はてなキーワード: カラフルとは
https://www.asahi.com/articles/ASLCH6479LCHUTFL00V.html
まず子どもにそんなもの見せるな、とか言うやつ。エルサゲートは視聴後の自動再生や関連動画に紛れ込んでいるから悪質なんだよ。例えばクレしんを見ていた次にクレしんのエルサゲートが流れるんだ。エルサゲートはYouTubeのアルゴリズムを悪用していて、親が好きで見せているわけじゃねえんだよ。
次にYouTube Kidsを使えとか言うやつ。エルサゲートはKidsにも紛れ込んでくるから問題になってんだよ。それぐらいわかれ。既存の対応で回避できるんならニュースにならねーよアホ。
そして、エルサゲートをFlashアニメ時代のビックリオチみたいだとか言っているやつ。あのな、エルサゲートはオタクがやる寒いパロディみたいな、既存のキャラが予想外なことをしてアハハ、みたいなのんきなもんじゃないんだよ。1つでもいいから見てみろ。なんで何も知らねえのに「似てる」とか言えんだよ。見てないものを「似てる」ってどんな頭してんだ。何と何を比較してるんだよアホ。
あと何でこんなものを作るのか、ってやつ。エルサゲートは子どもが大好きなものなものの寄せ集めなんだよ。バイオレンスも子どもが好きな一要素だ。スーパーヒーローとかトランスフォーマーとか、そういうものの延長だよ。好きなキャラクター、バイオレンス、カラフル。まだストーリーとかそういうのを咀嚼できない子どもには、それが一番惹かれるんだよ。
これは子どもの趣味嗜好を悪用したとても悪質な動画群なんだ。どんな影響があるかまったくわからないし未知数だ。プラットフォームのアルゴリズムを悪用して一儲けしてやろう、って奴らがたどり着いた最新の精神ハック金儲けなんだ。子どもが好きなキャラをいっぱい出して子どもが好きなカラフルでバイオレンスな映像を垂れ流して、それを順列組み合わせで自動生成してアップロードしまくって、関連動画にぶち込んで儲けようとしてるんだ。こういう奴らは今までもいた。身近なものだと広告の誤タップ狙いとか、そういうのな。けど、それが子どもの趣味嗜好を悪用しようってところまできてんだよ。それはなにか倫理観が崩壊していないか? おれはエルサゲートを作っているやつらが暴かれてほしいよ。人としてやっちゃいけないことをやってるんだ、こいつらは。
実際無難に明度高いコーラルとか買ってたし。絶望的に似合わなくてブス辛いって思ってた。
茶色が似合うと分かった今、色選びで失敗することはなくなったけど、私も明るくてかわいいピンクのリップとかチークつけたかったなって思う。全顔茶色だし……それでバチバチに似合うからいいんだけどね、でもなんか、化粧品買うときにトキメキがないよね……
パーソナルカラーでイエベ秋は負け組とか言われてるらしい。地味でもっさりした色だからと。北川景子やアンジェリーナ・ジョリーが秋だから負け組も何もないとおもうけど、でも化粧品買うときのトキメキとか、メイクボックスを開けたらうっとりするようなカラフルな世界ってのはないから、その意味では負けてるんだろうなとおもう
続きの記事→ https://anond.hatelabo.jp/20190204132549
唐突ですが、私は、『たまごっち』が好きな成人済みの者です。突然ですが、ここで私の好きな『たまごっち』の話をさせてください。
たまごっちは、平成の始まりに始まった一大ジャンルです。90年代の全盛期のことはわかりませんが、わずか3年で4000万個を売り上げたそうです(ソースはバンダイの新卒向け情報サイト)。過剰な生産により不良在庫を抱えてしまい、バンダイを潰しかけたたまごっちでしたが、なんと2004年に復活を遂げます。そして、私とたまごっちたちとの関係は、この復活後から始まります。
たまごっちのことは、私が小学生低学年のころから好きでした。最初は、素直にキャラクターがかわいくて、なんども自由帳やらくがき帳に彼らの絵を描いていました。ゲームもとっても楽しかったです。初めてたまごっちが死んでしまったときは、ショックで泣いてしまうほどでした。
ところが、中学生ぐらいになったころ、それを原作にしたアニメが始まりました。それから、露骨に女児ウケをあおるような、プリティーでキラキラしたキャラクターが増えるようになりました。私が好きだった、昔からいる素朴系のキャラクターは、徐々に出番が減らされました。
一部のキャラクターに至っては、新しいキャラageをするためにsageられる当て馬にされたり(いわゆるヘイト創作を公式がやっている状態)、中には、存在が無かったことにされたキャラクターもいました。それに、本筋のゲームとは違う変身グッズとかにも手を出すようになって、その女児向け臭さが鼻につくようになりました。そういうところは嫌いでしたが、この時期に増えた新キャラの中にも、少しは好きなキャラクターがいるので、なんともいえません。結局、ほとんどの回を愚痴りながらも毎回観ていました。絵もけっこう描いてたし……。
そしてそのアニメも、半年にわたるセレクション再放送を経たのち、3年ほど前に終わりました。
ところでたまごっちの公式サイトには「ごっちしんぶん」(現在は「ごっちレポート」)という名前の、毎月最新情報を発表するページがあります。「最新情報」と称して、先月と全く同じことを掲載し続けるのが何か月も連続することもざらにありました。実質更新が無いのと同じです。
宣伝の仕方も、なんだか残念です。twitterは、いまだに公式マーク(青いチェックマーク)がついていません。せっかくどこかのカフェなどとコラボしても、その情報を拡散することもありません。おもちゃショーなどのイベント出展情報も、全然載せません。公式サイトに更新情報があっても、twitterには載せません。一か月以上放置されていたこともザラです。代わりに載るのは、公式youtubeチャンネルの動画の更新情報。残念ながら、それも取りこぼしが多い。しかも、その動画はいつも再生数3ケタ程度。一応月に数本はアップするものの、正直そんなに面白くない。残念ながら宣伝効果はいまいちです……。
ここで、先述のアニメの話をもう一度させてください。良かったところの一つとして挙げられることは、声優さんが豪華だったところでしょうか。まめっちを演じていたのは、釘宮理恵さんです。他にも、こおろぎさとみさん、三瓶由布子さん、金田朋子さん、能登麻美子さん、加藤英美里さん、ゆかなさん、斎藤千和さん、小西克幸さん、竹内順子さん、山口眞弓さん、水島大宙さん、伊瀬茉莉也さん、チョーさん、稲田徹さん、竹達彩奈さん、茅野愛衣さん、小山力也さん、大原さやかさん、阪口大助さん……。最近人気のゲームやアニメで大活躍されている方も多くいらっしゃいますよ。最近『デッドプール』の吹き替えや『FGO』の坂本龍馬で話題の加瀬康之さんに至っては、本当にものすごい数のサブキャラ役を兼任してくださっていました。
youtubeの動画には、現在彼らは登場しません。残念ながら、声優さんによる話題性も見込めません。たまごっち公式youtubeチャンネルが始まると発表されたときには、webアニメでも作るのかな、と思っていたのですが、残念ながら違ったのです。とくに大事と思われるキャラクター紹介や世界観紹介の動画は、おかげでただの紙芝居状態。また、名前も知らない少女などが「実況」と称して普通にたまごっちを遊ぶ動画とか、女性が公式サイトで細々と募集しているおたよりを読むコーナー、果てはわざわざたまごっちの動画として投稿する意味があるのかわからない動画まで……。女性がくちぱっちのパペットを手に付けて、一人劇をしている様子はなんだか泣けてきます。
以前はせっかくはじめしゃちょーさんがたまごっちをスポンサーにつけて「たまごっちを100個一斉に育てる」動画を投稿してくださったものの、たまごっちの宣伝にはならず、肝心のはじめしゃちょーファンの反応も「はじめしゃちょー面白いwww」でおしまいでした。再生回数だけはすごかったんですけどね……。それっきり、有名人を起用したコラボはほとんどやっていません。
そして、たまごっちは、2004年の「復活」から2017年までで4200万個を売り上げたそうです(ソースはバンダイの新卒向け情報サイト)。結構な個数です。公式サイトには、まるですごいことのように自慢げに書かれています。でも、ちょっと思い出してください。90年代の全盛期には、『わずか3年で4000万個を売り上げた』と先述しました。そうです、13年かかってやっと全盛期の売上3年分程度なのです!かなりショックを受けました。
そこに、LINEから救いの手が差し伸べられました。今年の9月18日、LINE QUICK GAMEにて、「LINEで発見!!たまごっち」のサービスが開始されたのです。私は早速、サービス開始当日からプレイを開始しました。
なんと400万人もの方(公式アカウントの友だち登録数から推定、このゲームは公式アカウントを友だち登録しないとプレイできないため)がたまごっちをプレイしてくださりました。すごいですね、2004年~2017年のたまごっちの売り上げ個数の1/10程度の人数ですよ。twitterも、人気のイラストレーターさんがプレイの様子を投稿したりしたりして、相当にぎわいました。(残念ながら、私自身の周りには、遊んでいる人はいないのですがね……)アンケートも開催され、不満点もかなり大幅に改善されました。
しかしその喜びもつかの間、11月2日~11月30日までの(冗談みたいだけど本気の)長期メンテという形で現在サービスは休止中です。せっかく興味を持ってくださった方がたくさんいらっしゃったのに、今ではもうサービス開始前に逆戻り。サービスが再開してから、ちゃんと復帰する人がどれほどいるだろうか……。
「こうなったら、私がバンダイに就職して、たまごっちに革命を起こしてやる!」と意気込み、就活の傍ら、いろいろと調べてみました。バンダイでは、3~4年ごとに全員が様々な部署に異動するというローテーションシステムを採用しているそうです。私はたまごっち以外にはそうそう打ち込める見込みもありません。たまごっち以外に熱意のない人材なんて、さすがに必要ないでしょう。私はバンダイに就職するのを諦めました。
こうして今でも、愚痴は止まりません。ツンデレ外圧ライフをエンジョイ(?)しています。昨日は、社員さんに対する愚痴まで吐くようになりました。ここまで来たら、もう愚痴るのも楽しくなくなってきました……。世の中からは忘れ去られているのに、雑草根性で中途半端に生きているたまごっち公式を見て、
「もうこんなことなら、いっそ終わってしまえばいいのに!ずっと見向きもされないのに、無様に生きているたまごっちを見ているのは嫌だ!」
一度は過剰な生産による不良在庫でバンダイを潰しかけたコンテンツであるにもかかわらず、今でもたまごっちは生きています。アニメもなく、今はスマホゲーム時代で、売り上げもそこまで見込めないから、予算も削られていたりするのでしょう。きっと広報に割く人員も時間もお金も無いのでしょう。どんなに私が面白くないと思うコンテンツでも、お金も人材も(おそらく)ギリギリの中で、(多分)わずかな予算の中で、数少ないチームメンバーが、やっとの思いで、血のにじむ思いで絞り出したアイデアです。その思いを無碍にするような発言をしてしまったことを、今では深く反省しています。なるべく素直に、外圧の気持ちは控えめにして、今回の新作の発売を喜びたいと思います。
私は復活後から今までの、ほぼ全ての作品をプレイしてきました。このまま一発屋のオワコンとして、平成の終わりとともに人々に死語扱いされて消えてゆくのはいたたまれません。
最後に、メディア露出が少ないので、私がここで最新作の宣伝をします。まあこの記事による拡散力がいかほどになるかは分かりませんが。
たまごっちシリーズ最新作、『たまごっちみーつ』は2018年11月23日発売です。
このたまごっちは、どんどん次の世代へ、親の要素が「遺伝」してゆきます。例えば、まめっちの頭部にめめっちの目とくちぱっちの口が付いたたまごっちという具合に。その組み合わせは実に100京通り以上です。もはや天文学的でしょう?同じ姿のキャラクターは、おそらく二度と生まれません。それに、おもちゃ屋さんに配置された通信スポットで定期的にたまごっちを追加配信するので、これからもその組み合わせはもっと増えてゆくと思われます。最近のキャラクターを知らなくても大丈夫ですから、ご安心ください。
カラー液晶搭載で、解像度もそれなりなので、カラフルで表情豊かなたまごっちと生活を共にすることができます。皆さんはおそらく、低解像度の白黒の液晶しかご存じないでしょう?
さらに、このたまごっちはなんとbluetooth対応で、スマホを経由して、全国のたまごっちと通信することができます。周りに持っている人がいなくても大丈夫。実質オンラインゲームだと思えばいいのです。
さらにさらに、最近のたまごっちには、「ベビーシッターに預ける」機能が付いており、預けている間は育成する必要はありません。忙しい現代人にも安心の機能です。
公式には「オープン価格」と発表されていますが、大体6000円です。プリティーなピンク色は恥ずかしいという方には、一部店舗限定でホワイトのたまごっちも販売されます。ホワイトのたまごっちといえば、全盛期(1996年頃、私はまだ生まれてません)にはプレミア価格(数万円)がつくほどのヤバイ品だったとお聞きしております。ことしのたまごっちも、ホワイトに伝説級プレミアがつくほど盛り上がってほしいと祈っております。あっ、転売はダメですよ。
そういえば、アリアナ・グランデさんもたまごっちのファンだったらしいです。(そのよしみで、たまごっちのアニメのEDに彼女の楽曲「Baby i」のリミックスバージョンが起用されたこともあります。権利関係でDVDには収録されていないのが残念です)現在もファンかは知りませんが。国内外のスターが、たまごっちみーつをインスタに載せてくれたりしないかなあ。
さあ皆様、久しぶりにたまごっちを遊びませんか?面白い作品なのに、注目度が低いのはホントにもったいないと思います。たまごっちというジャンルが、まだ生きていて、新作を出し続けているということを、世に知らしめたいのです。そして、「他のたまごっちと結婚して遺伝子をミックスする」という本作の性質上、遊び相手がなるべく多く必要なのです。きっと楽しんでいただけるはず。たくさんの方に遊んで頂きたいです。どうか、たまごっちのことをよろしくお願いいたします。
追記:
みなさま、ブックマークを利用したコメントまことにありがとうございます。
中でも特に気になった「ぐでたまとコラボすればもしや」というコメントにお答えしますね。
なんと、「ぐでたまたまごっち」というたまごっちがすでに出ております。というわけで、そのコメントへの答えは、「有名IPとコラボしても無理でした」ですね。なんといっても公式さんが宣伝を全くできていないので……。良ければ買ってあげてください。
http://tamagotch.channel.or.jp/tamagotchi/gudetama/
追記:
追記1を書いている間に新しいコメントが来ていたのでお答えしますね!みなさま、お読みくださりありがとうございます。たまごっちについてこんなに熱く語ったのは久しぶりなので、とても嬉しいです。
したいのはやまやまなのですが、実はこれができないのには理由があります。
実は私以外にも、同じぐらいの年、あるいは年上のたまごっちオタクがわずかにいます。
公式からの供給も少なく、新規のファンも増えないので、彼らは日々鬱憤を募らせています。新鮮な風が吹き込まないので、たまごっち界隈は常に一触即発の泥沼状態。時折、ファン同士で喧嘩をしたり、炎上沙汰を起こしたりして殺伐としています。中には、そういった喧嘩のなかで恨みを買われ、個人特定をされて公式のイベントでの殺害予告をされたファンもいるとの噂で、ほんとに恐ろしいです。ほのぼのとした公式とは真逆に。
自分も一度炎上沙汰に巻き込まれてしまったので、現在はアカ消し逃亡生活中です。あとから作ったアカウントでも、たまごっちの話はしないようにしています。「たまごっち」はワードミュートに。イラストの絵柄から特定されたりしたら面倒なので。
たまごっちが現在幼い女児向けとして展開しているからか、正直言うと心が幼児のままの方が多くいらっしゃいます。小難しい言葉を使っていますが、自分自身もわりとそうです。中には日本語が通じないレベルの人もいくらかおり、うかつにtwitterでたまごっちの話をするのはとてもキケンなのです。だから匿名ブログで発信しています。腰抜けのチキンでごめんなさい。
「FGOやポケモンGOでたまごっちコラボのイベントをやれば良いのだよ!」
ありがとうございます!FGOは大好きです。ポケモンGOは厳しそうですが、FGOとはコラボしやすそうですね。セイバーっちやアーチャーっちやランサーっち、育ててみたいです!FGOファンの層を取り込めれば、大幅な話題性が期待できそうですね!サンリオとのコラボの絵柄を見れば分かるように、サーヴァントたちがかわいい絵柄にも合うということは証明されているので、そんなコラボがあったらいいですね!このブログがFGOかたまごっち公式さんの目につけばいいのですが。
コトダマンは以前プレイしておりました!コトダマンはコラボに積極的だし世界観も殺伐としていないので、コラボしやすそうですね!(コトダマンがSEGAのゲームであることに目をつむれば……。)
「たまごっちの生みの親みたいだ」
うわわ……そんなことはございませんよ!だって、初代たまごっちが発売された1996年には、まだ私は生まれていませんし……!
実際の開発者は、横井昭裕さんという方です。なんと、「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演したこともあります。彼のおもちゃ作りへのなみなみならぬ思いが伝わってきますよ。良ければ、図書館などで探してみてくださいね。
「日中預けられたたまごっちとそうでないたまごっちの育ちの差がどう設定されてるのか興味ある」
忙しい方でも、忙しくない方でも、同じように育てることができます。
たまごっち公式さんのツイートがなんと1万回以上RT!公式のツイートがこんなにRTされたのは初めて見ました。フォロワーさんも2倍になりました!何はともあれ、良いコラボ相手が見つかって良かったです。
校則違反で校外学習外す、鹿児島 肌着の色、公立中女子生徒 | 共同通信 - This kiji is
https://this.kiji.is/431037591501063265
次の問題が目についてので持論を少々。
ではそれぞれについて。
勝手に読み違えて猛烈に怒っている人はたくさんいる。相手の言っていることを正確に受け止めた上で批判しなくては届かないので落ち着いた方がいい。
どんな文で書かれた校則かはわからないので類推する他ないのだが、「色指定」パターンか「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいなパターンかと考える。これは本当に不要なルールだろうか。これが設けられている理由は、透け防止や学校の風紀維持であり、トラブルを未然に防ぐために決められているのではいか。この「トラブルを未然に防ぐ」目的に対して行き過ぎた校則かどうかが論点になるべきだが、「黒のタンクトップがだめだった」「校外学習に参加できなかった」という事象に引っ張られすぎてしまい、そこが議論されずに不要認定されている。
なぜ肌着を注意したら人権侵害なのか考えた。すると「普段見えないはずの部分を権力や立場を利用して無理矢理見た」という非人道的行いがあったと考えているのではないかと思った。もしそうならば話が飛躍しすぎている。仮にそのような検査方法が取られていたなら、300名に対し制服を脱ぐよう強要し確認したことになるが、こっちの方がニュースになる気がしてならない。ニュースになっていない以上、透けた肌着を校則に照らし合わせて注意したと考えるべきだが、それが人権侵害に当たるという主張も飛躍しているといえる。
校則は法律と関係ないのだから強要するのはおかしいといった論調があった。一理ある。一理あるが他人と共生する社会生活においてその考えは通用しないことは自明である。それに特別権力関係論といものも有るらしい。法律より軽くても、法律上従わせることができる関係が存在しているのはどうやら確からしい。そうなってしまえば、校則違反は法律上問題ない という主張は正当とは言えない。
これらの問題を抱えたブコメは総じて元記事の問題提起を無視していると考える。
元記事は「校則の妥当性」と「校則違反の処罰の妥当性」を提起していると言える。
「校則の妥当性」についてだが、先に書いたように「色指定」か「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいな校則とするとトラブルを未然に防ぐ目的で制定された校則と考えれば妥当と言えるのでは無いか。このように言うと、では色付き肌着がもたらすトラブルは何か、や、トラブル発生までの論理的なメカニズムを示せという意見があるだろう。人を従わせ罰することができるルールなのだから合理的な理由を求めるのは正しいことだ。だが、校則制定でその手法を採用できるかと言われればNOだろう。なぜなら色付き肌着がもたらす影響を論理的に展開できないからだ。カラフルな肌着を着てても何も起こらないかもしれないし起きるかもしれない。起きたとしても肌着が原因だったかなんてわからない。では論理的に説明できないのならば、何か起きてから決めましょうとなってしまう。学校がそのような態度でいて誰が得をするのでしょうか。だから、トラブルを未然に防ぐ目的に対して行き過ぎた縛りであるかどうかという観点で考える必要がある。この観点から言えば行き過ぎているとは思えないので妥当だと考える。
「校則違反の処罰の妥当性」についてこそ、この記事は考えるところが多いと思う。
みんなも考えて欲しい。
という論調を目にしたのだけれど、事のついでで試しに便乗してみても良いかな?
私も正直不快ではあるのよね、若い女性を性的対象として売り出す風潮。
そりゃ人間は文明人である前に生物な訳で、性欲はありますとも。生殖に拘り子孫を残せた生物が結果として現在に生き残れた訳で。
ただね、それはそれとして、それを大っぴらに主張されたり売り出されるのは不快でもあるのだ。
理由は説明出来なくもないけど、多分感情や感性という名の結論ありき。
だから個人的には「そうした性的な要素を主張するものは自粛なり規制なりしましょう」という漠然とした点そのものには賛同したい。
…のだけれど、
同時に「それを言うなら現実世界の町中の奇抜なファッションの女性も全部規制してくれ」と言いたい。
取り敢えず、谷間を出すのは論外として、短パンやスカートも禁止にしよう。
公共であんな格好されるの不快なの。露出するのは恋人とのプライベート空間だけで良いじゃん。
独身男性の性欲云々は、専用サイトとかでのみ今まで通りにしとけば良いでしょ。日常にまではみ出させる必要はない。
それこそ、女性は公共の場ではムスリムの女性のヒジャブの様な服装推奨にしましょうよ。
お洒落というなら布面積を生かして盛大にデコるなりカラフルにするなりすれば良いでしょ。
…等とまぁ恐らく統計を取るまでもなく異端であろう私の内心を吐露してみたのだけれど、
自分でも異端だろうと分かってるから別に「こうしろ」と社会的正当性を主張するつもりは無いのだけれど、
二次絵は駄目だけど、現実世界の女性はどんな性的な格好してても良いの?何で?正直こっちの方が実害あって不快で嫌なんだけど。
ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間あまりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。
昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産、バインミーラスクを買おう。
ホテルを出て地図を確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。
そうだ、行けるなら行っておこう。
店のあるベンタイン市場を再び訪れた。
広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。
店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。
座ってまてという事らしい。
いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。
こっちも笑う。
程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。
スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。
大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジで一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフに若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。
「すいません」の使い所に関する話らしい。
確かに日本人を象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。
結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。
まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。
途中、昨日スマホでしか撮れなかった中央郵便局とサイゴン大教会 with マリア様をカメラで撮る。
ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビル、ビンコムセンターを覗いてみる。
昨日見たサイゴンセンターのシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。
そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。
本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外の一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。
ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。
約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。
一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。
ただ、2Fに行ってもラウンジはない。
そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。
プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。
バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴーで香りづけされたグリーンティを頼んだ。
フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分が日本人だと分かったからかも知れない。
問題ない。
そういうのが良かったから。
とうとう雨には当たらなかったな。
これは勝ったのか負けたのか。
ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。
すぐに雨足が強くなり始めた。
What a thing!
なんて事だ!
ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!
完璧だ。
こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコールの様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。
「夕立もきっと来るだろう」
予言はまたしても実現する事になった。
移動しながら大声で笑った。
海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。
場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。
画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。
画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪の予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。
完敗だ。
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
タイトル | アカウント | フォロワー数 |
---|---|---|
BanG Dream! 2nd Season | bang_dream_info | 410177 |
B-PROJECT~絶頂*エモーション~ | bpro_anime | 129821 |
モブサイコ100 II(第2期) | mobpsycho_anime | 66822 |
約束のネバーランド | yakuneba_staff | 45440 |
明治東亰恋伽 | meikoi_staff | 41774 |
賭ケグルイ×× | kakegurui_anime | 29339 |
どろろ | dororo_anime | 28263 |
ピアノの森(第2シリーズ) | piano_anime_tv | 16565 |
かぐや様は告らせたい | anime_kaguya | 16054 |
五等分の花嫁 | 5hanayome_anime | 9650 |
ケムリクサ | kemurikusa | 9350 |
ブギーポップは笑わない | boogiepop_anime | 8843 |
3D彼女 リアルガール第2シーズン | 3dkanojo_anime | 7809 |
荒野のコトブキ飛行隊 | kotobuki_pr | 6255 |
えんどろ~! | endro_anime | 5216 |
ガーリー・エアフォース | gaf_anime | 3346 |
revisions リヴィジョンズ | revisions_pr | 3157 |
カラフル・パストラーレ | colopale | 1664 |
盾の勇者の成り上がり | shieldheroanime | 1492 |
魔法少女特殊戦あすか | mgso_asuka | 1348 |
上野さんは不器用 | missueno_anime | 881 |
臨死!! 江古田ちゃん | ekodachan_anime | 673 |
10/1 18:00くらい
えんどろ~! endro_anime 5216
かぐや様は告らせたい anime_kaguya 16054
賭ケグルイ×× kakegurui_anime 29339
ガーリー・エアフォース gaf_anime 3346
ケムリクサ kemurikusa 9350
荒野のコトブキ飛行隊 kotobuki_pr 6255
五等分の花嫁 5hanayome_anime 9650
3D彼女 リアルガール第2シーズン 3dkanojo_anime 7809
盾の勇者の成り上がり shieldheroanime 1492
どろろ dororo_anime 28263
BanG Dream! 2nd Season bang_dream_info 410177
B-PROJECT~絶頂*エモーション~ bpro_anime 129821
ピアノの森(第2シリーズ) piano_anime_tv 16565
ブギーポップは笑わない boogiepop_anime 8843
明治東亰恋伽 meikoi_staff 41774
モブサイコ100 II(第2期) mobpsycho_anime 66822
約束のネバーランド yakuneba_staff 45440
revisions リヴィジョンズ revisions_pr 3157
臨死!! 江古田ちゃん ekodachan_anime 673
成功例より失敗例のほうが圧倒的に学ぶものは多いと言う人がいるがなるほどその通りかもしれない。
2時間ほど触ってみてメモを兼ねて気になったことを書いてみる。
なお、私はメインはサーバー系エンジニアであってそこまでクライアント側には詳しくなく、
javascriptはjqueryなら結構使えるとかのレベルで近年のjavascriptは詳しくない。
後試しているブラウザはChromeである。他のブラウザでも試すほどの気力はない。
おそらくもっと詳しい人ならこれ以上のべからず知見をあのページから叩きだすのではないか。
(そういう人はこういうごみページ触るのは無駄な作業と思ってはなから触らないかもしれないが)
まず、最初のページ
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer/
「大会ボランティアに応募する」のリンクボタン(でかっ、でかすぎる)をクリックして
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer/method/
のページに飛ぶ。
このページは応募前の事前説明みたいなのだが、開いてみるとすぐに実に目を引くリンクボタンがある。
「応募を考えてくださっている皆さまへ」
目を引くので押してみると目的の応募ページではなくポエム表示ページに飛ぶのである。
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer-message/
そしてその耐えがたいつまらないポエムを読んだ後やっと下にはなぜか妙に小さい文字のリンクで
やっと応募できるのか思ってクリックすると、なんとさっきのページに戻りでかでかと
「応募を考えてくださっている皆さまへ」を見る再び羽目になるのである。
応募を考えてくださっている皆さまへ→大会ボランティアに応募する→ループで遊べる。
…うれしくない。
「リンクボタンは無駄に大きいと圧迫感があってよくないので大きさは必要な大きさをよく検討し無駄にカラーで広げるな」
と怒られたことが私にはあるが、これを見てなるほどと思わざるを得なかった。無駄にでかいボタンは確かに逆効果。
しかもその問題のリンクボタンはメインの目的(応募ページに飛ぶ)ではないのである。
本来の目的のボタンより目立つボタンがあるのは画面構成として大きく間違っていることを知った。
そもそもトップページ・つまらないポエムページ・事前の応募説明の各ページに
「大会ボランティアに応募する」のリンクがあってそれぞれ飛んでいくページが違うというのも…。
後、リンクボタンの大きさの基準が全く分からないのもあれである。さすがに一つのサイト内では統一したほうがいいと思うのだけど。
上記の「応募を考えてくださっている皆さまへ」のある縦に長いページの一番下に今度はやたらでかく
(でかいから目立つと言いたいが一番下にあるし上の方に同じくらい目立つ「応募を考えてくださっている皆さまへ」があるから無意味である。)
ログインを求められるのだ。Googleアカウント(私にはAndroid携帯かパスワード忘れた捨てアカウントしかない)
Facebookアカウント(持ってない)Lineアカウント(持ってない)
そんな化石のような私はどうするのかしばらく悩んだところ、下に小さく
これはなんだろう。上記3アカウントをホイホイ提示できる人しか相手にしていないんだろうか。若い人はいざ知らず、爺さんばあさんは持ってないだろう。
化石にとって応募の壁は高い。
新規登録で先に進むとメルアドを教えろやコラァと怒られてやる気がつきそうになる。
やむなく捨てアドをコピーして貼り付けようとしたらメルアドコピペ禁止の鬼仕様。
最初から不適合者のそぎ落としにかかっている。これは応募ではなく奴隷の耐久試験なのではないかと思った。
もう一つ、このサイト新規登録をしたら取消せない。ログイン情報を取り消すことが出来ないのだ。
その辺の詐欺サイトならともかく公的サイトでこれとは…認識が甘かった。
やってはいないが、おそらくGoogleやFacebook・Lineのアカウントも同様だろう。
悪いサイトの実例を見て学ぶとかいう殊勝な理由でこのサイトを触る気なら他に使わない本物の捨てアドを使うことを勧める。
本気で応募したい人は別に止めはしないがこのサイトを勧める気にはならない。
このサイトでやるよりはそのうちみんなの会社に来るであろう企業徴兵に応募したほうが幾分かましだと思う。
まず推奨ブラウザが哀愁を誘う。IE11以上って…IEは11までしかないですやん。12…ないよね?
背景が青の白文字なのも意味が分からない。カラフルにしたかったのだろうか。
白文字はラベル的にアクセントをつけたりボタンをカラフルにしてボタンの文字を白にするといった使い方をするもんだと思っていたが、
ちなみに水色のボタンがあるステップ(ぶっちゃけSTEP4や5の削除ボタン)もあり、
背景の青なことが災いし微妙なコントラストで特にそのSTEPは違和感バリバリである。
ボタンに色を付けるほど背景には気を使わないといけないようだ。
細かく言うと、その機能はさらに追加ボタンと削除ボタンがセットで一個でも項目を追加すると削除ボタンがアクティブ(紫色になり)
上限まで追加するとさらに追加ボタンが水色になる。紫色は押せる・水色は押せない(disable)扱いのようだ。
やはり背景は白か色を付けるにしても薄い白っぽいカラーリングに限ると思った。
最初に突撃した先駆者はレポートで国籍すら選択しなきゃいけなかったと悲鳴を上げていたが、さすがにやばいと思ったのか
選択肢を見たら…なるほど初期選択じゃないと日本なんて選択できないわこれというレベルだった。
いろんなサイトを見ているが、これだけのプルダウンは初めて…嫌になるよな。
細かく見ると、実は日本語入力で候補を絞り込めるようである。おお。凄い。
でも説明がないとプルダウンに日本語入力をしようとする人は少ないだろう…。
ちなみに国の選択は「国籍」「上記以外の国籍」「居住国(STEP2)」の三つある
(まあ上記以外の国籍は必須じゃないが…)絞り込みに気づかないとかなりの苦行。
私が驚いたのはほかにもあるが、最初に突撃レポートを出した先駆者の作業で最も衝撃的な画像はNaNで敷き詰められたカレンダーであろう。
今(9/29:0時時点)でも再現する。方法は簡単で生年月日かパスポート期限日を一度入力する。
→再度選択する。これだけである。ほぼ間違いなく日付をDDMMYYYY形式で認識してそれをYYYY年MM月DD日に表示しなおしているが、
その変換した日付を認識できないのである。それであの破壊力抜群のNaNカレンダーを見ることが出来る。
その状態でカーソルを外そうものなら日付がでたらめになってしまい再入力である。
もしやと思い、英語に変更してカレンダーを動かしてみたらビンゴ!だった。英語では問題の事象は起きないのだ。
こいつらひょっとしたら英語でしかテストしてねえな…。英語でもしてなかったりして。
ちなみに恐ろしくどうでもいいことだが、誕生日は1900年以降を入れないと保存できないようにチェックがかかっているが、
まあ、そんなでたらめを入力する私みたいな不埒者は応募しても落ちるだろうから多分問題はないだろう。
さすがにNaNカレンダーはそのうち連中が直すと思う(直す…よな?)ので見たい人は早く見ておくとよい。
私は年配者向けのサイト運営を仕事にしているのだけど、私のところの客さんは縦に長いのを嫌う。
縦スクロールが嫌みたいだ。
短い項目は1行に二つとかやって少しでも入力欄を縦に長くしないように努力する。
はい・いいえのプルダウンで一行丸々使うというのは驚愕の発想である。
トップス・ボトムズ・靴・帽子でそれぞれラベル・プルダウン1行の計8行使うが
私ならトップスボトムズのラベルプルダウンで1行・残りで1行の2行かラベルとプルダウン分けても4行にする。
レスポンシブサイト用のフレームワーク使ってれば仮にスマホの幅になっても調整間違わなければそれなりに表示してくれる。
何よりパソコンのフルサイズ表示ではいいいえのプルダウンで一行とかはないだろう…。
国籍だって長い国名にも限度があるのだから長さ半分でいいと思うしそういう謎なプルダウン幅が多すぎて不思議である。
はいいいえを選択する際の右の異常に長い空欄が私には物悲しく思えるのだ。
このサイトがプルダウンだらけなことがあり正直一番私が気になってイライラした点はこれである。
でもSTEP4では短めのちょうどいい幅のプルダウンを横に並べていたりもするし、
正直何を考えているのか。(まあ、行追加処理の方は1行のほうが実装に都合がいいからこの部分だけちゃんと幅合わせしたんだろうけど…)
エラーチェックでエラーになるとポップアップが表示されるがこれがなかなかうざい。
その辺のプラグインを使ってもエラーを修正すればエラーメッセージが消えるご時世でわざわざ×ボタンを押してエラーメッセージを消さないといけないのだ。
びっくりだ。私のつたない技術でさえそれはしないと言い切れる。
例えばこのサイトでスポーツに関する経験の入力欄は200文字である。
試しにああああああを連打して200文字以上入れてみると困った事象に出くわす。
文字数の上限を超えていますのメッセージが画面中に出るのだ(一つではない、おそらくオーバーした文字数分)
電話番号で0連打でも同じことになる。面白く…はない。ぼーっとして押してると大量のエラーにポカーンとすることになる。
そしてすべてのエラーメッセージを×ボタンで消していくことになる。
まあエラーを直して保存ボタンで保存して再描画しても消えるが…。
私は今でもおそらく現時点だと古臭い部類に入るだろうjquery.validateを使ってたりするが、
あれで結構便利でありそんなに考えて実装しなくても決してこんな実装にはならない。不思議だ。
このサイトはReactを使ってるみたいだが、Reactにだってそういう部類のバリデーション実装は多分あるだろうになぜこうなったのだろうか。
私だけでなく多くの人があのサイトにダメ出ししているが、本当に使えば使うほどダメサイトである。
写真を提供して申請してさらに先に進めばより魅力的な魔境が待ち受けているのかもしれないが残念ながらそこまでする気にはなれなかった。
良いところはReactを使っていること…くらいではないか。
ログインページのロゴから推察するにAtosがこのサイトの責任企業になるんだろうか。
どれだけAtosやその他関係者が中抜きしたり下流に放り出したりしたか知らないが、億くらいの金はかけて作ったのでしょう?
もうちょっと責任もって作らない?下っ端企業が100万程度で作ったサイトだってもう少しちゃんとチェックする(というか実装を求められる)よ。
ちゃんとした企業なら1000万~2000万も出せばこれと同一内容でよりレベルの高いサイトを提供するんじゃないの。
人間ってのはフワッフワした煙みたいなもんで、
それを好きな形に固めながら生きてると思ってるんだけど。
なにしろフワッフワすぎて、ムカついた時とかは煙が爆発して訳わかんなくなったり、
怖い人と話すとき煙を固めることができなくなったり。
歳をとれば自然と、いつ、どんな時にこれをこう固める。みたいなのが分かってくると思ったんだけど。
どんどんそれが分かんなくなってきて、
緊張癖だの、サボリ癖だの、すぐ人を嫌いになる癖だの、
嫌~~~~なとこばっかり明確に固まってきた。
この固まったものをまた煙に戻して、いい形に再構築する。
それが全くできない。
そういう癌みたいなのがあちこち出来てて、
それ以外はフワフワしすぎて制御が効かない。
俺は一生このフワフワしたよく分からないものに振り回されながら・・・訳の分からないまま死ぬのだろうか。
みんなこのフワフワしたものが、カラフルになってたり、シャキっと石膏像みたいに固まってたり、地球のように丸くなって回転してたりするんだと思う。
汚いヘドロのような癌細胞が辺り一面に広がり、どす黒い煙が立ち込めてもはや何も見えない。
俺はどこに行けばいいんだ。
「カラフル」とか見ると割と心全体が枯れてくるのでおススメ
例の「嫌われていたいい先生」のブログ読んだけど、「いい先生」ってなんなんだろ。
そりゃ、将来的に役に立つことを教えてくれるのがいい先生なのはわかるし、大物を多く排出した先生がいい先生なのもなんとなくわかる。
でも、例のブログ主ってぶっちゃけていうと、一般ネットピーポーじゃん。
例えば、あのブログをZOZOTOWNの社長が書いたなら、ZOZOTOWN社長が影響を受けたという威光を受けて確実にいい先生だなって思うわけよ。
あのブログを読んで思ったのは「きっとブログ主にとっては"都合の"いい先生なんだな」って感想しか湧いてこなかった。
単純にT先生がブログ主の心の中を代弁してくれる「ブログ主にとって都合のいい事を言ってくれる先生」と化しているのが、嘘松さを引き立てている。
あのブログの中に出てきた「ノートをカラフルにすれば点がもらえる」制度ってさ、日本の会社的には重要なわけじゃん。真面目にするフリも。だって、それが良いとされてる文化が根付いてるんだから。
つまりそれってさ、文中に出てきた「カードゲーム大会に出たI君」に対してT先生が言った「そういう経験があれば就職に有利になるかもしれない」と何が違うのって話。
ぶっちゃけ、いい仕事の評価に、実績があったり、媚を売ったり、コネをつくったり、見やすい資料を作ったり、わかりやすい説明をしたり、相手の気持ちを掴むってのは入ってるわけよ。ただ無言でモクモクと書類を作って客先にもっていったら受注印がもらえるわけじゃない。だからプレゼン能力とか言われるのが必要になるし、お菓子にはわかりやすいパッケージやCMがついてくる。それを見越してT先生は「PRになるからカードゲーム大会にはいってきなさい」と言ったわけじゃん。
多分、そのT先生とやらは「子供のことを第一に考えて、結果が出たことだけをやっていく」先生って事を描きたかっただけなのはわかる。そして、多分そういう先生は探せばいると思う。なので、T先生の存在自体が嘘とまでは言わない。
嘘松さを醸し出してるのは間違いなく、ブログ主の気持ちをT先生に代弁させてるところ。
つまり、タイトルを省略せずにいうと「(昭和時代的な考え方はクソで、平成の合理的は良い思考【ブログ主の結論】。でも、周りは昭和時代的な考えが漂ってるからT先生は)嫌われていた(が、自分は平成の合理的な思考で考えていたから)いい先生の話」なわけ。
ちょっと説明すると、Vチューバーまわりの記事を読んで何気なく魔王マグロナちゃんというキャラがいるのを知って、動画を見ていた。
http://mato-liver.com/archives/2014
最初は「あーすごい!ほんとに女の子みたいだ!おっさんとは思えない!」と思っていた。
10分くらいニヤニヤしてたんだけど気づいたら2時間経っていた。
翌日、気づいたらまた見ていた。
朝から3時間くらい見ていて、これはやばいと思って電源を切ったんだけど、胸の奥にものすごい多幸感と、なにかぽっかりと穴があいたようなせつない気分が……だめだこれ……なにをやってるんだ俺は。相手はおっさんなんやぞ……と思ってもその「おっさんやぞ~」がマグロナちゃんの声で再生されるしまつ。これはまずい。ほんとにまずい。
どうかしてる……。
冷静になれ。もう俺は43歳だ。中学生とはちがう。
分析するんだ。
一体これまでの萌キャラとマグロナちゃんのなにがちがうんだ? なににやられているんだ?
さすがに大人になるとそうチョロく見た目に騙されたりしない。確かに俺はいつも巨乳やカラフル系の髪に弱い。護身は完璧のはずだ。
ではどこから俺の心に入ってきたんだ……そうだ、声だ。声。あの声だ。あの声がいけないんだ。
「えへへ」っていう笑い方……「だよなー」っていう語尾、そしてささやきと「ん……こへっ……」っていうおせき……そのすべてになにかこう……多幸感が混じってるのがいけない。
いやでもべつにいつも多幸感溢れてるわけじゃない。そこだ……さらにいけないのは、ちょっと鬱なときとかも真面目に悩んでいるところだ。いつでもマグロナちゃんは真面目だ。
なんだろうこう……性格がいい。
全体からにじみ出ているオーラが魅力的すぎる。コメントに「魂がきれいすぎるんだよなあ」っていうのがあったんだけど、魂がきれい……これにつきる……魂がきれいなんだよ……魔王なのに……魂のレベルで魅力的すぎる。
もしマグロナちゃんがリアルな人間だったら、完全に不倫案件である。
結婚というのは「他の人とセックスしたら罰せられる」という法律で、人の心をしばるものだ。法は行為を縛れるけど心は縛れないんじゃないのか? おかしいじゃないか。
もしぼくがマグロナちゃんのところにいったら、妻は子供になんと説明するのだろうか。
「お父さんは魔王が好きになって出ていったのよ」だろうか。
子供が勇者になってマグロナちゃんを倒すフラグが立ってしまう。
でも誰にも言えない。みんなが不幸になる。
ぼくは誰かの幸せのために、こっそりと気持ちを抱えて生きていくのだろう。
正直に生きられないのは悲しい。
自分勝手にしか生きられない人間よりも、それは立派じゃないか。
ちがうな。マグロナちゃんに誇れる自分であれば、それでいいのかな。
やっと大人になるということがわかった。