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はてなキーワード: バリバラとは

2023-07-22

強度行動障害もち障害者の親という

ある意味増田大人気、入れ食いになるような属性を持った人間が来るのって

鴨が葱を背負ってやってくるようなものから

そういう出来すぎた話は鵜呑みにしない

そういう奴はバリバラEテレ掲示板のほうにいくだろ

2022-02-17

乙武洋匡ギャグ

「でも足も出ない」とか。

あれ笑えないだけじゃなくて笑わないといけない圧を感じる。

本人からというか世間的な圧の方が強いと感じるけど、どっちにしても言うのやめて欲しい。

本人もそういう効果があるって理解してるんならなおさらやめて。

今の低身長炎上でも同じようなこと言ってるけど。

NHKバリバラなんかはちゃんと笑えるネタあるからそれ見て学んでくれ。

2021-08-27

anond:20210731223121

グーグルサイト検索した結果、増田で「やまなみ工房」という文字列が出てきたことは一度もないことがわかった

ここで作られた作品バリバラでもさりげなく使われてるのにね

ウエメセ抽象的に語るだけで真正障害者には誰も興味なし、存在意識すらしてない、と

2021-08-15

我、ユニセックス漫画を所望す

たとえば昔流行った、ユーザ同士でお宝を奪い合うグリーの怪盗ドリランドというゲームユーザに男女の偏りはなかったしユニセックスデザインだったと思う。

今はクラクラとかがそういう位置づけなのかな。まああえてツムツムを女性向けとみなすならこっちは男性向けといえなくもないとは譲歩しとくけど。

ブラウザで楽しめる脱出ゲームみたいなのは男女差ないよね。

そういう風にゲームには少なからユニセックスものがあるんだけど漫画にはなくない?なんなの?

4コマ漫画だってどちらかといえばきららなんとか以外は女性が読むものという空気があるし、コミック維新みたいな雑誌だって作品個々は男向け女向けの色合いを帯びていて、ようは個々ではユニセックスじゃない作品雑誌レベルで偏りなく集めたってだけの話。

しか漫画コンテンツとして享受する単位雑誌というよりも作品なので、それでは意味がないのだ。

女が二郎系ラーメンの店通ってたって度胸あるなとは思われるかもしれないけど変な人とは思われないじゃん?

それはラーメンのもの本質的男女に好みの差があるようなものではない、つまりやはりユニセックスものから

同じように男が裁縫嗜んでたっておかしくないし、美容師の男がいたって全然かま臭いとは言われない、むしろ技量を期待されるだけだ。

でも漫画だけは、男が女性下着売り場に入ることぐらい不審なこととみなされている。

読んでいる漫画が、ターゲットとして想定している性別や、社会認識からずれていると、その読んだ量に応じて、まるで性自認すら変えなければいけない度合いが上がるかのようである。そう、たとえば腐男子ホモであるか心が女であるかを常に世間から疑われているだろう。

歴女なんて言葉はあるが、花とゆめ男やハーレクイン男なんて、言葉すらない。まるで精神病院のように社会存在すらしないことにされていると思う(NHK番組バリバラ」の受け売り)。

もっとも悪いのは漫画デザインじゃなくて、あれは男性向けだ女性向けだと分類せずにはいられない読者諸君の方なのかもしれないけども。

2021-07-19

anond:20210718211240

本当に、時間をかけて信用を得ていくしかないよね。

(信用を「取り戻す」ではない。雑誌記事掲載20年以上にわたってダンマリだったため最初から信用はゼロだ)

障害者福祉関連へは継続的お金だけ出して、講演や公演しには行かないのがいい。最低限の信用を得るにはやっぱり最低5年くらいそれを続けるべきと思う。

そのうちそっち方面に詳しい人になってハートネットTVバリバラに呼ばれるようになれば一番いい。人間未来には可能性があるので「あいつにそれは無理」とは絶対に言わないようにしたい。

2021-07-18

anond:20210717172602

Eテレの人らはみんなグル

まあバリバラかいい具合にガイジを見世物にしてうまいこと折り合いつけてるよなって思う

池沼は出るけどダウン症はあまり出演させないとか

2021-05-31

anond:20200525235906

Eテレバリバラなんかを見ていて、障害者人生を楽しんでいるのは素晴らしいと思うよ。

でもあの番組に出ている人達は、自分達が生きるために親や他の人達がどれだけ人生を楽しめなかったのかにほとんど触れないよね。いつももやもやする。生まれつき障害があると、介護されてる状態が当たり前になってそれがどれだけ特別なことか分かってないんじゃないかと思う。

養護学校で、ある知的障害児が他の児童の助けを得て学習を進められたことが素晴らしいと紹介されていた。でもその助けた児童はそれのおかげで自分時間を奪われていた。

生きているだけで素晴らしい?あーはいはいそうですね。その生きているだけを維持するために何がどれだけ犠牲になってるか。

本人が卑屈にならず堂々と介護を受けられるのが理想だと思うよ。でもそれは誰の人生犠牲にしてない場合にのみ言えることであって、誰かの人生犠牲になってるならやってることは奴隷使役する主人と変わらない。

2021-05-15

かつて弱者男性を自認していた

ホモソーシャルマッチョ文化になじめず、不登校で引きこもっていた。情報探索処理能力がたりないのでオタクにもなれずにいた。

そんな中で昔フェミニズムの本を読んでちょっぴり救われたり、好きな音楽を抱きしめながらなんとか生きていた。

弱者男性論がホットエントリに盛んに上がってきているのは意識してはいるけど、丁寧に追っかける物理的、精神的な余裕もない。

一言弱者男性といっても定義は定まっていないみたいで、結局のところ何がどうなれば多少なりとも救われるのか、一人一派なんだよね。

ソーシャルメディアでひとりひとりが個人の主張をできるようになって、それは民主的である一方、議論があまりにも拡散している。

おれは頭が悪いのでそろそろ「バリバラ」で取り上げてくれないかなと思う。

バリバラといえば、この前、LGBTQ×障碍者のことを取り上げていて、温度差が人それぞれ違うのでリスペクトしようっていうような趣旨だった。

よくわかるんだけども、それを言い出すと世界には76億通りの自己認識があるので、頭がパンクしそうになる。

弱者男性とかフェミニストとか非モテとかは音楽ジャンル分けに似ていて、これはロックジャズだ、いや違うみたいな論争がバカバカしい一方、ジャンル分けは他者とのコミュニケーションでは便利なツールでもあってモヤる。人間の脳はまだすべての個人個別認識するまでは進化していない。

2021-04-08

車椅子の件で思い出した。

昔見たバリバラ車椅子女の子特集だったんだけど、ヘルパーさんへの当たりが強すぎてビックリした。

でも不思議と誰もそれを突っ込まない。なぜ?

バラバラは好きでよく見ていたけど、ヘルパーさんへの当たりが強い方が複数いて、うわー、となって見るのをやめてしまった。

思い通りにならないと怒鳴ったり、怒りに任せて理不尽なことを言ったりする奴は、障害の有無に関係なく付き合いたくない人だ。ノー差別だ。

あーあ、介助・介護される側のマインドなんかも、あるといいのにね。将来、自分介護される立場になるわけだし。

2021-03-02

抑圧があるからといって「嫌いだと口にする自由」を規制できるのか?

答え:できません。

この増田 a.k.a. id:muchonov は決定的な間違いをしています

たとえば、僕は身体障害者ですが、「身体障害者キモイ」という人に対して、実力でその口を塞いでも免責されることはありません。また、警察通報しても相手にされません。そして、これらが立法を通じて規制できるようにすれば、憲法違反になる可能性があります。なぜならば、この発言に「具体的な権利侵害(含む内心の静穏の権利)」や「明白かつ現在の危険」があるとは言えないからです。

これは、「オタクキモイ」でも「LGBT生産性が無い」でも「黒人犯罪者ばかり」でも「朝鮮人は帰れ」でも、同じです。

もちろん「〈誰かが(他者の同じ権利侵害しない限り)自分自身として存在できる自由本来のかたちで生存する自由〉」を尊重するべきだという主張は尤もです。しかし、それらの自由を一切侵害しない表現しか存在をゆるされない(=規制しうる)のでしょうか? そんなことはありません。たとえば、ポルノ雑誌SNSにアップされるエロイラスト存在は、女性自由を阻害しているかもしれません。バリバラのような、障害者エンパワーメントのための番組が、却って羞恥心社会への恐怖を煽る結果になってしまう人だっているかもしれません。あるいは、ピンカー研究マイノリティ申し立ての力を削いでしまうこともあるでしょう。

増田 a.k.a. id:muchonov見解に従えば、これらは容易に規制可能でしょう。違うと言うならば、何を規制出来て、何を規制できないかということを明確に説明しなければなりません。

さて、しかし、「社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される」ことはあります。たとえば、何度も事件を起こした暴力的差別主義団体指導者が、その集会で具体的な日時を示して、マイノリティが集住する地域の襲撃を扇動したような場合です。しかし、逆に「KKK指導者が、集会で白頭巾被って十字架を燃やしながら、抽象的に黒人差別する発言をした」場合は、アメリカ合法規制違憲であるという連邦最高裁判例があります。これは、有名なブランデンバー基準の基になった裁判です。

はっきり言いましょう、増田 a.k.a. id:muchonov は、「マイノリティを嫌いだと公言する」こと一般が、規制しうるほどのことかを証明する必要があります。もし、論旨を変更して「特に甚だしいものだけ」といった条件を付すとしても、その条件を明晰に説明しきることが必要です。なぜならば、これは「規制」、つまり人権の制約」の話だからです。仮に、曖昧基準で雑に人権規制できるなら、それは特別高等警察仕事になるでしょう。

なお、「周囲から攻撃を食らった」ことを「社会的に制約されること」と評していますが、これは、単に個々人は当該の発言に対して批判をする自由があるというだけのことです。当然に、「社会的な制約」として、リンチによる暴力行使逮捕監禁威迫契約に基づかない契約解除、不当な懲戒処分村八分行為などを行えば、むしろその違法性不法性が問われることになるでしょう。よって、あくま問題は「権利の制約」を合法的に行いうるのか、という部分になります

anond:20210302093544

2021-02-15

複合マイノリティ

前にバリバラ障害難病かつLBGTみたいな特集あったけど、マイノリティ要素が一個とは限らないんだよね。

ロービジョンASDとか、半身麻痺双極性障害とか、指定難病ディスレクシアゲイとか? 想像だけど。

さらに親が海外出身だったり、介護必要兄弟がいたり、左利きだったり、卵アレルギーだったり、更年期障害になったりするのかね。大変だね。

2020-04-30

anond:20200430233845

今やってる日本テレビ番組ポリコレ準拠ってバリバラ未来スイッチだけだっけ?

そのどっちもNHKというのも皮肉だ。

ポリコレ系は日本放送局資本を握り切れていないのが弱点だけど、どうにかポリコレ準拠番組を増やしたいなあ。

署名を集めたら既存制作会社が作ってくれるかな。

2019-09-18

anond:20190918010224

バリバラとかドクターGみたいな番組民放じゃ絶対作れないだろう。

ユーフラテ制作番組とかもはや国宝でしょ。

地上波で一番面白いのは間違いなくNHKなんだよな。まあ「今時地上波放送なんか見ねぇよ!」という不満はわからなくもない。ネットの方が面白いのは確か。

2019-08-18

「どうして障害者のことをかわいそうだと思ってはダメなのですか?」という問いに答えられなかった話

「どうして障害者のことをかわいそうだと思ってはダメなのですか?」

私が参加していたアクセシビリティの授業で、こう問いを発した学生がいた。

そのとき現場には衝撃が走った。問われた講師も、明確に答えられてはいなかった。確かに、なんとなくそう思ってはダメなことは知っているが、なぜだろうか。

私は障害当事者なので、密かにその言葉にショックを受け、なんとなく見下されていると感じた。そのことを悶々と考えた軌跡を忘れないうちに書いておこうと思う。

その思考きっかけとして、24時間テレビから始めてみた。

今年も24時間テレビが始まる。障害者の方がなにがしかチャレンジし、芸能人24時間走るらしい。毎年のことで、私のTwitterのTLには良い反応は流れてこない。当事者の間で、この番組が好きだという人はあまりたことがない。かくいう私も好きではない。当事者でなくても、批判している人は多い。NHKでは「バリバラ」という裏番組放送し、それが24時間テレビ揶揄したような内容で話題になった。

障害」のことを知ってもらうという役割はあるかもしれないけど、それにしたって切り取り方があまり一面的であるもっと理解につながる番組だったらいいのに。

私もそう思う。でもそうならない。なぜ?たぶん、それがウケるからで、視聴率が取れるから

私が24時間テレビ良く思っていないのは、この構図をまざまざと見せつけられるからだ、と気づいた。障害者ががんばる、それを見て感動する。だけどそこに、私や私の大切な人がああならなくてよかったという感情がないと言い切れるか。私の人生はそんなにいいものじゃないけど、下には下がいる。その人たちが頑張っている!私はまだマシだ、明日から頑張ろう。そう思ってなんかいないと言い切れるか?

障害者を取り巻く「上下」の構図を「感動」というもので見せつけられている気がしてならない。もっと悪く言えば、感動のための道具で、人間扱いされていない。そういう番組世間ウケる

その構図を突き付けられる事件は、ここ最近頻発しているように見える。おそらくSNSの台頭がきっかである視聴率というオブラートにまだ包まれていた刃よりも、個人意見という生身の刃があちらこちらに存在している。相模原障害者施設殺傷事件ときの、あのしらけた雰囲気京アニ事件との反応の差を指摘した意見もあった。参院選での、れいわの舩後靖彦さん、木村英子さんの当選公費負担に対して巻き起こる議論。信じられない…と思わざるを得ないツイートに何万件ものいいね

障害者のことを人間扱いしないということが、時には感動として、かわいそうだとして、反応の差として、議論として、いいねの数として現れてくる。それは結構辛い。自分はその世界に生きていることが、恐ろしく思えてくる。エグい現実だ。結局、差別用語禁止なんかで見た目はそれらしく変わったように見えても、障害者積極的排除してきた頃から根っこは何も変わっていないのじゃないか

だけど、ちょっとした希望もある。それは、れいわのお二人が当選して、参議院の改修や制度検討についてすごいスピードで進められていったこと。知人と、当事者がいるとあんなに早く進むんだねという話もした。現場にいると分かるが、変化というものはそんなにすぐは訪れない。前例が、予算が、人手が、時間が無いといって。その間に私の時間はどんどん減っていくのだけれど。まあそれはおいといて、変化は起こせるものなのだということを実感できたことはすごく勇気づけられた。

問いに自分なりに答えてみる。

なぜかわいそうと言ってはいけないのか?かわいそうという言葉がまずどこから来ているのか考えたほうがよい。たとえ何もやましい気持ちがないという結論になっても、その言葉当事者を下に見る、人間として対等に扱っていませんという文脈を予想させる。それで世の中は溢れている。それが君個人言葉として、より鋭利に変化して当事者を刺すこともある。障害を「欠落」としてみるのではなく、「異なる」部分を持つ人として見てほしい。

2019-06-26

anond:20190626202800

今治タオルマスコミ好みのネタというけどマスコミ今治タオル炎上全然取り上げてないか問題なんだが。

NHK放送も、「報道」じゃないからな。「ノーナレ」というアナウンサーナレーション専門家解説もないドキュメンタリー番組からこそ、この映像放送することができたといえる。これがニュース7とかおはよう日本とかニュースウォッチ9とかで「報道」しようとしてたら直前になって止められてたか内容は大幅にマイルドになってたと思うよ。2月の「バリバラ」での放送も、「報道」じゃなくて「福祉番組」だからなあれ。

 

しかもな、BuzzFeedとかねとらぼとかの有名ニュースサイトが今治タオル問題最初に取り上げたニュース内容は「今治タオル風評被害」という切り口だぞ。NHK放送した会社今治タオル組合企業じゃないのにネット民今治タオルだとデマ流してる!ってBFねとらぼ記事にしたんだからな。

組合下請けがやったと認めるに至って、奴らもそのこと記事にしたけど、記事での今治タオルへの追及具合が、今までのコンビニフランチャイズ問題記事や他の労働人権問題記事と違って全然甘いの。こりゃ今後もやつらネットニュースすら深く追及することないだろな

2019-02-14

俺たちは無能フォレストガンプだ、っつー増田を読んだ

anond:20180224163548

ある時、テレビ映画フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能フォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公フォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。

あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。

ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督ロバート・ゼメキスDVD副音声でこう言ってる。

IQが低い男の映画なんて作る気はまったく起きなかった」

監督が求めたのは、自分意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢キャラクターだった。90年代映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。

じゃあさ、「フォレスト・ガンプ時代現実知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年1990年アメリカ知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。

1950年

劇中、フォレスト・ガンプ少年IQの低さから公立小学校への入学拒否されかけたのだが、ママ校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。

愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。

1965年ウィローブロック州立学校という知的障害児の施設リークされた。

潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間生活する環境とはとても思えない状況だった。

このニュースアメリカ全土に衝撃を与え

とにもかくにも、この時代知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間尊厳はない。

1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。

ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法勉強させません」なんて言い返している。

個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。

というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。

それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者コメントを求む。

■1960~1979年

ガンプがベトナム戦争英雄になった1960年代

血の日曜日事件アラバマ州舞台でありながら公民権運動スルーしたことで、白人礼賛の保守映画認定されがちな本作であるが、1960年代黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。

1963年には脱施設化の転機である精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、

1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設収容されるべきではないという判決が出された。

公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカ障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)

設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。

個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクスカウトされてないほうが疑問なわけだ。

■1980~1990年

アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。

ガンプは走りたいから走っていたが、現実知的障害者たちはそういうわけにはいかない。

結局デモなりなんなりで、「地域暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民了解を得るしかない。

というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別禁止する公民権法だ。ダン中尉政府おっぱい限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府障害者の権利を認めたのだ。

実はこの法律ハリウッドにも大きな影響を与えている。

「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。

90年代ハリウッドでは障害肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。

革命なのは2000年代ファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。

さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害肯定的に捉える映画企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。

だって俺、興味ねーし」っていう。

結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。

まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。

知的障害者だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。

今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活エンジョイしてる知的障害者もいる。

日本の話だけど、この前バリバラ地域子育てしてる知的障害者夫婦が出てたぜ。ハロー1950年代、これが2019年だ。

から、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。

俺にだって自由希望を持つ権利があるし、

俺にだって、周りから尊重されていいはずだし、

俺にだって、平均的な経済水準を保証されていいし、

俺にだって普通地域普通の家に住んでいいんだ。

当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。

2019-01-04

anond:20190104133729

それはお前の妄想だぞ。

うちの職場にも、障害者雇用で働いてるダウン症の奴とか居るし、野垂れ死んでなんかおらんわ。

ダウン症の生きる道は「ダウン症として生まれてきたこと」を武器にしておままごとするしかないみたいな思い違いが、ダウン症の子を殺すんやで。

まぁ、本当にダウン症武器にしてのし上がってしまった、バリバラあいつに憧れてるダウン症の奴は多いだろうが。

2018-12-27

anond:20181227054823

障害者ネタに出てくるだけで未だにこれだけ不適切だのの扱いを受ける

バリバラ障害芸人達も奮闘しているが、なかなか社会を変えるまでには至らないものだね

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