2020-02-19

映像アニメの話

これは映像研には手を出すな!のアニメを7話まで見たただのオタク感想である

原作漫画に以下のようなセリフがある。

監督なんすよあんたは。あんたがこのロボットに満足できないなら、『さらに好き勝手描く』以外の選択肢はないんすよ!

ロボの設定に迷いを感じ制作に逃げ腰になった浅草氏への金森氏の激励?である。これを受けた浅草氏は、完成品には表れないような部分まで自分の納得いくように突き詰めることで矛盾を克服し意欲を取り戻す。そして「浅草氏の創作スイッチは『自由』か」と締められる。

テレビアニメでは先のセリフの後に以下が追加された。

「みんなあんたが指示したものに近づけるため最善を尽くしてる。それはあんたがいいもの想像してると期待しているからです。(略)だが、出来上がったものがクソ面白く無かったら責任は全部お前にあるからな。なぜならあんたは監督なんだ!」

やや違和感を覚えた。この会話に含まれれる情報は以下である

監督作品創造主であり責任である

・よって監督には自分自身が納得できる形を追求する(義務と)権利がある

このとき主題後者だ。しかアニメ版で追加されたセリフによって、情報自体は変わらないがニュアンスが「責任」に偏った気がする。「責任がある」「みんな期待している」からの「浅草氏のスイッチ自由」という展開に繋がるだろうか。


このあたりを境に他にも以下のようなアニメオリジナル要素が加えられていく

音響百目鬼氏)の登場の繰り上げ

美術部への背景発注と打ち合わせの様子

PC部への動画作業発注

クライアント(ロボ部)の意向に振り回される様(キャスティングOP映像

これらは「アニメ制作現場」的な要素で、特に浅草氏の監督としての立場が強調されている。もしかしたら水崎氏がほぼ一人で実作業をしているように見えるのを避けようとしたのかもしれない。

しかあくまで一個人の感想しかないが、これらの要素は映像研という作品を若干読み違えてないだろうか。

映像研は「アニメ業界モノ」ではない。確かにアニメ製作手法などの話も出てくるがそれがメインではない。彼らの置かれた環境制作現場ではなくモラトリアムだ。それなりの自由生存権保証された世界で、各々のやりたい事と向き合い実現していく創作者の理想だ。そこで描かれる悩みはクライアント下請けなどの外的要因よりも、自己理想動機との向き合い方などの内的要因の方ではないだろうか。私は映像研という作品の中心は「アニメ制作」ではなく「創作自主活動」だと思っていた。


映像研は業界注目度の高そうな作品だ。現職のアニメーターにとってアニメ制作創造的で楽しい部分を切り取ったようなものは作りにくいのかもしれない。ただもし今後も制作現場の苦労的な面が入ってくるとすると、なんだかあまり素直に楽しめないかもしれない。

青春よ楽しくあってくれ。

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