はてなキーワード: シカゴとは
・ともに佳作
・他の受賞者なし
・その年でこの賞は廃止
三浦瑠麗は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。
1980年生まれの湘南高校出身で、東大在学中にベインキャピタル(ミット・ロムニー元共和党大統領候補が所属していたファンド)に現在務める、福岡出身の三浦清史(親族がどうもアメリカ人生物学者である)と結婚している。
湘南高校エリートといえば、石原慎太郎、岡本行夫、浜田宏一を戦後は輩出した進学校であり、戦前は海軍兵学校の予備校的な存在だった。
湘南高校出身者のネットワークとして、「湘友会」があり各地方や海外、クラブ別、企業別の支部も存在するという。
三浦女史の兄弟は金融庁勤務を経て今はシカゴに留学中の妹がおり、弟は東大で国際関係論を学んでいるようだ。
要するに、現在の日本の「東大パワーエリート」とはこういうものだ、という見本のようなファミリーである。
私が三浦女史がアメリカと日本のそのカウンターパートの受け皿としてかなり計画的に、かつ組織的に育てられた人材であることを直感したのは、
彼女と夫が東洋経済が主催した「高橋亀吉賞」という経済学論文賞を同じ年に夫婦で同時受賞していることだ。
しかもともに「佳作」。
他に受賞者がいないというのも驚きである。
この論文の審査体制に疑問が生じるが、やはりというべきか、2014年を持ってこの論文賞は廃止されている。
このように経済、安保、農政と様々な人脈があって、東大国際政治学者・三浦瑠麗は準備されていた、ということだ。
そしてイスラム国事件を論じる「ニューリベラルの論客」としてデビュー。
https://blogs.yahoo.co.jp/kinakoworks/13112404.html
三浦 瑠麗氏 法学博士、東京大学大学院法学政治学研究科 ポスト・ドクトラル・フェロー
「長期的視野に立った成長戦略 ― ワーキングマザー倍増計画」
http://www.toyokeizai.net/corp/award/takahashi/2010/
安倍マリオ「森喜朗会長が総理に提案」 五輪組織委の武藤敏郎氏が語る
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/22/abe-mario-and-mori_n_11657360.html
平成29年11月29日規制改革推進会議 大田弘子氏と安倍総理
https://www.kantei.go.jp/jp/content/29kiseikaikaku01.jpg
金融緩和に積極的なリフレ派として知られる早稲田大学の若田部昌澄教授
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-13/P0VQ9Q6TTDS001
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
株式会社ショージ http://k-syoji.com/signal.html
おそらくは従来型の300mm径の話
消費電力 13W(平均)
コイト http://www.koito-ind.co.jp/new_product/pdf/flat-signal-light.pdf
According to this Chicago Tribune column, a 69W incandescent bulb is replaced by an LED version that dissipates only 11W – an 84% savings.
LEDsマガジンによるシカゴトリビューンの引用 http://www.ledsmagazine.com/articles/2010/01/led-advantages-outweigh-potential-snow-hazards-in-traffic-signals.html
Today’s LED traffic lights are rated at just 10-25 watts — compared to 175-plus for their predecessors.
GEEK.COM https://www.geek.com/geek-cetera/led-traffic-lights-fail-at-handling-winter-1587882/
2017/8/28日
公の場でヒトラーを称賛し、ナチスのホロコーストと南京大虐殺を否定しまた、"ナチスの科学"を崇拝したことで耳目を集めた人物の一人である高須克也医師に対し、サイモン・ウィーゼンタール・センターが追放要請を呼びかけたことについて、米国美容外科学会(AACS)が回答しました。
シカゴに本拠を置く学会の上級職員は、ウィーゼンタール・センターの副センター長・グローバルソーシャル・アクション担当ディレクタであるダビ・アウラハム・クーパーに対して、高須 ( 日本で影響力のある知名度の高いメディアセレブ ) に対する批判が殺到していること、そして本件の調査が数週間以内に完了するであろうということを認めました。
学会への書簡の中で、ラビ・クーパーは以下のように書いています。
すべての寛大さの規範を捨て去れ、反ユダヤの差別主義者、露骨なナチス愛好者を明らかにせよ。
こんにち我々の世界で最も唾棄すべきはナチスイデオロギーによる抱擁である。
さらなる情報についてはセンターの広報部 310-553-9036 までお問い合わせください。フェイスブックでセンターに参加しよう www.facebook.com/simonwiesenthalcenter あるいは @simonwiesenthalをフォローしよう。最新情報のアップデートがツイッターのフィードに直接届きます。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは40万以上のメンバーファミリーを擁する米国の最も大きな国際的なユダヤ人人権団体の一つです。UN、ユネスコ、OSCE、欧州評議会、ラテンアメリカ議会(パラティーノ)などを含む国際機関のNGOです。
http://www.wiesenthal.com/site/apps/nlnet/content.aspx?c=lsKWLbPJLnF&b=8776547&ct=15003641¬oc=1
by napsucks
ご存知だろうが、フェスは最悪だった
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170723-35104627-cnn-int
http://japanese.engadget.com/2017/07/22/pokemon-go-fest-lugia/
増田は12時間かけて車を使ってシカゴに行ったので、すでに疲れも溜まっていた
9時に着いたが、すでに長蛇の列ができており、10時開門で入れたのは12時近くだった
セキュリティを通過し、いざ記念メダルを手に入れようとしゲームを起動したが、ログインができなかった
入り口すぐのInformationブースには列ができており、みなログインできないことを問い合わせるための列だった
その周辺の怒りが爆発した
"We can't play!"や"Fix the game!"コールも起こっていた
ニュースになっていた通り、メインステージでアナウンスがあるたびにブーイングが起こっていた
一緒に参加していたBoost Mobileのスマホを持つ友達はプレイできていた
このBoost MobileはSprint系列のキャリアで、安いプリペイド料金が魅力だが、エリアカバー率やつながりがよくない
しかし、このフェスではBoost Mobileの方が、全米のエリアカバー率が高いAT&Tよりも使えるキャリアであった
SprintとBoost Mobileはポケモンgoのスポンサーだったし、フェス内に独自のブースも持っていたので、おそらく優遇されていたのだろう
増田はAT&Tだったので、グラントパーク内で割と人の少ないところに行かないと使えなかった。。。
これは人気のモンスターやレイドバトルが始まっても参加できないことを意味する
これはAT&Tだけではないようで、現地で知り合ったVerizonの友達もつながらないと激怒していた
(この人は10分で売り切れてしまったチケットをオークションで$200にて落札したと言っていたが。。。)
仕方ないので、Boost Mobileの友達にテザリングしてもらいなんとかログインし、プレイしていた
こういう知り合いがいない参加者は、このフェスずっと座っているか寝るかしかできなかった
お詫びの対応は当然だと思う
http://pokemongolive.com/en/post/pokemongofestupdate
そのうち、チケットの全額返金、100ドル分のポケコインをイベントの参加者全員に配布、参加者全員に伝説のポケモン『ルギア』を配布は良い
ちなみにイベント終了後、「詫びルギア」がバズってたのには笑った
しかし、「会場内に出現する予定だったレアポケモンやタマゴを、公園を中心に2mile(注、日本の一部のニュースサイトでは2kmとなっているが、実際は2mile)圏内のシカゴ市街でも出現するよう変更」について少し言いたい
フェス終了直後からこの変更が起こり、ルギアやフリーザーのレイドも始まった
この2mile内がポケモントレーナーの群衆により、軽く騒動になっていた
さらにシカゴの狭い道の中にあるビルやホテルがジムになってたので、群衆が道路にはみ出し車の渋滞も引き起こしていた
結局、この群衆では通信障害が起こってしまうので、増田は滞在を日曜日の午前中まで延長し、レアポケモンやルギア、フリーザーをたくさんゲットした
CHICAGOのアンノーンや、ヘラクロスをゲットできたことで、フェスの不満は40%くらい解消された
(ちなみに、グラントパークから2mile内のレイドでのルギアやフリーザーの捕獲チャンスは100%捕獲できるようだったので、皆パインの実を使ってキャンディー倍にして捕まえてた)
フェスでよかったのは、アメリカにしては安い料金でフードを食べられたことや、各チームのコンセッション内に充電器が完備されていたことだろうか
脱水症状にならないように、水の補給は常にできるようになっていたし、救急班がすぐに出動できる体制になっていたのは評価したい
動画があったので、載せておく
http://www.businessinsider.com/pokemon-go-fest-chicago-video-niantic-john-hanke-booed-lugia-2017-7
特に以下のYouTube動画はフェスの早乗りしたところから、フェス終了後の様子まである
https://www.youtube.com/watch?v=KpoxnJGHGrA
ちなみに、7PMになると同時に会場は撤収
特に終了だというアナウンスもなくスタッフが"Leave imadiately!"と叫んでいたり、裏方がメインステージの液晶やライトの片付けを始めた様子を見て、
なんだったんだ、このフェスは。。。と思わせるのに十分であった
(追記)
7/26 6:30(JST)、nianticlabからメールにてお詫びがきた。チケットの返金は9月、100ドル分のポケコインとルギアは7日間のうちに自動的に入るとのこと。
7/27 10:20(JST)、気がつくと詫びルギアされてた。100ドル分のポケコインも振り込まれていた。
170ドルのガソリン代と120ドルの3泊分のホテル代を費やし、寝不足と戦い、炎天下の中でほとんどゲームができなかったストレスと引き換えるにはちょっと安いかな。。。
その日に起こったことを順番に書く。
1. 開場1時間前である9時に入れる特典を提携ホテル宿泊でゲット、8:30に並んで結局入れたのは11:00時近く。すんごい列だった。最後尾までたどり着くのに30分くらい歩いたもん。入り口一つしかなかったし、ディズニーランドみたいな持ち物検査、セキュリティーチェックあったし。列が長くなるのはしょうがなかった。
2. 会場に入れても、アプリが落ちまくってゲームができない。会場でゲットしたポケモンはゼロ。レイド?なにそれ状態。ポケストップは2つくらいスピンできた。
3. インフォメーションセンターのテントに長蛇の列。ログインできない、繋がらない、もしくはイベント専用QRコードが読み込めないなどの苦情専用窓口となってた。(フードのテントはガラガラだったから、食に困ることはなかった)
4. ゲーム開発会社のCEO、メインステージに登場。ブーイングを受ける。このゲームなんとかしろ、みたいなチャントが。健気にハイテンションで進める司会の女性にペットボトルが飛んで行った。当たらなかったけど、これはいけない。
5. 入場して1時間くらいで諦めて会場を出た。近くのデリみたいなところでWifiをゲット、それでもアプリは落ちまくる。それでも会場にいる時よりはマシだった。
6. 午後2時くらい?、ホテルに戻って、Youtubeで会場のライブストリームを見ていた。運営元のスタッフが出てきて、チケット返金プラス100ドル分のポケコインを参加者全員に配るとアナウンス。観衆から喜びのイエーイみたいなどよめきが。全然嬉しくないわ。
7. ホテルの部屋になんとアンノーンが湧いた。ヘラクロスも。イベント会場でしかゲットできないレアポケモンが会場半径2マイルまで解放されたことを知る。
8. 午後4時以降、会場から離れたところであれば、なんとかプレイできるような状態にはなってた。街中を歩きまわっていくつかアンノーン、ヘラクロスゲット。
9. 19時、会場でイベント終了。ミステリーチャレンジはキャンセルされたみたい。ただそんなのはもうどうでもよくなってた。
10. 会場から半径2マイル内であれば、シカゴイベント終了後(終わってから48時間?どのくらい続いたのかは知らない)も会場と同等の特典(アンノーン、ヘラクロス、スペシャル2玉)が続いた。
11. 伝説ポケモンのレイド始まる。ジムにすごい人だかり。アプリのクラッシュに苦しみながらも、なんとかフリーザーゲット。イベント参加者は、100%の捕獲率。緑の輪っかで一発でゲット。
色々端折ったところ、書き損じてるところが多いと思うけど、こんな感じでした。
一言で言えば、災難。初めからフェンスで囲われた公園なんかでイベントやんないで、街全体でやればよかったのになぁと。
今までいろんな野外イベントやフェスに参加したけど、こんなことに遭遇したのは初めてでした。
ピゴサが7/23に閉鎖するとのことだ
https://twitter.com/pgosearch/status/887442422904479744
日本に住むポケモンGO友達が憤慨していたが、すでに他のサーチツールに移行したようで今は落ち着いている
この友達の怒りのLINEをなだめている時に最近のポケモンGOについて思うことがふつふつと思い浮かんだので書きのこす
ポケモンGOは6月下旬に行われた大型アップデートによりゲーム性が変化した
詳しいことは割愛するが、簡単に説明すると以下の2点が大きな変化だ
この"やる気"はジムにポケモンを設置後自動で減少していき、0になると所有ユーザーの元へ戻る
また、高個体値(攻撃力、防御力、HPの値)のポケモンの方が、減少する速度が速い
この大型アップデート後、ハピナスやカビゴンだらけのジムは消滅したし、高個体値のポケモンも大幅に減少した
サーチツールで野生の高個体値ポケモンを探す利点は、ジム制圧やレイドバトル(後述)を有利に進めるために変わっている
なので、旧ジムシステムで勝ち残る高個体値ポケモンを探すユーザーは激減したであろう
ポケモンGOのレイドバトルとは、規定の場所、規定の時間内にユーザーが協力してボスポケモンを倒すイベントバトルだ
レイドバトル開催の通知は、標準機能の"Near by"で通知がくるが、500m以内の通知しかこない
一方、サーチツールはそのレイドバトル通知の範囲を広げており、ユーザーは広範囲にレイドバトルの通知を得るために使っているようだ
今回、ピゴサが運営によって閉鎖することになったのは、これが原因だと言われている
なぜなら、レイドバトル通知範囲拡大は、GPS情報の偽装により不正にレイドバトルへ参加するユーザーが増加するからだ
伝説のポケモンのレイドバトルが開始するタイミングで、ピゴサが閉鎖することになったのは、そのようなユーザー増加を阻止するためであろう
たまに、自分の周りにいる人よりも多い人数がレイドバトルへ参加していることがある
おそらくThe Pokemon Company internationalはピゴサに要請をしたのだろう
レイドバトルの特性上、強いボスポケモンを倒すためには多くのユーザーが必要だ
サーチツールはトレーナー同士のリアルなやりとり(LINEのようなインスタントメッセージ、電話)をすることなく、効率的に人を集めることができる
しかし、Ingressの時からそうだと思うが、ポケモンGOは仮想世界で起きているゲームを通じてリアルな交流を図ることを目的としていると思う
サーチツールを通じて、交流が図れると思う人もいるかもしれない
現に、サーチツールがない増田の地区では、レイドバトル開始前に"どの公園でどんなポケモンが取れるのか"や"金色のコイキング"の情報をやりとりしている
さらに最近では、あるユーザーがDiscordというチャットツール内に、地区内のサーバーを立ててくれたようで、そこで情報の交換が行われている
しかもその地区のリアルな経験を元に交換される情報なので、信憑性も高いし、自分もやってみようという気持ちになれる
増田の地区はかなり大きな都市なのだが、人が歩いておらず車しか走っていない道路や、人が集まらない郊外の公園で行われる強いボスポケモンのレイドバトルで勝利することは不可能に近い
地域格差の問題は、Ingressの時からずーーっっと問題になっている
この地域格差を埋めるためにサーチツールは機能するであろうが、位置偽装をする不正ユーザーも現れてしまう
脚注だろうと末尾の文献リストだろうとそこに書く情報は変わらないってのと、以下のような文献の書誌情報を書くスタイルは確立されているので、文献リスト云々の話は関係ないってこと。
そもそも出版されてない資料(昔のお役所の公文書とか、お寺に伝わる古文書とか)
古典(アリストテレスが紀元前に書いたやつが、2010年に岩波文庫とかで出版された場合、アリストテレス 2010って書くの? 間抜けじゃない? それより、最初の注で岩波文庫版の書誌情報を書いておいて、あとは作品名と第何段落とかそういう形式で引用した方がいいよね。古典はジャンル別にそういうの決まってるから)
新聞記事(1本や2本ならいいけど、数十本、数百本となったとき、記事のタイトルと発行年月日まで文献リストに載せるのめんどくさくないです? 文献リストには○○新聞を使ったとだけ書いておいて、注で○○新聞の何月何日何面に書かれてる何というタイトルの記事です、って書いた方がラクじゃない?)
なんかけっこうな数の人に勘違いされてるようで驚く。そんなおかしなことじゃないでしょ。ということで補足。
言っとくけど、これは剽窃や無断転載をしていいって意味じゃないですよ。参考文献の情報を表示する方法が違うってだけの話。
標準的な理系とか社会科学系の論文では、注ってこうやって示しますよね(以下、例はあくまで架空のものです)。
Trump (2018: 70)は次のように主張している。一方、Obama (2018: 47)はこれに反対していて……
この場合、文献リストがないと駄目です。だってこれだけじゃ、どの論文・書籍のことなのかわからないもん。だから、論文の末尾に文献リストをつけて、
って書く必要があるわけです。これがないとアウト。
トランプは次のように主張している(※1)。一方、オバマはこれに反対していて……(※2)
※1 Donald Trump, Make America Great Again (New York: Trump Tower, 2018), 70.
※2 Barack Obama, Yes, We Can (Chicago: UC Press, 2018), 47.
って表示することが許されてるわけですよ。これ、末尾に文献リストつける必要あります? そりゃつけた方が親切だと思うけど、なくても別にいいでしょ。だって参考文献の書誌情報はじゅうぶん伝わってるんだから。
なんで下のようなやり方がされるかっていうとですね、私も確かに上の方が便利だと思うんですが、文系の論文だと、
みたいな資料を引用することが結構あってですね、そういうタイプの資料を扱う研究者にとっては下の形式の方が楽なんですわ……。もちろんそれらの資料でも、工夫すればちゃんと上の形式で引用できますし、実際そうやってるひともいるけど、下のやり方は伝統的なので根強く残ってるのです。
あとまあ、学会によっては「下のやり方で書いて文献リストをつけるな」って投稿規定に書いてあったりするしね(もちろん上を指定してる学会もあります。ケースバイケース)。
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
おっ、せやな。シカゴ・マニュアルそのものじゃないけど、手元の解説書を読んでみたら、次のように書いてあるわ(分量的に引用として許される範囲を超えているけど、そこは勘弁してほしい)。
本書は、2つの最も一般的な引用方式を扱っている。「注記式参考文献目録方式notes-bibliography style」、または簡単に「参考文献目録方式bibliography style」(人文科学全般や一部の社会科学で用いられる)と、「カッコ入り出典―参照リスト方式parenthetical citations-reference list style」、または「参照リスト方式reference list style」(大部分の社会科学、および自然科学と物理学で使われる)と呼ばれるものだ。(後略)(※1)
参考文献目録方式の引用では、資料を使ったことを、典拠に言及するセンテンスの最後に、上つき数字を付けることによって示す。
He argues that "in an uncertain world, printed materials can be put to use in ways that make them powerful." 1
それから、対応する数字をつけた注で、引用の出典を挙げ、それに関する情報(著者、表題、および出版情報)とともに、該当するページ番号を明示する。注はそのページの一番下(脚注と呼ばれる)か、レポートの最後に集められたリスト(後注と呼ばれる)の中に印刷される。すべての注は共通の形式をとる。
N: 1. Adrian Johns, The Nature of the Book: Print and Knowledge in the Making (Chicago: University of Chicago Press, 1998), 623.(※2)
※1 ケイト・L・トゥラビアン(沼口隆・沼口好雌訳)『シカゴ・スタイル――研究論文執筆マニュアル』慶應義塾大学出版会、2012年、194頁。
※2 同、195頁。
元増田でも例を挙げたけど、この方式を採用している英文学術誌なんてたくさんあります。私が見たことある限り(ちゃんと読んだというわけじゃなくて、単純に論文をダウンロードして形式を確認した限りということ)では、中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語の学術論文でこの形式は許容されてる。
海外の著者だと、たとえばウンベルト・エーコが『論文作法』って本の中でこの方式を詳しく説明してるので、ご覧になってみては。
人文系からすると、この方式を知らない方がガラパゴスですよ。だって、文系は理系の人はこの方式使わないで別の方式使うよね、って知ってるもん。なんで理系は、文系では別の方式も使うよねって知らないんです?
もちろん、この方式でも、たとえば1冊の本にまとめる場合なんかは末尾に文献リストをつけるのがふつうだと思います。だってそうじゃないと、その分野に関する文献にどんなのがあるか知りたいときにめんどくさいもの。一度、文献リストをつけられてない英語の本を読んだことあるけど、注を逐一確認して文献を探すのめんどくさかったですよ。ただ、論文程度の分量なら、注を逐一確認するのもそこまで苦ではないし、だいたい単にめんどくさいってだけでじゅうぶんに出典表示の義務は果たしてるし、紙幅の問題もあるしで、つけないことが多いんじゃないかなぁ。学位論文とかで、文献リストを絶対につけること! っていう決まりがある場合はつけないといけないけど、それは単に投稿規定守れっていうのと同じ話なので……
1.シリコンバレー
2.ニューヨーク
3.ロンドン
4.北京
5.ボストン
6.Tel Aviv(イスラエル)
7.ベルリン
8.上海
13.オースティン
14.ストックホルム
15.バンクーバー
16.トロント-ワッテルロー
18.シカゴ
http://thebridge.jp/2015/07/the-2015-global-startup-ecosystem-ranking-is-live
そう思った方もいらっしゃるはず。僕もそう思いました。
しかし、資料をよく読んでみると実はそもそも日本は調査対象に入っていません。
実は前回(2015)のランキングでも日本は調査対象に入っていませんでした。
このことについて、前回の資料では「日本,中国,韓国は言語の関係で今回は調査を見送りました」と明記がありました。
しかし、今回の調査では中国はもちろん、韓国(ソウル)も調査の対象に入っています。
日本が調査対象から外れていることについて、そしてその理由についての明記はありません。
考えられる可能性の一つとして
が思いつきます。
"この資料では日本、中国、台湾、韓国が含まれていません。(中略)
我々はこれらの国のエコシステムについて、次回には含めるつもりでいます"
【原文】
"Our index dose not currently include startup ecosystems from China, Taiwan ,Japan ,and South Korea.
We expect to have these eco-systems included in our index later this year."
この文章を読む限り日本は重要な場所とみなされているようです。
「次は日本も含めます。」と明言した限り、日本にも接触したでしょう。
それは、
です。
このランキングを発表するためには、いろいろな情報が必要です。
・企業価値
・売上
・M&A額
などの情報がそういった”表に出したくない”情報に当たります。
他にはスタートアップへのアンケート調査も必要になってきます。
調査に協力したからといって報酬がもらえるわけではありません。
忙しい中にこのような調査の対応をすることは正直言って面倒臭いでしょう。
と声をあげたい。
確かに、大事な情報を他人に渡すのは怖いし、アンケートは面倒臭い。
でも、もしこのランキングで良い結果を残すことができたとしたら・・・?
シンガポールを見て欲しい。
技術者不足で嘆いていたのだ。
しかし今年は?
シリコンバレーを抜いての「1位」だ!
2015年のランキングを真摯に受け止めた結果がこの結果を生んだのだと思う。
さらに言えば、2012年の18位からの反省も受け継いでいるはずだ。
日本がこのランキングに参加できていない理由、皆さんは気になりませんか?
今からでも遅くない。
819 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:19.97 ID:cdCbu3RK [6/6]
個人的には一番上の2つがオススメだがミュージカルと言える部分は少ない
820 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:58.83 ID:bGgtTwRi [5/5]
822 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:22:15.29 ID:AZHl3Z4B
823 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:23:25.15 ID:+okylYFr [2/2]
古いけどサウンド・オブ・ミュージック
傑作だよ!
824 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:24:06.02 ID:heyiXHX8 [4/4]
今の会社を3月末から4月中旬までの間に辞めるので、転職するまでの空き時間にアメリカに旅行したい。
ゲームが大好きなので、E3的なイベントがあればそれに行きたいが、単なる観光でもいい。
1 ロサンゼルス
(アルタstにいきたい。GTA5で俺のアバターが住んでた場所)
2 サンフランシスコ
(ジャパンタウンとGoogle本社にいきたい。Watchdogs2でよく行ってた場所)
3 ニューヨーク
(タイムススクエアにいきたい。Divisionってゲームでよく戦った場所)
4 シカゴ
(パーカースクエアだっけ?実際の現地の名前ちょっと思い出せないけど、Watchdogsの主人公の家のモデルになった場所にいってみたい。)
それぐらいかな。今思いつくのは。
何かいいところない?
http://anond.hatelabo.jp/20161204095016
驚いた。全く真逆の感想だ。アメリカといっても、サンフランシスコのイケイケスタートアップからウォール街のクオンツからシカゴのコンサルまで、全く違うだろうけど、5年以上東海岸の米系企業に籍をおき、向こうの地でもそれなりに働いてきた自分からすると全く同意できなかった。あくまで個人的な感想であるけど、いくつか反論してみたい。
俺が米系企業の日本支社に就職したとき、最初に「会議で発言しないのは存在しないのと同じだ」と言われた。少なくとも俺の5年以上の経験で、会議に出て黙ったままただメモを取っているアメリカ人は見たことがない。
誰かが発言しない会議があると「君は何も喋ってないけど、この会議はそもそも必要なのか?」と言われる。真顔で。
これは、日本とアメリカのコミュニケーションの違いも大きい。例えば、日本人が「お世話になっております。表題の件ですが…」と書いているうちに、アメリカ人は「ok」の二文字だけで返信する。件名が「ok / EOM」で本文なし、なんてメールも多い。
必然的に報告だけの会議というのは少なくなるし、会議というのは発言をする場であるということが意識として徹底されている。
本国から来たマネージャーは、日本人が会議に出席していながら全く発言しないことに驚く。日本人は、会議という場が意見をぶつけ合う場にも関わらず異常に萎縮しているように見える。間違ったことを発言したら怒られるのではないか、と。俺自身はどんな馬鹿な質問をしても怒られた記憶はないが、発言しなかったらマネージャーに呼び出されてアドバイスされたことがある。
元増田はアメリカの大学のディベートを見たことがあるのだろうか?ディベートというのは、(悪い言い方をすれば)いかに黙らずに早口で屁理屈を言い続けるかを競うスポーツだ。イエールでもハーバードでもエリートが日々「どんな論点をどんな立場でも」ディベートに勝てるかを検査し続けている。(チョムスキーは、深い思索のないディベートがリーマン・ショックを引き起こしたと言っていた)アイビーリーグ卒業生が多い会社はそういうディベートの文化が根付いていて、会議のスピードが異常に早い。
アメリカ人はちゃんと主張する人を好む。給料上げてください」って言うと結構上がる。言わないと上がらない。大抵の企業では「1/1」という、マネージャーと一対一で話してアピールする場が設けられていて、そこの場でどれだけ自分が頑張ったかを語らされる。
それは、年功序列が薄いことと裏表だ。アピールできるやつはずんずん登っていくし、うだつが上がらなければそのままか、クビになる。だから、ボスにアピールすることはむちゃくちゃ重要なポイントだと考えられてる。
日本人のように「頑張っていたらいつか認められる」なんていうことは考えないし、キャリアというのは自分でアピールして掴み取るものだという意識が徹底している。
これはもう匿名ブログの宿命上、想像でしかかけないのだけど、元増田はあくまで「日本人」として接してもらっていたのではないかと感じた。それも日本人が多い多国籍企業の。
アメリカ人(特にサンフランシスコとかシアトルあたりの)は英語できないやつには慣れているので優しいし、日本人が入るような会社なら、シャイなのも知っているから話も振ってくれる。カリフォルニアなんか白人が4割しかいない。インド人の聞きづらい英語に四苦八苦し、イタリア人のコーヒーブレイクには付き合う。多国籍企業とはそういうものだ、と割り切っている。
そして、文化が違うこと、ネイティブじゃない言語で話す人との仕事の仕方をきちんとわかっている。だから、口ごもる人にはちゃんと時間をくれるし、わかりやすい英語を使おうと頭を捻ってくれる。それはポリティカル・コレクトネスに近い。(日本人だって日本語が下手な外国人がいたらじっと聞かないか?)
日本人が考えずに喋っているとは思わない。むしろもっと怯えずに発言すればいいと思う。どだい、会議というのは話すためにある。ただ単にボスの報告を聞くだけならメールでいい。わかっていないことがあれば空気を読まずに質問すればいいし、気になったことがあれば深く考え込まずに発言すれば良いのだ。
いささか乱暴な言い方ではあるけど、日本人はもっと適当でもいいからどんどん発言するべきだ、と言うのが個人的な結論である。発言することが時間の無駄になるようなメンバーが会議に居る事自体がおかしいのだ。
素晴らしく有能で深い思考を持っている日本人が、発言しないために低い評価に甘んじているのをよく見てきた。とてももったいないと思う。少なくとも、米系企業で働こうとしている人は、とにかく何でも良いから発言する癖をつけたほうが良い。わからないことがあれば聞く、考えていることがあったら意見を言う、適当でも良いから改善ポイントを言う。発言量を増やすだけでキャリアが変わる。
これはよく大麻解禁反対派が使うロジックなんだけど、データを見たことがない。
印象で言えば、中南米においてチリ、ウルグアイが特に麻薬犯罪に苦しんでたわけではないし、
アメリカのアラスカ、コロラド、シアトル、ポートランドで麻薬犯罪が酷かったとは思えない。
テキサス、シカゴ、デトロイトあたりで真っ先に合法化されてないとおかしい。
大麻でなく、覚せい剤だけど刑務所が超満員の今のフィリピンで合法化される気配はない。
どうしようもないくらい広まってても厳罰方針を曲げない国は曲げない。
大麻を解禁している地域はどこも治安が悪く殺人が多い。 - b:id:m-matsuoka のコメント / はてなブックマーク
ちなみにカナダは大麻Okになるけど(既に吸っても捕まらないが)大麻NGのアメリカ1州より殺人事件少ないですよー。薬より銃と貧困が治安の主因。 - b:id:sotonohitokun のコメント / はてなブックマーク
なんか知り合いが、↓を読んで、全く判らんが何だこれって言ってたんで解説したのメモっとく
英語が読めるようになるには英語を読むしかないが『日本人の英語』シリーズは読む価値あると思う - しいたげられたしいたけ
ぶっちゃけ、「the」って言ってんのにそれが自明以外で説明がなかったらキレて良い。
「オレの言ってる姉は、例のアレよアレ、あのアネよ」って制限するって意味がまずある。
そのまんま引用するけど、ここで「older sister(姉)」って言ったあとに、
なんかシカゴとか言ったな、姉の説明ねって、英語話者はボーっと聞いてたら思う。
これを聞いた日本人は、どう思う?
『そんなん、聞いてる相手によって違うに決まってんじゃねーか』が正解。
この状況だと、父は「ああ、2人の姉のうち、シカゴの方だってのを伝えようと制限したんだな」って考えるわけだ。
まあ、考えないけど。どっちの姉ってああシカゴの方のねって理解するだけで。
この状況だと、友達は「ほーん、姉ちゃんシカゴに住んでんだ」と素直に思うだろう。
おいおい、前提条件で制限用法か非制限用法か違うってナニソレ、とか思うだろ?
(厳密に言うと、『日本人の英語』での説明にも『前提条件無しで短文を読むなら』ってのが常についてると思って読まないといけないハズ)
そうすっと、「どういう姉」かを伝えるやり方があって、
って書いてあったら、日本人は「ほーん、じゃあシカゴに住んでない姉も居るのね」って考えるから、
って意味である、ってのが「I visit my older sister who live in Chicago.(コンマなし)」の解説なワケよ。
このまんまだと判り難いだろ?
疑似C言語あたりにすると、こんな感じ。
#define CHICAGO 1 int sister[3] = {45, 43, 41}; int who; who = CHICAGO; printf("%d", sister[who]);
まあ結果は43が出てほしいよね。
シスター配列を、CHICAGOで指定してんのね。sisterを指定するのに使う変数がwho。
ならこんな感じ
#define CHICAGO 1 int sister = 43; int who; printf("%d", sister); who = CHICAGO; printf("%d", who);
で、その後、どこ住んでるかの番号が出力される感じ。シカゴだ。
英語のカンマは、「そこで一回出力してくれ」って命令だと思うのがコツ。
カンマが入っていないwhoは、ワザワザそれを伝えて限定しようとしてると読むべき。