事……そして最後にはコロナ対策新規事業まで自分に回ってきた。

その日以降、帰宅すれば「every」はとっくに終わっていて、帰宅すれば「ニュースZERO」が始まっているようになった。

翌年度にはAが異動して、自分は元の配置に戻してもらえるもの係長自分も思っていたのだが、結局引き取り手がいなかったため、Aは残留することになった。

課長に呼び出され「申し訳ないが、今の状況を見ればAとお前の配置を元に戻すことはできない」と言われた。

「わかりました」と答えた。

明らかに怒りに震えながら自席に戻ってきた自分心配して、皆が集まってきた。

自分を活かそうとしてくれないこんなクソ職場、辞めてやりますよ……」と言う自分係長は諫めてくれた。

7年目は部署新卒新人が来て、自分教育係となった。これは大変いい経験だった。すぐに仕事を覚え、ミスも少ない優秀な後輩だったが、仕事ストレスの症状まで自分ミラーリングしてしまい、胃痛を抱えたまま出勤し、胃薬を分け与えて二人で飲んだこともあった。

この年もAは病休を取り、未練の残る仕事をまたやらされる羽目になった。

その年、異動の内示が出たのは係長自分で、Aだけが課に残ることになった。

「なんか馬鹿馬鹿しいよな。俺たちの2年間はなんだったんだろうな」と係長タバコを吸いながら僕に言った。

「本当ですね」と僕は言った。

8年目、3部署目は現場対応から政策的なことまでなんでも取り組む部署で、それまでやってこなかった議会関係議員の”オネガイ対応もやることになった。

数人の(あるいは1人の)支持者から陳情を持ってくる議員、やっていることは議員としては正しいかもしれないが、もう少し取捨選択してくれというか、まぁいい。

12月のある日、既にその係での年数が長く翌年度異動がカタい、仕事ものすごいできる先輩が、上司に「もう今の時点で既に100時間は土日出勤している」と言ってるのを聞いてしまった。

先輩が異動したら次に「土日100時間出勤する」のが誰か、それは火を見るより明らかだった。

それから転職活動をし始めた。リクルーターに言われるがまま何十社もエントリーし、面接には8社呼んでもらい、3社最終面接まで行ったがうまくいかなかった。

3月下旬に9年目の人事異動が発表された、できる先輩は異動が決まり自分が異動希望を出していた課にパワハラ課長補佐が異動になっていた。

「あ、もうこれはだめだ」と思った。

その日の夜に応募した企業から、この水曜日内定の連絡をもらった。

「はっきり言うと、毎日何十件も応募がある中で、増田さんが選ばれるとは思ってなかったんです。増田さんの年齢で異業種、しか希望年収よりアップするなんて奇跡ですよ」とリクルーターに言われた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/844018cccc955042ff8c014db3b721c90f662f3a

ちょうど昨日の土曜日に、Yahooニュースでこんな記事が出ていた。

上司もきっとこの休みのうちにこのニュースに目を通したことだろう。

anond:20240421074650

面白いことは面白いんだが、どうしても「始めて3ヶ月の素人レギュラーになって凄い凄いと言われ、コツコツやってきた凡人はベンチで応援」って構図がキツい。

もちろん花道はいい奴だし、素人なりに頑張ってるのも分かるが、キツいものはキツい。

メガネ君も見せ場はあるとはいえ、陵南戦で見せ場が終わってるのも事実

山王戦の「この3人がいれば全国制覇夢じゃないぞ!(回想)」「2年間も待たせやがって…(現実:一人だけベンチ)」ってのはギャグでやってるんだろうかと思った。

メガネ君はまだいい方で、一時的花道の代わりに出た角田山王相手に為す術もなく、「花道あんな奴とやり合ってたのか…!」とか言ってたのは本当に泣けてくる。角田一年3ヶ月の部活動は何だったのか。

スポーツ漫画あるあるかと思ったけど、ジャンプのヒットしたスポーツ漫画だと意外と少ないんだよな。

大空翼越前リョーマ黒子テツヤ日向翔陽も競技歴は長いし。

アイシールドくらいか

コロナワクチン被害者救済は完全に不要である

コロナワクチン被害救済金が 4500万円からその1/6の780万円に減額されることになった。

これに対して批判があるようである。 確かに、減額する根拠不明であることは間違いない。

しかしおれは、ワクチン被害救済金はそもそも必要ないと思っている。 それどころか、ワクチン後遺症治療は自費で行うべきだと思っているし、 ワクチンで免ファされた人間が癌になった場合なども当然自費で治療すべきだと思っている。 なぜならば、ワクチン接種は完全に自己責任からであるワクチン自殺は、本質的にそう変わりないのだ。 今、国民の8割が自殺しました。 ただ、それだけの話である

世の中にはおかしなことを言う人がいて、 政府ワクチンの毒性を知っていたのだから 国民を騙したということになる、 だから責任をとれというのだが、 これも間違っている。 なぜならば、 ここにれっきとした反例が存在するからである。 おれがワクチンを打たなかったのは偶然ではない。 明確な理論意志を持ってワクチンを拒絶したことは、 このブログを読んできた人ならばわかるだろう。 だから、 明確な理論意志を持ってワクチンを拒絶することは可能だったわけであり、 騙されたというのはただの他責思考しかない。

では、中学生高校生はどうだろうか。 彼らは親や学校に騙されてワクチン強制されたという人がいる。 しかしこの意見にも同意しない。 なぜならば、 中学生にもなれば自分の頭で調査してワクチンを拒絶することは可能からだ。 おれが麻布中学一年生の時であれば、余裕でワクチンの毒性を看破していたと思う。 そのくらいの思考力を持たぬ人間は生きていても無駄からワクチンして死んだ方がいい。

というわけで、 真にかわいそうだと思うのは小学生やそれ以下の子供たちだけということになる。 彼らについては、親が打つといえばそれを拒否する術はなかっただろう。 結果として、日本では小学生以下の子供に対しても20%は2回まで打ち、 10%は3回まで打ってしまった。 境界知能人間割合がちょうど14%程度と言われるが、 この数値と近いのは何かの偶然だろうか、あるいは必然だろうか。

知り合いに高専卒の低学歴がいるが、 この男について本当に最悪だと思っていることは、 3人の子供に対してコロナワクチンを打たせたこであるしかもやっつけ仕事のような感じで、何の疑いもせずに作業的に打たせていた。 そういった精神性が高専野郎本質であり、それが コードにも表れているのだ。 とにかく言われたことを黙ってやる、それが高専野郎生き方である。 そうして今後もどこかで、ゴミのようなコードを書いて荒らして回るのだろうか。 彼自身3回は打ってるから、早くファされてくれることを願うばかりである

anond:20240421202410

なんか一年とか期限決めて必死こいてやってできなかったら諦めるでええんちゃう

2024-04-20

エイゴシャベレナ

こちら新一年

無事英語クラスで死亡いたしました

いわゆるガリ勉気質によりリーディングリスニングはそこそこ

ライティングは…基礎レベル

スピーキングゼロどころかマイナスでしょう

当方クラスは全て英語となっております

周囲には帰国子女ワラワラペラペラ

さあ僕の番です

何も、何も出ないのです

そしてついに口から出た言葉文法が滅茶苦茶なのはもちろん、伝えたい意味とも全く違うのです

全く、全く頭が回らないのです

必死で頭に浮かぶ言葉叫びます

言いたいことと違うのに

支離滅裂言の葉が吹き飛びます

止まることは許されません

"英語が上手くなくても良いからたくさん喋りましょう"

パニック

結局、まともなセリフひとつ吐くことが出来ませんでした

終始苦笑い帰国子女一同

まれ育ちだけでこの苦しみから逃れられた上級国民達が僕を見下しています

嘘です彼らはとても優しかったです

どうやら僕に英語は向いていなかったようです

これまでの勉強量と比べてあまりに喋れなさすぎました

才能…

これから1年間、この苦しみから逃れることはできないようです

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