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はてなキーワード: 退院とは

2023-03-27

anond:20230326133216

介護家族簡単退院できない精神病院入院にまで持ってく方法

ブコメコメント文言の間違いに言及いただきありがとうございました。医療措置入院医療保護入院です。訂正いたします。プロや詳しい方の説明もあるので困ってる方ぜひその辺りもチェックしてほしい。痴呆認知症修正素人ゆえお許しをすまん。

認知症などで暴言のような問題行動が発生し家族が大変な場合普通病院介護施設では介護される家族意志尊重しないといけない為ごねると入所入院させれないけど、医療保護入院医者許可がないと退院できない)制度を使って負担を軽減できる。

基本こっちは書かない主義なんだがお困りの様子なので私が父を精神科保護入院まで持ってきた過程晒す。参考にしてほしい。

私の父は80代後半で要介護1がついてた(これがめちゃくちゃ効いた。すぐ介護医療プロに繋がれた。申請してくれてた母に大感謝)だが、母が持病の悪化きっかけに認知症の初期に入ったための介護まり、それををきっかけに父も一人暮らしになったので介護サービスの開始検討始めたが元々元記事のお父様の様な孤独ヒキこもり老人でコミュニケーションスキル皆無の上物忘れが進んで暴言炸裂のため(それでも元記事のお父様よりはマシな状態担当ケアマネージャさんに母の介護プランも含め相談始めた。これがまず良かった。

担当ケアマネさん優秀な方で初めててで介護の右も左もわからん、もち精神科入院まだ考えてない状態の私に今までの経緯はもちろん

*早めのかかりつけ医への相談と父への説明と説得をお願いする事(精神科入院にはかかりつけ医紹介状必要なため、この相談実績がいる。家族状態がマシな場合はこれだけで家族の言うことを聞く時もある。この手の暴言吐くタイプ認知症の人は権威に弱くえらい人や医者には比較的素直)

市役所介護施設の申請方法役所申請主義のためとにかく早め早めの申請問題解決スピードを上げる)

医療介護は別分野なので職務責任サービスが違うこと、できることとできないことをはっきり説明

上記を的確に指示してくれたので、かなり入院までの事務申請や他病院への相談の手間や時間を省くことができた。ケアマネージャは介護サービス運用責任者で介護キーパーソンなので大事なお付き合いである(但しハズレのケアマネさんもいるとわ聞いたわ・・)

上記のようにプロへの相談はとっても大事なのでなるべく相談先は確保

地元担当地域包括センター市役所介護窓口、相談することで困ってる度合いを自治体アピールしていざって時の援助をスムーズに。もち情報市役所部門にも共有するので相談実績積む方がいい。元記事の方地域包括センター職員さんの訪問あるっぽいのでバッチリ記録残ってると思うぞ。市独自介護サービス教えてくれたり暴言暴力振るう患者も運んでくれるタクシーの紹介もしてくれたぞ!

病院医療相談員。入退院できる病院は基本ずっと患者に居てられると儲からないんで退院支援するんだけどこちらの担当がこの方々。でも病院内の介護福祉専門家なんでこちらでも相談できる。上記ケアマネージャさんと事務上の連携もいるし、退院相談する事になるんで先にこちらも声がけしといた方がいい。

*もち家族担当してくれたお医者さんや看護師さんには医療内容を報連相

てな感じでガリガリプロを巻き込む。手間も時間もかかるけど結果ある程度の解決まではスピードアップできる。(但しこちらも当たり外れがあるといるとわ聞いたわ・・)

こんな感じで介護医療は登場するプレイヤーが多いので

家族が今まで起こした暴言や困った行動などの経過をなるべく日付つきで記録しておく。メモでもいいと思うけど私はGoogleドキュメントにまとめてメール使える医療機関さんには共有URL教えたり、共有URLQRコードにしたり、コピペメールに貼ったり、FAXしかない病院でも印刷してコンビニから送ったりしてなるべく家族の訴えをスムーズにした。口頭だけだとここでも時間取られて大変。

介護申請してもサービス受けるの難しそう(介護申請して要支援1〜2、要介護1〜5認定降りるとサービス受けれることになる)なら元記事の方のお父様素人目には認知症っぽいので精神科の「物忘れ外来」って名前地元病院探して(地域包括センターでも紹介してくれる可能性あり)受診認知症の診断できるの精神科なので、こっち先に受診してもいいと思う。元記事のお父様酒多いのでアル中依存症で診断出る可能性もあり。うちの場合医者にはまだ行く人だったけど精神科は嫌がる可能性あったんで「前の病院診断書でた」と言ってそれ以外何も説明しないで精神科連れてった。バレないよ、どうせ認知機能落ちてるもん。

こんな感じで先にケアマネさんから紹介いただいた精神科に事前面会して、かかりつけ医&他の病院紹介状添え医療保護入院となりました。入院したら早めに

*看取り(ぶっちゃけ死ぬまで)病院で面倒見ていただけるか?できないならそれに対応できる病院を紹介してほしい

病院相談員さんには伝えた方がいいと思う。

まあ上記の様な経過で私の場合は一旦落ち着く状態には持って行けた。プレイヤー多いしいっぱい申請あるけど、ここまで持って行けたらだいぶ負担減るので元記事の方の参考になったら幸いです。なお

暴言暴力家族精神科のお医者様や看護師さんなどスタッフの方々に迷惑かけるんじゃないか心配されると思います。私もしたんでスタッフの皆様に頭下げました。経過報告いただいたがちゃんと投薬調整していただいて大人しくしてる様です。それきいた私&旦那&息子's「プロすッゲーー!まじスッゲーー!!」

*「暴言暴力行うとはいえ家族の世話できないなんて」って悩むとても良い性格の方もいると思う。優しいなえらい!でも下手に素人が介入してっ事態ややこしくするよりプロに適切な介入してもらった方が暴言暴力家族本人のQOLも上がると思う。

現場からは以上です。皆様の参考になれば幸いです。

  • ここより追記 -----------------------

結構ブコメコメントついてて同じような立場の人が多いなとは思った。「姥捨山」と言われる件については私個人としては「はいそうです」と答えます

父の暴言については親子関係がガッタガタになる程度の言葉は吐かれたので、ぶっちゃけ父のQOLがあがろうが下がろうがどーでもいいと言うのが正直な話。何より父の暴言から家族を守りたかったので。ただ世の中私の様な薄情もんばかりではなく親御さんの介護問題について悩むめっちゃ良いお子さん方がいっぱいいると思うので、そうゆう人には「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」と言いたい。実際問題私の父は認知機能落ちて飲まなければいけない薬の管理はできてなかったし、当然昔の人なんで家事一切できない、実家は荒れ放題で不衛生この上なく娘の私、介護プロの介入も一切受け付けなかったので法的に申請できる私が対応した次第。

あと、医療保護入院利用して思ったのがちゃん医師紹介状病院相談員の介入がないと難しい仕組みになってること。上記記事に登場する専門家みなさん介護福祉士、医師社会福祉士精神保健福祉士など皆さん見事に国家資格持ちの方々で、こちらの皆様は法律に則った運用しないと法律違反なっちゃ立場と思うので、患者家族患者人権無視した行動したらそれなりの対応は取られると思いますよ。そこで患者人権守るための仕組みを担保されてるのではないかな?とは思いました。

あとプロや詳しい方コメント解説や補足ありがとうございます。助かります


あともう少し補足

介護保険被保険者証と後期高齢国民保険証は必ずチェック

医療介護受ける際この書類は必ずいるので必ず実家から探して念の為写真撮ってクラウド上げてスマホで持ち歩くと各種申請書類作成時便利。とにかくプレイヤーが多いのでケアマネさんや相談員の方の名刺や名札も失礼のない範囲写真撮影してスマホ入れとくと連絡とりやすい。

お金について

私と夫はフルタイムで働いてるのでまだ費用面についてはマシな方なんでこの辺りは調査甘いけど、病院も取りっぱぐれたくないのでパンフレットにたいてい治療費相談窓口を掲載して各種医療費の補助相談乗ってくれる。介護ケアマネ相談できるんで諦める前にやっぱりまずプロ相談だ。

この記事は私が親の介護医療に関わって役たつなってことを紹介する目的なんで、父と人間関係上何起こったかを詳しく書く気はない。読んでいただいた方もそこは読みたくないと思うし、胸糞悪いよ。ただ母に関してはプロに頼りつつ腹括って介護する気ではいる。同じ認知症でも今までの生き様含め周りの対応に差は出るとは思うよ。独身でも周りに信頼されてる人も入れば元増田の親御さんみたいに認知症発症から家族からの信頼0の人もいるし死に様はそれまでの生き様でるわ。

anond:20230326133216

うちの父(70代半ば)も似たような素行のあげく精神科退院繰り返してる。暴力を振るわれた時は地域精神科救急センター等に相談するとよいかも。他害は措置入院要件になる。最初は本人も家族もショックかもしれないけど病名と診断がつけばある程度落ち着いて対処できるようになってくる。その後も解決することはなくうんざりすることばかりだと思うけど、専門家も含めて腰を据えて対応していけますよう。

新生児の育休パパの生活

無事、女の子が生まれた。先日退院して、母子ともに健康で数週間が経つ。

育休を数か月とったので、家事育児をそれなりに頑張っている。

もともと結構家事はやっていた方だと思う。料理関連すべてと買い出し、ゴミだし、風呂掃除洗濯などは私の担当。妻は、時々洗濯をしてくれたり、トイレ掃除など私がやらないあちこち掃除全般担当。なので、新生児が家にいるようになっても、家事は基本私がやってる。

母乳ミルクは混合でやっている。私がやるおむつ替えや授乳などは半分の4-5回。夜はシフト制で交互に睡眠をとっているので、夕方から深夜にやることが多い。

先日、思いやりが足りないと怒られた。出産後遺症椅子に座るのも痛いし、母乳を出すのも大変だからもっと労われと。たしかにやってくれてはいるが、私には自分時間がないのに、たまに漫画とか読んでるのが我慢ならんと。

結果、家事を含めおむつがえミルクなど、基本できることは全部私がやることにした。例えば、搾乳や産院への定期健診などの通院は夫は付き添えないのでそれ系は全部妻がやる。

このスタイルは1か月くらいたって、妻の体がある程度回復するまでは続けるだろう。

タスク量的には私の方が全然多く、労わっているつもりだったのでちょっと驚いた。退院時、泣くくらい母乳トレーニングは泣くだと聞いて身を削ってると怖かったが、そこまでとは。私には乳腺がないなので、まったく想像できない。想像できない痛みを想像するのは難しい。

子供はたしかかわいい。きちんとミルクを与えて頻繁におむつを交換しており、ミルクと搾母乳授乳間隔を調整しているが、そのうえで赤ちゃんが泣いていても何も思わないくらいにはドライだ。もちろん多少あやしたりはするが、基本的需要が満たされていれば、問題ないと判断する。何冊か本を読んでモンテッソーリなどやってみたいが、あまり期待しすぎず、健康で育ってくれればそれでいい。

妻は子供のこと調べまくってるが、二人ともそれなりに本を読んだしもう調べることないのではと思う。なので、やることやってれば、ちょっと休憩で漫画読むくらいよい気もする。


産後鬱ピークは二週間目。たしか身体が痛くて、まわりのフォローがまずいと鬱になるのはわかる。

新生児がいて育休中のパパのみんなの生活は、どんな感じなんだろうか?妻にしてよかったことなど教えてください。赤ちゃんはよく寝て、よくミルクを飲んで、ぐずりとかもほぼないです。

追記

コメント全部みてます。初めて投稿したけど、コメントもらえて嬉しい。

いくつか追加情報

新生児は、基本3時間おきの授乳以外ずっと寝てます。なのでお昼寝とかない。しかも他の子より、よく寝るらしい。今のところ、一緒に妻が寝てることもほぼない。またベビーベッドなので、基本危険はないはず。

沐浴ワンオペ不可能なので、二人で入れてます

定期検診などの病院は、徒歩5分なので、歩いて一人で行ってもらってます。たまにお迎えも行く。

2023-03-26

父親狂い始めてどうしていいかからない

父親、70代半ば。

定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。

人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。

で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識おかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。

友達とかはいない。

一緒に遊びに行く友達存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。

すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。

極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。

テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。

聞いてる側も気分悪いのでいつから家族もまともに返事しなくなった。

気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。

目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。

地方都市なのでヨボヨボだが車を運転していく。

食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパー弁当なんかも置いておくと食べてたりする。

で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。

夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツ馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。

父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタ自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。

第三者SOSを出すとしたらどこなんだろう?

暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察

保健所相談したらどこかと繋げてくれるんだろうか。

アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。

病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。

今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホメモ帳に付け始めた。

他に準備できることあるんだろうか。

追記

散歩くらいしたらって言ってるんだけど、行かないね

家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね

習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそう

きっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう

追記

たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのと

この手の高齢男性って多分たくさんいるんだろな

自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝謝罪を口にできる訓練をしておいてほしい

そういう意固地って自分の行動範囲自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから

社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい

犬は飼ってるけど、ペット管理過去やらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ

から犬の散歩もしないし犬の粗相家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだった

とりあえず保健所福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う

高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力相手ちゃんと人として扱うって大事すぎるなって

父親尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳ゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです

実は2年前に父親食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から単位での入院コンボかましている

部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい

昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)

趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい

追記

初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています

共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。

増田本人の心配をしてくださる方のお声もありがたいです。

コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか

通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情データも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかな

そういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。

訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに

誰の言うことなら聞くんだろう

追記

ネット検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的匿名ダイアリーブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知感謝です。

既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなと

たくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格おかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント

一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。

増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。

他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。

あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親

娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。

反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン

色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理距離を取る、を第一目的に動こうと思う。

前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。

入院してて退院前後介護認定3がもらえた(という表現おかしいが)ので話早いといいな

酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。

酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。

結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかいからそういう思想なくなればいい。

教育テレビ尊大自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか

追記

思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報ありがとう

自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。

今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。

このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいな

ソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。

将来が不安だったり、不安定な身内がいる人たち、自分も含めて穏やかに過ごしていけるといいね

日光浴して、肉食って、歩いて、無理せず笑える日常がそこにありますよう。

2023-03-23

退院したらちゃんとしたラーメンが食いたい

くっさい豚骨ラーメン紅生姜乗せて、替え玉もするんだ

2023-03-21

なんで、そんなに結婚したいのか分からない。

子供欲しいので結婚するんなら、理解できる。

日本制度だと、結婚していた方が子供にとってクリーンだし行政の補助も受けられる。

補助に関してはシングルでも受けられるけど、そもそも、ある程度の稼ぎが無いとワンオペ育児しんどいだろうし。(金があれば人を雇えるので)でもシングル対象の手当も出るし実際はイケるのか?わからんけど。

たとえば夫が積極的オムツを変えなかろうが他の部分で補完しあえていれば良いのだろうし、このへんは個別事情として。とりあえず手は増えている。


んで、別に子供は考えてないけど結婚したいって、なんで?って思う。

結婚行政から補助金出るとはいえ、一回だし。扶養手当なんかも共働きだったら誤差の範囲では?という気もする。


私は他人と暮らす労力がしんどいので、別に結婚したくない。

子供特に生みたくない。十ヶ月も行動制限されたあげく、生んでも母乳が止まるまで乳から液体が垂れ流しになるとか未知すぎて気持ち悪いタイプ人間なので。あと無事に生んでもホルモンバランス崩れるし体の線も崩れるし、とにかく体弱るし老ける。芸能人が生んでも美しいままなのは産後ケア努力根性と金かけてやってるからだよ。あと一部の特異体質。

骨盤がもとに戻るまで赤ん坊に構ってられません、とか一般人には許されない。

生んで即退院じゃん、普通病院は。

そもそも結婚相手の三等親までクリーンな経歴かって、わりと博打

なにしろ面倒じゃん、結婚にまつわるアレコレ。

結婚式も、特にしたくない。

というか神前式とかならまあ七五三とか成人式とかの流れで馴染みもあるし、神仏習合意味で死後は仏教の墓に入ってきた家の育ちが殆どであろう日本で、まあ不思議でもないんだけど。

ドレス着てファッション牧師チャペルもどき特に信仰してない唯一神に誓いを立てる意味が分からない。コスプレ撮影会の豪華なやつとしか。あと披露宴親族に友人知人に職場関係者晒し者になるの楽しくない。余興とか別に、ほんと楽しくない。友人にうすらさむい賛美のスピーチしてもらうの楽しくない。

やりたいやつがやればいい、趣味問題しか思えない。

でも親類縁者に結婚報告は何かしらの形で必要かもしれないので、やっぱり趣味形態が違うだけ、としか。そんで私はドレスを着る趣味がない。



子供を成人させるのに掛かる費用と、老後に適度なホームに入る費用と、どっちもどっちでは?とかも思う。

骨はまあ、粛々と無縁仏にしておいてもろて。


で、なんで結婚したいの?世の中の人

2023-03-19

孤独感で母が倒れた

昨日60手前の母が倒れた。原因は孤独感だったみたいで衝撃を受けたので徒然なるままにまとめる。

____

父親DV挙句に早死にしたので、長いことシングルマザーとしてやってきた母。

DVの影響か鬱っぽいの続いている。

もともと責任感の強い人で、大学までは親の責任として学費を出すと言い、本当に出してくれた。

大学卒業したら親卒業からと言って、老後は自分で面倒を見るから迷惑かけない。と言って、年に数回スマホの使い方がわからないとかをLINEする以外で助けを求めることがない。母の実家飛行機距離で数年に一度帰るくらい。父親の両親(私から見て祖父母)の面倒も最近まで積極的に見てた。

昨日、母が朝からめまい耳鳴りで起き上がれない」と電話が来て飛び起きた。脳卒中かなと思った。

救急車呼んだ方がいいと思う?」と聞かれ、この期に及んで人に頼りたくないかと思い、とりあえず迷うなら#7119で相談してみろと言って急いで身支度をした。

電話が来た時は救急隊員で、病院探してるので決まったら教える。と言われた。

最近実家の猫が危篤と言われ、実家に向かってる途中に亡くなってしまたことがあり、母も向かってる間に死んだらどうしようと思ってちょっと泣いた。

で、慌てて病院に行ったら原因はストレスから帰ってもらって大丈夫だと言われた。脳も血液検査大丈夫だったらしい。

ベットからまったく起き上がれない母を見て、そんなことある!?と思った。起きあがろうとすると胃の中のもの(もはや水しかない)を全部吐いてしまっていて、連れ帰ることすら厳しい。

このままだと連れて帰れないか入院させられないか相談したら、「別にいいけど原因がストレスからオススメしない」と言われ、おすすめしないと言われてもいやだから連れ帰るほうが大変なんだけどと正直困った。

母にストレスのことを話を聞いたら、確かに最近仕事親族のことでストレスがすごいと。思い出すとここ2日はまともにご飯も食べてなかった。家に帰ると孤独感がひどくて体冷えて辛く、お腹が空いても食べる気が起きないと言う。いやそれ鬱やんけと思ったのと同時に、永田カビさんの漫画で「孤独感で体の芯から冷える。物理的に体を温めても温まらない(意訳)」と書いてあったがこのことかと思った。

医者曰く、「我慢のし過ぎ」だと。普通、食欲がなくなったりしたら普通は休むけど、この人は他人に弱いところ見せられないから無理するし休めない。入院しても他人ばかりの環境においたら悪化してずっと退院できなくなる。家に帰って休んだ方がいい。しばらくは娘さんに面倒見てもらいな、と。



いやーーーーー!医者ってすごいね。無理矢理連れて帰って寝かしたらその日のうちに歩けるようになった。

薬飲んだのもあるし足元はおぼつかないけど1人でトイレに行けるようになった。何より吐かない。

家の中に誰かがいると言うのが1番安心するらしい。母を寝かした後暇すぎるのでテレビながらスマホいじってて、音がうるさかろうと寝室の扉を閉めたのに少し開けて欲しいと。

起きたら普通に会話するし、コーヒー飲みたいとか言う。流石に止めたけど代わりにコーヒーゼリーをパクパク食べた。

流れで最近のことを聞いたら、今まで楽しく見ていたアニメ漫画中国ドラマなどの娯楽が年々楽しめなくなっていて、ここ数ヶ月はテレビすらつけず。

仕事するか、寝るか。惰性で続けてるスマホゲームやるかという日々で、自分が発生させた音しかしないことに孤独を感じてたらしい。

人が家にいるだけで回復するなんてことあるのか…救急患者みてる人たちはすごいぜ…。

マジで適当に診断されてると思った。申し訳なかった。ありがとうございました。

起き上がるのに時間がかかるのとふらつく以外はほぼ回復していて、母に寝てろと言うのに「これがここにあるから使って」とかもてなそうとしてくる。死ぬまで母親やらせてた方が元気に過ごせる人なのかもと思った。

あと、好きなことを好きなタイミングで会話できる人がいると言うのがよかったらしい。職場の人とかは気を使ってしまってダメみたいだった。

医者の言うとおりしばらく実家に泊まって様子見をするが、数日のうちに「娘を無理矢理留まってもらってる」のが辛くなって無理を始めるのが目に見えているので今週中にはサクッと帰ろうと思っている。

(すでに申し訳ないらしく、杖を注文して1人で生きる準備を始めている)

幸い電車で1時間半くらいの距離なので、しばらくは頻繁に様子見に行くけど、その後も1-2ヶ月に一度くらいは遊びに行こうと思った。1日遊びに行くだけで倒れないなら安い。

あと、これからも私の近くでお世話になるつもりはないみたいなので、新しいコミュニティ作りも進めたい。

親どころか自分も年老いから生き方を考えなければと思った。

2023-03-16

子どもの頃に飯食わせてくれてた祖母が死んだ

諸々あって、父親からは知らないふりしてろと言われてる。

モヤモヤするので吐き出し。


時系列順に書くと

母親が重度の鬱になって入退院を繰り返す。

母親がいないあいだ、母方のばあちゃんが飯つくってくれた。ばあちゃんちは徒歩で行ける距離で、俺は小学生のころ、ばあちゃんのとこに寄って飯食って家に帰る生活をしてた。

高校生ときコンビニおにぎり食べたり、家にあるものレンチンしてしのいでた。母親はだいたい入院してて、家に帰ってくると色々やらかした。

俺はなんとか大学入って地元を離れた。


大学入ってすぐに、父母離婚

で、少しして母親が首を吊った。

ばあちゃんも病んじゃって未遂して、寝たきりになった。

でも、近くに住んでる母の弟さんが、ばあちゃんのこと介護してくれたから甘えてしまった。

たまにばあちゃんに顔見せにいってたけど、ここ数年はコロナ禍を言い訳に会いに行かなかった。

で、さっき父親から「母方の祖母半年前に亡くなってたらしい。お前は知ってたのか。知らないなら、これからも知らないふりをしてろ」と連絡が来た。

俺どうすればよかったんだろう。

あと、俺の連絡先知ってる母の弟さんから連絡ないのに、線香上げに行っていいんだろうか。

2023-03-14

東京に住んでると少子化とは思えんな

東京23区外にすんでる

それでも産院の予約があまり空きがない

助産院も予約でいっぱい

市内に産める病院複数あるから、早めに予約いれたら、どうしてもどうしても予約がとれなくて野良妊婦ですみたいなことには絶対ならないと思うけども

私が地方病院で産んだとき入院したのが大部屋なのに次々と他の人が退院していって最終的に広い大部屋に一人で入院してるという状況になったよ

陣痛が起きたとき陣痛室はわたし一人しかいなくて他はだれもこなかった

東京病院だと同じ日に複数人の妊婦出産するのは当たり前

普段病院の定期検診でも妊婦をたくさん見かける

東京はやっぱ人口すごい。ここにいたら少子化なんて思えない

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

少年院退院した不良少年就職先だったNHK訪問員がNHKから国民を守る党によって全廃させられて働き口がなくなったため闇バイト強盗致傷事件が多発するようになりました。

あーあ

適応障害になってから1年

30代、プログラマ。体調が悪くなり、仕事休み、様々な病院へ行った。

内科脳外科。心療内科に行った。

その過程で倒れて、救急車で運ばれたが、そこでは特になにもなく即日退院となった。

心療内科では、適応障害という診断がおり、休職したが、それからも私は仕事がまともにできなくなったと思い、結局退職することにした。

薬は鎮痛薬が処方され、それを飲み、横になる日々を送った。

よく考えたら、プログラムもめちゃくちゃ好きな人に比べたらそうでもないじゃないか

横になっている時にそんなことを考えた。

今は、少し回復して違う会社アルバイトをしている。

先生はえいね、と言う。

私の内のサイコパス的な声が語りかける。

お前はもう頑張ったじゃないか。今死ね保険金の条件もクリアしているし、何より働く必要もない、経済全体が良くなる展望もないじゃないか、と。

強盗をしてでも生きるべきなのだろうか?

人生、頑張って得たいものがあるだろうか?

死ぬ必要性はあるのだろうか?

ない。ない。……ないはずだ。

得たいもの平穏人生だ。ただ、働いている限り得られそうにないのだが。

2023-03-07

anond:20230307151009

小川麻衣子ひとりぼっちの地球侵略」全15巻

https://gekkansunday.net/work/475/

人口70万に満たない、そこそこ栄えた地方のそこそこな中心都市・松横市。

この春、高校入学する広瀬岬一は、入退院を繰り返す双子の兄・凪とは正反対健康優良児。

入学式当日、岬一の前に現れた“ひどい変わり者”の2年生・大鳥希。

「命をもらいに来た」と岬一に迫るが、岬一の身体は負った傷をたちどころに治してしまう。驚く彼に、彼女は態度を一転させて告げる。

「一緒にこの地球侵略しましょう」と――


 

 

 

青桐ナツflat」全8巻

https://magcomi.com/episode/13933686331605684933

マイペース高校生・平介。そんな平介の不動の日常を少し揺らしたのは、従弟の超忍耐幼児・秋(あき)で…。年の差凸凹コンビが贈るゆったりハートフルシリーズ





どちらも、連載中に読んでいて「これはアニメ化するだろ」と思ってたら完結してしまった。

2023-02-23

anond:20230222141750

マジでこの辺病院はやりたい放題なんだよな

入院期間が長くなると儲からなくなるから一度退院して再入院させたりとかするし

規制してほしい

2023-02-22

メンタル問題自分をノンバイナリーと思い込んでいた話

トランスジェンダーとその差別問題話題になってるから私の体験談を書きたいと思う

増田なので叩きは好きにどうぞ

当方23歳女

ASDADHD持ち

公立小学校特別支援学校高等部

精神疾患はないが精神科にかかっている

小学校の時は、絵が上手い子で有名だったし、大人しくて目立たない子だったけど、女の子らしい子ではなかったな

まり2013年精神科デビューしたこと

昔出された性教育の本は読んでいたし、言葉能力は優れていたので性知識Wikipediaで得た

精神科デビューの少し前に生理が来て、感覚過敏やら内科的な痛みに敏感なのもあってこの上なく嫌だった

当時は精神科医も支援者も、まだ変なのがいた

私のネット依存に対して、ネット機器を取り上げたりとか

後に知ったことだが依存症から依存対象物(例えばアルコール依存症ならアルコール)を取り上げるのはよろしくないんだって

それから自分はなんなんだろうか」と考え込んだ

性同一性障害と思い込んだんだけど、これは性同一性障害Wikiを見て存在は知っていたのでそれを思い出して「GIDかな?」と考えてた

バイセクシャルなのかもとぼんやり思っていたが、当時は明言できる程ではなかった

今はミレーナ入れてるけど、当時はPMSと経血が垂れる感触が嫌で何とかしたかった

当時は二次障害もあって母娘共に地獄だった

母親しょっちゅう殴ってたし、中2から不登校になった

ネトゲ廃人に片足突っ込んだり昼夜逆転して散々だった

でも上下両方の手術、ホルはしたくなかったし、可愛らしい女性と思われたいので胸や女性らしい体型はまだ好きだった

当時好きだった椎名林檎が歌えなくなるのが大きかった

この頃から自分ジェンダークィア、ノンバイナリーと思い込むようになった

ネットで調べて当てはめていったらそうなったんだと思う

その間に、精神科病院を何度も転院した

ネット禁止は1つ目の精神科だけど、2つ目の精神科先生が若手の人で慣れておらず、暴れる度に薬を大幅に増やされた

3つ目の精神科なんか最悪だった

先生が、言っていることは間違いでは無いが伝え方が下手な先生だった

例えば中3の私に「過去5年間にやった事を反省しろ!」とか、殴りたくて殴っている訳ではないのに「人を殴るのは異常だ」とか

それで病院に行く度にストレスを感じていた

思えばこのストレスもあるんだと思う

その後高等部に進学した

養護学校では一応形だけの受験はあるけど、学力を見る側面が大きい

その前後(2015年位)からLGBTが取り沙汰され始めた

それもあって余計に自分の性について色々考え始めた

女性の体はそのままでたかたから、エロ漫画であるようなふたなり女子になりたいと本気で思っていた時期があった

数年後

3つ目の精神科先生の幻影が見えた

それを突き飛ばしたら婆さん2人だった

言い訳にもならないが当時は病院にもろくに行ってなくて、切羽詰まった状況だった

よく心神喪失とかあるやん?あれは善悪区別がつかないと言うより、どちらかと言えば「そうせざるを得ないほど正常な判断ができない」に近いと思ってる

事件化して、私は逮捕された

逮捕時の取り調べで部屋に連れてこられた

あるのは大きな白い机とシンプル椅子刑事ドラマであるようなライトはない、あるのは軽いデジタル時計だけ

危険防止の為らしい

そこで身上を書いたり色々供述を述べた

時度供述調書を見せてもらい、必要に応じて私が手直しした

弁当差し入れられた

少し温かく、普通に美味かった

さなカリカリした梅干しの入った弁当だった

そこで精神科入院となった

3つ目の精神科

私は嫌だと言った

白い車に乗せられた

扉を開けると保護室だった

3つ目の精神科は、個室はおろか保護室にすらナースコールのない病院だった

先生から簡単には退院させんぞ!」と言われた

すぐさま私は怒って退院請求をした

理由もきちんと述べ、転院したいと書いた

それもあり私は転院し、そこで認知行動療法などの治療を受けた

ここでの治療については、専門書の類ではないのと、読みやすさの観点や本題とずれるので詳細は控える

その頃から患者さんとのやり取りなどで異性愛の男女の作法や、一般常識を徐々に知り始め、自分はノンバイナリーではなく、本来ビアン寄りのバイセクシャルではないかと考えるようになった

退院後は一悶着あって、その反省で自立の為の繋ぎとしてだが、生保を貰い一人暮らしをする事になり、彼氏も出来た

まだ先だが、彼氏同棲する事が決まればもちろん生保は切るつもり

最近、休息の為に入院したのだが、入院中に離人感(自分と外の世界の間に膜が張られているような感じ。現実世界VRに見えて少し面白かった)と解離性健忘(色々忘れて彼氏に怒られるくらい酷かった時期がある)が治った

安心出来る環境であったことなど様々な要因が絡んでいるのだと思う

私は忘れていた記憶を取り戻した

ずっと抱えていたもの

何となくモヤモヤする感じがあり、それにより分からなくなっていたのだ

それを自覚してからはノンバイナリーという概念から縁を切った

2023-02-16

anond:20230216204503

身内は精神疾患(入退院警察沙汰を繰り返す統合失調症)、自殺ヤクザ、となんだこの家は?と悩んでいた。が、発達障害血筋説明がつく。間違いない。淘汰されるべきなのだろう。

統合失調症一族: 遺伝か、環境https://amzn.asia/d/3F24pZY

この本に書いてある内容に近い。

いい歳して父親発言で泣いた

帝王切開出産して、退院後は実家にしばらく滞在することになった。

出産後だけど割と元気だね、という話から

父親に「やっぱり切って出してるから楽だもんなー。産道を通ってないから(自然分娩とは体力の消耗が)違うよ。楽だよ。」

とか散々言われて、私はその場では何も反論しなかったけど、

母親は「そう?そんなことないと思うよ。」と色々言ってくれた。

後になって号泣した。

出産はそれぞれみんな大変なはずなのに、分かったようなことを言ってほしくなかった。

母親が話を聞いてくれたのが救い。

お母さんありがとう

2023-02-14

から考えれば、あの子統合失調症だったんだな

「神の声が聞こえる」とか「自分の中に2人の人格がいてお話ししてる」とか言ってたし

テーブルにその二つの人格お茶出してたしなぁ・・・

その頃は病気への理解がなかったから、そういうのが見える人もいるんだなぁと思ってた

その後彼女病院入院し、退院した

会いたいけど、会ったら自分も引きずり込まれそうで怖いな

2023-02-13

多重人格実在した犯罪者ジミービリガン精神病により刑事責任を免れ強制入院処分となったわけだが病院根本的になにができるというのであろうか。犯罪を犯した人格を消去するみたいなことができないと退院した途端またやらかしそうだがそんな都合のいい技術はないだろうし。

やっぱ入院軟禁以上の意味は持たせられないか

三井「おう オレは三井あきらめの悪い男

どの口が言うとんねん

 

中学神奈川最優秀選手に輝くも湘北入学後、練習中にケガ

病院を抜け出して練習してケガ

練習できない間に、ヘタクソと見下してた赤木がチームの中心になっているのを見て心が折れる

バスケ部を逃げ出し不良へ

新1年の宮城を不良集団で襲うも前歯をぶち折られ入院

退院後、桜木宮城に絡んで殴られる

逆恨みしてバスケ部を廃部させるために不良集団体育館に乗り込む

桜木ボコられ赤木に殴られ無事死亡

 

どこにあきらめの悪い要素あるねん

控えめに言ってメンタルゴミやろ

 

てか三井入院してる間、安西はなにしとってん

お前がちゃんと見舞いに行って

「今はケガを治すことに集中しなさい。君の能力は認めている云々」

言ってやれば何もかも丸く収まったんちゃうんか

寝てたんか?

2023-02-12

anond:20230211122101

似たような経験がある。

持病関連で出来た友達がいて、入退院を繰り返していつも体力がなかった。

なので歩いてゲームができるIngressリハビリに最適だった。

ゼイリブが大好きな俺はもちろん緑だったんだけど友達は青でやってた。

彼はまあ家業みたいなのがあって、時間はほぼ自由になる職業だったのでそのうち原付きを買って

夜な夜な都内荒らし回る地獄レジスタンスプレイヤーみたいになっていった。

さすがに和歌山とかまで遠征にいくような人じゃないけど、都内の緑からしたら

かなりのヘイトを買うプレイスタイルだったんだろう。アンチみたいなのが増えた。

そして個人(見た目)を特定されたけどそれでもプレイスタイルはかわらない。

いつでもどこでも、壊せるものは全部ぶっ壊しに行った。

ほぼ24時間やってたか無職だと思われてたろうけどまあ似たようなもんだけど大家からね。

そのうち位置情報偽装して破壊してると濡れ衣をかけられて、リアルストーカーされたプレイヤー

因縁をつけられたあげくにスマホを取られて眼の前でヘシおられたそうな。

いちおう警察行こうかっていうと大人しくついてきたらしいんだけど

さすがにそんなしょうもない騒動警察相手したくないよね。

「壊しちゃったなら弁償してね」みたいなことをいわれたらしい。

でも相手からしたら無職チート野郎を成敗してやった気持ちなのか、弁償はされず。

面白かったので当然ネット掲示板陣営チャット書き込みをした。もちろん全体(両陣営が見られる)にも。

都内複数で回るレイド?とかが多かったので、通報多数で俺のアカウントロックされた。

その後の相手のことは知らないけど友達はさすがにウンザリしたのか今は変なマイナーソシャゲをやってるみたい。

まあ刺されなくてよかったよねと今では笑い話ではある。

みなさんもくれぐれもご安全に。遭難した人とかいたからね。

ノリで子どもを産むな【追記

※一番最後追記しました。

親になる資格必要になる世界みたいな漫画話題になっていたので。

覚悟もないのに子どもを欲しがるなまじで。ペット飼うときですら育てられるか考えろって口酸っぱく言われるだろ。

うちには息子が2人いた。長男は今年20歳を迎えて元気でやっている。(一応少しフェイクを入れて書く)

次男は2歳でこの世を去った。

妊娠からやや小さめだった。長男も生まれとき小さかったので気にしていなかったが、結構ギリギリになって障害病気があるだろうということが発覚。

中絶できる時期はとうに過ぎていて生んで育てる以外の道はなかった。生まれ次男複数障害を持っていた。

赤ん坊なんてみんな猿かガッツ石松みたいな顔をしているけど、次男は握り潰した粘土か何かかと思った。生き物という感覚すら持てなかった。

可愛いと思えなかったし、生きてる間ほぼそう感じることも、感じたいとすら思えなかった。まだダウン症のほうが可愛いと思えた気がする。

障がい児の親が自分の子「天使」とか言って可愛がっているのは本当に尊敬する。嘘でもそんなこと言えなかった。

ただただ死んでくれと願っていた。

麻痺があって常に崩れた福笑いというか、はっちゃけたヒョットコみたいな顔をしていて、たまに目が合ってコミュニケーションが取れてるのかと思っても、ただただ私の黒目に映る自分の顔を不思議そうに眺めているだけで

私の話なんか聞いちゃいないし理解しちゃいない。聴覚もすごく弱かったようなので当然だが。

互いの実家から離れたところで生活していたので、夫は次男障害があると分かった時点ですぐに会社に掛け合って残業の少ない部署に異動し、入院中はほぼ毎日顔を出し、退院後も通院はほぼ毎回付き添ってくれて、

私がまだ幼い長男障害のある次男育児疲弊しないよう、家事から次男の面倒から何でも積極的に取り組んでくれた。長男と2人で過ごす時間も、私が短時間でも一人で過ごせる時間も作ろうとしてくれた。

看護師さんや主治医も「お母さんはよくやってるよ」とたくさん労ってくれて、一緒に連れていた長男にもたくさん声をかけてくれて、遊びに付き合ってくれたり、寂しい思いをしないよう気を使ってくれて本当に感謝している。

そして労ってもらうたびに、まともな母親だと思われているとホッとしていた。

日々次男が死んでくれることを期待していた。うっかりした事故死ぬことを毎日どこか期待していたが、母親保護責任者遺棄致死とか児童虐待逮捕されたら長男未来まで潰してしまう。

長男存在のおかげで道を踏み外さずにいられた。常に長男や夫や周囲にまともな母親だと思われるように振る舞わなくてはと思っていた。

そんな次男も2歳になってすぐの頃に熱を出した。免疫が弱かったのでよく熱を出してはいたが、このとき合併症を併発して、瞬く間に弱っていき、そして亡くなった。驚くほどあっけなかった。

年末で慌ただしかったのと、長男を抱きしめて、長男の頭に顔を埋めながら泣いていた夫を見て冷静に「良い人だな」と思っていたことは覚えている。

まりのあっけなさであまり泣けなかった。気が張っていて泣けないのだと思った看護師さんが背中をさすってたくさん労いの言葉をかけてくれたのを覚えている。

涙は出たが、これでこの生活もやっと終わるという安堵の涙だったと思う。

次男の死後、夫にもう一人欲しいか?と聞かれたがまた障がい児が生まれたら今度こそ道を踏み外しそうな気がした。

長男との時間を大切にしたいということにして子どもはもうけなかったし、夫も賛成してくれた。

健常児の長男には次男が生まれからたくさん寂しい思いをさせたと思って、できる限りのことをしたつもりだ。

長男大学受験するとき看護師になりたいと言った。次男を世話する私や病院に行くたびにいつも笑顔で接してくれた看護師の姿を覚えていて、病気の人やその家族を支えられる人になりたいと思ったらしい。

次男の死を願っていた母親の子とは思えなくて驚いて涙が出たし、こんな母親申し訳ないとも思った。

次男の死を経て健常者の子どもを育てる「普通の親」になれたと日々安心感に包まれていた。育児ストレスはあれど次男の面倒とは比較にならない。

が、ここで話は終わらない。

20歳になった長男に話があると言われた。つい最近出来事だ。

ゲイであることをカミングアウトされた。驚いた。驚いて何と声をかけるべきか言い淀んでいると夫が「打ち明けてくれてありがとうな」と長男に声をかけていた。さすがほんと何故私と結婚したんだろう、良い父親だわまじで。

カミングアウトきっかけは先日の首相秘書官差別発言ニュースで、

私と夫が「こんなこと言う人が国会にいるなんて信じられんわ」とか、小泉進次郎が「自分の子どもが当事者だったら」みたいな話をしていて、これに夫と「本当そうだよね」と話していたこと。

これを聞いていた長男私たちになら打ち明けられると思ってくれたらしいし、今言うしかないと思ったらしい。付き合っている人もいるらしい。

正直、いまは付き合ってる人がいて、打ち明けられる仲間や親がいるから生きてられるけど今日まで何度も死にたくなったと言っていた。

記憶にないが私や夫も差別的発言価値観言葉したことがあって、長男を傷つけていたのだろうと思うし、「死にたくなった」は長男から最大級私たち両親への非難だと受け止めている。

まったくもって「普通の親」にはなれなかった。

障がい児の親を終えたと思ったのに、今度は性的マイノリティーの親になったわけだ。

次男は2歳で死んだけど、あのまま生きてたら、私はどこかで道を踏み外してしまったんじゃないかと思う。

本当に無理だった。長男が何歳でゲイ自覚たか知らないけど小学生くらいでカミングアウトされてたら、まともに対応できなかった。

「なんでカミングアウトするんだ」「黙っててくれれば良いのに、大人になってから好きに生きたら良いのに」と思ったと思う。

私が子育てをする期間内長男が「普通の子」でいてくれたから、それなりに普通の親をやってこられたに過ぎない。

いま長男20歳になって、手が離れているし、もうあなた人生でしょと思えるくらい育っているのでカミングアウトを受け入れられてるところがある。

たぶん私に親になる資格はなかった。長男が無理して普通の子供として振る舞い、親に合わせてくれたおかげでギリギリ親とみなされていたに過ぎない。

親または親になりたいと、子どもが欲しいと言ってる人に問うけど

いま可愛いピンクのフリフリのおくるみ着せてる娘がトランスジェンダーでも育てられる?その可能性考えたことある

ゲイレズビアンである可能性考えて喋ってる?

腹の中にいる子どもが先天性異常で潰れた粘土みたいな状態で生まれてきて崩れた福笑いみたいな顔に成長する可能性考えたことある

それでも可愛がれる?それでも子どもを大切にできんの?

自分の子供だけはシスジェンダー異性愛者で健常者で…って、その前提でしか出産子育てを考えてなくない?

結婚たから次は子どもって考えしかなくない?周りが子どもいるからっていう、ペットを持つか否か以下の考えで産もうとしてない?

まじで真剣に考えて欲しい。子どもにとっても親にとっても博打なんだよ出産育児人生も。


追記

(読みにくいところを少し修正しました。)

色々言われるだろうなと思ってたので沢山ついてるコメントは半分くらいしか読んでないですが…


自分がかわいそうでヨシヨシされてえだけだろ

→どこにもそんなこと書いてないですがコメントする増田を間違えていませんか?

・ノリで産んだのお前じゃねえか。夫は理解ある彼だったかサバイブできただけだろ。

→そのとおりです。ノリで産んだけど周囲のお陰で何とかなっただけで、後悔しまくったので書いています次男を殺さなかったのは偶然か奇跡だったと思うから

理解ある彼(夫)くんっていうの本当にそうだと思う。あと息子も理解ある息子くんだと思う。だからやってこれただけ。長男内面的にも夫に似ていてホッとしている。私に似なくて良かった。だからやってこれただけです。

1つでも欠けてたら500%虐待してたと思う。

長男は健常者だけど育児ストレスないわけじゃなかったし、その都度次男の世話に比べたら、と考えて乗り切ってたし、小中学生くらいでカミングアウトされてても受け入れる余裕もなく絶対傷つけること言ったと思う。

めちゃくちゃ理解ある周囲の人達のおかげで踏み外さなかっただけです。運があまりにも良すぎたから私は犯罪者にならなかったけど、子ども欲しいっていう人は、「普通じゃない子」だったとして、家族仕事や働き方変えれる?頼れる親族は近くにいるの?主治医看護師は信頼できる?行政サービスは充実してる?そういうサポートアクセスやすい?そういう子を育てられるだけの精神的余裕や知識はある?

その辺やばい状況だったとき虐待しないで育児できる?最強の環境揃ってたってストレス発狂しそうになるよ。健常児育児でも苦労すんのに1つでもマイノリティ性あるだけで苦労は倍以上になる。その覚悟はある?子どもは親選べないし、親のノリに付き合って産み落とされ人生を送ることになった息子たちを思ったら、(お前が言うなだけど)覚悟あんの?と思っちゃうよ。


・お前がクズなだけ

→そうです。だからこれを書いている。生む前に自分子育てできるような人間か?をきちんと考えてれば、ノリで産まないという選択をすることも可能だった。20年前は今より産むのが当たり前という圧は強かったし、周りが子持ちで、周囲から子どもを産むことを期待されてるのも、その期待に答えるのも当たり前だと思ってた。子どもを持つ幸せな家庭の母親というものになれると思っていた。そこに障害児が産まれる想定はなかった。可能性は分かってたけど大丈夫だろうなんとかなると漠然と思ってた。自分ごとのように考えてなかった。障害児を育てたくないと思うようなクズで、考えも足りないクズだったので。

今はまだ産めっていう圧はあっても当時よりはまだマシだろうし立ち止まって考えてほしい。

そしてクズだとぶっ叩いてくれてありがとうございます。考えも覚悟もない親だと子どもがかわいそうになるというのが伝わっているようで良かったです。



その他

長男から最大級非難」っていうのは、「こんな社会に産まれてなかったらこんな死にたくなるような気持ちにはならなかった」とか「異性愛者に産んでくれてたら」っていう意味合いを含んでいると受け取っているし、それに対して親としてできることは長男にとって安心できる両親でいることくらいなので、そういう親でいようねと話している。それしかできないから。

2023-02-09

anond:20230209181730

横だがここで欲しいのは入退院時に荷物運び手伝ってくれる人とか同意書書いてくれる人であって

見舞いなんかいらんだろ

そもそもコロナでどこの病院も見舞い禁止だぞ

友人のシンママが兄を好きだと言って困ってる

先日、友人が倒れて入院する事になり、頼れる親族がいないということで男の子をうちで預かる事になりました。

在宅勤務で実家に戻って来てる兄が、主に遊び相手になってくれてました。

結婚こそしてないけれど子供好きな兄は嫌な顔しないで、マリオカートをしたり外でキャッチボールしたりと構ってあげるし、

初めて遊ぶテレビゲームに興奮して、友人の子は大喜びでした。

で、実際のレーシングカートに乗せてやるという話になって、ただし「お母さんが行っていいって言ったらな」って事で聞くと

退院したら自分も一緒に行くのを条件にという話で纏まりました。

兄は子供相手はいいけど、友人の相手は慣れないし難しいというので「お前も来い」と私も引っ張り出されました。

その日はレーシングカートに一日乗って、帰りに温泉によって4人でお風呂に入り、食事をとって帰宅しました。

その日1日の代金は全て兄持ち。かなり使ってくれたんじゃないかと思います

レーシングカートに乗って一緒にキャッキャしてる兄を、友人が見る目が恋する女になってたので嫌な予感はしたんですよね。



その後は、お礼だと言って作ったケーキを持ってきたりで、兄と一緒に遊びたいという子供と一緒に遊びに来てたので、もう確実だなと確信しました。

「分かってると思うんだけど、増田のお兄ちゃんの事好きだって言ったらどう思う?」

と聞かれた時は、やはりそう来たか・・・と思いました。

でも、正直言って困るんですよね、友人を義姉と呼ぶのは抵抗があるし、

友人家族はドロドロで凄く仲悪いし人間的にも好きになれないので、うちをそれに巻き込ませたくない。

友人の親は既に他界してるんだけど、兄妹が性質のいい人ではなくて、それが原因で離婚をしています

頻繁に金をたかりに来たり、居座ったりされて困ってるのを見て来たので、あれが家族になる事だけは嫌だと思ってます

友人自身も兄妹とは距離を取りたいと思ってるから普段は疎遠ですけど、兄と結婚でもしたらまた同じ事が繰り返されそうで怖いんですよね。

「兄ちゃん次第だと思うんだけど、A子の兄妹が怖いか・・・」というと、「だよね。。。ごめんね」と悲しそうな顔をされて、それも悲しいです。

兄に話をして、全部ひっくるめて解決できる(友人の兄妹に毅然対処できる)なら、良いかもしれないけれど

兄は生粋のお人好しなので、そこはすごく心配です。

でも、兄と友人の相性は良さそうだし、子供も凄くなついてて喜ぶんじゃないかと思うと良い面もありそうなんですよね。

妹がいないとよく知らない女性相手は出来ないと嫌がる兄が、誰かと結婚できるのかと思うと・・・ってのもあります

わたしが嫌がってて応援しない間は友人も兄に気持ちを伝える事はないだろうし、自然に消えていく話だと思う。でも、それでいいのかとも思う。

どうしたもんかなぁ・・・

アル中上司

ほんとマジで世話になったんでぶっ壊れちゃったあとは出来ることはなるべくお手伝いしてたんだけどもう嫌になってしまった。

病院退院して以来ぜんぜん連絡無いか心配電話したらまぁ話せる程度ではあって、翌日飯でも食べましょってことになって当日。30分遅れるらしい。

まぁよくある。いつものよーにぶらついて待つ。

30分後、待っても来ない。寒いし腹が減ってきた。なんか食べたいけどこれから食うしやめといた。

LINEしたら「もうすぐそこにいる」って帰ってきたけど来ない。

結局もう30分、当初の予定の1時間後にすげえ具合悪そうな感じでやってきた。

キャンセルしてくれてよかったんですよ」って言ったら「市役所行かなきゃいけないんだ」って返ってきた。付き添ってほしいらしい。

なんか知らんけどすげえイラときて初めて嫌になった。

空腹と寒さって良くないな。

飯食うから腹減ってても食わずに待ってたり、そのあいだ酒置いてなさそうな店を改めて調べたり、どこになったとしても行くのに居酒屋の前通らなくていい道を考えたり、負担にならないような話題考えたり、そういうの全部無駄でさ、用途が済めばよかったんだろな。

じゃあ先に言っとけよ。飯食ってるからさ。

そういえば前回別で入院したときも、退院時になんか意味もなくどうしてもつって呼ばれたから行ったら急に入院費貸してくれっつって12万。でけぇよ。

先に言えや。

使えればいい道具だったんだろうな。

尊敬する上司だった。彼がいなければもうどっか違うとこにいたはず。部下を気持ちよく仕事させるの天才的だった。

ほんとに世話になったからできることはしたいけどもう今は無理かもな。お金返してもらって知らない人になりたい。

とまではいかないけどさ、しばらくは思い出したくない

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