「規則」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 規則とは

2018-07-12

anond:20180712183407

産経ソースかー

産経から間違い、なんて言うつもりはないが、規則は公開してほしいな

革靴スカート女子部員が伝令した件

審判員困惑よそに珍事、革靴スカート女子部員が伝令

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base

日刊スポーツ記事では「女子」が試合中にグラウンドに上がったことがいかにも異例で問題のあることのように書かれているが、

女子部員制服姿で伝令に 福島大会で珍事、高野連が注意

https://www.sankei.com/sports/news/180712/spo1807120036-n1.html

”県高野連規則では伝令は選手が行うと定められており、高野連側は長沼に「次からは特例として捕手をベンチ前に呼んで伝えるように」と注意。”

産経新聞記事を読んでわかるように今回の件は男女問わず選手ではない記録員が伝令を行ったことが問題とわかる。

ブックマーカーたちの野球嫌いは今に始まったことではないが、他人糾弾したきゃ事実ぐらい確認してからにしないと恥かくだけだぞ。

追記

ちなみに福島県大会規則では女子でも試合前のノック等でグラウンドに上がっていいことになっている。

( 3 ) 各種県大会のシートノック時の、ノッカー補助員を3名まで認める。ただし、

きちんとしたユニホーム姿であること。(シューズ並びに自チームヘルメットを

着用する。)

また、女子マネージャーについてはトレーニングウェアであること。

http://www.fks-kouyaren.com/renmeikankei/kisoku/taikaikitei.pdf

2018-07-11

[] 7/10 7日目

おお!ついに一週間!まだ一週間!今日は朝から嬉しいことがあって機嫌が良かった。

朝:鶏肉玉ねぎトマト煮込み

昼:寝てしまった

夜:お寿司20

昼に寝てしまって、夜はご飯がっつり食べちゃったけどこれからワールドカップ準決勝を見るので19時くらいに食べた夜ご飯は6時に寝ると考えたら実質昼ごはんくらいだよね?そう思うとまだ救いがあるな。流石に朝までお腹すくので夜食的なものを食べようかな。

ダイエットの基本は規則正しい生活なのだろうけれど、ワールドカップ開催期間中はなかなか難しい。22時に寝て3時前に起きて、5時から8時まで寝る…というような睡眠器用なタイプだと出来るのかな。小さい頃から寝つきが悪くて困っているのでのび太が羨ましい。昔ダイエット成功した増田睡眠導入剤を飲んで解決したっていう人がいたけどそれも考えてみようかな。でもしか睡眠導入剤はいろいろな弊害があるらしいからなー。

2018-07-09

医療関係者モラル - 看護師倫理教育歴史

https://anond.hatelabo.jp/20180709055614

の続き

 ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的倫理的矛盾

 この本は、病院フィールドワークを行い患者医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています目的は「ナース日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。

 第1章は、「ナース世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家商売なのだ」と続いています

 確かに病院一般生活とは異なる独特の世界がありますしかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナース感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています患者さえもそのルーチン化に含まれていきます患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナース患者に生じる多くの倫理的問題道徳的問題認知しなくなっていくのだと分析します。

 しかし、倫理的問題こそナース積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナース患者擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています

看護歴史倫理に関する書籍の紹介

 こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性から看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見先入観を捨てる必要があります

 それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的モラル倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。

歴史の浅い日本看護職、その虚飾


 根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師助産師看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医

 それゆえ、日本近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒信心深い修道女禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会修道女の誓い(神との結婚まり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージ一般大衆に植えつけ印象付けてきた。

 中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番

 問題なのは日本看護はその上っ面のイメージ形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性道徳教育倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。

 そもそも現代日本看護教育は、戦時中軍隊式日赤十字従軍看護婦養成伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。

日本では戦後長らく,看護研究に関する倫理問題はおろか,「看護倫理一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本看護師には,清楚さ,奉仕精神医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去看護師像に対する強い反発と反動日本看護界に広まり,抑圧された過去看護師像を想起させる「看護倫理」そのもの敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本看護界における対応1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf


この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。

1967 年の指定規則改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・

この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・

1989 年に指定規則改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述指定規則から全く無くなり・・・

1996 年の指定規則改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・

2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重擁護方法について「看護職者は、対象者治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳権利擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者立場に立つこと、個人文化背景・価値信条理解意思決定必要情報提供自己決定権人間としての尊厳人権尊重インフォームド・コンセント実践支援プライバシー保護個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/dns/pdf/zasshi/09.pdf

 プライバシー尊重とか超超基本的倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態

 恐ろしいことに本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。

秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである

今の30代以上の看護世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。

日弁連日本弁護士連合会)も懸念表明

 ところが,我が国には,このような基本的人権である患者権利を定めた法律がない。

そのような中で,今日我が国医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者権利が十分に保障されていない状況にある。

...

ところが,いまだ,患者権利に関する法律は制定されていない。

...

 日本医師生命倫理懇談会による1990 年の「説明同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明同意」という訳語は,インフォームド・コンセント理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf

看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります

 今日日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20180709080702

2018-07-08

anond:20180708215127

犬派は、毎日のように散歩に連れていかなければならないので、

運動を伴った規則正しい生活をしてそう。

anond:20180322223107から3ヶ月以上経ったので途中経過を報告する

結論から言うと、一定の成果はあった。

ペースは週2回、1回1〜2時間くらい。

この3ヶ月で勉強したことを列挙する。

Excel
Word
PowerPoint

PowerPointはよく分からないのであんまり教えてない、てかアニメーションとか要る?

その他

メートルミリメートルの換算ができなかったので。

換算一問一答とか、今使われてるのはSI単位が多いけど例外もあるよ、とか、トレーサビリティってのがあって世界中の計測器は〜、とか。

アメリカどーこだ?てやったら中国差したので。

緯度と経度とか、大陸名前とか、国当てクイズとか、大航海時代とか、メルカトル図法とか。

現状Hello Worldだけ。

ファイルシステムの使い方とか、巷でよくあるメモリを机上にたとえたり補助記憶本棚にたとえるやつとか、Windowsタスクマネージャーの起動方法見方トラブル対処法とか。

射出成形とかプレス機とかNC旋盤とかファクトリーオートメーションとか。

Google動画検索にはお世話になりっぱなし。

結果

成果物として、毎日つけているOneDrive上のExcel家計簿がある。

普段スマホで日付と金額と勘定科目?を入力してもらって、別シートにsumifs関数で期間と勘定科目の一致した金額を集計する。

大したものじゃないけど、自分で作ったから仕組みを全部理解しているというのが大きい。地方ならこれを提出するだけでも仕事もらえるんじゃないか。言い過ぎか。

この勉強が早速功を奏したかは分からないけど、今月の頭に某中堅製造業契約社員になれることが決まった。

優秀なら学歴関係なく正社員になれるとのことで、本人のやる気があれば今の勉強を続けていこうと思っている。

たぶんしばらくは反復練習に充てることになるかな。

俺も勉強しなきゃ…

2018-07-06

死刑囚視点思考実験する死刑制度

死刑が確定し、収監されるのは集団生活を行える刑務所ではなく留置所独房だ。当然ながら周囲の死刑囚との会話は禁止されている。

日々顔を合わせる人間刑務官警察官弁護士精神医療関係者教誨師(宗教家など)。家族や友人との面会は容易に許可されないこともある。

規則正しい生活矯正され、気分転換は1日3回の食事と狭い空間での30分の運動刑務所囚人と同様に軽作業も割り当てられている。

運動時間以外は独房内でも行動に制限が掛けられカメラ常時監視され続けている。

大罪を犯して死刑が確定しても、死刑囚は直ぐに死ねるわけではない。

死刑囚へ死刑執行が伝えられるのは死刑執行当日の朝。

それまでは精神医療関係者教誨師との会話の中で日々命について考えさせられる。

死刑判決が確定したとき絶望または諦念が無為味だったかのように、その後の独房生活は死が確定していながらも死ねない不安や焦燥、そして恐怖が襲いかかる。

いつ死ねるのか、いつ殺してくれるのか、早く死刑執行を、今日の朝も死刑執行はされない、次の日の朝も死刑執行はされなかった、また次の日も自分は生きている、その次の日はどうか、自分明日生きているのだろうか。

いつ来るかわからない死、自分で決めることのできない死、死はある日突然やってくる、無遠慮に思い掛けないタイミングで死はやって来てしまう。

そして死刑死ぬことが刑なのではなく、死ぬまでが刑なのだと悟る。

2018-07-05

くだらねえ、とつぶやいてみる増田

仕事って、だるい。みんなはどう?だるくない?私だけですかそうですか。

仕事尊い」という思想を抱いている人には申し訳ないのだが、本当にくだらない、どうでもいいと常々思っている。口には出さないけれど。たくさんの社内の規則や慣習、謎のビジネスマナーに囲まれ仕事をしているが、本音では、どうでもいいじゃん、くだらないよ、と思いながら処理している。その最たるものが「社内政治」で、内輪もめや部署闘争に巻き込まれる度に早くこんな会社つぶれたらいいのに、と思う。つぶれて困るのは私もだけど。

お客さん相手のことでも、大半はくだらないことばかりだと感じている。ごめんなさい。だけど本音では、余計なサービス強要されていると思ってます。ましてや、大きな顔して意味不明クレームを入れてくる客には、憎悪しかない。暇で時間が有り余っているのか、そういう性格なのか、単に頭が悪いのか、ともかくクレーマーは全員爆発してほしい。

私は結局、仕事関係する人のほぼ全員に対して心の中で罵倒しているわけだ。くだらねえ、どうでもいいって。いつも爽やかな笑顔を浮かべながら憎んでいる。他の人はどうなんだろう。心から価値のあると実感できるコトやヒトに囲まれて頑張っているのだろうか。それとも、一生懸命頑張っているように見えるけれど、心の底では「くだらねえ」と思って世界を罵っているのだろうか。

鬱なのかな?それとも、自分が本当に価値があると感じられる世界出会えるよう、どこかに探しに出かけるべきなのかな?って、そんなところ、あるのかしら。

皆、明日仕事に出かけるんだろう。えらい。お給料をもらうためには仕方ないじゃん、という話に過ぎないのかもしれないが、それでも、すごいなって思う。生きるって、案外大変だよね。やれやれ。私も嫌々ながら、明日も出社します。・・・それでは次の曲お聞きください、エレファントカシマシで「今宵の月のように」。

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

鬱になって真人間になった時の話

anond:20180703210030

これ見て思い出したけど、鬱になって毎日どうやって死のうか考えてた頃があった。

でも私はその頃こそ、世間的に見てまっとうな人間だった気がする。

鬱になる前は、ジャンクフードばかり食べ酒も飲みかなり太っていて、大した収入もないのに一人旅行が好きで通販もよく利用するので常にジリ貧、毎晩3時4時くらいまで起きて夜更かししてた。

ある日鬱を発症した途端、それらをしなくなった。

まず食べなくなった。なのでかなり痩せた。

どこにも行きたくないので休みは部屋に引きこもり、購入意欲もないので何も買わなくなって毎月のカード請求額がいつもの1/3になった。

何もしたくないというか起きていたくないので、仕事から帰るとすぐに寝た。

まり、私は鬱になって体型がマシになり、貯金が増え、規則正しい就寝と起床を行えるようになった。

ただし常に強烈な自殺願望を抱えるというオプション付きで。

鬱が収まった今は体重リバウンドで鬱になるよりも太ったし、散財しまくってカード請求額は4倍になったし、また夜更かし生活をしてる。

痩せて貯金が増えたのはすごく嬉しかった。

でもその嬉しさを天秤にかけると、毎日死にたいと思ってた頃には絶対に戻りたくないという気持ちのが勝る。

あんなに辛い気持ちを常に抱えていなきゃいけないなら、デブ貧乏でいるほうがマシだ。

もちろん鬱にならずにまともな社会人になれればそれが一番良い、というかそれが普通なんだろうけども。

2018-07-03

みんな疲れてるとか言うけど普通に規則正しい生活したらいいじゃん

仕事が忙しいとか、人間関係ストレスとか、現代社会のなんだかんだとかでみんな疲れてるとか言うけど、ちょっと待てといいたい。規則正しい生活バランスのとれた食事したらいいじゃん。別に毎日野菜350gも食べなくていいし、瞑想もいいし、運動もたまにでいいよ。まずは毎日ちゃん風呂入って静かに寝て起きてりゃいいだろ。

私たちは闘ってるのよ?」

 あるとき、私は妹の体をタオルで拭きながら、そう尋ねてみた。

わたしたちはたたかってるのよ」

 妹はそっぽを向いたまま、振り返りもせず私の言葉を反復する。話を訊いていないのだ。予想通りの反応とは言え、ため息が出てしまう。

 彼女視線は私の肩越しに背後にすり抜け、その先にはテレビがある。その画面には、丁度お気に入りコマーシャルが流れていた。妹はそのコマーシャルソングを口ずさみながら、私の手を離れ、脱衣所を抜けて、テレビの方へ歩き出す。

「こら、服を着なさい」

「こらふくをきなさい」

 妹は振り返りもしない。体から落ちた水滴で畳が濡れる。歩きながら子供っぽい無造作動作乳房を掻く彼女の、体の曲線はすでに女性のものだ。心の成長を待たずに大人になってしまうことに、不安な感じを覚える。身長はもう姉の私と変わらない。

 私の妹は人と少し違う。

 人と同じようにふるまうことが出来ない。人と同じように考えることが出来ない。人と同じように感じることが出来ない。そしておそらく、自分が人と違うことにも、気が付いていない。

 たとえば、

あろえ

 私は妹の名前を呼ぶ。おそらく妹はテレビ画面を眺めたまま返事をしないだろう。上半身ふわふわ前後に揺らしながら、ブラウン管凝視しているに違いない。

あろえ

 声を少し大きくして、もう一度繰り返す。妹はそれでもテレビから視線をそらさない。画面には、栄養ドリンクCMが映し出されている。もしかしたらそのとき妹は、タフビーム、タフビーム、と抑揚のない声で商品名混じりのキャッチフレーズ連呼しているかもしれない。

 商品映像の内容に興味を持っているのではない。めまぐるしく変わる画面、軽快なコマーシャルソングの与える刺激のとりこになっているのだ。妹は小さいときから、点滅する光や繰り返される音へのこだわりが強く、光ったり音の出るものを与えると、いつまでも飽くことなく戯れていた。規則的に繰り返す刺激が好きらしい。

 日に何度も同じ内容が流されるテレビコマーシャルは、そんな妹にとってうってつけの娯楽で、テレビ番組そのものよりもずっとお気に入りだ。目を見開き、口を薄く開け、食い入るように画面を見つめている。

あろえ

 三度呼んで、なお妹は振り向かない。耳には聞こえてはいるはずだ。好きな音、あるいは嫌いな音が、たとえ傍にいる私が気が付かないような小さな音で鳴ったとしても、妹は即座に反応する。耳は悪くないんだ。きっとこの呼びかけだって聞こえてはいるけれど、言い方が悪くて伝わらないんだろう。だから

あろえ、こっちを向いて」

 と具体的に指示をすれば、妹は振り返ってくれる。と思うけれど、もしかしたらそれでも駄目かもしれない。彼女意思を伝達させるのは難しい。妹にはコミュニケーションのための能力がほんの僅かしかない。

 人は普通、こんなふうにただ名前を呼ばれただけでも、その声の抑揚、言われたときの場面から、そのとき自分が望まれていることをなんとなく想像出来る。もっとさな子供だって、いたずらをしているときに強い口調でその名前を呼べば、それだけで自分咎められていることを理解するだろう。だけれど、妹にはそれがない。反応をしないからといって、逆らおうという意図があるわけでもない。本当に、ただわからないだけなのだ

 そして、私の方からしても、妹の気持ちを察することは難しい。目を離すと部屋のなかをぐちゃぐちゃにしてしまったり、意味の通らない言葉を繰り返していたりする。彼女には彼女なりの理屈があるのだろうけれど、私にはその心の論理理解出来ない。体系が違うのだ。まるで宇宙人の子供みたいだ、と誰かが漏らしていた。

 これが妹が人と生きていく上での大きな困難になっている。医者では自閉症と診断されている。この障碍は今のところ本当の意味で完治する方法は見つかっていないのだそうだ。

「それは足を失ってしまった人に、二度と自分の足が生えることがないのと似ています

 診療室で医者は言った。根本的に困難自体をなくすことは出来ないが、車椅子義足、そして本人や周囲の努力が彼らの生活改善してゆくように、自閉性障碍者の困難もそのための技術知識解決できるものがある。

 ただ、障碍は目に見えないものから、どこまで出来るのか、どうすればいいのか、努力勉強を積み重ねて手探りで戦ってゆくしかない。

 あろえ本人も、それを理解してくれればいいのだけれど。

2018-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20180702054507

呼称に対する潔癖な態度は、氏の「ネットリンチ」に対する態度と同一線上にあるように感じた。

良く言えば高度に倫理的、ただしそれは共感や同情と言った帰属社会防衛とは無関係なところで働いている、といった感じ。

たとえば口蹄疫とき屁理屈をつけては牛を殺せ、殺せと非人間的ツイートを繰り返しているアカウントがいた。

一貫して宮崎農家がどうなろうと関係ないので牛は殺すべき、と主張していた。

当時の赤松農相が薄ら笑いで「だから殺せと言ったのに」と炎上していたが、もっと酷いメンタリティの持ち主だった。

そいつはどこかの法律事務所出禁を喰らっている人だった。たぶん普段の態度から当然の帰結だったのだろう。

今思えば、牛を殺すのは正解だった。

私は、罹災者を救うそぶりなど露程も見せず、ただ牛を殺すことにしか興味なさげ政治への憤りによって、牛を守りたいと思っていた。

しかし、公衆衛生観点から規則に従って牛は殺さねばならなかった。

高度に倫理的とは、つまりそういう事である

目の前に困っている人がいても同調しない人、それは時により倫理的な人である

低能先生という言葉に反対する人、それはおそらくより倫理的な人であろう。

社会的に受け入れられるかは別として。

2018-06-30

サッカー日本ポーランド戦の問題点整理

賛否両論西野ジャパン作戦だが、以下の点を分けて議論したほうがよいと思う。

どんな状況であれ無気力試合は良くない、という考え方

日本はこのままカードをもらわず1点差負けならグループリーグ突破ポーランドはこのままなら今大会勝利、両チームの利害が一致して無気力試合になってしまった。まあ確かにあるべき姿ではない。

ちなみに、同点のまま終盤を迎えた場合もおそらく日本時間稼ぎをしたであろうが、ポーランドはいちおう勝利が欲しかったはずなので、無気力試合にはならなかったと思われる。この手の時間稼ぎも望ましくはないのだろうが、サッカーではまったく珍しくないことである

時間稼ぎ自体がよくない、という考え方もあるのだろう。仮に勝っていても、時間稼ぎをしてはいけないという考え方。

どんな状況であれ試合に負けるのはよくない、という考え方(上と被るけど)

グループリーグ云々よりも、まずは目の前の試合に勝つことを目指すべき。まあ(特に当事国でない)観客のことを考慮すると正論であるさら正論推し進めると、引き分けもよくない(勝ちを目指さないと)、という考え方もある。

時間稼ぎ10分は長い、せめて数分くらいに、という考え方

ちなみに、ポーランドが真面目に試合を続行する可能性もあったと思う。レバンドフスキW杯で1点くらいは取りたかったろうし。その場合無気力試合にはならず、そこまで見苦しい試合にはならなかっただろう。ただし、10分間カードをもらわず1点差負けを維持するのはそれほど簡単ではなかったと思われる。

ギャンブル過ぎる、という考え方

もう1試合コロンビアセネガル戦にて、コロンビアは1点しか勝ち越していない。もしセネガルが同点に追いついて日本敗戦した場合日本グループリーグ敗退してしまう。あまりにも他力本願すぎる。日本はこの試合引き分け以上ならば、もう1試合の結果に関係なくグループリーグ突破できるのに。

ちなみに、コロンビアがもう1点入れて2点勝ち越し場合は、日本得失点差で余裕があるので真面目に試合を続けたと思われる。

無気力試合をしたチームがフェアプレポイントで上回るのはどうか、という考え方(これは規則問題だが)

仮に日本が1―2で負けていた場合は、総得点セネガルを上回っているので、結局無気力試合になったと思われる。フェアプレポイントがなくてもこういうことはありうる。

ちなみに、フェアプレポイントも同点なら抽選で決めるのだそう。そういう状況だったら、日本は真面目に試合をしたと思われる、たぶん(まあ試合が劣勢なら抽選に賭ける手もあるだろうが)。

蛇足: 私の意見

他国のチームが同様の状況に陥ったときも、同様の作戦採用するチームは少なくないと予想する。ただ、他試合の結果次第のギャンブルになってしまうので、採用しないチームもあるだろう。

仮に1点差負けなら他試合の結果に関係なくグループリーグ突破できる状況だったとすれば、ほとんどのチームが無気力試合をやっていたのではないかな。

もし、日本チームがこの試合調子が良ければ必死攻撃してもよかったと思うが、特に後半は得点しそうな気配がまったくなかったからなぁ。

私は今回の西野さんの作戦を支持するが、仮に真面目に続けて玉砕していたとしてもそれはそれで支持していたと思う。

――ここまで書いて思ったけど、よくある「××派」みたいな分岐図を書いてもよさそう。「時間稼ぎも許さな原理主義派」みたいな。

2018-06-29

anond:20180621033528

かに私も子ども欲しくない派だけど、この発想はなかったわ。こちらはあと数年で50歳なので、子宮健康だとしても順調に老化していて、人さまに差し上げることもできない。昔は嫌になるぐらい順調に来ていた生理が、今は予想不能レベルで不規則になり、始まったかと思うと3日ぐらいで終わっている。

子宮筋腫か何かで子宮を取ってしまった同世代の友人いわく、「すごい楽だ」とのこと。もっと彼女若いとき子どもを一人産んでもう成人させてしまったので、子宮機能ちゃん活用したといって良いかも知れない。

こういう考えの人はもう少し歳をとって女扱いしてもらえなくなってからの方が楽に生きられるんじゃないかと思う。

2018-06-26

ひとつひとつ失敗できない仕事が次々とやってきて

でも失敗したところで信用とわずかな小銭を失うだけなんだよね

わずかな小銭と信用のために神経すり減らして仕事をこなしてる

そりゃもっとレベルの高い人は何倍ものお金を得てるけど俺は三流だからそこまでもらえない

じゃあサラリーマンにでもなるか?っていうとそんな規則正しい生き方もっと無理だ

転職するなら飲食水商売かな

この世がフィクションならいいのにな

この世は現実怪我をしたら治るまで痛いし朝から嫌なことがあってもニコニコしてなきゃいけない

30分たったらドラマは終わり、リセットして帰ってくる

なんてことは現実にはない

声に出したことはずっと死ぬまでついてくる

週末は健康診断

明日起きたら忘れずにちゃんウンコを取らないと

世界は俺を中心に5センチくらいの広さで動いてる

全てはフィクションで俺を中心にした群像劇を眺めてる人生だったらよかったのに

明日ウンコ、そのあとメール連絡、案件を進行させてお昼ご飯、昼一に進捗報告、そのあと別件を進めて、夜は流れを見て適当に締める、日中は即時対応が入る可能性があるのであまり予定をキッチリ入れられない、金曜の夜には二つの案件を完成させなくては・・・

アマゾンをぐるぐる回遊してるとなんとなく癒される

まだ火曜の夜だ

金曜までは時間がある

ハズ

2018-06-25

anond:20180625203536

だよな。

zaikabouがネットの古式ルールがどうこう言ってたけど、何を勘違いしてるねんって思ったわ。

そもそもネット古典規則で言えばコテハン現実で殴り合うのを前提としたもの


で、現実ネットを切り離した天空人が2ちゃんねらだったわけよ。

騙り煽り上等。

論破されたらIDかえて元自分を周りと一緒にたたく。

コテは全員基地外扱い。

この刹那的なところにネットネットたるところがあったのに...

この時間定食屋入って昼ご飯食べてると、自分と同じように不規則食生活してるひとが周りにいるので安心できる

やはり私躁鬱なんじゃないかしら、今までうっすらそんなような気はしていたんだけど。

躁と鬱って年単位くらいのスパンで入れ替わるらしいね。知らなかった。

今はここ半年くらい躁期と通常を行ったり来たりしている。と思う。

思い返せば2012年の年明け位から長い鬱期で、ひどい時は学校休みがちだった。

大学に入った2015年あたりから少しずつ戻ってきて、むしろ躁に入り、秋ごろは毎日2~4時まで起きてレポートを書いたりしていた。

ところがその躁期も長く続かず、2016の年明けからまた鬱期で、2016年の4~9月学校に1回も行かない生活を送った。

その後ゆっくり回復し、そして思い返せば2017年の夏位から躁期で、無駄な万能感があったし、そしてそれに基づいた偉そうなビッグマウスも多々あり、それが直接の原因ではないと思うが彼氏と別れ、鬱になるかと思いきや躁は加速し、半年くらい頭おかしい行動を繰り返す。具体的に言えば、

急に一人旅に出かけたりとか(このくらいなら許容範囲か)

買い物をいっぱいしたりとか(とはいえせいぜい1回数千円なのでまあいいかとは思っている)

風俗を利用してみたりとか(このあたりから雲行きが怪しい)

挙句見ず知らずの人と性行為しまくったりとか(そろそろ人から見たらおかしいかもしれない)

今日知ったんです、躁の典型的な症状の一つに見ず知らずの人と性行為をするというのが入っているということを。

え、もしかして最近ずっとやってた爛れた性生活は躁のせいだったの?

思い返せばここ半年結構な躁期だったと思うんだけど、それによる行動の半分くらいは、単に活動的になったように見えてむしろ歓迎されるような行動だと思うのね。バイトをしたりとか。旅行幹事を買って出るとか。それが躁鬱の躁の厄介なところと多分一般に言われていると思うけどさ。

そして2018年6月現在、そろそろ反動の鬱が怖くなっている。

最近は興奮して急に叫び出しそうになったりしているのを抑えている。いつも神経が高ぶっていて無駄に疲れている気がする。やめたい。

ここ1カ月毎日自主的残業しまくって毎日帰宅1112であるもしかしてこれがデフォルトだと思い込んではいけなくて、これは躁の症状なのだろうか。えー、毎日の長時間残業デフォルトにしたいんだけどなぁ。とはいえ泊まり込んで残業禁止強制的規則正しく生活は出来ているのでそこはまだいいと思っている。

こう見ると年明けは鬱期に入るターニングポイントだ。寒くなってきたころ気を付けよう。

個人的には急に暑くなる7月頭らへんも気を付けなければならないポイントで、この頃普通に体調を崩しやすくて、そうすると張りつめていた糸がぷつっと切れてしまう。

そういえば高校の頃はそれなりの成績だったはずなのに大学ではパッとしないの、テスト7月1月からだったりして。いや、それはうがった見方すぎかしら。もしかしてテストがあるから鬱になるのかしら。にわとりたまごかなぁ。

まとまりのない文章を書きましたが深夜なので許してほしい。

さて、私は病院に行った方がいいのだろうか。心療内科に行った方がいいのだろうか。

おあつらえ向きに隣町に躁鬱を扱った心療内科があるらしいが…

普通に病院に行くのが怖いことと、最近保険証が破損してしまって病院によっては保険診療してくれないので面倒くさいのと、病名と言うレッテルを貼られるのが怖いのと、あと再来年就活を控えていて、もし診断されたらその旨をESに書いたり面接で言わないと法律違反になるのではないかと言う不安。あと普通に周囲の人の偏見が怖い。出来たら家族に言わず治療したいがそれは出来るだろうか(多分妹の方が症状が酷いので)。あと普通に平日は時間が無いので土日しか空いていないのだが土日はどこの病院も一杯な気がする。今思い切って予約しても2,3カ月待ちとかになりそう。その間に行く気をなくしそう。

といった抵抗感があって二の足を踏んでいる。

ただ病院にかかるなんて躁期じゃないと思いきれない気がする。

病気じゃないなら病気じゃないって専門家お墨付きをもらうのは悪くないと思うんだ。ちょっとそれっぽい傾向のある女なだけだってことが分かるから

ただ躁鬱って専門家でも判断が難しいらしいからなぁ、インフルエンザみたいにはっきり分かるわけじゃないんだろうね、詳しくないけど。

というかさ、心療内科とか精神科って躁鬱の人に何をするんだろう。薬とかあるのだろうか。いや、それはこんなところで管巻いてないでこのパソコンググるべきだね。

2018-06-24

anond:20180624140926

外に出なくていいよ。よき引きこもりになるためにアドバイスしよう。

日光に当たると老けるだけだし、外食なんてしたら不相応に太るだけ。

家で家事の手伝いをしながら、自分エネルギー消費に見合った量のご飯を細々と食べていればいいよ。

労働しろという意味で外へ出ろという人ならまだ分かる。

でも漠然と部屋に籠もってるのはよくないと言う人は常識に縛られてるだけの可能性が高いね

ただし、うつ気味の人なんかだと、散歩などをすることで気分転換になり暗い思考を断ち切る効果はあるだろう。

そうでないなら、室内で精神衛生を保ち文化的、社交的に生きる手段特にネットを使えば無限にあるしね。

でもまあ換気くらいはたまにした方がいいだろう。ついでに自室の掃除もね。

あとは日光を浴びて体内時計リセットしろという意味を込めて言ってくる人もいるかもしれないね

自分社会復帰視野に入れていて、規則正しい生活こそが健康的だと信じているのなら、毎朝数分間日光浴をするくらいはいいと思うけどね。

そうでないなら、自分の25時間サーカディアンリズムに従って1時間くらいずつずれていく生活をしても肉体的には問題ないはずだ。

ただし夜にうるさくして同居人などに迷惑をかけないようにな。食事・入浴時間などはできるだけ合わせよう、その方が家事効率的だ。

anond:20180624113618

中国故事四字熟語でありそうだが、自分の身も犠牲にするから貴方達も新しい規則に合わせてくれ、

一貫性を示した人物説得力を持つものだよな。

私達のグループの○○漫画、○○雑誌、○○プラカードの中でも政治的に正しくないもの廃止します。

ですからミスコンもどうか中止してください。

まで言えたらもっと中止してくれる大学も増えるんじゃないだろうか。

2018-06-20

一人称女の子

 砂浜は白か灰色かわからない色をしている。どこまでも続く不規則に並んだ真っ白なプラスチックのイス。

監視台のようにすべてが海に向かって、互いと距離を取って置かれている。降りそうにないのに厚い雲が空を覆い、

わずかな光のスキマもない。椅子ひとつを引っ張って波打ち際に置いた。ハンドバッグを胸に抱えて座る。

波が足先まで、白く泡立ちながら何度も押し寄せて、引きずられるカーテンのように海へ還った。

 白か灰色に見える砂浜にはプラスチック製の真っ白な椅子が海に向けて不規則に、どこまでも並んでいた。

空には一面にねずみ色の厚い雲が広がり、わずかな光のスキマも見えなかった。椅子ひとつを波打ち際まで引っ張って腰を下ろし、

ハンドバッグを胸に抱える。波は足のすこし先まで白く泡立ちながら押し寄せては、引きずられるカーテンのように遠のいた。

それを何度も、細部を変えながら繰り返した。

2018-06-19

学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張東京から大阪に向かう新幹線の中だった。

新幹線大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。

冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしか雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。

新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱景色と似たり寄ったりだった。中学校クラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。

ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識さら肥大させた。

ひとことで言えば、ぼくは、音楽小説自分存在のものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。

車内販売ワゴンを押しながらお土産コーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校卒業した年の3月のことを思い出していた。

大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。

そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。

そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。

ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。

anond:20180618013333

髪を黒く染める義務に加えて縮毛矯正学校規則化すればいい

インターネット上なら誰でも何かを売ることができる

気軽に使えるサービスも増え、誰でもネットショップを開ける時代ですね。

ネットショップ運営する理由も人それぞれだし、自由だと思うけど

気軽に始められること

簡単に始められること

責任感持たずにやれる

とは

全く別のことだから

「気軽」や「簡単」といった言葉意味を履き違えてはいけないと思う訳です。

・金は欲しいが運営は真面目にやりたくない

・問い合わせなどの購入者対応はしたくない

・利用サービス規則を守らない

みたいな人は本当に本気で真面目にいい加減にしろよという気持ちしかない訳です。

あなたがどんな気持ちネットショップを開いていようが

その店の運営責任者であり、販売した商品責任者であり、対応するべき責任者であって

やりたくない、というのは全く理由にならない。

運営がずさんだと購入者迷惑がかかるし、何らかのサービスを使っている場合にはその運営元の会社にも迷惑がかかることもある。

というか「販売して得られるお金」以外の部分への意識がまるでないならもうその時点で今すぐ販売業なんてやめてくれと。

付随するあるゆる物事に対してきちんとやるべきことをやるのが前提であるべきで。

会社だろうが個人でやっていようが仕事だろうが趣味だろうが、

運営者の事情がどうであろうと、購入者から見たら「店」の責任であることを自覚してやるべきだと思うのです。

ネットショップ店頭販売と違って直接客と接さないけれど、

客がいることは変わりない訳です

ネットショップからちゃん対応しなくて良いなんて道理ないんです

ネットショップから自分の好き勝手して良い理屈なんかないんです

きちんと責任持ってやってほしい、本当に。

あと、己の無責任さが引き起こしものはいずれ己に返ってくると思いますよ。




という、とある業界の人のぼやきでした。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん