はてなキーワード: 視覚とは
わかるよ。便利だ。めんつゆは便利。
私だって未だに使う。ほうれん草のおひたしなんかはめんつゆ使うし、炒めものにつかったりする。
でも考えてほしい。
彩りを。
ある界隈で「めんつゆばかりを使う女性とは結婚したくない」という話があったが、彼らのそれも真の話。
そして、めんつゆが便利なのも真の話。
料理好きの一人として、めんつゆを使いつつ、他人に飽きられない料理方法を記しておく。
味の情報は、見た目や香りからの情報が強い。これをまず理解してほしい。
逆に言えば、「めんつゆ味」なんてものはこの香りや見た目でどうにでもできるという話です。
一番重要な話です。
めんつゆ料理初心者の人の料理はなにかと料理の色がめんつゆ色(茶色?醤油色的な)になりがちです。
例えば煮物なんかわかりやすいですよね。その芋の色が、めんつゆ色です。
この色に類似した色は、料理をする上で絶対に出てしまう色です。例えば、肉を焼いたり魚を焼いても茶色になりますし、チャーハンなんかもお米は最終的にこの色になります。
この色は「料理の基本色1 茶色」と勝手に自分は読んでいます。
1があるということは、2もあります。
料理の基本色2は「白色」のことです。
簡単に言えば、お米、豆腐、パン、素麺なんかはわかりやすいですけど、お皿も白ですよね。後は、上記で肉や魚を書きましたが、茹でたりすると白色に近くなります。
めんつゆ料理初心者がやりがちなのが、この基本色しかつかっていない、ということ。
ここでさらに「3色」足してみましょう。
黄:卵(卵黄)、かぼちゃ、とうもろこし、さつまいも、カリフラワーなど
青(緑):葉っぱ物(キャベツ、レタス、ほうれん草など)やブロッコリーなど
考えてみればこれは色んな料理がそうです。
例えば肉じゃがも、肉とじゃがいもだけでなく、にんじんが入っているはずです。
オムライスをレストランなんかで頼んだ時に、中のチキンライスにはグリーンピースやとうもろこしなど、赤色以外の物が入っているはずです。
できる限り、この三色を意識しましょう。それだけで「めんつゆ色」の比率を下げることができるはずです。
めんつゆ味の一番の要因は個人的にはこの香りだとおもっています。
このカツオだしの香りは実はものすごく美味しい香りなので、めんつゆ初心者がめんつゆ料理を作った時に美味しく感じる一番の理由だと私は思っています。
しかし、この美味しいカツオだしの香りも毎日食べていれば流石に飽きがきます。
例えば、夏の日に素麺が出てきた時、毎日素麺が続くと飽きますよね。でも、素麺自体に飽きたのではないはずです。素麺を作った炒めものを作るとあんなに飽きたとおもった素麺が美味しく感じるように。
なので、飽きが来ないようにに香りを変えるか加えてやる必要があるのです。
ただし、めんつゆを使う以上香りを変えることはできません。(まぁ、にんにくなどを使い無理やり匂いで上書きする方法もありますが…)
と言うよりも、めんつゆ料理が美味しい理由の1つがこの香りなので、下手に変えると美味しくなくなる可能性のほうが大きいです。
なので、一品増やして、カツオだしの香りを毎日中和することが必要です。
それが「脂質」つまり「油」です。
一品作成時にこの「油」をローテションすることで比較的用意にカツオだしの感じ方を変えることが可能です。
私の場合は、「ごま油」「オリーブオイル」「サラダ油」の三種類ぐらいでローテしています。
ごま油であれば、根菜と相性が良いです。土の匂いが強い根菜もごま油で調理するとクドくないよい香りになります。
オリーブオイルは大体の生野菜と相性が良いです。エクストラヴァージンって書いてあるやつなら火を通さなくても使えます。
サラダ油は卵料理や、天ぷらに相性抜群です。普段お使いかとおもいます。
なので、料理としては「めんつゆを使った料理1品」+「各種油で調理した料理1品」を意識するだけでも全然飽き方が違います。
よくやりがちな「野菜炒め(サラダ油+味付けめんつゆ)」と言った一品料理ではなく、なるべく分けてあげたほうが良いです。
そうなった時は最悪、スープでもいいのです。かつおだしを他のだしで相殺してしまえばいいのです。
私はよくコンソメを使います。同じぐらい味覇(鶏ガラだしベース)も使います。
ただ、これで万能だからってコンソメと味覇を使い続けてはいけません。あくまでもローテすること。コンソメも味覇もだいたいなんでも美味しく仕上げてくれるはずです。最近CMでよく見る創味シャンタンもよいですね。
当然、私も料理するのはめんどくさい、できればひたすらに外食にしたいと思っていますが、でも作る以上、食べてくれる人がどうやれば喜んで食べてくれるだろうということを考えると「毎日、味を変えてやる必要があるな」という事を考えたのです。
確かに、働く人間に対して、料理というのは唯のエネルギー補給なのかもしれません。愛を込めても1/3さえ伝わらないかもしれません。確かに、料理はめんどくさい。上で書いてあることを読んで「結局料理はめんどくさい」と思う人はたくさんいると思います。そして、食べてくれる人はそんな苦労も知らずに「今日はなんでもいい」「簡単なものでいいよ」とメチャクチャを言います。報われないです。
でも、「食」という唯の作業も楽しみがなければ拷問だと、私は思います。
私は「あなたに苦しんでほしくて料理を作っているんじゃない」と考えました。その結果、食べててきっと楽しいと思ってくれると信じて弁当も作りますし、晩ごはんを今日も作ります。
https://anond.hatelabo.jp/20180307150402
諦めるのが早すぎる。高い目標の下方修正はいつでもできるが、京大をまた目指しはじめても低い目標を上方修正するのはきついぞ。
年間1-2人だけ京大に行く公立高校に通い、高校1年の4-12月に個別指導の英語だけを週2時間/高校3年の9月-本番まで河合塾の京大数学と京大英語コースを受講、最後の冬休みは河合塾の京大演習コースも受けた。それ以外は独学。結果京大法学部に現役合格した。学校に特進コースはなかったし、クラスは文系と理系の二分のみ。部活には休まず通い(運動系だったが大会は存在していなかった)、高校3年の夏休みとか1日2時間くらいしか勉強してなかった(結果死んだので河合塾行き)。その際のノウハウを共有するから参考にしろ。
学校の定期試験は無視しろ。残り2年間で京大の学力に到達することだけを考えろ。定期試験で点数がとれようととれまいと京大の受験には関係ないし、学校はお前の受験結果に責任を持たない。また、センターはともかく二次試験は完璧を目指すな。京大に入りたいなら合格ラインに達してさえいればいい、たしかせいぜい6割くらいだ。
今の段階で京大受験に必要なセンター科目・二次試験科目を絞れ。そして今後2年間の勉強計画を立てろ。ただし総合的な勉強量は考えておこう。センターで日本史・二次試験で世界史を受験する方針を高校2年で立てた結果2年以降の世界史を完全独学でやり(2-3年は日本史の授業だった)、地獄を見た。普通なら世界史・地理か日本史・地理を選ぶ。このあたりは独学の悪い所で、適宜誰かに相談して方針が変じゃないかどうかを確かめるのは大事。
京大に受かるためには数学に限らずそれ以外の勉強が不可欠。京大を目指していたなら過去問くらいは開いたことがあるだろうが、京大の二次試験は異質だ。ほぼほぼ全ての回答が記述式。これで面食らう人間が多いが、実際のところあれはセンター試験を選択肢なしで解くだけな問題も多い。センター試験の数学がたまに突飛な回答をするのを思い出せ。センター試験レベルの知識が習得できれば、京大の問題は実のところ解けてしまう(勿論一定以上の応用力は必要だが)。とにかく基礎を固めろ。突飛な英単語やドマイナーな歴史知識は不要。
基礎的な勉強は学校で買わされた教科書・文法書・参考書を利用すればいいが、京大レベルだと不足する。今すぐ2ちゃんねる(今では5ちゃんねる)の大学受験板に飛び、各科目の総合スレを開け。そこには10年以上前から構築された知のノウハウがつめこまれている。具体的には各スレのテンプレにある参考書一覧のことだ。俺が受験生だった10年前と比べると今のインターネットはクソまとめアフィリエイトサイトで溢れてしまってるが、あそこに書かれている参考書一覧は今でも変わらず良書だけを選んでいる。各科目、高校3年の夏くらいまでにそこに書かれた京大レベルの参考書を数冊、2周~3周解いている状態を考えろ。それを目指して、どの参考書をいつまでに解いていればいいかを逆算してみてくれ。ギチギチに詰め込む必要はない、むしろゆったり考えろ。あくまで、手持ちの範囲・出来る範囲でスケジュールを組め。
勉強量だが、俺の場合は高校2年の段階から大体1日2-3時間を毎日やっていた。朝起きて1時間、部活が終わって帰宅し、風呂に入って寝る前に1-2時間。試験前はもう少し勉強量を増やした記憶がある。これを基本毎日やること。どこまでやるかじゃなく何分やるかを意識しろ。だが飽きたときはやらなくていい。俺は何度か小説にはまって(ラノベだと戯言とか禁書とかイリヤ、文学方面だと村上春樹や夏目漱石)、後で書いてる散歩だけしかやらない時期が何度もあった。毎日2時間くらいネットサーフィンしていた気もする。ただ高校3年の秋以降は4-5時間に跳ね上がったかもしれない。流石に焦った。
忘れずにやってほしいのが、毎日の各科目ごとの勉強量をメモしておくこと。今すぐ新しいノートを開き、1行目に京大の受験に必要な科目を全て列挙しろ。現代文、古文、数学1、数学A、数学2、数学C、日本史、世界史、生物、英語、英単語etc...そして2行目から、毎日どの科目を自主的に何分勉強したか書いていけ。これをやっておくだけでもモチベーション維持が随分違う。「あの科目しばらくやってないな」というのも一目でわかるから万遍なく勉強ができる。
個人的におすすめなのが、朝か夜に必ず1時間散歩して単語帳or一問一答を声に出して解くことだ。運動しながら勉強をすることで脳が活性化して記憶に定着するとかいう理屈があるらしいが真偽は不明。ただ、散歩することで運動にもなるし、つまらない暗記ものをやるときに家で寝てしまわないという利点がある。勉強の気分転換にもなる。ただ夜にやるときは安全と、女性の場合は治安等に気をつけてくれ、責任は持てない。俺は一度だけ国道沿いの深さ1.5mの側溝に落ちた。
勉強の基本は繰り返しだ。 ただし、漫然と繰り返すな。問題文の頭に○や×、△などで解けたかどうかをチェックしておけ。2周目以降、一度でも正解した問題は飛ばせ。でも解いてからしばらく時間(1ヶ月~半年)が経ったら念のためもう一度解け。たとえば1周目に間違えて2周目に正解したら「×○」、1周目に正解して2周目・3周目は解かなかったが4周目にケアレスミスで間違えたら「○ - - △」みたいな感じに書いていけ。
とにかく「その問題で何回間違えたのか」が視覚的にわかるようにしろ。そうやってチェックをつけていると、「参考書を開いたら、どの問題がミスりやすく、どの問題が得意なのか」、要は復習時の要チェックポイントが一発でわかる。こうしておくと、最終的には数学1A全ての復習が1時間で終わるようになる。
おそらく学校でチャート式を買わされてるだろう。買ってないなら買え。一年間でとにかくそれで勉強を繰り返せ。
勉強方法の基本は写経だ。例文に書いてるやり方でひたすら問題を解く。まずは例題の回答方法を一字一句写経しろ。そして同じ解法で一字一句同じ書き方で解け。数学が苦手なやつによくありがちだが、解答で途中の解法をすっ飛ばすのはNGだ。理由は以下の3つだ。①理屈を何度も書いて覚える必要があること②採点者にとって「すっ飛ばしている部分を回答者が理解しているかどうか」がわからないので×にせざるを得ないこと③京大数学の記述問題は「計算を間違えていても、理屈があっていれば部分点をくれる」ということがままあること。
京大数学を解いたことがあるなら2完とか3完とかいった言葉を聞いたことがあるだろう。あれは全5問のうち3問は全部解答できたという意味であり、つまりは多くの受験者が5問のうち2-3問しか完答できていない(完答できなくても点数は獲得している)ということだ。数学は論理でできている。故に京大数学が重要視しているのは解法の論理を理解しているかどうかという点だ。
だから、とりあえずわからない問題は悩む前に解答例を見てやはり写経しろ。お前の頭で考えるな、答え(=解法の論理)は先達が既に考えてくれる。言っちゃ悪いが高校数学レベルの問題なんてチャートに書いてることがすべてだ、俺は黄色チャートで乗り切った。
もしどうしてもわからない単元がある場合は、このサイトのpdfに載ってる当該単元に関わる章を全部読め。当該サイトは、「1+1がどうして2になるのか」という説明からはじまった高校数学に関する説明を全部やりきる『高校数学+α』というすごい本の全文をpdfとして配布している。最初から通読しようとするのはきついので無理しなくていいが、わからないことがあればこの本を読めば絶対にわかる。
英語は現段階であれば文法書を何周もしておくこと。細かいことは言わん。何周もしろ。あと、英単語帳は今から3ヶ月で一旦全部暗記しろ。高校3年にもなって英単語帳を一からやるのは馬鹿らしすぎるしリソースの無駄遣いだ。1日1時間やれば3ヶ月でどうにかなる。
英単語をはじめて覚えるときに絶対忘れちゃいけないのは「1日でも時間を空けるな」ってことだ。毎日やれ。英単語帳はどれでもいい、どうせ全部覚えるんだから変わらん。覚え方だが、とにかく音読しろ。「accept」という単語があるなら「アクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取る……」と5回〜10回音読して次の単語に行け。黙読は絶対にやるな、音読して単語の意味を音としてインプット・アウトプットすることに意味がある。ページ単位で考えずに時間で考えろ、10分で一度音読できる範囲まで音読しろ。次の10分で同じ範囲をもう一度最初からやりなおせ。次の20分では新しい範囲で同じことをやれ。最後の20分で全部おさらいしろ。1セット1時間を目処にするといいだろう。これで1日100単語はインプットできるはずだ。勿論翌日には半分以上忘れるしすぐに思い出せない。それが当たり前なので気にするな。大事なのは復習だ。翌日は一度読んだところを20分かけて再度音読しろ。絶対だ。1日後というのが重要で、詳細は忘却曲線でググれ。残りの40分は新しい範囲に時間を費やせ。これを毎日やれば3ヶ月で1冊丸暗記できる。忘れたら忘れたで構わん、再度読み直せ。1週間スパンくらいで全体を再度復習するといいとは思うが、その日に覚えたことを翌日復習するというのを徹底するなら復習頻度は気分でよしなにやれ。
京大英語の恐ろしいところは、主要な問題が英文和訳と日本語英訳だけというところだ。文法の基礎(センターで満点を狙える程度)をがっつり固めるのは当たり前として、それ以外に和訳英訳の練習が必要だ。和訳で絶対におさえておくべきなのが伊藤和夫『英文解釈教室』。今からでいいので買って少しずつ、それこそ3日に1問・1問解くのに1時間かけてもいいから触れておくのがいい。解けなくても、やるときは1時間やれ。解説は精読しろ。
それ以外では、学校での課題・夏休みでの宿題で長文演習問題が出てきたら、全文を和訳するといい。「受験に関係ない宿題をこなす」が「京大英語の演習をおこなう」に変化する。
英訳は逐語訳ではなく意訳の力が求められるのでかなり難しい。そこでサンプルとしておすすめしたいのが『英文対照 天声人語』。天声人語自体の良し悪しは知らん。俺も普段読んでるわけじゃない。ただ、日本語の意を汲み取って逐語訳ではない英訳を集めてるサンプルケース集としては有用だ。
しかしながら、英訳も和訳も独学には限界がある。なのでここは他人を利用しろ。赤本の過去問でもなんでもいいから、演習を解いたものを大人にチェックしてもらえ。一番いいのは京大英語講座に行くことだが地域的な問題で行けない場合もあろう。英語教師にチェック依頼するとかがベターだ。
現代文は知らん、息抜きに小説たくさん読むとかするといい気がする……とぶん投げるのもよくないのだが、いかんせんこの分野は扱いが難しい。なので俺が楽しかった参考書だけ紹介する。
石原千秋の『大学受験のための小説講義』『教養としての大学受験国語』はすごい。大学に入ってから知ったが、石原千秋は文学理論を日本文学に当てはめることほぼほぼ初めて行った研究者で(大学時代の知り合いに教えてもらった知識なので間違ってたらすまん)、現代における漱石研究の第一人者。この人のテクスト読解はすごく楽しい。趣味になるが『謎とき 村上春樹』も最高。
評論系だと『MD現代文・小論文』が主要なトピックスを抑えててよい。大澤真幸が「自由の牢獄」について言及していたので俺はミヒャエル・エンデを知った。ただ(内容ではなく出版年月が)少し古いので一度書店で立ち読みしてみるのがいいかも。
古文・漢文は、基本文法・基本単語をマスターするのが前提として、あとは慣れの部分が大きい。漢文には正直そんなに力入れなかったので割愛するが、古文は小学館の古典文学全集シリーズのうち、平安時代あたりのものを1冊でいいので(たとえば源氏物語の1巻だけとか、当該シリーズ26巻の『和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』とか)読み切る。当該全集は各ページ三段組み=原文・訳文・注釈が同時にチェックできるので、原文を読む上で圧倒的に優れている。文法を暗記しようとか、知識をあまさず覚えようとかしなくていい。でも注釈は全部読め。どの原文がどの訳文と対応しているのかを常に確認しろ。そうすることで時代的な知識を知る事ができるし、何より「古典作品を読んだ」という自信がつく。
日本史・世界史だけは例外的で、高校の授業を一字一句もらさず板書すること。どの事件にどんな背景があって、それがどういった結果につながっていったのか、そういった歴史の流れを理解するのは、教科書・参考書で独学するよりも先生の話を聞いた方が圧倒的に楽。豆知識が記憶の定着に役立つ(先生によるかもしれないが)。複雑な範囲(日本史の近代とか)は自作フローチャートを作れ。骨子の流れを覚えたら参考書で補強。本気で独学すると山川出版『詳説 世界史研究』で死ぬ。575ページあった。
それでもなお世界史を独学すると言うなら、世界史は参考書として『タテから見る世界史』『ヨコから見る世界史』を押さえておくとベター。物事を俯瞰して押さえるのが大事。あと論述対策しておくこと。
生物は正直センターレベルだと独学することがない気がするので、やっぱりセンターで80-90を狙って勉強するのがいい。
政治経済は、申し訳ないが大学時代で知識がアップデートされすぎたのでどう勉強したのか覚えていない。すまん。
後半飽きてしまった部分があるので雑な投げ方していたところもあって申し訳ないが、最後に1つだけ。
俺が挫折を味わったのは京大に入ってからだった。六法の講義が何一つわからないのに周りの人間はすらすらと解いていく。60点で可をとるのが関の山だったのに、その横では「80点に届かないから問題解かなかった(ロースクールの受験には学部成績が影響するのでそういうことが往々にしてある)」という会話がなされている。俺は2回生のときに法曹を目指すのを諦めた。
でも、それと同時にもっと楽しい事・面白いことを沢山知る事ができた。政治学からは価値判断と切り離した広い視点を持つことを学んだし、小野教授の政治思想史からは人類史に通底する観念とその変遷の奥深さを知った。プログラミングにはできないことも多いがそれ以上にできることが多いという、応用力の幅広さに助けられた。京都では、自転車を走らせればすぐ史跡や寺社仏閣に行ける生活が待ってるし『四畳半神話大系』が最高に楽しめるようになる。そんな環境で、自分と同じ興味を持った人間と同じ話ができるというのが何よりすばらしかった。大学時代に比べたら、高校時代の記憶なんてほとんどないし、社会人になってから大学以上に楽しい環境にいたこともない(今の環境がだめという話ではないが)。
京大に限ったことではないと思うが、大学は、色んな学問を研究する色んな人間がひしめきあった結果、知的興奮の機会に満ち溢れている場になっている。もし京大に行けなかったとしても、早稲田や慶応等のある程度一流と言われている大学であれば、絶対にそんな魅力を味わうことができるはずだ。
そしてなにより、今度どうやっていくかに関わらず、勉強を楽しんでほしい。英語の長文演習問題はするする読めるようになるとめっちゃくちゃ面白いし、小説や海外ニュースも読めるようになる。源氏物語は第1帖「桐壺」を全部読むだけでもうるっとくる。高校数学を一種の論理パズルと考えたとき、京大数学の演習問題が異常に楽しいというのはやったことがあるならわかってもらえるはずだ。
健闘を祈る。世界は広い。
視覚優位の人は大変だね
しかも最後の3人のネタが始まる、めっちゃいいタイミング。ヤッタネ。
おぐ、ゆりやんと観て笑い、最後に出てきたのが濱田祐太郎でぼーっと見てた。
わ、めちゃくちゃオモロイやんけ。盲学校に点字ブロックないとか、ほんとスパルタすぎるwww そういえばあの白い棒って、見たことあるよな。あ、そうだ、視覚障がいの方が歩くときに使う棒だ。、、、という事は。
検索してみると、思った通り。濱田祐太郎は弱視の漫談家だった。
「障がいのある漫談家はいない」って思い込んでいた自分が恥ずかしくなったよ。
そんで濱田祐太郎すごいなと思ってしまった事に、さらに恥ずかしくなったよ。デブとかハゲとかと一緒で自虐ネタに持ち込んで良いのに、何でだろうね。無意識で差別してたんだな、反省。そういう差別ってクソ多いんだろうな。そして皆日常的に、無意識の差別で人を傷つけているのかもしれない。確かに社会制度の上でとか、生活しやすくする為に「障がいかどうか」を区切らなければいけない部分はあるんだけどさ。うまく言葉にできないけど。そういえば「みんな違ってみんないい」なんて言葉は、社会生活において「いわゆる普通の人の範囲内」って前置きがつくことが殆どだもんなあ。
視覚情報の説得力を憎んでいる。私の障害は傍目にはわからない。わからないからつらい。学校でも職場でも配属されて最初に「見た目にはわかりませんが私にはこのような障害があります」と説明しているのだが半年もすればみな忘れて健常者と同等の扱いをしてくる。その度に再度説明するのが苦痛だ。
自身の障害を言い訳にしてるのではという自己嫌悪と、いや障害は障害なんだという開き直りを何度も繰り返し続け生きている。初対面の人全員に「私は障害者です」と説明しなければならない呪い。「普通に見えますけど」と言われる呪い。いやいや、普通に見えるのはあなたたちに迷惑がかからないように私が懸命に努力しているからーーー!!!!!!
もう諦めていてあえて説明しないことの方が多くなった。少しダメな健常者だと思われた方がマシなのだ。
本当につらいのは私のように障害者と健常者の狭間にいる人たちだと言いたい。見た目にはっきりとわかる障害者が羨ましい。
私のような狭間の呪いを受けてる人たち、がんばっていきまっしょい。
大学時代の友人に子供が産まれたと連絡を受け、お祝いがてら友人宅にお邪魔した時のことである。
友人の結婚式以来なので、奥方も交えつつお互いの近況報告や思い出話などに花を咲かせていたら晩御飯の時間になり、そろそろお暇します、いやいや食べていってよ、というやり取りを繰り返した末、半ば強引に食卓につかされてしまった。
聞くと今日はカレーだという。あくまで固辞の姿勢を崩すまいとしていた私の心はその一言で大きく揺らいでしまった。私はカレーが大の好物なのである。
冷蔵庫から奥方が一晩寝かしたと思われる鍋を取り出し、レンジにかけるのを眺めながらそろそろ私も結婚しようかなと当てもない決意を固めていると、熱された鍋からカレーの匂いが漂ってくる。
筈であった。
大便の匂いがする。大便以外に例えようのない匂いがキッチンを満たす。カレーと聞いて刺激された食欲が急速に萎んでいく。リビングの向こうから赤子の泣き声が聞こえる。この状況に対する動揺を訴えようと友人を見ると、友人は幸せそうに奥方のエプロン姿に目を細めつつ、泣き始めた赤子をあやしに席を立ってしまった。
恋は盲目というが視覚だけではなく嗅覚も麻痺させるのかもしれない。
そんなことを考えていると逃げる間も無く、皿に盛られた白米および大便、否、カレーが目の前に出された。まさかと私は目を疑ったが、茶色いそれは匂いだけでなく外観も大便であった。挽肉と人参の微塵切りが入ったドライカレーと信じたいが見た目は体調の良い時の大便をペースト状にしたものと相違なく、匂いもその感覚を補強して余りある。
「変わってるだろ、うちのカレー。ちょっとした隠し味を使ってるんだ」友人が赤子を抱き抱えながら自慢気に話す。
「まさかそれは…」流石に奥方もいる前で大便などと口走ることは出来ず私は言葉に詰まる。ぐつぐつとカレーの煮える音がやけに大きく聞こえる。
「あら、あなたの分のルゥがなくなってしまったわ。ちょっと出してこないといけないかも。お客さんがくるならもっと用意しておいたのに〜」奥方の不穏な発言に私の動悸が激しくなる。出して…?
「ぼくのをつかっていいよ」赤子が急に自らの足で立ち上がりオムツを外そうとする。
「いやいや、ご馳走されてばかりでは申し訳ない。一飯のお礼になるかは分からないが私のを使って欲しい。これも出産祝いということで」
私はすくっと立ち上がるとトイレに駆け込んだ。
それは(twittrで)問題発言があり情報共有のためSSをとる際、IDの部分を消す必要があるか否かについてだ。
自衛のためにIDは必要だとする人もいれば、IDがあることにより逆に過激派は該当アカウントへ特攻、第二の炎上に繋がるのでない方がよいとする人もいる。
正直なところ、それで第二の炎上が発生したとして自業自得なのでは?と思う程度には自分の性格は悪いのだが、自衛をするためにはIDが必要である説には正直疑問を感じる。
というのも、もちろんケースによるのだが、今回の場合はIDがあったところでどうやって自衛できるかわからないからだ。
そもそもIDが見えることでどうやって身を守るのか。IDとはネームタグのようなもので、名前の部分を変えてもIDから対象の判定が可能なわけだ。
過去にどんな発言をしていたかが分かれば、例えば詐欺行為をしている相手ならひっかからないように注意できるし、罵倒を繰り返すような輩であったりすれば避けて通ることができる。
また、一部の人たちが言うように事前のブロックとやらも可能だろう。
しかし、この事前ブロックという手段がどうにも自分には有効な手段とは思えない。その理由としてまず前提に
・今回見ていたケースの場合、問題行動をしている相手が数人ではなく多岐にわたる
・他にも多数の問題があるのに、まとめられていたのはごく一部のケースの話
という状況がある。
IDによる事前ブロックが有効なのは、基本的に該当人物が限られている場合ではないかと思う。
数が多ければ、絡んでくる前に探してブロックするより万一絡んでこられた時にブロックした方が、実際の労力は少なくすむ可能性が高い。
また、集団で荒らしたり副垢を使ってくる相手には事前のブロックなどほぼ意味がない。ブロックした相手以外に粘着されたり、悪ければ捨て垢で突撃されるだけだ。
IDを公開することで分かるのは、そのIDの人物が要注意人物であるというだけで、もちろんそれはそれで悪いとは思わないが、それが自衛に繋がるかと問われるとその可能性は低いのではないかと思う。
そして逆にIDを公開することによって(正直そのような文句を言う資格があるのかと言われたら首を振るのだが)IDが公開された側、これは本人のみならず、いわゆる同陣営の相手から本題をそらすための突っ込みが入る可能性が割とあるからだ。
突っ込みそのものの正当性はどうかと思う。自業自得だとは思う。
だがその上で、そういう自業自得であろうが何だろうがごねてくる相手に時間を取るのも勿体なければそういった反論によってどっちもどっち論を展開されると第三者がそういうものなのかと誤解してしまう恐れがある。
そのような隙を生まないために、あえて多少不本意ではあろうがIDを隠した方が注意喚起そのものはうまくいくのではないかと思う。
意味のない自衛にこだわるよりも、どのような問題が生じているのかを視覚化し、誰それが悪い、ではなくて、このような行為がいけない、という認識を広めることで啓蒙活動をする方がまだ自衛に繋がるのではないだろうか。
それはとある掲示板に書かれた性的嗜好を読んだ際に何故それで興奮するのか?と考えてしまった事が起因にあたる。
それについては貴方の趣味じゃないんだから放って置いてくれと言われるだろうし、自分の性的嗜好を他人に何故興奮するのか?と聞かれたら困ってしまうだろう。
だけれども、興奮する人がいるからそれが商品になる。勿論そうなのだが、他人の萌えは自分の萎えの様に様々な嗜好があるのは間違いない。
昔からの持論の一つに「男女の性嗜好は何れ大きなジャンルに統合される」というのが私にはある。最終的に男女関係なく性的な情報を見聞きすれば興奮する様になるのでは?
今は女性の水着やヌードを提供している雑誌も最終的には男性のヌードや水着姿を提供する様になるのではないか、と云うのが根本的な発想である。
この個人が性的に興奮するというメカニズム。そしてインターネットが主流の世の中で性的興奮とはどういう進化をして行くのかとても興味深い。
これは私個人の考えであり、この場を借りて健忘禄として記載していく。
これはとても簡単だ、男性の場合は映像や音声等の刺激で興奮するし、女性もソレを見ている自分。というシチュエーションで興奮する様に出来ている。
性的に興奮する。というのも実は単純なメカニズムで、子作りの準備を体が行うと云う物ではある。
人間はDNAを残そうとするのは本能だし、何せ性行為は気持ち良い様になっている。
だが、それはあくまでも自分の行為だし、自分の子供。自分のDNAを残そうと云う行為であるのに、他人のセックスを見るだけでも体が準備を行うのはどういった理由なのだろう。
仮説としては視覚的情報で性的に興奮しているだけであると云う物ではあるが、それは何となくではあるが理解している。
私個人が知りたいのは何故、視覚情報で興奮するのか。そのメカニズムである。
視覚的情報が如何に刺激的であろうとも生き物の本能として性的に興奮するのはまったくお門違いである。それは他人同士のDNAを残す行為であって自分とは関係ない。
しかし興奮するのは自分がその他人の性行為に運よく参加し、性行為を行う事で自分のDNAを残すチャンスがあるのではないか、という本能的な興奮ではないだろうか。
勿論、AVやモニタの向こうで行われる行為は煽情的で見る人間の性的興奮を呼応させる物ではあるが、それに参加する事が出来ないのは一般的な思考を持つ人間であれば分かっている事だ。それは行為の記録であり、今其処に参加する事は出来ない。
だが、人間には想像力がある。記録ではあるがその男女(時には同性の物)の行為を見る事で、どちらに感情移入するかは別として。自分がその記録媒体では無く、今見ている物、つまりあの性行為をしていると想像出来るのだ。
その結果として精神的に興奮し、心に引っ張られる形で体の準備が出来上がる。つまり体は誤認識している訳ではないだろうか。
2.性的嗜好の種類。
性的嗜好には各個人で星の数ほど興奮する要素が違っている。勿論、男女でも違うし世代的な隔たりがあるのではないかと考えている。
ジェネレーションギャップと云う言葉があるが、男性の性的嗜好は比較的似通っている。若くて胸の大きな、肉感的な女性。と云うのが大枠の好みでは無いだろうか。
これは最前記載した様に本能的にDNAを残せる、つまり妊娠可能な女性を指す物ではある。では皆が若い肉感的な女性が好みなのだろうか?
とある作品のセリフに「小さい胸は貴重なのよっ、ステータスなのよっ!?」または「貧乳はステータスだ!希少価値だ!」と言った時の主旨は違うがスレンダーな女性が良いといった意見もある。
他には変化球的ではあるが、男性だが女性の恰好、つまり女装している男の娘でないと興奮しない、ないしは可愛ければ何でも良い。という嗜好もある。
女装ではなく男装の麗人、つまり美人である必要はあるが男性の恰好をしている女性や軍服、メイド姿、女子校生、ビジネススーツ等々。恐らく嗜好というのは数え上げればキリがない上に記載して趣向が混合している事で性的に興奮すると云った意見もある。
つまりラベリングだけでは無理なのだ、飽和状態にある性的嗜好を調べるのには何通りものパターンを周到しなくては認識すら危うい。
女性的な性的嗜好はどちらかと言うとシチュエーションに凝った物となる。つまり視覚情報も重要だが「どうしてそうなった」と云った起承転結がもっとも重要な要因となっており、感情移入の手助けとなる物語自体が嗜好となって之も複雑怪奇な様相になっている。
まず男女物。これは男性の性的嗜好と同じ様に様々なシチュエーションはある物の、最前記載した通りそのシチュエーションが重要であり、視覚的な情報としての性的な描写はさっぱりした物から体液を滴らせた煽情的な内容も様々である。
次に、男性の同性愛に至っては法の様に決め事がきっちりしており、男性のカップリング(CPと以下記載)受け、攻めのパターン(同CPでなくてはならない、同CPでも攻め受けが逆、CPはどうでも良いがどちらかのキャラクターは固定、AとBが居るならAとC、AとDといった具合、要はAが受け(攻め)である)だけでも無数にあり、夫々の趣味、嗜好で住み分けが行われている。
つまり女性の性的嗜好とは動機付けであって視覚情報もそのシチュエーションに沿った物となり易い。
これは女性が共感度が高い事に起因するものではないかと考えるが、実際は男性にもこのシチュエーションが重要と云う人物も少なくはない。
勿論、男女共これに人外(人の姿をしていないもの、獣やファンタジーな怪物、多足多手、無足無手、そもそも形が無い)や年齢差、立場(異星人、貴族、中世ヨーロッパをモチーフにしたファンタジーの登場人物、立憲君主制の王族。富豪、奴隷、使用人)の違い。等も性的嗜好として存在するし、先だって男性の性的嗜好には年齢差が少ないとしたが、男女とも年齢差によって趣味嗜好が変化しており、この度合いを探るのも重要なファクターと成り得る。
之をラベリングするだけでも楽しい作業なのだが、今回は実際資料等を使わずにあくまでも私個人の思った事を記載していくにとどめる。
車を停めすぐにそばに駆け寄り抱きかかえた。
子猫だった。
家に連れて行こうか正直迷った。
既に家には3匹も猫を飼っていて、父が特にもう猫は飼うなといっていたし
子猫を飼える自信がなかった。
車が通らない野原に置いてみた。
やせ細った体に「みゅーみゅー」と私に訴えかける。
私はとりあえず家に連れ帰ることにした。
知り合いにねこの里親探しのプロがいたから相談してみることになった。
するとすぐに貰い手が見つかった。本当に感謝でいっぱいだった。
しかし向こうから3日間だけ預かっててくれたらという条件が来たのだ。
1時間ごとにミルクを飲ませたり目を拭いてあげたり…とにかく大変だった。
せっかく仲良くなったのにあっという間に3日が過ぎた。
3日間だけだったけど逆に3日間もいると情も沸いてくる。
先住猫と引き離すのも辛くて私は静かに涙した。
引き渡しの日を延長してくれと連絡があったのだ。
仕方ないかとその時は思ったが
後1日、後4日、後1週間とどんどん先延ばしにされたのだ。
最後まで反対だった父や家族はみんな、責任感のない人の元にこの子を渡したくない。
という気持ちで引き渡しを断り、なんだかんだでうちの猫になったのだった。
黒猫長毛のオス猫。
動物病院に連れて行ったときにやせ細っていたからわからないけど
おそらく生後2ヶ月はたっているだろうと言われた。
だから今は4ヶ月になるのかな。
今じゃ目もすっかり開いて黄色のくるっとしたかわいらしい目をしていて、
元気で…いや元気過ぎて困っている。
仲良しの先住猫も最近ちょっかい出されまくって参っているのか疲れ気味だ(笑)
それでも寝ている時と私が仕事に出かけるときのこの子は本当に可愛い。
暴れん坊将軍がすやすやとお腹を見せて寝ているのだから可愛くて仕方がない。
私が仕事に行くとき行ってしまった私を家の中からずっと目で追いかけ
「くぅ~んくぅ~ん」と鳴くらしい。私も母に聞いた話で詳しくは知らないが可愛すぎる。
のろけに来たわけではない。
”将来の夢”へと変わったのだ。
それは大きく言うと不幸な猫をなくしたい。
でも大きすぎるのでせめてうちの地域のねこだけでも救いたいと思った。
まずは近所に野良猫が増えすぎて最近では追い払われているなどという
噂もきくのでどうにかしてあげたい。
長々書く内容じゃなかったと思うけど
彼も年頃の男性だし、同世代より稼いでるだろうし、ビジュアルも整ってるから女のひとりやふたりいてもおかしくないだろう。
ファンありきの商売をやっているのだから恋愛するな、というのは基本的人権の侵害なのでは?と本音では思う。
だが、明るみになった時のシチュエーションが全てなんだなって。
道を歩いていてすっぱ抜かれるのと際どい写真が流出ではファンの心象も大いに違う。
もし、オフィシャルで結婚を発表し、その報告が交際相手の存在を初認識する場だったとすれば、大半のファンはそれなりに祝福すると思う。当然静かにファンを卒業する人もいるだろう。
むしろ叩くファンが祝福するファンと特にファンでもない一般人に叩かれる可能性さえ感じる。
週刊誌にすっぱ抜かれて交際がわかったら、裏切ったと思うファン、週刊誌に怒りの矛先を向けるファンなどにわかれ、残る人と離れる人がでる。これは当たり前。
プリクラやスマホのインカメラ撮影なら可愛い方で、相手との肉体関係を視覚的に彷彿とさせるような写真が漏れたらファンやめます><とかじゃなくて、「なんでこんな人応援していたんだろう」と怒りや悲しみという感情の前に虚無でこころが塗りつぶされる。
えぐいバレ方するとちょっと気になる程度の人ならうっわ……一気に覚めて終わりだけど、長年応援してお金つぎ込んできた人は今すごい虚無感背負っているんだろな。
際どい写真流出による特定の相手バレは確かに悲惨だ。だがまだ私の中では、一泊二日交流バスツアー初日にアイドルから妊娠と結婚を報告されたファンより全然マシじゃんと思ってしまうのであった。
友人に誘われ、アイドルマスターsideMの幕張ライブのライブビューイングに行った。
最初に言っておくと、私自身は知識がなさすぎて、なぜ誘われたのか謎なレベルのオタクだ。しかし祭やイベントは好きなのでとりあえず行ってきた。
友人達がはまっているのは知っていたのでアニメは見たが正直名前も何もかもあやふやなまま行った。
ライビュの後に肉を食べたせいかもしれないが今も興奮で寝れない。
ライブで歌う彼らの本来の仕事は声優であってアイドルでも歌手でもないのだと言う認識が覆された。すごい。
言い方は悪いが、見るまでは正直舐めていたというか、手を振って歌うくらいのイメージだった。
だって声優ってダンス踊る必要のない仕事じゃん?世の中ダンス踊らない仕事の方が圧倒的に多いし、踊れない人がいてもおかしくない。どうでもいいけど私は体育の創作ダンスがトラウマレベルに踊れないから踊りの才能がないやつは世の中一定数はいるはずだ。
だけど、彼らは踊れた。
当たり前だが曲によって歌詞と踊りが違う。全員で歌う曲とグループごとの曲で、多分最低でも5曲くらいは覚える必要がある。
しかも踊りながら歌ってやがる。
もうアイドルじゃん。そうだよ私アイドルのライブを観に来たんだった。すごい。
ちなみに途中で数秒だけ歌詞が飛んじゃったのか、音源だけ流れたりしたから、口パク疑惑が沸く余地もない。すごい。
本当すごい。だって本業しながらだよ?全員揃うのは今日だけって聞いてたから、多分本業がべらぼうに忙しい人がいるんだと思う。そしたら必然的にグループで集まって練習する時間とかも少ないじゃないか。何曲もできないだろ普通。でもそれぞれのグループに出番があったし、新曲も沢山あったらしいしすごいと思う。
何がすごいかどこまで説明したか、だんだんわからなくなってきたから順を追って話す。
最初46人に圧倒された。すごい。全グループのペンラを持つ友人の隣の私はキンブレ1本のみの装備だった。
キンブレは色が変えられるライトなんだが何色に変えたらいいかわからないくらいアイドルがいた。とりあえず隣近所を見てカチカチ色を変えてライト振ってるだけで楽しかった。
ライビュだと視覚情報が限られているから盛り上がりに欠けるのでは?と思ってたけどそんなことはなかった。
カメラさんが上手いのかもしれないが、切り替えやアングルがよかった。それと、ファンサービスが画面いっぱいに見れるのがライビュのいい所かもしれない。
うちわ持ってないのにこっちに向かってウィンクしてくれた。すごい。
多分その後にドラスタが出たと思う。知ってる曲だった。ドラスタのすごい所はキャラ声で歌ってるだけじゃなくて表情もキャラに合わせてる所だと思う。翼くんの天然っぽい笑い方とか元医者桜庭のクールなキメ顔とか輝さんのパワフルさとか意識して歌ってる感じがした。色で覚えてた部分もあったけど歌い出した時に誰が誰の役を演じてる人なのか確信が持てた。すごい。
次がBeitだった。これは自身ある。
めっちゃキラキラした衣装で出てきたと思ったら、手袋をクイってやったり、曲や見た目だけでなく仕草まで王子っぽいことをやって会場の悲鳴をかっさらっていった。隣の友人が泣いた。
人形持って歌ったりとかグループのコンセプトを大事にしてファンサをしてる感じがした。すごい。
多分次がカフェパレード。ダンスが面白かった。曲のイメージに合わせてダークファンタジー要素が強い振り付けだったんだけど、途中で機械仕掛けみたいに周り始めて、時計の針を表現してる?みたいなやつをカメラさんが上手に上から映してくれてた。この動き合わせるの大変だったと思う。すごい。MCでもグループ内でパス渡しみたいにつなげてたから仲がよさそうな印象を受けた。
セトリのあまりの長さに曲ごとにコメントするのを早々に諦める私。ここからは友人と肉を食べながら話したこととか印象に残った所を書くことにする。
というかこんなことをしているよりライブを見に行った方がいいに決まっている。現地は当然完売だから映画館で当日券を買って、みんな一度はライビュを見るべきだ。すごいぞ。
神速一魂は、腕をクロスさせて相手のマイクで歌ってるのがよかった。爽やかヤンキーすぎて距離近くても邪な目で見れない感じの燃える演出だった。あと掛け声が楽しい。
彩は完全新曲だったらしく最初ざわざわしていた。友人の叫び声で新曲だと情報を得る私。和のイメージのバラード曲で良い曲だった。メンバー全員がエクステつけてるのも可愛かった。普段は明るく楽しい曲が多いらしい。今度聴いてみようと思う。
あと何かジュピターの脚本がすごかった。アイマスで男キャラ参入で叩かれてた頃の曲を披露してた(初代アイマスの公式映像と彼らが披露したダンスが一緒だ。再現度高い。すごい)。
つまり前のブラックな事務所でアイドルやってた時の曲。そこを辞めて地道にファンのために活動して315事務所に入ったのはアニメで見た。
と思ったら次の曲で315事務所でデビューした時の曲を持って来た。早着替え付き。ストーリー演出がやばい。
衣装といえば全員すごい衣装の量が多い上に、それぞれの個性を出しつつ原作に忠実に再現されていて素晴らしかった。展示してほしいという話を友人にしたら、偶に某アニメショップでやっていると教えてもらった。アフターサービスまですごくて、最後までチョコたっぷり感ある。
さてチョコといえばタケノコダンスである。カラオケで何回かタケノコダンスは参加したから新鮮味はないかと思っていたが、これは面白い。すごい、タケノコダンス楽しい。周りのファンと会場でやる楽しさを一度は味わうのが吉。他にもライブでしか味わえない虎牙道のタテは超かっこよかったし、ハイジョやフラッグスはゴンドラで移動した。やっぱりアイドルはワイヤーで吊り下げられたりゴンドラで移動するものだもんね。あと今回はじめての試みだったらしい、出べその効果もすごい。
眠さで文章力が限界に来てしまった。しかしまだ半分も話してないし、語ったグループに関しても我ながら中途半端すぎる。
もし万が一にも最後まで読んでしまった人がいるなら、すまないが続きはライビュ会場で見て欲しい。
そこにアイドルがいる。
私の舌は受け入れ範囲が広い。
きっと、足りない物質は舌が補っているのではないだろうか。
思い返せば、「くっそまずい」っていうご飯を余り食べたことが無い。
焦がしすぎて苦いものとかならマズイと思うし
味が薄すぎる場合は「うーん?」とは思う。
でも「メチャクチャマズイ!」「不味くて食べれない!」ってのは特にない。
私の舌が良い子でよかった。幸せだ。
人が「不味い」と言ったものも美味しく感じられることがあるし
人が「美味しい」って言ったものも美味しく感じられる。
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ざっくり追記してく。
⇒鼻や舌、耳 すべて正常だよ。
●「分かりみが強い。ただし手料理を披露するとき我々の種族は最弱になる 」
他の人が「美味しい」ってものを食べ続けると
「他の人が美味しいと思うのはこの味付けだな」って分かってくる。大丈夫だ、問題ない。
⇒その通り。
セブンイレブンのカルビ牛丼美味しい。なぜあんなに値上がりしてしまったのだろうか。
(ごめん、これ書いたら「あれは美味しくない」って美食家が言うかもしらん)
そして、最近はセブンの冷凍食品コーナーに出てきたんだけど、毎回売り切れてて悲しい。
●「値段見て不味いと認知する舌の持ち主もいるようなので、その状態が最も不幸かと。
⇒わかる。そういう人居たなぁ。
前に、そういう人の為にチェーン店料理を「1000円だ」と言って盛り付け変えて出したら
「美味い!」って言って食べだしたから笑った。
別日に「チェーン店のだよ」って言って出したら「まずい!こんなもんお前食うのか!?バカだな!!」って言う。
●「私もそう思っていたがな、イギリスやアメリカ行って自分も神レベルの舌を持っていることがわかって、長期滞在がつらいのじゃ 」
さくらんぼ味?の綿菓子とか、シャンプーみたいな味のするゼリー?グミ?みたいなのあったよ。
「面白いな」って思って食べた。イギリスはまだないなー。 日本調味料をAmazonさんとかで頼むのだ!
●「俺、○○も△△も食べたけど、やっぱり吉牛と豚汁が一番だわ、ってドヤ顔できる○○も△△も食べていない 」
⇒食べ比べできるほどに舌が持続してくれるか疑問。
ってか近所に3店舗ないよねw
●「「貧乏舌だから?」つっていちいちエクスキューズ入れるのやめてくれる? 」
⇒えっと、はてなを抜けってことかな?
●「ふつーじゃないのかね。情報で喰ってるバカは脇に置いておけ。 」
⇒たまに居るんだよね、「まっず」って声に出して言う人とかさ。悲しいなって思う。
●「謎のチェーン店信仰。コンビニ、安いお総菜、冷凍食品、チェーンの外食等から一度離れ久しぶりに食べた時、味の濃さと旨み・出汁の薄さに愕然とするぞ。万人向けの味ではなく、販売価格と原価第一だろうに。 」
私の舌は強化されたからか、どちらも美味しいと感じるよ。
味の濃さは確かに違ったけどね。
●「幸せの許容範囲が広いって最高だと思う。お金や物質的充足度と幸せとの関係全般に言えること。」
⇒ほんとうに、幸せだと思う。 何事も一回は挑戦してみるべきだよね(?)
●「一度ステーキガストのカットステーキ食べ放題行ってみなよ」
私もパートナーも噛み応えのある肉が好きなんだよね。前世犬だったのかも。
別な話だけど、柔らかくて溶ける、甘い肉汁を出すA5ランクのサーロインを食べたことがあるけど
肉の脂が出すぎてすぐにおなかいっぱいになったよ。あれは甘いね。
●「自分自身の幸せ供給力と、幸せ感度の話。贅沢を知れば感度は鈍くなり、供給力を高める必要に駆られる。感度を高いままに留めるのは重要なライフハック。 」
⇒声に出して「美味しい」っていうこと。笑って食べること。そして環境が大事。
楽しい、笑いたくなるような環境で食べるとご飯も美味しいよね!
20くらいまで、ピーマン苦手、しいたけ苦手、ブラックコーヒー苦手だったけど
社会人になってから普通に食べれるようになったし、美味しいと思えるようになった。
挑戦することって大事だね。
喉越しを楽しむものらしいけど怖くてグビグビいけないのが問題だと思ってる。
●「セブンイレブン大概なんでもウマい!(幸せ) 少ない!(悲しみ) 」
⇒わかるww
●「 ほんとに最下層の舌のやつに高くてうまいもん食わせると、変な味っていうことがある。数万のディナーと最新コンビニお菓子、両方美味しく感じられるのが幸せ。 」
⇒あー、私はそこまでの最下層では無かったということかな。
●「ウチの家内食はカチカチに乾燥して冷え切ったご飯とか、冷凍庫で何日も保存したご飯に、おかずは納豆だけとか出てくるので、我が舌を持ってしてもまったくもってフォロー不可能な地獄。」
冷凍3日くらいは美味しく食べれると思うんだけど、何日目なんだろう?
●「そんな幸せ物の増田が意識他界ラーメンを食べたときの感想をコウカイしてみてほしいの。 」
⇒読み返して誤字に気づいて修正しちゃった!ごめんね!
東京にあったりするかな?あるなら行ってみようと思う。
●「何でもかんでも不味いで済ませる貧相な語彙のほうが問題だよな 」
⇒まぁ、そうだよね。
●「美味しい物を食べる=幸せ、ってのはテレビの洗脳だよ。味よりも健康な体を維持する方が重要。 」
⇒そうかな? 美味しいものを食べているときに幸せな気持ちになったりしない?
●「分かる!そんな私の口ぐせは「普通に美味い」 」⇒わかる。
●「高いものしか美味しく感じられない人の方が偉そうにしてるよね。 」⇒わかる。
●「たまに一人で牛丼屋に行くのが幸せな私が通りますよ。目当ては松屋のネギ玉牛めしかカレーである。」
⇒美味しいやつや…
●「チェーン店の味噌汁って味を誤魔化すために馬鹿みたいにしょっぱくしてるんで、あれが美味いと感じるなら高血圧に注意した方がいいと思うよ。 」
●「強いて不便なことは、あそこは美味い、ここは不味いって話題に乗れないことか 」
⇒「ここは不味い」っていう話には参加しないなぁ。
●「土の味のオランジーナとはなんだったのか 」⇒なんだったんだろう。飲む前に砂ペロってしたかな?
●「私は違いがわからないくて、ちょっと寂しい。 」⇒区別がはっきりしている人とご飯食べに行くと良く分かるよ!
●「幸福のしきい値を低くすると世界に『幸福を感じることが出来る物』が増えるので幸せになりやすいと思う。」
⇒それね。みんな小さな幸せを見ようともしないのよ。そもそも食べれることが幸せ。
●「こういうのが洗脳なんだろうな 安いもので済ませるってのは本来経済的に安価にみえる牛丼やカップ麺食う事(実は高い)じゃなくて、面倒だが素材買って家で作って食べることだからな 」
⇒洗脳? 安いもので済ませる=チェーン店に行く ってことはしてないよ!
基本自炊だよ~
●「味覚の主な役目は「飲み込むとヤバげな毒物」の検出で、美味いもん検出じゃないからな…。食うと美味いもの検出は視覚と嗅覚の役目。人間は視覚全振り生物なので結局見た目重要。 」
⇒だよね~! 見た目の美意識が高いのかな?
●「うんうん、馬鹿にしてくるやつは幸せになってる奴を妬んでるんだよ?。 」
⇒馬鹿舌って言われても気にならない! そう言ってくる人より幸せな自信あるよ!
●「なら、本当においしいものを食べるともっと幸せになれる。他人の財布なら余計に。 」
⇒もう、何倍にもなって美味しいよね。もう幸せすぎてほっぺた落ちるよね。
●「好き/嫌いでなく、おいしい/まずいという客観的な判断が下せる人ってすごいと思う。自分が好きな味でも「おいしい」という絶対的な判断を下す自身がオレにはない 」
⇒「(自分的には)おいしい」で良いんじゃないかな? そもそも、そういう味覚判断って客観的なもの?
人に対して「美味しいよ!」とは自信をもったものしか薦めないし。
長くなりすぎちゃった。
始まりから終わりまでの流れを「視覚や聴覚の刺激」を駆使してデザインする感じ。
全体的に激しい刺激を畳み掛けても良いし、
リズミカルにON/OFFを切換えて楽しくなる刺激を与えても良いし、
微細な凹凸を塩梅しながら、すーっと静かな時間の流れをつくっても良いし、
それを充分に実現させるだけの表現技法のレパートリーに欠けてたんでしょうね。
下手すると作品を跨いで使い回されるSEなんてものあったりして。
それが、ここ十年ぐらいでようやく、TVアニメでも、
細かなワザの使い分けを意識する作り手と観客が一定数存在するようになって来て
結果的に、昔よりも幅広いテイストの作品が産まれる様になって来たんだと思います。
今度はストーリーパターンとの「組合せの妙」みたいな物も色んな幅が出てくるので、
お話しとしては「何にも起きない系」だけど、映像表現としては「ド派手系」とか
お話しとしては「激動の構成」だけど、映像表現としては「静か系」とか
或いは、各々の「逆転型」とかとか...色んな組合せが実現出来る様になって来ていて
今って「作品テイストの余地」が結構豊かにある時代になってるんだと思います。
でもでも、上記のパターン全てがそのまま「儲かる作品」に繋がる訳ではないので
ある程度、累計パターンに偏ってしまう部分もあるっちゃあるんだろうな。
みたいな事も同時に思ったりもします。その辺は作り手にとっては悩ましい部分なんだろうな。とか。
実際問題として「製作人件費が追い付かない」みたいな事も出て来るので
ここまで高まってきた「作り手と観客のレベル感」を幸せなかたちで維持/拡大させる
新しい「商売側の仕組み」みたいな物が必要になって来る気がします。
この半年くらいちょいちょい話題になる「Netflix等のオリジナル製作作品」とか
そういうのが、どういう流れをつくるのかな?とか、結構注目している感じです。
インスタ文明衰退の鍵は食文化にある、と考古学者の吉村教授は語る。
「この遺跡から発掘された食器を見てください。ハエのような昆虫の死骸が付着しているでしょう。」
『はい、けっこう大きいですね』
「インスタバエと言います。当時の人々は宗教上の理由からインスタバエが触れた食べ物を食べることが出来ませんでした。インスタバエは地獄からの使者の象徴であり、触れた食べ物に手をつけることは地獄への一歩を意味していました。」
「現代人であれば、駆除を真っ先に考えるでしょう。しかし、インスタ人はハエが付着した料理を視覚的な芸術作品として、再利用することに執心してしまったと言われています」
→ 来週につづく!