確かに見た目のデータ項目に共通点はあるが使う処理やデータ構造は別々なんだ。それを一緒に並べると今選択しているのは何か?を調べる必要がある。その前の見せる段階からAならこうでBならこうでの分岐処理が入る。
消すなら別々の場所から。並べ替えるなら暗黙の優先順位や一度全部取り出して結合してからの並べ変えとかいろいろでてきそうですわな。
その苦労を背負って一覧で見れるようにすることがつまりは物事を良くするってことで価値があるんだが、裏側の汚さと再度触ることを考えるとうへってなっちまっていやな顔をしてしまうんだ。
作るの簡単。できたの便利。裏側きれい。が理想ではあるが一番最初に捨てやすいのは自己満足のきれいさだよね。
的外れな似た話題にデザイン重視の表示にテプラで分かりやすい表示を付け足されるってあるじゃない?俺もしゃーないとは思う。でも作った人は悲しんだり嫌な顔をしてもいいと思う。それが汚されることへの拒否表現であっても、拒否れないが感情の受け入れや決別のルーチンであっても。なんか、美しさへのお別れが必要なんだよ。