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2017-06-11

顔射が好きだからMessyが好きなのではない

Messyが好きだから顔射好きなのである

そこは誤解しないでほしい

2017-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20170421115303

話はずれるんだけど、女性向の風俗は一応あるにはあるみたいなんだよね。messyとかに体験記が載ってたのを読んだことがある。

でも評判は良くないね

ただ気持ちよくして貰う為に金払ったのにレイプされそうになったとかそんなんばっか。

でも想像なんだけど、それって必ずしも詐欺悪徳業者所業って訳でもないと思うんだ。

男性風俗のやり方でやったらレイプだと受け取られたのではないかと。

男性向け風俗なら、風俗嬢容貌サービスがヘボで客がイかなかったから仕方なく本番でお茶を濁すという事はよくある。ほんとは違法だけど客も嬢も一々問題になんかしないし、暗黙の了解なとこあるよね。

だが女性風俗ではそれが通用しない訳だ。女性妊娠とか性病とかのリスクが高いからどうしても性行為には慎重になる。また、女性男性買春歴史が浅いので、遊び馴れていないのであり、むやみに風俗男(風俗嬢男性版って何て言えばいいのだ)への要求理想が高いのだろう。

行為というのは人間であれば誰でもする事と人々から思われてる節があって、マンコがあれば、あるいはチンコがあれば、誰でも出来んだろと、そう簡単に考えられがちであるが、そういうもんではない。やっぱりそれで金を取るというのはとても難しい事だ。

ただの主婦主夫自分ちにおける家事経験だけで家政婦やクリーニング屋や保育士などになって上手くやる事は出来ないというのと一緒。

風俗だって、ただセックスが出来るだけでは勤まらない。

が、現状、ただ股を開くだけしか能が無い女が続々風俗業に参入し続けては打ち破れていくという事がずーっと続いていて、客の方もそれについては諦め割り切っている。本物のプロフェッショナル当たったらそれはラッキーな事なのだと。

風俗男にしても、風俗嬢と同じでおそらく志望者や現役者の殆んどは低レベルでどうしようもない者達だろうが、それを受け入れて遊ぶ女性客はほぼいないだろう。

所詮女でも男でも、風俗業は一時の小遣い稼ぎにはなってもそれで生計を立てるのは中々難しいのだ。

1本当たりの報酬は昼職の時給よりは良いからってことで、目が眩み金銭感覚が狂うだけで、風俗に勤める事にはあまりメリットは無かろう。

2017-03-05

『「発達障害は親のせい」はデマ』だけで良いのか?

元ネタ

「発達障害は親のせい」はデマ。発達障害の診断は、これからを考えるためのステップ 児童精神科医・姜昌勲さんインタビュー - messy|メッシー

当事者」の対象者

「しつけ」の一般的なとらえ方からすると「しつけが関係ない」というのは言い過ぎ

発達障害は、親の育て方によらない、生まれつきの生物学的疾患です。だからのしつけなんて関係ない。大間違いなんですよ。もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)。」

確かに、「診断結果と療育を受けることを受容するまでは」という条件付きなら正しいと思いますよ。

しかし、その後も「しつけなんて関係ない」と言えるのか甚だ疑問ですね。

もちろん、生まれつき=遺伝=親のせいという短絡的な話は論外として、親には「しつけ」る義務があるはず。

そろそろ「しつけ」の定義をしなおした方が良い

当事者」と「親」、そして、「身近な支援者」が望んでいるのは、生き辛い状況を汲み取って=発達障害特性を勘案して、世間の秩序と折り合いをつけて「当事者」が生きていくということのはず。

専門家視点では、発達障害特性を勘案して折り合いをつけられようにすることは「しつけ」ではないと言うかもしれない。

しかし、それは学術的に定義された用語使用して表現をしなければ正確な議論が出来ないからであって、「当事者」と「親」、その他「悪意のある第三者」も含めた「周囲の人々」から構成される現実社会実践の場では、「定義された」"それ"と「しつけ」を区別することに何の意味もないんじゃないか

しろ、「しつけ」という言葉を、「何が正しくて、何が正しくないかを教えて、世間の秩序と折り合いをつけられるようにすること」と再定義しなおして、『「当事者」の特性に応じた方法で、「親」や「身近な支援者」が「しつけ」を行えるように支援することが必要です』といった方が議論がしっくりと来るのではないのか、と思うのだが。

ケースによっては「親」と「身近な支援者」がちょっと連携するだけで良い場合も多い

あと、インタビューでこの人が言っていることは正しいけど、デマを打ち消す意味では、少なくとも「もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)」はないんじゃないかと。

正直、「当事者」の問題行動は、対処方法があったら、「なーんだそんなことか」って場合もあるんですよ。

金八先生みたいな熱血先生相談して「先生ありがとうございました」とかじゃなくても、幼稚園保育園小学校先生などの「身近な支援者」に、ちょっと腹を割って話をして、「うちの子取説」を渡したら上手くいくケースも結構あるはずなんですよね。

それなのに、良く勘違いしている「当事者」の「親」達が居て、「発達障害についての勉強をして、ちゃんと支援してくれなきゃ困る」とか、ネット仕入れ知識を振りかざして言いたい放題。

味方にしなきゃいけない「身近な支援者」を敵に回してどうするんですか??

幼稚園保育園小学校先生などの「身近な支援者」は「運命共同体的な関係者」ですよ!!

頭下げてお願いして、一緒に「当事者」と向き合っていかなきゃだめでしょう。

ちょっと考えてみてくださいよ。

法整備がされて「発達障害」が特別扱いされる前のほんの10年くらい前までは、園長先生校長先生に頭を下げてお願いしていたはずなんですよ。(まあ、所謂モンスターペアレントなるものはありましたが・・・)

10年前まで出来ていたことが、今出来ないっておかしくないですか? (まあ、出来てなかったかもしれないが・・・)

ちなみ、「周りの支援者」は「運命共同体的な関係者」なので、半年か1年に一回相談に乗ってくれる程度の専門家は入らないと思いますよ。

実際、幼稚園保育園小学校などの先生は上手く「しつけ」出来ないと現場で困るが、たまに相談に乗る専門家は全く困らないから。

まり専門家意見第三者的な助言であり、それを以て、「当事者」と「親」の運命を決定するなどというのはあり得ないということは、「当事者」の「親」には、気を付けてもらいたいと思っていますね。

なんか、同じ先生でも専門家ばかり頼って、実際、幼稚園保育園小学校などの先生との連携おろそかにしていませんか?

2016-04-16

秋元康を本気で批判する人

女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する  『glee』が私たちに教えてくれたこと - messyメッシー

http://mess-y.com/archives/29624

の2ページ目

ニュースになんか興味がないし たいていのこと 誰かに助けてもらえばいい」

「人は見た目が肝心 だってだって内面は見えない」

  

というのも嘘であることを『glee』は教えてくれる。「人の内面は外から見える」し、安易恋愛を消費しないキャラクター

本作に多数登場する。逆に自分の美貌に頼ってもたれかかってくるクィンに対して「Hold on to Sixteen(君には未来がある、

自分の可能性を楽しめよ)」と世間規範から逃れられない彼女に助言を与えようとすらしているのだ。

この筆者こそ秋元康内面無視してるわけだけど、誰も秋元内面には興味がないのでそれは良いとして、

gleeのようなテレビドラマ、言ってしまえば「おとぎ話」の中に、人生真実とか真理を見出して、秋元康

攻撃したくなってしまうのは、なんなんだろうね?

  

現実世界多様性を持つが、平均値としてはかなり過酷で、その世界を生き抜く人の癒しとしてglee機能している。

パプリカさんというこの筆者の方の生きている世界はその平均値からはかなり良い方にブレていて、だからこそ秋元康

攻撃したくなる。おとぎ話世界を壊すなと。

  

この筆者が考える「あるべき世界」と、現実世界乖離がある。だからこそ戦っているのだろう。

だが、現実世界を変えるだけが戦いの全てではなくて、秋元康歌詞のように現実生き方を合わせるのもまた

戦いではないのか。

自分と同じ戦い方をしない人たちを敗者と決めつけ、あるいは敵とみなすようなやり口。

気持ち悪さの原因はそこだと思う。

  

3ページ目

秋元氏が「難しいことはなにも考えない 頭空っぽでいい」というイメージと結びつけた女優ダイアナ・アグロンその人

のことも付記したい。彼女映画界にも進出し多くの作品に出演しながらチャリティ活動にも熱心だ。動物保護、同性

愛者権利活動を支持しているだけでなく、毎年の自身誕生日にはLGBTティーンの援助活動人身売買対策活動など

への寄付を募っている。2011年には米国赤十字主催日本津波被害者のためのチャリティランにも参加しているのだ。

チャリティ活動をして自分存在価値を絶えず示し続けなければならない米国芸能人過酷世界鵜呑みにするとか……

この人こそ内面なんて見てないじゃないか。

自分に都合の良い情報を都合の良い解釈しか見てないんだよなぁ。残念。

2014-07-23

自らを言語化できない男について

自分言語化できない」クソ男の課題が見えたエキシビションマッチ!~はあちゅう×林永子【炎上対談】観察記 - messyメッシー

http://mess-y.com/archives/10612

これほんとにすごく思う。内面感情言語化する訓練を強いられる場があったか継続的にやったかが出る。

あんまり勉強してない文学部育ちだけど、自分の性志向や来歴を言語化する訓練はものすごくやったんですよ。

言語化できれば克服できる部類のものも沢山あったし。

その訓練をしてきたかどうかは単純に性差でくくるには個人差ありすぎるけど。

腐女子なんて、おのれはなぜホモが好きなのかという問いを全部避けるなんてことはできないから程度の差こそあれおおかたの人は自問自答する機会ってあったのでは。腐女子がこれをしなくていいのであれば楽園だとも思うけど。

言語化ってせざるを得ない局面必要なんだと思うんですよ。

自分が納得するためであったり、他者との共通言語に置き換える必要があったり。

から自問自答せざるを得ない局面っていうのが男性のほうが比較したら少ない可能性はあるかも。ってぐらいの差かな。

元記事的な話題だと、乱暴な使い方でいうところのこじらせ女子が意中の男性が何を考えてるかわからない!と恋をこじらせている時、相手の男は何も考えてない。

ていうか何も考えてないと思わないと疑心暗鬼が育つタイプはまじでそのぐらいのざっくりだと思っといた方がいい。

2014-04-28

戦後韓国慰安婦制度の使用」に関する海外研究

韓国訪問したオバマが「慰安婦はとんでもない人権侵害だ」と発言した。

それに対して安倍総理は「筆舌に尽くしがたい思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思い」だとし、

「20世紀は女性を始め、多くの人権侵害された世紀であった。人権侵害が起こらない21世紀にするため、日本も大きな貢献をしたい」と述べた。

これはちょっと意外な発言で、日韓メディア右派左派ともにちょっと戸惑った感じがしたように思える。

安部首相の真意がどういうものなのか、これからの行動を見ないと分からないが、

これは、慰安婦に対する人権侵害を認めつつ、「慰安婦制度をやっていたのは日本だけでなかった」という文脈を作ろうとしているのかなと思えた。

それはオバマの発言に対して、「米軍慰安婦はどうなんだ」「朴正煕韓国軍慰安婦管理はどうなんだ」という反応が多く見られたものを反映していると思う。

20世紀」という一般化といい、正直なかなかうまい手というか、慰安婦問題に対して右左をなだめる、これまでにないスタンスになるかもと思った。

そうなってくると、戦後韓国慰安婦制度本当にあったのかという話になってくる。あったなら、慰安婦像海外に建てるキャンペーンが別の意味を持ってくる。

別にあいつらもやってから、俺らは悪くない」という意図ではなく、

実際問題として、日本謝罪もし、アジア女性基金設立した一方で、韓国自身が実は同じ問題を抱えていたのに黙殺するという事態は、事実を明らかにする上でも好ましくないと思う。

まとめサイトではソースあいまいものも含めてよく目にするが、いくら内輪で盛り上がっても意味は皆無で

海外でどのようにどのように研究されているか、というのが重要になると思う。

残念ながら、メディアという点では海外では概して「20万人の韓国人日本性奴隷にされた」「日本はその歴史を否定しようとしている」という文脈で報じられているのがほとんどだ。

しかし、アカデミズムの分野では、ここ最近韓国自身の慰安婦制度に目を向けられているものも増えているように見受けられる。

おおよそ中立的立場であると見受けられるC.Sarah Sohという研究者2009年出版された"The Comfort Women"という本は海外でも評判が高いようなので、色々調べようと思った。

http://www.goodreads.com/book/show/6068978-the-comfort-women

検索すると、Google Readersで一部内容が見ることができ、その部分にちょうど韓国慰安婦制度について記述しているところがあったので、メモ代わりに引用しておく。

もちろん、この本は、日本慰安婦制度、および人権侵害にも厳しい目を向けているが、

この部分の結論としては、韓国慰安婦生存者を日本の抵抗のシンボルとして英雄扱いする一方で、韓国自身の慰安婦制度含む性の人権侵害には目を向けてこなかったということを言っている。

韓国戦後慰安婦制度を使用してきた」という事実は、単なるネット右翼デマではなく、海外研究者にも裏付けられている事実であり、もっと注目されるべきではないかなと思う。

"The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan" by C.Sarah Soh

(p:211~)

After its liberation from Japanese rule in August 1945,the Korean Peninsula was divided into two: Soviet troops occupied the northern half and the US military the southern half. The ongoing US military presence in South Korea led to the formation and maintenance of “Camp towns” (kijich’on, in Korean) around the military bases, a development that has had a striking social impact on Korean communities. Kijich’on (literally, base or camp [kiji] village [ch’on]) refers to the civilian world of commercial establishments and residential buildings that have sprung up around the US military bases and cater to the needs of the American GI’s. It is “ a place where Koreans and Americans- mostly male military personnel- meet in an economic and emotional marriage of convenience”. As of the end of 1996, 37,000 American troops supported the economies of ninety-six kijich’on. The estimated number of kijich’on prostitutes over the first four decades of the American presence ranges between 250,000 and 300,000.

(中略)

The kijich'on sex trade consolidated and expanded during the second phase, which began with the Korean War. In her testimony, Pak Sun-i who had laboured at three different comfort startions in Japan 1944 to the end of the war, recalled:

"At twenty-seven years of age, I was having a hard time making ends meet in Tongduch'on (the largest kijich'on just outside Seoul). I ended up cohabiting with a staff sergeant of the USArmy for about two years... One of my friends from the days at a comfort station in Japan also worked as yang-gonju, but she passed away."

An American veteran who served in Korea in the 1950s after the end of the Korean War recounted that on Friday nights half-ton trucks would bring into the base a few hundred women to stay the night or the weekend with the soldiers. In 1958, five years after the armistice, the majority of about 300,000 prostitutes in Korea reportedly served American soldiers. Some of them, like their earlier Japanese counterparts(RAA), married and emigrated to the United States as wives of servicemen.

The fact that the Korean military also availed themselves of the "special comfort unit" during the Korean War has received little public attention even after the Korean women's movement in support of the "comfort women" began in the 1990s. Only piecemeal anecdotal materials on it had come to light from memoirs written by retired generals and generals and the testimony of soldiers who fought in the war.

(中略)

Characterizing the Korean military comfort system as an "unfortunate offspring" of the Japanese colonial legacy, Kim Kwi-ok called for victimized women, civic organizations, and scholars to come together and confront the unresolved issues of this historical injustice. The media reports of Kim's work, however, have generated little response. There has been no public outcry regarding the Korean military's use of "comfort women" during the Korean War or its violation of women's human rights. Korean silence over these issues is reminiscent of earlier societal indifference toward survivors of imperial Japan's comfort system, It mirrors the reticence of many Japanese to come to terms with the history of their country's wartime comfort system. As in the case of Japan, many in Korea, including retired military leaders, apparently regard the women's sexual labour simply as the performance of gendered customary sex labour in order to meet the needs of fighting men. It is noteworthy that military authorities have acknowledged that the system of special comfort units contradicts the national policy of banning licensed prostitution. Nonetheless, they have insisted that the special units were created to fulfill an important strategic end.

(中略)

(日本人韓国への売春ツアー、及び韓国人東南アジアへの売春ツアーは看過されてきたが、という話の後)

However, when it comes to the issue of Japan's wartime "comfort women" system, which has been redefined by the international community as a prominent case of violence against women in armed conflict, no social critic or public intellectual in Korea would dare to take the customary masculinist position that such a system benefits the economy or promotes national security. This is because the comfort women issue has been redefiend as military sexual slavery and a war crime by the international community owing largely to women's collaborative movement for redress in Japan and Korea.

Still, little critical public discourse has occurred on the legacies of that historical institution or the social structural dimension of Korea'S comfort women tragedy. Few are willing to consider the unsavoury fact that, accustomed to indigenous public institutions that have granted customary sex rights to men, and licensed by the colonial government, many Koreans did not hesitate to collaborate in recruiting and runing comfort stations by trafficking in girls and young women. Rather than deal with the messy and unpleasant complications of the historical record, Korean public discourse has simplistically elevated the survivors to heroic symbols of national suffering under Japanese colonialism and its imperialist war of aggression.

By contrast, Japan, which is unavoidably seen as the perpetrator nation, has been in turmoil over contested representations of the comfort women phenomenon and its responsibility in the matter. Meanwhile, the international - as well as domestic - trade in public sex prospers in capitalist economies of Japan and Korea despite endless incidents of criminal abuse of women so employed by both foreigners and compatriots. The social historical legacies of masculinist sexual culture and political economic realities in the two countries continue to help construct women'S sexual labour as stigmatized yet customary care labour for masculine "need".

 
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