はてなキーワード: 朴裕河とは
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
→それ以降朝日新聞が大々的に取り上げる
(その後どちらも事実無根であったことを認める)
1995年 女性のためのアジア平和国民基金として6億円寄付 当時の金泳三韓国大統領は「従軍慰安婦問題に対して
2015年 裁判にて『帝国の慰安婦』が事実上の発禁処分にされる
→慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に
2016年 元慰安婦を支援するための財団に10億円拠出 『帝国の慰安婦』の著者朴裕河が裁判にて、
2016年にアメリカで発見された朝鮮人捕虜の米軍調書では当時の朝鮮人捕虜により従軍慰安婦が否定されるなど、未だに従軍慰安婦が存在していた客観的証拠や女性を性奴隷にしてという客観的証拠は見つかっていない。
日本政府はサンフランシスコ平和条約や日韓基本条約によってこの問題は解決積みであり、軍による強制連行と性奴隷はなかったと主張するが、女性の名誉と尊厳を傷つけた事に対し責任を痛感し、お詫びと反省の気持ちを表明している。
しかし、一方で韓国側は、慰安婦問題を女性の権利の問題だとし、謝罪と賠償と元慰安婦に対する謝罪の手紙を要求している。
『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河によれば、もし韓国側が慰安婦の強制連行がなかったと認めれば、それは「日本の罪を軽くすることにつながると考えている」ため、従軍慰安婦が事実ではなかったとしても、もはやそれを受け入れられる考えは韓国側には存在しない。
また、韓国は法治国家ではなく、世論によって判決が左右されることがある。日本軍による性暴力被害女性たちは、韓国だけではなく中国やフィリピンなどでも裁判を起こした。それらの裁判は二国間条約により解決積みという理由ですべてが却下された。しかし、韓国では却下されなかった。また、朴裕河も名誉毀損で判決をくだされるなど、韓国は法治国家として機能しておらず、慰安婦問題についてもまともな議論がなされていない。
韓国の反日感情は宗教のように根強いものであり、日本側がどんなに譲歩しようと、韓国と共に手を取り合う日が来るのは当分先のことだろう。
朴裕河‘ 慰安婦支援者に訴えられて THE HUFFINGTON POST 日本語版
それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由 | 朴 裕河 THE HUFFINGTON POST 日本語版
慰安婦問題から「日韓ともに売春差別への自覚を」 朴裕河教授に聞く THE HUFFINGTON POST 日本語版
【転換期の日本から】――今ふたたび「慰安婦」問題を考える[1]-[13] - 朴裕河|WEBRONZA - 朝日新聞社
「帝国の慰安婦」書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定 - 東アジアの永遠平和のために
『帝国の慰安婦』名誉毀損対象の引用目録と日本語版の表現 - 東アジアの永遠平和のために
日本軍「慰安婦」被害者の名誉毀損事件の捜査結果(ソウル東部地方検察庁 2015 . 11. 18 報道資料) - 東アジアの永遠平和のために
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク 朴裕河『帝国の慰安婦』
慰安婦ではなく慰安所の問題、明白な国家犯罪 - 東アジアの永遠平和のために
【「帝国の慰安婦」書評】感情の混乱と錯綜:「慰安婦」に対する誤ったふるい分け - 東アジアの永遠平和のために
鄭栄桓氏による朴裕河『帝国の慰安婦』書評まとめ - 東アジアの永遠平和のために
「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会: 『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について
和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判(徐京植) - 東アジアの永遠平和のために
従軍慰安婦問題を巡る常識と言論空間 | 木村幹 THE HUFFINGTON POST 日本語版
[ニュース分析] 『帝国の慰安婦』論争第2ラウンド(1/3) (2/3) (3/3) : 政治 : ハンギョレ
『帝国の慰安婦』を巡る起訴について立場表明 私は元慰安婦の名誉を毀損していません。 | 朴 裕河
帝国の慰安婦:在宅起訴の朴教授との一問一答 「起訴はちょっと予想外」 - 毎日新聞
『帝国の慰安婦』の朴裕河教授「被害女性を『売春婦扱い』したことない」(1)(2)(3) | Joongang Ilbo | 中央日報
ナヌムの家「『帝国の慰安婦』起訴批判、被害女性の苦痛知らない」=韓国 (1)(2) | Joongang Ilbo | 中央日報
「帝国の慰安婦」朴裕河教授の在宅起訴に学者ら54人抗議声明(全文)THE HUFFINGTON POST 日本語版
『帝国の慰安婦』著者の起訴に韓国知識人が反対声明 : 政治 : ハンギョレ
[インタビュー]「ハルモニたちが告訴した...弾圧とは言えない」 : 国際 : ハンギョレ
朴裕河氏の在宅起訴問題について――『ハンギョレ』インタビューの補足 : 日朝国交「正常化」と植民地支配責任
「左派的な言動主に極右を対照させる詭弁("極右の反応と全く変わりはない")は、inumash氏がkyo_ju氏に放った"ヘイトデモの参加者と同レベルの言動である"でも見た」
「極右」を「ネトウヨ」に変えました。確かにid:yoko-hiromは「極左」ではなく「バカサヨ」だと思ったので。でも「ネトウヨ」「バカサヨ」は侮蔑的なニュアンスがあるでしょ。だからできれば使いたくない。「左派」「右派」は正しい感じがしてそれも嫌い。
フレームワークを変えずに勝手に都合のいいように解釈をしてダブルスタンダードを用いる左派は、単なる「左派」ではないでしょ。左派に失礼。それを「左派的な言動主」というマイルドなニュアンスにしてるのも詭弁だよ。
こういう大人げない対応をする僕も僕だが、これ全く不毛な論点でしょ。他のブクマもそうだが、「塩村都議がクソだと塩村が受けたクソな言動が薄くなると思っているなら間違いだし」とかどういう解釈なのだろう。
右派のレベル低下もさることながら、左派のレベル低下も甚だしい。しっかりしてほしい、本当に。
またまったくの蛇足であるが、集団的自衛権の話もそうだけど、手垢まみれの右の議論に手垢まみれの左の議論で答えてたら、本当にしょうもない言論空間ができあがってしまう。
若い世代はそうだと思うけど、党派性のみで出来上がる議論にうんざりしてる。
「てか20万は韓国被害者ではなく慰安婦総数なんだが、自ら基本を誤認したままドヤ顔はどうなの。韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて、加害主体は施設運営してた韓国政権だし、色々と問題把握の根っこがおかしい。」
欧米に出回ってる誤解の説明ですよ。「20万人(主に韓国・中国人)が性奴隷にされた」という説明が多いです。あと、「中国人も入れると40万人にもなると中国人研究者は推定している」という説明をWSJでつい最近見ましたね。
「韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて」その指摘はどういう意味ですか。当然そうだろうね、という感じですが。それを否定すること僕は一切書いてないですけど。
「加害主体は施設運営してた韓国政権」最初の文に書いてあります。知ってます。だから、アメリカは関係ないと言いたいのでしょうか。韓国軍・アメリカ軍慰安婦の話になると、急に日本軍慰安婦批判のときとトーンが違ってくるのが面白いけど。
この文章に対して揚げ足取ろうとするのは左翼の人が多いのはなぜだろう。
左翼の人って「私は従軍慰安婦に対して中立的に人道を擁護する立場で客観的に見てます、知識豊富です」って自負があるから、違うフレームワーク持ってこられると批判したくなるんだろうとは思っているが、その批判によって、何を訴えたいのかよく分からない。
僕の主張は詰まるところ「欧米メディアはちゃんと報道しろ」なんだけど、この文章を「問題把握の根っこが」「左派は極右とは違う」と批判することで左翼の人たちは何を主張したいのだろう。
まさか「日本軍は韓国軍、韓国政府、アメリカ軍より酷いことをした」とか「だから日本軍の方が悪いから、文句言うな」とか「米軍慰安婦は報道するに値しない」とかそういうことなんだろうか。
「↓誰も言及しないが、この「米軍慰安婦」と「日本軍慰安婦」には大きな違いがある。日本軍慰安婦制度は自国民(日本民族)だけでなく植民地や占領地の女性に売春を強制したという特殊性がある。」
これは正しい視点ですね。つまり、日本軍慰安婦は「自国」と「敵国」で慰安婦制度を利用したということです。
ただ「自国民(日本民族)だけでなく植民地」というところがやはり違うと僕は思います。「日本民族」という概念をここで持ってきていますが、それは単一民族を謳う戦後右翼的概念であり、なんか皮肉だなぁと思います。
「自国」「他国」の区分で言えば、植民地(韓国・台湾)は自国に入り、占領地は他国に入ります。この論点は朴裕河の指摘です。
例えば「日本軍慰安婦」と言った時に、韓国での事例と、インドネシアやフィリピンなどの事例を切り分ける必要があると思います。
それは「自国」「敵国」の違い、地域による事例の違い、未解決かどうかの違いという意味で切り分けるべきだからです。(韓国のみがアジア女性基金を拒絶した事実をここでは確認しておきます)
朴裕河の指摘も同じように、自国民を慰安婦にした事例と、敵国を慰安婦にした事例を切り分けて把握すべきだ、というものです。だからこそ、「韓国人慰安婦はいわば同志的関係」という表現を使った訳ですが、誤解によって大バッシングを今韓国で受けています。彼女は米軍慰安婦の人権侵害も早くから指摘しています。と、ここまで書いたところで、そういえば朴裕河もやはり左翼から批判されることの方が多いなと思いました。
なので、日本軍慰安婦を語るときに「韓国における」という言葉をつけるか、つけないかは大事な点だと思います。白馬事件などと韓国の慰安婦制度をごちゃまぜにされた議論を海外のネットでも日本でもよく目にするので。
韓国で米軍基地村でアメリカ兵相手にサービスを強制されたとして元「米軍慰安婦」の韓国人122人が韓国政府を訴えたというニュースから一週間が経つ。
これは慰安婦問題におけるターニングポイントとなりうる衝撃かつ重要なニュースでもあり、
韓国メディアはその後の続報はないものの、訴訟会見の模様を伝えたメディアも予想以上に多く、また日本も主要新聞を始めとしてこのニュースを伝えた。
では、ここ最近、「歴史を否定しようとしている」と日本の慰安婦問題の対応に対する批判を繰り返している欧米メディアはどう伝えただろうか。
今年、朴槿恵との会談でオバマ大統領が慰安婦について「筆舌に尽くしがたい人権侵害」と触れていたが
この米軍慰安婦訴訟は慰安婦問題がアメリカも傍観者ではなく当事者の立場であることを示す極めて重要なケースであると思われる。(朝鮮戦争時の国連軍・韓国軍慰安婦については言うまでもない)
しかし、一週間経った現在、米軍慰安婦訴訟を報じた欧米メディアはゼロである。英語メディアとしても報道しているところはない。
正確に言えば、朝日新聞の英語版がこの事件を簡略に訳し報じており、朝日新聞英語版をソースにしてRT(反米ロシアメディア)が報じている。それのみだ。検索漏れもありうるのであるのなら教えてほしい。
確実に言えるのは、この問題を大きく扱おうという意志は欧米メディアにはないということだ。
欧米メディアは「人権侵害を認めよ」と強い態度で日本を批判しつづけてきたが、自分たちに振りかかる問題、あるいは「日本の残虐行為」というフレームワークから外れた事件に関しては全く報じないということだ。
これは戦略的に報じてないとか、圧力がかかっているということも当然陰謀論抜きで考えられるし、単にこの「米軍慰安婦」が何を意味するのか掴みきれていないということも考えられる(その確率が高いと僕は考えている)。
何しろ、欧米メディアの慰安婦の捉え方というのははっきり言ってバイアスがかかっていて、韓国の研究者でさえ否定する「20万人の主に韓国人が日本軍によって強制的に性奴隷にされた」という情報を伝えているところが多数であるからだ。
背景は色々考えられるが、いずれにしろ、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったことには変わりはない。
僕は、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったという事実だけで軽蔑に値すると思う。いずれの段階で報じざるをえないかもしれないが、このまま黙殺されて終わりということもありうる。
8月にはローマ法王が元慰安婦と会うことが決まっているので、その際にはまたBBC、CNNをはじめとして日本批判が大量になされるのだろうと思う。
さて、という訳で海外の報道がほとんどないので、「海外の反応」なるものは伝えられない。
ただRedditに朝日新聞英語版をソースにしたスレが立っていたので、紹介したい。
http://www.reddit.com/r/worldnews/comments/29dia6/former_korean_comfort_women_serving_us_military/
こいつは単にアメリカは悪くないって言いたいだけの奴だろうけど、なんとなく感覚はつかめるだろう
"Just voluntary prostitution with a bad pimp. Different from kidnapping people"という感想がぱっと出てくる。RTのコメント欄にもあったが、自分たちのことになると、急に橋下徹みたいなことを言いだすようだ。
また、これを見て分かるのは、「狭義の強制」「広義の強制」というのは、日本特有の議論ではないということだ。Kidnappingしてるかしてないかは重要な論点でもあるということだ。
おそらく、米軍慰安婦がこの先もしアメリカで議論が深まるとしたら、このコメンテイターのように当然「日本軍がやったのとは違う」「米軍は悪くない」という言説が出てくるだろう。
"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いないのだが、「日本みたいに軍が人さらいしてない」という言い訳が出てくると考えられる。
この米軍慰安婦訴訟によって、黙殺されてきた米軍・韓国軍慰安婦の人権侵害に目を向けられるという予想はあったが、逆にそれを避けるために「我々は悪くない。日本のケースとは全く違う」と日本の残虐度をアピールする方向にも話が飛びうるのだなと思った。
別に日本の責任を否定するのではなく、韓国において日本軍によるKidnapping、abductionは例外的なケースであったということははっきりとしておく必要があると思われる。(海外の掲示板、コメント欄では日本軍が直接Kidnappingしたケースがほとんどだと思われている)
広義の強制性だの、狭義だのよりも、英語でどう表現されるかということを意識した方がいいなと思う。もはや慰安婦問題は海外に場所が移ってしまったのだから。
と、いろいろ考えていたのだが、当初「ターニングポイント」になりうると考えていた米軍慰安婦訴訟もこのまま大きく扱われず立ち消えになる可能性もあるように思えてきた。
結局のところ、ある種のフレームワークが作られてしまうとそれをひっくり返すのは困難だ。
「人権侵害」というフレームワークを持っている米軍慰安婦訴訟が起きれば、これまでの「日本のみが慰安婦制度なるものを使った唯一の悪」というフレームワークが壊れるかと思っていたがそうでもないようだ。
既存のフレームワークを壊すような事件が起こったとき、それをどのように報じるか。それがメディアの役割だと思う。
欧米メディアはどういう風に報じるのかと思っていたのだが、単に報じないのだ。そういうやり方があるのだ。それはそれで賢いのかもしれない。
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<追記>
「『慰安婦問題におけるターニングポイント』従軍慰安婦制度は悪くないと認められると思っているなら身勝手な妄想でしかない。増田は塩村都議の過去を穿り返せばセクハラ発言が悪くなくなると思っている連中のお仲間。」
こういう中立ぶったリベラルの偽善性を指摘しているのだが。スターをつけている人が何人もいるのもどうかしている。こういう主張が、アメリカ・韓国側の責任回避の言い訳に使われるということも分からないのだろうか。
どこをどう読めばこの文章が、「米軍慰安婦を追求することで従軍慰安婦制度は悪くないと認められる」という主張に読めるのか。
「"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いない」とはっきり僕は書いている。
「日本こそ唯一の悪」「既存の左翼言説を疑う奴は右翼」という自分のフレームワークを変えずに文章を読むから、このような失笑するしかない解釈が出てくるのだし、この文章はそうした態度に向けられたものだ。
それは、この文章を読んで「日本軍に責任があるというのか?こいつは反日左翼だな」と解釈つつ、米軍慰安婦の話をブーメランだと喜ぶネトウヨの反応と全く変わりはない。
単にダブルスタンダードは止めようという話。
まったくの蛇足であるが、因縁付けられたので大人げなく返してみると、塩村議員にしても「過去を穿り返すな」うんぬん言う人は、舛添が20年前の雑誌の発言で叩かれていたときに同じことを言っていたのかということだ。
<追々記>
以前ではタブーだった言説が韓国メディアから多く出るようになってきた。20万人強制連行という数への疑い、あるいは基地村の存在、米軍基地村・韓国軍慰安婦と日本軍慰安婦の構造の類似、「韓国は戦場ではなかった」という指摘など。
これは明らかに米軍基地村慰安婦訴訟と朴裕河の「帝国の慰安婦」訴訟の影響だと思われる。
このダイアリーに対するコメントや記事のように「日本の方が悪質だ」という論点を強調したいはてな左派の反応と、基地村・韓国軍慰安婦の悪質性に目を向け始めた韓国の左派との間に乖離が生まれつつあるのではないだろうか。
もちろん、基地村を管理していたのが朴正煕だという事実から、韓国内の右派左派の争いが慰安婦問題に絡んでくることになったという点も考慮しないといけないが。
参考になるリンクを見たら追加しておこうと思う。
7月4日
http://www.sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=20694
7月5日
ハンギョレは以前から基地村問題を指摘していたが、当事者インタビューをはじめ、かなり詳細に報じはじめている。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17749.html
http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/381/645560.html
"「米軍慰安婦施設は、日本軍慰安所と設立·運営方式は異なりますが、その底辺に敷かれた構造は類似している」というのがイ·ナヨン教授(中央大学社会学科)など基地村の問題を研究する学問の見解だ。"
ワシントン・ポストが、米軍慰安婦訴訟に絡んでやっと特集記事で報じた。
ニュースバリューがないから報じないのだ、と主張していたはてサの人たちはどう思うのか。