「可哀相なんて言うな」と言っていいのは当人だけなのでは?
息子さんと親は別の人格を持った存在なのに、親が子供を「可哀相と言うな」と言うのもおかしいと思う。
「うちの子を可哀相なんて言うな」というのは毒親思考にもたやすく繋がる。
子供が『自発的に』『張り切って』『楽しそうに』やっているように見えても、
それが本当に本心かどうかは分からないよ。特に下のきょうだいの世話なんてのは。
子供のうちから自分の我が儘を抑え付けて良い子を演じなきゃならない子だっている。
上の子が下の子の為に「大人になって」良い子に振る舞う事を要求されるのは美談として消費するのはなんでだ。
高校生を子供扱いする前に年齢一桁の幼児をちゃんと子供として扱ってやれよ。
兄や姉は弟や妹の誕生に際し、何ら責任のない立場なのに。何故兄や姉というだけで尽す必要があるのか。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」という台詞は一見美しいもののように見えるけど、
その役割を果たす事を自発的に買って出るその姿はまさに『可哀相』に思える。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」の先に待っているのが、「障碍を持つきょうだいの為に福祉関係の仕事に就く」であったり、
「障碍を持つきょうだいの為に結婚を諦める」であったりする可能性を考えると、けして手放しで褒め称えていいものではないと思うのですが。