まあ、そんなことを売りにする学校なんてないだろうけど、この二つの学校が偏差値同じくらいで(平和時の)進学先・就職先が同じくらいのレベルだったら愛国者様はどっちの学校に自分の子供通わせるのかなー?
人を殺すのが人間として最低の行為だとすれば、自ら最低の人間となることで、自分の人生を生きるに値しないものに変えてしまおうと考えてしまう輩がいるんだよ。
Nature(日本語) 「理化学研究所、STAP細胞論文の調査に着手」(会員登録で全文読めます)
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/stem-cells/id/news-news-140217
http://translate.google.co.jp/
http://www.utsandiego.com/news/2014/feb/23/doubts-stap-cells-knoepfler/
フランス 私たちは本当に酸で幹細胞を作り出すことができますか?
http://www.welt.de/print/die_welt/wissen/article125060033/Viel-zu-schoen-um-wahr-zu-sein.html
ただ吐き出したいだけなので、タグの一覧を見る気もない。
見辛い記事になってしまったらすまない、とだけ申し上げておこう。
さて。
傷跡にホチキスみたいのをつけられたまま。
死ねなかった。死ななかった。
そう言いながら、生きていた。
精神病院に入院した回数は、もう数えることをやめたから判らないし、日数も、全部合わせると年単位だと思う。
言っとくが、不幸自慢じゃない。こんなのより上の方はもっといっぱいいらっしゃるのを知っているし、見てきた。
それでも、私だって辛かった。
こんなのが一生続くのだと、私は前世でなにか罪を犯したのだと、そうも考えた。
そして、それを受け入れようと。
そんなことをぼんやりと考えながら、苦しいながらも辛いながらも、日々生きることに決めた。
(まぁ、実際は、何度も周りに迷惑をかけるのだけど)
数ヶ月前だ。
自分を好いてくれる人が現れた。
その人は、私より壮絶な人生を歩んでいた。
私のことを知ろうとしてくれた。私を受け入れようとしてくれた。
そして、一緒に歩もうとしてくれた。
私も、彼のことが大好きになった。
一緒にいたいと思った。
彼と一緒だったら、もう何も怖くなんてない。
どっちが言い出したのかは判らない。(というか、覚えてない)
だけど、今、私は友人たちから、「バカップル」と言われている。
現にそうだと思うし、本当に幸せだ。
長くなったけど、言いたいのは。
生きていれば、何かいいことがあるかもしれない、ということ。
私だって、こんな風になるとは思ってもみなかった。
次(来世)なんて待ってられないし、本当にあるかどうかも判らない。そも、あったとしても記憶はないだろうから、辛い思いも無になってしまう。
なら、今に賭けてもいいじゃないか。
辛ければ辛かった分だけ、いいことあるよ。
今の会社(2社目)に不満があって、隠れて始めた副業アフィリエイト。
どこが不満かと言えば、褒められもせず、ボロクソに言われても、
理不尽には慣れているつもりだったが、
出勤するのがこれほど嫌な会社は始めてだった。
彼女にも「あんなに仕事が大好きな人だったのに」と言われてしまった。
彼女だけには落ち込んだ顔は見せまいと振る舞っていたが、
電話で仕事の話をしなくなったし、何より自分への自信もなくなってしまって、
自分に自信がなくなると、人の目を見れなくなるのだと言うのを初めて経験した。
それで、せめて将来への希望が持ちたくて、無断で副業のアフィリエイトを始めた。
社内規則には書いてないが、おそらく禁止だろう。するとしても許可はいるだろうから。
専業でアフィリエイトをしている人は、
彼らのようなスーパーアフィリエイターの仲間入りを出来るかもしれない。
今の会社で耐えながら、隠れてアフィリエイトを続けようとも思っていたが、
確定申告を今日してきて、会社の人にバレないか死ぬほどビクビクしていた。
バレないように最善は尽くしたが、税務署から本当に会社に通達が行かないか不安で仕方がない。
バレてクビになったら懲戒履歴?が残るのだろうか。
こんな何かに怯えた生活は本当に辛いと思った。
ここ1年間心から笑えていない。
今の会社も社内環境はボロボロと言え、副業に力を入れている社員を置いておくのは嫌だろう。
そもそも許可を得てない訳だから。
本当なら今の会社に入った時、
と考えていた。
しかし心がズタボロになると、
どうひねって解釈しても、会社の為に働けないと思ってしまった。
私と同じような心境の人はいないだろうか
今の会社(2社目)に不満があって、隠れて始めた副業アフィリエイト。
どこが不満かと言えば、褒められもせず、ボロクソに言われても、
理不尽には慣れているつもりだったが、
出勤するのがこれほど嫌な会社は始めてだった。
彼女にも「あんなに仕事が大好きな人だったのに」と言われてしまった。
彼女だけには落ち込んだ顔は見せまいと振る舞っていたが、
電話で仕事の話をしなくなったし、何より自分への自信もなくなってしまって、
自分に自信がなくなると、人の目を見れなくなるのだと言うのを初めて経験した。
それで、せめて将来への希望が持ちたくて、無断で副業のアフィリエイトを始めた。
社内規則には書いてないが、おそらく禁止だろう。するとしても許可はいるだろうから。
専業でアフィリエイトをしている人は、
彼らのようなスーパーアフィリエイターの仲間入りを出来るかもしれない。
今の会社で耐えながら、隠れてアフィリエイトを続けようとも思っていたが、
確定申告を今日してきて、会社の人にバレないか死ぬほどビクビクしていた。
バレないように最善は尽くしたが、税務署から本当に会社に通達が行かないか不安で仕方がない。
バレてクビになったら懲戒履歴?が残るのだろうか。
こんな何かに怯えた生活は本当に辛いと思った。
ここ1年間心から笑えていない。
今の会社も社内環境はボロボロと言え、副業に力を入れている社員を置いておくのは嫌だろう。
そもそも許可を得てない訳だから。
本当なら今の会社に入った時、
と考えていた。
しかし心がズタボロになると、
どうひねって解釈しても、会社の為に働けないと思ってしまった。
私と同じような心境の人はいないだろうか
なんで国の推奨中止程度?レーシックみたいなもんなん?
http://www.asahi.com/articles/ASG2G4K7JG2GUTIL01L.html
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20140222-OYT8T00003.htm
そしたら生活保護の話をずっとやってて、へえー悪用とかもあるんだー大変だな―などと思っていたところ、
一緒に観ていた親父がテレビに向かって、
「なんで年金より生活保護の方が金額が多いんだ!こっちは真面目に働いて払ってんのに不公平だ!」
みたいに本気で怒り始めて、なんでそんなにこの人は怒っているんだろうかと。
そもそもあなたそんな年金の額がちょっと増えたぐらいで何に使うのよ。
別にうちにお金が無いわけじゃないのに服は全部ユニクロだし、車も中古の国産車だし、
何か特別お金のかかる趣味がある訳でもないじゃない。あと家のローンもとっくに、10年以上前に払い終わってるし。
だから、詳しくは知らないけど貯金は結構あるらしい。ならそんなの別にどうでもいいじゃない。
生活保護を受けてる人の人生を想像してみると、まあこれは想像でしか無いんだけどロクなもんじゃないと思う。
だってまともな職につけないどころか、パートとかすら何かしらの理由で上手くやっていけなかった訳でしょ?そうゆう人達な訳でしょ?
んで、タダで国からお金もらえるっつったって、月10万ですよ10万ちょい。海外旅行に行ける訳でも、高級レストランに通える訳でもない。
なんか、毎日が輝いた生活を送っている生活保護受給者って想像できない。
じゃあ、自分の生活は輝いてんのかって言われるとそうゆう訳でもないけど、全然悲惨ってことはなくて、
普通に働いて、収入があって、普通に飯食って、住むところがあって、たまに友達とかと遊んで。
そう考えると、まったく生活保護を受けてる人がずるいとか羨ましいとか不公平だとかいう感情が湧いてこない。
ただ単に、「ああ、かわいそうだな」って思う。「人生失敗したんだね、かわいそう」って。
此の本は歳相応に生きることが何故難しくなったのか、其の結果どんな問題が起きているかをまとめた本である。では歳相応に生きることが何故難しくなったのか。それは私達が外部の目という日本の空気=抑圧と強制力がなくなり、自由な生き方が可能になったから。が、その自由を持て余し、欲望のままに浮付いた生き方を、或いは若い頃と同じ生活スタイルと意識の生き方をしてしまうから。村社会の相互監視的社会の空気から逃れた先に新たに生まれた問題点とは、社会的適応、人間関係とアイデンティティの確立のためにコミュニケーション能力の重要性が飛躍的に上がったことによりコミュニケーション能力の自由競争についていけなかった人間が孤立を深めていってしまう点である。ではその解決方法は。筆者は暫定解として老、死を前提とした人生の再設計を行い、世代間コミュニケーションを大切にすることを説く。
人生の有限性を意識するべき、という視点には強く共感する。メメントモリ。人生は有限で、しかも若さは期間限定で永遠ではない。私達は老いて死ぬのだ。いや、老いて死ぬことすら出来ないかもしれない。今自分の身体の何処かで癌が進行していないと誰が教えてくれる?私達は普段死を目にすることはない。現在の日本社会では生の始まりと終わりは殆ど病院で起こる。しかし明日も健康である保証など何処にもない。健康寿命のタイムリミットは刻一刻と迫って居る。今日一日をどう生きるのが私にとって最善なのか、私の生きがいは何なのかを意識し、思考することの積み重ねこそが来るべき終わりをせめて受け入れやすくしてくれる手段だろう。健康寿命が終わった時にやり残した事が少しでも無いように生きたいのだ。刹那主義にならず、ニヒリズムにも陥らずにそれでも前を向いていく事は難しいが、同じ問題意識を持った者同士で支えあう事ができたら少しは生きやすくなるかもしれない。(余談だがそういう意味において私の将来のパートナーはきっと医療関係者になるのだろうな、と予想している。同世代の20代に私が感じる死への自覚と切迫感を共有できるのは死を日常的に触れる機会のある人だと思うからだ。)
コミュニケーション能力が足りない人が苦しむのと、日本の村の空気に圧迫されるのと何方が辛いだろうか。私は日本の空気による強制の方がデメリットが多いのではと思う。また昔の「歳相応」に生きた人達は私達より幸福だったのか確信は持てない。
あとサブカルチャーの章で戦後のメジャーな少年漫画一覧が挙げられて居るけど、2000年代の代表にONE PIECEが挙げられて居ないのは不思議。売上的にもトップのはず。あとさよなら絶望先生が2000年代を代表する漫画かな?いや私は大好きな作品ですけど。選定基準が知りたい。
三つ目の疑問点としてどういう経緯でこのタイトルになったのか。「若づくりうつ」という単語は殆どの読者にとって初めて見る単語のはず。実際それなりに医療系に関わっている私も初見の単語だった。造語ではないそうだが。
あと帯にオタク出身の精神科医!と書かれている割にサブカルへの言及は割と控えめだった気もする。私が帯担当だったらシロクマ先生がオタクである事を強調するんじゃなくて"ロスジェネ世代の〜"と書いたと思う。
新書を買うならイケハヤの炎上本読むより比べ物にならないくらい有意義な時間が過ごせるので皆こっちを買って感想をネットに上げてくれると嬉しいな、って。
元増田です。うん、全然不幸ではないと思います。努力もしたけれども、私はとても運が良かった。
やりたいことがやれるということに、すごく感謝しています。やれずにやめる人のほうが多い世界です。
だからこそ、どうして「隣の芝」が青く見えるのか、そこに引っかかってしまう時があるのか、と
モヤモヤするのかもしれない。
やめざるをえなかった人の分まで頑張らないといけないなとも思うのに。
それに、こちらの方が言うように(http://anond.hatelabo.jp/20140224213942)
今の状況を幸せだと満喫できるようになりたい、
そうなるにはどうすればいいのだろうと考えているのかもとも思います。