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2022-02-22

受験勉強が辛いと思ったとき対処

高校3年生へ 「受験勉強が辛い」と思ったとき対処

https://www.tohsemi.com/10516.html#heading2

3. 絶対に忘れないでほしい「受験勉強を頑張る理由

最後に、どんな状況にあったとしても君たちには全員に当てはまる勉強する理由があるはずです。それは、ここまで約18年間、大切に育ててくれ、支援してくれた保護者笑顔にすることです。

前述した「課題区別する」と矛盾したような話になりますが、志望校合格という結果や、受験勉強を通して成長した姿というものは、保護者にとってかけがえのないものです。あなた保護者を喜ばせることができるのは、あなたしかできないことです。私にはできません。どんな偉人にもできません。あなた保護者の方を一番、幸せ気持ちにできるのはあなたしかいないのです。辛いなと思ったときこそ、周りの人への感謝気持ちを想い出してください。感謝気持ちを持ち続けた人こそが辛いときに踏ん張れるのです。

あなた保護者が辛いときや大変な時でも、あなたのためにご飯を作ってくれ、心配してくれて、励ましてくれたように。辛いときは、「保護者」のために受験勉強を頑張ろう!

君たちならできる!自分を信じて、感謝気持ちを忘れずに突き進んでいこう!

私も会社家族への感謝気持ちを持ちを忘れず朝から晩まで一生懸命働かせていただいております!!毎日働くことができて幸せです!ありがとうございます!!

四谷大塚桜蔭同日受験体験

2/1、四谷大塚にて毎年(たぶん)開催されている「開成桜蔭入試同日体験受験」を受けてきた(娘が)。

開成桜蔭入試同日体験受験」ってなんやねん

2/1、小学6年生たちが最高峰入学試験に挑むその日の午後に5年生(新6年生)が同じ問題に挑む謎の試験

はっきりいって正気の沙汰ではない。

精鋭の小6生たちが万全の準備をして挑み、それでも涙することがある試験別に同じ合格ラインを目指すわけではないが、小5生がわざわざ一年前に挑むなんて、なんのメリットがあるのかわからんし控えめに言ってあたおか。増田もこのの試験存在を知った当初そう思っていた。

それでも結果として小5の娘に桜蔭同日を受けさせることにした経緯やその有用性について、せっかく受けたので、n=1の意見ではあるもののまとめておきたいと思った次第。だって事前にネット検索してもろくに情報なくて困ったから。誰かのなにかの役に立てば嬉しいし、そうじゃなくても娘がめっちゃ頑張ったから誰かに自慢話を聞いてほしいので記しておく。そうこれは自慢です!

増田スペック

かわいい。3年2月(新小4)四谷大塚入塾。Yにした理由は徒歩で通えるから。入塾時はA4。4年後期にC、5年夏にSに上がり以降S4〜6をうろうろ。直近の組分けは65でS4。志望校判定は67。サピックス1月組分け61。毎日めっちゃ頑張っててえらい。

  • イッヌ

かわいい。3歳のポメラニアン女子めっちゃビビリ。かわいい

かわいい公立中→県立高校国立理系院→IT社畜→ほぼ専業主婦

都内私立中高(界隈の人にはふんどしリズンとして有名なところ)→国立文系IT限界社畜

そもそもなんのためのテストなのか

増田最初にこの試験存在を知ったとき第一感は、「一年前に既にガッチガチに仕上がってる自信アリアリの猛者たちが腕試し(≒トロフィー)的に受けるいけ好かない試験」であった。なんかもういろいろまじすまん。

しかし、11月にあった6年生に向けてのガイダンス内で新事実(増田にとっての)が判明。日曜日に行われる学校コースを受講するための選抜試験だったのである

サピックスSS、早稲アカのNNと同じようなアレが四谷大塚にもあって、それが学校別。四谷大塚では前期(2月から8月)と後期(9月から1月)があり、前期の学校別は開成コース桜蔭コースのみ。開成or桜蔭と冠がついてはいものの、前期は開成or桜蔭に的を絞った問題ではなく応用や難問を広く取り扱い、後期学校別にスムーズにつなげるためのもの、という位置づけらしい。このへん、文書による説明はなく塾の先生に聞いたらこんな感じの説明をされた。また、四谷大塚ホームページには後期学校別の情報はあるものの前期のは見つけられなかった。しかし内部生しか受けられないわけではないようで、試験を受けたらもらえた文書には外部生向けの料金の案内もあった。えっじゃあホームページに載せたらよくない?四谷大塚のショボい広報力なんなの?あとホームページめちゃくちゃ見づらいんだけどもしかしてまだ中の人90年代生きてるの?そんなんだから令和の保護者にウケないんだよ!

受けることにした経緯

ともあれ、2月開講の桜蔭コース(※ただし桜蔭特化ではない)を受講したければこの試験を受けるよりほかない(もしかしたら組分けでの超優秀層はこの限りではないのかもしれないけど増田にはわからない)。

増田娘は基本的勉強が好き(えらい)だし、特に算数が大好きで、難問に苦戦しているときすごくいい笑顔を浮かべる。ちょっと心配になるぐらい。とはいえものすごくよくできるわけではないのだけれど、とにかく好きなのだ。そういう娘にとって、前期学校別はひどく魅力的にうつったようだ。わかる。増田もうちの娘に合うんじゃね?って思った。先生誘導にホイホイのせられるちょろい家族である

ほぼ腹は決まっていたような状態だったが、同日受験の是非については親ふたりで話し合った。中学受験において、最新の過去問初見ではなくしてしまデメリットは軽視できない。が、我が家にとって桜蔭そもそも志望校ではない。実際に受験する可能性は限りなく低い。そして桜蔭過去問は同校を受けるのでない限り取り組む必要性は低い(と塾の先生確認済)。最終的には、娘が希望しているのだし試しに受けてみてもいいのでは、との結論になった。

実際に試験を受けた方々の志望校がどこなのか知る由もないが、本命が別の学校であるほうが受けやす試験というのはなんだかなぁちょっと思う。

まりにできなくて自信をなくしてしまうんじゃないか…との懸念もあったものの、娘は基本的にめちゃくちゃ負けず嫌いだし嫌なことも一日寝ればだいたい大丈夫になるメンタル強め女子そもそも、Cに上がったときもSに上がったときも週テストこてんぱんにやられているので、太刀打ちできないテストへはある程度免疫があるのだ。なんとかなるだろう。なんともならなかったらミスド山ほど買って忘れさせよう、と思っていた。ちなみに、まるで過去のことのように書いたがSの週テではいまだにやられっぱなしである。だいたいいつも40台前半。これまでの最も楽しい記録は13。後ろから数えてトップ3だったこともある。のびしろしかない。もはや最近は週テストから(震え声)フォローすることもない。組分けさえなんとかなりゃええんや。週テストなんか全科目0点でもクラスコースも落ちんし(暴論)。

結果(自慢)

2/3昼過ぎ。あのどうしようもなく見づらいホームページからログインしてみると、得点が出ていた。

2/8、所属校舎にて受講可否の通知をもらってきた。結果は合格。受かったー!やったー!と喜ぶ娘。わけもわからキャンキャン吠えるイッヌ。増田も一緒になってヤッターヤッター騒いでたら確定申告の準備頑張ってたヨッメにうるさいとめちゃくちゃ怒られた。ごめんなさい。

それにしても、わざわざ封書に入れられた【合格】と書かれた紙を取り出す作業さながら本番のようでちょっとキドキした。いまや本番がほぼネット発表なのは知ってるけど。

ネットで見た受講許可ラインはこの試験偏差値55または直前の組分けでSコース偏差値50とのことだったけど、増田娘が貰ってきた紙には点数のみ書いてあった。4科目の偏差値53相当の点だった。

終わってみての雑感

よかったこ
  • 娘が楽しそうだった

当日の付き添いは増田担当させてもらった。来年の本番もこんなふうにして付き添うのかなとドキドキしていたが、娘はさほど時間の余裕がない道中でタピオカを飲ませろと強請ってくる豪胆な女だった。っょぃ。知らない会場(いうて四谷大塚だけど)で難しい学校試験を受けることに終始ワクワクしているようだった。娘の成長を感じて増田ドッキドキ。

娘を送り出したとき、三年生の二月に三年後に向けて走り出したときには天竺イスカンダルかと思われた受験本番が一年後に迫ってきているのだと実感できた。あしたの今ごろならぬ来年の今ごろを思い、ちょっとセンチメンタルな気分にもなった。増田もきっと泣いているような気がする。嬉し涙だといいな。そんなことを考えていたので、申し訳ないことに増田試験中に開催された説明会の内容をほとんど覚えていない。ごめんなさい。だってとてもじゃないけど受講基準クリアするとは思っていなくて…。桜蔭志望でもないし…。

繰り返しになるが、2月から前期桜蔭コースに参加するにはこれを受験するしかない。内容が桜蔭特化ではないので桜蔭志望者にとってマストではない(と思う)が、だからこそ、桜蔭志望ではない子も受講を目指してもいい、というのはもうちょっとアピールしてくれてもいいと思う。ていうか前期講座の情報のなさなんなん?四谷大塚広報力のなさはわざとなの?ほんとホームページなんとかならん?サピックステスト受けて一番ビックリしたのはマイページスマホ表示に対応してたことだよ!四谷大塚もやってくれよ!日能研対応するってよ!うらやましい!

で、結局デメリットは?

四谷大塚もっと広報せーやとさんざん文句を言ったものの、誰でも受けてどうぞの講座じゃないのはわかる。たぶん大多数の子どもにとってこの時期毎週別校舎に通ってこんなことしてる場合じゃない。始まったばかりの新6年のスケジュールに体をなじませる、新出単元がまだ続く理社の予復習、算国の強化、やるべきことは山ほどあるので。往復の時間と体力も行かなければ節約できるものなので、メリットが大きくなるかどうかは子どもによってわかれると思う。ただ、どうせ日曜講座に通うのであれば、学校別講座開催の校舎が自校舎or近隣の場合には受かったら通ってみるのもいいと増田は思う。いい刺激になって好循環を呼ぶかもしれない。ただし逆もまた然りなので、アカンと思ったらすぐ塾の先生相談&自校舎の日曜講座に戻る選択肢は常に頭に入れておく必要もあると思う。増田はこの点3回ぐらい所属校舎に確認した。無理だと思ったらすぐ戻ってきてどうぞ、とのことだったので安心して送り出している。今のところ増田娘は超たのしそう。

試験パスしたとしてやっていけるかどうかが不安場合そもそも受けるかどうか迷う場合は子をよく知っている所属校舎の先生相談するのが良いと思う。増田娘は「受けてみて受かったら行けばいいんじゃない」と言われ、増田は「受かったら行って大丈夫ですよたぶん」と言われた。(その心は、対策(過去問とか見て)せずにパスできるならなんとかなるよ、というところだと思う)

他塾生が日曜だけこの講座を取るのは、増田だったらさせないかなーと思う。何度も同じこというけど、桜蔭特化講座ではないので。各々の塾にも日曜なにかしらあるよね?だったらそれ受けたほうがいいと思う。

たぶんこれが最大のデメリットなんじゃないかなーと受ける前は思っていたけれど、今はそうでもないかなという感想。前述のとおり増田娘の第一志望は桜蔭ではないので特にフワっとしている点は否定しないけど、そうでなくてもそれほど大きなデメリットではないと思っている。そもそも四谷大塚生が使用している予習シリーズには各学校過去問の改題があちこちに散りばめられている(らしい)。予習シリーズ使用状況に限らずどこかしらに通塾していればそう大差ない状況だろう。また、トップ校の試験は最新入試トピックとして目にする機会も多い。子ども新聞とか塾配布の雑誌(四谷大塚ならドリームナビ)にもさらっと載ってたりする。まだ出題ホヤホヤ、本当に絶対初見のまま挑める2/1に受けてしまうこの荒業同日試験はなんだかんだアリでは?というのが今の感想

また、いざ桜蔭を志望するとなれば各塾桜蔭のための講座が開講されていて、腕によりをかけて桜蔭っぽい問題が作られ桜蔭っぽい採点と解答が研究されている。その気になれば塾のハシゴをして教材を手に入れることもできる。共学人気といわれる昨今ではあるが女子トップはやはり桜蔭というのがまだまだ界隈の共通認識であり、各塾が力を入れて対策をしているのは違いない。そんな信頼がおけるテキストが塾の数だけあるのに、過去問一年分消費したとてそれほどのデメリットだろうか。

とはいえ増田子の第一志望が桜蔭だったらもっと悩んだと思うからなんともいえん!自分で考えて!

そのほか反省

各科目10点超えたら君にとっては満塁ホームランだ、的な言葉をかけたんだけど、イマイチだったなと反省してる。親としてはプレッシャーをかけたくない気持ちとうっかり期待しすぎないよう己に釘を刺すためのものであった。受講許可ライン超えるといいね、ぐらいは言ってもよかったかもしれないと今もなおぐるぐる反省している。声かけ難しいネ。

  • 平日の予習がなかなかヘビー

所属校舎の日曜講座は翌週の取り扱い単元の導入的授業をしている、というテイだけれど、増田娘の所属クラス先生方みんなドSなのでプリント課題が出てそれを解いているそう。このプリント増田娘は木曜にもらって帰ってくる。=火曜までにやって自力で追いついておけ(平日の通塾日は火曜と木曜)。桜蔭コースでは前週までの単元(前日土曜に週テストしてる分)の応用演習がメインで、理社は次週分の予習もしてくれているみたい。だけれどやっぱり火曜までにやらなければならないことは変わらないのでけっこうヘビー。今のところパンクしてるようすはないけど今後も要観察。

まとめ

以上おわり。長文拝読サンキューやで。

2022-02-20

人権のない人生

25歳。社会人。男。

最近人生、何をしていても現実を受け入れられず楽しくなくなってしまう。原因を挙げれば限りない。

まず無能である運動勉強コミュニケーション全てできない。全てが平均以下と言っても過言ではない。これまでの人生の節目、ことごとく失敗してきた。

部活では一番練習時間が多かったにも関わらずメンバーに選ばれることはなかった。

受験では、模試では志望校に受かる判定だったが本番で緊張のあまり大失敗。

就活では100社以上面接で落とされた。自信のなさが隠しきれなかった。

さらには人間関係もまともに育めない。前記のように無能迷惑千万人生を送ってきたため、人と出来るだけ関わらないことだけが私にできる唯一の社会貢献である友達もいないしもちろん恋人もできたことがない。

言わずもがな容姿も平均以下。大きい頭、重い一重、ニキビ肌、剛毛、治らない皮膚病。マスクをつけてないと人とまともに会話できない。

青春とか恋愛とかセックスとか、別に高望みしてるわけじゃないのにさ、人並みの幸せっていうの?手に入らないってやっぱり虚しいんだよな。

友達とか趣味とか作るのに挑戦しようと思った時期はあったんだよ。どの知り合いも自分から誘わなくなったらすぐ音信不通。つまり相手にとっては優先順位がかなり低い存在なんだよね。趣味に関しても、ゲームとかスポーツとかある程度習熟はあるんだけど、無能なのが起因してすぐに壁が来ちゃうんだよね。これ以上は娯楽じゃないレベル努力が求められるな、ってタイミング地方大会に勝てばいいのに、オリンピックレベル練習する人っていないでしょ?

仕事はほぼ定時で帰れる世間的には非常に楽な仕事。だから時間だけは割とある。その余った時間を全て睡眠に注ぎ込む。趣味友達恋人もないから、ずっと寝てる。時間も早くすぎるし苦しまずにすむから

劣等感ではなく、劣等なんだよ。一般人普通に生きてれば習得できるような能力経験を100努力して獲得できるかできないか人生、夢も希望もない。成功体験自己肯定感毎日朝起きれて偉い?ご飯食べられて偉い?そんな気休めで何とかなるほど人間単純じゃない。

この手の話をさ、知り合いに相談するわけよ。もう少しマイルドにね。すると大体「完璧主義なんだね」とか「ストイックだね」とか言われがち。すると、やり場のない黒い感情が心に溢れるんだ。平均点を目指していることを完璧主義だなんて言われてもね。

よく言われるような精神ライフハックで「人生70点でいいと思ったら楽になりました!」みたいなのあるけどさ、"平均的な人間の70点"="無能の10000点"なんだよね。無能の70点なんか迷惑かけ放題で世間は許してくれないんだよ。

結局渦巻くコンプレックスがほどけなくなって、自分選択とか自我とか欲求とか自分帰属する全てが気色悪いし恥ずかしい。自分意思がなくなっちゃった発達障害とか境界知能とか鬱とか回避性パーソナリティ障害とか思い当たる節ありありだけど、医者に行くのも自分意思から行動が抑制される。

死ぬ勇気もない。まさに詰みって感じ。来世に期待。

2022-01-29

痴漢に憧れていた時期があった。きっかけはたしかミステリーもの小説にあったほんの一場面の描写女の子の嫌がる様子に興奮を覚えたのがはじめだった。それからはひたすらネット痴漢ものAVを見るようになった。最初はそれで満足していた。しかし、次第に物足りなくなった。どのAVでも女の子が喘ぎはじめるからだ。本気で嫌がっていないと冷めてしまう。泣いたりショックで固まってしまったりしたら最高なのに。

現実痴漢はどんな感じなんだろう。

高校時代志望校を都会に限定したのはこの悶々とした気持ちが原因だったのかもしれない。

大学生になって都会に出た。車が主流な田舎に住んでいたか電車は新鮮でAVの中に入り込んだようだった。時には満員電車にも乗るようなこともあってそんな時には決まってドキドキした。

痴漢を初めて経験したのは電車にも慣れてきた大学1年生の秋だった。夕方6時の丸ノ内線部活終わりの中高生で混み合う。バイト終わりがたまたまその時間帯に重なった。お気に入りのドアの近くを陣取り、スマホ越しに楽しそうに話す学生達を観察する。可愛いな。あの子達は痴漢にあったらどんな顔をするんだろう。

そんなことを考えてぼーっとしているといつの間にか電車の奥に流されていた。茗荷谷駅から池袋駅までは人の出入りがほぼ無い。

電車が動き始める。そこにはある一人の魔が差した男がいた。その男は一人に標的を定めた。

選ばれたのはあの可愛い学生たちではなかった。『私』だった。ショックで固まった。その時の私はまさに昔望んで思い描いていたあの女の子だった。

私は家に帰ってすぐにお気に入りだったスカートを迷わずゴミ箱に突っ込んで、そして思った。

しかしたら私はあの男だったのかもしれない

2022-01-20

大学サークル応援団をチョイスだ

大きな声を出したいな?

志望校応援歌を抑えておきたいな?

2022-01-18

受験に失敗したけど、今は幸せです。

って人間、山ほどいるよな。

俺も受験に失敗した。

浪人するほどやる気なかったから、滑り止めの滑り止めに通って、どうでもいいサークルで騒いで、どうでもいい会社に勤めた。

今は都内で平均レベル収入を得て、まあ平均レベル暮らしができてると思う。

同級生の多くは田舎暮らしたままだから、そういう人生よりはマシだったはずだ。

でもさ、俺が「こいつらよりはマシ」と思ってる相手は、俺より幸せだと思う。

学歴なんか関係ない世界で、高卒になるだろう子供をたくさん産み育てながら、ニコニコ暮らしてる。

俺は同じようなコンプレックスを持ってる女と付き合っている。上手くいけば、この夏に結婚する。

たまーに、彼女と「受験戦争なんかやらずに遊んでりゃよかったね」と話すことがある。

俺は見栄で、彼女は親が厳しかたから、そんな選択肢をとることはなかったんだろうが。

俺はどっちでもよかったけど、彼女子供は産みたくない、これ以上他人のために嫌な思いしたくないというから、確かにそうだなと思った。親も子も一緒だもんな。

俺と彼女、二人でなあなあに働けば、まあ何とかい暮らしができると思う。

でもさ、たぶん俺も彼女も、一生引きずるんだよね。

入れなかった志望校、どうでもいい校名が書かれた卒業証書、その一枚のせいで。

からさあ、あのニュースの話は盛り上がったよ。

「俺なら東大受験生に絞るな」

勇気があったら、自爆テロの方がいいな」

「結局、自殺なんかじゃ気が済まないよね」

とかなんとかぶちぶち言って。

今日会社で「学歴が全てじゃないのにね」「加害者可哀想だよな」なんて話を聞いて、しらけた笑いを漏らしそうになった。表面上、「子どものうちは分からないこともあるもんな」なんて合わせたけどさ。

そんなの、加害者にとって事件を起こそうが起こすまいが、人生は終わりなんだから

事件を起こせるような勇気のなかった俺は、終わった人生を死んだまま送ってる。

来世があるなら、ちゃんと「わからない」側に生まれたいなあ。

2022-01-17

受験生に対してのNGワード

「落ちる」がNGなのはわかる。志望校に落ちるって言うし不吉だっていうのはいいのよ。

ただ、「滑る」も禁忌みたいに扱われてるのってなんかよくわからなくない?受験で「滑った」って言わないよね。

滑るってワードはただただ「滑り止め」という言葉の中にしか生きてないしそんな気にする必要なくね?受験生も気にしてなさそうだし…って思った。教えて受験

受験生に対してのNGワード

「落ちる」がNGなのはわかる。志望校に落ちるって言うし不吉だっていうのはいいのよ。

ただ、「滑る」も禁忌みたいに扱われてるのってなんかよくわからなくない?受験で「滑った」って言わないよね。

滑るってワードはただただ「滑り止め」という言葉の中にしか生きてないしそんな気にする必要なくね?受験生も気にしてなさそうだし…って思った。教えて受験

2021-12-03

もっと我慢強い性格に生まれたかった

なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。

 思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。

 本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。

 学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日宿題になる。ずっと負の連鎖

 提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前ひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。

 もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。

 でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。

 そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリータイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。

 

 小3、そして小4。なぜか、プリント問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。

 このころの記憶あんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラス女の子が頭おかしいくらメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。

 記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。

 反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂自分母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。

 この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。

 最大の問題が起きたのは、小5の夏休み宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事夏休み宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。

 さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉ポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲームそれからぼーっとすること。

ゲームが大好きというわけでもないが、簡単宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。

 それで、最終的にどう決断たかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。

まあ、その日は何とか休めた。

 次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。

 しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。

 それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。

 たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。

 それ以来長期休み宿題が終わったためしがない。

 思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。

 公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。

 あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技クラスカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にの子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。

 

 そして中学1年生。

 つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライド邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。

 メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。

 宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。

 困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。

 テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。

 中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。

 メンヘラ化によるストレス限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分イライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。

 内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。

 毎日自分失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。

 周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。

 毎日死にたいと思いながら生きた。

 でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスマイナスかと言えば完全にマイナスだが...

 中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。

 内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。

 あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分希望にぴったり合った高校

 将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。

 中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。

 でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。

 みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校自分だけなわけではないが)

 メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。

 中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。

 2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。

 志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。

 でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれ毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。

 周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校あきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。

 ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分から自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。

それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。



言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験ストレスです。

こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日勉強します。

もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

2021-11-23

第1章 俺、誕生

once a porn a time.

I am born in The bed town.

そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。

しいて特産品を挙げるのならのなら、現代価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民アニメぐらいである。

私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメ主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。

十二分な中流であった。

私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。

両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。

物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。

発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴リズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。

せめて産まれたのが3月でなければ……。

持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶おゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。

他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。

小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。

ただ、両親が共働き鍵っ子で、ゲーム玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。

私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。

結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。

同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。

その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。

スポーツは苦手だった。

ゲーム自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。

私は一人の時間にはよく図鑑を読んでいた。

それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校教師は私に自信をつけさせようとよく電車動物名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。

科学論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。

まり物事概念のもの理屈原理が好きであったのだ。

その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。

私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。

そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。

勉強が好きだと思ったのだろう。

それと、小学校友達がいないことも見抜かれていた。

新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。

塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクール習字教室を辞めることを提案した。

取引は成立した。

それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立入学した。

中学受験勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。

私だけが自分いか努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。

そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。

我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校制服へと袖を通した。

つづき https://anond.hatelabo.jp/20211124015201

2021-11-02

anond:20211101150752

30代の私もまったく同じ感覚で、自民候補者と自民党に入れました。

SNSで「アベが」「スガが」と人の名前を声高にカタカナ連呼する人が苦手だし、自分の主張を通すために他人貶める姿勢違和感がある。

相手評価できるところは評価する、ディベートのようなものなら、しっくりくるんだけど。

人はみたいものしかみないと言われるけど、自分正義を通すために攻撃的、他罰的になる人たちを見ているとその通りだなと思う。妄信的で、宗教みたい。

そうした人たちが苦手だから、彼らが支持する政党に入れたくない。実際はそういう支持者ばかりではないのだろうけど。

今回、「立憲」や「れいわ」支持者の「選挙へ行こう!」という投稿を見て、そうだ、行かなくちゃ。と思って、自民党へ入れました。

子供第一志望校を決めたときのように、この政党に入れたい!ぜひこの人に国の将来を任せたい!と思える人や政党が、いずれ出てきてくれたらいいなと思う。

狂言自殺をすることにした

高校適応障害起こして何とか卒業したけど二浪してる

高校同級生SNSで楽しそうにしてる

このまま行けば志望校には合格しそうだから受験に集中するのも兼ねて今までの交友関係全部切って、大学から新しい環境人生スタートさせたい

どうにかして家族迷惑かけずに友人間死亡説勝手に流れたりしないかなと思っている

もしかして受験勉強で疲れて寂しいだけなのかな

狂言自殺をすることにした

高校適応障害起こして何とか卒業したけど二浪してる

高校同級生SNSで楽しそうにしてる

このまま行けば志望校には合格しそうだから受験に集中するのも兼ねて今までの交友関係全部切って、大学から新しい環境人生スタートさせたい

どうにかして家族迷惑かけずに友人間死亡説勝手に流れたりしないかなと思っている

もしかして受験勉強で疲れて寂しいだけなのかな

2021-10-20

中3の時の数学教師に対して生意気な態度取ってたの20年経った今でもめちゃくちゃ恥ずかしい思い出として割と頻繁によみがえる

当時の俺は視野が狭く校内でも成績上位者である上に県内トップ高校志望校にしていたがゆえに学校の授業がつまらないと感じ、無礼にも教師を下に見ていた。

特に数学の内容がちんけに思えていて数学教師に対してずいぶん生意気で失礼な態度をとっていたことを今になって大変後悔している。

当時の数学教師の年齢に近くなった今、自分があの教師と同じ立場だったら生意気な口を聞くガキなんてとてもじゃないが相手にしてられないよなあと思う。

学校ちゃんと行ってたしなぜか内職とかせず授業もそれなりにちゃんと聞いてたので当時の数学教師の授業はある程度思い出せるんだが、割と質のいい授業をしてたように思う。(表現上から目線になってしまったのでさら反省している。)

2021-10-17

デパート包みのおかげで成績が上がった話

訪問販売の教材を自分でやりたいって言って買ってもらったのに一度もやらなかったのをふと思い出した

調べてみたら70万くらいするらしい。流石に申し訳なくなって今更だけどあの時はごめんと親に話したら「え、契約してないよ?」って

訪問販売の巧みなトークに騙されてるだけでどうせやらないだろうからって古本屋で似たような教材探して買って新品みたいに包んだらしい

よく思い出してみるとFAXで送る赤ペン先生みたいなシステムだったのにFAXなかったもんな

親の方が一枚上手だった

しかも買った教材やらなかったことを脅し文句にして予備校行かされて成績上がって志望校2ランクぐらい上げられたんだよな

「新品にしか見えなかったでしょ!お母さんずっとデパートお歳暮包んでたからね!」って

親孝行しますわ

2021-10-16

anond:20211015193407

高校クラスいた不思議なほどに志望校が高くて、結局2浪? して大幅にランク落とした私大進学までは正確な情報が流れてきた(現在内閣総理大臣)同級生の謎が解けた。そういえば彼も実家の太い個別指導塾通いだった。

2021-10-15

個別指導塾でカモにされやすい親子【追記あり

※(追記)
当初個別指導塾と書いていましたが、半サロン的な個別指導塾と言った方が正しいな...と思ったので一部を書き換えました。適宜フェイクなど入れてあります
ですが、集団だろうと大手だろうと親、子、塾のすれ違いや情報格差存在します。
どうか本当に気をつけてほしいと思います。本当に気をつけてほしい層にこのメッセージは届かないと思うけど...。

個別指導塾で4年ほど働いている。

自分の働く教室ではカモ、いやもはや詐欺といってもおかしくないレベル指導ゴリ押しが横行しており、やるせなくなってきたので一部を書く。

これから書くのはバカな親と子がカモられるまでの一例である

①高すぎる目標設定

まず初めに言っておきたいことは、個別指導塾に来る親子には総じてバカが多いということである

子の方は集団指導塾の一律授業についていけず、脱落したやつ。

そして親の方は受験知識ノウハウも何も持ち合わせないまま、とにかくプロに金さえ出せば合格に導いてくれると思っているバカ親だ。

こういう親は集団指導塾に行っても子にどの授業を受けさせればいいかからないので、全部”おまかせ”でやってくれるオールラウンダー、1対1で見るからに高級感のある個別教師を信じてやってくるわけだ。

面談にのこのこと現れたカモ2匹を塾長の鋭い眼は見逃さない。

相手受験知識を一切持ち合わせていないと知るや、無知に付け込んで甘言を流し込み、本来なら手の届かないような難関校にも合格できるかも、と思わせる。

どうです、今ここで1年頑張ればその後の人生が大きく開けてきます。僕たちと一緒に頑張ってみませんか。

そして「難関校に合格するための」大量の授業を素早くセッティングしてしまうのである

模試を受けさせない

手早く囲い込んだ後は、模試絶対に受けさせないようにする。

というのも、模試を受けると生徒の悲惨学力が明らかになってしまい、親子が夢から覚めて正気に戻ってしまうからである

なので、実力がつくまでは逆に負担になるとか、模試は直前期だけでいいとか適当を言って外界と接触させないようにする。

過去問も解かせない。

外界と接触させないというのは問題もそうで、大学受験レベルになると流石に青チャートとかの一般書を使うんだけど、小学中学くらいなら塾が用意したお手製のプリントとかを使う。

客観的判断して内容は間違ったこと言ってないし、まぁよくできてるプリント

だけど全てが塾の中で完結していくので依存度が高まるという点で注意。

必要ない授業を受けさせる

ここが一番の詐欺ポイントで、受験関係ない科目を授業の山の中に紛れ込ませてしまうのである

例えば本来は「数学Ⅲ」が必要な生徒なのに、まずは基本を固めましょう!と「数学1A」を延々とやらせしまうとか。

もしくは9割が文法問題を占める英語試験なのに、長文読解の対策授業を受けさせるとか。

親子はハイハイと言われるまま授業を受けているので気づかないの。

信じられないと思うだろうが、サロン的な個別指導塾に来る親子は本当にこのような、自分の頭で考えない人が非常に多いのである

④更に授業を増やす

個別指導に来る子の成績不振の原因というのは、大体が「復習が自分でできない」ことに収束する。

集団指導塾に通う生徒や塾を必要としない生徒は、受けた講義の復習を自宅でして...という良サイクルができるのだが、個別指導の子は復習ができない。

から自分1人で勉強してもちっともわからないけど、先生質問しながらやるとできるぞ!ということで講師依存していく。

本当は少しずつ講師を脱却して自習サイクルを身に付けないと受験では戦えないのだが、そんなことを言っていては個別指導塾商売にならないので、より講師依存させていくのである

親子が成績が伸びない...と不安吐露しはじめたらチャンスで、じゃあもうちょっと頑張りましょうか!と更に授業を増やしてお金を取る。

本来生徒に足りないのは家での反復復習なので、教室での新たな知識の詰め込みを増やすのは悪手。

やっぱり成績が伸びない...→じゃあもうちょっと頑張ろう!の無限ループでどんどんと授業が増え、親の財布も子の体力も擦り減っていく悪循環

終いには反復復習も塾内でやるようになっていって、1つ専用の自習室があって、そこに缶詰勉強する。

部屋には常に1人講師がいて質問に答えたり雑談したりして生徒と仲良くなっていく。

仲良くなるだけなら全然いいんだけど、塾やめたいけどあの先生がいるし辞めると気まずいし...とか言い出したらヤバいから早く辞めた方がいい。

⑤直前になって志望校レベルを落とす

いいように振り回された子どもには、基礎的な力は全くついていない。

無理な範囲勉強と日々の授業ラッシュをこなしボロボロになっているので、言わずもがな学力悲惨ものだ。

そろそろマズいな、と思ったところで漸く模試を受けさせる。

そして模試の結果にショックを受ける親子に、ここまで頑張ってきましたが残念...しかしま希望はあります!今からこの大学に向けて必死勉強しましょう!!とかなりランクの落ちた大学を勧め、適当勉強させる。

塾側としても全部落ちて浪人されると都合が悪いかである

大学ランクをかなり落とすので、あれだけ高いお金を払って勉強した数Ⅲも難しい長文も出ない。

最初から身の丈に合った大学を目指して勉強していればあんな高額で無茶スケジュールの授業なんて受けなくてもよかったのに。

気づいたときにはもう遅いのである


カモられないように

一部の個別指導塾ではこのような詐欺レベル商売が平然と横行している。

自分の頭でちゃんと考えられる親子にとっては、個別指導は適切なサポーターとなりうる。

が、バカな親子にとっては身を滅ぼす過ぎたアイテムである

バカなので自分たちがカモられていることに最後まで気づけない。

もっと酷いと、受験ストレス疲弊した親子が家庭内で衝突したりして子の成長に悪影響を及ぼす(実際そういう生徒も見てきた)。

自分もカモられていることに気づいたときは生徒にそれとなくプラン見直しを勧めたりしているが、自分1人の手ではどうにもならないのが現状である。あ~あ!

バカ搾取されるだけなんだ...バカを治すために入塾する塾でもこの有様。

どうしたらいいんだろうね?


追記

思ったよりたくさんの方に見てもらえているようだ。ありがとうございます

ブコメへの補足とか、ちょっと追記

とはいえ合格実績も相応に出さないと、新規入塾者(≒次のカモ?)が捕まえられないと思うのだが。別建てなのかな。」

当たりです。

ポスターになるような輝かしい実績を持つ生徒っていうのは、ぶっちゃけ最初から頭が良い生徒。

個別指導の塾っていうのは集団指導に比べるとちょっと特殊で、最初落ちこぼれだったけど頑張って成績上位に!みたいな子は実はかなり少ない。

最初から成績上位の子が入ってきて、それが更に伸びて輝かしい合格を掴む、っていうケースが大半。

まり、できる子は自分の苦手なところもよく理解しているので、その苦手部分だけ効率よく週1回の授業を取って、あとはこっちが何も言わずとも勝手勉強してくれるのである

この点集団指導だとどうしても大多数に合わせたカリキュラムなっちゃうから、賢い子ほどオーダーメイド個別指導を上手く使っているという感じ。

塾があれこれ言わなくても自分模試受けて次はここの授業をお願いします!って頼んでくるし、それで合格実績にカウントできちゃうんだから気楽なものである

纏めると、成績上位の子ほど少ない授業料で最大効果を出すので、その分の金はカモの子から引っ張っているのだ。

集団指導の塾では成績上位の子には奨学金が出たりするみたいだけど、落ちこぼれほど負債を背負い込む構図はどこでも一緒なんじゃないかな。

個別指導塾もいろいろ。増田の働くところが悪質なのだろう。合格実績数は何よりの見せ球になるし、模試の成果を見せないと納得しない親は多い。」

おっしゃる通り。

勿論最初から模試ちゃん分析して、面談できちんと質問してくる親もたくさんいる。ただ、そうでない親も、結構いる...。

あと、確かに自分教室はかなり悪質なものだと思うが、仮に悪意がなかったとしても結果的にこのようなケースに陥ってしまっている親子は多い。

塾側が誠実にしっかりスケジュールを組んだとしても、子の学力が予想を下回っておりスケジュールについていけなくなるパターン

親子塾ともにやる気はあるのでなんとかしようと更に授業を詰めるけど、効率が落ちる悪循環

全員が焦ってしまい、直前講習や補習に金を注ぎこむも結局は不合格、というように。

良くも悪くも塾と親子の距離が非常に近いので変な連帯感というか、駄目な時の文化祭前夜みたいになってしまっているのをたまに見かける。

時には退くことも大事だし、厳しい言い方になるが、そのお金を本当に今この子に注ぎ込んで後悔しないかじっくり考えた方が良い。

「カモ親子をバカって表現してるあたり増田業界の悪習に飲まれてると思う。依頼する人の事情は人それぞれということを忘れて客をジャッジしたがる人はどの業界にもいるが、総じて好感が持てないんだよね。」

一理ある。一理あるが、それでもあえてバカと呼ばせてもらう。

いか、世の中にはほんっとにどうしようもならないバカだっているんだ。

自分だって悪人じゃないからカモられてる親子を見つけたらこっそり生徒に話を聞くし、後述するお楽しみ会の時とかにそれとなく話を聞くよ。

でも駄目なんだよ。駄目なんだ。終いには心配するこっちが「人の指導に口を出す迷惑講師」ってことになっちゃう。

子ども子ども金持ちボンボンなんだか知らないがそもそも人の話を最初から聞かないやつも多い。

一応言っておくけど障害とかストレスとかじゃなく、ほんとにただこっちを舐め切っているやつとか。

答えのプリントを写してやってはいけないことを懇切丁寧に説明して、じゃあ問題解いてと言ったら目の前でまた答えをガン見し始めた時は度肝を抜かれたね。塾に来ないでくれ。

そんな中でも本当の被害者、つまりバカ親の下で振り回されるよわい子どもみたいなのは一定数いて、そういう子を見ていると本当に辛くなる。

子どもは親を選べないし、塾も選べないもんな。親は金だけは持ってるからな...。


※更に追記、一部修正しました。

「親に営業かけるのはまだいいけど、通塾してる子どもに友だち勧誘させるのが邪悪講師との関係性をバックに勧誘が「いいこと」と一方的に思わせて「営業」に駆り立てトドメ報酬図書券あげる。それで教育者面。」

これ!これはかなり気をつけてほしいところなので書いておく。

1人捕まえたらねずみ算式に人を呼ぶために、今度は捕まえた子を勧誘者側に取り込んでしまうんだ。

以下は小学生~中学生に向けて行われているものの一部。

教室にはすごろくポスターが貼ってあって、1人勧誘して教室に連れてきたらすごろくのマスが1進む。

一定のマスまで進むと「ガチャ」が引けて、ガチャポンマシーンを回して図書券だの消しゴムだのを当てる。

現実世界でもガチャ

生徒も結構ガチャ中毒というか、フォーナイトスキンの話ばっかりしてる子とかもいるのでやった~!となってしまうんだよね。

あとは教室内で定期的に「お楽しみ会」を開く(この時期ならハロウィン会とか)。

お菓子をいっぱい用意して、塾生じゃない友達も誘ってあげてね、って生徒を学校に送り出し、勧誘させる。

お楽しみ会には親も参加できるので、友達の輪、ママ友の輪から更に入塾者が増え...みたいな。

こういう塾ってもう内装とか人の話し方がかなりオンラインサロンっぽくて、あっヤバいな、と一瞬でわかる雰囲気があるのだけど、サロン文化に嵌った親には寧ろ意識の高い良塾として映ってしまうらしい。

「流石にこのレベルの「悪質」な塾はそうそうないとは思うけど、塾と顧客情報格差が激しい場合はこういう状況も起こり得てしまうという構造問題はある。」

本当にそうです。

全員が善意でも結果としてこのようになっているケースもある。

大手でも全然あります大手でも教室ごとに個性がかなり出るし、上記のような手で業績を出してる教室も確実にあるだろう。

から見れば綺麗でも、中に入ると全然違って、何かがおかしいのに指導されている子ども本人は気づけなくて、親も駄目で、全てが狂っていく家族は世の中にいっぱいある。

塾は行かせれば成績が上がる魔法アイテムじゃなくて、メリットデメリット併せ持つもの

体力も減るし、ストレスもかかる。お金も減る。時間も減る。夜寝る時間が遅くなる。

今、子に与えるこの授業が家族にとって苦い良薬になるか、毒になるかを親がしっかりと判断してほしいと思っている。

月並みですが、ちゃん家族で話し合って進路を決めてほしい。

幼い時からずっと塾に通わせて良い大学に行って良い会社に入って...と全速力で走り続けたらいつか絶対ヒビが入る。

肉体に入らなくても、精神に入る。自分って学生生活全然青春してなかったな、と後から思っても戻れない。

2021-09-10

ガチャ

在日韓国人の家に生まれた。

父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。

祖父から継いだ仕事財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘経営を始めた。

母親夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。

前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。

両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。

大体の場合、帰ってくるなり怒鳴り合いの喧嘩を始めた。

今日接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員給料とかそんな話ばかりだった。

とにかく布団の中で聞かないふりをした。

たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。

その時もやっぱり寝たふりをしていた。

そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘営業時間を伸ばしたらしい。

家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。

見栄で通わされた私立小学校は家から遠く、地元同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。

誕生日プレゼントも買ってもらえたし、サンタも家に来た。

何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。

ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれ砂場に首から下まで埋められたことがある。

家に帰ると母親が忙しそうに仕事に向かう準備をしていた。

砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。

一人でそのまま風呂場に向かい洋服ごとシャワーを浴びた。

びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。

毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。

自分自分を責めた。

次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。

もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。

見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。

夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。

そのうちの大半をゲームでつかった。

志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。

ほぼ定員割れ名前が書ければ受かるような学校だった。

小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。

その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。

からバス電車を乗り継いで1時間かかった。

途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服ゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。

昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後ゲームセンターで使った。

作りおきの夜食栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。

人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。

なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。

中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。

雇われた店長父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪ストレス自分にぶつけてきた。

裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。

放課後を奪われた学校生活無味乾燥のもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。

高校2年のときバブル経済崩壊した。

家族内緒で行っていた父の株式投資負債によって、雀荘飲食店どころか家まで失うことになった。

荷物ほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームアパート母親引っ越した。

その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。

負債家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。

最後父親とどんな会話をしたのかも覚えていない。

母は親戚のパチンコ屋で換金所仕事を始めた。

親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。

生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。

それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたし卒業させてくれた。

この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。

父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。

お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。

相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。

この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。

小学生ときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。

たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。

仕事の忙しさを理由全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。

母親にそんなことを言わせてしまっている自分申し訳なくなった。

今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。

別にお金がなくても、今が幸せと思えるならよいではないか

しろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。

在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。

から、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。

高校卒業してすぐに建築業に進んだ。

親方の送迎で一度に現場に向かうために寮生活だった。

から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパート引っ越しをした。

建築現場にはフィリピン人パキスタン人で溢れていた。

言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。

在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。

自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。

いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。

少なくとも、自分からは彼らは幸せそうに見えた。

外国人いじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。

収入は確かに良かった。

とある事故きっかけに、2年ばかりで建築会社倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。

実家(といっても親戚が管理人アパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代ゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。

教習所短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許ウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。

その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社アルバイトとして入社した。

もともと大手通会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページ制作代行など、次々と事業を拡大していった。

世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人パソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社正社員として働けるようになった。

入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。

これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。

一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。

まだデザイナーマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。

戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。

一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。

社長経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要立場を任されるまでになった。

母親は別のマンションに住まわせ、自分結婚して二人の子宝に恵まれた。

自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。

羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。

だけど、こんな親だったおかげで、自分幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。

未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。

そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。

ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。

気に入らない結果をすぐにリセマラするのではなく、そのまま始めてみがほうが実は楽しいこともあるかもしれない。

なんだかとりとめのない文章を書いてしまった。

ガチャの結果くらいで、人生のものに悲観する必要なんてない。多分、そんなことを言いたかったのだと思う。

2021-09-06

anond:20210906004745

大手予備校系ならそんくらいいくけど地頭よくて志望校それなりならそんなとこ行かなくても受かるが。

カネの話するまえに子供の現状スペックかめろよ。

2021-08-26

中学受験天才じゃない組

俺は偏差値にしたら65くらいの私立中学を目指して塾に通っていた

トップレベル中学を目指す子たちからしたら滑り止めの学校

それでも中学受験はきつくて地頭が良くない俺にとっては日々が地獄だった

俺と同じように天才でもないのに親の意向で塾に通わされている子たちと俺は仲良くなって辛さを分かち合い励まし合っていた

ある日、塾の帰りに5人で駅に向かっているとそのうちの1人が歩道橋の上で立ち止まった

そして、「ここから飛び降りたい、そうしたら明日が来るのが怖くなるのもなくなる」と言い出した

俺を含めて誰一人笑い飛ばしたりできなかった

なぜならおそらく全員が一度は似たことを考えたことがあるから

中学受験は母親狂気父親の財力と言われているが

両親両方の狂気毎日晒されて死んだ方がマシなほどストレスがたまっている子も少なくなかった

俺はというと父が医者で母が高卒のため

母が父方の親戚に俺が頭悪いならお前のせいだと罵倒されたりしていた

から俺は中学受験に失敗するわけにはいかなかった

そうしたプレッシャーが俺に死ねたら楽だと思わせた

結局飛び降りたいと言い出した子は歩き出し、俺らは何事もなかったように塾に通い続けて全員志望校合格した

スマホlineも普及していなかった世代なのもあり連絡が途絶えてしまったが全員幸せであってほしい

2021-07-25

単願ロンパ 希望高校生活と絶望高校受験

2次オリ注意

将来有益能力もつ高校受験生が合格するためにコロシアイする。全員、第一志望校国内一の高校。その中で成績がいいもの、成績は良くなくとも光るものがあるものが来ている。超中学生級と呼んでもいいほどの逸材だ。

2021-07-16

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

2021-06-17

父が反ワクチン

父は好きだ

だが父は陰謀論を信じていて反ワクチン派だ

共通テスト1週間前、英語音読を聞いてもらおうと父の部屋に行ったらトランプバイデンがどうのこうのといった内容を1時間ぐらい語られた

深夜2時を過ぎ結局音読は聞いてもらえなかった

第一志望校は落ちたが父のせいでないとは思いたい

けど陰謀論を信じる父を信じることが難しくなってきた

大学生にもなったしそろそろ独り立ちすべきか否か

2021-06-09

星野源下位互換

 最近様々なことに悩みだした。大学4年生にして思春期の訪れである。世の中の様々なことに興味を持っては、大学卒業するまでの期間の長さを嘆き、折り合いがつかないまま悶々とした気持ちで日々を過ごしている。

 僕は今まで散々人生をサボってきた。最低点主義とでも言おうか、家族など周りの人の反応を見ながら自分である程度の基準を作り、それを満たしさえすればなんでも良いと思っていた。高校受験の際は、祖父・両親が通っていた高校に行くことが家族の中で当然とされていたためそれに合わせて合格することを目標としていた。中学校程度の勉強はそれなりにやっておけば志望校くらいは受かる頭の良さであったため難なく受かった。しかし、例えば部活動自分の中の基準にまったくなく、練習サボりまくり挙げ句そのせいで同じ部活女子に泣かれた。僕の中の基準高校に受かる一点に集中していた。高校に入ってからは、なぜかわからないが志望校東大と言ってしまったために家族先生を期待させてしまい(と勝手に思い)よくわからないことになっていた。端から東大に行けるとは現実的に思っておらず、勉強はしていなかった。それでも宣言してしまっているからにはある程度の「惜しさ」を演出しなければならない。高校3年生の頭には学年で半分以下の順位になっていた僕は、「文転」した。文転してからはある程度の順位は取れるようになりワンチャンあるかもという感じを出せていたがあくまで「ワンチャン」。そのまま受験突っ込み、結果は惨敗した。我が家浪人には寛容であったためもう一年やらせてもらえることになった。しかし僕の基準はもはや東大ではなく「惜しさ」の演出に移行していたのかもしれない。一年中遊び続け、昨年よりは改善したが結果はだめだった。それでも後期である程度の大学に滑り込めてしまったために「惜しさ」の演出には成功してしまった。大学に入っても最低点主義言わずもがな変わらない。単位を取るだけだったら誰でもできる。何一つとして学問は身についていないが、あと卒論さえかければ僕は卒業できる。

 こんな、最低点主義人生を通して実践してきた僕も勉強だけをやっていたわけではない。絵を描いてみたり(才能が絶望的だった)、小説を書いてみたり(根気がない)、ギターを弾いてみたり(練習嫌い)、作曲を行ってみたり(世に出ているものクオリティーにならないことが気に食わない)、いろいろなことを知りたいと思い最初の一歩だけ踏み出してみた。しかしどれもすぐに飽きたり萎えたりしてしまった。今でもこれらをある程度好きだという気持ちは持っているが、世に出るレベルには到底ならないだろうということを予期してしまっている。最低点など存在せず、最高点なら∞の世界の話に立ち入れない僕がいる。

 社会に出てしまえば周りから求められる最低点などというものはどこにもない。それに、最低点を取れなくても、ある程度のセーフティーネット存在する。僕がこれまで回してきたサイクルはほとんど無に帰す。僕はこの社会の中でどこまでもフラフラとしていくしかないのだろうか。

 僕の「好き」は移り気で、小さく、根気がなく、僕を規定するものになってくれない。それでも今はこれを大事にせねばならないと芽生え始めた自我が言う。僕の「好き」はこれから最低点を求めず、自由に泳いでいけるか。22年間サボっていたからこそ、今、世界のすべてを手に入れたくなってしまった。領分をわきまえず色々とやることをこの僕が僕に認めなければならない。そして、世に花開くことを真に夢見なければならない。

 何者にもなれないことこそ誇らしく、胸を張って生きていこう。

 これは人生絶望した若者戯言です。今日話を聞いてくれたみんなへの感謝の一つの形として書きました。そしてCrazy Crazyに感じて星野源にドハマリしていた15歳の僕に捧げます星野源の多才っぷりはとどまることを知らず、どんどんとかっこよくなっていくばかりです。この7年で更に距離は離れてしまったけれど、星野源はたしかに僕を構成する一要素です。一応結婚のことについて触れておくと、私は有名人の誰と誰がどうだ、みたいなことには全く無頓着で無関心です。しかし、星野源結婚したことによって新たな面を見せてくれるかもしれないということには期待することもあります。これまでエッセイで見せてくれていた暗黒面もさわやかなライブでの姿にも、それを支える世界への愛のようなものが僕の心までも包んでくれているような気がしていました。これからは包み、包まれた愛が僕に触れることになるのでしょうか。それならば一層、僕も源さんの心を包むような愛を持って世界に向き合っていかなければなりません。世界のすべてを肯定することは難しくても、世界には素晴らしいことがたくさんあるとよく噛み締めたいです。そしてそれを表現にまで昇華できればこの上ないことと思います

 ありがとうございました。

 2021-06-09 Crazy CrazyPVBGMに聴きながら

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