はてなキーワード: 盲学校とは
しかも最後の3人のネタが始まる、めっちゃいいタイミング。ヤッタネ。
おぐ、ゆりやんと観て笑い、最後に出てきたのが濱田祐太郎でぼーっと見てた。
わ、めちゃくちゃオモロイやんけ。盲学校に点字ブロックないとか、ほんとスパルタすぎるwww そういえばあの白い棒って、見たことあるよな。あ、そうだ、視覚障がいの方が歩くときに使う棒だ。、、、という事は。
検索してみると、思った通り。濱田祐太郎は弱視の漫談家だった。
「障がいのある漫談家はいない」って思い込んでいた自分が恥ずかしくなったよ。
そんで濱田祐太郎すごいなと思ってしまった事に、さらに恥ずかしくなったよ。デブとかハゲとかと一緒で自虐ネタに持ち込んで良いのに、何でだろうね。無意識で差別してたんだな、反省。そういう差別ってクソ多いんだろうな。そして皆日常的に、無意識の差別で人を傷つけているのかもしれない。確かに社会制度の上でとか、生活しやすくする為に「障がいかどうか」を区切らなければいけない部分はあるんだけどさ。うまく言葉にできないけど。そういえば「みんな違ってみんないい」なんて言葉は、社会生活において「いわゆる普通の人の範囲内」って前置きがつくことが殆どだもんなあ。
葬儀屋は人の不幸がないと成り立たない。
介護ビジネスなんかも、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと成立しない。
あと、養護学校とか盲学校聾学校も、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと・・・
仮に将来、身障者の発現確率が減少したら、養護学校の教師は失業するんだろうなあ。
で、ふと思ったことだが、就学前検診とかで、「特殊学校行き」の児童を
「発見」して振り分けたりするのだが、
「例年だと100人に1人、特殊学校行きの児童が現れるのに、
今年は300人診ても現れない。
ボーダーラインのA君、この子、昨年だったら普通学級行きなんだろうケド、
今年は特殊学校が空きまくっているから、特殊学校送りにしちゃえ」なんて
運用がされていたりして。
要は就学前検診の振り分け基準が「絶対評価」でなく「相対評価」だった場合、
「たまたま障害者が少ない学年」に生まれついたボーダーラインの児童が、
「障害の側に振り分けられる」という「不運」に見舞われたりしたりして。