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2019-05-15

anond:20190515125346

ホスピスにいる末期老人は助かるのだろうか

とかあやらないのは40代独身差別しているからだよね

遊んでネタにしていいと考えていらっしゃる

2019-05-07

父はアスペ気質だった。

自分も同じような気質から、今になって父の大変さがわかった。

アスペ気質人間社会でやっていこうと思ったら、「ありのまま自分」という言葉を信じたら手痛い目にあうということを。

アスペ気質ゆえ周囲から舐められ馬鹿にされ押し付けられ、それでも些細な形成逆転を時にするために、理論武装自分しか出来ない事を磨き上げる。愛想よくしていい相手とそうでない相手も見極める。アスペ気質理想家だからこんな自分が凄く嫌になることもある。

それでも頑張るのは、家族のため、子のためだったのだろう。

自分の今までを肯定しないとやっていけなかっただろう。気持ちだけでも肯定するために、酒の力を借りる。タバコも吸う。家族の前で再び理想自分を演じるために、どこかでリセットしなければ頭の中が情報過多でおかしくなりそうだから、父は、必ず家に帰る前に寄り道をしていた。パチンコだったり、本屋だったり、安い立ち飲み屋だったり。そんな父を、母は、自分ばっかり楽をして!子育て押し付けてと怒ったり、アスペ気質の父を、スマートじゃない面白みのない人望のない男と子供たちに腐していた。ならば自身馬鹿にしているそういう男にしか選ばれなかった母も母だが。

からも愛されず、子供たちも妻に習い軽んじる。父の心の拠り所はなんだったのだろう。

のしんどさもわかる。私は発達障害の気があり何度も学校に呼び出された。子供に対し何もしてくれないと嘆き、たまに遊園地に私を連れて行ったら、いいとこ取りしていいわねと腐していた。生まれてきてごめんなさいという気持ちに何度もなっていたが、父は外遊びが苦手な私に、母のようになんで外で遊ばないの?友達がいないの?と急かすことは一切せず、好きな漫画の話をして盛り上がったり、古本屋さんでいっぱい本を買ってくれた。

今思えば、父は自身と同じ気質の私と気持ちに寄り添ってくれたのだと思う。

父の癌が発覚したのは三年前。死んだのは去年だ。あれほど腐していた母なのに、献身的介護をしていた。ホスピスに行こうか、ほかの名医と言われる先生のところに行くんだと必死病院を探し回っていた。尻を叩く母が居なかったら、私も社会生活を営めたかどうかも怪しかった。

母も年々弱くなってきた。

結婚も出来ず、子供も残せず、親不孝で、なんのための生まれてきた子供なんだろうと自分のことを不甲斐なく思うこともあるけれど、生まれてきたことじたい、許されてきたのだと思う。

つらつらと思うことを語りました。見てくれてありがとう

2019-04-20

きっと甘いみかん / 一定甜的橘子

中国語勉強していたら、「一定甜的橘子」という文章に遭遇した。

内容は、一休さんのようにとんちを聞かせて上手いこと言い訳して難を逃れるというたわいもない話。

けれども、このテキストを読んでいると不意に他のことを考えてしまう。

ぼくの両親の実家愛媛で、母の実家瀬戸内海に面する小さな港町だった。

出身を言うと「みかんだよね」と、得意そうに、とき申し訳なさそうに言われる愛媛県民のどれくらいがそうしているのかわからないのだけれど、ぼくの家には子どもが生まれたらみかんの木を植えるという習わしがあった。種からではなく、苗から植えて、遅くとも小学校入学までには自分みかんを食べる。一つの通過儀礼だったのだ。

みかんを植えたのは母がたの祖母である祖母は、無口で芯を持っていて、彼女を知る人から言わせると、珍しい人、であった。ぼくが物心つくころには祖母祖父仕事退職しており、いつも家にいた。だから、ぼくと兄は、よく遊びに行って、いろんな場所に連れて行ってもらった。魚市場、港、砂浜、そしてみかんの木のある山へと。

みかんの木の植えてある山までは歩いて30分ほどかかる。それに道は急勾配だった。それでも還暦を超えた祖母は、ぼくたちを連れて山に登った。祖母の畑は頂上に展望台がある山の中腹にあり、海が綺麗に見える。天気の良い日には、猫のほうが人口より多いという島が見えるが、当然のごとく猫は見えない。

少しだけ耕された土地と、植えられた数本のみかん。鍬やはさみなどの農業道具を保存する小さな小屋土地自体は広いのだけれど、管理されている土地はそれくらいで、他は好き勝手雑草が伸びている。

祖母の話では、2週間に1度ほどこの山に登り、ぼくたち兄弟の木の周りに生えた雑草を抜いているらしい。体調を心配する母に「この子らはまだ弱いけん、守ってあげなね」と言い、行く頻度は実がなるまでの間、ずっと一緒だったそうだ。

山に行ったことは覚えているのだけれど、初めてみかんを食べた日のことは覚えていない。母曰く、「あまり甘くなくて美味しくなかった」とのこと。それから毎年、雪が降りはじめる少し前に「あまり甘くないみかん」を食べるようになった。クソガキだったぼくは、祖母の苦労など知らず、甘くないから、あまり食べなかった。

数年後、ぼくは高校に無事入学して、少し遠くの学校寮生活を始めた。家に帰るのは数ヶ月に一度になり、祖母の家に行くのも同じくらいの頻度になった。祖母の体調が優れないと聞いたのが夏のこと。秋にはステージ4のがんが見つかり、ホスピスに入り苦しんでいた。そして、春を迎えることなく、年末に、みんなに看取られて亡くなった。

「〇〇なら大丈夫だよ。かしこいけんね。」

最後に交わした言葉は今でも覚えている。というより、忘れられない。

祖母が亡くなり、祖父は持病の腰痛が再発して、買い物に行くことも、もちろん、山に行くこともできなくなった。山には誰もいかなくなり、土地権利を売るかどうかという話になったとき、「ああ、そういうのもあったね」と言われるほどには忘れられてしまった。

誰に言われたわけでもないが義務のように毎年草刈りに行く父は、年末年始にぼくたち兄弟に対して山の話をする。

「〇〇の木はまだ残っとったぞ」

心の中で「当然だ」と思う。

祖母が、強くなるまで大事に守ってくれた木なのだから

その木に実るみかんは甘いのだろうか。

そもそも、今でも実るのだろうか。

それは自分次第なのだろう。

祖母が育ててくれた木を豊作にするのも。みかんを甘くするのも。

ばあちゃんGWには帰るよ。

2019-01-13

創世記

創世記によれば 、神はまず天地(宇宙)を作り、そこに光をつくった。

そして2日目には空を、3日目には大地と植物を、4日目には太陽と月と星をつくった。

5日目、神は魚と鳥をつくられたあと、6日目には獣と家畜、そして神に似せた「ヒト」を作られた。

そして、神は7日目に何をつくったか

それは「サウナである

アウフグース

サウナを暖めているサウナストーン香りの入った水をかけることで湿度を高め、体感温度を高めながら香りを楽しむこの行為フィンランドではそう呼んでいる。

そして今、夜更けのタクシーの室内球が点灯したかのごとく薄暗いサウナ室のドアを開け、1人の熱波の送り手「福永さん」は現れた。

サウナストーンに水がかけられると体感温度が急激に上がっていき、部屋中がアロマ香りで満たされていく。

俺の期待もまた高まってゆく。

子供時代にこっそり持ち出して遊んだライターのように、小さくて高いエネルギーと高揚が押し寄せてくる。

そして福永さんは手にしたバスタオルで発生した蒸気を室内に行き渡らせる。

福永さんはサウナストーンのある僕の左側から徐々に右側に熱波を送っているので、普通であればドライヤーに当てられるように一面だけが熱くなるはずだ

また暖かい空気は通常高いところに登って行くので、頭や耳は熱く、一方足はそれほど熱くないように感じられるはずだ。

だがおかし

福永さんは左側から歩いてきている

俺の右半身が温まってきている

福永さんが俺の正面に立つ

俺の頭からつま先すべてが1つの繭に包まれ

彼のタオルさばきから生み出される巧みな気流の流れはいっさい皮膚を焼かない。

北風と太陽旅人のように、あまり

自然自分の肉体と精神が温められ、雑念が一枚また一枚と剥がされてゆくのだ。

どうしてこんな暑い部屋にいるのか?どうして自ら苦しい目に合う必要があるのか?

そのような雑念はすぐに消え去り、ただその恵みを受け入れることだけが己の心の中に残ってゆく。

太陽アポローンはここに在ったのだ。

ちなみに神が7日目につくったものがもう1つある。

風呂だ。

彼の恵みを全身で受け火照り切った身体で水風呂に飛び込む。

刀鍛冶が湯入れの温度を繊細に見極めるように、まずは身体の汗をかけ水で流し、そして一気に全身を突き入れる。

水深170cm、熊本土地で磨かれた天然水の水風呂はまるで羊水のように火照った身体を抱きしめる。

その水風呂にただいっぽん垂らされる荒縄を握りしめ、天から降り注ぐ天然水の滝を受け止める。

もはやなにかを考えることなどない。

釈迦如来に垂らされた蜘蛛の糸を見つけたカンダタのように、無心で水と自分だけの世界に没頭するのだ

身体が芯まで冷えたところで水風呂から出る。神がつくったこの星の隅っこへ置いてある、白いプラスチック椅子腰掛ける。

まぶたが重くなり、体の力が抜け、自然と息を吸いたくなる

そして昔の出来事や遠い宇宙ことなどが過去未来ひとつになったかのようにとめどなく、無尽蔵に思い出されてゆく。

大学の時は木星研究をしていたなぁ。新しい天体事象を見つけてそれに名前をつけたかったなぁ。人はいつか死ぬし、死ぬまでの間に爪痕を残したかったなぁ。そういえばホスピスにいるばあちゃんは立てなくなっちゃってたなぁ。実家で着ながら家事をしてたセーターに着られてる小さくなったばあちゃん母親は次は何日にどの親戚が来るか、毎日伝えてばあちゃんの気力を繋いでたなぁ。もしかして無理矢理頑張らせてるんじゃないかって不安になってた母親デイケアマネージャさんが励ましてたなぁ。頑張らせてるんじゃないんですよ。ばあちゃん自分の力で頑張ってるんですよって。

俺の意識が肉体のことを忘れて飛び回る。

細胞細胞を繋ぐシナプス銀河を飛び回るニュートリノ線。主よ。人の喜びよ。

この浴場にさっきまでいたお腹の大きいおじさんも騒ぐ高校生も、店員すらもここにはいない。

自分の中心たるイデアがまっすぐ、自分内包している世界リンクするのだ。俺は今宇宙と1つになって、そこから何かを得ているのだ。

ありがとうばあちゃんありがとう木星ありがとう芥川龍之介ありがとう旧約聖書ありがとうイソップありがとう子供落書き帳。100円ライターありがとうギリシアアテネ

この快感サウナ愛好家たちは「ととのう」と呼び、また最高のトランス状態を求めて日夜研究を惜しまないのである

全てを終え、服を着てサウナの外に出る。

全てが整理されて視界と考えがクリアになる。

いまは西暦2019年1月13日 俺は男で終電はもうない。

さて。

ありがとう神様

ありがとう。湯らっくす@熊本

2018-09-13

だれか

父が肝臓がんの症状によって脳症になっていると診断された。

がんはもう手遅れ。高齢のため本人に告知もしていない。

って言うか、自宅で1人でフラフラになってトイレにいくにも困難な状態だったのに、病院に行くことを拒んだらしい。

なんとなく、自分で体調を把握していたのかも知れないと思ってたけど、入院して少しすると家に帰りたいと言い出す。

ちなみに、衰弱しており、酸素も、カテーテル?も手放せない。寝て自分で歩いたり起き上がることもできない。

こんな状態で、連れて帰ってくれと言われる。

まだ、本人がはっきりしているなら、少しは考えられる。

だけど、妄想のようなまざった出来事を話して、私と母に殺されると、言われてしまう。

つらい。

ここ数日は、連れて帰る気がないなら、殺してくれ。早く殺せと、小さな声で恨み言を言われる。

介護タクシーがあるとも聞いたが、家には起き上がりベッドもないし、家についたとたんに病院に帰るしかないように思う。

それでも、まともに考えられない状態になっている父の希望に答えるべきなのか。

冷静に病院で、このまま恨み言を言われたほうが良いのかな。誰だって、家で安らかに死にたいよね。わかってるけど、わかってるけど、肝性脳症ってこんなにもイライラ攻撃的になるのかな。

しんどい

追記

ありがとうございます。確かにメリットデメリットしか考えられていないですよね。

8月末に余命は数週間と、言われ介護認定にも間に合わないようなことを言われました。

改めて主治医に聞いたところ、口から栄養が取れないため退院も無理。今は車イスにも乗れずストレッチャーでの移動も体力的に厳しいため、本当なら一時外出も賛成とは言えない。と言われました。

またホスピスでも、今の病院でもターミナル期は過ごせると聞くことが出来ました。

ただ、本人の強い希望なら命の限界が来ても家に少しでも帰してあげたいと言う気持ちになりました。急いで家に電動ベッドをなんとか用意したいと思います

ありがとうございました。

2018-09-11

新卒看護師ホスピスで働き始めて燃え尽きた話

身バレが怖いので具体的な話はほとんど書いてない上に長文です。

看護師になり、ホスピスで働き始めてもう半年になる。

同期が出来ていることが全く出来ず、優しかった先輩がだんだん呆れ顔になってきた。

大学時代から気付いていたが、はっきり言って要領は悪いしミスも多い。患者とのコミュニケーションも下手だ。

新卒ホスピスという選択自体無理があったかもしれない。

しかしそうした点ではなく、もっと根本的な部分で医療者に向いてないなと思い始めた。

一つ、患者に対して興味が持てないこと。

そしてもう一つ、どうしても患者に対して「生きていることそれ自体が無条件で尊い」とは思えないことである

こんなことを言うのもみっともないが、高校時代の成績から言えばどこかの医学部に入れたと思う。

それでも「五感を使って患者さんをアセスメントし、医者とは違う側面から患者さんの生活を支えるクリエイティブ仕事」という看護師像に憧れ、親族の反対を押し切って看護師の道を選んだ。

患者さん一人ひとりが自分らしい死を迎えられるように手助けしたい」と思ってホスピスで働くことを選んだ。

しかし実際に看護師になってみると、患者に対してケアをすることに全く喜びを見出せない。

患者の病状が良くなろうが悪かろうが感情が動かない。

一つ一つのケアがただの業務に成り下がっており、勉強する意欲も失ってしまった。

から経済的な面や安定性を求めて看護師になったのであればそれでも耐えられるのだろうが、高い志を持ってこの仕事を選んだ(つもりだった)ために余計に辛い。

医学自体は嫌いではない。

基礎研究をしている研究者の話を聞くと楽しそうで羨ましくて仕方がなく、選択を誤ったという思いが強い。


そしてもう一つのなのだが、もし良ければリンクで紹介する記事を先に読んで欲しい。

ホスピスケアを中心として活動されている新城拓也先生がお書きになったものだ。

「生きる価値のない病人」という発想はどこから生まれるのか

この記事趣旨はこうだ。すなわち、

医療従事者が『こんな生産性のない病人には生きている価値がない』と考えるのは未熟と無知によるバーンアウトが原因であり、十分な教育があればそのような考えには至らない」

というものである

本当にそうなのだろうか?

実は私は大学時代から生産性のない病人を生かすことに社会的価値があるのだろうか」とずっと考えていた。

生産性がなくても、生きていてほしいと誰かに思われているのなら医療は全力を尽くすべきだろうとは思う。

では、例えば長いこと寝たきりで、家族にも嫌われないまでも重荷だと思われているような場合はどうだろうか?

そんな事を考えてしま自分が嫌で、きっとホスピスに行って現場を見ればそんなことも考えなくなるだろうと思っていた。

しか現場に出てみてもその疑問は解決されないばかりかますます私の頭を圧迫している。

それでも救うべきだ、と断言できる人間けが臨床には必要とされている。

新城先生の言う「教育」とはコミュニケーション技法なのだと私は解した(もちろんそれだけではないと思うのだが、具体的に大きなウェイトを占めるものコミュニケーション技法だろう)。

しかしその解釈場合、「コミュニケーションが取れない人間は生きている価値がない」という思想を持つ植松聖の凶行は止められなかっただろう。

なにせ患者コミュニケーションが取れないのだから

真に必要ものは「医療倫理が善しとする方向に感情を向ける技術である

患者がどのような状況であっても善行・無危害原則に則って行動し、患者権利擁護することに専念するための感情操作技術

それでもダメなら、もう終末期医療には携わらないしかない。

医師しろ看護師しろ介護士しろ、終末期医療にはそういう燃え尽きてしまった人間を弾く制度必要なのではないか(「医療」という枠とはまた別で)。

少なくとも医療という世界に限れば、それくらいのことが許されると思う。

最近良く祖母葬式を思い出す。

普段祖母を嫌うような言動をしていた両親と兄とが沈痛な顔をして座っていて、もしかするとここにいる誰も祖母の死を悲しんでいないのではないかと思った。

それ以来、死んでも誰にも悲しまれない人間というもの存在するのではないかと思うようになった。

今も見舞いに来る家族に対して「この人は本当に患者に死んで欲しくないと心から思っているのだろうか」と疑問に思ってしまう。

私がやがて死ぬ時、心から悲しんでくれる人はいるだろうか?

もし将来家族がいないか家族に疎んじられていたら、働けなくなった時点で自殺したい。

とりあえず、ホスピスで働くのはもうやめようと思っている。

患者のためにも私のためにもならない。

出来ることな大学院に行き、看護系の基礎研究をしたい。

少しだけ提言染みたことを言うならば、コミュニケーション技法教育というのは本当にしっかりやったほうが良いと思う。

アレをただの情報収集技術だと思って大学時代まともに聞いていなかった私は大馬鹿だった。

そうした技術論は患者パターン化しているように思えて、一丁前に不誠実だとも感じていた。

熱いハートさえあれば十分だと思っていた。

どうやらそうではなかったらしい。

国試に出るだけの空虚理論だと思っていたら私のように完全に燃え尽きてしまうかもしれないぞ。

anond:20180911121604

私は、「いまこうしてる間にもホスピスで苦しんでる人がいる」

って寂しくなったら思うようにしてる

2018-09-03

家族のつながり

から家族とか親族とのつながりにまったく興味がわかない。親兄弟と仲良くするのもまわりにぱらぱらと聞くと当たり前と言うが、うーん、そうかねえ、まあ私は違うなあ。と言う印象ぐらい。

さて、先日祖父が亡くなったという連絡が母から入った。「朝お父さんからも連絡してない?」と聞かれてメールフォルダをみたら、なるほど、メール来てました。気づきませんでした。ごめんなさい。

で、翌日朝告別式だという。色々仕事があることもあって、結局告別式には行けなかった。

祖父とは、小学校低学年の時何回か祖父母宅に行って、1週間ぐらいだらだら過ごした記憶があって、そのときにほんの少ししゃべったかなと言うぐらいだ。最近だと数年前にホスピスに入った時に何回かお見舞いに行ったこともある。自発的ではなく、両親にすごい尻を叩かれた結果ではある。

実感が湧かないというのか、思い入れが薄すぎるというのか。なんだかごめんなさいと思いながら、どうしてもそっちの方面には足が向かない。

年を経るごとにこんな感じだと、もし親に何かあったときとか、なんだか投げ出してしまいそうな気がする。今から謝っておきたい気分だ、本当にごめんなさい。

2018-08-31

藤掛病院

ホスピスにいたボロボロの体のヨイヨイが4、5人ばかり死んだらしい

今日一日で何人の児童自殺するかよく見るがいい

2018-07-30

anond:20180729132819

死にそうに苦しんでて呪詛の念を放つようになった人は医者でも末期ホスピスに捨てるし

看護師も運子漏らす患者介護士押し付け

誰も相手したくない人間に近づくのは金目じゃなくても悪意がある人の比率が多くなる

仕方ないよ

2018-02-23

anond:20180222125529

薬物教育医療刑務所を見せるべきなの?

体育教育整形外科見学すべきなの?

道徳教育ホスピスビデオを上映するんですか?

2018-01-25

宝くじが当たったら入院したい

宝くじが当たっていっぱいお金が手に入ったら、僕は死ぬまで入院するんだ。

緩和ケア病棟ホスピス病棟がいいな。


別に今大きな病気があるわけじゃない。元気とは言えないけど、いたって普通健康体。でも毎日を生きるのに疲れちゃった。仕事もあるし、ご飯も自分で食べなきゃいけない。

から入院したいんだ。死を待つしかない病気になって、全ての延命治療拒否して疼痛除去だけしてもらう。キツイ痛みはとってもらいながらゆるゆる死に向かう。

日々の入院費は宝くじ当選から出す。毎日布団に横たわって、ネットをしながらずーっと過ごす。清潔な病室にはやわらかな日が当たっている。やさしい看護師さんにご飯を持ってきてもらって、ときどきたわいもない会話を楽しんだりする。夜はまたネットで遊んでいたら眠くなって、そのまま寝ちゃうんだ。

そうして毎日毎日確実な死に歩みを進めていくの。

不謹慎だけど、とっても素敵なことに思える。

死を待つ病気にかかるにはどうすればいいのかって?

それはね、心臓か何かの重い病気の人と、自分健康な臓器を入れ替えてあげるんだ。

そしたら病気の人は元気になってまた生きられるし、僕は望み通り死に向かうことができる。

こんなつまらない自分より、少しでも役に立ててもらえると思うんだよね。

あんまり詳しい細かいことは医者じゃないか全然わかんないけど。

ほんとに今病気に苦しんでる人からしたら、めちゃくちゃ腹立たしいことを言ってると思う。ごめんよ。


宝くじ、当たらないかなあ。

買わなきゃ当たらないっていうけど、買ってもなかなか当たらないね

2018-01-24

他人人生ホントわからん

父が死んだ。

まあ正直言うと「やっと死んでくれたか」という感じだ。

発達障害気味で子供の頃から悩まされ続けてきた。

父が帰宅してくるクルマの音が聞こえただけで

憂鬱になるような子供だった。


父は癌で死んだので末期は終末医療ホスピスに入ってた。

死ぬ1ヶ月ほど前、母が「あなた人生ってどうだったの?」と聞いたそうだ。

そしたら全くの躊躇なく、即答で「最高だった!」と答えたらしい。

それはもう満面の笑顔で。


それ聞いて仰天した。母もビックリしてた。


父はとにかく不平不満の固まりみたいな人だった。

まあ理解もできる。満州引き揚げ者だった父は何もかも失った人だ。


満州での裕福な暮らしも、将来の夢も(海軍大将になりたかったそうだ)、

人生安全他人というものに対する安心感や信頼感、

幼い時代の友だち、想い出の地、本当に何もかも。


過酷体験だったのはよく知ってる。

なにせ人前で全く涙を見せず、常に鬼瓦みたいな顔をしていて、

喜怒哀楽の「哀」だけ欠落したような人物だったのに

中国残留孤児」関連のニュース特集を見たときだけは

人目も憚らず涙を流していたくらいだ。


どれほどツラく悲しく恐ろしい体験だったか

話を聞いただけの我々家族ですら胸が痛くなるほどだった。


社会人人生も意に沿わぬことが多かったらしい。

成人してから特にからいろいろ聞いたが

旧帝大卒業してるほど能力は非常に高いのに

発達障害気味の性格の故か人に認められず、

出世もできずに悶々としていたそうだ。


である母は、父によると「異性として見たら全く好みじゃない」そうだ。

見合いの席で初めて会ったとき

「こんなブスは人生で初めてお目にかかった!」とたまげたらしい。


戦後すぐの時期に思春期を送ったためか、もの凄く米国贔屓で

結婚するならハリウッド女優みたいな金髪グラマー白人がいい」と

ずーっと思ってたそうだ。


母は一重の厚い瞼をしていてちょっとキツネ系の顔だが

知性が高いために表情がいいのでほどほどよい顔に見える。

とてもじゃないが「初めてお目にかかったレベルのブス」ではない。

美人でもないが。


まあとにかく、ことほど左様に父は一から十まで人生思い通りに行かなかった人物だ。

子供である我々も能力的、性格的に父の思いに添えなかったと思う。


なのに。

さあ死ぬぞ!もう死ぬぞ!となった段階での自己人生評価

「最高だった!」というのだから、本当に面食らった。


父はやっと死ねるのだなあ、不平不満だらけの人生で、

さぞかし生きるのがツラかったろうなあ、

社会に対する不平不満以外の事を喋ってるのをほぼ聞いたことがないというレベル

いつも怒ってる人だったのに。

「こんなクソみたいな人生、やっとおさらばだ、清々した」くらいは

思ってるだろうなあと勝手に思い込んでたよ。


今際の際の感想が満面の笑みで「最高だった!」ですか。

もうホント、訳がわからない。

苦笑するしかない。


他人人生ってホント、たとえ家族でもわからんもんだね。

2017-11-07

anond:20171107165338

ホスピスに入っていた大叔父が、本が好きだったので、大きな活字の本を差し入れたことがある。

喜ばれたし、お見舞いで話が盛り上がった。

あと亡くなった後、ご家族から形見分けで大叔父から希望ということで私に蔵書をいただけたのが心に残った。

これは病状によるので、事前にご家族などに必ず確認がいるけど、

親しい方なら、その場で一緒に食べられる食べ物(好物とか、ゼリーとかアイスクリームとかつるっと食べられるものなども)

一緒に食べながら話をすると楽しい

果物はむくのがめんどうなので止めた方が良い気がする。

普通花束は割と面倒くさいが、小さ目のフラワーアレンジメントならあり。ちょっと置いておけるぐらいの小さいサイズに限る。

入院ベッドスペースって狭いから。

近しいご親族だったら、かつ、本人がどうしても要らなそうなら、面倒を見ている方にお見舞い金を渡しちゃうのもありだが

距離感によっては逆に失礼(普通は目下→目上にはお見舞いをお金では渡さない)になるので、要注意。

面倒を見ているご家族デパート商品券を渡して、パジャマとか入り用なものに使って、とかも。まぁこれも、距離感には注意。


追記

あ、増田読み返したらお見舞い金はもう差し上げているとあるな。失礼しました。

耳が遠いと言うことなので難しいかもだけど、落語CDも喜ばれた。面白いものが良いかなと思ったんだ。笑うのは良いことだし。

ヒマつぶしになるもの、本人が好きなもの楽しい気持ちになるもの。じゃまにならないもの

自分若い頃2ヶ月入院した時は、ガキの使いDVDポータブルDVDプレイヤー差し入れてもらったのがサイコーだった。

2016-01-23

生活保護叩きの末増え続ける餓死

月収16万円 40代アルバイト餓死 生活保護申請通らず 市役所「知らん。俺は悪くない」 【2chまとめニュース速報嫌儲板

http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-47075.html

肉屋を煽てる豚は

自らが豚ではないと、いや豚になることはないと

まるで自己暗示たかのように信じているが

例えば

自分が、家族が、

ガンになったら?

車に轢かれて障害者になったら?

通り魔に襲われて半身不随になったら?

サリンガスによってまともに話せなくなったら?

痴漢冤罪退職させられたら?

火事で全てを失ったら?

明日は我が身であることをゆめゆめ忘れるな

ホームレスにも、乞食にも、車椅子にの障害者にも、

足腰立たない老人にも、管に繋がれたホスピス患者にも、

部屋で餓死する貧困者にも、

我々はいつでもなりえてしまうのだ

生活保護を叩くことで得られるのはなんだ?

弱者を叩くことで一瞬でも自分王様にでもなった気がするか

払った血税貧困者に使うのは無駄金

増田に告ぐ

明日もしも失職し全財産を奪われ家族が全員大病を患い自身障害者になったら?

明後日を生きることはできるか?

自己責任の名の元に国民はだれもお前を助けなくていいとされている

それが、日本

家族のため犯罪に手を染めることすらいとわない人間らしい人間

人生をうばわれるかもしれない

セーフティネットは誰が為にあるのか

情けは人の為ならず巡り巡って人のため

よってこれから年金ソープで生なかだししてきます

2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208165738

あーそれなら何とかなるかもな

と思ったけどホスピス代だけで結構やばそうだ

http://anond.hatelabo.jp/20151208165230

フィンランド終末医療基本的にないで

ホスピスはいっぱいあるけどな

フィンランドは寝たきり老人少ない!すごい!視察に行こう!」って

日本視察団が行ったら

寝たきり老人はほぼ世話しない(無理に飯食わせない、流動食とか与えない)せいで

すぐしんじゃうので数が少ないんだってわかって

めっちゃがっかりして帰ってきた話有名

基本的に無理目の医療はない

2015-08-06

暑くて思い出した

「S、白血病でもう長くないんだって。」

そんなメール高校の時の部活の先輩から届いた。S先輩が入院しているのは聞いていた。でもそこまで悪いとは思っていなかった。最後に会った方がいいんだろうかってすごく悩んだ。

S先輩は僕が高校の時の部活の先輩だった。S先輩とは特に仲がいいわけじゃなかった。でも、一度だけS先輩は泊まり大会に行ったときに、僕に彼女がいるのを知ってて、彼女とする前に私と予行練習しておかない?と誘われて一緒に布団で寝たことがあった。僕はすごくセックスたかったけど、結局しなかった。童貞だった僕はそこからどうすればいいかわからなかった。

高校卒業してから県外の大学に行った時に、先輩とは一度飲んだことがあった。彼女就職していたから、話していることはもう社会人な感じで、まだ学生だった僕はよくわからないけど別の世界に行っちゃったような気がしてた。それから特に会わなくなってたけど、別の先輩からは時々近況を聞いていた。結婚したんだってとか、離婚して実家に帰ったんだってとか、すごくいい人が見つかって再婚したんだって、とか。なんか色々大変だったんだなって思った程度だった。

付き合ったわけではないし、特に何かあったわけでもないけど、もうすぐ絶対に会えなくなるとわかっててそのままにはできなかった。僕は仕事を休んで会いに行くことにした。

お見舞いに行った日はとても暑い日だった。お見舞いに何を買っていけばいいのかよくわからなかったかさくらんぼを買って行った。病院ホスピスだった。

病院はとても静かだった。受付で名前を出して、お見舞いにきたのですが、と言ったら病室から彼女の夫が迎えにきてくれた。

はじめまして高校の時の部活の後輩で今日はお見舞いに来ました。急に来てすいません。

と話すと、「Sに言ったらびっくりしてたけど、ぜひ会ってあげてください」とにこりと笑って病室へ歩いた。病室で会った先輩はすごく痩せて、薬の影響で薄くなった髪を隠すための帽子をかぶっていた。昔会った時の健康的で活発な感じの姿はなかった。

おひさしぶりです、今日仕事で近くで会議があるので寄ってみました。とできるだけ笑って話した。正直僕はびっくりしてたんだと思う。でもS先輩は「ひさしぶりだね。こんな姿でびっくりしたでしょ。」と笑いながら言った。なんて言っていいかわからなくて、外はすごく暑いですね、さくらんぼ買ってきたのでよかったらどうぞ、と言った。外は暑いですねって言ったのを後から後悔した。先輩が外に出られるわけがないのだ。それからどんな話をしたのか覚えていない。たぶん僕の近況やら高校の時の話とか、部活にいた人たちの近況の話だったと思う。それ以外に共通の話題なんてなかったからだ。

そろそろ会議に戻りますね、と言って帰ることにした。「会いに来てくれてありがとう、すごく嬉しいよ。また来てね。」先輩はそう言ってくれた。また会いに来ますね、そういって病室からエレベーターまで先輩の旦那さんが送ってくれた。「Sはすごく喜んでましたよ、今日は体調も良くて、嬉しそうでした。ぜひまた来てくださいね」と言ってくれた。こちらこそ急に来てしまってすいません。また来ます。と言ってエレベーターで別れた。

病院を出てから色んな事を考えた。死が間近にある人に対してどう言えばよかったんだろう。ホスピスに入ってる人に元気になってくださいねっては言えなかった。あんな会話でよかったんだろうか。なんかもっと言わなきゃいけないことがあったんじゃないだろうか。

そのあとS先輩は亡くなった。お葬式に行こうかと思ったけど、旦那さんや、残された2人の子どもを見ることが辛すぎて行けなかった。

そんなことを暑い日が来ると時々思い出す。

2015-07-12

不倫して癌になって野垂れ死んだ女の話

自由奔放に生きた人生だった。

そこそこ綺麗だった。スタイルも悪くない。

頭もいい。ただし、人の意見はきかない。

看護婦として生きた。

結婚し、子供ももうけた。

でも面倒は見なかった。

ほぼ育児放棄である

旦那もどうでもよかった。

気が付いたら介護やなにやらやってる病院理事長と、

良い仲になった。

毎週ゴルフにいった。

その後に何をしたのかは気持ち悪いからしらない。

好き勝手生きたので子供は離れていった。

旦那も見捨てた。

離婚された。

でも別に理事長離婚はしない。

それどころか息子は立派に医者になり、病院長になった。

そのうち癌になった。

看護士なのに癌になった。

皮肉なもんだ。

進行のきわめて速い大腸がんで、あっという間に脳まで達した。

入院したら、理事長しょっちゅうお見舞いに来て周囲はドン引きした。

ホスピスに入る。

でも結局追い出された。

介護を見はなされたような人が行き着く施設に収容された。

50歳になっていた。

7月に死んだ。

2014-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20140211205014

ぜんぜん逆じゃないよ。

末期癌の人のためのホスピスとかもあるわけで。

死ぬまでの時間をいかに楽しむかと考えればね。

2014-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20140210234644

増田に書き込むような人は著しく社会性が無い人のように思えてきた。

コミュ障ホスピス

はてなとかにアクセスしている時点で

「私、社会性ない無趣味人間なんです」って言ってるのと同じな気がする。

婚活居酒屋とか、おまえらジョブか?

婚活中の男女が集まる、婚活居酒屋ってのがテレビでやっていたけど

なんだかそんなとこに来るのは、著しく社会性が無い人のように思えてきて

一種のコミュ障ホスピスみたいなのだろうか?

家と職場の行ったり来たりしかしていないのに

出会いがないとか言っているんじゃないんだろうか?そりゃそうだろ!って。

婚活居酒屋とかに行っている時点で

「私、社会性ない無趣味人間なんです」って言ってるのと同じな気がする。

社会性を磨いていれば、ぜったい出会いなんていくらだってあるんだけどな。

外に目を向けてないのに、そんな婚活でいい人が見つけられるとは、おもわんがな~

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