はてなキーワード: 安倍マリオとは
安倍マリオの安になるはずだったのに
哀れだと思った。
それが何故か、すぐには分からなかったが、薄らぼんやりとこの結論に至る理由が見えてきたので、書く。
私が安倍晋三氏を哀れだと感じるのは、人として扱われていないと思うからである。
彼を信奉し、応援するという人々は、彼そのものの人間性ではなく、「武器」としての彼を必要としているように私には見える。
自分以外、自分の世界の外の敵、それらを踏み潰すヒールとして安倍晋三を用いているように見える。
自分と敵という部分には、日本と韓国、日本と中国、一般人とクズ、異性愛者と同性愛者のような言葉が当てはまる。
何らかの理由で多様性を認められない人々が、自分や自分の認めた価値観以外を叩くときに、安倍晋三を用いているように見える。
またある時には安倍晋三という存在は、福の神もしくは疫病神のように語られる。
安倍晋三がいる「から」大丈夫、もしくは安倍晋三がいる「から」ダメ。
そういった言説を見かけることが多々あった。
たまに私は忘れそうになるが、安倍晋三というのは人で、人間で、今生きているのだ。
彼には出来ることとできない事や、得意なことと苦手なことが恐らくある。私が今まで出会った人間は皆そうであったから、この推論は恐らく合っているはずである。
しかし、記者会見や国会に現れる彼から、彼について書かれた記事から、そういった人間性を感じることがあまりに少ない。
(安倍マリオなど作為的な人間性の発露を目にすることはあるが、演出の域を超えないものばかりである。)
彼の言動が私の「怒り」や「呆れ」を引き出すことはあるが、彼自身の人間性は全く見えてこないのだ。
何を大事にしていて、どうやって生きてきたのか。
何を考え、何を選び、何を捨ててきたのか。
安倍晋三という人間からは、彼そのものを成す「信念」のようなものが、全く見えてこないのだ。
今、私は多分彼に怒りを抱いている。
しかし常に常に怒りより、呆れが前に出てくる。
私は彼と、コミュニケーションを取りたい。
人として、国民として、怒りを届けたい。
気に入らない者を潰す武器ではない、この世を終わらせる悪魔でもない。
人間として、総理大臣としての彼へ、1国民として怒りを、願いを届けたいのだ。
しかしそれの、なんと困難なことだろう。
彼のことを哀れに思う。