はてなキーワード: 自発的とは
全然無宗教なんだけど、ここのところ「仏教入門」みたいなのをいくつか読んでいる。
昔話とか「昔の人も生きるの大変だったのね〜」的なノリでとても興味深いし、
たぶんお釈迦様って「あの人いっつも良いこと言うよね!」的な人だったのかなあーとか想像するのも楽しい。
(ちなみに、お釈迦様自体は静かに悟りを開いて手の届く範囲で教えを説いた人で、死後に弟子たちが教えを編纂することで、れっきとした「宗教」になった。らしい)
『日本では、幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。』
らしい(Wikipediaより)。
で、そういうのって、得てしてものすごくうさんくさい(完全に主観だけど)。
いや、古い仏教もうさんくさいこと言ってる部分はあるし、キリスト教やイスラム教みたいな世界宗教もかなり怪しいところはある。
けど世界宗教の怪しいところって、時間を経るごとに権力者が良いように解釈した結果ついてきた怪しさだったり、
時代の流れ的にしょうがないよね的な不合理性だったりすることが大半なので(な気がするので)、
教えの本質だけみてみると、「はえー良いこと言う」くらいの気持ちでは理解・納得できる気がするんだ。
じゃあ、新興宗教の「うさんくささ」の正体ってなんだろうか。
暇なのでいくつかその理由を考えてみる。
もちろん信教の自由はあると思ってるので、別にその新興宗教を信じてる人をどうこう言うつもりはないけど
自分自身の中で何が「怪しさ」だと思ってるのか言語化してみたい。
Wikipediaなんかでそれぞれの新興宗教のページをみると、難しくて全然頭に入ってこない。
固有名詞が多いのと、概念的な話が多いのと、仏教系だと漢字が多いからかなあ。
だから、共感するとか云々の前に、そもそも理解できない。わからないものは「怪しい」と思う。という論理かな?
ただ、聖書とかも自分で読むとかなり意味不明というか回りくどい言い方多いし、「で?」みたいな逸話が多いし
経典なんかもすげーわかりにくいから、「誰でもわかる!xxx教のおしえ」みたいなのがあるといいのかしら。
デートとかしてて会話が途切れた時、「あ、あの建物変わってる!面白いね!」とか言った後調べて
なんとか教本部 とかだとなんとも言えない気分になりませんか。
考えられるのは、
・目立たせることで文字通り目を引いて、その宗教に興味を持ってもらいたいから
・でかかったり変わってたりすると、その宗教が流行ってる・勢いがあると思わせられそうだから
・お金持ちはアートが好きだから(宗教団体がやってる美術館とかあるし)
...あたりでしょうか。
なんか他に理由思いつく人、ご存知の人いらしたら教えてください。
仏教でもお坊さんが政治に介入してきた時代は途端にうさんくさくなったし。
ちなみにお釈迦様のもともとの教えでは、
お坊さんは働きもせず、他人からの施しで生計を立てているくらいなんだから、政治に介入とかしちゃダメ!って考え方だから
その意味で、お坊さんの政治介入はもともとの仏教的には「間違ってる」。はず。
新興宗教にしたって、そういう過去の経緯を経て(お坊さんは働かずにお布施で生活する等)税制とかいろいろ優遇されてる存在なのに、
さらに政治にまで介入してくると、なんか図々しいなと思ってしまうのかな?
あとその宗教が「この人に投票せよ」みたいな統制ができちゃうから、トンデモな政治家が当選する可能性もある。
あーでもこれは、候補者が演説したり後援会がいたりすることとどう違うんだろう?
xxx教の人だから無批判に応援しよう、ってなってるから違和感があるのかも。
その宗教に加入せよ も然り、私はxxx教です!も然り、それに興味のない相手に空気読まずにバシバシアピールしてくる感じが苦手なのかも。
ただ、宗教と布教活動は大昔からセットだったし、何を信じるのも自由だから別にいいはずなんだけどなあ...。
あれかな、アプローチしてくるのはいいとして、「やたら」ってとこがダメなのかも。
胡散臭いというか、興味のない相手に対して「しつこい」「鬱陶しい」って感じかな。
これは世界宗教にも一部言えることだけど、
「こういう考え方をすると、心に拠り所ができて、何もないときより精神的に安定するよ」はわかるけど
「これを信じないと不幸が起きるだろう」
「これを信じて実践する者のみが幸福になる」とかになると胡散臭さはぐっとアップするよね。
「霊波が」「オーラが」とか、「波動」「飛行」とか言い出すとまじでやばい。
ちなみにお釈迦様の肩ばかり持つわけじゃないけど、お釈迦様の教え的には
「絶対的な超越者などいない」「常に合理的であれ」って感じだから、かなり地に足がついててほーと思った。
政治介入についてもそうだけど、信仰すること=無欲であること、だと思うからなのか
宗教活動をするのに必要な以上の献金を迫るというのに違和感がある。
というかそもそも、「施し」ってそれに価値を見出した人が自発的にするもののはずなので、
月謝とかノルマとかみたいにお金を出せってのはおかしな話だよね。
ただ、今これを書きながら「信仰すること=無欲であること」という前提に偏りがあるのでは?とも思った。
で、信徒個人であれば、その宗教を信仰しつつバリバリお金稼ぐぞ!ってマインドの人がいても全然普通だけど、
「宗教」それ自体が分不相応なお金や権力を求めて身につけちゃうっていうのが危険だし間違ってるのかな
なお、檀家制度とか云々で分不相応にお金を持ってるお寺がある現状についても、同様の違和感を抱いてます。
*****
だいたいこんな感じかなあ。
自分の中でのモヤモヤはだいぶ整理できた気がするんですが、あまり頭が良い方ではないので
というか、そもそも別に議論することでもないし、着地「勝手にすれば」って話なんですが
もしなんかあったら教えてもらえると嬉しいです。
ここ4年ぐらいはさっぱりそういったものがやってこなくなってしまった。でもそれではいけないことはわかっているのだけれど、どうにもこうにも興味が持てないでいる。
趣味や目標を持っていてそれを極めようと自発的にうごいている人や趣味の話をしている人たちを見ると、そんな風に興味や情熱を傾けたりできるのがうらやましかったりする。
半面、そういう人達がいる中で自分も同じ趣味を持ったとしても、そこでの知識の差や経験、情熱具合みたいなものにうまく乗っかれなかったりしてにわかから一生抜けられないのではないかという恐怖感もある。
だから自分は自分は趣味や目標を持てないのではないかと思うことがある。なにも興味を持たないことが一番しあわせなのかもしれない。生きている廃人は自分だったのだ。
生まれつきわからないのか、育ち方の問題でわからなくなったのかは不明です。
進んで人付き合いをする方ではないけど、社会的に浮いてしまうような拒絶的なことはしません。
親族付き合い、仕事の付き合いは、必要十分の範囲でこなしてます。
私的交友は人数も頻度もかなり少ないです。ただ例えば10年会わずにいても、昨日会ったのとそんな変わらずに付き合えるような感じです。
静かな空間が好きで、引きこもり志向です。書斎で、本に囲まれて、ネットにつながったPCがあれば連続で何ヶ月でも過ごせると思います。
賑やかな空間は、昔はかなり苦手でしたが、今は長時間でも耐えられます。これは社会人になってからの訓練によるものです。
社会に適応する必要から、わかる人に話を合わせることや、わかる人のフリはできるようになってます。
必要なら、そういう人が寂しい思いをしないように、自発的に配慮をすることもできます。
これはある程度の訓練と経験を積み、類推力を利かせれば、それほど難しくはありません。
妻と二歳の娘がいます。
妻は寂しいという感覚がわかる人です。先述の訓練とか経験とかいうのは、妻の観察で勉強したものも多いです。
妻子はとてもかわいいので、望む限りのことをしてあげたいと思いますが、例えばもし単身赴任とかになり長期に会えなくなっても、自分としては別に大丈夫です。
人並みの経済状態で、健康に善良に暮らしているなら、それでいいと思います。
娘の情緒や教育の観点から、父親としての役割が果たせないなら困りますが、それは娘への影響の問題で、自分が寂しいからという話ではありません。
まあ適応して生きていけてるので困ってはいないのですが、この違いはなんなんでしょうね。
自分は養う家庭を持っているので、必要があって擬態してる分まだモチベーションは維持できますが、そういう理由がない人は、同調圧力が煩わしいでしょうね。独身時代の自分のように。
PSO2って何?って人に簡単に説明するとSEGAが提供するネトゲ、MO(MMOではない)。
予告で大規模クエストが決められており時間になるとゲーム内で告知され時間内で参加できる。
【予告緊急を増やしたのはログイン率が予告緊急の多さに比例してるデータが取れたから】
今週は平日でも予告緊急クエストが1日に8件もある。
めちゃくちゃ多い。
前の週が一日に4~6件までだったのに対して単純に倍である。
なぜここまで緊急が増えることになったのか?
結論からいうと予告緊急の方がログイン率が高いというデータが出たんだろう。
【自発的に緊急クエストを発生させるアイテム、トリガーは課金通貨SGで購入する】
この予告緊急、通常であれば運営側が用意したタイミングでしか参加できないが、
それが「緊急トリガー」。
これは課金して購入するゲーム内通貨SG(ソウルジェム)で購入することができる。
このSGと緊急トリガーだが、元々なかったもので、大型アップデートと共に登場した課金要素の1つだ。
これを使うことでプレイヤーは予告内容に関係なく同じ内容のクエストを持つトリガーの数だけ発生させることができる。
これを買わせることで収益にしようとした運営は、何を血迷ったのか、予告緊急を減らしだした。
予告緊急は参加率の高い魅力のあるクエストが多い。
それを減らすことで、トリガーを買うために課金させようとしたのが魂胆だろう。
元々、1日に4~6件はあった予告緊急が2~3件になり、定時以降サラリーマンが参加できる予告緊急は一日に1件程度のような状態にまで減らされた。
その結果、何が起こったかというとプレイヤーがこぞってトリガーを購入した・・・わけではなく急速な人離れだ。
それも当然だ。
完全無料で遊んでいる層もいるわけでそういったタイプにとって予告緊急が減ったら単純にログインする理由がなくなる、当然イン率は下がる。
無課金のイン率が下がると課金組にもクエストが集まらないとかチームメンバーのイン率が悪いとか交流が無くなるなどといった弊害が出てくる。
これらのデメリットがトリガー購入の期待値よりもデカくなってしまった。
予告緊急を取り上げて、トリガーを課金で買わせるというネガ的な販促行為は完全に裏目ったわけだ。
そもそも、トリガーを使うときはロビーにて声かけで募集するがログイン率が低いとそれさえ集まりづらい。
これに気付くのに1カ月以上は期間を使っていたがその間は静かな時間が続いた。
【さすがにまずいと思ったのか元の数に戻し始める】
こういう状況が続いてさすがに間違っていたことを認め出した運営は一転して元の数に戻し始めた。
それでも最初は渋い内容のクエストをラインナップしていったが、予告緊急を戻すとイン率も戻ってきた。
段々とロビーにも人が戻ってきた。
フレンドのイン率も戻ってくる。
そうするとだ。
やっと俺の倉庫で眠っていたトリガーが活躍する機会が産まれてきたというわけだ。
フレンドにウィスを送り一緒にトリガー行かないか?と誘えるようになったわけだ。
そうやってフレンドを誘い、トリガーを買い、SGを課金して購入するということが、
人が戻ることでやっと可能になった。
このまま倉庫の中で眠ってるだけなんだろうかと思っていたが、それが懸念になった。
まず遊ぶ人間がいなければどんな課金要素を増やしたところで無意味だと運営もこの時点で学習をした。
【予告緊急が多いとイン率上がるから取りあえず8~9件に増やした】
減らすとイン率も減るから単純に増やしてみたと言わんばかりに大量に追加された今週のアップデート。
減る理由が明確に分かったからこそ反対に増える方に振り切るという姿勢が面白い。
一時期スクラッチの課金が落ち込んだといっても元々高めの設定だから多少落ち着いたりするのは仕方のないことだが
それでも半月に1回のペースでスクラッチが追加されているのに大して追加直後の物流は衰えていない。
スクラッチの内容自体にそもそも魅力が無いから回らないこともあるし、
あんたの親父が羨ましい。
少なくても、もしうちの親父があんたの親父みたいなクソ頑固だったら、うちの弟は30代後半すぎの糞ニートになってなかった。
5年前、うちの弟が当時の仕事のクソ上司と揉めて「自分が何をしたいかわからない」って言って病んだ顔で実家に戻ったとき、うちの両親は受け入れちゃったんだな。その結果、あいつから再び自立しようとする活力を奪ってしまった。
うちの実家の惨状をみてると、親ってのは多少理不尽でも子供を自立させるためにあえて鬼にならないと駄目なんだと痛感したわ。
あんたも仕事でいろいろ精神病んで大変だったとおもうけど、もしそれで実家の居心地がよかったらそっから数年ずっとそのままだよ。まぁ婚約者がいたからよかったものの、いなかったら実家という安心できるぬるま湯に使ったままもう出れなくなる。結果としてあんたもあんたの兄貴も自発的に自立する方向に向かったんなら、親父の教育方針は最終的には間違えてなかったと思うよ俺は。
(もうブコメ書いてしまったので追記へのコメントをこちらに。ブコメだと字数制限がきつくて書ききれないのもある。)
(以下長いので,面倒な人は まとめ まで読み飛ばしてもらってもかまわない)
元増田は「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように」と書いているが,元増田や,今回の電通事件に関するの他の記事のブコメを見てもそういう論調は主流ではない。
セクハラやパワハラがあったことも問題視されているし,その他さまざまな問題も指摘されている。「長時間労働さえ解決すれば全て解決」というようなブコメはほとんどない。
もっとも,長時間労働は今回の事件に関連する問題の主要な一部であるし,日本の労働環境が抱えている大きな問題の一つでもあることに変わりはない。
長時間労働は,元増田ですら認めているように,心身を疲弊させ,場合によっては人を死に追いやる原因になる。
だからブコメの論調は「長時間労働 だけ を解決すればOK」ではなく,「長時間労働 も 解決しないとダメだ」というのが主流だろう。
1. 「度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前」と書いて長時間労働にも問題があることを認めておきながら,一方で「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではない」と矛盾する主張をした
2. 「問題の核心」であろうとなかろうと,問題の一部であれば解決する必要があるのに,「核心ではない」=長時間労働を解決する必要はない,という論理の飛躍を行った
先ほど挙げた欺瞞は,まだ論理展開の瑕疵に過ぎず,たいして大きな問題ではない。もっと大きな問題は,これから書く問題である。
元増田では,「長時間労働」という言葉は何度も出てくるが,それが不払時間外労働(いわゆる「サービス残業」)か否かについては一切触れていない。
話を始める前に,まず大前提として,日本の法律では労働時間は週40時間までと決められており,それを超える場合はいわゆるサブロク協定を結んだ上で,超過勤務手当を支払わなければならない。さらに勤務時間が深夜(午後10時〜午前5時)にかかる場合は,深夜勤務手当の支払いも必要である。
元増田は「長時間労働」と書いている以上,それは週40時間を超える労働を指しているのは明白であり,従ってそれらの労働には当然超過勤務手当や深夜勤務手当を含む,いわゆる残業代が支払われていなくてはいけない訳だが,今回の電通事件でも明らかになったように,残業しているのに残業代を支払わない,いわゆるサービス残業が後を絶たない。
従って「長時間労働」を論じるときは当然それも論点になるが普通なのだが,元増田はなぜか全くその点に触れていない。
そこで,元増田に代わって,その点に触れながら「長時間労働」問題について論じてみよう。
今回の電通事件もそうだったが,もうこれは論じるまでもなく「悪」である。
法律違反だからというだけでなく,労働のダンピング=他人の労働の価値の毀損という意味で,やってはいけないことなのだ。
だから,「長時間労働(不払時間外労働を含む)」の場合, 「おれは(給料もらえないなら)がんばらないからオマエも(給料もらえないなら)がんばるな」 (言うまでもないが,カッコ内は自分が追加)という論理は,元増田が何を言おうと正しいのである。
この場合,被雇用者の観点からは,あまり問題がないように見える。
ただし,あくまで 自発的な 長時間労働の場合のみであり,強制される場合は,やはり問題になるだろう。ただ元増田が論じているのは自発的な長時間労働と思われるので,そうするとやはり問題がないように見える。
しかし,経営的な観点からは, 自発的な 長時間労働には問題がある。
まず,先ほども述べた通り,時間外労働には割増賃金を払う必要がある。つまり,コストが増えるのだ。
「3日間徹夜」を例に考えてみよう。
ちょうどまる3日とすると72時間。ただし8時間ごとに最低1時間の休憩時間を与えなければいけないと法律で定められているので,9時間を1単位として割り算すると8になり,72時間中8時間は休憩時間になる(最後1時間が休憩なので,厳密には71時間連勤と考えるべきかもしれないが,その辺は適当に)。従って実稼働は64時間。
1日の通常勤務時間を8時間とすると3日分の通常勤務時間は24時間。残り40時間に対し,1.25倍の時給を支払う必要がある。
そのうち午後10時から午前5時の7時間にかかる部分についてはさらにその1.25倍の時給を支払わなければならない。面倒なので,その午後10時から午前5時の間に必ず1時間の休憩が入っていたと考えることにすると,(7 - 1) * 3 = 18時間が深夜勤務時間となる。
つまり,3日間64時間の勤務の内訳は,通常24+超過22+深夜18 となる。
仮に通常勤務の時給を2000円(相当安いが)とすると, 2000 * 24 + (2000 * 1.25) * 22 + (2000 * 1.25 * 1.25) * 18 = 159250 となる。
一方,これを通常勤務のみでこなすとすると,64時間で, 2000 * 64 = 128000 となる。差し引きは31250円である。
もちろん完成までには徹夜するより時間がかかり,3日間徹夜の場合月曜の朝9時に始めれば木曜の朝9時には「すげーもん」ができているが,通常勤務のみだと64時間=8日間で,土日休むとして,月曜朝9時に始めると翌週水曜の午後6時に「すげーもん」ができることになる。 ちなみにどちらも「すげーもん」ができることに違いはない。
こうなると問題は,「約6日間早い完成」に「31250円」の価値があるかどうかになる。
「31250円? 意外と安いね」と思うかもしれないが,率にすれば約24%増し。約6日待てばその31250円=24%の追加費用を支払わずに,同じ「すげーもん」が手に入るのだ。
したがって,何らかの理由,例えば納期が迫っているとか,ライバル企業の新製品発表に先んじる必要がある(これとて本当にそれに価値があるのかどうか疑わしい)とかがないと「31250円」の支払いに妥当性はなく,株主に対する責任の観点からは厳密に言うと背任にさえなる。そもそも「納期が迫っている」というのが3日間徹夜の理由だとしたら,それが働く側の「自発的」な労働であるかどうかは極めて疑わしい。
そもそも上の話では1人で3日間徹夜する作業を想定しているが,複数人で3日間徹夜しないと「すげーもん」ができないのなら,上積み費用は 31250円 * 人数分 になる。あるいは本当にそれが1人で3日間の徹夜でできるものなら,3人アサインして3日間通常勤務すれば,上積み費用を払うことなく,しかもより早く(月曜朝9時に始めて水曜日の午後5時には)同じ「すげーもん」を手に入れられることになる。
(上の話にはもっと無理な仮定もある。それは「徹夜で働き続けても睡眠含む休息を十分に取った場合と同じ生産性が維持できる」という仮定だ。しかしそれはまた別の話なのでここでは敢えて触れない)
長々と書いてきたが,要するに何が言いたいかというと,被雇用者には「自発的」に長時間労働をする権利などない,ということだ。何にいくらコストをかけるかは経営側の専権事項である。
8営業日の通常勤務で作れるものを3日間徹夜して作るのは良く言って「被雇用者の自己満足」であり,普通に考えると「ただコストを増やしているだけの愚行」に過ぎないのだ。
いや「納期に間に合わせる」とかあるだろう,と言う反論が出てくるかもしれないので再度書くが,それはもはや「自発的」とは言えない。
元増田は抜け穴を探そうとするだろうからついでに書いておくが,「納期までに少しでもいいものにする」ために「自発的に」3日間徹夜をし,経営側もその分の採算の悪化を妥当とみなすケースはあり得る。
しかしそれが採算を少しでも悪化させるなら,株主に対する背任になりうることに留意すべきだろう。極論すると,株式会社においては,たとえ鉛筆1本でも,それが無意味なコストであれば,原則的には「背任」になる(もちろん可罰性があるかどうかは別問題)。
(だいたいその「納期までに少しでもいいものにする」努力自体 http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2016/10/20/214026 にある通り「もっとくだらなくて、どうでもいい仕事」であることが多いのだが,これもまた別の話になるので,これ以上は触れない)
結論としては,元増田がどうしても「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」という自由を欲するのならば,自分が経営者になるしかない。ブコメに「経営者になれ」とか「事業主になれ」とか「フリーになれ」とあるのはそういう意味。
ただ経営者になったとしても,他人に「3日間徹夜」を強制する権利はないよ。
こんなの書いても元増田は考えを変えないだろうとは思う。
夫のことは大好きだ。
そして離婚したいわけではない。
多分自分に対してイラついていて、それが夫にむかってるような気もする。
主原因が本当に原因なのかもよくわからなくなってきた。
夫が「家族のことは大好きだよ」と口では言うが、一人になりたがること
→そんなに一人でいたいのなら、私子供連れて死のうかな というのが最近私が思ってること。
たまにはいいよな。
でもたまにじゃないんだよ。
そして夫の仕事は夜勤ありのシフト制で土日が必ず休みとは限らない
(土日のどちらかが休みのときもあれば両方休みのときもあれば両方仕事のときもある)
そのかわり残業はない。
その休みの時間を、夫は「勉強」にあてている。土日もね、休みがアレば勉強にあてている。
勉強は家じゃなくてどこかに行ってやってる。(家だと集中できない、というのが主な原因らしい)
転職のためらしい。
そうだよね、夜勤有りの職場から転職するために勉強している。がんばってるし応援してあげたらいいよねー
・結婚前から、転職のために何かしら勉強していた。(何かは不明。聞いても教えてくれなかった)
・自己流じゃなくて学校に通っていたようだ(浮気を疑い問い詰めたところ教えてくれた)。
・ちなみに結婚前に学んでいたことは「簿記」だったことが後に判明するが、2級すらとらずに終わった。
・結婚式や新生活の準備等々は「勉強してるから」と放っておかれた。(夫は放っておいた認識なし。よくやったと自分では思ってるはず)
・だが、図書館が休みの日も「図書館に行っていた」と言い張る事案も発生(一例です)
・それでも「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)
・育児ノイローゼについては真面目に取り合ってもらえず。「育児が辛いとか何いってんの??」状態だった。
・「子供と二人きりの時間が長いと危ない。早く帰ってきて」とお願いするも、まっすぐ家に帰ってくることは少なかった
(勉強のためにどこかによっているらしかった。どこかは不明。何してるかも不明)
・次女生まれる
・「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)
・1ヶ月ほど別居。
・夫には別居の認識なし。引っ越し(別居とは別件)等色々大変だったから嫁が実家に世話になっていた認識。
(引っ越しにより保育園退園せねばならず、子供の預け先がなく、そんななか引っ越し準備などを抱えて実家の世話になる。そのまま1ヶ月ほど実家に居座る)
・英語を勉強していることは教えてくれた。転職のためだということも教えてくれた。でもなんで英語なの???
・毎月TOEICを受けていたが結果は教えてくれず
・すべてが勉強優先へ。
・家族と一緒に一日過ごすと体調が悪くなる体質のようだ
(家族と丸一日一緒にいると、その後必ずどこかしら不調になり、家族との関わりを絶つ行動にでる)
・口では「子供は欲しかった」「家族っていいよね」と言っている。
・勉強にけっこうな時間とお金をかけているが、その成果が全く見えない
→本当に勉強しているの?(身についているの?)
→仕事はシステム系らしいのだが(夫の勤め先は知っているが、システム屋だというだけで具体的にどんな仕事してるのかは知らない)、その先端は英語らしい。だから英語ができたほうがいいんだって。自分もすこしSEOかじってて、SEOの話題はまずアメリカ(英語)でその話が日本語に訳されてくる図式が思い浮かんだので、そういうことなのかーと思っていた。
で。実際その英語の技術書(というか先端技術)を読んでいる(触れている)のか?と聞いたところ「まだ英語の勉強中だから」という理由で触れていないらしい。
・勉強と言っているが、本当は一人になりたいだけなんじゃないの?
・夫のことは大好きなんだ。
・大好きな人が幸せな状態を考えたら「一人にしてあげること」だったんだ。
嘘。
あてつけだよ。
「そんなに一人でいたいのなら、どうぞ」
離婚だとだめだ。一人になりたい人を合法的に一人にさせてあげるなんてご褒美でしかないじゃないか。
子供だけ残されたら、実家にも、子供の人生にも迷惑がかかるな。
だったら連れて行ってしまおうかな。
・とりあえず育児ノイローゼで初めて味わった「鬱」という状態に、今再び陥っている気がする。
だったら育児ノイローゼのとき同様「この気分をやり過ごす」のが一番な気がしている
勉強でなく仕事だったら?激務でほとんど家に帰らない旦那でも死にたくなるのかな私。
だったらもう、とっとと死んでやったほうがいいんじゃないか?
二重国籍の問題自体は、まだ決着がついたわけではないが、現時点で振りかえって、ネットと既存のメディアとの対立について感じたこと。
いわゆるリベラルなメディアは、当初、二重国籍に関する指摘があった際、これを無視する。そのあと問題が大きくなると、党首の要件として「二重国籍は、大した障害にはならない」という主旨の記事を出してきた。とくに典型的なものは以下の記事。
「二重国籍は、大した障害にはならない」のであれば、指摘があった時点で民進党がわに事実を公表するよう促すべきだった。そして、蓮舫議員の二重国籍の事実が公表されたのち、自社の見解として、それは大した障害にはならない、と述べればいい。なのにそうしなかった。
民進代表選で蓮舫陣営に入っている一人は「日本で育ち、日本語をしゃべり、日本人として生きてきた。人を差別するような見方をしないでほしい」と話す。
将来的に外交に携わる可能性のある人物の選挙なのに、プライバシーの問題にすりかえることや議員自身の経歴詐称への批判はすでに出つくしているし、ここでは触れない。ここで注意したいことは、この時点では「二重国籍」であることはまだ公表されていはなかったこと。「二重国籍ではないか?」との詮索自体が差別で、やっていはいけないこととされていることだ。
いままで、伝えなかった事実について、それについて伝えたところで問題になるようなことか、と言っている。
いままで事実を知らせようともせず、伝えたところで問題になるのかと言い、他人の口を借りて、そのようなことを詮索するのは差別だ、と述べている。朝日新聞の記者は、こういっているのだ。「きみらに二重国籍かどうか、判断の材料は与えない。二重国籍だとしたら、差別主義的な判断をする恐れがあるからだ」と。われわれの正しい判断に従いさえすればよい、と。
「二重国籍」に対しては、外国でも見解は一致していないところが多いし、そのことを批判するのが、この文書の目的ではない。問題は、事実の公表により、聞いたものが自発的に判断し、開かれた議論が起こり、多様な意見が生まれることくらいは誰でわかるし、事実そうなったのに、この記事がそれに水をさす内容であったことだ。
「(二重国籍による)多様性を認めないのか」ということばで意見の多様性を抑圧し、「差別するな」といいながら、ネットで発言する人間の判断力を自分たちより劣ったものとみなしている、そう思われても仕方がない。
普通選挙で一部の人のみに許された政治的な判断をし投票する権利が全国民にいきわたったように、ネット・メディアの登場により、事実を探しだし、それによって政治的な判断を行ない、表明することが一部の限られたメディア以外でもできるようになった。
そして今、ネットと既存のメディアとの対立の本質。それはネトウヨ(右翼)とリベラル(左翼)といったイデオロギーの問題ではない。それ以前に、人々の自由についての問題だ。人々がマスコミや政党による限定された情報によって意見を誘導されることなく、自発的に情報を収集し、政治的な判断し、表明する自由だ。
たしかにネット上での現状では、ネトウヨに代表される危なっかしい議論も多い。さすがによく読まれている署名付き文書はまともなものも多いだろうが、この増田のような文書も含めると、九割近くはゴミクズだろう。いたずらに人を傷つける書きこみも多い。だからと言って鳥越俊太郎のように、これを否定していいのか?といったことだ。
雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。
試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。
ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。
カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。
正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。
その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。
「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。
その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。
親だって周りの親族だって「あいつはカエルが好きなんだな」程度の認識しかなかった。
カエルが流されるのを可哀そうだといっても、感受性が豊なのね程度だった。
大学生の頃に生態学の研究で同じようなことをやったら田んぼのおっさんに叱られた。
不審者なんだとさ。
世の中そんなもんですわ。
追記
みなさんが生きていく上できっと袖振り合わすこともないであろう「側溝の中の人」について紹介しておくよ!
例えば「全国小動物保護側溝研究会」とか知ってもらえればうれしく思います。
こういう側溝に落ちる動物なんかを研究しているところは結構あるので、ぜひ覗いてください。
ちなみに僕は「全国小動物保護側溝研究会」の中の人ではないので悪しからず。
さて、特定される可能性もあるからかなり端を折ったけど、小学校の研究について少し補足しておくよ。
身バレするかもだけど、そうなったら余生をひっそりと側溝で暮らします。
カエルに注目していたけれど、側溝で流されるのはカエルだけではないことが分かった。
流されてきたものを挙げれば、昆虫などが一番多く、次いでモグラなどの小動物が多かった。
側溝の15cmの水深で溺死する人もいるくらいなわけで、雨水を流す側溝はなめたらダメだ。
そして意外にカエルは途中でどうにかしてた。
落ちた動物での死亡率で言えば、モグラなどの小型哺乳類はほぼ100%に近い値で死に至っている。
カエルやヘビの類は結構自力で何とかするから案外側溝に落ちた場合の死亡率は低いというのはわかった。
(あの時、実験のために側溝に落としたヘビさん、ごめんなさい)
したがって、カエルだけを救済するような道具では生態系のレベルでみたら「ほぼ役に立たない」というのが結論だった。
小学生の頃に示した研究の余地は「モグラなどの小動物はカエルだけに着目した道具では助からない。
生態系という広い目で見た場合には側溝の構造そのものを変える必要がある(くぼみを作って水が滞留する場所を作るなど)」といった感じ。
先生は、この「ほぼ役に立たない」という結果と「側溝の構造そのものを変える必要」という提示に対して「こんなの研究じゃない」と判断したんだと思う。
思うに、結果は必ず成功したものに限った話じゃなくて失敗だって研究結果なんじゃないのかと。
こういう失敗があるからこそ、同じようにカエルを救ってやろうとした人間が、僕のような失敗例から学んで側溝がブラッシュアップされていくんじゃないのかと。
日本は不寛容な社会だという話があって、例えば起業家が失敗した後斉木が難しいとは、新卒が新卒採用逃したら大企業に入るのは難しいとか、キャリアの変更が難しいとかそういう話。
そういう文脈では「企業上層部の頭が固くて時代にあってないんだ」「下を搾取しやがってクソが」みたいな文脈で語られることが多いんだけど、おもうに、日本は下に至るまで国民全体が不寛容で厳しいよなあ、と。ファミレスの店員のあいさつが悪いからって怒鳴る老人とか、芸能人の不倫で大炎上とか、他人の苦痛を最大化したい欲求(娯楽欲求?)ってあって、それが上にも下にも通鉄しているだけだと思う。
ブラック労働やサービス残業で労働者を搾取ってのも変な話で、日本の労働生産性ってさほど高くない。つまり、利益を上げたければ労働時間を増やすよりも生産効率を上げたほうが良いのは明らかなわけで、日本で行われてる残業の多くは、搾取のためというよりは、職場や部署に対する忠誠を表現するための自発的なものだと思う。一部の有能な人間に仕事が集中してしまうのも、結局業務の標準化とか作業分割とかマネジメントがうまくいってないわけで、そういう意味でいえば日本の経営者はあまり利益追及でギスギスしてないとすらいえるんじゃないのだろうか(これは別に全く褒めてない)。
「可哀相なんて言うな」と言っていいのは当人だけなのでは?
息子さんと親は別の人格を持った存在なのに、親が子供を「可哀相と言うな」と言うのもおかしいと思う。
「うちの子を可哀相なんて言うな」というのは毒親思考にもたやすく繋がる。
子供が『自発的に』『張り切って』『楽しそうに』やっているように見えても、
それが本当に本心かどうかは分からないよ。特に下のきょうだいの世話なんてのは。
子供のうちから自分の我が儘を抑え付けて良い子を演じなきゃならない子だっている。
上の子が下の子の為に「大人になって」良い子に振る舞う事を要求されるのは美談として消費するのはなんでだ。
高校生を子供扱いする前に年齢一桁の幼児をちゃんと子供として扱ってやれよ。
兄や姉は弟や妹の誕生に際し、何ら責任のない立場なのに。何故兄や姉というだけで尽す必要があるのか。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」という台詞は一見美しいもののように見えるけど、
その役割を果たす事を自発的に買って出るその姿はまさに『可哀相』に思える。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」の先に待っているのが、「障碍を持つきょうだいの為に福祉関係の仕事に就く」であったり、
「障碍を持つきょうだいの為に結婚を諦める」であったりする可能性を考えると、けして手放しで褒め称えていいものではないと思うのですが。
結局シンゴジラまだ見てないし、映画館には行かないからレンタルか地上波放送待ちなので、そこまで自発的に調べる気もない。
なのでなんとなく目に入ってきた関連記事をたまに斜め読みしてる程度の状態なんだけど、それでもちょこちょこと含まれている要素がわかってきた。
変態していくゴジラとか面白そうやんけ、って思う。最初の方めっちゃキモいらしくてワクワクしてる。
ただ、時々出てくる「ヤシオリ」だけまったく単語の意味がわからなくて面白い。
手法なのか作戦なのか固有名詞なのかもイマイチよくわからない。なんやねんヤシオリって。ヤドカリとシオマネキ?
検索すれば当然すぐわかるんだろうけど、いずれ見るときの小さな楽しみとしてとりあえず疑問なままキープしておく。
まあ、どこかで正解を見聞きしたらそれはそれで別にいいんだけど。
予想としてはエヴァでヤシマ作戦ってのがあった気がするから、そこから取ってヤシマ・オリジナルの略とか?ヴェルタース・オリジナルっぽくてなんか好きだ。
でもエヴァも結局見ずじまいだから、周りから話を聞いてなんとなく言葉を知ってるだけっていう。
使うと停電するポジトロンライフルってのでグングニルかロンギヌスかゲイボルクか、なんかその辺の槍を射出して月に刺す作戦?ぐらいの雑な認識。
ちょっと前に「はてなーが最近の曲を聞かないワケ」なんて増田がホッテントリ入りしてたけど
実際どの程度のバンドを知ってるのかな?
「最近の曲」ってあるのに「最近のバンド」にしちゃってるのは私の個人的な嗜好です。
S・ファンです
B・逆引き出来る曲が1曲以上ある。
※逆引きは、有線などで曲が流れた時にそのバンドだと確信を持ってわかる事を指します。
C・名前だけ知ってる
D・名前すら知らん
4・SiM
5・KEYTALK
7・THE ORAL CIGARETTES
8・WANIMA
はてなの有象無象にいくらモテても、孤独感は満たされないでしょ。
この増田がこの証拠よ。だからもうちょっとだけマシなの教えたい。
流行ってるタイトルの方がいいけど、仲間内さえ賑やかなら十分だったりする。
でも今からなら、来週水曜にオープンβが始まるTree of Saviorかな。
何でもいいけど、序盤を進めてゲーム慣れたあと、ギルドに入れば世界が変わる。
できれば自分のレベル帯に近いギルドがいいけど、活発な所ならどこでも。
同じ時間を過ごし、感動を共有した仲間はどうしたって仲良くなる。
そこそこ熱心にプレイして、少しだけ課金して、攻略情報を読んでれば
誘ったり、「××手伝うよ」とか言えるようになる。
そうしたら慕ってくれる人もでてくる。
リア充を羨む前に、こうやってネトゲでネト充になるのがおススメ。
チカチカして読めないブクマカちゃん達へ
http://sealdspost.com/tobe/
2016年8月15日、戦後71年の節目をもって、SEALDsは解散します。
私たちは、日本の自由と民主主義の伝統を守るために、
立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確な立場を表明し、
デモや街宣などの行動を起こしてきました。
とくに昨年の安保法制の強行採決に反対する国会前でのデモや、
今年7月10日に行われた参議院選挙に向けた野党共闘の実現、
市民参加型の選挙に向けた行動などを行ってきました。
結果として、ほとんど不可能だと言われていたにもかかわらず、
野党共闘のもと、参議院選挙では32の1人区全てで野党統一候補が決まりました。
また、選挙の風景にも変化が起こりました。
昨年の夏、自発的にデモや勉強会などを自主的に行った市民たちを含め、
選対には多くの人々が積極的にボランティアとして参加しました。
これまで選挙に関わることの無かった人々が自ら応援演説に立ち、電話がけをし、
ポスターやフライヤーをデザインしてポスティングしたのです。
候補者自身も、市民との関わりの中で、
よりいっそう候補者としての自覚と責任を持つようになっていきました。
しかし、当然ながら、私たちは選挙結果を含め、
これで十分だったとは思っていません。
改善すべき問題点は山のようにあります。
市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかりです。
個人として路上に立つのと同じように、
「わたし」の声で、日常の目線から政治を語ること。
隣近所・家族・友人・恋人と政治について語り合うこと。
自分の選挙区の候補者に会いに行き、自ら選挙の景色を変えること。
こうした営みは日々行われるもので、一朝一夕に政治を変えるものではありません。
この動きを末永く、ねばりづよく続けていく必要があります。
その積み重ねは、長い時間をかけて社会に根をおろし、
じっくりと育ち、いずれは日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。
あの戦争が終わってから、71年が経ちます。
私たちは、立憲主義を尊重する政治を求めます。
私たちは、持続可能で健全な成長と公正な分配によって、
人々の生活の保障を実現する政治を求めます。
私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。
そして私たちは、戦後71年でつくりあげられてきた、
この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。
SEALDsは解散します。
しかし終わったというのなら、また始めましょう。
始めるのは私であり、あなたです。
何度でも反復しましょう。
人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。
孤独に思考し、判断し、共に行動し、
そして戦後100年を迎え、
祝いの鐘を鳴らしましょう。
This Emergency Action is over.
But the Unfinished Project Must Go On.
2016年8月15日>
SEALDs
(Students
Emergency
Action
for
Liberal
Democracy-s )
自由と民主主義のための学生緊急行動
SEALDs
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html
海外の王室においては生前退位は一般的だし、ローマ法王も近年生前退位をなされたので、その行為自体には国際的に問題はないと見なしている
このような表明が起こるということは現場の調整能力に不信感があるのでないか
弱者には優しくしなければならないというが、誰が弱者であるかを決めるのは強者だ。
障害者を悪く言ったら軽蔑されるが、運動神経が悪い者はボロクソに貶しても構わない、曰く本人が怠けていたのが悪いのだそうな。
家庭環境がクソでロクに勉強が出来ずバカのまま大人になっても、強者目線では「お前は自発的に勉強できたはずだから甘え根性のクズ」という事になる。
おさらい
・短期的ゴール「レベル5まで上げて陣営を選んでジム戦に参加」
・長期的ゴール「レベルをキャップ到達まで上げて手持ちポケモンを最大強化してジムリーダーになる」
ゲームクリエイターや識者はこの中間に位置する「中期的ゴール」が無いのでポケモンGOはすぐに飽きられるだろうという。
7/30現在のレベルキャップは40。先行してた海外勢には到達している人もいるらしいが日本では今のところ「到達した!」という自発的報告は無い。
レベルは生態系やポケストップから得られるアイテムとも連動している。
ボールに限った話ならレベル12でスーパーボール、レベル20でハイパーボールが入手可能になる。
エージェントレベル8以上のIngress経験者ならば直ぐに気が付くと思うが、このゲームもレベルが上がると戦略的アプローチが変わってくる。
低レベル時は出てくるポケモンがほとんど図鑑に無いので捕まえるだけでボーナス経験値が手に入りレベル上げも簡単だ。
これが一定レベル以上になってくると出現するポケモンは代わり映えのしないいつものメンツになり捕まえてもボーナスは無い。
ポケストップと既に捕まえたポケモンを何度も捕獲して得られる経験値は微々たるもの。
一見するとバランスが悪そうに見えるが一部のポケモンには「進化」の可能性がある。
鬱陶しいドードーやポッポ、キャタピーやビードルは数匹捕まえれば進化させてボーナス経験値を入手できる。
ハイパーボールが使える頃に野良のポケモンに若干変化が起きている事に気付く。
そしてこの辺りは情報がキチンと伝わってないのも問題だが、実は三色の陣営のジム全てでバトルができる。
自陣のジムでは「トレーニング」という名目で一対一の対戦ができるのだ。
手持ちのポケモンで一番強い、もしくは相手と相性の良いポケモンを使ってバトルの練習ができる。
某有名公園にレアポケモン目当てで一日居座るような人たちには、其れが魅力的な中期的ゴールには見えないのだろう。
また、配信から一週間経過してレアポケモンの巣だった各所の公園に変化が現れていたり、特定のポケモンの強さが補正されたりしている。
ゲームバランスはナイアンティック社がリアルタイムで更新を掛けてくるので、いわゆるPCのオンラインゲームと同じ感覚だ。
これからも見えない所でゲームバランスの調整が行われ、アナウンスされているトレード機能や個人対戦も実装されるだろう。
レベル20辺りで飽きて辞めるのは個人の自由だが、ナイアンティック社はIngress時代にも常にルールやバランスに変化をつけてきた。
個人的にはガングロのヤマンバ系ファッションってのはすごく評価してる。いや、好き嫌いで言えば嫌いだし、魅力なんて一片も感じないんだけど、でもだからこそ評価してる。
どういうことかというと、当時(いまもそうだと思うけれど)あの奇抜で威嚇的なファッションに好意的な男性って、ほぼいなかったんじゃないかと思うからだ。少数いたかもしれないけれど、それってニッチなゲテモノ好きであって、男性視点で商品価値なんてなかった。でもだからこそ、ヤマンバ系ファッションってのは彼女たちの彼女たち自身の内発的価値観としては尊重されるべきだったと思うのだ。言い換えると、「男性にモテるためにやってたわけじゃない」ところが尊い。
翻ると、いまの女性のファッションとか、ライフスタイルって、なんかこう男性にかなり都合がいいのではないか? いやオレ個人は男性なので受益者(?)側なのだが、AKB的な黒髪+制服系ファッションにしろ、女性誌に見られるコーディネートにしろ、露出がだんだんと増えていくここ20年間のトレンドにしろ、男性視点で見て概ね歓迎できる。女の子どんどん可愛くなっていくねーという老人的感想もあるし、もうちょっというと、深夜アニメのヒロイン的なファッションセンスがどんどん現実世界で受容されてきている気がする。
それに対して女性側もたいして抗議してるわけでもなくむしろ自発的に自由の権利として堂々とそれをやっているので、別にどこの誰からも文句の出る筋合いはないし、この記事も文句ではないのだ。が、その一方で、なんかスルスルとそっち方向にいっちゃっていいのかよ? とも思うのだ。
たとえば、フェミのひとも良識派政治家も「エロ雑誌は子供の教育に悪いです!」「性の商品化NO!」「女性を身体で評価するのは不謹慎です!」とはいうのだが、当の若い女性たちは、むしろ「胸の大きさとそのアピールは自分を幸せにする戦略として有効です!」とでも言わんばかりのファッションだし、ファッション雑誌も、価値観もそれを支援している。彼女たちのいう「カワイイ」が男性的視点(で発生する性市場)に迎合的になっているように思える。
なんだろうなあ。
将来が明るく感じられない今の日本において、おっぱい押し付けていい感じの高収入イケメンを入手するのは、生存戦略として優れてるっていう話なのか? そういえば5年位前から「キャバクラに努めているという女性」が妙に市民権を得たようにも思う。俺は別に構わないのだが、なんというか、女性の多数とか、フェミの人は、それで良いのか? なんかキミらgdgdじゃね? と思うのだ。
菅野完さんから性暴力被害を受けたというXさんからの依頼で、7月14日に「菅野完 noiehoie の性暴力」というエントリーを上げました。
http://c71.hatenablog.com/entry/2016/07/14/153922
これは自発的に書いたものではなく、一部の人の思惑に沿って書いた作為的なエントリーでした。善意からとはいえ係争中の案件を裏取りもせず、頼まれるまま無責任に書いてしまったことを関係者の方々、ならびに読者のみなさまにお詫びしたいと思います。
この件には私が知る限りでも週刊金曜日編集者の方、係争事件の弁護士の方、濁山ディグ太郎さん、中島岳志さん、山口智美さん、いとうせいこうさん、朝日で女性問題を多く取り上げている林美子記者始め多くの方が水面下で結束しています。私はこの繋がりが純粋に性暴力被害者を救済し、再発を防止するためものなのか、菅野完さんの日本会議批判と関係があるのか、疑問を持っています。
7月14日、Twitterフォロワーであるfさんから性暴力事件についてのエントリーを被害者を助けるために書いてほしいという連絡があり、被害者を名乗るXさんとグループチャットでお話しました。私は自分自身が性暴力被害者であるため、そこで聞いた話と発売前の週刊金曜日のキャプチャの内容に強い衝撃を受け、フラッシュバックで正常な判断力を失ってしまいました。Xさんとも菅野完さんとも面識がないにも関わらず、被害に遭ったというXさんとかつての自分が重なり、無条件で力にならなければならないと思い込んでしまったのです。
見ず知らずの方の係争中の案件に関わることは軽率なのではないか、発売前の雑誌の紙面を大きく掲載したキャプチャの使用が著作権の侵害に当たる場合、その責任は誰が取ることになるのか、そういったことについてさえ十分に話し合うことなく、とにかく発売までにエントリーをアップして拡散させなければと必死で記事を書きあげました。
パートナーは私が本業の準備、食事や持病のための休息時間も犠牲にし、フラッシュバックでふらふらになりながら、ひたすらテキストの加筆修正を繰り返す様子を見て、とても心配しました。彼は当初から先方がこれだけの依頼を出しておきながら、執筆料の申し出を一切しようとしないことにも疑問を持っていたようです。
長文のテキストであることに加え、Xさんと彼女の支援者を名乗る人たち、また弁護士や週刊金曜日編集部からの要望が後からいくつも追加され、私はその度に細かい修正に応じました。加筆修正の度、何度も何度もおぞましい性暴力のについて読み返すことで自分自身の性暴力被害が蘇り、吐き気と動悸と冷や汗でとても苦しかったです。でもそのときは「性暴力被害を許してはならない」「被害者に自責の念を持たせてはならない」ということしか考えられませんでした。
ようやくOKをもらったエントリーはXさんの支援者ではなく、紹介者のfさんを通じてリツイートしてほしいと頼まれました。私と同様事件と無関係のfさんがなぜ?と疑問思いましたが「被害者探しを避けるため」といわれ、「被害者を危険に晒す気ですか?」と脅されているように感じ、何も言えませんでした。
また「フェミのお仲間を通じてリツイートしてほしい」「互助会!互助会のノリで、お願いします!」という言葉には(フェミの仲間なんていません。一人一人が自分の考えで発言しているんです)(互助会なんてありません)と思わずにいられませんでしたが、言い返すだけの気力もなく、上手く言葉にすることができませんでした。
パートナーはXさん、濁山ディグ太郎さんらに新規はてなidを取得してブログを書いたり、増田を使って匿名エントリーを上げてみたりしてはどうかとすすめましたが、誰一人それに応じた人はいませんでした。憔悴している私を傍で見ていた彼は私一人が矢面に立たされることに強い憤りを感じており、それを見ているうちにようやく私も「これは何かおかしい」と自分の感覚の異常に気付くことが出来ました。
私は自己評価が低く、記事の作成を依頼されたときも「なぜ私が?」という思いがありました。そのことについてXさん、naeさんらから「自己評価が低いからこそ被害者によりそういい記事が書けた」といわれたとき、限界が来ました。私自身は自己評価の低さと戦うため、これまで命を削ってきたからです。個人差はあると思いますが、性暴力被害者が自分を無価値であると考えるのは謙虚さとは違います。この苦しさは「だからよかった」といえるものではありません。
記事を書いている間の緊張とエントリーの反響、そして休息や食事を後回しにしていたこと、何よりフラッシュバックで普通の状態でなかったことが重なり、私はXさんの支援者の皆さんに感情的な反応を返してしまいました。そのことはお詫びしたいと思います。
しかしようやく少しだけ判断力を取り戻したいま、パートナーをはじめ友人たちに話を聞いてもらい、この件を伏せておくことは良心的に出来ないという結論に達しました。私は知らずに政治的な駆け引きに加担し、証拠不十分な係争中の事件について、言われるままに一方的な宣伝をしてしまいました。裏で糸を引く大勢の人たちの思惑に従い、とても公正とはいえないやり方で日本会議批判を攻撃する立場に立っていました。
このような事情によってあのエントリーを書いたことを読者のみなさんに知っていただきたいと思います。このような結果になったのはひとえに私の迂闊さと甘さによるものと反省しています。今後は利用できそうな人間は誰彼かまわず利用する人の餌食として踊らされないよう健全な自尊心を持ち、自分と他人の心の境界、責任の所在を明確にしていきたいです。他人の回復の前に自分自身の安全を守ることが、私を大切に思うパートナーや友人たちへの愛情だということを忘れないでいたい。またXさん、菅野完さん、そして日本会議に対する思想や立場について、感情的な思い入れに流されない視点を持ちたい。都合よく踊らされるのはもうたくさんです。
-----------------------