はてなキーワード: デザインとは
嘘を書きすぎ。
ちなみに両方使ってるユーザーです。Pixel 5 もiPhone 13 Pro Max もXiaomiも。
コスト…iPhoneは9万でXiaomiは3万円。話にならない。
→ 自分自身の説明にも書いてますが、スペック同等だとAndroidも価格そこまで変わらない(厳密にCPUアーキテクチャ違うので評価しにくいが)
→ それは「カメラの性能」であって、「中のイメージセンサ」や「画像の変換技術」部分が違いすぎる。
→ と言いながら、別に私はiPhoneのカメラ性能は全然どっちでも良い。スペック良すぎとも思う
→ 個人的にこれは嘘。同じぐらいの作業をしてると明らかに13Pro Maxのほうが持ちがいい
(PCとWatch連携させて、動画見て、バックグラウンドで地図系の情報掴んだりさせてる・・・という普段利用状況に合わせると。特にちょっと頑張らせるとAndroidは減る速度が大きい)
ディスプレイ…発色はほぼ同等だけどXiaomiのほうが大きく見やすい。
→ 絶対これもない。iPhone 13 Pro Maxのほうが見やすい。
→ でもじゃあそれに価格差がありますか?と言われるとこれだけではなんとも
コネクタ…Lightningは不便すぎて捨てたい。USB-Cでパソコンもタブレットもスマホもイヤホンも充電できる便利さを知ってしまうと、アップルはアホかと思う。
→ よくこれ言う人居るんだけど、もうすでに家にいっぱいコードあるからもうどっちでもいい。
→ むしろUSB-CだとPCの充電に使えるレベルの給電できるコードだったりPD対応してるかだったり、チェック項目むしろ多いよ。Lightningだったら確実なんだけど。
→ iPad Proも持ってるのでUSB-Cで充電速度がまちまちやなと思う感はある。まぁ不便ではないどっちでも良い。
指紋認証…Xiaomiあり、iPhone12はなし。これも信じられない。この時代、指紋認証はあったほうがいいに決まってるじゃないか。アップルはドケチなのか、ユーザーを舐めてるのか、実装する技術がないのだろう。
→ 指紋認証に価値を覚えない。顔のほうが早いし、Androidも顔にしてる。反応が悪かったり、濡れてると使えないとかあるのでマジで指紋じゃなくていい。
→ ちなみに顔認証もApple WatchとiPhoneあれば連携してるのでマスクしてようが解除しますよ・
アプリ内購入…Xiaomi…というかAndroidはみんな電子書籍も動画もアプリ内で買える。アップルはわざわざSafari立ち上げて検索し直して買うというバカみたいな手間がかかる。アップルが頑なにアプリ内購入に3割のマージンを要求するからだ。
→ これは事実。Amazon Kindleの本を買えないのはマジでクソ。いちいちブラウザなのだけマジで苦痛。これだけでも価値はある。
デザイン…好みだがガスコンロみたいなiPhoneのカメラのデザインはクソだと思う。そしてiPhoneは画面サイズの割に重たい。軽くする技術がないのだろう。
→ これも事実。iPhone 13 Pro Maxのカメラ出っ張りすぎ。
画面分割…画面分割でYoutubeの動画を表示させ下でLINEでチャットするとかAndroidは普通に出来るが、iPhoneは無理。マルチタスクの技術がないのだろう。
→ できるよ?YouTube側の対応もあってまだできないけど技術的にはもうできる。でも正直つかわん。動画見ながらチャットとかしたかったらPCとかタブレット使えば?
ちなみに、「ウィジェット機能」「フォルダ機能」とか別にどうでもいい。Androidのほうでも使わんしiPhoneの方も殆ど使っとらん。
それのもとがAndroidだから〜って言われて、じゃあAndroidって決める理由にもならん。どっちでも使えるならどっちでも良いってことでしょ。
だってAppleの端末のほうが問題起きにくいもん。初心者も使えるし。Androidだとイレギュラーなことが起きたりカスタム前提なので。
あと明らかにゲームアプリをやっててもiPhoneのほうが動きが快適。マジでAndroidのほうがおかしくなること多い。
だから「カスタムしたい」「何でもできるようにして欲しい」「安く買いたい」ならAndroidでいい。
「なぜリベラルの声は中間層に届かないのか?」という考察記事がバズっている。保守派とリベラルのプレゼン能力の違いを分析しているものである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/toriumifujio/20211005-00261538
で、保守とリベラルのプレゼン能力の違いを端的に表している非常にわかりやすい例がある。保守に分類される自民党の公式HPと、リベラルに分類される立憲民主党の公式HPのデザインの違いだ。
まず党のロゴが右肩上がりになっている時点でいただけない。Webサイトのデザインやってる人なら常識レベルの話だが、人の目線は左上から右下に流れていくものなので、右上に流すデザインは違和感しかもたらさない。
そしてメニューの場所が分かりづらい。一昔前のフレーム形式のHP全盛期ならともかく、今はメニューを左側に置かない。普通は画面上だ。そしてメニューを開くとメニューだけで画面が占領されてそれ以外何も見れず、「今何見てたんだっけ?」という感覚になる。
また各コンテンツの使用色数が多すぎて目が痛くなる。トップページだけで20色くらい使っていて目が痛いという印象しか残らない。昔の愛生会病院のHPのほうがまだマシだ。
HPを訪れる人がどういう行動をするかをあまり考えずに、まともなプレゼン能力のない人が「言いたいこと」だけを詰め込んで作ったのだろう。
トップページに党本部の写真があるが、党名が右下下がりになるように撮影されているので、「左上から右下へ」というデザインの基本が出来ていることが分かる。
メニューの場所も分かりやすく、どこに行けば何が見れるかが分かりやすい。
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
あれってさ、松戸警察と一緒に仕事する予定だった美少女VTuberのデザインが性的でけしからん!っつって松戸市の市議会議員やってるフェミニストの人が文句言ってきたんだよね?
それに対してVTuberの運営会社だったりデザインしたイラストレーターだったりはどういう反論してるの?
「デザインが性的であるから不適切」って意見に対しては「これはこういう意図を持ってこういう理由でデザインしたから性的ではないんですよ」って言うしかなくない?
でも、どんなに調べても具体的な表現技法の話をして反論しているようには見えんのよ。
自分達は間違ったことをしていないって自信持って主張するなら、当然根拠があるのだろうし、その根拠を明らかにするべきでしょ。
一応、運営会社の社長のこのツイート(https://twitter.com/ASE_Itakura/status/1436581510274969601)が弁明のつもりなのかもしれないけど、
これって自分は女性だから女性が損するようなことをするわけないじゃないですかって言ってる?
私利私欲のために同族を売り飛ばす人間なんてごまんといるわけだし、あなたがそうでない保証はどこにもないですよね?
VTuberはVTuberの損になることは絶対にしない、仲間を売る奴なんていない、なんて誰も思ってないわけで、それと同じことでしょ?(楠栞桜みたいな人間はどこにだっている)
だいたい話し合いましょうって言ったって、自分達が何故ああいったデザインのVTuberを売り出したのかって話をしないと、向こうも議論のしようがないよ。
先に会話のキャッチボールを成立させようとしなかったのは自分達なのに、あたかも向こうが分からず屋みたいに言うのはあまりにも失礼。
何を主張しているかが全然分からないのに署名運動だの抗議活動だのに協力している人達は、一体あの会社の何に賛同してるの?
そして、この騒ぎの果てにどうなるのが望みなの?
そういう叩かれているということ自体を認知しなくて済むという意味なのか?
でも仕様に詳しくないけどブコメ内でidコールなるものをされたら嫌でも目に入るような形で通知来るんじゃないのか?
増田のトラバは「記事への言及()」という形をとってそれ以上に目に入りやすい形だから、安全地帯じゃないということなのかなあ。
でもその悩みもカスタムCSSとかで記事への言及のリンクを表示させないようにすれば解消しそうな気がするんだけども。
(いやそれ以前に記事は書くだけ書くだけで右上の「○○の日記」にはアクセスしないということを貫けばいいだけだな)
まずこの安全地帯がどういう比喩的意味合いを持っているのかが分からんわ。ネットのアクセスコントロースされてない場所に書いてる時点で叩かれる可能性は負ってるわけだし。叩かれてることに対する気づきやすさ(気づきにくいデザインのサイトの方が「安全」)の問題?
俺もブサイクなので、この際ここに書くが…顔を良くするなら整形でもするしかない。
それは身だしなみだ。
ブサイクの特徴は顔だけじゃない。髪型、服装、所持品、財布、時計などである。
髪型をなんとかしろ。ボサボサの髪は似合う人にしか似合わないし清潔感がない。マッシュルームはデブだと目立つ。目を隠すな。ブサイクだからと隠す方がもっとブサイクになる。
どうせ背負うならバックパックでも良いが、デザインを考えろ。シンプルイズベストだ。
財布をなんとかしろ。マジックテープは論外として、ボロボロの財布は嫌われる。レシートは日々抜け。
時計をなんとかしろ。付けないなら付けないでも良い。付けるならその辺の安売り980円みたいな時計は止めろ。
Gショックも今は論外だ。というか、ああいうのはアウトドアが好きな人でそれなりの体格じゃないと似合わない。それならApple Watchにしていた方が、まだ良く見られる。
会話をしろ。好感の条件は会話ができるかどうかだ。早口でまくし立てるのは止めろ。特に好きな話になると早口になるのはキモい。
好きな話だろうがゆっくりと余裕のある話し方をするだけで好感が上がる。そして相手の話は最後まで聞け、遮るな、否定するな。遮って否定するなどやるだけでお前は一生ブサイクのままだ。直せ。
笑顔を覚えろ。会話を楽しくするのは相手を笑顔にする方法だ。相手が楽しく話が出来るというのはブサイクからランクアップできるチャンスだ。
どんなにブサイクでも、やれることをやっていれば一人だろうが相手は見つかるし真っ暗でドブ臭いような腐った人生から脱却できる。
やれることをやらないで卑屈になっている奴は、生涯顔だけじゃなく内面もブサイクで終わる。
最後に
相手が自分を下に見るようなら、そいつは関わらないで良い。仮に見下しているのがなにかのきっかけで解決したとしても、そいつの本質は変わらない。
なんかiPhone13の話題でブコメが「iPhoneはオワコン」みたいになっていたのだけど、やはりそれでもiPhoneは売れるだろう。でも、個人的にはもうiPhoneを買う理由はないと思う。当方、会社支給の無印iPhone12とXiaomiのmi 11 lite 5gを持っているが、圧倒的にXiaomiがいい。iPhone7までは個人で使うのもiPhoneにしてたけど、もう自分でiPhoneを買う気はない。
コスト…iPhoneは9万でXiaomiは3万円。話にならない。
ディスプレイ…発色はほぼ同等だけどXiaomiのほうが大きく見やすい。
コネクタ…Lightningは不便すぎて捨てたい。USB-Cでパソコンもタブレットもスマホもイヤホンも充電できる便利さを知ってしまうと、アップルはアホかと思う。
指紋認証…Xiaomiあり、iPhone12はなし。これも信じられない。この時代、指紋認証はあったほうがいいに決まってるじゃないか。アップルはドケチなのか、ユーザーを舐めてるのか、実装する技術がないのだろう。
アプリ内購入…Xiaomi…というかAndroidはみんな電子書籍も動画もアプリ内で買える。アップルはわざわざSafari立ち上げて検索し直して買うというバカみたいな手間がかかる。アップルが頑なにアプリ内購入に3割のマージンを要求するからだ。
デザイン…好みだがガスコンロみたいなiPhoneのカメラのデザインはクソだと思う。そしてiPhoneは画面サイズの割に重たい。軽くする技術がないのだろう。
画面分割…画面分割でYoutubeの動画を表示させ下でLINEでチャットするとかAndroidは普通に出来るが、iPhoneは無理。マルチタスクの技術がないのだろう。
値段1/3でこれだぞ。まあそれでもiPhoneが好きな人の言い訳はあるだろうから、一つ一つ反論する。
そんなことはない。あなたのiPhoneに実装されている通知エリアもウィジェットもアプリのグループ化も全部Android発祥のUI。ジェスチャーで戻ったり実行中のアプリ一覧を出すのも、Androidでも出来るようになっている。つまりはUIはもう殆ど変わらない。要は慣れです。
・iPhoneは画面がなめらかなんだよ、Androidはカクカクだろ?
僕の使ってるXiaomiの3万円でも画面のリフレッシュレートは120Hz。iPhoneは10万超えの13でようやくそれを実装できた。もうとっくに逆転されている。
AndroidもいまはWindowsと連動する。あと、MacだろうとWindowsだろうとChromeを入れていればパスワードとか履歴とかも全部同期する。iPhoneはMacとしか連動しないだろ。ダサいよな。
確かにそれはあるが、同じくらいの値段のを買えば今は同等。ミドルクラスのAndroidでも体感上はほぼ不自由ない速さ。
人生の貴重な時間をゲームなんかに浪費するな。Kindleで本を読め。Androidならアプリ内で本が買えるぞ。iPhoneは無理だけどな。
・iPhoneは高いって言うけど、SE2なんて一括10円とかだぞ。
・できの悪いAndroidに今まであたって怖くて買えない。iPhoneは無難でいい。
それはある。Androidはひどい機種がいままで結構あった。でも今はこなれていて、そういう地雷はほぼ無いと言っていい。まあごくたまにあるけど。
・iPhoneはOSのアップデートのサポート期間が長い。Androidは2年くらいでしょ?
Androidは旧世代のOSでも最新のアプリが普通に動くので、実のところ不自由はないです。パソコンもスマホも、OSアップデートするとすぐ過去のアプリが使えなくなるアップルはクソ。マイクロソフトを少しは見習え。
・iPhoneは長持ちする。Androidはすぐ使えなくなる
今のXiaomiの前はファーウェイのP20lite使ってたけど、3年もったぞ。十分だろ。
Androidでもニアバイシェアってのがある。でも俺は陰キャなので写真の交換なんてしたことないし関係ない。
たしかケーブル一本で出来たはず。アプリのパスワードなんかは入れ直す必要あるけど、今はそう難しくないよ。一旦Androidにしちゃったら、あとはAndroid同士なら隣において移行アシスタントを起動するだけで移行ができるようになる。最初だけだ。
・iPhoneはおしゃれなケースが多い
ジョブスはiPodはケースなんてつけず裸で使うもんだと言ってたぞ。お前もアップル好きなら裸でiPhoneを使えよ。なんで「目を奪う美しさ」が売りのiPhoneにケースなんてつけるんだ。アホか。
それはドコモもauもソフトバンクも、一定数以上のiPhoneを売らないと扱わせないという、屈辱的な契約をアップルから押し付けられているからです。こんなクソみたいな傲慢企業、そろそろさよならさせてあげよう。
・みんながつかってるから
Xiaomiの個人情報漏洩問題を言ってくる人がいるが、単なる広告ブロックではないかとも言われている。今後の調査次第やね。
https://simtaro.com/news-xiaomi-deny-censorship-features-lithuania-report/
ちなみにアップルは個人情報保護にうるさいと言われているが、中国ではあっけなく当局の要請に屈して、同国内の国営企業にデータを保管させている。ダサいよな。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-05-18/QTA3AWT0G1KY01
なんで携帯でマウントとるのかって?ネットってそういうもんでしょう…我々はこうして煽り煽られの世界を生きてきたのだよ。古くはMacとWindowsを(以下略
26歳(95年生まれ)だけどオタク差別が社会、特に学校から衰潮していく様をリアルに体感したわ
小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれた
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
けいおん!がオリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
こんな感じで高校までの自分の学生時代を振り返ると、アニメが若者文化のメインストリームにめちゃくちゃ接近してきた時代だったなと思う
今の10代はもっと当たり前にアニメを消費しているので、俺もその感覚を前にすると当惑を隠せなかったりする
単純にキモい奴、暗い奴、ノリが悪い奴を陰キャ、チー牛として差別するだけ
「お前が差別されるのはオタクだからではなく、お前がキモいからだ」という時代の到来は、果たして旧来のオタクが望んだ世界だったのか疑問ではあるけど
衰微と退潮がごちゃ混ぜになって衰潮と書いてしまった……恥ずかしい……
確かに見た目のデータ項目に共通点はあるが使う処理やデータ構造は別々なんだ。それを一緒に並べると今選択しているのは何か?を調べる必要がある。その前の見せる段階からAならこうでBならこうでの分岐処理が入る。
消すなら別々の場所から。並べ替えるなら暗黙の優先順位や一度全部取り出して結合してからの並べ変えとかいろいろでてきそうですわな。
その苦労を背負って一覧で見れるようにすることがつまりは物事を良くするってことで価値があるんだが、裏側の汚さと再度触ることを考えるとうへってなっちまっていやな顔をしてしまうんだ。
作るの簡単。できたの便利。裏側きれい。が理想ではあるが一番最初に捨てやすいのは自己満足のきれいさだよね。
的外れな似た話題にデザイン重視の表示にテプラで分かりやすい表示を付け足されるってあるじゃない?俺もしゃーないとは思う。でも作った人は悲しんだり嫌な顔をしてもいいと思う。それが汚されることへの拒否表現であっても、拒否れないが感情の受け入れや決別のルーチンであっても。なんか、美しさへのお別れが必要なんだよ。
エロ漫画の作者の顔を知ってしまうと、抜けなくなるという話がある。自分は全然、抜ける。禿げたおじさんが描いたエロ本はやっぱりエネルギーに溢れているような気がするし、イケメンっぽい男性が描いた作品は現実味がありそうなところもいい。可愛いお姉さんが描いてたらもう、いうことは無い。なのに、予想だにしなかった世界で初めてこの感覚を理解してしまって、やるせないのだ。
コロナ禍に入ってから、ちょっとした趣味ができて、趣味用の品をコレクションするようになった。狭い世界のような気がしているので詳細は伏せさせてもらうが、例えば料理をする人ならちょっといい包丁、釣りを嗜む人ならこだわりの釣竿、そんな感じの品だ。
その道で知られたブランドがあって、自分も御多分に洩れずその店の品を2点ほど所持している。数万円で、買えないほど高くはないがポンポン買えるほど安くもない品々だ。でも、飛ぶように売れているらしい。「早い者勝ち」の不定期販売は、販売開始時間を知らされることのないゲリラ的な販売ばかりなので、巡り合わせを待つしかない。自分は運よく1つ手にすることができ、あと1つは先に同じ趣味にハマっていた友人から中古を譲ってもらった。
人気なだけあって、デザインも、使い心地も良い。他のブランドの品にもお気に入りがあるが、ここの品を集めてしまうコレクターの気持ちは痛いほどわかる。不定期販売を勝ち抜くには、僅かな情報を得るしかない。そこで確認するべきは、当該ブランドが運営しているTwitterおよびInstagramの投稿だ。新作を作っている気配を察知し、商品がアップされやすい週末の夜に、幾度となくオンラインショップを覗く。
問題は、このブランドを購入しようとしたら避けて通れない、TwitterとInstagramの投稿がどうにも肌に合わないということだ。「おじさん構文」と揶揄される文体があるが、「おばさん構文」とでも呼べばいいのだろうか。妙齢の女性がテンション高く書いているな、ということがありありと伝わってくる気がして辛いのだ。そして、そのツイートに群がるファンのコメントも、背中をゾワっとさせる。共感性周知かもしれない。本来は一人で十分楽しめる趣味のはずなのに、どういうわけだか馴れ合う人が多いのだ。
おじいちゃんやおばあちゃんが一生懸命やっているお店、となればなんとも気持ちの持っていきようもあるのだが、そこまででもない。(サイトでは年齢も明かされているが、伏せさせていただく)表現し難い、なんとも言えない文章なのだ。
ほんの稀に、ゲリラ販売の告知をしてくれることもあるから、Twitterを見ないというのも難しい。ほんのりとした嫌悪感ゆえに、全てを投げ出すほどまではいかない。とはいえ、ストレスは地味に溜まる。いっそ趣味を辞めたい、そんなことを思いながら今夜もTwitterを確認する。ひと昔、ふた昔前の顔文字がずらっと並んだツイートを読む。ショップページを確認する。そもそもここの店の品がそんなに素晴らしいものだったっけ、とわからなくなる。
嫌悪感を噛み締めながら立ち止まり続けているのって、ニキビを潰したくなる気持ち、瘡蓋をむいてしまいたい衝動、そういうものに似ているのかもしれないが。
ラーメン評論家の一件を見ていて思うことは、評論家なんか信じるほうがアホということ。
すごい簡単な説明で、ラーメン評論家がラーメンの味について語れない理由を証明する。
味覚というのは刺激で、繰り返すほどに慣れていくもの。
つまり評論家レベルでラーメンを食べ続けている人間の舌はすでに刺激に対して慢性的な麻痺状態にあり、絶妙な味覚の差を感じることはできない舌になっているということ。
ましてや繊細な味付けの料理を食べ比べる評論家ではなく、ラーメンにしぼった評論家なら尚更。
例えば塩分や糖分の感じ方は、その時の血中の濃度によって濃かったり薄かく感じたりする。運動直後のジュースがやたらと甘く感じるのはそのせい。
インパクト重視の濃い味付けばっかり食べてる人間の塩分や糖分の血中濃度が正常なわけがなくて、そんな人間の味覚なんてまったくもって信用に値しない。
じゃぁ評論家が何で評価するのかといわれれば、身内の評価とか店主との関係。あとは個人の好き嫌いだけ。
二郎系ラーメンばっかり食べてる高血圧糖尿豚野郎に「ぶひぶひ!おいしい!」って言われて食べたくなるか?
それなのに、自称かどうだかわからないような「評論家」の言うことを信用してしまうのはただのバカ。まじでやめたほうがいい。
翻って、自分が料理を評論するときも、おいしい、まずいの使い方は本当に気をつけたほうがいい。
でも、それを他の人に勧めとき「おいしい」って理由で勧めるのはやめたほうがいい。
例えばピーマンを嫌いな子供にしてみれば、ピーマンの苦味はまずい。
しかし、当然その苦味を好きな人間からしてみれば、ピーマンはおいしいと感じる。
つまりはどこまで行こうとも、味覚というのは個人の好き嫌いでしかなくて、それを評価である「おいしい」「まずい」で他人に伝えようとすること自体が間違いだということ。
どれだけ信用している人間から言われても、本当にそうなのかは自分で確かめてみないと絶対にわからないのだ。
これは芸術全般にも言えることで、音楽や映像、絵画、デザインやアートを「良い」「悪い」で語る人間を信用すべきではない。
そもそも評論家の意見を信用してものを買う人間が後をたたないことが問題。
今の世の中なんて、悲しいかな品質よりも宣伝がうまいものばかりが評価されてしまう。
そういう世の中で自分好みのものに出会うには、自分の好き嫌いをしっかりと認識すること。
好き嫌いで割り切って情報を眺めれば、自ずと失敗は減っていく。
今年9月24日から26日にかけて中国・北京で開催された「北京国际游戏创新大会(北京国際ゲームイノベーション会議)」の内部資料がインターネット上で流通し、議論を呼んでいる。同大会は、政府主導で年に一度開催されるカンファレンスであり、テンセントをはじめ大手ゲーム会社が参加した。ここでのプレゼンテーションに用いられた資料が、インターネット上に流出したと見られている。
話題となっている文書に含まれるのが、「ゲーム出版コンテンツレビューの要点と分析」とされる資料だ。中国総局の監査専門家、Chen Zhenyu氏による文書となっている。文書のなかでは、実際にコンテンツ規制の対象となる内容が列挙。いくつかの項目に章立てられて、禁止の対象が挙げられた。非常に多岐にわたる規制対象が挙げられているが、興味深いのは、いくつかの中国内外のコンテンツが名指しで挙げられていることである。文書に含まれる広範な内容のなかでも、特定のタイトルを挙げて規制対象が示されている部分を中心にピックアップして見てみよう。
第一の対象が、「価値観」にまつわる規制対象である。ガチャやPay to Winなど金銭至上主義のデザインや、退廃的・アウトローな世界観などが、不適切なコンテンツとして挙げられた。「プレイヤーに善悪を選択する権利を与えること」も推奨されないとされている。さらに、「日本的な二次元文化」も規制対象とされる。ここでは漫画作品「NARUTO」やスマートフォン向けアプリ『陰陽師』『アークナイツ』などが高い市場シェアをもっている例として挙げられた。
続けて価値観的に不適切なコンテンツとして挙げられるのが、「反社会的・反人間的」とされるコンテンツ。疫病による人類滅亡を目指す『Plague Inc.』や戦争シミュレーション『This War of Mine』も槍玉に挙げられている。また「耽美、耽改」と呼ばれる、いわゆるBLジャンルも取り締まりの対象とされる。さらに注目したいポイントは、「女性的に見える男性」が不適切なコンテンツとして挙げられていることだ。判断基準としては「主観的に見て性別の判断に混乱をきたすこと(説明を見ないと男性だと分からないこと)」が挙げられている。ここでは『原神』における男性の多くが女性的に描かれているとされ、ウェンティが代表例として挙げられた。
第二の対象が、「文化性」にまつわる規制対象。ここではゲームタイトルなど名称にまつわる注意や、取り扱う題材に関する規制対象が挙げられた。例の一つとしては、日本の新選組や武士道精神などは不適切なコンテンツに相当するようだ。
第三の対象が、「歴史観」にまつわる規制対象。事実を歪曲したり、センセーショナルにしたり、歴史的人物を改変することが規制対象になるという。ここでは第二次世界大戦における“悪の勢力”を美化することのほか、日本・ドイツ軍の武器・装備を使用することや軍服を使った表現、歴史上の人物への言及も挙げられた。具体例として『アズールレーン』『ブラック・サージナイト』が挙げられている。このほか『信長の野望』は軍国主義的であるとして、「他国の歴史の過度な美化」に相当するそうだ。ほか、多数の歴史的な題材についての規制が挙げられた。
そして第四の対象が、「宗教」にまつわる規制対象。宗教上の人物を不適切に引用する例として『真・女神転生IV FINAL』が挙げられた。
こうしたコンテンツにまつわる規制対象のほか、技術的要件も含め、さまざまな規制の基準が明かされた。文書で挙げられた内容のなかには、先日中国でゲーム業界団体が発表した「自主規制ガイドライン」と重複する部分もあるように感じられる(関連記事)。しかし、先述のガイドラインでは解釈の余地が残されていたのに対し、今回公開された文書ではより厳しい規制基準が設けられていることが明らかとなった。
今回明らかになった当局における規制基準の厳粛さは、中国ユーザーにとっても驚きをもって受け止められたようだ。また中国国内SNSでは、本文書にまつわる投稿がのきなみ削除されたとも伝えられている。まだ資料段階の話であるが、中国国内のコンテンツ取り締まりはますます厳しくなっていきそうだ。『原神』をはじめ人気IPも苦境を迫られる可能性があり、今後の先行きは不透明となっている。
キャラデザそのもの、キャラクターに即した私服等のデザインもシャイニーカラーズのほうが練られていると感じていましたが、言及を失念していました。
ご指摘ありがとうございます。
ミリオンライブを好んで遊んでいる人の多くが持っているであろう認識として
「客観的に見た場合キャラデザは確かに古めかしかったり地味なところがあるが、キャラの内面・性格は魅力的である」
というものがあり、これはよく言われてきました。
フェミニズムとか、オタクとか、ポリコレとか、オタク差別と萌え絵とか、そういう論点だけではくくれない。
あまりにも雑すぎる。
これ、あらゆる広告を99%引っかけることが可能な激ヤバガイドラインである。
女性に限らず男性もアウトと言うかなりヤバいものである。一番近いのは中国の表現規制である。
中国の知り合いが、「とりあえず全て引っかかる網をかけて、いいものと悪いものを勝手に決める。それが規制のやり方」
と言ってたがまさにそれ。
「男性らしさ、女性らしさと呼ばれるもの」が含まれるととりあえずアウトというかなりやばめのガイドライン集である。
しかし、「男性らしい男性広告」や「女性らしい女性広告」はあってもいいのである。
男性格闘家が戦うシーンは男性らしさに抵触するから使えない、女性のアスリートの演技は女性らしさが高確率で入るが、そのシーンもアウトである。
「女性が家事をする広告だけ」になったらそりゃ問題だろうが、女性が家事をする広告がアウトになったらアホか? って思うでしょ。
女性らしい女性、男性らしい男性は使えなくなるのである。すごい困る。
女性スポーツ選手、男性スポーツ選手、男性格闘家や女性アイドルはとりあえず使えなくなる。これは困る。
どうも、多様性を叫ぶ人の中には、「女性らしい女性」「男性らしい男性」を排除するきらいがある。それも多様性の一つであるという概念が抜けている。
じゃあ、例えば、女性芸能人とかスポーツ選手を、一枚絵のポスターに使用しようとするじゃないか。
まあ、大坂なおみを例にあげよう。
「登場人物回数が男女いずれかに偏っていませんか?」→大坂なおみの他に男性も一緒に使いましょう。
「年齢や職業など多様な男女が描かれていますか?」→大坂なおみ以外の男性、それも大坂なおみは高給取りの若い女性だから、貧乏人な年寄りのホームレスを使ってバランスを取りましょう。
「服、・持ち物の色、服のデザインが性別によって固定化されていませんか?」→大坂なおみのテニスコートウェアは女性のものだからズボン姿でないとNG。
「男性、女性で役割を決めつけていませんか? 家事・育児・介護・看護をしているのは女性だけになっていませんか?」→大坂なおみを、ピンで家事育児介護看護の広告には使えないのである。男性がやる、又は男性も入れる必要があるのだ。大坂なおみと一緒に家事ができる人って誰? それぐらいの釣り合いの取れるスポーツ選手といえば、大谷翔平ぐらいしかいないわけである。そうなると、今度は、年齢と職業が多様性を失うわけである。大坂なおみと一緒に使えるのは、年老いた貧困男性しかこのガイドラインによるとダメなのだ。
「興味を引くためだけに、外見(若さや性的側面などを)強調する表現にしていませんか?」もう、大坂なおみが使えないのである。若いスポーツ選手がスポーツしている姿、全てが使えん。テニスウェアも引っかかる。男性も含まれるという時点で、どうしていいのかわからない。ボクサーや力士なんかもアウトである。
ガイドラインというのは基本的に「そこまでバカな運用をされるはずがないだろ」と言われるのだが、だいたい逆で、そこまでバカな運用をされるのである。
「興味を引くためだけに、女性を使っていませんか?」
広告のアイキャッチに選ばれるのは、当たり前だが興味を引くためだけなので、全ての広告に女性、男性、キャラクターが使えなくなる。(”男性の起用に関しても同じことが言えます”とガイドライン中に書かれており、全て引っかかってしまうのだ)
萌え絵狙い撃ちの規定もあるわけだが、あまりにも広く網をかけた結果、萌え絵だけではなくあらゆるものがだめになっている。
萌え絵だけがヤバいのかと思ったら、大体の広告が引っかかるゲキヤバガイドラインだった。
「人格を持った多様な姿を描くようにしましょう」これ。アイキャッチに使うとなると、ほぼすべての表現が死ぬ。当然、実写も含めて。
しかも、人格のないアイキャッチと言えば、思いつくのはいらすとやである。しかし、皆使っている。となるとどうなるのか?
泣いたリ叫んだり笑ったり喜んでる絵か、もしくは何かアクションをしていればいいのか? さっぱりわからない。
つまり、どうとでも捉えられる99%、あるいは100%引っかかる謎の規定である。
昔、はじめの一歩が社会を明るくする運動で「まじめの一歩」というタイトルとともに、鴨川ジム総出のアイキャッチ広告があったのだが、このガイドラインだと、厳密に適応すると、それも引っかかるのである。
もしも上司に、こんなガイドラインを作りましたと言ったら、「ファジーで広すぎるガイドラインを作るな。バカ」と突っ返されると思う。
萌え絵だけがヤバいと思われているが、規定そのものがフワフワした観念的なものになっており、あらゆる広告を引っかけようとすると引っかかる。正直これやばくね? という感じである。
すごい。アホか。
曖昧だ曖昧だって批判する人いるけど、そもそも表現って曖昧なもんじゃないの。
漫画の編集とかに「う~んなんか違うんだよな」とか言ってボツにされても
めげずにまた試行錯誤するみたいなのを昔は美徳みたいに言ってたじゃん。
漫画の編集に作品描く前に何がOKでどうならボツになるか全部指定しろとか迫る奴いたらおかしいじゃん。
これだってデザイン案の時点での最低限の注意として出してるだけで、ラフ案いくつか出した中から行政が穏当な奴選ぶわけで
普通の企業や出版社がやってることとまるっきり同じだと思うよ。
そもそも曖昧だって言うけど、「露出が多かったり肉感的な描写は避けてください」とか書いてあったら
「じゃあ露出とは肌の何%まで出してたら露出なんだ」とか「肉感的とはスリーサイズ何cmまでなんだ」みたいな
「線引きできないなら制限すべきでない。境界線が分からない」って反論が来るんだろうけど、
君たち現実問題普通のキャラクターと萌えキャラの区別付いてるじゃん。
萌えキャラは髪の色がこうで声のトーンがこうで目の大きさは顔に対してこの比率……とか決まって無いけど
ちゃんと見分けられてるし、着衣してようがしてまいが「うーんこれはエッチ」とかちゃんとエロさも判別できてるじゃん。
自分たちが見分けられてるのにそれをすっとぼけて「普通のキャラと萌えキャラの区別が曖昧だ!」って言うのは逃げだと思うよ。
基準を細かく決めると今度は基準ギリギリまでどこまで露出できるかとか、一見基準ギリギリだけど見方によってはエロい(トラブるとかみたいに風景と合わせて見るとエロくなってる)みたいな悪ふざけのチキンレースする奴が出てくるだろうし、
そもそもわいせつ物自体の定義が曖昧だからなかなか線引き難しいんじゃ無いかな。
(※ここは前半と矛盾してるとコメントで指摘されたけど、「線引きが難しい」というより「行政で明確な文章化するのが難しい」の方が適切だったかも。訂正します)
というか曖昧と言うよりわざと幅を持たせてるんだろうし、細かい定義を求めると今より厳しくなることはあっても緩くなることは絶対無いから誰も得しないと思うんだが。
個人的には人間の手による曖昧さの方が表現の自由は保たれると思ってるけど、定義をハッキリしろって声が大きくなると最終的には日本も公共性高いところは全部(だいぶ厳しい)機械判定で判断されて締め出されるようになるのかもね。
エスカレーターに対して歩き移動を抑制する根拠はほとんどがデザインの失敗の問題であり、利用者に求める方がおかしい話だから
・メーカーは立ち乗りを推奨している
エスカレーターが利用されて何十年経ってると思ってんだ?
歩いて移動してる人が当たり前にいる現実がある中で必要な耐久性を確保してないメーカー側の無責任のツケをユーザーが払う必要がどこにある?
・片側立ちは効率が悪い
部分的には事実だが、実態とは異なってると体感では思っている。
歩行のトラフィックが半端に多い時(エスカレーター片側の運搬量より若干多い)は片側にトラフィックが集中して無駄な行列が発生しているのは事実だが、
通勤ラッシュなどの確実に混雑する状況では片側立ち+歩きの列が自然に発生しており、利用者の心理状況に応じて最適化が行われている。
片側立ちで待つのがイヤな人は待ってない。
・事故が多い
物理的には始点と終点以外は慣性が働くだけの階段だ。それでエスカレーター歩行で事故が多くなると言われても不思議なことで、
日本エレベーター協会は事故原因に占める割合が多い項目として下記の原因を挙げている。
1)手すりを持たず転倒する(両手に荷物など)。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。
5)逆走して駆け上がり(又は駆け下り)、転倒する。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。 はエスカレーター歩行が明確な原因だが、階段歩行より有意に危険なのか検討されたかを見ていない。
おそらく降順なので第三位の原因なのだろうが、大問題といえるかどうかは微妙なところだ。
めちゃくちゃ雑に類推して原因の20%だとしても、2018年調査の608件中の120件だ。
日本中の69,907台のエスカレーターで1年中利用して120件。現状でもめちゃくちゃ安全な乗り物じゃないだろうか。
イラストやらデザインやら、フリーランスの仕事で「作業が無駄になりました!」みたいなトラブル報告されているのをSNSで時折見かけるけど、自分は発注者側なんだけど特にトラブったことはないので(たぶんそれが普通)、初めての方へ依頼打診のメールする時に自分が気をつけていることを書いてみた。
署名も、会社名+苗字じゃなくて、部署名やら会社の住所やら一式あるのをつける。特にHPのない小さいプロダクションにいたときは気をつけていた。
イラスト5点。詳細は打ち合わせにて。じゃなくて、例えば月刊誌Aの企画Bに使用するモノクロの風景のイラスト5点、くらいは最低限書く。あとそれぞれのサイズなんかもできうる限り書く。
締切とか作業のスケジュールと、成果物の発表はいつごろ、販売はいつごろ、支払いはいつかも。
ちなみに、交渉されたこともないけど、自分は発注時点の金額アップ要請は受けないかな。初めは安く提示とかはしないのでアップする余地がない。場合と条件によっては一部先払いとか、支払い早めるとかは検討できる。
契約書必要な場合以外は発注書出す。ほとんどの人にいらないって言われるけど。別に欲しいって言っていいんやで?
最近はオンラインミーティングが楽にできていいよね。でもまあ今は、メールだけで平気ですって人も多い。
って感じかな。仕事経験浅い人に「これくらいは説明できるはずだから、詳細不明の依頼は気をつけようね」って参考にしてもらえればと思ったんだけど、書いてみたらマジで普通のことしかなかった。でも、知り合いに聞いてみるとこれらを満たさない打診メール、結構多いようだ。発注元の人、条件はなるたけ書いてあげた方がいいぞ…断られるなら早い方がお互い楽じゃないか。
口頭説明のが良いとか、実際に話しながら詳細を伝えたいとかいって、検討に必要な情報を最初に提示しきらなくていいとするのは発注元の怠慢だと自分は思っている。条件はメールで明確に提示できるはず。そもそも、数字や日付は文字の方がトラブルがない。ニュアンスや想いを伝えたい、相談したい。それはそのあとのお話。
ふわっとした話かけしてくる人は、一概に怪しいとは言わないけど、だいたいが時間を無駄にするだけで良い結果にならない。素敵なイラストですね!お仕事のご相談したいんですけどお電話できませんか?みたいなやつね。
あと、返信が極端に遅い人と、作業開始までに明確な金額とスケジュールを文字にしてこない案件は、信じられるところから以外は受けるかさらに慎重に判断した方がいい。(なお、この「信じる」は「この人なら絶対に大丈夫だよ!」という信頼ではなく「トラブっても仕方ないと受け入れられる」信仰である。)
発注元は確かに依頼先を選べるけれど、受注者だって発注元を選んでいい。どうしても発注元のが「偉い」という意識がある人がいるが、そこにあるのは偉い偉くないではなく、条件であって、折り合えるかどうかは双方に等しく決定権がある。はず。
発注元の人、受注者の人、これも最初に書くべきやろとかあったら補足おねがいします。