死刑が確定し、収監されるのは集団生活を行える刑務所ではなく留置所の独房だ。当然ながら周囲の死刑囚との会話は禁止されている。
日々顔を合わせる人間は刑務官や警察官、弁護士、精神医療関係者、教誨師(宗教家など)。家族や友人との面会は容易に許可されないこともある。
規則正しい生活を矯正され、気分転換は1日3回の食事と狭い空間での30分の運動。刑務所の囚人と同様に軽作業も割り当てられている。
運動時間以外は独房内でも行動に制限が掛けられカメラで常時監視され続けている。
大罪を犯して死刑が確定しても、死刑囚は直ぐに死ねるわけではない。
それまでは精神医療関係者や教誨師との会話の中で日々命について考えさせられる。
死刑判決が確定したときの絶望または諦念が無為味だったかのように、その後の独房生活は死が確定していながらも死ねない不安や焦燥、そして恐怖が襲いかかる。
いつ死ねるのか、いつ殺してくれるのか、早く死刑執行を、今日の朝も死刑執行はされない、次の日の朝も死刑執行はされなかった、また次の日も自分は生きている、その次の日はどうか、自分は明日生きているのだろうか。
いつ来るかわからない死、自分で決めることのできない死、死はある日突然やってくる、無遠慮に思い掛けないタイミングで死はやって来てしまう。
精神カウンセリングで真人間に矯正して命の大切さを十二分に理解させつつ、死期がいつわかわからない状況下に置いているわけだからな 精神的な拷問と言って良いだろう
拷問だがその拷問を求めてる奴らも居るだろ
拷問は人権によって否定されてる
たいていは身勝手に他人の命という人権を奪ってるんだから死刑囚の人権なんて制限されて然るべきものだろ 死刑以外の刑が人権を侵害してるのは良いかってなるし、死刑に人権を求め...
冤罪の可能性があるから死刑は良くない
冤罪の可能性と死刑囚の人権ゼロはまったく別の話だ
10000%クロなのに「冤罪だ!再審しろ!!」とかいうゴネ得を許す冤罪の可能性論wwww
客観的に見るならば、これは拷問です。 しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。
死ぬまでが刑とは新しい視点 まぁ確かに死んだら刑を認識できないわけだし死刑囚の主観に立てば死ぬまでが刑というのも頷ける 死刑はたいてい残忍非道な行動や考えで他者の命を奪...
かなえのブログおもろいぞ
コイツほんと頭おかしいよな
読んでるとヘンになってくるよな。
何処までいっても他人事みたいな感じがある
こんなことが許されてるのだから日本は遅れてる