はてなキーワード: 変装とは
クリストファーノーランの「TENET」は考えれば考えるほどよくわからなくなってくる映画だ。
この映画では大きく分けて4つほど大きなイベントが発生しているが、どのイベントでも複数の人物が各々の思惑で動いているうえ、常識的にあり得ない時間の流れ方が一部に起こり、尚且つ一つのイベントがより大きなイベントの一部であったというような入れ子構造になっていたりもする。人類の命運をかけたヒーローとヒールの一騎打ちだとか、国家総力を手玉にとったクライムアクションとして扱うには話が複合的過ぎる。
それでもなんとかストーリーの流れは把握できてそれなりには楽しめた。生意気を言うと映画作品の出来としてはちょっと言いたいこともあるけど、好事家同士で談義したり一人で考察を広げたりしがいのある作品であることは確かだと思う。
先々週の日曜に初めて観たあと、気になった部分を確認するため先週末に再び映画館に行った。パンフレットはあいにく売り切れていたのでAmazonで注文することにした。
二回見てある程度自分の解釈が固まってきたので言葉にまとめようと思う。
劇中内でいくつか引っかかるシーンがあって、それが集中しているのが冒頭のウクライナ国立オペラコンサートホールでのテロ事件のシークエンスである。
1998年にロシアのミサイル基地から行方知れずとなってしまったプルトニウム241(以下241)という危険物質を、CIAスパイがウクライナ政府関係者に成りすまし入手した。
しかしその情報をリークしたロシア(ウクライナ?)政府がオペラコンサートの爆破テロに見せかけて強奪しようとする。
主人公たちのチームもCIAスパイで、ウクライナに潜入中の仲間の救出と241の保護のためテロの制圧しようとコンサートホールに乗り込む…
といったあらすじである。一見しただけはこれだけでも把握するのが難しく、詳細を解説したいのは山々なんだけど話が長くなるので割愛する。
まずこのシーンでの主人公周りの描写においてその後のシーンと辻褄が合わなかったり奇妙な部分がちらほらある。
主人公は持ち物置き場からウクライナ潜入者のバックパックを探し出し、中から241(観た人はわかるが実際は奇天烈な”アルゴリズム”)を運び出している。だが後々のシークエンスで再び241を見た際に「これはプルトニウムじゃない」とか「プルトニウムじゃないなら(敵に)渡してもいいんじゃないか?」と不可解な発言を行う。
また冒頭部分では度々「黄昏に生きる 宵に友なし」というホイットマンの詩の一節を合言葉として用いているが、その後セイターにそのフレーズを投げかけられた時は「それがどうした?」とばかりに呆けた反応を示していた。セイターは主人公がCIAか確かめるために組織で使われている合言葉でカマをかけたんだという解釈をしている人を見かけたが、プリヤが言うようにセイターは元から241を奪取した主人公を襲撃して横取りする手立てだったので、セイターが主人公の素性に拘る必要性はあまりない。それに外交員という見え見えな嘘で近づいて241のことをまくし立てる主人公を見て、テネット組織の存在を嗅ぎ取れないほどセイターは鈍感でもなければ情報を知らないわけでもないはず。
最後に、コンサートホールから逃げ込んできた主人公と同僚は逃走用のバンに乗り込むが、「違う男だ」という支離滅裂な言葉を浴びせられた後に殴り倒され人気のない列車の車庫基地で拷問を受けることになる。主人公を拉致したこの一味は何者なのか、「違う」ということはどんな男が乗り込んでくることを想定していたのか、様々な点で確信できる情報がなくこのシーンは謎に満ちていて解釈が難しい。
ここで僕がたてた仮設というのは、あのコンサートホールに主人公は二人いたのではないか?というものだ。
ご存じの通りスタルスク作戦でテネットがアルゴリズムを手に入れた後、全てを知った主人公は世界の均衡を守るために過去に戻りテネットを創設することを示唆して物語は終わる。
(ニールが未来の主人公の指令で派遣されてきた未来人で彼がテネットを組織したという説が根強いけど自分はそうではないと思う。長期の逆行自体が危険でリスクの高い行為であり、かつそれだけの逆行を経てもあの若さであるということは幼く経験が乏しいころに指令を受けたことになる。それよりも主人公自身が逆行を重ねて各時代ごとに指示出せば、もし主人公の身に何かあっても誰かが跡を継げるのでよほど現実的ではないか。ニールが「君は物語の中間地点にいる」「僕は過去に君に会って、君は未来に僕に会うんだ」といった感じの台詞(うろ覚えすまん)もそう考えるほうがしっくりくる気がする。重要事件であるフリーポートの件で、回転扉から出てきたマスク男の正体に最初は気がついてなかったりと、事の顛末を知っている未来人とするにはニールは無知すぎる気もするし。)
コンサートホールには何も知らずにただ爆破テロの被害を最小限にすることに勤しみ、謎の男が逆行弾を放つのを目撃してから拷問を受ける主人公Aと、実はテネットメンバーであるウクライナ潜入者とアルゴリズムをコンサートホールから救出するために未来からやってきて奔走する主人公Bがいたのではないだろうか。
このシークエンス中ずっと主人公の傍らにいるジョセフゴードンレヴィット似のCIA工作員(以下ジョセ)がいるが、彼もテネットのメンバーでありアルゴリズム保護作戦の補助と主人公Aの警護が彼の役割だったとする。ジョセは皆で物置に入って防護服から着替えていくところまでは主人公Bの傍らにおり、その後主人公Aがホールから出るのを待ってAと共に車に乗り込んだと考える。「黄昏~」の合言葉はテネット内で使われる言葉でありウクライナ潜入者、主人公B、ジョセ、ニールの間では通じるが、主人公Aは当然そんなもの知らない。
そう考えれば合言葉を使いこなしアルゴリズムをバックパックから取り去った主人公Bの活躍は、主人公視点に立てば物語の一番最後となるためそのあとのシーンの主人公が諸々知らないことにも納得がいく。劇中における物語の始点は主人公Aが逆行弾を目撃するシーンからというわけだ。
そう考えると例の拷問シーンや、カモフラージュのために組織のメンバーは皆服装を変えているのに主人公だけはずっと防護服を着ていることも説明がつく。
「違う男だ」という台詞は主人公Bを捕まえるつもりがAの方を捕まえてしまったということだ。ぱっと見ではジョセがウクライナ潜入者の影武者になったということのようにも見えるが、リスクヘッジとしてあまりいい考えとは言えないし、ジョセが一番最後にホールから出てきてはその意味がないので妥当な解釈ではないはず。あの一味はアルゴリズム強奪という目的以外にテネットに関する情報を掴みたかったのではないだろうか。
(主人公が飲んだ偽装自殺ピルも実は製造にテネットが関わっているのかもしれないと思ったけどどうだろう?普通の毒薬を回転扉を介することであのピルができたりしないだろうか?エントロピーの減少とかよくわかんね)
この説明を聞いて「結局アルゴリズム取られてもう一回タリンで奪取しに行ってんじゃん。逆行してきたんならなんでキエフの作戦失敗するんだよ」とつっこみが入りそうだ。この点は逆行経験者は常人とやや異なる思考をするためなんだと思う。「空ってわかってんだからわざわざ車越しにケース受け渡しするの無駄じゃね?」と一瞬感じてしまったりするセイターが仕掛けた挟撃作戦のまどっろこしさや、ニールの「起こったことは変えられない」という言動からわかるとおり、未来を知っていてその行為が自分にとって不利益になるとわかっていても、最終的な結果に至るプロセスに絡んでくるなら避けようがないし、パラドックスを起こしかねないので避けようとするべきではないと逆行経験者は考える。キエフとタリンの失敗があったからこそスタルスクの戦いが成功したんだと認識しているはずなのだ。
主人公は覚醒後に君はテスト合格者だと告げられるが、安全のために未来から来た主人公はテネットメンバーにも素性を明かしてない
このオペラコンサートのテロ事件はロシア政府とCIAが241をめぐって攻防を繰り広げるという風に説明したが、描写される情報が少ないために鑑賞しただけでは如何様にも解釈ができる。
第一に1998年にロシアから241がなくなった事件の際実際何があったのかはよくわからないし、その後の20年近く241がどんな環境に置かれていたのか、なぜ今はウクライナにあるのかも把握しようがない。CIAが戦っている相手はウクライナの特殊部隊に変装したロシア人なのか?それともロシアに脅しをかけるため241を利用しようとしたウクライナ政府が、ウクライナの部隊を借り出して工作しようとしているのかもどちらか断言はできない。CIA及びテネットも事前にいくつかワッペンを用意していた辺り当人たちもそこらへんはっきりわかってないようだ。
ここからは僕の想像でしかないが、実はこのテロ事件はセイターが裏で仕組んでいたことではないだろうか。
つまりスタルスクの企みから少しでも目を逸らすため、またタリンでの241強奪に繋がる道筋を作るために、コンサートでのテロが引き起こされるよう各要人をセイターが誘導していたのではなかろうか。
アルゴリズムを集めることをライフワークとしていたセイターは241の行方についても常に関心を払っていた。それは主人公よりも先にタリンで241の受け渡しがあることを知っていた部分で顕著に現れている。(セイターのアジトがタリンにあることから、セイター自身がタリンまで241を運ばせた可能性もある)セイターはウクライナで起こった事件の詳細を把握していたはずであり、把握するために自分や部下を現場に派遣していたと考えるのが自然だろう。
アルゴリズムを起動しようとしていた時にセイターはハノイ沖のクルーザーに居たが、このセイターは未来から逆行しやってきた個体である。では順行時間軸上のセイターはどこにいたのか?というと劇中明示されていないのではっきりとはわからない。セイターもキエフにいた可能性は大いにある。
スタルスクに側近ボルコフがいるため、キエフでのテロに一枚噛もうとしていた場合セイター本人が赴いて事態を確認するのは道理にあっている。また物語上の動機付けとしても妥当であるように思える。
僕が思うにセイターはこのテロに、未来から来た主人公を拉致し拷問にかけるという裏の目的を忍ばせていたのではないだろうか。そう考えれば、主人公Bが車に乗り込んだ後の「違う男だ」という台詞とも符号する。主人公Aを捕まえる魂胆だったセイターの手先が、間違えてBを車に招き入れてしまったためにあのようなリアクションになったのではないか。
セイターが終盤しげしげと眺めていたあの銀色のカプセル。あれはタイトルロールで主人公が飲み込むのに失敗したあのカプセルではないだろうか。
主人公に帯同したジョセも主人公Aを逃すためにBを囮にし、かつ主人公Bがテネットに保護されるまで時間を稼ぎ守るという使命を負っていたのではないだろうか。ジョセは主人公に飲ませるための特別なカプセルを携帯しておりそれを飲ませたのだ。
テネットという映画の全編はスタルスク挟撃作戦を内包した壮大な挟撃の戦いとも言えるわけだが、話は劇中を飛び越えて、さらに未来から逆行しながらテネットを指揮していく主人公と、何十年も前から順行時間上でアルゴリズムを集め世界を攻撃し続けるセイターの幾度にも渡る戦いがあるような気がしてならない。テネットのストーリーもまた長年の戦いの一部というわけだ。さらにいえばセイターを操る上位存在である未来人とそれに拮抗する現代人の戦いでもある。
こうして映画という枠を超えた途方もない入れ子構造を想像したとき僕はロマンを感じたし、ストーリーの背景にある物語を観客に思惑させられるノーランの作家性にただただ舌を巻くばかりである。
ブログ用として1か月半前に8割がた書いたものの、そのまま放置してしまった文章をまとめました。気がついたら11月になり世間は鬼滅の刃ブームの真っ只中。完全に時季外れとなってしまいましたがせっかく書いたのでここに流します。
これを書いたあともう一回観に行きました。Blu-rayも特典目当てで買うと思います。
現代の各地に存在する回転扉についての解説や、タリンでクラッシュしたセダンが風力発電所からテネットの研究所へ移動する際に使われていたものと同型ではないか?という考察など、他にも気になる点があるので機会があればどこかに書いておきたいです。
今週は忙しくて見るのが遅くなってしまった。
ヘトヘトでもう二度と笑うことは無いとまで思った自分を笑わせてくれたのはヒプノシスマイクでした。
今週はMAD TRIGGER CREW(以下「マットリ」とする)がメイン。
初っ端に左馬刻様がモブを瞬殺。マイクの威力をみんな知ってるくせにどうしてマイク以外で行っちゃうんだ…。
マットリの会話見てて思ったんですけど理鶯くん顔小さすぎません?顔が小さすぎて肩幅が広く感じてしまうレベル。少女マンガの男かよ。
違法カジノに潜入に行くマットリ。やっぱり敵の組が運営する所だから変装しなきゃね…ってえ!?メガネかけただけ!?いやいやイケメン揃いだからって変装舐めすぎですぜ…ってバレないんかーーい!!
理鶯くんと過去の同僚が物理でバトル。あれだけ強いなら彼一人が素手でディビジョンバトル(物理)したらいいんじゃないですかね。
そのシーンの直後にモザイク付きのカエル?の丸焼けが映し出されて一瞬過去の同僚を丸焼けにするサイコパスかと思ったよ。
なんやかんやで敵組織に乗り込むマットリ。ヤバそうなヤツらを前にしてマイクを取り出すマットリ。のど自慢大会か?
梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。
居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。
信徒はもんぺ姿で自分たちを統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である。
だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。
これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老、馬場阿茶局は政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。失言に騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。
また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。
居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。
領主への不信が蓄積し、全光寺勢力も意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布させた。
ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた
楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔、民衆の判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。
彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。
これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。
滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。
ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続の抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。
ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術を披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。
「……ふぅ!」
抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着の背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。
「呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」
「ややっ!こ、これは……!?」
その土倉は繰り返し扇動や讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。
剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。
楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。
「こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!」
ミミセンの作戦は、こうだ。
それぞれ配置についたらトイレで合流。
そこでドッペルが俺と入れ替わり、同伴の先生を陽動する。
そう、さっきトイレから出てきたのは俺じゃなくて、俺に変装したドッペルだったんだ。
「久々に会った相手の顔なんて、正確に覚えているはずがない。それにドッペルの変装だ」
ドッペルは変装の達人で、特に俺に化けた場合は仲間でも見分けることができない。
あの先生が兄貴並に勘が良かったとしても、しばらくの間は大丈夫だろう。
「二人が向かった広場は、物置部屋の反対方向にある。しばらくは戻ってこないはずだ」
そうは言っても悠長にはしていられない。
そうなったら隠れようがない。
俺たちは足早に物置部屋を目指す。
廊下に並んだ各部屋の扉は窓突きであり、その面積は上半分にも及ぶ。
なので俺たちは屈みながら移動していたんだが、長身のシロクロは四つんばいで歩いていた。
「みんな走るんじゃないぞ。常に足のどちらかは地面に接地して、素早く歩くんだ」
「くねくね、競歩スタイル! NA・KA・TA! NA・KA・TA!」
「やめろシロクロ」
「私、シロクロは仲間だと思っているけど、今回の作戦に連れて行くのは失敗だったんじゃないの?」
「そう言うなよタオナケ」
もしドラキュラと相対した場合、正面からマトモにやり合えるのはシロクロだけだ。
それに何だかんだいって物置部屋までもうすぐだ。
「よし、後はこの突き当りを曲がれば……」
「ちょっと待って、マスダ」
その時、ミミセンの静止が入って俺はギクリとした。
「誰か来るのか!?」
このタイミングで誰か出てくるのはマズいぞ。
俺たちが今いる場所は一本道な上、周りに遮蔽物が少なく隠れるのが難しい。
「そうじゃなくて、事務室に行かなくていいの?」
「……あっ」
思わず声を漏らす。
そうだ、気が急いて大事なことを忘れていた。
物置部屋には鍵がかかっているはず。
俺たちは鍵を手に入れるため、少し進路を変えて事務室に向かった。
ネットニュース記事で、田舎のムラ社会について言及した漫画が取り上げられていた。
近所の人と直接接触がなくても、噂になってその人のことを耳にするし、それは自分のことが知らないところで噂されていることを示すという内容だった。
田舎の閉鎖的な人間関係を悪く言ったり、都会の無干渉な人間関係を心地いいと感じてる層は、おそらくそういう文化を鬱陶しく思ってるのだろう。
けどそんなに悪いことか?ってのが、正直俺が感じた疑問だ。
堂々とやれることであれば、別に噂になっても困らないだろうと思っている。噂になったら困るという心理があれば、よからぬ行動への抑止力になるわけだし。言及されたときに説明できないようなことは、そもそもやるべきではないと思う。
というか、自分から説明しなくてもなんとなく広がってくれてるというのは、むしろ助かると思っている。
例えば、自分がどこで働いてるとか、結婚したとか、子供ができたとかは、なんとなく知られておいたほうが、はっきり言って楽である。
自分から話題を切り出さなくても、相手がある程度前提を知っているわけで、仮に間違った認識をされてるなら、その場で訂正すればいいわけで。
いちいち「どこまで報告すればいいっけ?誰まで報告したっけ?」とか考える必要がなくなる。
そうはいいつつ、別にそういう田舎に住んでいたからといって、ネットがある今の時代、特定の人間関係の中だけで生きるというものでもない。
現に俺も、20代の半ばでちょっとしたヲタ活にハマり、ネットで知り合った人と交流していた。家族にも黙っていたから、このことを知る地元の人は居ないだろう。家族や地元の人にバレそうな行動は徹底して慎んだ。
グッズは店員が知り合いの可能性がないコンビニまで出向いて受け取った。何度か首都圏へ遠征してイベントにも参加したが、テレビに映ったりネットニュースの写真に載りそうなものは避けたし、万が一に備えて現地で変装した。
そこまでしなければならないのか?と思うかもしれないが、本来望ましい生き方に従った行動ではないという自覚があった以上、これが正しかったと思う。「噂になるかもしれない」という心理からの抑止力があることで、一線を越えないというのもひとつの生き方だ。
ちなみに、その中で出会った同じ趣味の生活環境は同じような境遇にあった1人は、参加したイベントが地上波のテレビにて全国に流された結果、家族や親戚・友人・近所の人にバレて散々な目にあったらしいが、それも致し方ないと思う。もともと、色モノ扱いされるような趣味だしな。
時は流れ、ヲタ活のTwitterアカウントで近況を報告の上、その趣味から離れた今があるが、その界隈で完全に俺のことが忘れ去られているとしたら、それはそれで寂しい。ネット上の公の場ではもちろん言わないだろうが、せめてイベントの場では(コロナの影響でやってないだろうという点は無視する)、俺のことをうろ覚えでもいいから、噂にしてるくらいであってほしいものだ。
そう考えると、そのヲタ活の界隈にも、俺は一種のムラ社会を求めてたんだろうな。
そして、監視や同調圧力のおかげで、ヲタ活に一定の線を引き、あるべき生き方に戻れたと思っている。
個人を尊重といっても、好き勝手できる世の中が正しいとは思わないよ。
ただ、それを最優先にして顰蹙を買うような生き方はするべきじゃないと思ってるだけ。
あと、俺がはまってた趣味というのは都会であっても例えば職場でバレると恥ずかしいというか、変人認定されそうなものだからという理由もある(が、その界隈で知り合った東京の人がバレる心配をしてないあたり、それで居心地が悪くなったら別の場所があるって考えてるのかな?よくわからん)。
ピストル持ってて変装して敵国敵組織に潜入して銃撃戦するようなのはいません
しかし
・表向きは外国で大使館職員しながら任地の新聞記事を大量に集める人
・表向きは外国で商社員をしながら私的人脈で集めた話を大使館員にたれ込む人
・バイトで政府機関の下請けをしながらハッキングで情報を集める人
向こうには「社交界」というものがあるので、セレブの集まりに参加して
それとなく王侯貴族の裏事情とかを聞き出すのがスパイの仕事だったわけで
つまり軍人がやる武闘系の仕事ではなくコミュ力重視なデスクワーク系の仕事だったのです
実際、CIAの前身になったOSSの創設者ウィリアム・ドノバンなんて
とにかく
日本では明治期以降、後付けで欧米の諜報活動の外形の真似事だけ取り入れたから
ある鏡の中は日曜日、ブックオフ巡りで遅くなってしまい、終電近い電車に乗った日のこと。
吊り革に捕まっていると大きな揺れが。
そのはずみで読んでいたミステリのネタバレをつい座席に座っていたおばさんに言ってしまった。
そのおばさんはしばらくこちらの顔を見たあと深呼吸して、「殺戮にいたるやっマーイ!全然ヴァン・ダインじゃないですよ!」ととびきり大きな声を上げた。
その時のおばさんの目といい、法月といい、今思い出してもさむけが走る。
僕は恐怖の中で折原一度、「犯人はシェパード医師でした」と謝った。
でもおばさんは恐ろしいMediumでこちらを睨みつけたまま何も言わない。
模倣の殺意によって少しだけ恐怖心が和らいだ僕は疑問を感じ始めた。
そしてその疑問をおばさんにぶつけてみた。
「カヴァン・ダインをネタバレしたのは申し訳ありませんが、僕それほど怒られることをしました?」
おばさんはまた何も言わなかった。
痺れを切らした僕はもう一度イニシエーション・ラブ。
「僕それほど怒られることをしました?あ?」
おばさんは黙って下を向いた。
必死こいて若作りした格好、驚天動地の雰囲気、神のロジック人のマジック・・・
こんなに遅い時間まで変装トリックを駆使した殺人でもやっていたんだろうか。
こんなミステリィおばさんが社会の底辺で蠢いていてちょっとでもネタにバラした人間に噛み付くんだと思うと嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんを感じた。
そんなことを考えながらアヒルと鴨のコインロッカーを眺めていた。
10分位で僕のある閉ざされた雪の山荘に到着すると僕はおばさんの方を見ながら電車の扉を出たが、おばさんは下を向いたままだった。
ホームから電車の窓越しに下を向いているおばさんの後頭部が見えた。
「俺はリーダーのフル・バック大佐。通称ハンニバル。奇襲戦法と変装の名人。俺のような布面積でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん!」
「俺はブラジリアン・ペック。通称フェイスマン。自慢のルックスに女はみんなイチコロさ。ハッタリかまして、ブラジャーからパンティーまで、何でもそろえてみせるぜ。」
「P・T・バラカス、通称コング。メカの天才だ。大統領でも被せてみせらあ!でも、ブリーフだけは勘弁な!」
「よぉ、お待ちどう!俺様こそティーバック。通称クレイジーモンキー。パイロットとしての腕は天下一品!奇人?変人?だから何??」
俺達は、道理の通らぬ世の中に敢えて挑戦する、頼りになる神出鬼没の、「パンティー野郎Pチーム」!
パンティーを借りたい時は、いつでも言ってくれ!
ある時、森之助の伯父で、先年村上家を出奔して武田家に仕えていた、相木市兵衛という者が塩尻峠を通りかかった。
市兵衛はその山奥で、鹿の背に乗せられ、猿たちに取り囲まれた赤ん坊を見つけた。
不思議に思った市兵衛は赤ん坊を拾って帰り、山の中で鹿に乗っていた子供ということで「山中鹿之介」と名付けた。
その赤ん坊こそ、長坂・跡部の追手と戦ううちに更科姫とはぐれてしまった、彼女の息子であった。
その更科姫は、はぐれた息子を探すうちに山賊の砦に迷いこんでしまい、彼らを打ち倒して親分の座に収まっていた。
しかも、その山賊の一味だった烏勘左衛門という者が、実は武田家と対立する上杉謙信の家臣・蓑田五郎であった。
二人は協力して馬場美濃守を討たんと、手下を商人に変装させて甲府へと送り込んだ。
ところが手下は早々に馬場美濃守に捕まり、一部始終を白状させられてしまった。
馬場美濃守は思案して、私の心底はこの中身を見れば分かると言って、その手下に「長持」を持たせて帰した。
手下から長持を受け取った更科姫がそれを開けてみると、その中から現れたのは死んだはずの森之助であった。
更科姫は、森之助との再会に驚くやら喜ぶやら。
実は、密かに馬場美濃守に助けられていた森之助は、それから馬場美濃守の影武者として活躍していたのだった。
このときすでに村上家は滅び、村上義清は越後へ逃れて、上杉謙信の家臣となっていた。
このまま武田に与して上杉と戦うつもりもなし、世を捨てて閑居しようと語り合い、
上杉と戦う必要はないので、北条今川の押さえとなる諏訪ヶ原城を守ってくれないか、
と頼まれてしまい、恩人の言うことでもあるので、やむなくそれを引き受けた。
恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。
みっともない、正しくないものです。
たとえば「相手が幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは
ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。
それが恋愛です。
具体的に何が言いたいのかといえば
『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。
道徳的です。
姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。
長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、
こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?
そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情を自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。
5等分で言ったら、
途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さらし状態で
自分でもディスアドバンテージを自覚しながらそれでもがんばるという人とか、
姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに
ちょこちょことせこい贈り物作戦で好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり
途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、
そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。
あの勝者の子は何ですか。
見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。
誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。
ライバルの姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。
こんな子に勝たせちゃダメでしょ。
男の方も不見識です。
ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。
なんてつまらない男でしょう!
ストーカーやヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと…多様性がないと思わんかね
あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりしちゃう
ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ
それらはそういうジャンル、キャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね
ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、
そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ
というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型で説明してしまうような創作はあんまり程度高くないと思いますよ
そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ
あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい
イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない
ジョバーと化して小学生や大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・
kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。
2020/02/18
誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。
「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。
上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。
大丈夫なのかこの人。
「お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄である。フィクションは現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。
こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間のルールになるべきとは思いません
ただ自分の趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分の趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう
これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です
学園ラブコメで言ったらライバルをいじめの対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。
また、ジュビロはそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います。
一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、
「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。
設定的にはその通りなんですが
ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと
マリーを例にすると特定のキャラへの思い入れで言ってると思われそうなので
まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公にガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。
その問題は原因が3つあると思っていて
1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線
3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足
ですが、
そういう意味では2が本当の敵かなと。
ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。
どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。
あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね
恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手の好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。
恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分に恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性を結構生み出したのではないかと思っています
ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つのは恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ
伝説の藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人
恋愛工学創始者並みに恋愛をシニカルに嫌悪しながら見てたのではと思う
お前の攻撃には執念が足りんぞ
あの概念凄く好きです
昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね
お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界
その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが
読んでみます。
いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。
あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。
書き換える前のコメントの方が良かったな。
完全にストーカーの理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど
この人達は「ノーマルな恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います。
ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います。
確か宇宙人の妹がハーレム志向を提唱しだしていたとおもいますが
一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。
そういう風に終わったのかは知らんけど。
五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。
「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?
あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。
あなたも私の話をよく読んでください。
増田は根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。
そうでもないです。
少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます。
「ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別な地位に甘んじて舐めプしてた主人公がノーマークの地味喪女にBSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ。
あれの作者は主人公もイケメンも偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね
アマゾンレビューで主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔がマジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました
ただし逆転で捨てられた地味子がベタなメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど
主人公とイケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね
同作者の次の漫画がまた主人公も友達もイケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました
あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。
ただあの子は最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。
そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています。
スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、
ハリーが女生徒だったりスネイプ先生が女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。
そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。
あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。
潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら
え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???
これの続きです。
本題の前に、お便りをいただいたので紹介します。
id:goldhead "女性が増殖したり変形したりしている"というと、おれは昨日見たばかりだけどこんなのはどうだろうか>https://youtu.be/76sNmqMzUuI
いや、すごいですねこれ。これだけで今までの話全部説明できちゃいそうですね。10秒に1回は止めたくなりますね。お恥ずかしながら探求不足でした。ありがとう!!
これなんて刺さるんじゃないだろうか。
これ良いですね。歌いながら立ち位置とかタイミング合わせるのすごい大変だったろうなとか、YUKIさん何回やり直ししたんだろうなと考えてしまいます(それとも顔だけハメてるのかな?)。ありがとう!!
寄生獣は漫画は読んだんだけど、実写映画は見てないんだ。見たら気に入る場面もありそうなんだけど、生粋のグロ苦手人間なので、特殊効果も血を伴うのはどちらかというとアウトなんです。「頭の中はカラッポだよ〜ん」という場面が実写になったらいいなと思ったんだけどあれ実写化できたんでしょうか。GAROは申し訳ない知らない。(参考)https://imgur.com/a/Jqep24v
どうでもいいが、こういろんな性癖のジャンルの話をしてると、複数のパラサイトに寄生された三木みたいな気分になる。俺はできればミギーでありたい。だってミギーかわいいし。
話が逸れたね。では本題に参ります。
以前の記事でメカバレが好きなのではないかというコメントもあった。やっぱり分かる方には精神が通ずるところがあるんだなと思う。図星です。
知らない方のために説明すると、人間のように見える人物が、メンテナンスや損傷を受けるなどして機械が露出しメカだとわかるってジャンルだ。ジャンルの特性上、特殊効果はほぼ必須になるので俺のツボにハマることが多い。
1で、トータルリコールで顔の割れるおばさんという究極のような例を出してしまったのだが、もう少しマイルドな例を挙げていこう。
きれいな女性の顔の皮が部品同様に扱われ、その後に抜け殻のように女性が残されているところになんともいえない情感がある。
説明不要とは思うが、A.I.は監督がスピルバーグなだけあってCGの使い方が非常に良い。秘書ロボットの目の輝きのなさがまた良いのだが、特に乳母ロボットは最後に酸を浴びせられてとてもかわいそうなことになってしまうのだが、終始まばたきをせずにロボットになりきって頑張っていて素晴らしい演技だった。生身の人間をわざわざ非現実的な存在に仕立て上げるところに魅力を感じる。
最近見たのではこれがとても良かった。
これも普通の人間の女優さんが演じているのだが、メカらしさを出すためにわざわざカクカクさせるような、人間らしさを消す映像技術を施しているらしい。本物のメカとか、フルCGでメカが出てくるとああメカだねと納得してしまうが、生身の人間がメカにされているその違和感というのか、これはメカ?人間?と思わず迷うようなそのアンバランスさが良い。
メカバレとは違うけどこういうのもある。
なんかだんだん懐かしCMプレイバックみたいな気分になってくるが、モー娘のメンバーが着ぐるみとして扱われてしまっているところになんともいえない風情がある。
宇宙人が変装と言えば、これはマーズアタック!という有名な映画だけど、火星人が美女に変装してて、皮を脱ぎ捨てるシーン。火星人の巨大な頭を通ることで皮が横に広がってしまい、粗末に脱ぎ捨てられてしまう散々な扱われ方がなんというか刺さる。これの前段階として、美女のマスクが一部剥がれてしまうシーンがあるのだが、それも含め異世界人ぶりが溢れてて素晴らしい。
お前は作り物のマスクに興奮してるんだぜってのは言わないで。フィルムに収められた時点でその世界は作り物じゃなく本物になるんだ。
監督のティム・バートンは自分の奥さんにこんなことやらせるんだから変態だよね(しばらくして別れるけど)(どうでもいい)。
うん、ごめん。終われなかったよ。銀魂じゃないけど、たぶん次で終わるよ。
ここ数年、ブラック校則が話題になっているが毎日新聞の記事に『中学校でどのような校則があったか』の年代別グラフがある。
こちらのグラフでは特に『帰宅途中の買い食い』『スカートの長さ』などの校則について、今(正確には2018年)の20台~30台で一度は緩和されたことが見て取れる。
つまり、毎日新聞の記事にあるような『昔より今が厳しく』という一直線の構図ではなく、昭和から平成へと移った1990年頃に“管理教育”への批判とそれに後押しされた校則を巡る人権救済案件や裁判があり、
その影響で1990年代後半~2010年頃には校則の緩和が行われていて、その揺り戻しが最近になって再び出てきているというのが正しい実態なのではないか。
そして、ちょうどその頃の『1990年版ブラック校則』をめぐる案件に関わった話をたまたま本で読んだので書いてみよう。
ちなみにその本とは、伊藤芳朗(弁護士)著・『ボクが弁護士になった理由』という本だ。
著者は「この事件と前後して綾瀬女子高生コンクリート詰め殺害事件があった」と書いているから時期はだいたい想像できる。内容については少し長くなるが以下に引用する。
この事件は、当時問題になっていた管理教育の最たるものでした。まず、登下校時には、100メートル置きに教師が立って服装、髪型、歩き方などをチェックする。もちろん決められたルート以外の道を通るのは許されない。
山手線の駅に近いため、駅には教師が変装してスパイ活動をしている。髪型は三種類に決められており、おかっぱ頭可、中くらいか、長いかだけ。中くらいの時は黒のゴムで2つに縛らなければならず、長い髪は三つ編みにしなければならない。
もちろんワンレンとかポニーテールは不可。パーマや毛染め、脱色はもってのほか(即退学)。しかも、三種類の髪型を変える時は教師の許可が必要。
また、下着の色が決められていて、肌色か白でないとダメ。ピンクは不可。そのため、全校一斉の抜き打ち検査が度々あり、全校生徒が体育館に集められ、男性教師が並ぶなか、一人ひとり服をめくられてチェックされる。
もし決まった色の下着を着ていなかったり、夏の暑い時にスリップを着用していなかったりすると、壇上に上げられて教師たちから「この子たちは娼婦です」と罵倒され、笑いものにされる。(中略)
体罰は横行し、女生徒も平気で教師から下腹を膝蹴りされる。顔を殴るのは当たり前。言葉による暴力も凄まじい。(上掲書。p.224-226)
平成の初めの時期ですらこのような管理教育があったという。このケースでは、中退した元生徒を申立人として弁護士会に人権救済を申し立て、最終的には校則・制服の全面改訂で妥結したそうである。
前者のパーマ事件があり、報道されたことを受けて別の生徒が『自分もこのような理不尽な退学処分を受けた』と訴えてきたのが後者であり、著者が主に関わったのは後者であったらしい。
男子生徒はS高校在学中にバイクに興味を持ち、免許を取得してときどきバイクに乗っていました。その後、先輩が事故死したことをきっかけに男子生徒はバイクに乗るのを止め、自主的にバイクの免許証を担任に預けていたのですが、元来メカいじりが好きな男子生徒は他人のバイクの修理などを自宅で行っていました。そのような経緯から男子生徒は今でもバイクに乗っているのではないかという疑惑が持たれ、免許証を預けていたなどの態度も一切考慮されず、弁解をする機会も与えられないまま退学願いを出すよう強要され、これを断ると退学処分を行ってきたというものです。(上掲書。p.241-242)
最近は見直されつつあるというバイク関係、いわゆる「3ない運動」を厳しく実施することに関する事件だったのだろう。そして
最初は学校側と復学交渉しましたが、あまりに学校側の弁護士(元検察官)の態度が悪いので(元生徒)本人が怒りだし、ボクたちも頭に来たので、たぶん全国でも初めてだったと思いますが、裁判所に申し立てて、学校に残っていた職員会議録や元生徒の生徒指導要録を証拠保全(裁判が始まる前に相手方が持っている重要な証拠を押さえてしまうこと。医療過誤訴訟でカルテの書き換えを防止するため行うことが多い)したのです。(中略)これも全国初だと思いますが、校則を正面から争った裁判で、生徒側が勝訴したのです。
という結果となった。
ボンタンというのは幅広ズボンのことだが、制服を改造したりするのが流行っていた時期だったのかその辺の影響はわからない。
とにもかくにも、男子生徒が校則違反のボンタンを履いて登校したところ学校からブロックアウトされ授業を受けられないという事例が埼玉県と千葉県で同時期にあったという。
学校側の理屈は、「授業を受けさせないと言った覚えはない。校門のところで『履き替えてきなさい』と指導したら家に帰ってしまっただけだ」というもので、まったくお話になりませんでした。
しかも、論争していると、驚いたことに両校とも言うことは全く同じで、「それじゃあ弁護士さんたちは女生徒がトップレスで登校してもよいと仰るんですか?」もうこれには言葉もありませんでした。ホントはこいつら女生徒のトップレスが見たいんじゃないか、と思わせるほど同じ言い方だったのには呆れるばかりでした。(上掲書。p.244-246)
1つは、『ブラック校則は場合によっては弁護士会の介入や裁判を招く』ことを多くの人に伝えたいと考えたから。
もう1つは、これらの事件に関して同書に興味深い記述があるから。その興味深い記述とは以下のようなものだ。
ある体罰教師は言いました。「ボクも、本当にこんなに暴力を振るっててよいのかと自問したことは何度もあります。でも、周囲が同じようにやっていて、自分も今まで体罰を繰り返していたのに、急に体罰をやめると、自分としてもやるべきことをサボっているという錯覚に陥り、やめることができなかったのです」(中略)
さらに、校長先生のお話はもっとも印象的でした。「私は、実は何度も管理教育を見直そうと悩んだんです。でも、もしウチが突然管理教育を止めたら、生徒は一時的にも荒れるでしょう。そうすると必ず親の方から、『なぜもっと厳しく躾けてくれない』とか、『学校が甘いからウチの子がだらしなくなった』とか、必ず学校が責められるんです。でも、今回は弁護士会という外圧がかかった。だから、親からクレームがついても、『弁護士会から圧力がかかったから、仕方がないから校則を緩めたんです。文句があるなら弁護士会に言ってくれ』って言えるでしょう。助かりました」
結局、管理教育をやる側の教師たちも、何も悩んでいない訳ではないのです。むしろ、内実を知らず、やみくもに厳しくすることだけを望む親との間で苦しんでいる姿がそこにはあるのです。
埼玉の方の学校は、帰りがけに教頭先生がポツリと、「実は私つい最近までアメリカに研究留学していましてね、本当はこんな服装のチェックばかりやらされて『アホらしい』と思っているんですよ」と仰るのです。
結局のところ、『無意味だから止めろ』というのは簡単だ。だが、実際には『管理を強化』が必ずしも安全の向上には繋がっていないとしても、『安全のため』を錦の御旗にされるとなかなか反対できない。
あるいは本当に止めようとなると始めた人の責任問題になったり、互いの空気の読み合いになったりする。だからなかなか止められない。学校に限らず、企業や役所や非営利団体でもありがちな話だ。
「名探偵コナン」を読むのやめた。数年前の話だ。
https://anond.hatelabo.jp/20191120185410
↑この増田とそれについたコメントを見ていたら色々思い出したので、今さらその理由について語ろうと思う。
なぜ読むのをやめたのか、一言で説明すると「主人公が遺体損壊をしたから」。漫画だから別に良くない。目くじら立てすぎ。漫画と現実を混同するなよ。分かってる分かってる。長くなりそうだけど、まぁ聞いて欲しい。
まず、コナンの行った遺体損壊について軽く説明する。簡単に言うと「自殺したおじさんの遺体を運んで、車ごと燃やした」。なぜかというと、黒の組織に命を狙われていたFBIのおじさんの死亡偽装をするため。
「自殺したおじさん」は、「FBIのおじさん」だということにされたのだ。他ならぬコナンの手によって。コナンは組織の人間に偽装トリックがバレてしまわないように、人相が分からなくなるほどおじさんを真っ黒こげに燃やしたのだ。(一応つけ足しておくがコナンは実行犯ではなく、計画しただけだ。それもどうかと思うけど。)
探偵モノあるあるだと思うんだけど、基本的にコナンは「事件解決のためなら何しても無罪(殺人は除く)」の世界観だ。当然そう明言されているわけではない。ただ、人の家に勝手に入り込んでも、個人情報を漏洩しても、スケボーで道路を爆走しても捕まらない。なぜなら事件解決のためだから。(原作だとほとんどスケボーの出番はないんだけどね。)それは別にいいんだ。漫画だし。話の都合だし。
「じゃあ遺体損壊も同じでは?」…うん、問題はこれなんだよ。まず、コナンには「推理で犯人を追い詰めて、みすみす自殺させちまう探偵は殺人者と変わらねーよ」という思いがある。詳細は省くが、ある犯人が事件解決後に自殺したという回があるのだ。ちなみに焼身自殺。コナンはこの一件を深く反省しており、上記の教訓が生まれたのだ。…え?真っ黒焦げに燃やされたおじさんは?自分が追い込まなければ死んだ後いくら利用してもOKってこと?
「コナンの世界には遺体損壊罪がないんじゃないの?漫画だし。」…あのね、あります。このおじさんトリックが判明した後の回で、普通に遺体損壊犯が捕まるんだよ。(この回の犯人は自殺を殺人に偽装した。流石に黒焦げにはしていない。)しかもいつもの通りコナンが推理して、トリックと犯人が判明して、警察に連れて行かれる。警察の皆さんいつもお疲れ様です。…え?犯人はあなたですとか言ってる場合か?コナン君も同じ事したよね?というかもっと悪質だったよね?ちなみにこの回、例のFBIのおじさん(変装中)も現場に居合わせて、素知らぬ顔して推理している。なんなんだい、あんた達は。
今まで「おかしいものはおかしい」と指摘していたはずの主人公が、いつの間にか罪を犯して、でも「自分は正義だ」という顔して事件を解いている。とっても歪。この遺体損壊の話を聞いて怒ったり責めたりする人は誰1人として物語に出てこないしね。本当はおかしいのに、読者もキャラクターも皆見ないふりをしている。臭い物には蓋。遺体損壊の話は読まなかったふりをして今日も謎解きをするコナン君を見る。
今となっては、興味がある年の映画だけを観て楽しんでいる。