はてなキーワード: 抗がん剤治療とは
うちの親父はまぁもう死んだんだけど、
白血病で5年位入院して退院して10年くらいまぁ畑仕事やら日曜大工やら楽しんでその後に食道がん見つかって2年位で死んだんだけど、
食道がんの抗がん剤治療のとき、一年位立ってたかなぁ。時期はあんまり覚えてないけど、まぁ少ししてから風邪引いて気管支炎みたいな感じになって、そこからずっと肺機能が戻らず、喘息持ちみたいになったわけで、
まぁいつでも咳き込むわけですよ。
そこからはみるみる弱るわけ。
でもまぁ多分風邪も、面会に行ってた僕らば持ち込んだわけなんだけどさ。
だからなんていうか、元々ある程度弱ってた人が肺にダメージ受けたら戻らないし寿命が縮むと思うという当たり前の話なんですよ。
じいちゃんとかばあちゃんに、あのとき自分が持ち込んだコロナのせいで、あれからずっと咳が続いて苦しそうだなとか
まぁそういうふうに思う、感じる人がそれなりに出てくるっていうのはね。
どうしても防げないケースもある一方、
防ごうと思えば防げたというケースも多いわけでなんだかねー。
なんていうか、致死率とか死者数しか見ないって、QOL下がっても問題ないでしょって考え方なわけじゃない?
母親が癌になって7年たった。
発見時は原発から他の部位にも転移していたしなんなら骨転移もしていてステージはⅣだった。
これはもう長くないのかな、でも早く死にたいって言ってたし医療保険入ってないしどういう手をつかったのか年金も払ってないし
70手前でこの状況は本人の望んだ人生だったのでは、と思っていたら大本の腫瘍摘出から怒涛の抗がん剤治療が始まった。
抗がん剤やるんだ…と思いつつもまぁ手術したならしないといけないのかな、
ところでホスピスとかって予約いるんかなと思ってたらあっという間に7年経った。
コツコツ貯めたらしい貯金は心もとない額になった(本人談)らしいし
高額医療制度を使っても父親の年収のおかげで月15~25万は出ていくらしいし
今は父親が働いてるからなんとか医療費も払って治療もしてるけど
正直孫の顔も見せたし(姉がだけど)、光の増田のように別にあれこれしてあげたかった気持ちもわかないし、
もし先に父が倒れたらどうすんの…?
てか将来病気がみつかったら治療はしないで早く死にたい、だから保険も年金も払わないってあれだけ言ってませんでしたっけ…?
まじで意味がわからない。姉の子(母からしたら初孫だった)が小学校にはいるまで生きてられるか…とか言ってたけど
なんか余裕で生きてそうな気がする。
世間的には新型コロナウィルスがそれなりに騒がれてきたころだった。
そのあとはもう抗がん剤治療がすぐはじまり、8月頃に手術をしてひと段落かと思った。
全然そんなことはなかった。
腫瘍マーカーの数値はだんだん悪化していて、本人もそうだし俺もめちゃくちゃ落ち込んだ。
落ち込むというより、混乱と不安と恐怖と悔しさだな。
これは早期発見すれば乳がんは治る!って広告を見て、早期発見できなかった人の話も書くかと思って書いた話。
でもできない。
まず俺(28)は同居してないし、400kmくらい離れたところで働きながら一人暮らしをしている。
親は二人で田舎に住んでいる。しかも近隣の県では新型コロナウィルスに感染した一家が自殺に追い込まれたりしている。
病院側も神経をとがらせていて、GWに息子さんが帰省するなら、息子さんとの接触を控えてくださいとまで言っていた。
そんな場所だから、親も帰って来いなんて言えるわけがなかった。
今年の三月に会って以来、現時点では一度も顔を合わせていない。
実はすでに、乳房に良性腫瘍があると10年前の時点で判明していた。
それ以来、良性腫瘍の存在は毎年のことであって、今年の1月の健診でも問題がなかったとして放置していた。
それが3月になり、乳房が少し痛むというので病院に行き、針で生体組織を採取する、いわゆる”生検”を行った。
タイトル通り乳がんであり、タイトル通り早期発見には程遠いステージⅢだった。
ステージⅢの中にもaとかbとかあるが、もう覚えていない。
とにかく乳がんはすでに組織内に留まっておらず、その先のリンパ節まで転移していて、すでに体の血管にがん細胞が散ってしまっていた。
しかも乳がんには種類があって、その中でも治療できる方法が少ないトリプルネガティブという種類だったらしい。
簡潔に言うと、増殖が速くて、効く薬もなかなかなくて、すぐ再発してすぐ悪化する性質を持つ。
最悪だった。
確実に親の死を意識した。いまもしている。
というか統計データ上では1~2年以内の再発発生率が高い(転移も含め)のと、ステージⅢのトリプルネガティブ乳がん患者の5年生存率は40%切るんだよな。
しかも転移したらステージⅢどころかⅣに移行するし、そうなるともう完治は激難しくて、基本的にがんの進行を遅らせながら、痛みを少なくしてQOLを維持することに方針がシフトするんだよね。
もう無理じゃん・・・
でも心のどこかで、(俺が死ぬまで親は生きているんじゃないか・・・)みたいな、祈りに近いような考えはあった。
でもやっぱり義務教育を修了しているので、そんなことはないってわかる。
じゃあいま、何が一番苦しいかって言ったら、母親の気持ちを考えることだよね。
言ってたんだよ、退職したらお父さんの車を車内泊できるように改造して、いろんなところ行こうねって。
俺のところにも旅行に来て・・・弟のところにも行って・・・いろんなところに行こうねって。
やべ少し涙出てきた。
抗がん剤は肉体の免疫を落とすので、人込みとかはそもそも避けなきゃいけない。
これがなかったら俺は今すぐ母ちゃんのところ行って安心させたいし安心したい。
親もいろいろなところに行って、不安はありながらも気晴らしにはなったと思う。
でもぜ~んぶできなくなっちゃった。
親が死ぬこと自体は、まぁ悲しいといえば悲しいけど、それは前から想定していた悲しみだからもう受け入れてる。
受け入れられないのは、やりたいことすらできないまま、とどまり続けているうちに何もできなくなってしまうこと。
その状況に母ちゃんが置かれていること。
その気持ちを想像しただけでめちゃめちゃ悲しくなるし、やりきれない気持ちでいっぱいになる。
不安でいっぱいの母ちゃんを思うだけで俺の気持ちも心細くなる。
親父も頑張っているし、母ちゃんも親父と結婚してよかったとまで言ってたけど、俺は母ちゃんに死んでほしくないよ・・・
彼女もまだ紹介してないし(まだいないから)、孫の顔も見せてないんだよ
4~5年以内にはこっちで家建てて親を呼ぶつもりだったんだよ
80くらいになったら(そろそろかな・・・?)なんて嫌な想像もしつつ親の死を受け入れると思ってたんだよ
なんでそんなに早いうちからなんだよ
本当になんでしか口にできない。
予想以上に叱咤激励いただいて、本当にありがたいと思う。
既に家族を亡くされた方や、現在進行形で闘病中の家族がいる方、さまざまな方からのコメントは非常に悲しかったが、また慰めにもなった。
悲しいというよりは、悲しみが伝わってきたというほうが正しいのかもしれない。
やっぱり誰の死でも、予想以上に速い別離は非常に悲しいものだと改めて思った。
昨日、思いきって母に病状のことを聞くことにした。
トリプルネガティブ乳がんと聞いてから、あまりにも怖くて病状のことを聞くのを避けていた節があったのは事実だ。
でも多くのコメントに(このままではいけない)と背中を押され、聞くことにした。
実は10/1からCT検査やMRI、追加で多くの検査を行っていたらしかった。
追加の検査を受けることになった際には、さすがに転移を覚悟していたらしく、気分の落ちようがすごかったと話していた。
結果は転移なしだった。
冗談抜きで、痛みや悲しみ以外の感情で泣くということを経験した。
でも冷静に考えれば安堵もできないんだよな、状況は好転したわけじゃなくて並行移動したままなんだから。
今日も仕事中にTNBC(トリプルネガティブ乳がん)について調べていた(許して)。
依然として今後も楽観できるような情報はなく、やはりというか、暗い思いになった。
それでも、コメントしていただいた方のおかげで、後悔しない選択をしていきたいと、そう思えるようにはなった。
まずは手紙を書きたいと思う。
この間手紙に関する映画を見たばかりだし、思いを伝えることは大事だなって思ったから。
コメントでもいただいたが、やはり父親もつらいようで酒の量が増えたらしい。
少し調べてはいるが、アルコールのがんへの影響は「確実」としている結果と、「影響あるかはわからんね」としている結果がある。
健康にもあまり良くないし、毎日飲むのは良くないんじゃないかな?とは思う。
参考になるかはわからないが、以下に勉強になった本を記録しておく。
同じような状況の人が少しでも気が楽になるように(気を楽にすることくらいしか他人にはできない)。
アマゾンのリンクしか貼っていないが、特に私自身に何か還元されるものでもないし、リンクトは別に調べて買っていただいても結構です。
がんに関する情報は虚実さまざまあり、当事者にとっては非常に選択に迷うと思われる。
確固としたエビデンスをもとに書かれた本を購入するのが一番確実と感じた。
そのため、以下には基本的に学会の名前で出している本や、がんセンターの院長が著者の本を挙げた。
この中の一つでも、わずかな情報でもあなたの救いになったら、私も救われる。
<非当事者として読む本>
・親ががんになったら読む本 主婦の友社 \1540
http://www.amazon.co.jp/dp/4074380153/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_G0dGFbYY3ME2H
・身近な人ががんになったときに役立つ知識 ダイヤモンド社 \1650
http://www.amazon.co.jp/dp/4478069212/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_S2dGFb0P29WM5
・国立がん研究センターの乳がんの本 小学館 \1980
http://www.amazon.co.jp/dp/4778037936/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_.3dGFbGX8B6NX
・患者さんのための乳がん診療ガイドライン 2019年版 金原出版 \2540
http://www.amazon.co.jp/dp/4307203992/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_94dGFbJZ9EDN9
30代のときガンが見つかり、当時の仕事を退職し、治療に専念した。
手術後は再発予防のための抗がん剤治療を半年ほど受けた。(心身ともにかなりキツい思いをした。)
ただ、摘出したがん細胞の病理結果は悪く、1-2年以内の再発率が高いタイプであり、リンパ節にも転移があると医師から告げられた。
その後は再発に怯えながらも、やれることは何でもやろうと思い、色んな所から情報を仕入れ、民間療法的なものにもたくさん手を出したし、今思えば怪しげなスピリチュアルめいたものにもたくさん触れた。
1年、2年経ち、体調が回復してきてからは、短時間で負担の少ないバイトを始めたりしたが、メインは上記のような活動。
今思えば、30代の中二病っていうか、自分探しみたいになってた。
行き過ぎた自然派みたいな人達から陰謀論とか初めて聞いたりして、自分は世の中の真実を知った~みたいな、今は笑っちゃうけど、熱中した。
そして3年が過ぎ、4年が過ぎ、5年経った頃。
自分はこういう不思議でフリーな人達の中にはずっと居られないし、居たくない。もう卒業して、現実世界に戻って、ちゃんと働こうと思った。
フルタイムの仕事を見つけ、こつこつ貯金して、生活をととのえた。
今、がんは再発していない。
そして今日、免除申請期間5年分、約100万円分の追納案内ハガキが届いた。
金額に一瞬怯んだ。
でも、一気には払えないけど、健康で長生きして、ちゃんと年金を満額受給することを目標にして、少しずつでも追納することを、ここに表明しとく。
こつこつ、がんばるぞ
この数年,妻が闘病してきたけど,先日,医師団から「刀折れ矢尽きた」と宣告されたので,病状と気持ちの変遷をチラ裏として書いておきたい.
そして,原因究明にも時間がかかりすぎた.毎日会っているとわからないけど,ある日出張から帰ると妻の脚が痩せてた.脚が太いのがコンプレックスだったようなので,呑気に「よかったじゃん」と言いながら,過ごしていたのが勿体なかった.疲れ気味とも言っていたので,マッサージでもして少し休んだら?という会話をしていた.その後,家族旅行に行ったけど,そこで調子が本格的に悪くなり,帰って病院にいくと即入院になった.その後,何が原因なのか(疲労?新手の感染症?)などをさぐっていたら,あっという間に+1ヶ月半(その間入院).で,結局,血液系の癌ですね,となり治療開始.気づくと今年は夏からすぐに冬になったんだなって思うくらいの慌ただしさ.この頃は,癌かもねという話があった時に,「そうかもな」と思いつつ,治療に専念してもらうかなど色々画策.妻は好戦的で,子供のことを巡って大喧嘩も数知れず.当時は抗がん剤治療が比較的うまく行っており,妻は余裕だと考えている節があった.
冬が終わるくらいになると,好戦的なのは変わらないけど,「あれ?」ということが増えてきた.それを認めないため,休みをとって診察に同行し(それまでは口出すなって言われていたので行かないことにしていた),事情説明.検査の結果,中枢神経系の転移が起きていて,即入院.これもかなり遅かった.入院して即治療という訳にも行かず,1週間くらい待っている間に,あっという間に意識不明になった.この時は,覚悟したし,最後にまともな会話ができなくて心残りがあるって思った.けど幸い,少しずつ治療が効いて,退院できるくらいになった.正直,一安心.けど,病院側からは普段の生活面において,不穏な話をたくさんされた.
退院してからの妻の行動は,人が変わっていたと言っても差し支えがない.見ず知らずの人にやたらめったら絡んだり,商品をカバンにしまって会計しないまま立ち去ったり.その度に,妻の実家を含めて話し合って,叱ったり諭したりし,本人は反省した風だけど,3日ももたずに繰り返す.家族で買い物に言っても,少し目を離した隙にやっている(目を離すなって思うかもしれないけど,例えば,子供をトイレに連れて行ってる隙にいなくなってるんだよね).本人はもう元気になったから,私のやりたいようにするってことらしい.それは構わないけど,家族や周りに迷惑かけるなって思った.「そんなに元気なら復職しろ」(治療中は休職)って話をして,じゃあ相談しようってくらいに,新型コロナの問題で会社・医師双方からもう少し待ちましょうって感じになった.本当にこのころは迷惑だったし,妻は妻で,「あなたが言うことは間違っている」と言っていて(「間違ってたら警察のお世話にならんわ」って内心思ってた),家族で見切れないから,衆人監視で動いてもらおうって思ってた.
けど,そうこうしているうちに,再発していることが判明(これも本人が再発を認めたくなかったため,医師に伝えるのにものすごく時間かかった).前回にこれで再発したら,もう手段はほとんどないですって伝えられていて,実際に選択肢は4つくらい(うち1つは治療しない)だった.お勧め順に潰してきたけど,やはりどれもダメってことで「刀折れ矢尽きた」の宣告に至っている.先週末あたりから,頭の中がタイムスリップすることが増えてきて,今週になってその時間が多くなってきた.これがどの段階なのか分からないけど,中枢神経系に転移した時に似た既視感があり,正直そろそろかなという直感がある.自分に対しては妻とお別れに対する悲しさ,これでやっと終わりだなという解放感,妻に対しては,子供の成長が見れなくて辛いだろうなという気持ちとやっと痛みや辛い治療から解放されるねという安心感.子供に対しては,どうすればいいのか分からない(母親を失うのはどうあがいても厳しいことだろう).混沌とした気持ちになっている.
以上,チラシの裏.
既婚者の皆様,特に専業主ふのパートナーをお持ちの方は,自分だけでなくパートナーの健康管理にも気をつけて欲しいといのが教訓.あとはどうなるかは千差万別.ただし,頭の病気は本当に周りが辛い.
昔からルーズでヘラヘラしてたけど、愛されキャラって言うの?叱られつつも気に入られる魅力的な奴だった。
大学で会って、研究室も隣で、毎晩のように学食で蕎麦すすっては肩組んで俺の部屋に帰り雑魚寝する大の仲良しだった。
就職してからはお互い会うことも随分減ったけど、年に5回程度、安居酒屋で呑んでは〆の蕎麦屋に繰り出し、やっぱり肩組んで俺の家に縺れ込んでは呆れた妻に2人一緒に締め出される仲だった。
4、5年前に、デートをすっぽかし過ぎて彼女に振られた〜つって泣くから、俺の妹の友人って子を紹介した。どうせ彼女の二の舞さだとか笑ってたのに、ハイスペ美人で超真面目なその子と、ゆるゆるルーズで適当なそいつは妙にウマがあったらしく、紹介した一年後には結婚までしやがった。ご祝賀に幾ら払ったと思ってんだこの野郎。
お互い結婚してから、俺も子宝に恵まれて、こりゃあ前みたいに呑みには行けねえななんて笑ってはいたけど、やっぱり半年に一回程度はおんなじように飲んで、おんなじように蕎麦啜って、俺ん家に帰宅しては、娘に足でつつかれてた。
ちょうどそのぐらいの頃だったか、変な咳するようになってて、心配だからテメェ病院行けよとかいうんだけども「うんうん」頷くものの次会った時に聞くと行ってないってのの繰り返しで
奥さんも痺れを切らして無理矢理病院に連行したときには、結構進行してた。
とは言っても、ガンなんて最早死ぬ病気ではないから、通院して抗がん剤治療、仕事も暫く休職して、目処が立ったら復帰ってことに決まって、まあまあ良かっためでたしめでたしって予定だったのに
あいつ、病院にちゃんと行ってなかったんだと。医者も困り果ててて、治るものも治りませんからね!とかちょっとばかしキレてたらしい。俺はそいつの奥さんに呼ばれて説教しに会いに行ったのに、病室で痩せ細って、ガン独特の匂いのするあいつに会って落ち込んじゃった。
ADHDってのも考慮して、もう入院。手術します。治るまで退院させません。とか取り決めて、じゃあ頑張れよ、とあいつには言って、偶々あったそいつの主治医に謝って、奥さんにも「とんでもねえやつ紹介しちゃんてすみませんね」と誤って「ほんとに💢」と横腹に軽いパンチ食らって帰ってきて、心配で堪らなくて寝れなかった。
うちの妻に「死んじゃったらどーしよう」とか柄にもなく泣きついて、妻はやっぱり呆れて「○ちゃんの方が可愛そうだべさ」と憤慨していた。
それからね、早いもんだな。
すぐ逝っちゃった。ちゃんと抗がん剤治療受ければ治るって言われてたのにな。
なーんで、ちゃんと出来ないんだか。いっつもあいつを叱ってたんだよ。レポートの締め切り明日だけどやったか?今日の宿題持ってきた?卒論書いてる?就活してる?つって。せっついてせっついて漸く人並みに持ち上げてやってたの。
頭いいやつだったよ。結局勉強しなかったわ〜とかヘラヘラしてやってきて、余裕の最高得点。就職するって言い出した時も、先生達が慌てて「君は博士課程に行くべきだ」と説得しに来たぐらい。
誰にでも好かれてて、気前が良くて、裏表もなく正直で、自分にも甘い分他人にも甘い。だから一緒にいて疲れなかった。あのぐらいの年頃だと、みんなギラついちゃってて、何人とヤッたとか、いくら稼いだとか、社名を出せば余裕wなんつってエリートの俺様やってた中で、ほんわかヘラヘラしてるあいつは癒しだった。
ちゃんと面倒見てれば良かった。毎日LINEで病院行ったか聞いて、既読がつかなきゃ電話して、電話にできなきゃ家まで凸して首根っこ掴んで連れて行きゃよかった。自分の面倒は自分で、とかいうけどさ、それが出来ねえ奴もいるんだよな。自分の面倒も見切れない奴は死ねだとか、そんなこと俺には言えねえよ。自業自得なのは俺だ。奴が死んで悲しいのは俺だった。
愛されて、せっつかれて、叱られて心配されながら先に逝けて羨ましいよ。最後までずるい奴だった。
俺が後悔してる以上に、奥さんが後悔してんだよ。テメェはまた無責任にお腹に子供残して死ぬんだから。世話ねえよホント。
葬式で声もかけられなかった。ずっと泣いてたし、ごめんねごめんねって謝っててさ。謝るのはあいつの方だよな。自己管理もできない甘ちゃんが悪いのにな。どうしようもない奴紹介しやがってって妹にはどつかれた。
死んでもう二年経つけど、未だに蕎麦食えねんだよ。死んだのは冬だったけどさ、夏になると蕎麦食えねえせいで思い出すの。マジでくだらねえよ。ほんと、どうしようもない奴だった。
でも、惜しい奴を亡くした。
悔しい。
テメェのせいで今年も最悪の夏だ。
外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合、抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。
そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。
はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命は可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族や医師は、医療の不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?
外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合、抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。
そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。
はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命は可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族や医師は、医療の不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?
生まれて2万日目を迎えた。覚えていたわけではないが、Googleカレンダーのリマインダで気づいた。節目なので、いったん今までの人生を振り返ってみる。1965年生まれのおっさんである。
こんなところである。
何の病気でもないただの薄毛に悩んだ挙げ句、坊主頭にしてウィッグで日常生活送ることを選んだ。
仕事や外出時は医療用ウィッグ被ってる。最近のヅラはなかなか性能がよく、意外にバレない。
ただ家にいる時ウィッグを被るのが正直めんどくさく(暑いし…)、この前医療用帽子というものを買った。
出かけない休日は一日それで過ごすんだけど…時々やってくる宅配の兄ちゃんの視線が辛い。
医療用帽子というのは、抗がん剤治療をされている方がよく被ってるやつだ。頭をすっぽり覆うニット帽の、綿バージョンみたいなやつ。
町中でこの格好をしている女性に出会ったら、ガン治療中なのかな?って思う人も多いだろう。自分もそうだったし。実際には色んなケースがあるんだろうけど。
とにかく、こっちはハゲてるだけで健康そのものなのに、宅配の兄ちゃんが当社比150%で丁寧な対応してくれるため、罪悪感がすごい…。髪を生やしてた時、ヅラの時と比べた体感なので、おそらく気にし過ぎではないだろう。
以前に知り合いから、「ゴーヤの種が癌に効く」と言う話を聞いていました。彼のお父さんが膀胱に毎年検査で小さなポリープが発見されていました。そのたびに内視鏡手術で取ってもらっていました。そんな時テレビでみのもんた氏がゴーヤの種が効くという番組みをやっているのを見て、飲み出したところ毎年の検査ではポリープが発見されなくなったそうです。しかし、4-5年見つからなかったので、気が緩んだのか飲むのを中止したところ、翌年の検査で癌が見つかり、しかも手遅れで手術もできないと言われたそうです。もう高齢なので抗がん剤治療も受けられず、本人は「ゴーヤで治す」と宣言してゴーヤを飲むのを再開したそうです。そうしたら、驚くべきことに数ヶ月で癌が消えて、数年たった今でも健在だそうです。医者も何が起こったのか、と大変驚いたそうです。
これ一例だとたまたまということかも知れませんが、今度はその知人の母方の伯母が肺癌になり、これも手遅れと言われたのを抗がん剤治療と並行して、ゴーヤを飲み始めたら数ヶ月で癌が消えたそうです。2年たった今でも健在です。彼の母方なので、お父さんとは血筋が違いますので、効き易い血統ということでもありません。これも医者は大騒ぎだったそうです。
こんな話を聞いていたのですが、よくある民間療法のいいかげんな話かもしれないと半信半疑でした。しかし、その知人は物事を論理的に考える技術屋ですし、しかも人一倍論理的な人間です。ゴーヤとの利害関係もありません。
そうこうしているうち、私も身内に癌になる人が出ました。卵巣癌でこれも手遅れで手術もできないと言われました。最悪数ヶ月の余命とも言われました。知人の話を思い出し、駄目でもともとと、このゴーヤ治療を奨めたところ、抗がん剤が効いたのかもしれませんが、数ヶ月で手術ができるくらいに縮小し、手術後8ヶ月の今は普通の生活ができるまでになりました。1年前の絶望の淵と比べると、夢のようです。今度、私の家に招いてBBQをやろうと言っています。
ゴーヤが効いたかどうかはわかりませんが、身近なところで3人も癌が消えるか縮小する人が出ました。これが本当なら、世間ではもっと騒いでいてもいいとは思いますが、そんな話は聞きません。相変わらず半信半疑ではありますが、安いものでもありますので、私もパウダー状の市販品を買って毎日飲むようにしています。
今年はコロナの影響でゴーヤを家庭で植えている人も一杯います。実も沢山できるようです。利用価値のなかった種をこういう形で活用されたらいいと思います。
最後に余談になりますが、沖縄県はがんの死亡者割合が全国最小の県です。しかし米兵はゴーヤを食べる習慣がないのでガンを持っています。
東京都での1日あたりのコロナウイルスの感染者が100人を越えて、なんだか気持ちが落ち着かないので以前の事を書いてみようと思う。
7年前、癌の宣告を受け、手術をした。
その後長い抗がん剤治療が待っていた。
抗がん剤治療にも色々あるが、自分は通院で週3回受けて1週休み、それを6ヶ月間続けるというものだった。
意外に知らない人が多いのだか、抗がん剤治療中は白血球値が下がって免疫が弱まってしまうことが多い。
白血球値が下がりすぎて危険な状態にならないために、まず血液を取って白血球値を調べて、問題なければ抗がん剤治療をして、ダメならば次週に持ち越して白血球値が上がるのを待つ。
自分は白血球値がかなり下がってしまい、計18回の治療の間、「全く問題ないですよ」と言われたことは2回しかなかった。
病院に行っても「今日は無理ですね」と言われればそのまま帰るしかない。
医者からは免疫が下がっているので人ごみには行かず、外出時にはマスクをするようにと言われた。
1週だけでもきついが2週連続で治療を受けられなかった時は相当落ち込んだ。
当初半年だったはずの治療は伸びに伸びて、最終的には8ヶ月となった。
とにかく一日一日が長かった。
治療を受けられればまだ少しでも前進している実感があったが、受けられない時が続くと地獄だった。次の治療までの1週間が永遠のように長く思えた。
6ヶ月先とか、いったいどれだけ先なのか。
月に1回治療を受けるタイプの人は体調の良い時に出かけたりもすることがあるらしいと後で知ったが、自分は副作用もひどく、病院を往復する以外はたまに家の近所を散歩する程度だった。
病気を心配した母親が田舎から出て来て身の回りの世話をしてくれたが、それも良し悪しで、心配のあまり家から一歩も出すまいとした。
10分程度の散歩に行くのすら、今日は暑すぎるだの寒すぎるだの顔色が悪いだの、何かと難癖をつけては阻止しようとした。
ちょっと遠回りして帰るのが遅くなるとスマホに電話が掛かってきたこともある。
帰ると「どこかお店にでも入ったんじゃないでしょうね」と詰問された。
何もすることがなかった。
でも、今、コロナで自粛を続けて不安を感じても相談に乗ってくれるカウンセラーがいないのと同じように、自分にも相談する相手はいなかった。
日本はそういう面では遅れているのだと思う。
抗がん剤治療中の患者の心のケアをしてくれる専門家はいないのだ。
友人には「神様がくれた休暇だと思ってゆっくり休んで」と言われたが、何をバカなことを言っているんだと思った。
自分の癌は再発したら助からないのだということはわかっていた。
希望などどこにもなかった。
当時の自分と今のコロナ渦の状況と比べてどちらがどうということもないと思う。
全世界で同時に人々が災厄に見舞われてるこの状況は大変なことだ。
周りはみんな元気だった。
Twitterで目にした「スタバでカフェラテ中」という書き込みが胸に突き刺さった。
やがてTwitterも見なくなった。
散歩でいく公園から見える遠くの線路を眺めながら、自分はあの電車に乗って出かけることもできないと泣いた。
少なくとも今はみんなが同じように苦労をしていて、その気持ちを共有することができる。
それはすごいことだと思う。
8ヵ月の治療の間、いつかはそれが終わり、また社会に戻ることができるという事がどうしてもイメージできなかった。
それが実感できたのは治療が終わる1週間前だ。
暇つぶしに見ているどうでもいいバラエティ番組の次週の予告を見て、ふと「そうか、来週のこの時間は治療が終わっているんだ」と気づいた。
勤めていた職場が休職扱いにして待っていてくれたというのも大きかった。
誰かに仕事を与えるというのは生きる希望を与えるということなのだ。
職場に復帰した初日、帰りの電車の中で、車窓を流れる景色をずっと眺めていたことを今でも覚えている。
川沿いにならぶマンションに夜の明かりが灯って、それが水面に映って揺れていた。
こんなにも世界は美しくて輝いているのか。
治療中「行ってみたいところ」と書き出していたところを毎週末訪れて、全部まわるのに半年かかった。
ずっと夢見ていたのは、世界のどこかに絶景を見に行くとかではなく、普通の日常に戻ることだった。
朝起きて、行くところがあるというのは素晴らしいことだ。
ドアを開けてどこでも行きたいところに行けるということは本当に素晴らしいことだ。
きっと日本にもこれからもっともっと大変な状況が訪れるのだろう。
たとえ乗り切れたとしてもその先にどんな世界が待っているのかわからない。
そして今現在も抗がん剤治療を受けいてる人はたくさんいる。その人たちはどんなに不安に毎日を過ごしているだろう。
それがどれぐらい先かわからない。
まだ光は見えないけれど、いつかこの困難を乗り越えて、普通の日々を取り戻す時がやってくる。
その時ドアを開けたら、輝いている世界がきっと待っているのだろう。
グッドラック。
昨日久しぶりに妹から連絡があった。
私は地元から離れて暮らしているが、妹は実家近くに住んでいる。
両親にはまだこの件について連絡していない。
夫にもまだ伝えていない。
夫の父親も胃ガンで数年前に亡くなった。
結婚式を挙げた頃はふっくらしていた義父が、手術と抗がん剤治療を経てガリガリに痩せていったのを見ているので、自分の父もそうなるのかと思うと怖い。
義父はステージ4で、標準治療を積極的にしていたが発覚から4年弱で亡くなった。
まだ自分の中でもこの事実をどう受け止めていいかわからなくて戸惑ってる。
父、まだ60代半ばなんだけどな…
定年退職した後、「俺はそんな長生きするつもりはない」と言ってたけど、そうは言ってもやっぱり長生きしてほしい。
誰にも言えないのでとりあえずここで吐き出してみた。
外国に比べて人口比でベッド数が多いから、減らすってアホじゃないのか?
日本は、限界まで生存期間を延ばそうとして、既に四肢が拘縮している高度の認知症で発語も追視もできない高齢者に平気で胃ろうを作るのが現状だよ。
医療側は生存期間をできる限り延ばそうとする。なぜなら、それを患者側、特に患者の家族側が望むからだ。
生存期間をできる限り延長しようとすれば、そういう患者が増える。そういう患者が多くなれば、在宅介護は無理だから長期入院になる。
日本は外国に比べて在宅での介護力が低いからこうなるんだよ!それも当たり前だ。上記のような患者を在宅介護なんかできるわけがないんだから。
要するに、できる限り生存期間を延ばそうとする治療行為を止めさせることが最も必要なのに、ベッド数を削減なんて全く方向違いの政策だろう。
寝たきりの状態になったら、原則的にすべての内服薬を中止するように勧告せよ。
透析治療は1年までを期限として、1年以上継続する場合は保健診療ではできないようにせよ。
75歳以上の抗がん剤治療及びがんに対する手術/放射線治療を保険診療から削除せよ。
根本的な原因に目を向けずにベッド数を削減なんてことを断行したら、生存期間を延長させることを要求する患者家族側と医療側の溝が深くなって、もっと医療不信が強くなるだけだろうが!馬鹿じゃないのか!
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191028/k10012153731000.html
標記の件、合うものであればウィッグでもセックスどころか着けたままお泊まりもできるということが分かり2種類目の薬で手が荒れまくり脱毛以上に辛くて病むも急に何かが弾け出会い系サイトを始めて手術前の1ヶ月で10人近くとセックスし性病疑惑で先生に泣きついて苦笑いで抗生物質出してもらったり無事 手術に至り割とすぐ元気に院内をウロつくも生理来ず再び先生に泣きついて尿検査してもらったり退院翌日にライブで飛び跳ね首と腕をぶん回したりでした。
薬も飲む必要がなく影響がないからか、そもそも抗がん剤治療からの手術な患者が酒浸りのヤリマンで翌日から動き回るのは想定外なのか退院時には特になんの注意もなかったので普段通り生活しています。
少なくともまたロングヘアーになれるくらいまでは再発しないといいなぁ
父ががんの宣告を受けた。いわゆるステージ4、がん細胞が原発部位を飛び出し、体の他の場所へ転移している状態だ。昨日はこれからの化学療法(抗がん剤治療)方針に関して医師から説明があるというので、幼いころ、野球場へ連れて行ってもらったときのように、父の後ろをついて病院まで行ってきた。
結論から言えば、医師の説明はスタンダードな標準医療に沿ったもので、こちらとして安心できるものだった。魔法のように父を長生きさせてくれるものではないのが残念ではあったけれど、お医者さんは魔法使いではないので仕方ない。
今回、医師の話を聞きに行くあたって、真っさらな状態では質問すらままならないだろうと思い、父のがんについて簡単な勉強をしていった。「診療ガイドブック」の父に関係しそうな部分を読み込み、さまざまな医療機関のサイトで疾患の解説をしているページをあたり、予想される薬剤名で検索しては各方面の記事にさんざん目を通した。
そんな予習をしている際には、当然「魔法」を喧伝するサイトにもたくさん出くわした。曰く、「抗がん剤なんて危ない!」「日本なら死ぬのを待つだけ」「海外に行けばこんなにきれいに!!」などなど。冷静になろう、父に正しい医療を受けてほしいと思う自分に対してさえも、こういうサイトは心の隙間を見つけて染みこんでくる。
「自分が行動を起こさないせいで、父は命を落としてしまうんじゃないか」
「安易に標準医療に頼ったら、助かるはずの父を苦しめてしまうんじゃないか」
こうした「魔法」について医者に聞いたところで「そんな治療法はエビデンスがないので、『受けるな!』とは言えませんが、おすすめもできません」と答えるのが分かってはいるのに、ついつい主治医にも確認した方がいいんじゃないかという気持ちが頭をよぎる。
そういう不安を払拭できたのは、やはり知識だった。病院や学会が発する資料を素人なりに読み込み、正確な数値に触れ、薬の作用機序を大まかに頭に入れ、標準医療の進歩を実感してこそ、「魔法」の誘惑から逃れ、医師の説明に耳を傾けられたような気がする。自分で言うのもおこがましいけれど、まだ、私にはそうした医学的エビデンスのある資料を読む力があったから、あやしい魔法から逃げおおせることができたのだろうと思う。もし、これが年老いた本人だけ、あるいはあまり資料を読む習慣がない人だけが情報に向き合った際に、標準医療と「魔法」の区別がつくのだろうか、という懸念は残った。
発端は親切心なのかもしれないが、あやしげな商売でがん患者やその家族をたぶらかす連中を絶対に許せない。
今、私は父を病院に託し、抗がん剤が父に対して劇的な効き目を発揮してくれることを祈り、激しい痛みや生活苦が今後、父(または同居する母)に訪れないように祈ることしかできない。幸いオリンピックのチケットが2枚当たったので、かつての野球場のように、来年の今ごろ、父とともにオリンピックスタジアムへ行けることを夢見ている。
私の両親は騙されやすいのだと思う。
つい最近だと座ったら病気が治る電流イス(100万円)を買おうとしてた。
ギリギリのところで購入を阻止できたけど、購入を反対したら逆ギレされたりしてしんどかった。
あと数年前には「抗がん剤治療は体に悪影響だ、医者が金儲けするための治療だ」とか言って癌の祖父とか親戚にガンが治る水(2L1万円)を勧めて買わせてた。
今は「処方薬は人間を滅ぼす。医者は患者から金を巻き上げるために薬を処方してる」とか言ってる。
「飲むのを辞めないなら薬の陰謀について詳しく教えてくれる講演会に連れて行く」とか言われた。
何やねんその講演会と思ったがとりあえず情報を聞き出して講演する人間について調べたら法学部卒の人間だった。卒業後薬の勉強を独学でしたらしい。
本当に訳がわからない。
医師が患者を騙しているのではなく、講演する人が講演会で金を巻き上げるために薬を飲むべき人を騙しているのではないかと思う。
でもこういう事が10年近く続いてきて、最近何が嘘で何が本当なのかわからなくなってきた。
私まで洗脳されそうで怖い。
いつか取り返しのつかない事になりそうで不安。
父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。
私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。
例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。
父親は典型的なクレーマーでもあった。理髪店で自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要は断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。
そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。
小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まりで旅行など、温泉に一度行ったきりだ。
今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。
「子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。
私には兄がいる。私とは違い、高校も大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年の危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。
そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く、高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。
そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。
私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。
社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。
その頃父との関係は冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶だからであり、家ではとても口が悪く我儘だった。
父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。
家を出てからはほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。
その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから。
今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。
退職後から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。
それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。
担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。
モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。
私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。
寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。
母からの電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。
父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。
それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯やタブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。
今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。
葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。
きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。
生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。
今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/www.d3b.jp/media/5418
このブコメ欄にて
https://b.hatena.ne.jp/entry/255679421/comment/shufuo
手術や抗癌剤にはメリットもあればデメリットもある。積極的に緩和ケアして元気なうちに旅行や食事や文化を楽しんで死にたいという人がいてもいい。人生いろいろだよ。自分はたぶん戦わないと思う。
そこに反論
https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/ublftbo
“、体力が著しく弱った患者には、今では抗がん剤治療はやりません。末期がんの患者ともなると緩和ケアに努め、患者に無理を強いる治療はしないように医療のやり方は変わっているのです。”と記事に書いてあるのに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/shufuo
↓ドラマ編はこれ
https://anond.hatelabo.jp/20190429201600
思ったより需要なさそうだけどせっかく途中まで書いたしコメントもらったので続き書く。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『僕と大家さん』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 75 | 9783 | 130.4 | 51 |
01 | 34 | 8770 | 257.9 | 55 |
02 | 36 | 7360 | 204.4 | 92.5 |
03 | 20 | 6636 | 331.8 | 41.5 |
04 | 8 | 1298 | 162.3 | 34.5 |
05 | 11 | 4609 | 419.0 | 35 |
06 | 18 | 1080 | 60.0 | 30 |
07 | 31 | 4613 | 148.8 | 43 |
08 | 48 | 18958 | 395.0 | 52.5 |
09 | 91 | 29654 | 325.9 | 60 |
10 | 57 | 13117 | 230.1 | 55 |
11 | 45 | 7219 | 160.4 | 53 |
12 | 44 | 12584 | 286.0 | 67 |
13 | 45 | 5549 | 123.3 | 53 |
14 | 65 | 10634 | 163.6 | 58 |
15 | 75 | 6441 | 85.9 | 40 |
16 | 67 | 15665 | 233.8 | 55 |
17 | 74 | 17410 | 235.3 | 35 |
18 | 74 | 9006 | 121.7 | 39.5 |
19 | 75 | 12802 | 170.7 | 77 |
20 | 75 | 7662 | 102.2 | 30 |
21 | 81 | 15939 | 196.8 | 35 |
22 | 81 | 16869 | 208.3 | 48 |
23 | 64 | 11957 | 186.8 | 45 |
1日 | 1294 | 255615 | 197.5 | 48 |
吼える(5), てりあ(4), 藍子(4), ネトウヨミソジニー(6), 電波系(3), コメンタリー(3), 吼え(3), きらり(3), 渋谷凛(4), 主客(3), 本田未央(9), 島村卯月(3), ザコメンタル(3), GW(20), 夢見(24), 連休(16), 西暦(13), プロデューサー(11), デレステ(8), 工作(7), 中間(9), 検察(7), 上級国民(11), 令和(23), 哲学(8), り(33), 日付(10), P(16), 私達(7), 悪魔(10), さて(14), 平成(32), 表明(12), 元号(13), 本音(11), 昭和(24), 選挙(11), 言動(13)
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丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄の抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。
抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。
で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。
治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。
治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物が自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分の境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。
病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。
ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初に死ぬ登場人物に感情移入してしまうので。
あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで。
【ドラマ編】
『名探偵モンク』
ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ。
主人公の探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまい。モンクを取り巻く元上司の警部や看護師がモンクの強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。
探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフトに表現されていて何とか大丈夫なレベル。シリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ。
『dinner』
登場人物の一人ごとにスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。
小さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。
ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクションの主題歌もいいよね。
『カルテット』
社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。
例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。
『鹿男あをによし』
玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。
仕事を定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月の福袋の行列に並ぶというドラマ。これも面白い。
ドラマはHuluで配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。
あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。
癌の種類にもよるけど自分の場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。
あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかわからないのでここまでにしときます。
需要ありそうなら続き書くわ。
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漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう。
あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマ。おっさんマジ癒し。途中の変な小劇場は飛ばしちゃうけどね。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『大家さんと僕』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。