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はてなキーワード: 屋敷とは

2019-08-03

育った町

 この暑い日に何故歯医者へ行かねばならないのかと、二日酔いで重くなった体を起こし歯磨きを終えたところで昨日風呂にも入らずに寝たことを思い出したが、どうせ汗だくになって診療所へ入るのだとこじつけたような理由を言い聞かせ外へ出た。

 私の家は坂の一番上にあり、緩やかとも急な坂とも言えない道を下り続けて通りに出ると歯医者はある。

 普段通勤で駅へ向かう方向とは真逆にあたるこの道は、何ヶ月ぶりかに歩く道だった。

 途中、私の初恋相手が住むレンガの家があり、通り過ぎると小学校が見えてくる。小学校の向かいにあった豪邸はなくなっており更地となっていた。その隣には山一つを土地で所有している屋敷とでも呼べばいいのか家があり、家そのものは山の上にあるのだが、斜面は緑地公園のように4,5本大きな木が植えられた庭となっている。その庭の周りはフェンスで囲われており、子供の頃は大きな犬が3匹走り回っていたが、確かその家の主である爺さんが飼い犬を放したいが為のものだったようで、爺さんが亡くなる頃には犬も居なくなり、今では雑木林と化している。

 さらに下ると右手にやや細長い土地に家があり、先日母が売りに出されたチラシを見てあの家だよと話していたのを覚えている。3億だかするらしい。手入れがされなくなったからかチラホラと垣根が溢れて中が見えるようになっていた。

 坂の終わりにくると70度はあるだろうと思える斜面の山、というより崖があり、自転車なんかじゃまず登れない山の頂上にこれまた見たことない豪邸が建っていた。まるでハリウッド映画でみるようなプール付きかとも思えるその豪邸を見て私は、ありゃ10億だなと暑さで掠れた声で呟いた。

 歯医者に着いて診察券を渡し待っていると名前を呼ばれた。今日は何も悪いところを直しに来たのではない。先日ビールを飲んで感じたことのない痛みが起き訪ねたら、詰め物が取れていたとかですぐに解決し、そのついでで歯磨き指導を頂けるとの事だった。

 担当してくれた人は綺麗なギャルだった。この診療所を好いている理由はこれが理由でもある。院長が今でも学会でそこそこ活躍されていたらしい人で有ることと、やたらと丁寧な作業説明をしてくれることと、スタッフ仕事もできる若くて綺麗な女性であることだ。いや、やはり最後のは聞かなかったことにしてくれ。

 高圧洗浄とフロスと歯磨き指導を頂いたことで私の口の中は血の海となっていた。お礼を言い、野口を2枚渡しお釣りを受け取って外へ出た。

 時刻は12時前になろうとしていた。

 何を食べようかと、うどんか、いや蕎麦も良いと思い、少しばかり歩くが蕎麦屋に行こうと決めた。

 その蕎麦屋は私が高校時代アルバイトで世話になったお店だ。夏休みのこの時期もガスコンロの前に立ち味噌煮込みうどんを作っていたのを覚えている。その当時一番長く共に働き世話になった社員さんが今ではそのお店で店長をしていると、今年はじめに地元友達と飲んだときに知った。

 滋賀出身のその人は関西弁でよく喋るプレイボーイで、私が大学へ行くため辞めた頃、フロアの方に手を出し無事子を授かったという顛末である

 バイト仲間でもあったその地元友達は、口を揃えて子供ができてから当時のキレはなくなったと弄っているが、私は子供ができてからの彼を全く知らないでいた。

 そんな事を歩きながら思い出していると途中で家族葬の小さな葬儀場が出来ているのに気づいた。こんなところに葬儀場かと思ったが、私が育ったこの町は所謂住宅地であり、私が大人になった年月から住んでいる人たちはみな60を過ぎたお年寄りばかりになっていた。

 戦略的にはあっているなと関心をして、不謹慎ながら賑わうだろうなと思った。

 蕎麦屋につくと12時前から5組ほど待ちが出ていた。私が子供の頃から変わらない。このお店は土日に必ず混むのだ。タブレットで人数を入力した後に番号札を受け取ってしばらく待っていると葬儀を終えた御一行様が予約をしていた者ですがと入ってきた。なるほど葬儀を終えたら御膳を食べに蕎麦屋に来ることにもなるか。また不謹慎ながらこの店も団体客には困らなそうだななんて考えた。

 奥の方から聞き覚えのある声がする。いつ声を掛けようかなどと考えていたが、予約の御一行様がいるのであれば忙しくて座敷部屋から出てくることはないだろうとわかった。そのあたりは2,3年働いていたので分かる。

 席が空いたので案内を受けた。メニューを見ると夏ということもあり鰻があった。そういえば今年は鰻を食べてないなと思ったが、値段をみて素直に辞めておいた。当初の目的通りざる蕎麦天ぷらがあるもの選択して食した。

 お金を払い店を出て来た道を戻ることにした。結局予約客に忙しくこちらには顔を出すことはなかった。今日はそういう日なのだろう。ラインを知っているので美味しかったと送ろうかと思ったがそれもなにやら気持ち悪いと気が引けた。今度地元のやつらが集まったとき、平日の夜が良いだろう。暇になる9時くらいに行って茶化してみよう。

 家の前の駐車スペースで水遊びをしていた兄弟が居た。ラジオを聞きながらバイクを磨いていたおじさんとそれを眺める犬がいた。虫取りをしに行く小学生が走っていた。高校生が先輩の悪口を言いながらバス停へ歩いていた。

 変わる景色と変わらないものがある。私はこの町が好きなのだと思う。

 たまには散歩も悪くない。だがその散歩ももう少し涼しくなってからまたしたいと思う。この暑さには敵わない。

 私が葬儀場に運ばれては元も子もないのだから

2019-07-31

anond:20190731115519

https://www.qhapaq.org/imakita/call_imakita

35歳女の地元グループにもう救いがたいのが1人いる 。

他のメンバー差異はあるが、A子のような大きなお屋敷に住む奴はいなかった。

結果として、自分が生きて行くためにはどうしたらいいのか?。

A子「私ちゃんはすごいよね。

私たち自分自分人生が少しでも楽しく明るくなるように頑張って努力した結果、いまがある。

35歳女の地元グループにもう救いがたいのが1人いる

東京近郊のベッドタウンの小中の同級生現在35歳の女で年に1、2度集まる。

総勢7名のうち、既婚が5名、未婚は2名。

「もうどうにもこうにも救いがたい」と私が思うA子は未婚側の1名。

私は既婚ではあるが子供はいない。他の4人は幼稚園から中学生の子持ちだ。

A子の話を先にしよう。

彼女はこのグループの中で最も金持ちで家も大きく地元土地を多く所有している実家に産まれた。

そしてグループの中で1番偏差値の高い高校へ行った。四大へ進んだのも彼女だけだ。

顔は中の上くらい、まあまあモテ高校時代に出来た彼氏と25くらいまで付き合っていた。

一方、私は小さなマンション暮らし偏差値50くらいの普通高校に通い、専門学校へ行き就職した。

顔はまあ中の下くらいだと思う。

他のメンバー差異はあるが、A子のような大きなお屋敷に住む奴はいなかった。

彼女グループの中でも昔から最も結婚願望が高く、子供を欲しがっていた。

料理若いから得意で家庭的な女という意味ではダントツだった。

しかし結果から言うとA子は35歳現在独身無職引きこもり祖母介護家事をして暮らしている。

私が知っているだけで過去自殺未遂を3回決行している。

激太りと激ヤセを繰り返しており別人レベルになるので毎回会う前に少し緊張をする。

ちゃん彼女に気づけるように、だ。

彼女大学卒業後、就職はせず派遣アパレル販売員などをしていた。

高校時代から付き合っていた彼氏はわりとクズで、何度も付き合ったり別れたりしながら3桁単位の金を貸したまま、25のとき彼女のもとから去った。

実家が裕福なので無理に働くこともせずにいた。

たまに派遣アパレル店員をやる以外、特に資格を取ったり、正社員として働く道を探ったり、ということはしていないようだった。

いい男を見つける活動はそれなりにがんばっていた。が、まあそのくらいの歳ならそれは当然だ。

だが、彼女は1人で生きて行くための経験スキル知識を身につけないまま35歳になった。

またそういった危機感を持たないままに、彼氏の別れやいろんなことで病み、外に出ればパニック障害になり、

から出られなくなった。

A子以外のメンバーはもともと特筆するような頭の良さや環境の良さもなかった。

でも今では、美容師保育士などの専門職として子育てしながら働いたり、新卒の頃から大手に勤め確固たる地位をとりつつ育休をうまく取りながらママをしていたり、アパレルメーカーからハイブランド転職して経験を積んでいたり、WEB業界自分位置を少しずつ確立していたり。

いろんな道を歩んでいる。

結果として、自分が生きて行くためにはどうしたらいいのか?そのために何を身につけたらいいのか?

大人としては当たり前だけど、ちゃんとそれを積み重ねてきて他のメンバーの今はあるんだと思う。

から、A子のことは心配だけど、なんの会話をしていいのかわからなくなってしまう。言葉をどう選んでも彼女にとってはつらい話ばかりになるのではないだろうか。

いま、A子は家のお金を好きに使い、後先を考えずにどこにきて行くかわからない洋服を大量に買うことで浪費欲を満たしているようだ。

またいつ自殺未遂するかもわからない。

彼女と私はグループ内でも2人きりで遊んだしたことはない距離感だ。だからみんなで集まったときたまたま隣になった彼女からしかけられたことをとても覚えている。

A子「私ちゃんはすごいよね。バリバリ働いて●●で少し有名になったりしてさ。私はいま、少し電車に乗るだけで発作が出るから仕事にも行けないし、家のこともやらないといけないからさ。羨ましいな」

彼女事情があることはとてもわかる。

でも、それでも、言わせて欲しい。

私たち自分自分人生が少しでも楽しく明るくなるように頑張って努力した結果、いまがある。

あなたが周りに止められてもクズ彼氏に心血を注ぎ込み、その時そこそこ稼げるけど未来に繋がることのない仕事をして、20代の頃から自分で生きていく術を身につけなかったことは貴方自身だ。

これは考えすぎかもしれないけど、あなたにとってたぶん、学生時代の状況と今を比べると自分より周りの私たちが、自分が思い描いていたような未来を生きていること自体が耐え難いことなんだと思う。

それが見えるし、もう私たちには救ってあげられないから、その場だけ。一緒に飲み会にいてもその場だけを楽しむ言葉しか、もうかけることは出来なくなってしまった。

A子、あなた人生を救ってくれるのは、お金でも家でも家族でも友達でもなく、自分自身だと私は思う。

今日あなたにとって1番若い時。今のまま実家でどんどん年を重ねたらもっと苦しくなるはず。だから自分の足で一歩を踏み出してみて欲しいと思っている。

2019-07-23

お前が「無敵の人」にならないとでも思ってるの?

無敵の人」って言葉が嫌いだ。

名付けるって便利だよな。

ソシュールイデア論もわからねえけど、「無敵の人」っていう言葉共感覚として誰もが理解している現代怖いよ。

無敵の人」に犯人カテゴライズしておけば自分とは違う存在にできるもんな。

私にはそう思えないよ。

自分発達障害を持っててメンタルクリニックズッ友人生から、ってのもあるけどさ、精神病んでるっていうのは、「普通」とそこまでの差があるんだなって驚いてる。

私は無敵の人側の人間扱いされてる感じがして怖いんだ。私だって許せねえよあん事件起こしたやつ。

ただな、みんなのニュースへの反応見て、思ったんだよ。

お前が「無敵の人」になる可能性は、ゼロだとでも思ってるのか?

無敵の人ってあらかじめそう生まれたわけじゃないと思う。まあ、発達障害に限らず生まれ持っての特性はある程度あるにしても、無敵の人って、「全てを失った絶望の果てにいる、普通の人の成れの果て」なんだと思うんだよ。

犯人を許す必要はない、被害者を軽んじるつもりは一切ない。心から哀悼を示す。

からこそ、だからこそ、未来事件を防ぐために、私たちはあの理解不能に見える「無敵の人」を、自分たちと同じ普通の人に引き摺り下ろして、私たちと同じ人間ということを思い出すべきなんだ。

つーか普通って言葉も気に食わねえな。

地球宇宙船、全ての生き物は乗組員とかそういうはなしをしてーんじゃねえけどさ。

小説パクられたからって人を殺す人間を、わからないままにしていいわけないと思う。

今後、人生においてわからないもの出会う時なんていくらでもあるのに、わからいから全て逃げていくわけにいかなくない?

こんだけ無敵の人とやらが生まれる昨今だから、今こそ、彼らが自分たちの同等の人間だってことを思い出すべきなんだと思う。

ちょっとだけ、想像力をつかってみよう。

ニュースで、彼の生い立ちを見た。

引きこもったり、職を転々としたり、隣人トラブル窃盗

割と怒りに突き動かされる、衝動性が強いタイプの人だったのかなと思う。

思っちゃったんだよ、この人の人生において、心休まるひとときって、あったんだろうか。

知らないよ、彼の人生を見てるわけじゃねえもん。でもさ、自分以外の、彼の周りが全て敵に見えてたんじゃないかなって思っちゃったんだよ。

自分がそうだったから。

発達障害自分は、障害持ちだと知らなかった頃、割ともうダメだと思ってた日々がある。

周りの世界が全て敵に見えて、手を差し伸べてくれる人も怖くて、けれど頭の中でずっと心が騒いでいる。くるしい、くるしいと。

その、叫びは、私の場合自分に向かったんだな。腕には今も無数の傷があるし、毎日見えないところに青あざ作ってた。屋敷しもべ妖精ドビーかよって感じで、部屋をのたうち回って体が傷つくのを求めてた。

異常だなぁって思うでしょ。でも私にはそれしか生きる方法がなかったんだよね。

薬1つで人の心なんて変わってしまうことを知った今だからふと思ったが、自傷ってあれドーパミン不足を補おうとしてるんじゃないか

知らんけど。マジでこれは私見な。

今は薬でドーパミン不足を補ってるんだけど自傷した後のどこかまったりとした感覚に似てるんだよこれが不思議なことに。

話ずれたけど。絶望が深まるうちに、自分に矛先が来るなら平和だよね、自殺だもん。

この矛先が、外に向いたのが、みんなの言う、無敵の人だと思うんだよ。

おっし、発達障害持ってるやつぜーんぶ無敵の人予備軍か!ってなるのは早計ですぜお兄さん。いわゆる無敵の人と呼ばれた犯人たちに発達障害を持たないやつはいるぞ、黒バス犯人は無かったはず。

結局はね、精神疾患なんですよきっと。

今回の京アニ犯人精神科に通ってたみたいだけどそれでも救えなかったのは残念。

けれどさ、精神科で、揺らめく心を抑えることができれば、きっと、未来犯人を先に救えるんじゃないかってそう思えるんですよ。

私はね、自殺寸前だった。

けれど、薬を飲んだ今、面白いね、世界が、こんなにも綺麗だって気付けたよ。

私は普通の人の中で下の下だと思ってたけど、普通の人から外れてみたら、割と普通のきらめく生活が待っていて、なーんだ、私って、穏やかに生活送れるんじゃんって。

この世の誰もが、いわゆる普通の、穏やかな人になれるんじゃないかって思ったんですよ。

そして言っておくとな、今はまだ気づいてない隠れ発達障害はたくさんいるだろうし、今後、心を病む可能性は誰にもある。

からさ、誰もが、無敵の人予備軍なんだよ。きっと。

ただ、救いの手があるかどうか。それだけの違いじゃないのかな。

その救いの手はさ、何もかも精神科任せじゃなくてもいいんだと思う。

今までの無敵の人たちも、だれか温かい言葉をかける人がいたなら、何か変わってたのかもしれない。

私たちひとりひとりが、互いにちょっと優しくしあうだけで、世界は小さく小さくちりつもで穏やかになってくんじゃないかと思ってる。

いいじゃん、電車の席譲るとかさ、コンビニバーコード面を上にしてレジ出すとかさ。

結婚もしにくい世の中で、誰もが老いていくうちにいろんな人とのつながりが切れて、きっと孤独な人は増えていく時代は、もう目前なんだよ。

インターネットで人とつながる機会が昔より増えた!って言う人いるけど、インターネットでの繋がりってさ、趣味とか話が合う人たちだけで固まるだけじゃないですか。どうやっても繋がれない人って出てくると思うんだよね。

昔の方が、村社会って言う物理的なエリア内での繋がりだったから逆に誰も見捨てられなかったんじゃないかって思う。

そういう風にさ、どんどん失うものがなくなっていくのが確実な世の中になってしまってるんだからさ。

ほんの少し、他人にも優しく、小さく親切にみんなで生きて、わずかにでも助け合って、繋がりを少しでも得て、お互いに、「無敵の人」に自分が、誰かが、ならないように生きていきません?

ペイフォワードだよ、映画の。

なんかさ、一日一善!じゃないけどさ、小さなこと、助け合って、生きていきたいよ、みんな。

それで、誰かを助ける余裕がないほどダメなら精神科いこう。

私さ、あの言葉好きなんだ。

「人にはそれぞれの地獄がある」

って。

もう誰もが地獄を抱えてるよ、そりゃ。

でもね、覚えておいて欲しいんです。

しかすると、その地獄は、精神科だったり、あるいは行政支援サービスだったり、何かで和らぐものかもしれないんですよってこと。

あなたが、無敵と言えるまでに、心を壊してしまう前に、助けてくれるところはきっとあるんですよ。

忘れないでね。

というわけでまとめでーす。

無敵の人って、誰にでもなる可能性あるよ。

無敵の人って傷つきすぎた果てになるのかも。

・辛い時は、頼ろう。精神科でもなんでも。

・余裕がもしあればさ、ちょっと人に親切してみない?

って感じです。

そんなわけで今日外国人に道案内したり酔ってふらふらしてるおじさんに電車の席譲ったり、会社の人にキャンディおすそ分けしてみたりしました。

…ただのお人好しなだけか?



意見めっちゃお待ちしてます

あと、書いてて社会学やいろんな知識インテリジェンスが足りてねえ!って思ったのでこれ読め!って本とか、おすすめあったら教えろください。

最後に。

亡くなられた犠牲者の方へ、心の底より、哀悼を。

美しい、あのアニメーション世界に救われたものの一人として、深い悲しみの中にいます

決して繰り返さぬよう、せめて小さなことでも何かしていきたいと思います勝手にですけど。

ほんと、何にもできない一人の人間ですけど。

何か、せずにはいられないから、文を書きました。

ご冥福をお祈りします

2019-07-14

母親胎教に悪すぎる

里帰り出産のため、私の実家帰省中まだ子供は生まれてない。実家は汚屋敷なため、必要最低限の掃除をしようとして今日母親キッチン掃除した。両親二人暮らしなのに50人くらいのお客様おもてなしできるくらいの食器があったり、物置に不要品が収納されてたり、キッチン収納棚を開けたら黒い汚れがたくさん付着してたり、全て書きあらわせれないほどとにかくキッチンが汚い。ちなみに汚いのはキッチンだけではない。全体的に汚屋敷

食器をけっこう捨てたのだが、それでも私から見れば価値がない不要食器母親が手放したがらず、母親に怒鳴りまくってしまった。妊娠してからこんなに怒声をあげたことはない。胎児はもう耳が聞こえている段階なので「なんで今日はお母さんこんなに怒っているんだろう」と思っているはず。そして、母親感情ホルモンを通して胎児に伝わるので、私のストレス、怒りが胎児に伝わっている。妊婦ストレスなく過ごすことが一番だから胎児申し訳ない。

夜は両親と私で居酒屋に行った。母親けがお酒を飲んだ。飲み放題プランで私が「飲み放題なのでたくさん飲まないともったいない」と思い、母親にたくさんお酒を飲ませて母親泥酔。絡み酒の酒乱とは知らなかった。ただでさえウザイ母親飲酒によって、さらにウザくなってしまイライラしてまた胎児ストレスを与えてしまったと思う。母親にたくさん飲ませたのは私だが、もう母親とは飲みたくないと思ってしまった。

明日掃除の続きをしなければならない。私も料理をしたいかキッチンを汚いままほっとくわけにはいかない。

自分母親がこんなに胎教に悪い存在だとは思わなかった。

2019-06-12

anond:20171107214500

マンガとかだと、ロリババアがお屋敷から出てきてオーラビビるシーンがあったりするよね

ローゼンメイデンみたいな感じにはなれないのか

2019-06-11

エバーノートがたまりすぎる。

エバーノートを使いだして約2年。

とりあえず、いい情報ならwebクリップ、思いついたら雑記

ドロップボックスなどに情報を振り分けたりしているものの、

やはり、エバーノートドンドンたまっていく。

  

スタックとか使ってるが。どうしたものか。

20個くらいの情報を、なんとか1つのノートに一元化したりとか、なんとか情報圧縮できないものか。

情報ごみ屋敷みたいだ。

  

もちろん、検索すればすぐ出てくるのとかありがたいけど。

スタックとかでなんとなく情報が分かれているけど。

なーんか、ひたすらたまっていく感じで、整理されてる感が少ない。

  

どうにかならないかなあ。

2019-06-09

母が女王になった日

昨日、母親閉鎖病棟にブチ込んだ。

言い方はかなり乱暴になるが、ニュアンスとしていちばん正しいと思う。

統合失調症は恐ろしい病気だと思った。医療ドキュメンタリーなどでよく見る、狂人(これもかなり乱暴な言い方だけど)が家にいるのは正直厳しい。

かに監視されている

テレパシーで会話が聞こえる

BGMが常に頭を回る

マカオ拉致される

覚醒剤お茶に混入されている

私は女王

私は特別人間

声が聞こえないあなたたちがおかし

母はこの国を統治する女王なので、ベルサイユ宮殿のような屋敷に住んだことがあるらしい。自らの能力を使い、人を助けないといけないらしい。

から、昨日母は手負いの青年を抱き締め、身を呈して守ったが、もちろんそんな人物存在しない。一時間半、見えない敵と戦って、力及ばず死なせてしまったと泣く。久しぶりに帰省した娘の言葉は一切聞かず、脳内に語りかけてくる謎の人物ABCDとばかり話をする。よその家のチャイムを押しに行こうとし、暴漢がいると警察通報する。

家族の総意で入院を決めた。

内科外科的な症状がないと救急車使用できず、平日ではなかったこともあって最寄りの精神科は頼れない。ただ、メンタルヘルス系の相談ダイヤルに掛けたら、入院可能病院を探してもらえた。タクシーで一時間はかかる、山の上の病院だった。

ふっとスイッチが切れたように大人しくなった母を、タクシー病院へ連れていく。もちろん母は自分入院するなんて思っていないから、ただ夜遅くまで開いている病院という認識で、楽観的だった。車内の会話はほぼない。

周囲にコンビニもないような山奥で、20時くらいから診察が始まる。自分に何が起こっているのか、医師ひとつひとつ説明していく。周りに勧められて心療内科受診していること。エビリファイという薬を気休めに飲んで、調子がいい気がするということ。母と唯一同居している兄がとっていた、支離滅裂言動メモが決め手だった。医師の表情はどんどん貼り付いたような表情になっていき、屈強そうな師長は慣れた様子でうんうんと話を聞く。

あなたはね、もうおかしなっちゃってます。もうね、これは病気です。心配してご兄弟が集まって、相談して、あなた入院させるために今日ここに来たんです。あなたは帰れません。帰せません、入院です」

緊急措置入院だった。

女王は激昂し、同意書を破り捨てる。こんなのはおかしい、私は正常だ、だから帰る、喚いて逃げようとしてもそれは叶わない。師長は手慣れた様子で女王を取り押さえ、兄もそれを手伝った。医師義務的早口書類文言を読み上げる。診察室のある棟を抜け、施錠された扉をいくつか越え、保護室へと向かった。

「こんなのおかしい! 拐われる、信用できない、許さない、離して!」

とにかく大声で叫ぶ。ここが山奥で本当によかったと思った。

「味方が必ず助けに来てくれる! お兄様助けて、お父様助けて、助けに来て!!」

入院患者が驚いた様子で見守っていた。ずるずると引きずられるように歩みを進める女王抵抗は凄まじかった。足を踏み、腕を払おうともがく。ギロチンに向かう女王の姿としては、あまりに無様なものだなと思った。ショッキング光景ではあったが、正直胸が軽くなった。もう、無理な仕事スケジュール帰省することもなくなる。電話ノイローゼになりそうな話を聞くこともなくなる。ご近所の方に怪訝な目で見られることもなくなる。これからきっとよくなる。

母は女王かもしれないが、私は王女ではない。もちろん、臣民にもなれない。入院に関する説明を上の空で聞いて、求められるまま書類電話番号を書いて、女王には会わず病院を出た。意外とあっけないものだなと思った。

お母さん今まで育ててくれてありがとう。私はこれからも、頼れる兄と生きていきます女王陛下、お元気で。

2019-05-22

パンティーの数が足りない

増田におけるパンティ記事の数が少なすぎる

はっきり言ってこれは緊急事態だと思うので取り急ぎパンティ記事投稿せんと筆をとった次第である

以下、雑なパンティ記事

番町パンティ屋敷

お岩パンティーさん「いちまーい、にまーい、パンティーが足りない!!」

2019-05-15

anond:20190514225348

 未婚のワープア40台だけどさ、あの「ばぶー」言ってる子らが俺たちが年取って働けなくなった時に、年金だの生活保護だの医療保険だのを支えてくれるわけやろ。

 社会を維持することを考えたら、邪険にするどころか、満員電車ベビーカーが乗ってきたらモーゼを前にした紅海のごとく道を開けて、平伏してお迎えしてもいいぐらいじゃないの?

 財産は余るくらいあるし、海外屋敷も用意してあるから老後の心配なんかねぇ、って層はそもそも満員電車に乗らずに運転手付きの車でも使えって話だしな。

2019-05-14

anond:20190514164748

嫌なことをやることで自分価値を高めようとしている

さながら屋敷しもべ妖精ドビーのようだ

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-04-24

玄関が広すぎる場合どうすればいいか

田舎屋敷玄関がムダに広いってのはよくある話だが

都内で、下足の側の領域結構広い場合何置けばいいんだろうな

自転車か? あとは観葉植物

 

田舎ならスコップDIY道具でも置くんだけどな

普通に収納にすればいいか

でも見栄え悪いよな玄関だし

2019-03-27

パンティーなし芳一

昔、下関阿弥陀寺というお寺に、パンティー法師の芳一という男がいました。

幼いころから目が不自由だったが、パンティーの腕は師匠をしのぐ程の腕前で、特に壇ノ浦合戦パンティー語りは真に迫るものがあったそうです。

 

ある蒸し暑い夏の夜、お寺で芳一がパンティーの稽古をしていると、身分の高い方から使者がやってきて、パンティー語りを聞きたい、というので、芳一は使者の後をついて行き、大きな門の屋敷に通されました。

さっそく芳一は、壇ノ浦合戦を穿いて聞かせると、大勢の人がいるのかむせび泣く声が周囲から聞こえてきました。

やがて女の声が聞こえ、「今宵より三夜間、パンティー語りをして聞かせてほしい。またこの事は誰にも内緒にするように」と、告げられました。

 

朝、寺に帰った芳一は、和尚から不在を問い詰められたが、女との約束通り何も話しませんでした。

そこで和尚は、夜にこっそりと寺を抜け出した芳一を寺男尾行させると、ユニクロの前で、パンティーを穿いている芳一の姿を見つけたのでした。

 

亡霊に憑りつかれていると知った和尚は、芳一の体中に経文を書き、そして、誰が話しかけても絶対に声を出してはならない、と言い聞かせました。

その夜、また亡霊が芳一を迎えに来たのですが、経文に守られた芳一の姿は見えません。

しか和尚が芳一のパンティーにだけ経文を書くのを忘れてしまったため、亡霊にはパンティーだけは見えていました。亡霊は、迎えに来た証拠に、と芳一のパンティーを脱ぎ取り帰って行きました。

 

朝になって急いで様子を見に来た和尚は、芳一のパンティーが取られている事に気が付きました。

和尚は、かわいそうな事をしたと詫び、しまむらへ連れて行き手厚く手当をした。傷が癒えた芳一は、もう亡霊に憑かれる事もなく、芳一のパンティーはますます評判になり、いつしかパンティーなし芳一」と呼ばれるようになったのでした。

 

めでたし、めでたし。

2019-03-16

VTuber引退でまた騒動〜朝ノ姉妹ぷろじぇくと〜

朝ノ姉妹ぷろじぇくとの朝ノ光、今日引退放送予定だったのが、運営側とのトラブルが原因で中止となった。

まーたかよ。もうこの手のゴタゴタあきたんすけど。

なんか「新しいお屋敷任務就くことになった」とか言ってた割に最後最後でこの終わり方は大人じゃない。

運営側にしても、こんなことになったら明らかにマイナスイメージなのはこの業界で何度も前例あったのに何も学んでないんだなとあきれ返った。

申し訳ない、馬鹿しか言いようがない。

で、残された朝ノ瑠璃どーすんの?

設定とは言え妹この有様で今の運営の下でこのままのうのうとやれるん?

やれるとしたらそのプロ意識、一周まわって見直すわ。

朝ノ光、運営共々、またVTuber界隈に汚点残したな、その罪は深いぞ、震えて眠れ。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-02-26

サラリーマンは気楽な稼業」←超絶エリート達だったらしいな

この時代サラリーマンになれる労働者はほんの一握りのエリートであとは自営業

この時代大手企業部長なんかは千代田区にお屋敷構えて、愛人銀座で店出させてあげられるくらい金もらえてたんだとか。

2019-02-23

スマホ脳過労チェックしようぜ

NHKクローズアップ現代「”スマホ脳過労” 記憶力や意欲が低下!?」を観たよ。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4249/index.html

情報過多で脳もオーバーフロー状態になるんだよ、意欲も低下するんだよ。

ぼんやりする時間も大切なんだぜ、ぼんやりすべき時にスマホを使いすぎると「情報の整理」が行われないため、脳がまるでごみ屋敷になる

【“スマホによる脳過労”チェックテスト

あなたの「スマホによる“脳過労”」の危険度は?チェックテストをぜひ。

「行動チェック」「脳チェック」「心身健康チェック」を合わせて全30項目。

20個以上当てはまれば「危険度大」、10個以上は「危険度中」です。

作成奥村医師

【行動チェック】

スマホはいつも手元にスタンバイ

時間が空いたらスマホを取り出す

口疑問が浮かんだら、すぐ検索

口覚えておくために「写メ」を撮る

スマホなしでは初めての場所へ行けない

スマホ以外で調べものをしない

口いつも時間に追われている

情報に乗り遅れることが怖い

口着信音やバイブレーション空耳が聞こえる

口夜、ふとんの中でスマホをやっている

【脳チェック】

口ここ数年、もの忘れが増えた

口知っている人の名前がすぐ出てこない

口何かを取りに来て、その目的を忘れる

口約束をド忘れする

口3日前、何していたか思い出せない

口「話題ニュース」3つ挙げられない

最近漢字が書けなくなった

最近簡単計算を間違える

検索すれば分かることは覚えない

スマホに頼り、道を覚えられない

【心身健康チェック】

口頭も体も、いつも疲れている

イライラして、感情を乱す

口いつも睡眠不足状態

口体中に様々な不調を抱えている

口集中できず、凡ミスが増えた

口やる気が起きず、興味も湧かない

口すぐ落ち込む

段取りが悪くなった

最近、あまり笑っていない

口季節の移り変わりに鈍感になった

2019-02-10

ドイツFateラブライブの新作映画を見た

ドイツでも日本深夜アニメ公式配信はあるのだが、新作アニメ映画を見るのは通常困難である

しかし年に一度ドイツおよびオーストリアの各都市日本の新作アニメ映画ドイツ字幕付きで上映するAKIBA PASS FESTIVALというイベントが開催されており、そこで「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」と「Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」を鑑賞することができた。

https://akibapassfestival.de/


以下はニュルンベルク会場の様子(他の開催地ベルリンドルトムントフランクフルトハンブルクケルンライプチヒミュンヘン、パシング、シュトゥットガルトウィーン)。


会場の雰囲気: ニュルンベルク場合は15シアターくらいある大きな映画館の2シアターが貸し切られ、1日アニメが上映される。普通映画上映とそれほど変わったことはなく、一日券の販売アニメグッズの売店があるくらい。会場によっては制作スタッフ等のゲストが来て質問会みたいなのがあるらしい。たまに気合入れてコスプレとかしてきている人もいる。


上映前: 日本と同様映画の前の宣伝映像は長い。ドイツアニメイベント宣伝日本アニメ配信関連会社のほか、アトラスコーエーシュタゲ等のゲーム宣伝がいくつかあった。


映画について(軽いネタバレもあるので注意)


ラブライブサンシャイン


人の入り: ざっと数えたところ70~80人くらい、割と空いてる。アイドルアニメはやはりヨーロッパでは受けが微妙かも。でも中にはグッズを付けていたり結構ファンもいる模様。女性も少なくとも2割くらいはいる。


盛り上がったところ: ドイツ映画鑑賞は笑ったりちょっと歓声を上げるくらいは許容。ライブパートは静か(集中して聞いていたのかもしれないが日本語の歌なのできついかもしれない)。女の子たちがコミカルな動きを見せるところはかなり盛り上がっていたように感じた。


笑いが起きたところ: 最初の追いかけっこパート。お尋ね者ポスター。月ちゃんフィレンツェのお屋敷マリ母に恭しく退出を促すポーズをしたところ。



Fate/stay night


人の入り: 200人を超えるくらい。満員ではないが混んでる。3部作の第2部にあたる映画であるが第1部は去年上映された。


全体の雰囲気: バトルシーンのクオリティが高く緊迫した場面が多かったためか会場全体を息を呑む場面が多かった。エロいシーンは若干の反応あり。


笑いが起きたところ: 士郎と桜がいちゃついてる食卓の向かいライダーが座ってたシーン、そのすぐ後のナイフフォークを出されるシーン。


喝采が起きたところ: 間桐慎二が死んだところ。


少しがっかりたかもしれないところ: 続編の公開が2020年春予定。ドイツで見れるのはおそらく2年後。

2019-01-26

anond:20190125054430

あれってどっから出てきた家なんだっけ?衛宮家のもともとの持ち物?

だとしたらプリズマ☆イリヤ世界線ではなんであの屋敷に住んでないんだっけか。

2019-01-19

anond:20190119210438

ちゃんと考えてもそんなもんだ。

一昨年は「ごみ屋敷」のエントリで100くらいブコメ貰ってたがそこで力尽きたのよ。

anond:20190119155942

そう考えると抜き差しならない状態ってそれはほんとにヤバイ状態だよな。

早く病院に行ってED治療受けないといけない。

現代はそうやって解決方法があるけど昔はインポになったらどうしたんだろうね。

それがある豪族の家に生まれた稀代の美少年だったりしたらさ。

「我こそはかの美少年殿の魔羅を見事立たせてしんぜよう」と国中の生娘たちが屋敷に押し寄せるわけだ。

それはもう逆シンデレラ状態あはれなり少年殿。

2018-12-18

忠臣蔵」のはてぶのコメ欄車輪の再発明だらけ

「気が付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなっていた(らしい)理由考察など - Togetter」が538ものブクマつけてる。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1298767

しかしそこで指摘されてる事が車輪の再発明勘違いだらけで、本当に忠臣蔵の人気はなくなったんだな、と実感した。

忠臣蔵元禄の昔からメジャーコンテンツだったので、すぐ思いつく事はだいたい既に通った道。


ソシャゲで四十七士を女体化するのが人気復活の最良策。

「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1」のことですね。ソシャゲじゃなくてエロゲだが。

ちなみに歌舞伎にも女大星(=女版大石蔵之介)というのがある(既に廃絶)。

・今時でやるなら、47人全員のキャラを立たせないと。そうすると、すっごい長大になるよね。

赤穂義士銘々伝のことね。吉良邸討ち入りの「本伝」ではなく47人にフィーチャーした物語の事。

私の読んだバージョン大正時代のやつは1000ページ以上あったがそれでもすべてカバーしきれていない!

古典になり切れなかったポップカルチャー、とも見える

日本古典である歌舞伎文楽講談浪曲の全てで最も人気のあるコンテンツが「古典になりきれなかった」ってのは違う。

・もともと映像作品としての面白さは忠義や敵討ちよりも、集団で警戒厳重な屋敷にどう攻め込むかって『大脱走』とか『スティング』のような集団群像劇・設定サスペンスとしての面白さにあったように感じてるんだけれど

それは「四十七人の刺客」が初めて切り開いた路線

・毎年やって、ごくまれに吉良側が勝利するようにすれば良いのでは

吉良側が勝利して別働隊が後でこっそり吉良を殺す、というのは既にある。


武士の面目がたたないので殺さないと再就職もできません!…な話なんだよな

ビートたけし主演の「忠臣蔵」(1990年)。


・『忠臣蔵』というと、なんかドリフコントが思い浮かぶんだよな、ドリフだったか確かじゃないけど。

正解は「オレたちひょうきん族」の最終回ドリフでやってたかは知らんけど。

忠臣蔵は、上への不満を巧妙に横への不満にすげ替え、反骨精神忠義へと昇華する、言論統制下のジェネリック革命もの時代の流れで忠義も抑圧も薄れたのかも知れない。

忠臣蔵幕府裁定(=吉良は無罪)への反抗でもあるので、戦時中忠臣蔵はかえって危険視されていたよ。

あと、江戸期の歌舞伎検閲されてたんで、忠義はその隠れ蓑だったりもする。

2018-12-16

anond:20181216162512

増田実家が持ち家だか賃貸だか知らんが

可能なら早めにお母さんだけでも引き取ったほうがいいよ

火でも出ない限りお父さんは汚屋敷状態から抜け出せないか

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