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はてなキーワード: ドノバンとは

2020-07-08

anond:20200708192359

ピストル持ってて変装して敵国敵組織に潜入して銃撃戦するようなのはいません

しか

・表向きは外国大使館職員しながら任地の新聞記事を大量に集める人

・表向きは外国商社員をしながら私的人脈で集めた話を大使館員にたれ込む人

バイト政府機関下請けをしながらハッキング情報を集める人

などのデスクワーク系諜報職業従事はいます

あと、日本では明治から戦前までスパイという語句

軍事探偵

などと訳されていたものから、とかく諜報員戦闘的で

派手なアクションをするという認識が広く流布されています

ヨーロッパにおいては中世以来、諜報は「外交官」の仕事でした

向こうには「社交界」というものがあるので、セレブの集まりに参加して

それとなく王侯貴族の裏事情とかを聞き出すのがスパイ仕事だったわけで

まり軍人がやる武闘系の仕事ではなくコミュ力重視なデスクワーク系の仕事だったのです

実際、CIA前身になったOSS創設者ウィリアムドノバンなんて

海外上流階級に顔が利くスーパーセレブだったわけで

KGBみたいな共産圏諜報員警察組織じゃないかって?

あれは皇帝直属の官僚組織から発達したパターン

とにかく

日本では明治期以降、後付けで欧米諜報活動の外形の真似事だけ取り入れたか

スパイ本来セレブ仕事とか、デスクワーク系の仕事という認識が乏しい

まあ、実際に戦前中野学校とか上海特務機関かに比べれば

現代内閣情報調査室なんてただのデスクワーク官僚だろうけど

2018-06-16

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10389.php

しか記事中に出てくるダンドノバンもボブ・グッドラッテもそうなんだけど

アメリカでこの手の規制を叫んでるのって大抵共和党宗教保守LGBT権利かにバリバリ反対の立場なんだけど

はてなリベラルの皆さんはニーメラないでいいんですかねえ

2016-09-07

[]ドノバン珊瑚礁

シナリオ教科書に失敗作の例として載せるべきなくらい支離滅裂な話だった。

 

戦後日本軍と戦った南の島にそのまま住み着いた医師ディダムの元を、故郷ボストンからアメリアが尋ねて来る。ディダム実家海運業の株が相続されることになったのだが、彼がもし現地で家族などを作っていると「ボストンの慣習に照らして」道徳的問題があるため、遺言状の条件により相続資格を失う。それを暴いて相続権を取り上げるのが目的である。娘が来ると聞いたディダムの仲間は、彼の家族を隠そうとする…。

 

というと、まるで相続権を争って秘密を守り通す紆余曲折という話になりそうなあらすじだが、違う。まずもって、ディダムの仲間たちは相続の話は最後まで知らない。ディダムが回診で近隣の島へ出掛けているうちに、なんとなく「娘には新しい家族とか隠しとかなきゃいけないよね」で隠すのである。ディダムは島に帰って早々、娘に直接「株とかそういうの要らないし」と、自分いかにこの島が好きかを語る。この時点でメインプロットは終わったも同然だが、何故かその後も惰性でディダム医師の3人の現地子(娘ふたり息子ひとり)の存在は隠されたままになる。

 

そもそも島の仲間は株のことなど何も知らないのだから相続権を巡って必死秘密を守る話にはならない。代わりに、ディダムの子供たちの偽の父親役を引き受けたドノバン珊瑚礁(店名)店主ドノバンとディダムの娘アメリアロマンスが途中から話の中心になる。相続の話は知らないくせにアメリア資産があることは「調べ」ただけで突き止めたフランス人総督微妙ちょっかいを出してきたりもする。

 

しかしこれもよく見ると変な展開であるドノバンはディダムの子供たちを隠すために父親役をやりながら、何故かアメリアの案内役のようなものも同時に務める。他に人材がないなら仕方ないが、隠すなら極力近づかないようにする方が良いのは当然である。このせいで、ディダムの子供たちと交流を深めたアメリアが、子供たちをディダムの家(つまり子供たちの家)のパーティーに招待したりして、変な感じになったりする。

 

結局のところ、この映画においては全ての出来事ドノバンアメリア交流を無理矢理作り出すためのヘタクソなお膳立てなのであるアメリアが島に来るために相続の設定をつくり、アメリアドノバンに惚れるために、ドノバンがディダムの子供たち相手に「良い父親」を演じる状況を作り出す。

 

あげく、アメリアは島のそこここで見た「マヌラーニ(姫?)」の名前から、これが子供たちの母親であり自分の父の妻である事を勝手推理し、そもそも相続問題もなければアメリアに新しい家族に対する抵抗もなかったので、そのまま家族和解し、本当は独身とわかったドノバンプロポーズされて終わる。(この「マヌラーニ」の名前も、父親たちと一緒に戦った記念碑名前がある、父親病院マヌラー病院となっている、マヌラーニの墓を教会で見かけた、だけで父親プライベート手紙名前があったとかですらないので、よく当たり前に推理したもんだと感服せざるをえない。)

 

こんな「父親現地妻がいたらすわ大問題、かと思ったらそんなことはなかったぜ」的尻切れとんぼな話が、脈絡のない乱闘シーンや、おっさんたちの「俺たちはよゥ…ここで戦ったんだよゥ…」という郷愁ポリネシア?のエキゾチック儀式とむりやりシャッフルされて映像化されたのがこの映画なのである

 

長々書いたが、実際この映画のめちゃくちゃさを実感するためには、見た人の大半がストーリーを間違って理解している、という事実を指摘するだけで十分なのかも知れない。ともあれ、何がしたいのか理解するのに苦労する映画だった。

 

南の島の風景はよかった。

 
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