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2020-02-17

anond:20200216215325

寄宿学校のジュリエット最初からはっきり正ヒロイン宣言されてたんだけど、やっぱりつまらなかったなあ

どんなかわいい子が出てきてもしょせんは関係がないんだ、みたいな

青春ラブコメなのに主人公と読者の視点は既婚者のそれ

まあ自分にはあの正ヒロインの子あんまりおしろい子に見えなかったってのも大きいと思うけど

anond:20200217175508

あの青春は戻らないなあ

最強

過去が劣るとは限らない証

anond:20200216115528

中学生高校生はそんなもんでしょ。

同級生水着にそういう良さを感じたりとかあるんじゃないですか?

自分が言いたいのは分別のついた良い大人がなぜそこまで興奮してるのかってことです。

それとも、そういったことのない非常に清廉な学生時代だったのでしょうか?

それならば納得です。非常に清い青春を送られたようで、育ちの良さがうかがえるようです。

2020-02-16

富岡日記』の読み方

長野ひろ子「衣料生産日本女性――『富岡日記』を中心に」(『中央大学経済研究所年報』49号、2017年)を読んで気づいたことがあった。それは、なぜ自分がこの本が好きなのか、その理由の一端が分かったように思えた。

この長野さんの論文自体はそうたいしたことは言ってないが、印象に残ったのは英の「圧倒的な自己肯定感である

(以下引用)

「ここから伝わってくるのは、自らが娘時代従事した製糸業への熱い思いとそのことへの圧倒的な自己肯定感である。英にとってそれは「一日も忘れたこと」のない記憶、おそらくは青春の輝かしい記憶・思い出であり、老境に入って「繰り返し繰り返し日々楽し」むほどのものだったのであるしかし、それゆえにこそ、自慢話ととられることを恐れ「だれにも一言も申」さず「二十九年」間「心に秘め」て過ごしてきたのであろう。

(引用終り)

圧倒的な自己肯定感の源となる思い出だからこそ、その後の人生の揺るぎない支えとなり、しか普段決して他人には語らないという心境は俺にもよく分かる。他人から評価必要ないのよね。また英は違うだろうが俺の場合は、そもそも自分の大切な思い出を他人物語として消費してほしくないしね。

最近杉本鉞子の『武士の娘』を読んだが、期待に反してつまらなかった。何故つまらないのかを考えたとき自分山川菊栄武家女性』と和田英『富岡日記』を無意識のうちに思い浮かべていた。菊栄や英に比べて、鉞子は「言いたいこと」がさして無いように思える。前二者は、「これだけは書かねば気が済まぬ」という切迫感・覚悟・執着のようなものを(方向性は違えど)感ずる。色の違う火花のよう(執着の炎は英の方が強い)。その切迫たる思いが、彼女らの筆鋒を時代エートスまで届かせている。そこに面白さがある。

それに比べると鉞子は、悪い意味で「上品文学少女」の域を脱していないと思う。当時のアメリカの読者に受けるように異国趣味意識して書き、実際売れたのかもしれないが、時代を経た今となっては毒にも薬にもならない。あの時代に単身渡米して結婚した上級武家出身の娘、という触れ込みのわりには大したことを書いてない。現代では、櫻井よし子あたりが「日本女性世界をアッと言わせた」とか持ち上げてるのを別にすれば、史料としても文学作品としてもあまり注目・評価されてないのはそのあたりに理由があるんだろうね。ジャポネズリには楽しいのかもしれんが、それでないと魅力に乏しい。

2020-02-15

最近今更リゼロやってたので見てみたけど、あの主人公の浮ついた感じと目も当てられない青春群像みたいな。

あいうのを恥ずかしがりながら観る感じは今の俺にはない、ということがわかっただけだった。

ちくしょーイイよなあ、とも思わないんだよなこれが。領主の勘忍袋の紐が極太だということだけ理解できる。

だってどこの馬の骨ともしれない、大した力もないにーちゃんだよ。

それが多大な魔力を持った領主様に偉そうな態度とってて、あれで切れない領主もだいぶ大人という。

頭領のあり方みたいなもんがむしろ身にしみると言うか。

なんかだいぶ見方を誤ってる気がするよ。

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2020-02-13

ダイアモンドプリンセス

最近、あまりテレビを見る暇がないのだけど、

銭湯に行ったらニュースですごい流れてた。

乗客スタッフ疲労ストレス限界に近づいてる、という内容。

あー・・・から、見ないようにしてたのに。 

あんな豪華客船でなく、某NGO地球一周船で乗客スタッフ両方を経験たか

どちらの気持ちも痛いほど想像できてしまう。

あの船室に2週間も隔離されるなんて、冗談じゃない。

普通に船旅を楽しんでいた私だけど、何度か救命ボートでいいからこの船降ろして

くれ!!と本気で思ったくらい。  

船酔いのせいなんかじゃない。

私はわりかし平気だった。

ただ、4人部屋、かつ客船の割に小さい船だったので、どこに行っても

人がいるプライバシーのない生活に耐えられなかったもん。。 

スタッフとして乗った時は、朝から晩まで毎日休みなく働いて、

専門職でもあったから、その緊張感もあり、疲労がすごかった。

一方で、乗客では出来ない経験も山ほどあって、人生でこれほどスポットライト

浴びたことは無い、というくらい表舞台にも立たせてもらった、元・超地味子。

30 オーバーにして知った、青春でもあった。

 

メチャクチャ苦しくて、それ以上に楽しかった経験

(喉元過ぎたからだろうけどね。)

 

何年もたった今でも、あの日々で得た経験が消化しきれなくて

ダイヤモンドプリンセス号のニュース見た瞬間、グワッと苦しかった

記憶と楽しかった記憶がごちゃ混ぜになって蘇って心がすごい乱された。 

 

私自身、2回とも、無論コロナほどでは無いけど、クルーズ中に大きな事故

遭遇して、その時の船内の殺伐とした空気をよく覚えている。

乗客は日頃のストレスの吐口とばかりに、スタッフに食ってかかるし、 

スタッフ対応に追われたし、箝口令が出されたり。

事故関係ない人ですらあんなにピリピリしてたことを思うと、今回の乗客

かたたちのことを考えるとどれだけのストレスを抱えてるか、スタッフがどんな

思いなのか、と・・・

 

自分自身記憶とも相まって、平静にみていられない。

そして、ダイヤモンドプリンセス級の船だからこそ、まだ色んな検査

スタッフの介助があるんだろうけど、これが私が乗ってた船だったらどうだった

だろうな、、、と正直、やっぱおもったよね。。

 

少なくとも外国籍クルーはあてにならないだろうし、日本人スタッフ

きっとパニックになってるのではないかと。

医療設備とか、検査とか、考えるとゾッとする。

 

批判してるわけじゃない。

合う合わないはあるけど、私にとっては、あの船に感謝気持ちが強い。

ただ、日本サービス水準を求める人には無理。

学園祭のノリなので。。

学園祭を仕切る人たちに、今回のこと対処できるとはちょっと思い難い。

一応、ちゃん旅行もついてきてくれるけどさ。

今なお航海中の船。

正直、大丈夫かな、と。

ダイヤモンドプリンセスニュースが出る前に真っ先に思い浮かべた。

 

いろんな思いはあるけど、やっぱり私にとっては大事存在から

無事に乗客帰国してくれることを願ってる。

ダイアモンドプリンセス号の方たちはもちろん、あの船の乗客たちも。

2020-02-11

吃音は何がつらいのか

20年以上吃音と付き合って生きてきた.

10歳頃から症状が出るようになって未だに続いている.

吃音に関して,何が当人にとってつらいのか説明してみる.

あくま自分のケースについて記すものであって必ずしも一般論ではない.

結論から述べると,常に「症状が出るかもしれない」と身構えていなければならないことがつらい.

そして「症状が出ると恥をかく」という恐怖が常に頭から離れないことがつらい.

吃音とは,発声しようとした時に「あああああ」と同じ音を繰り返したり,発声しようとしても意図した音が出せない症状である

自分場合後者のケースが多い.

志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という押見修造作の漫画がある.

主人公高校生大島志乃は吃音持ちである

本作の冒頭で,彼女教室自己紹介をする際,自分名前の「大島」が言えず,ただ「お,お,お」と繰り返し,結局自己紹介できずに終わり周囲から笑われる場面が描かれている.

詳細は本作を参照してほしいのだが,自分の症状はこのような場面でこのように生じる.

名前を言おうとすると症状が出るのも全く同じである

自分場合は住所,勤務先の企業名出身地の県名,卒業した学校名称など,自分に関すること全般がとっさに出てこない.

なんなら家族名前すら怪しい時があるし,もっと言えば自分が好きなアニメタイトルすら上手く言えなかったことがあった気がする.

この現象問題は,この症状がいつ出るか分からないことである

「常に100%の確立発声できない」のであれば常に紙とペン携帯して筆談を行うようにすると思う.

しかし,場合によっては全く症状が出ない時期がある.原因は全く分からないが,突然自分名前所属をスッと言えるようになる時期がある.

そして原因もわからぬまままた症状が出るようになる.

自分場合,大体2,3週間周期である.今はまぁまぁの調子であるが,どちらかといえば下り調子である

自分人生において何度もこのような時期を経験し,吃音が治ったと「ぬか喜び」をさせられてきた.

そして今に至るまで症状は出続けている.

結果として,「自分はどもるかもしれない」という認識を常に持ったまま生活しなければならない.

他のことに例えて言うなら,人と会う度に「この人に殺されるかもしれない」と身構えながら接するような状態である

大げさかも知れないが,初対面の人だと割とそれぐらい緊張しながら人と話している.

この「どもるかも知れない」という認識のもの吃音を引き起こす原因だと薄々気付いている.

しか20もの間,この認識を正すことが出来ずにいる.

なぜ自分がこんな目に,と思わない日はない.しかし,完全に発声できない訳ではないし,調子がいい時は何の問題もなく生活できる.

恐らく本当の問題自分認識問題である.「どもってもいい」ぐらいに開き直れたらいつの間にか治るような気すらする

しかし,これまで吃音で恥をかき,チャンスを逃してきた記憶がそれを阻んでいるように思われる.

齢30を過ぎた身で情けないのだが,まだ解決には時間がかかりそうである

ここまでつらつらと自分吃音で何がつらいのかということについて記した.

必ずしもすべての吃音持ちの人に当てはまる訳ではないだろうが,周囲に吃音で苦しんでいる人がいれば参考にしていただけば幸いである.

なお,文中でも紹介した「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は暗い話一辺倒ではない.

しろ高校生青春モノとして捉えることも出来る爽やかな作品でもあるので気軽にご一読いただきたい.

2020-02-06

作家

富士フィルムPR動画炎上したカメラマンの人、本人の風貌が与える影響は小さくないよね…じゃあイケメンならあの撮影方法でもあからさまに背けられたりしないのか?と色々あてはめてたんだけど。誰だろうがある程度同じように、は?邪魔?なに突然?カメラ?え?キモ、となるよなと思ったのだ。

例えば、東出は…ダメデカすぎる。蛭子さんは論外だ、笑われるか小突き回されるか蹴られるか。佐藤健やあるいはジャニーズにモロモロといそうなタイプイケメンだと割と平気そう、というか少女マンガ世界だと恋が始まったりするやつ、そのマンガ原作青春映画ができそう。

桐谷健太とか菅田将暉は…場所を選ばないとキャバ嬢勧誘とかネットワークビジネスの集まりかと思われそう。山崎樹範とかは写真撮ってることにも気づかれないかもしれない。國村隼とかだと…巨匠?みたいに思うかもしれないし、阿部寛だとやはりデカすぎて意味が分からなくなりそう。逆に、撮影者が女性ならかなりハードルは下がりそうでもある。

妄想をしてたら割と千差万別イメージが浮かび、どんな風貌だろうが一定に「やだキモイ」または「きゃーうれしい」ともならないなと思った。あのカメラマンは、自分風貌活用し、威嚇的、盗撮的な方法をもって思わず目を背け不信と敵意をもつ人の街のスナップを撮る、という作風なのか。

孤独栄光

吐き出させて下さい。

私は産まれて30余年、常に独りでした。

別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。

それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。

理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。

…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。

記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはん牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。

両親は自分問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。

同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがとき漏れだしては、私の人間関係破綻させていった。

…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。

家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。

不幸にも中途半端事務処理能力が高かったのか、大学入学できた。大学理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族自己内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。

契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。

ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。

そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。

兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分事故病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロ精神投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。

そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこから記憶ほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。

そしてまた不幸にも、さほど時間は掛から定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春友情愛情経験している間に自分したことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。

しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。

そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。

狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。

私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。

いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。

今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間中庸となり、人々の生き方基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。

相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき孤独意味と真の栄光を手に入れられると信じて。

…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます

2020-02-03

anond:20200203223701

そゆうんじゃないんだなあ。

の子スケブラみて

....

とか

そんな淡い記憶大事なわけ。

俺はやだな。

キモすぎて。無理。同性学校は。

青春

2020-02-02

なんで日本青春映画って女ばっかり集団ででるの?

へんだよ

宇崎ちゃん×献血コラボに関するフェミでもオタクでもない人間感想

宇崎ちゃん×献血コラボ第2弾が好評。太田啓子弁護士「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います

太田弁護士リツイートしてる

https://togetter.com/li/1463136

第一弾の時の印象

実際のクリアファイル

https://twitter.com/uzakichan_asobi/status/1184388989190426625

過激フェミの主張は知らん。性差別云々とか性的消費云々とかい言葉定義自体俺は理解していないのでそういう側面の考察は無理。

ただこのイラストを見て率直に感じたのが「エッロ!」という咆哮なのは否定しない。肌面積こそ全くないが「着衣のままどうエロく見せるか」をよく分かってらっしゃる描き方だし、よく話題に上げられる胸だけじゃなく腹回りのそれとなく「肉が余ってますよ~」というライン男心をくすぐる表現だと思われる。お馬鹿キャラとはいえ相手煽り見下す表情もM気質人間にとっては興奮を覚えるものだろう。

なので感想は「エロい!以上!」としか言えない。それ以外の要素がない。イラストの下に辛うじて赤十字マークがあるから献血の話なんだなと分かるくらいの献血コラボ要素。「献血のご褒美に貰えるエロいグッズ」だよね。それが良いかいかはよく分からん。「何が悪い」と言われれば別にそうだよねという気もするし、「エロすぎどうにかしろ」と言われれば苦笑いくらいはする。

第一弾のイラストじゃ宇崎ちゃんという漫画の中身が分からん問題

俺は宇崎ちゃんの初期からの読者なのでこの漫画ギャグ主体の淡い青春漫画だと理解してるが、ぶっちゃけこのイラストだけ見たら「エロ漫画じゃないの?」と言われても相手批判出来ない。否定はするけどね。

からこのコラボは「献血コラボとしてどうか」は兎も角も「宇崎ちゃんコラボとしてどうか」というとわりと失敗だと思う。

エロい事の何が悪いのか」と怒り心頭の人もいるだろうけど宇崎ちゃんというキャラって別にエロいだけの子じゃないし、逆に「あれは胸がでかいだけでエロくはない」みたいな事言ってる人は本当に男か?感受性死んでない?と心配になる。そりゃ現実モデルさんがそこそこ胸がでかくて「デカいだけでエロいのか」と言われると人権的にアウトなんだろうけど、絵って基本的に何を強調するのかは作者が選ぶものだし、胸が強調されてる以上、読者のエロ好きな側面を利用するために描かれたと言って差し支えないでしょ。

「体はエロいけど中身は可愛くてギャップがあるよね」ってところがツボなのにエロしか伝えられないイラストじゃ片手落ちでしょっていう。

第二弾は初っ端から献血お話だと分かるし、宇崎ちゃんエロ漫画じゃない事も分かる

今日は先輩の初めての献血ッス!」と大きく書いてあるからね。誰が読んでも分かる。

で、ちゃんとこういう漫画として描いてくれると宇崎ちゃんが「エロいだけの子」じゃないという事も分かる。相変わらず胸はデカいけどそれをことさらに強調せず明るくて純情な先輩スキーなところがいいよね。体はエロいけど存在は全くアダルトじゃない。

フェミに反発してか「相変わらず乳袋使ってるのに何故批判しない?」と息巻いてる人らは鈍感すぎるよ。「巨乳イラスト」と「巨乳が出てくる漫画」じゃ印象違って当たり前でしょ。例えるなら「グラビア写真」と「ビーチバレー競技風景」くらい違う。後者に対して「エロい!」と憤る事が冒涜である事くらいフェミだって分かるでしょ。あんま代弁したくないけど、フェミは「グラビア撮影会にならなくてよかったね」と言ってるんだと思うよ。

第一弾にファビョッてたフェミもよく分からんが第二弾が評価された事にキレてる人らも謎

えっ。本当に第一弾と第二弾見比べた?

言語化できないなら黙れ」とか得意げに言ってる人ら大丈夫?こんな語彙力無い俺でもそれなりに言語化できるよ?

あと別に第二弾を評価してるのってフェミだけじゃないからね?俺みたいな外野も「へー分かり易いコラボになったじゃん」くらい思ってるわけで、そういう人らも敵に回してるという自覚あるのかね。納得してやってるならいいんだがフェミ憎しで暴走してるようにしか見えないから困る。

たまにある「犯罪じゃないかOK」というオタク反論には正直笑ってる

社会振る舞うからには基準が明確じゃないとならんの。

誰かのお気持ちで許されるなんてのはだめなの。

別に第一弾でも問題はなかった。公然わいせつじゃないから当然のことだ。

https://anond.hatelabo.jp/20200202182750

いや、別にフェミの肩を持つ気はないけどさ。第一弾も許されるか許されないかで言えば別に許せるというのが俺の本音だし。

でも「犯罪じゃなかったら文句を言うな」というのは「表現自由」の明確な否定だよね。

そりゃあのイラスト刑事事件で立件される事態になったらこ理屈適用されるけど、そんな主張フェミだってしていない。あくま広告物表現物として批評しているだけに過ぎないし、その発言がどうあれ彼らの批判に法的な強制力なんてない。判断するのは警察裁判所ではなく企画元だけ。仮に明確な基準無しに表現撤回してもそれは企画元の自由

で、作者や出版社企画だって作品の内容を取捨選択する時に「これは犯罪じゃないかOKだな!」なんて理屈は使わない。

相手の主張をまるっと肯定する必要なんてないが、「犯罪じゃない限り相手お気持ちなんて無視するよ」と公に言っちゃう人間は笑うしかないし、表現者をも侮辱してると思う。

ラストアイドルって青春トレインだけ目立ってすごくいいけど、あとは全部しょぼいな

よくあるアイドルソングで聴きどころも見所もない

青春トレインがなんかかわいそう

2020-02-01

カロリーメイトポスターのどこが優れているか

このtogetterブコメポスターのよさがあまり理解されていないようなので、簡単説明する。

デザイナーによる”もうどうでもいい広告”ができるまでの解説があまりにつらい「なにを一番伝えたいですか?」「ぜんぶ」』

https://togetter.com/li/1462449

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1462449

まずポスター目的について。

商品が小さい」と言っている人がいるが、一目見ればわかる通り、これは商品のものではなく「消費者を主役」にしたポスターだ。

からキャッチコピー商品アピールではなく、「見せてやれ、底力」という応援メッセージになっている。

ていうか昭和じゃないんだから、たとえ新商品でも露骨商品説明アピールしません。

とっくの昔から広告ってもの商品自体じゃなくて、消費者にとってどういうバリューがあるかを伝えるものになっている。

カロリーメイト認知度だから出来ること」という意見もあったが、当たり前である

扱う商品によって宣伝手法が変わるのは、わかり切ったことじゃないだろうか。

ポスターの優れている点を説明すると、まず何よりも写真がすばらしい。

コンセプトを明快に表現した写真だ。

望遠で撮られた画面はそれだけで迫力があり、力強さが直感的に伝わってくる。

カロリーメイトデカデカと写っているよりも、風景のものに引きこまれる力がある。

雪が舞う寒空の下、という状況も、実際にうまく撮影するのはかなり苦労したはずだ。

女の子の顔だけしっかり抜かれているのも、相当粘ったことを感じさせる。

構図的には静かだが演出的にはダイナミックという、対照的ドラマチックな絵の中でカロリーメイトを手にしているから、見る側により強く訴求する。

対照的といえば補色の話がtogetterでされているが、もちろん「補色からいい」わけではなく、使い方が上手い。

若者向けからさらに「受験生」にターゲットを絞り、

その相性を「ブレザー・青春=紺色」と「カロリーメイト黄色」で組み合わせたアイディアシンプルでわかりやすい。

そして紺色の中にただ黄色を配置するのではなく、カロリーメイトを持った子のブレザーが少し「緑がかっている」工夫もいい。

紺一色(というか寒色でまとめた背景)のなかに暖かい黄色ゆっくり染み広がっていくような効果がある。(青と黄色を混ぜた色が緑)

補色を少しだけ馴染ませるこの工夫が、唸るほど上手い。

若い彼女がこれから世界を変えていく静かな強さを、見事に表現している。

また、このカロリーメイトCMに「THE BLUE HEARTS」の曲を持ってくるのも、ベタだが補色のコンセプトともぴったりハマっている。

ポスターの中に「ガンバレ!」という言葉が出てくるのもそのためだ。

写真で目を引いたあとの文章もよくできている。

最初の「底力」と最後の「ガンバレ!」で、ラ行の韻を踏んでいて、

「見せてやれ」の部分も、「でっかい声で言ってやる」との対応

前半は二行だった文が後半は一行になってリズムを作っており、このテンポアップがTHE BLUE HEARTS歌詞と曲を想起させるようになっている。

したことがないように思えるが、コピーはこうした細部の語感が大事である


ちらっと見ただけでもこれだけの完成度で、

トータルでよく考えられたいい広告だと思うよ。

2020-01-31

大昔の話

青春のすべてを賭けて自主制作したストⅡのコンボビデオ実家に置いてたんだけど。

しばらくして社会人になり、実家帰省する機会があったので久々にコンボ集でも見るかーとおもってビデオ再生したら


中身全部エロビデオになってた。


泣きながら抜いた。

2020-01-25

リア充生活を送るのが夢だった

中高で最高の青春送って、大学でもそこそこに楽しんで、教職課程うけて

中学高校先生になって、生徒にそれなりに尊敬されつつ、安定したら中学から好きだった子と結婚する

実際は中学の時に精神病にかかり

きな子は他に彼氏を作り

勉強部活もうまくいかず、世の中全てを恨んで漫画家か何かになって

不幸を振りまく人間になろうとするが

やる気も出ず

大学では彼女もできず

はてな匿名ダイアリー駄文投稿する毎日

2020-01-21

ダリフラアンチが多いのはよくわからない。エヴァエウレカなのはみんな周知のはずなのに、「パクった」という文言である。あと繊細な意見だと性的な話が多すぎて下品らしい。

ダリフラが丁寧な点はいくつもある。例えば父と子供関係エヴァ相互依存的な性格を持つ人物たちにより、最後まで相互依存的なEDを迎えた(劇場版)ことに対して、エウレカ大人責任を持つ、という落とし所というべきか、救いを提示している。対してダリフラ場合世代的に「大人なんか信用ならない」「大人ってネットで化けの皮が剥がれちゃって、実は大したことないよね」という世代空気もあってか、大人たちはみっともなく、少年たちは結局子供だけで自立する。要するにこれらは承前ありきということ。

大きなテーマという意味では各共通項として「未知の生命体に対してどうコンタクトをとるか」が主だったところだと思う。エヴァでは未知の生命使徒使徒の一つ=人間立場でどう使うか、という考え方で提示され、その現れ方はとてもエゴに満ち溢れたものだった。少なくとも使徒立場に立って語られることはほぼない。エウレカでは人間「が」進化するという立場に疑問を呈し、共存するというある意味リベラル思想に基づいた見地に立っている。だけどダリフラの答えとしては、やっぱり違う者同士では仲良くなんかなれないから、彼らの自立というテーマも同時に背負って戦う選択になった。こちらもテーマの受け渡しと解釈、消化という意味でとても丁寧にできていると思う。消化、という側面では敵の力を取り込んで戦いに利用しようとする9'sも途中に登場している。まああここらへんもアネモネなどの「パクリ」に相当に値すると思わえてるのだろうけど。ダリフラ場合、細かく言えば地球内の敵と思ってた人が味方で、敵は外にいた、という点で非常に右翼思想が強いもので、渾然一体となるエヴァ、みんなが理解し合ってハッピーになる、左翼思想エウレカとも違う発想で結末を迎える。ただし結末に至る道は似ている。

性的下品という話に関しては、この系譜全部そうなので、苦手なら仕方がないね、という感じ。

なぜエヴァエウレカダリフラなのか。形式的には似ているファフナーもあるし、漫画だと惑星のさみだれ形式が似ている、ぼくらの、はどうだ、なんてツッコミも出てきそうだけど、これらはエヴァという包括的な流れに乗る気はないんだよね。エヴァ系譜からそれに答えた上で、うちはこうだよ、という形になってない。

何がいいたいかといえば、系譜に乗っかって乗り越えるか新しい答えを提示する、というやり方である以上、類似感や既視感が出てくるのは仕方ないことなんじゃないかな。それがパクリというのかどうか、個人的には疑問に思うと。

ファフナー生命体がやりたいことに人類はどう対応し、受け入れ、否定するのか、という意味ではエヴァ的なんだけど、SF的な側面を除くドラマ比較普通だったと思う。それとファフナーはまた弐瓶勉先生シドニアなんかにも引き継がれてるようにも感じる。こうなってくると枝分かれしちゃって真正から挑んだエウレカダリフラ路線には乗らないので、系譜じゃないなと。ぼくらのも結局はメタ世界が主流で、生命体をどうのこうのとは考えてない。エヴァメタ世界的だったから、というつながりはないわけではないけど。

シリーズ決定的に異なるな、と感じるのは、愛情の形。

ダリフラでは青春の中にいるので、「恋愛もするし子供も作りたい」となる。でもエヴァでは青春という逡巡の中にあって、相互がふれあいたいのにヤマアラシハリネズミコンプレックスで触れ合えない。エウレカ場合は一つの生命体を通して種全体と愛を結ぶレントンという存在があり、シュチュエーション的にET未知との遭遇2001年宇宙の旅なんかを想起させる。ダリフラある意味一番普通なのは、先発で打たれちゃったせいもある気がする。

2020-01-20

まともな両親じゃないとまともな大学生になれない (1/22追記しました)

3人兄妹の真ん中で生まれた私はたぶん、軽度の虐待を受けて育った。

からずっといじめられていたのに、誰もかばってくれなかった。

両親からの直接的な暴力こそほとんどなかったものの、私だけ誕生日を祝ってもらえなかったり、サンタクロースからプレゼントがなかったりした。

決して貧乏な家じゃなかったとおもう。世帯年収で1500万円ぐらいあったらしいし。

こどものころは「そういうものかー」と思っていたけど、高校生ときに、私だけご飯が出なくなってから異常であることに気づいた。

なんとか祖父母の家に転がり込んで勉強した。

地元から離れたくて一生懸命勉強した。

運良く地底に合格できて一人暮らしを始めた。

8割ぐらいの新入生が一人暮らしをする大学だった。

入学金と授業料祖父母に払ってもらった。

きっと、この決断のせいで人生がだめになったように思う。

入学して半年祖父母が亡くなり、保証人がいなくなった。

未成年に住むところを貸してくれる会社もなければ借りられるお金もない。

教科書を買うお金もない。理系だったから (?) なおさら教科書が高かったように思う。

奨学金も借りられない。一般的日本学生支援機構奨学金は親の収入証明必要になる。

親に収入証明を出してもらおうとお願いし、土下座までしたが蹴り飛ばされて終わった。

今までで一番ひどい暴力だったが、痛みよりも呆然とした気持ちでいっぱいだった。

なんとか、友人の家や先輩の家に転がり込んで、生活費を稼ごうと居酒屋バイトした。

まかないは好きなだけ食べて良いお店だったから、食べるのは1日1食でなんとかしのいだ。店長理解してくれる人で、余り物をもらって持ち帰ったりもした。

ずるずると4年生になって、研究室に配属された。

その頃にはバイトでなんとかお金を貯めることができて、家も借りられた。家賃1.5万円の築40年以上経過してる、寝るためだけの場所

研究は、目の前のことに集中していればいいから楽だった。まわりは大変そうだったけど、私にとっては現実逃避のようなものだった。

ふと冷静になると、友人や同級生家族に支えられながら、心配されながら暮らしているのに、私はなんてみじめなんだろうと感じた。

そういうのを感じたくないか年末年始お盆もただただ研究してた。

別に楽しいとか好奇心とかはなく、逃げるために研究してたのかもしれない。

ラボスタッフには褒められてうれしかったけど、どこまでもみじめだと思ってた。

就活もしたかったけどお金がなくてできなかった。地方大で就活する場合一般的に30万円ほど必要になるらしい。

例年、4年生の9割近くは大学修士課程に進学する大学で、同級生は当たり前のように進学を希望していて、もちろん親に援助してもらっていて、なお一層つらくなった。

就活するにも進学するにもお金必要で、でも親の協力を得られないとなんにもできない日本が嫌になった。

ここまで生きるのを頑張ってきて、必死でやってきたことを無駄にしたくなかったから、理解してくれた知人を尋ね回って進学する資金を集めた。

そのまま修士課程必死に頑張り続けて、ようやく修士論文提出の直前まで来た。

ただ、やっぱりふとした瞬間に、どこまでもみじめで、どうしようもないやるせなさに襲われる。

来年からDC1に採択されてきっと生活は楽になるけど、ここまでで350万円も奨学金以外の借金を背負ってしまった。

かに奨学金は親の収入が少ない学生には配慮しているけれど、私のような親との関係性が悪い学生のことは考慮してくれないのだろう。

つくづく日本という国のシステムが嫌になる。他国がどうなってるかは知らないけど。

理系博士課程1人を育てるために、1億円近い税金が投入されているらしい。

そりゃ確かに1 mL10万円もする試薬もざらにあるし、多分本当にそのくらいかかっているんだろう。

一方で私が払った学費たかだか500万円にも満たないものだ。

でも、どうしても日本という国が好きになれない。もっと人間らしい生活を送りたかった。もっと大学生らしいことをしたかった。

だって新しい服を買いたいと思ったし、趣味お金を使うこともしたかった。旅行にいける友人がうらやましかった。

私の青春はきっと、来ないままで終わるんだろうなって思うと無性に悔しくなる。

ちょっと前までは全部親が悪い、日本が悪いと思いこんでやり過ごせていたけれど、最近はすべてなにかに責任押し付けようとしてそれらしい理由を探しているんじゃないかと思ってきた。

何が正しいのかはわからないけど。

どうすれば正解だったんだろうなぁ。一般に楽しくて自由な期間は全て終わってしまった。私にはモラトリアム期間はなかったんだろう。明日明後日も漫然と研究して、過ごすんだろうなぁ。

今後もずっと親と国を憎みながら、過ごすんだろうなって想像できる。

もっと良い両親の下に生まれたかった。なにもかもが悔しい。

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1/22 追記

はじめて投稿してみましたが、予想以上の方々に反応していただきありがとうございました。

賛同・同情してくださった意見批判してくださった意見のどちらも、ありがたく受け止めさせていただきます

また、本文中で触れていませんでしたが、私の大学生活を支えてくれた祖父母・知人には、当然ですが心から感謝しています

その上で、私が思ったことについて返答させていただきます

(引用) 本人に貸与されるタイプは親のいらないし そもそも働けばいいのでは?

前半部分について、本人に貸与されるタイプでも親のサイン・判子は必要になると思います。最も一般的日本学生支援機構第一種第二種奨学金でも、機関保証を用いている場合だとしても親・もしくは後見人同意確認必要でした。そのため、私は借りることができませんでした。企業財団法人から奨学金に関しては、すべてをチェックしているわけではないので100%ないとは言えませんが、ご存知でしたら後学のためにおしえていただきたいです。

また、後半部分についてですが、これはそのとおりだと思います大学に行きたいというのは私のわがままであることは自覚しています (言い訳としては、大学入学時には祖父母が健在だったため、途中で、資金が大きく不足することを予定していませんでした) 。その上でですが、50%は大学進学しないというご指摘いただいたように、言い返せば50%が大学進学できる日本で、親の援助が受けられないという理由だけで大学進学ができなくなるとしたら、それは大きな問題であると思います借金を背負ってでも大学勉強したいという意思がある場合には、最低限人間らしい暮らしの中で、勉学に集中できる程度の援助が受けられる体制があれば良いなと思っていますとはいえ、国が憎いというのは確かに過剰な表現でした。申し訳ありませんでした。

(引用) 親が貧乏なケースよりも、親が金持ち年収1000万超とかで色々な支援がなくなる)だけど非協力的な方が詰むケース多いよね。

(引用) 自分だけメシがない、っていうのは平等にメシがないより辛いよね

私が一番強く言いたかったのはこれです。簡潔にまとめてくださりありがとうございます

はじめて自分経験文章にして、自分の考えがまとまったようでスッキリしました。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

2020-01-19

anond:20200119162713

愛する女と最高に気持ちいいセックスができるだけで人生勝ち組だよ

どんなに小ぎれいリア充っぽい青春を送ったイケメン男性でも

その権利をもてる男は1割にも満たないだろう

2020-01-18

anond:20200118165148

高校の時私服のけばいブスがおったか

すっぴん制服文化がなくても輝く青春などないぞ

スーパーコンパニオンバイトをしたら友達をなくした話。

といっても、私は元から友達いないほうだし、なくした友達というのも「ママ友」よりも薄い繋がりだったから、メンタル傷ついたとかはないけど。

大学生の頃、バイトしてたスナックバイト仲間に「たった一晩だけ」という約束で、スーパーコンパニオンバイトの穴埋めをしてくれと頼まれた。私はよく知らないんだけど、仲間がいうには、スパコンバイトは四人チームでやることになっていて、一人でも欠けると連帯責任罰金一万円払わされるとかなんとか。それで、仲間のチームが一人、インフルで休んでしまったので、仲間は一万円払うのが嫌で私に泣きついてという訳。

それで、私はまあしょうがいか、一日だけだしと思ってOKした。一日ったって、たったの二時間。そして、時給は五千円。基本的に延長はないということだった。そこまで客に気に入られることってないらしくて。延長になったら多くの場合は、お客さん達と一緒にお風呂に入るらしかった。けど、お風呂に入ってもお客さんは女の子に触っちゃいけないことになってるから平気だという。

……まぁ、そんなの建前だよね。

後でスナックのお客さんから聞いた話では、スパコンはただのコンパニオンではないから、人前でセックスさせられるのは当たり前だし、それだけならまだマシで、ウンコ食わされても文句言えない奴だぞ、という話。

で、私が穴埋めに入った日は、稀にみるみる大当たり客にあたった、と、チームのお姉さん達が大喜びしていた。客はどこかの草ソフトボール部のおじさん達だった。

私達スパコンは、ただのコンパニオンみたいに配膳を手伝ったりお酌をしたり空いた食器を下げたりした。そして、宴もたけなわになって来ると、お酒やご馳走のお相伴にあずかった。

で、お客さん達は私達を気に入ってくれて、二時間延長してお客さんの部屋で宅飲みみたいなことをしようということになった。

本当に、ただ普通に宅飲みをする、という奇跡が起きた。普通はそれ、当たり前にセックスするコースだってさ……。なのに、奇跡が起きたんですよ。

「久しぶりに青春にかえれた」

中学高校修学旅行みたいで楽しかった」

お客さん達は爽やかにそう言った。

一人、私と二人きりになりたがっていたお客さんがいたけど、他の皆が中学高校生みたいにワーイワーイしている時に抜け駆けする気にはなれなかったようだ。


そんな感じで、バイト嬢、一人二万円。四人で合計八万円貰った訳なので、たぶん派遣元には同額以上の金が入っているだろうから(これは完全に私の想像)、お客さん達は、特に何もしないのに16万~20万も払ったってことだ。割勘で一万円ちょっと。たぶん、一番攻めた人でもお尻触ったり腰を抱いたりしかしていない。後は思いがけずに青春したくらいで。

ベテランのお姉さん達は帰りの車の中で泣いて喜んだくらい、例外的出来事だった。

私は本当にそれだけしかスパコンをやらなかった。しかし仲間はそれ以降も続けた。どうやら仲間は運が良かったみたいで、私が穴埋めに入った日以前に三日働いたことがあったらしいのだけど、一度も客とセックスしなきゃいけない局面に当たったことが無かったらしい。で、四度目で大当たり客を引いたせいで味をしめたというか、自分を「ただのコンパニオン」だと思い込んでしまったらしかった。

いつものスナックバイトで、仲間は他のバイトの皆にあの日のことを話して、「素人増田さんでも出来たんだから大丈夫だよ」と言って勧誘した。インフルで休んだあの子がそのままスパコンを辞めてしまたからだ。いわゆるバックレとか、飛ぶってやつで。

「私はもうやらない」

って、私はその場で宣言した。なぜかというと、スパコンの先輩のお姉さん方が泣いて喜ぶほどにあの客は例外だったからで、普段スパコンは客とお風呂に入るし、部屋に呼ばれればセックスしなければならないのが普通だということだったから。

けどそのときはまだ客からウンコ食わされることがあるとは知らなかったので、仲間が勧誘するのを強く反対はしなかった。

そしたら、そこにいた一人の、私の同期の友達が、そんな美味しい仕事ならやってみたいと言い出した。一緒に増田もやろうって言うから、嫌だの一点張りで通した。

それからしばらくして、友達スナックバイトに来なくなった。知らないうちに辞めていたのだ。そして、大学の同期達から私は変な目でみられるようになり、話し掛けても避けられるようになった。

仲間はスナックを辞めなかったが、スパコンは私と働いた次のシフトで即辞めたという。何でか聞いたけど、お願いだから思い出させないでくれと、首を振るばかりだった。

その件で私は同期達の全員ではないが一部からハブられてしまった。ハブ人達は口を聞いてくれないからわからなかったけど、たぶん、「大勢の客のセックス相手をたった四人でしても平気な奴」と思われたのだと思う。


追記

何故、友達勧誘されてノリノリになっているのを、私は止めなかったのかについて。

その時は自分がしたスーパーコンパニオンバイトの危うさを、あまり深刻に感じていなかったから。

あのインフルで当日欠勤した人の代打をした時は、本当に無知だった。スーパーコンパニオンのことはさっぱり知らなかったし、コンパニオンのこともうっすらボンヤリとしか知らなかった。

それからスナックでいつも通りバイトしてる時に、この間臨時バイトコンパニオンやってきたー、と、常連のお客さん達に話したことで、コンパニオンというのものを少し知ったのだけど、お客さん達の説明が、ただのコンパニオンスーパーコンパニオン混同している感じだったので、私の理解もまだらだった。その時得たコンパニオンという職業知識は、

  • 表向きはそういうことになっているが、実質セクハラは当たり前だし、性行為もお客さんがやらせろって言ってきたら断れない。

そんな感じ。本当は、ただのコンパニオン仕事が上二つで、スーパーコンパニオンは全部やる、という区別があるっぽい。

のした「コンパニオン」がただのコンパニオンではなく「スーパーコンパニオン」だったと発覚したのはもっとずっと後のことで、性風俗に詳しい男の人との雑談で、コンパニオンをしたときの話をしたら、「それがスーパーコンパニオンだよぉ!」と言われた。決め手はコンパニオン仕事をするとき支給された制服だった。ショーツブラジャーだけ着た上に、直接、ピンク色のペラペラスーツみたいな制服を着た。HUNTER×HUNTERパクノダが着てるスーツピンク色にした感じ。フツーのコンパニオンはそんな無防備な格好はさせられない、ということだった。

ともあれ、同期の友達(実は数人の子が一度に勧誘されて、彼女らが更に友達を誘って派遣登録していた)が勧誘されてた時には、私はコンパニオンってガチで勤めるとなんか大変そう……一緒に働いたお姉さん達も、普段もっとハードだし嫌な仕事だよって言ってたし……くらいの認識しかなかった。

うっすらボンヤリ、危ない予感がしたので、友達から「どんな仕事?楽なんでしょ?」と聞かれても、「少なくとも私には向いていないと思ったし、私は二度とやりたくない」としかわず、あの夜の仕事が実はなんか楽しかったということは一切口外していない。「嫌だ」の一点張りで通した。

あん仕事やったら駄目だとは言えなかった。何故なら、私自身は全く危ない目に遭っていなかったので、具体的に何がどう危ないと言えなかった。

それに、一緒に働いた二人のお姉さん達は、それ一本で生活している人達で、嫌な仕事愚痴りつつも、それなりプロ意識を持って働いているという人達だったので、「あん仕事」なんて馬鹿にしたようなことは言いたくないと思った。私なんかたった四時間他人代打で働いただけだしね。

私はただの代打だったから、源氏名をつけられて制服を着せられはしたものの、私の顔も素性も派遣会社は知らないままだった。チームの管理はチームのメンバー自力でやっていたことなので。

もし本当に派遣会社に登録していたら、何があっても中々辞められないと思うだろうし、怖いだろうなあ。しっかり素性をおさえられているのだから。常日頃から、一人でも欠けたら罰金一万円だからな!と脅されていたわけだし。

友達臨時ではなくガチ登録してしまったので大変だったと思う。

私はただ臨時で働いて、特にヤバいことは何もしていないが、同期達から「キッッッモ!」と後ろ指を差されたくらいだ。友達、同期といっても所詮大学の中での狭くて薄い繋がりだから、切られたところでどってことはない。



しっかし、何がなんでも止めるべきだったのかなぁ。止めるべきだったんだろうね。ただ、何人もでやりたいやりたい騒いでるところで私一人が反対しても無力だったんじゃないかなあって思うけど。

ともあれ、「楽して稼げる美味しい仕事」が我も我もって感じで狭い仲間内流行ったんだけど、結局何人かが痛い目見たら責任の擦り合いになって、私は擦り付けられた方だった訳。私は当時自分のいたコミュニティに全く未練がなかったからいいけど、コミュニティにすごく思い入れがあったなら、きっとこれって辛い出来事だったよね?

からパパ活をしてる友達が羨ましい女子大生」に言いたいのはそれ。パパ活のもの自分は痛い目見ないかもしれないけど、友達の誰かが痛い目見れば、結局、友達同士の関係が壊れて泣くことになる、ということ。



※このエントリはこの記事↓読んで書きました。

https://note.com/taisuke1972/n/n265987ff46e8

2020-01-14

anond:20200114084730

もう青春も終わったし、デートぐらいしたかったとないてもなんももどらないし

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