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はてなキーワード: 青春とは

2020-03-19

anond:20200319162845

バナナの涙とかもよくないと思う

バナナ状の物体しずく状の液体!エロか!エロだな!と思わせて歌いやす青春

2020-03-14

IDINVADEDのキャラクタから舞城小説無理やり紹介

(多少ネタバレ含みつつ紹介します。内容の記憶違いもあるかも)


カエルちゃん

既にあらゆるブログ言及されているように舞城小説の中に「殺され続ける女の子」のモチーフは多い。

普通高校生達と、ほぼ木記ちゃんみたいな女の子が主役の短編ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート』はその筆頭だが、

似た設定の『添木添太郎』がやばい

誰も死なない少年少女青春もの小学生の子供達の話よ!?)ぽい体裁で、良くまああんなに落ち込むラストにするな。

苦しく後味が悪く恐ろしく、超面白い。(短編集『キミトピア』に収録されてるよ!)

やはり似た話の連作『淵の王』の3編目、中村悟堂くんの話には突然「ロミオメール」というワードが出てきて流石に笑った。


酒井戸(名探偵

まさに初期のメフィスト舞城の基本主人公

トラバの指摘通り、舞城ミステリは全くロジカルではなく、メタかつ重複する世界の中でひたすらカオスに陥って行くものが多い。

長編ディスコ探偵水曜日』も良いが、

九十九十九』が傑作すぎる。

イドより何倍もカオスメタメタそもそも作家清涼院流水小説内のキャラクタを使ったトリビュート作だし)で大爆笑カレーでとにかくぶっ飛んでいるけどラストは泣けたり。イド10好きな人にぜひ。(長いし重い)

カオスさは低めでさらっと読めるのは名探偵ルンババの出てくる『世界密室で出来ている』。

自分が何者かわからない名探偵主人公、『獣の樹』はヒロインが駄目で好き。


・鳴瓢(および殺人鬼

昔の講談社ミステリ枠を読めば大体酒井戸(や聖井戸)みたいな主人公だが、少ないけどもちろん鳴瓢みたいなのもいる。

SFでもミステリでも無くて、普通暴力と性行為と性暴力の出てくる純文学短編

『鼻クソご飯』がまさにこれ(鳴瓢主人公

で、同時に(IDINVADEDの)「殺人鬼」の存在行為についても結構語っていると思う。

イド2話の富久田のつぶやきみたいな台詞は完全にこの話を思い出しましたね。

「人それぞれのイド(殺意世界)=人それぞれの鼻クソご飯である

短編集『イキルキス』に収録されてるよ!)

あと、短編集(短編集ばかりです舞城)『短編五芒星』の中の『バーベル・ザ・バーバリアン』の主人公刑事で、色々あって病んで荒んでかなり鳴瓢的な感じにいくのだが、最後に語る「俺の心が冷えたきっかけ」が意外なところにあり、かつピュアメッセージとなっていてしみじみ良い。


富久

富久田のようなデフォルメされたアクの強いキャラ、いそうでいなかった気がする…

が、頭の穴というモチーフはもちろん、超名作『好き好き大好き超愛してる』収録の『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』ですね。(文庫の好き好き大好きには収録されていないらしい…)

穴あきボーイとユニコーン娘が出会ったらまあそうなるよね、というカオス青春SF

(やはり富久田のキャラクタ全然関係ない)

あと、強迫神経症(何かに取り憑かれる)みたいな部分が出てくるのは『短編五芒星』の

『美しい馬の地』これも全然SFでもミステリでもないのだけどかなり奇妙で、でもやっぱり優しさ溢れる良い話ですね。

(やはり富久田のキャラクタ関係ない)




anond:20200313201459

2020-03-12

青春の日々を過ごしたかった。

学生時代、多くの友に恵まれたかった。

学生時代、たくさん恋愛たかった。

学生時代、大きな夢を持ちたかった。

どうしてもコミュニケーションがうまくいかない。

どこへ行っても孤立する。

何が悪いのかが分からない。

俺が悪いのかが分からない。

どうすれば良かったのだろう...

2020-03-11

anond:20200310073258

結婚相談所結婚した20代女です。

夫は5歳以上年上、彼女いない歴=年齢の素人童貞だった。増田と同じですね。

自分恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない

結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれない

そのとおりで、恋愛対象として魅力的かどうかと、結婚相手として魅力的かどうかは、けっこう違う。

>もともと自分結婚願望が強く、子供も欲しい。

なおさら結婚相談所おすすめ

結婚は甘酸っぱくはないかもしれないけど、

手をつないで散歩に行ったり寄り添って喋りながら寝落ちとかはある。

あと、結婚してから

青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ元カノという言葉を聞くだけで、複数相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。

こういう気持ちにならなくなった。

別にあの時恋愛しておく必要性もなかったな、と過去を受け入れられるようになった。

恋だけが青春じゃないし。

なんだかんだと自分のことだけ書いたけど、夫は増田より消極的タイプだったので

行動的な増田はたぶん大丈夫

良縁に恵まれますように。

2020-03-10

すみませんとあやまられたって、

相手青春かえるわkじゃあるまいに

いらんだろその謝罪

素人童貞の32歳が彼女を作ろうとマッチングアプリを使ってみた結果

スペック

執筆動機

結論から述べると、マッチングアプリでは彼女を作ることはできなかった。

けれども、2年間の経験から何も学ばなかったわけではない。そのことを再確認し、次のステップに進むために本記事を書く。自分を振り返り、失敗した点を反省しながら、絶望したり自棄を起こしたりしないように、時折この記事を振り返ることとしたい。

また、これからマッチングアプリを使う人にとって、参考になることがあればうれしい。確かに女性交際にまでは至らなかったが、全然マッチングしなくて困っている人には、役に立つかもしれない。

使用したアプリ

pairsとwithを使用。それぞれの仕組みは基本的に同じ。検索条件で異性を絞り込み、気になる相手に「いいね!」を押す。互いに「いいね!」を押すとチャットができるようになる。どちらも、毎日ランダム無料で「いいね!」を押せる相手が出てくる。

プランはどちらもプレミアム的なもの選択。これだと通常1か月に付与される「いいね!」が30回から50回に増える。

この二つのアプリ仕様はよく似ている。どちらもコミュニティに入ることで共通趣味や興味関心で検索ができる。ただし、withのほうがおおよそ2週間に1度DaiGoによる心理テストがある。そして、このテストにより相性がいいとされた異性は「いいね!」を1日に10人までなら無料で押すことができる。適度に「いいね!」を押す相手が入れ替わるし、無料で選べる相手が増えるのはありがたいが、心理テストのたびにDaiGoドヤ顔を毎回見ることになる。

アプリのもの使用

pairsを半年、しばらく休んでwithを1年半使ってみた。結果、どちらが特に使いやすいということはなかった。しかし、どちらも毎日ログインすることにより無料で「いいね!」に交換できるポイントがたまっていく。普通に使っていれば毎日ログインボーナスがもらえるのでありがたいのだが、まるでアプリこちらの行動を支配というか指示されている気がするのはいただけない。ソシャゲの類をやらないので、そうしたことが煩わしく思えてしまう。

使い勝手のものはいいのだが、こうやって様々な条件の女性が並んでいるのは、カタログみたいで興ざめというか殺伐とした気持ちになる。それに、相手女性が何人からいいね!」されているかも表示されるので、野菜か何かの品評会みたいだ。18歳のビキニ女性に3000近くものいいね!」がついているのを見るとやりきれない思いがする。谷間を見せたりしているだけでも露骨に「いいね!」がついているのも、あまり気持ちのいいものではない。自分おっぱい大好きだけどさ。

逆に、「いいね!」をたくさんもらっている男性プロフィールも参考にすることができるのだけれど、僕の苦手なさわやかな人間写真が出てきたので、即閉じた。

具体的な戦略

プロフィールはできるだけ詳細に書いた。それから、友人と楽しそうにしているところをサブ写真に選んだ。コミュニティはできるだけたくさん入った。自分読書が好きなのだが、読書コミュニティだけではなく、作家ごとのコミュニティにも入った。こうすることで、共通話題の多い女性を探しやすくなった。

こちからいいね!」を押すのは、大体20から40くらいの「いいね!」が押されている相手を中心にした。何百もの相手からいいね!」をされている相手からすれば、当然埋もれてしまうからだ。弾の無駄打ちはしたくなかった。確かにお金を払えば「いいね!」する回数を増やせるが、すでにプレミアムプランを使っていたので、その必要はないだろうと判断した。それに後述するが、自分は同時進行が苦手だ。

相手女性は、自分と同じ内向的読書家で、美術館が好きそうな人を中心に「いいね!」していったが、もしかしたら意外と相性がいいかもしれないと思い、例えば国内旅行登山好きな人も選んでみた。ガチ勢ではないが、友人と富士山に登ったことはあるので、新しい趣味として開拓してもいいかもしれない、と考えたのだ。結局そういう相手とは会話が続かなかったけれど。

結婚歴は未婚を選んだ。もしかしたら、離婚歴のある人のほうが優しくしてくれるかな、とも思ったのだけれど、今回はやめておいた。やっぱり過去の人と比べられてしまうのが怖い。御覧の通り、僕は器が小さい。学歴は初めのうちは気にしていなかったが、結果として高卒よりは、大卒専門学校卒のほうが共通話題も多く、話は長く続いた。

メッセージを同時進行するのは気が引けたが、相手もそうしているだろうし、そこは割り切ることにした。ただ、自分の頭の処理能力を考えて、3人までの同時進行とした。どのみち、同時進行でデートに誘うことができたケースは1回だけだった。自分はそこまでモテるわけではないので、そうした心配はしなくてもよかった。

会話をして1~2週間してから実際にデートに誘った。そこで音信不通になるケースもあるので、実際にデートができたのは1か月に1度か2度だ。

デートの雑感

もともと、デートした各相手について項目を立てて論じようかと思って手帳を取り出していたのだが、馬鹿らしくなってやめた。10人以上の相手それぞれについて思い出すのも大変だし、振られた相手なのだから面白くない。それに、細かく書いていくとねちねちした恨み日記になってしまう恐れがあるので、細部は省く。

結果だけ言うと、様々なタイプ女性と会った。たいていは常識的だったが、中には残念ながら失礼な相手もいた。

ひどいケースだと、こちらを一目見るなりムスッと黙り込んで、理由もわからないまま不機嫌な相手水族館を回る羽目になったこともあった。2回目のデートで「ごめんなさい、やっぱりあなたとは恋愛できそうにないです」と告げられたこともある。誠実な人柄を感じたので諦めもついたのだが、その直後に「あなたの顔って、面白いですね」などと言われたのには傷ついた。男性女性に対して敬意を欠いた失礼な態度を取るのが許されないのと同様に、女性男性自尊心大事にしてほしい。

まだマシなケースでは、会話が弾まなかったり、恋愛対象にはならない相手だって互いに気づいてしまったりした。でも、これはどっちも悪くない。需要供給が一致しなかったのだ。

でも、マッチングアプリを使っているうちに、1回で終わるデートが2回目に続くことがぽつぽつと出始めた。

そこで、ある女性と3回目にデートした時に告白した。3週間連続デートできたので、これは間違いなく行けるだろう、と思ったのだ。けれども、彼女は驚いた様子で返事を保留した。僕は待つことにした。そして、7回目のデートの後、8回目のデートリスケジュールの途中で、彼女音信不通になった。

さようならを言う機会さえ与えられなかったのか、と思うと吐きそうだ。悔しい。小説漫画音楽趣味がぴったり合って、普段ならできないディープな話を何時間してもお互いに飽きなかったのに。

そういうこともあり、一緒に見に行った岩井俊二三谷幸喜映画まで嫌いになったし、彼女が好きだと言っていた東京事変の印象も悪くなってしまった。すすめてくれた「子供はわかってあげない」や「北北西に曇と往け」も背表紙が見えないように逆にして本棚に置いている。ついでに、「パラサイト」を見に行こうという話になっていたのだが中止になったので、ポン・ジュノ監督映画はしばらく見たくないし、ついでに是枝裕和監督のことも褒めていたので、当分この監督作品を見ることもないだろう。なんというか、自分の好きだったものまで嫌いになってしまいそうでみじめだ。しばらくすれば、またまっさら気持ちで好きなものを好きだと思えるようになるはずなのだけれど。しばらくは映画を見たいとは思えそうにない。

きちんと「一緒に過ごして楽しかったけれど、あなたとは交際できません。ごめんなさい」の一言があれば、ずっと救われていたのに。その程度の言葉をかけるのも面倒くさかったのか。そこまで軽んじられているのかと思うと情けなくて泣きそうになる。そういえば、本名を教えてくれた時も、男性でいえば鈴木一郎みたいな感じだった。そもそも偽名だったのかもしれない。そういえば遅刻魔だったのも、僕のことなどどうでもいいと思っていたのだろうか。それとも、本当に事故にあったのであろうか。心配でならない。

こういう時に限って、過去恋愛のみじめな失敗を思い出す。例えば、大学時代片思いをしていた女性から童貞馬鹿にされたこととか、前の職場の同僚の女性から面と向かって恋愛感情を見せたわけでもないのにいきなり迷惑だといわれたことだとか、告白したけれどもやっぱり保留にされて、1年以上たってから振られたこととか、とにかくみじめな失敗ばかり浮かんできて仕方がなかった。

そして、残念ながら2年間で1度も手をつなぐことができなかった。

成長した・学んだポイント

  • 自分他愛ない話で笑ってくれる女性がいるとわかった。これだけでも大収穫。
  • デートだけならしてくれる人がいる。
  • 数年ぶりに3回以上デートしてくれる人もいた。
  • 女性を過度に理想化しなくなった。素敵な人もいれば身勝手な人もいる。
  • 1回や2回のデートで振られても気落ちしないようになった。
  • 需要供給が一致しなかったのだと開き直ることを覚えた。
  • 女性から失礼な態度を取られたとしても、その程度のやつだった、と割り切れるようになった。
  • 女性嫌悪に陥りそうになったら、深呼吸するようにした。
  • そして、家族や同僚が優しくしてくれた時のことを思い出すよう心掛けた。
  • 勘違い野郎にはならないで済んだ。
  • 異性から馬鹿にされる、敬意を払われないことはこれほどまでにつらい。
  • 自分がされて嫌だったことを他人にはするなんて、したくない。

近況

現在音信不通、という最悪の結果を受け入れてから2週間ほどだ。正確にはラインの返事が来なくなってから4週間、こちからの催促のメッセージが未読のまま3週間が過ぎた。土日はジョギングをするほかは、家に引きこもって寝ているばかりだ。コロナウイルスのせいで、美術館に気晴らしに行くこともできない。仕事にも集中できない。失恋した直後は同僚のなんということのない口調に激昂しそうになった。その時は1度席を離れて6秒数える、アンガーマネジメントを試みた。しかし、腹の虫がおさまらなかったので、100まで数えることを3度やった。さすがにこれは効果があった。とはいえ、そのあと結局体調を崩して職場を2日間休んだ。

今日も最低限のパフォーマンスは確保しているが、突然襲ってくる虚無感は抑えがたい。手が止まってしまう。それでも、原因がわかっている落ち込みだから対処仕様はある。

いやっほーい、自由だ! これから風俗で未経験プレイたっぷりしんじゃうぞ! うひひ! みたいな気分になることもないではないが、それはちょっと躁状態ときの考えだ。本当は、自分好きな人と手をつないでデートしたり添い寝したりしたいのだ。まるで人生の実績解除みたいに、複数プレイに興じたり、白人美少女と寝たり、メイドさんにお尻ぺんぺんしてもらったりしても、そこまでの喜びはないのだと思う。

今後の展開

自分恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない。そのことを身をもって体感させられた。しかし、それで絶望するつもりはない。結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれないからだ。

もともと自分結婚願望が強く、子供も欲しい。マッチングアプリからの疲れから十分に回復したら、そういう条件で折り合ってくれる人を探してみたく思う。マッチングアプリは単純に素敵な彼氏彼女を見つける場所で、僕に対する需要が少なかった可能性がある。

それに、結婚相談所にはアドバイザーがいる。なんであれ、苦手だったり詳しくなかったりする分野の出来事に立ち向かうには、専門家相談するのがいいはずだ。病気になったら医者にかかる。進路相談には学校や塾の先生相談する。悩んだらカウンセラー相談する。それと同じことだ。

かに自分の生涯にはロマンチック出来事は少ないかもしれない。自分高校大学時代の甘酸っぱい恋愛にあこがれたが、失敗してきた。こういう絵にかいたような青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ元カノという言葉を聞くだけで、複数相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。だが、それでもチャレンジしたことは恥じてはいない。行動せずに文句だけこぼしていたよりは、ずっとましな人生を送ってきたはずだ。

最後

長々と読んでくれてありがとう

つらい失恋の渦中にある人が慰められるといいと考えて執筆した。

そしてこれを読んで一歩踏み出す勇気が出る人がいたら、もっとうれしい。

これは失敗の記録だ。だが無意味ではない。

泣いたっていい。気が済んだらもう一度アタックする。

女性から断られる勇気がまた出てきたら、それは3か月後か半年後かわからないが、またチャレンジしたい。

追記(3/11早朝)

たくさんのコメント、本当にありがとうございます。励みになりました。

ここまでコメントをともらったのが初めてで、すべてにレスポンスはできないのですが、こちらも勇気が出ました。

一言だけ。手を繋げなかったのは、相手がずっとポケットに手を突っ込んでいたからです。

それと、美術館リストを紹介してくださった方。ありがとうございます。参考になります

皆様も、恋愛・友人を問わず、良縁に恵まれますように。

厳しすぎる

https://twitter.com/tokurontinus/status/1236839110037270528

トクロンティヌス

@tokurontinus

何度も言っていることだけど、こんな時だからこそ、自宅待機で出来る新しい勉強に励んだり、見たかったアニメ見たり、そして好きな人に好きな気持ち伝えたりして、青春謳歌していこうな。じゃないと、今年の上手く行かなかったことを新型コロナウイルスのせいにして誤魔化したりすることになるぞ

このツイートは、

という意味解釈したがそれでよろしいか

2020-03-08

anond:20200308161217

岡田あーみん先生の「こいつら100%伝説」読んだら気分が楽になった。

人生をもう少し気楽に生きてもいいかなと、今だけは思えて楽になった。

危脳丸とかみてると、仕事で悩んでふさぎ込んでいるのがバカらしくなってくる。

「はーっはっはっは お笑いさっ とんだ茶番劇

スケコマ人生に賭けたボクの青春はこのフラメンコの奏でる音と共にはじけていくのさ、ききたまえっ君よ!!」

あと発禁さんの回が面白かった。

2020-03-05

くちびるに歌を」が昔に戻りたくなる青春映画だった

GYAO無料配信してたから見たけど、ツンデレガッキー先生が良かった

生徒役の演技もみんな良かった

歌というか音楽ラストクライマックス効果的に使われる映画って絶対に名作になるよな

セッションもそうだけど、君の名は。ある意味そういう作品だし

僕の心のヤバイやつ2巻とも買って読んだよ

例のコラムから興味持って無料で読める部分とか、ツイッターのやつとか、皆の考察ずっと読んでた。

コロナのせいでなんとなくショッピングモール内の本屋行きたくなくてうだうだ無料分だけ読んでウオー!ってなってたんだけど、今日ハロワ失業保険認定に行かないといけなくて、ハロワ内のこもった空気でもうコロナは諦めたのでその足で本屋に行った。

イトーヨーカドー内の本屋は小さくて、横のちゃちい飴とるゲームは少し子供いたのに本屋コーナーには子供寄り付いてなかった…漫画コーナーも小さくて「ネット連載の漫画あるかな…」と少しどんよりした気持ち漫画コーナーにIN!

まず新刊コーナーにシメジシュミレーション発見しかし同時発売の少女終末旅行アンソロ2巻がない!別の日にそっちは買うかって思ってシメジシュミレーション持ったら店員が背後から少女終末旅行アンソロ2巻を補充してくれた!見透かされてる!!

しかも小さいのに邦キチ!映子さんが全巻平積み!欲しかったけど見つからなかったやつ!

店員オススメコーナーに自分が今一推ししてる魔女と野獣があってちょっと怖かった。

肝心の僕の心のヤバイやつが見つからない…てか秋田書店とか少年チャンピオンコミックが異様に少なかった…少年漫画青年漫画も棚一つずつしかないので3回ウロつけば見つかるはずなんだけどな…人気あるみたいだし売り切れかな?とレジに行こうとしたら

人気漫画コーナー

にあった!レジの目の前だから気づかなかった!!


そんなわけで待望の僕ヤバを2巻全部読みました。

ツイッターほど仲良くないんだ!?ってちょっと驚いた!山田ってチョロめだと思ってたんだけど攻略難度めっちゃいね!即バッドの選択肢けっこうあったよね!

鼻血出してるとこと好きだってとこで泣いちゃった…

山田だけ見てると高校生漫画みたいだけどしっかり中学生なのすごいし、ヒロイン一人固定ものなのにサブキャラもめちゃめちゃ好きになっちゃう…すごい。

足立市川からしたらクソウザイしちょっと怖いけど意外と悪いやつじゃないし、変態神崎が原さんと上手くいってたり女子好感度高かったり、萌ちゃんビッチっぽいけど山田を守ってたりテスト良かったり漫画読んでたり(ニワカっぽいけどバキの生原稿めっちゃ喜んでた)、小林さんが一番チョロそうだったり、吉田さんは怖いけど山田のために怒ったり、原さんもけっこうムッツリスケベっぽそうだし勘づいてるし優しいし…先生担任ちゃん市川のこと見てるし保健室先生普通にいいし…ナンパイセンがいい人そうなのもリアル感ある。おねぇっていいね

太田(太ってる影の薄いやつ)はわからん

とにかくめっちゃ中学生だよね。いいよね。

あとなんで何回も何回も読み返しちゃうんだろ。とにかくヤバイ。ずっと二人を見てたい。自分になかった青春を二人は謳歌してほしい。

怖い想像なんだけど市川は「僕は頭がおかしい」って思ってたり、保健室で休まないといけない程の頭痛持ちって…脳に物理的に爆弾抱えてたりしないよね?脳腫瘍とかくも膜下出血とかないよね?勝手心配になった…

2020-03-03

高学歴と「中流階級」について

(はじめて投稿します)

ある大学生一部の人の「中流階級」という言葉定義の違いからその大学生Twitterが小さく炎上している。

その学生東大学部入学式祝辞と今年の入試現代文文章引用し、自分が恵まれいたことを振り返っている。

その際、自分の生まれ東京中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。

その後学生自分定義として社会学者定義引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのリプライをした。

また、リプライの表示設定をよりプライベートものにするという提案リプライ賛同している。

以下ではこの件について意見を述べる。当該学生攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。

=====

祝辞現代文で扱われた文章メッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。

祝辞努力したら報われるという思考は恵まれ環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな

入試文章現代では教育媒介として格差再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える

当該学生自分が恵まれていることに自覚的であることは重要である解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、

多くの批判学生が自信を表現した「中流階級」という言葉定義の差からまれているようであった。

言葉定義の差なので当該学生ツイートになんら誤りはないが、学生世間知らずとして批判されている。

祝辞入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリ自分努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、

世間知らず(自分社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。

学生の「中流階級」の定義引用元については、おそらく20年以上前社会階層を元に定義されていて、

現在社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。

ここ20〜30年程度の中流階級喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。

学生が後からツイート定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般定義を用いるべきであろう。

もし私が祝辞入試問題の背景、さらに当該学生意思を正しく捉えられているなら、

当該学生はまさしく祝辞入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。

また、中流階級喪失インテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切定義使用皮肉ものであるように自分には感じられる。

現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。

批判ツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)

理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。

加えて、不愉快批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施宣言している。議論放棄しているようだ。

こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的政治家の台頭を助長しているのではないか

自分はこの20年ほどで先進国特に日本アメリカでは富裕層貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。

そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。

また学生炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬放置しろなどといった態度も見られる。

自分判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。

このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学勉強をしに来ている学生気持ちを考えて欲しい。テニスサークル男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補学生があまりハイスペック炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。

また、学生はこういったツイートをすることで自分努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。

私が例の入試現代文文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。

ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境努力に正に働きかけ、しかしその中での努力精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。

私の解釈範囲では、学生文章をあまり理解していない。

もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。

なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、

私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。

これらの類のリプライには嫌悪感を覚える。

一応自分もこういった人たちと同じような大学卒業しているが、こういった発言インターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。

なお、私は中流下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。

経済的理由で、家族の泊まり旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行20年で1度だけあった)。

進学実績のある高校入学した時も、裕福な家庭出身学生の多さに驚いたが、東京大学入学した時の驚きはそれ以上であった。

裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。

彼らと同じように青春謳歌しようとしたが(当時の自分サークル活動恋愛へのコミット強迫観念を抱いていた)、家事アルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さから理解いただけるだろう)。

理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。

牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬自分の惨めさを日々感じていた。

都内一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除収入基準クリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。

就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。

貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身学生が、家事アルバイトをこなし、貸与・給付奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。

炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育媒介として格差再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。

GDP世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。

私が知らないだけで、学生アンケートをとって学生の家庭の親の年収資産調査したものなどが公表されているのだろう(道義的公表しないはずがない)(追記公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。

多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。

(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))

追記

一部のコメントへの返信

東大ミスコンでも美醜を争うの? 賢さは争わないの?

美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます

でも格差再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります

そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞現代文では展開されていると捉えています

ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma

記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います

しか入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに平等になっています

東大生の親の資産調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査調査されているのでリンクを貼ります議論の参考になればと思います

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/edu-data/h05.html

ご教示いただきありがとうございますこちらの資料学生生活実態調査(2018年)

の39〜42ページに出身地や世帯収入家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。

このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。

東京大学入学した学生の貧富の調査公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています

世帯収入出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。

特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。

当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。

こいつも、頭が悪いことでは差別してもいいと考えているんだよな。件の東大生と同じ。

努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特にまれ人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。

anond:20200301173451

もう寝ようと思ったけど昔の自分を見てるようで辛かったのでコメントします。

私は君と全く同じように無勉強なのにプライドを拗らせた18の青春を過ごした1人です。

来年40歳になります

いわば未来の君です。

結論から言うと絶対に後悔するから死ぬほど勉強しなさい。

私は結局大きく道を踏み外して浪人したままフリーターとなり紆余曲折を経て今は運送業をやっています

毎日毎日ハンドルを握ってAmazon楽天荷物を運んでいます

妻も子もいるのでもう自分人生を振り返ってる暇なんかありません。

君はまだ1年死ぬほど勉強すればいい大学へ行けます

私は今以上に死ぬほど今の仕事やったらたぶん本当に死にます

君は死にません。

君はこっちの未来には絶対に来るな。

まだ大丈夫、まだやり直せる。

40歳の君からの警告です。

頑張ってね。

2020-03-01

ある夏の日の思い出

前に住んでたアパート経験したお話

安いとこだったんで隣の建物との距離が近く、窓を開けると隣の同じようなアパート玄関が丸見えになってた。

ある初夏の日に窓開けてカーテンだけ閉じてたら、向かいアパートから声が聞こえてきた。

見るとその部屋の住人ともう一人いて、「俺、部屋きたねえからなー」なんて感じのことを言ってる。

少し気になってカーテンの隙間から覗いてると、入口のところで連れてきた相手を待たせてさっさと一人中に入った。

ああきっと初めて急に部屋に来ることになったか入口で待たせて隠したいものを隠してるんだろうなーと思って少し観察してたら、入口で待たされた方の人が少し手持無沙汰っぽく足をぶらつかせたり、近くの柱に寄りかかったりしてなんとも所在なさげにしてた。

しばらくするとうつむいて寄りかかったままじっとしてて、なんていうかああ青春だなーって思った。

で、数分して中の住人がどうぞって扉をあけたら「おじゃまします」って言って入っていったのね。

そのあとどうなったんだろうなって少し幸せな気分にさせてもらえたって話。

2020-02-29

anond:20200229080202

美徳の追求では満足できない。

臭い青春はいらない。

世界は私の傀儡となり実験場となりたまへ。

全ては我が理想のために。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

好きな歌手が新しい曲出してくれた

歌手としての活動終了かなって思ってた歌手さんが、ちょっと前に新しい曲だしてくれた。

ここ数年は曲や歌詞編曲のみという仕事だったんだけど、歌ってくれて、とても嬉しい。

その歌手さんを00年代後半から大好きで、大人になって偉くなったら、いつかこの人に楽曲提供の依頼をするんだ... って夢を抱いてた。

だけど、夢を叶えることができずに今になってしまった。

その自分の不甲斐なさ、優柔不断さ、自身ゴミ加減、まだ活動してくれる嬉しさ、青春と言えるべき努力していた日々を思い出して泣いた。

からでも頑張ろうと思う。

2020-02-23

本当に馬鹿だったな

ずっと自分本意で生きてきたか友達が出来なかった。そんなときに手を差し伸べてくれたGちゃんは、自分のことをサンドバックだと思ってた。

普通に殴られたりお金とられたし。

あの時反撃してたら人生変わったんだろうか。一人になるのが嫌で彼女にすがり付いて。友達からって思い続けて。それで搾取され続けて。馬鹿みたいだな、本当。でも、ある意味共依存だったのかもな。彼女と。他の友達遊んだら何か怒ってたし。下僕扱いの癖にさ。

苛めてた側は自覚ないんだよね、こっちがずっと引きずってることも。中学生になったときDSを返して欲しいと言ったらポカンとしてたもん。未だに引きずってるのが本当に馬鹿らしいな。でも当時辛かったのは本当だし、今でも人に馴染めなくて死にたくてたまらない。

彼女のことは恨んでないけど、貴重な子供時代無駄にされた感半端ないな。他にもっと青春出来たかもしれないのに。謝らなくて良いか時間を返して欲しいわ。

2020-02-21

エンディングこの一曲

「ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!」:『ふたりはプリキュア

「淋しくて眠れない」:『メガゾーン23

花咲乙女」:『サクラ大戦

「もう一度TENDERNESS」:『機動戦士Vガンダム

わたしと踊ってくれませんか」:『Bugってハニー

ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」:『機動戦士ガンダムF91

天使の絵の具」:超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか

青春」:『タッチ

「ぼくのミシシッピー」:『トム・ソーヤーの冒険

一千万年銀河」:『機動戦士ガンダムZZ

君をのせて」:『天空の城ラピュタ

encore

「たった一つの」:『ドラゴンドライブ

「君を好きでよかった」:『ここはグリーン・ウッド

最近アニメってワナビが寄り集まってワチャワチャに留まってる傾向が強いよね

「○○すごい!」と思ってたら「ひょんなことから本物・プロの○○になっちゃった」が昔の漫画アニメパターンだけど

今風のだとそうは行かず、くすぶる訳じゃないけど大人世界に行かずに学生サークルのノリの青春描写がひたすら続いている気がする

これもある意味「なろう系」じゃない?違うか。

2020-02-20

オタクコンテンツ攻撃する人々

オタクコンテンツ攻撃する人々、ヤツらが目指すものは「スクールカースト再生産」な気がする

ワンチャン狙いのナンパ野郎地位が上だから、ヤツらは「性的搾取だ!」とは凄まない

自分より下位のオタク男子がイキがってるのがムカつくから自治体事業オタクコンテンツコラボが許せないだけ

下位存在の新たな立場の獲得(≠地位向上)が癪だから、皆で叩いて黙らせたいだけ。これが「スクールカースト再生産」。

人気者にもなれずオタクにもならず、ゴシップ青春を費した末路なんだろうね

性的がどうこう」はあくまで"現在の"建前で、失敗したら建前を変えるだけだろうね

オタク男子としてはやめてほしいけど、「カーストが下の奴を叩くこと自体は悪くない」とヤツらが思っていそうで悲しくなってきた

2020-02-19

映像アニメの話

これは映像研には手を出すな!のアニメを7話まで見たただのオタク感想である

原作漫画に以下のようなセリフがある。

監督なんすよあんたは。あんたがこのロボットに満足できないなら、『さらに好き勝手描く』以外の選択肢はないんすよ!

ロボの設定に迷いを感じ制作に逃げ腰になった浅草氏への金森氏の激励?である。これを受けた浅草氏は、完成品には表れないような部分まで自分の納得いくように突き詰めることで矛盾を克服し意欲を取り戻す。そして「浅草氏の創作スイッチは『自由』か」と締められる。

テレビアニメでは先のセリフの後に以下が追加された。

「みんなあんたが指示したものに近づけるため最善を尽くしてる。それはあんたがいいもの想像してると期待しているからです。(略)だが、出来上がったものがクソ面白く無かったら責任は全部お前にあるからな。なぜならあんたは監督なんだ!」

やや違和感を覚えた。この会話に含まれれる情報は以下である

監督作品創造主であり責任である

・よって監督には自分自身が納得できる形を追求する(義務と)権利がある

このとき主題後者だ。しかアニメ版で追加されたセリフによって、情報自体は変わらないがニュアンスが「責任」に偏った気がする。「責任がある」「みんな期待している」からの「浅草氏のスイッチ自由」という展開に繋がるだろうか。


このあたりを境に他にも以下のようなアニメオリジナル要素が加えられていく

音響百目鬼氏)の登場の繰り上げ

美術部への背景発注と打ち合わせの様子

PC部への動画作業発注

クライアント(ロボ部)の意向に振り回される様(キャスティングOP映像

これらは「アニメ制作現場」的な要素で、特に浅草氏の監督としての立場が強調されている。もしかしたら水崎氏がほぼ一人で実作業をしているように見えるのを避けようとしたのかもしれない。

しかあくまで一個人の感想しかないが、これらの要素は映像研という作品を若干読み違えてないだろうか。

映像研は「アニメ業界モノ」ではない。確かにアニメ製作手法などの話も出てくるがそれがメインではない。彼らの置かれた環境制作現場ではなくモラトリアムだ。それなりの自由生存権保証された世界で、各々のやりたい事と向き合い実現していく創作者の理想だ。そこで描かれる悩みはクライアント下請けなどの外的要因よりも、自己理想動機との向き合い方などの内的要因の方ではないだろうか。私は映像研という作品の中心は「アニメ制作」ではなく「創作自主活動」だと思っていた。


映像研は業界注目度の高そうな作品だ。現職のアニメーターにとってアニメ制作創造的で楽しい部分を切り取ったようなものは作りにくいのかもしれない。ただもし今後も制作現場の苦労的な面が入ってくるとすると、なんだかあまり素直に楽しめないかもしれない。

青春よ楽しくあってくれ。

2020-02-18

anond:20200218134530

足りないところを補い合える安定装置として奥さんなり生涯の伴侶をつかまえればよかったんじゃないの、若いうちに

必死で働いたからそんな暇がなかった」のなら青春を全部奪っていった会社なり青春をささげたエロゲなりとそのまま添い遂げればいいじゃん

カレーうどんとの増田戦い肩正す間の通度うーれ香(回文

おはようございます

針のように刺し蝶のように舞う、

カレーうどんを食べるときにその言葉を置き換えるなら

カレーうどん、麺先を制する者がカレーのハネを制する。

自称カレーうどんノーダメージクイーンの私なんだけど、

今日もご機嫌さんにカレーうどんを頼んでいただくとするわ。

もちろん今日ノーダメージ!

そう決め込んで一気にカレーうどんをすすり込んで勝負きめるわ!って感じで挑んだの!

でも私のことをカレーうどんノーダメージクイーンと知らない店員さんが気を効かせてか紙エプロンを持ってきてくれたの。

せっかく持ってきてくれたんだから断る理由もないこのカレーうどんノーダメージクイーンだけど、

私は場の空気を読むクイーンでもあるので店員さんの面子を保つために、

そこは紙エプロンをいただいて装備することにしたの。

そんな装備で大丈夫かって言われそうだけど、

私はそんな装備しなくても大丈夫よ!と武器屋オヤジに今ここで装備していくかい?って返事もしないうちにカレーうどんを決めるところ。

武器屋武器や防具を買ってその場で装備させてくれるシステムを考えた人って偉いわね!

以前はいちいち武器屋から出て装備しなくちゃいけなかったから、

実際のお店で考えると、店の店頭で試着してるようなもんじゃいかしら?

そんな話はどうでもよくて

今日カレー跳ねゼロノーダメージ、カレーうどんノーダメージクイーンから

もちろん紙エプロンをつけたところで、

ノーダメージは分かりきったことだと思ったの。

残念だけど私の勝ちね!って一体誰と戦っているのかしらとお思いでしょうが

これは自分自身との戦いでもあるのよ!

わかるでしょ!?あなたカレーうどんを食べるときに慎重になるそれが自分自身との勝負でもあるし、

白い服を着ているときに限って何故ランチカレーうどん誘うか!みたいなことを招くことも全て運命と書いて「さだめ」と読ませたい少年漫画セリフ

ふーっと私はそのカレーうどんを食べきった後、

ノーダメージの紙エプロンを外して見たの、

もちろん白いままの紙エプロンだと思ってた、

そう昨日までは。

まりカレーの汁の跳ねが小さすぎて今まで気が付かなかったけど、

こういうときエプロンは正直よね。

4カレーダメージ喰らってたわ!

自称カレーうどんノーダメージクイーン私が、

なんてことかしら。

ショックを隠しきれないけど私は現実を受け止めるわ。

今までカレーうどんを食べに行ってた回数分、

この外出時に羽織ってたフリースにはカレー汁がたっぷりと染み込んでいたんだなって

涙!

あるいみ青春

カレーの汁が跳ねて染み込んだフリースって青春じゃない!

もう開き直って青春すら感じるところ、

荒川の土手で寝転がって大空を見て、そんな気分よ。

自分自身との勝負だけど

自分自身への負けも潔く認めるわ。

そうカレーうどん屋さんを後にする際、

私は今まで勝ち取ったカレーうどんノーダメージクイーンチャンピオンベルトとトロフィー

全然知らない隣のテーブルの席の人にあげて、

あなたが次の世代カレーうどんノーダメージクイーンよ!との言葉を一緒に添え

勇ましく紙エプロンも付けずにカレーうどんに挑むその未来クイーンに、

もうカレーうどんノーダメージクイーンチャンピオンベルトとトロフィーを託してその店を後にしたわ。

かに負けたのは悔しいけど、

勝負世界に生き続けていたと言う肩の荷が下りた感じでもあるし、

そう思うとこれからの次の次世代の後進の育成に前進する力が注げるってものよ。

カレーうどんだけにカレーの汁を注ぐわ!って上手いこと言いそうなぐらいに。

あみんな!お昼からも厳しく行くわよ!

今日で私のカレーうどん戦記の長く綴られてきた全23巻の物語ピリオドを添え終えることにするわ。

私の次の戦いのために!

そう、いまどき木更津の中心で氣志團の人たちも言いそうにない台詞ピリオドの向こうに!って。

パタム。

これはその全23巻の最後の巻の最後の章を読み終えて本を閉じる音よ。

以上現場よりオーヘンリーがお伝えしました!

スタジオマイクお返ししまーす!


今日朝ご飯

ミックスサンド一致にしました。

サンドイッチ会の幕の内弁当とも言っても過言ではない色々なバリエーションが楽しめる逸品よ。

迷ったらこれ!

最近タマサンドばかりだったからね。

ツナもたまには美味しいわよ!

シーチキンサンドといえないところがはごろもフーズなんだけど、

デイリーヤマザキパン祭りやってるじゃない、

あそこのツナサンドは確かシーチキンサンドって名乗っていたはずよ!

デトックスウォーター

緑茶ホッツウォーラー

風邪予防的な意味合いも兼ねてだって今日はうっすらと雪が積もっていたんだもん!

寒いんだもん!って決め込む前に

身体を中からホッツナモノを飲んで温めましょう!

冬のこの時期は果物の種類が少なくてミカンイチゴしかないのよね。

大きなマーケットにもたまには行くべきだわ。

うふふ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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