はてなキーワード: 立場とは
以前もカレー沢についてこう言ってた増田いるけど、元からカレー沢もその信者もそんな感じ
https://anond.hatelabo.jp/20220811214550#
元から真面目系クズを自称しそうな単なるクズ、典型的な生きづらいちゃん・くんに大ウケしそうなエッセイ書いてて、
人気が落ち着く前は、指摘すると信者の生きづらいちゃん・くんが飛んできてた
2021-06-06
(カレー沢のエッセイは)厨ニそのものだし恵まれたご家庭のボンクラボンボンな真面目系クズに見せかけた結局自慢じゃんだし
死ぬほど理解ある彼くん・彼女ちゃんを求める層と親和性高そうだけど
鳥肌がたつわ
けど漫画の方はまぁまぁキレ味があって良い
↓ 信者登場
カレー沢薫の書いたものを「自慢」と捉える層がいるとはあまりにも意外で驚きだ。
あー、そういえば「カレー沢薫が注文住宅を建てた」という点に噛みついたアホもいるらしいから、その一派か。
世の中には本当に理解不能な感性を持った貧乏人がいるんだなぁ。
いつ、どこで、誰に、何について嫉妬されるか、何について逆恨みされるか分からないね。
こういうヤツみたいなのに勝手に嫉妬され逆恨みされる。交通事故並みにタチが悪い。
あー、怖い。
だから俺は自分の年収を絶対に誰にも明かさない。親兄弟にすら言ってない。この世で奥さんと税務署しか知らない。
家と土地はうっかり大きくしてしまったが、車などは地味な大衆車にしてるし、腕時計も着けない(そもそも持たない)。
勝手に他人の持ち物やライフスタイルなどを査定して「自慢してる! 気に入らない!」などと、言及元のコイツみたいなヤツに嫉妬・逆恨みされて損するだけだ。
普通にちゃんと相手の立場に立って考えてみよう!って思ったんだけど、いまいきなり体つきは女のまま、ちんこだけが生えてきても、女風呂にはぜったい入らない。
でもそれ、普通に周りへの配慮っていうよりか、女の子にちんこついてるとこ見られたくないもん!!!
え、普通に嫌じゃない?なんか、あの子ちんこついてる、、、ってなるの、普通に、嫌、、、
心が女なのに風呂にちんこ持って入る人間、やっぱおかしくない!?
え、てか男もある日突然ちんこなくなったら男風呂入りたくないよね!?ちんこなくても普通に男風呂はいれる!?いや男風呂で男がどんくらいちんこ隠してるのか知らないけど!?
自分は20代前半だが、今までの人生で心が壊れそうになって、間一髪免れたことが何度もある。
母はもちろん、親戚たちが自分のことを助けてくれたおかげでなんとか健康に育てたが、愛着障害の破片が未だ心に刺さっている。
母の弱音を受け止める役目は今も変わっていない。
いじめのターゲットは別の人間だったものの、当時の同級生と会う気にはならない。
勉強ができたので高校以降はなんとかなったが、本来自分は弱い人間であるという意識は心の底にへばりついて取れない。
その歪みは、おとなになってからはそうそう取れないものだということもわかった。
大人の活動というのは、殆ど全てが子供時代のコンプレックスの裏返しではないかとすら思う。
子供を持とうとする人は、自分たちなら子供を歪ませないで成長させられるという自信があるのだろうか。
この世に生まれてきてよかったと心の底から信じられるような境遇で育った人ばかりなんだろうか。
そもそも元来子供というのは、家族や地域社会の維持のために設ける側面が強かったのではないか。
地域社会が実質的に解体されて、人もモノも情報も世界規模で飛び交うこの時代で、なぜあえて自分が子供を作ろうと思うのだろう。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
まぁ下記についてはよくよく考えて欲しいね
でも某候補がAI安野氏に勝った地域のひとつは、下記なんだぜ?
- 石丸氏と蓮舫氏の投票割合の差が比較的小さかった地域(もちろん文京区ほど小さくはないが・・・)
- 女性の区長の地域
- 経緯はともかく所得が高い地域よりも早い2021年にパートナーシップ・ファミリーシップ制度が導入された地域
- 人情下町とかいった風情が残ってる地域
- 東京23区構成比と比較して、単独世帯構成が少なく、夫婦と子どもからなる世帯が多い地域(家族で住んでる)
- 65歳以上の人口の割合が北区に次いで高い地域
(ちなみに北区も所得が低いが、文京区よりも投票割合の差が小さい。ちなみに、AI安野氏が某氏に勝ちました)」
本格的な分析をするまでもなく明らかなこと
- 世の中は、目の前のタスクに追われてニュースや政治に興味がない人が多いこと、ロクデモナイので不愉快な気分になりたく無くて意図的に避けている人が多いこと、
もっと自覚が欲しいよね。『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
そういう人たちはなんか感じが良さそうだった人に入れるからよく覚えておくといいよ?
昔は、『右翼は仲間を庇うのに、左翼は仲間を庇わず攻撃する』とかきゃっきゃやってたものだけど、
まさかの<シールを無茶擁護>ときたもんだ、それも立場ある人が所属組織を明かした上で実名で
いつからストリートおじさん・おばさんになったんだよお前は?って思いましたね
まぁ100歩譲って、ストリートおじさん・おばさんに目覚めたでもいいけど、
今アートの話してなくて、『単純に自分の家や車に貼られたら嫌ですよね』って話をしてるわけですよ
フツーにシールを剥がしつつ、ピンクチラシや有害チラシを剥がして、ゴミ拾って、地域貢献をする
その上で、シールより、ピンクチラシなり有害チラシの方が多くね?ってやればいいし、
この機会に、公共空間とgraffiti(グラフティー)を考えるをやろうってやって欲しかったわ
ストリートアートから考える“公共空間”|東京プロジェクトスタディ 2019
東京の防潮扉でみつかった「バンクシーの作品らしきネズミの絵」をきっかけとしたストリートアートに関する話から、“公共空間”について思いをめぐらせるようなレクチャーをしていただいた。バンクシーの活動の変遷を事細かに学ぶと同時に、日本的な公共の捉え方や、西洋との違いを認識する時間となった。
落書きが少なくてきれいなまちであることを手放しに喜んでよいのだろうか。知らない間にみんなが支配者の美学を内面化している。
往年のダウンタウンファン、松本人志ファンとして、性加害は疑惑について静観してたんだけどさ
あまりの言われように我慢出来ないから、少しづつ反論していくわ
時間ある時に1つ1つ加えてく感じで
Q事実無根って言ってたじゃん
性加害については事実無根だって話で、飲み会ごと全てにおいてとは言ってないよね
推定無罪は刑事事件の話だけど、推定無罪の精神が重要だから推定無罪があるんよ。加害者とされる人を事実認定無しに加害者扱いしちゃったら、後から名誉や損害の回復がむずかいよねって話で、メディア並びに一般人も当然従うべきだよ
否定してないから認めてるんだってのはヤクザの理屈で、本人が認めてないものを決めつけちゃ駄目だよね
まあ俺も不倫してないとは思ってないよ
Q後輩に女衒させてたよね
それも後輩が直接的にしてないと言ってるよ
まっちゃん含めた当事者が認めてる事実は、ホテルで飲み会をしてたってことだけ
(片山さつきをフォローしてるような)右派が反対なのは当たり前で、それは昔からの価値観を支持する立場だから
ターフが異常なのは自分たちは進歩的な価値観であると自負し、多様性を擁護するべきだと言いながらMtFトランスにだけ攻撃的なこと
例えば、女性候補であれば+500,000票、有色人種であれば+300,000票、同性愛者であれば200,000票、障害者であれば100,000票という形式。
同じ弱者の声を届けるには、これぐらいしなければ、元から下駄を履いた強者の候補とは戦えない。
穏やかな言葉を使わなかった、本気では○○とは思っていないがコミュニティで認められたいので過激になっていくってのが原因では?
指摘されても認めないのもネトウヨと同じ
昔は、『右翼は仲間を庇うのに、左翼は仲間を庇わず攻撃する』とかきゃっきゃやってたものだけど、
まさかの<シールを無茶擁護>ときたもんだ、それも立場ある人が所属組織を明かした上で実名で
いつからストリートおじさん・おばさんになったんだよお前は?って思いましたね
まぁ100歩譲って、ストリートおじさん・おばさんに目覚めたでもいいけど、
今アートの話してなくて、『単純に自分の家や車に貼られたら嫌ですよね』って話をしてるわけですよ
フツーにシールを剥がしつつ、ピンクチラシや有害チラシを剥がして、ゴミ拾って、地域貢献をする
その上で、シールより、ピンクチラシなり有害チラシの方が多くね?ってやればいいし、
この機会に、公共空間とgraffiti(グラフティー)を考えるをやろうってやって欲しかったわ
ストリートアートから考える“公共空間”|東京プロジェクトスタディ 2019
東京の防潮扉でみつかった「バンクシーの作品らしきネズミの絵」をきっかけとしたストリートアートに関する話から、“公共空間”について思いをめぐらせるようなレクチャーをしていただいた。バンクシーの活動の変遷を事細かに学ぶと同時に、日本的な公共の捉え方や、西洋との違いを認識する時間となった。
落書きが少なくてきれいなまちであることを手放しに喜んでよいのだろうか。知らない間にみんなが支配者の美学を内面化している。
こんなの「迷惑だから止めろ、剥がせ」って言って切断処理する一択だろ?なんで無理やり擁護するんだ?
頭の中が文化大革命なのか?
立憲民主党なのか共産党なのか知らんがお前らも止めろよどう見たって良い影響ないぞ?(最後に記載のとおり、この中の一部は極めて連邦さんに近いことがわかってるので、無関係と通すのは無理筋と思う。)
以下、立場を持ってるのに蓮舫さん(R)シール貼り擁護またはシール剥がし批判をしている人たちの例
https://x.com/hokusyu1982/status/1810910978542027233
Rシールを剥がす人たちは、シールが嫌なのではなくRシールが嫌なのだと思うが、「街中に勝手にシールを貼りつけてはいけない」という規範が、シール剥がしを正当化する理由になってしまっている時点でヤバい。
https://x.com/shintayabe_257/status/1811597804508447097
すでに街中に存在するグラフィックやステッカーについては無視を決め込んで、時の権力者にとって不都合に生じるものを見つけるやいなや「不法行為」と問いただす。その判断は、まず誰によってなされ、動かされているのか、考えているのだろうか。
https://x.com/noiehoie/status/1811683776088641971
頭の悪い人には難しい話なんで恐縮ですけど、「街に貼ってある特定のシールだけ剥がす」ってそれ「街に特定のシールをだけ貼って回る」と同じ文脈のストリートの文化ですからね。同じ文化にコミットしちゃってることになるのでご注意くださいね。
https://x.com/sanngatuusagino/status/1811580006235275678
ステッカーを剥がせというなら、全てのステッカーについて、貼ったひとは剥がせというべきやろ。それが「公平」。それなのにRステッカーだけを「問題視」する。そちらの「政治的」思惑の方が問題でしょ。
https://x.com/hyougenmamoru/status/1811290287345406408
普段表現の自由を謳っているはずの人々も加わって大騒ぎした結果、直接の関わりがない陣営がアナウンスするまで追い込まれる事態に。しかもステッカー程度で。大袈裟でなく、表現の自由史に刻まれる敗北なのでは。
https://note.com/neon_shuffle/n/nafff08c3b502
SEALDsのデモでマイクを持つ女性(https://i.imgur.com/Zv1gskv.jpeg)と、今回の都知事選でRシールを掲げる女性(https://i.imgur.com/HfaewC3.jpeg右下)は同一人物
ちなみに2番目の写真の真ん中に写ってる黒い帽子は塚本ニキさんで、左隣の紫色の服の女性とともに、この選挙戦で蓮舫さんとかなり近いところに並んでダンスを踊っていたことが確認されている。(https://i.imgur.com/9m2uaQ0.jpeg)
せめてこの人たちを批判して切断しようよ蓮舫さん、遅まきながら出したコメントも「誰か知らんが原状回復してね」だけで、シール張りの批判してないでしょ?
普段はROM専で、SNSでリアルタイムに反応をもらうことに不慣れでつい舞い上がってしまい、更新ボタンを押す手が止まらなくなってしまった。
また、フェイクは入れまくっていたけれど、身バレするのがホッテントリに入って注目されるようになってから怖くなった。
自分の精神衛生の悪化を感じたので、勢いで消した。私にはSNS上でオープンな発信者になるのは早かったみたいだ。
だけど、どうしてもお礼を言いたくてのこのことまた出てきてしまった。
6月11日現在における今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は79件。
7月13日現在では総額305万3千円、件数は149件! 倍増! すごい!!
自分の投稿がどれだけ貢献したかはわからないけれど、寄付してくれた方々に対して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとう。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1
読んでみると、過去に授業料免除を受けていたという人が恩返しとして寄付しているのが結構多いのが分かる。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1#project-tab03
あとは3つおまけ。
まず大学側の要因として挙げられるのが次の2つ。
私も今回調べるまで、自分の研究科以外の寄付基金の存在を知らなかった。修学支援基金も含めて。自分もお世話になってたのにね……。
OB・OG向けにたまに郵送するニュースレターという形でOB・OGへのアウトリーチする基盤はある。
現役の学生からお金を搾り取ろうとする前に、OB・OGへの寄付の働きかけを強化する手段はあるんじゃないのかな。
関連して第2に、学部・研究科ごとの独立性が高くて、「東京大学」としての寄付の呼びかけに失敗している。
夫は別の学部・研究科の出身なので、ニュースレターを私の出身のところと比較できるのだが、どちらも自分たちのところの研究のための基金の情報しか載っていない。
ふるさと納税における各自治体みたいに、寄付金を巡って本部と各研究科が競争しているような状態なのかもしれない。
あるいは、授業料免除のような学生全体に関わる経済的困難層向けの修学支援は東京大学の本部としての活動になる一方で、OB・OG向けのアラムナイ活動は学部・研究科の所管になっているように見えるから、そこで齟齬があるのかもしれない。
他方で、卒業生側に目を向けると、卒業生には寄付をするインセンティブがない。
寄付をすることに対して、アイデンティティ上の満足や実利など自分のためになる何かがなければならない。
多くの東大生OB・OGには、寄付に対するそうした対価は存在しないと思う。
アメリカの有名大学には寄付による入学枠がある。寄付することが、そのまま自分の子どもの利益に繋がる。
賛否はあると思うけど、その寄付金を使って貧乏人の子どもが入れるようになるならば、うまくできた制度設計だと思う。
でも、これは私立大学だからできることだろうし、東大でそんな制度が採用されるとはとても思えない。
※補足:ハーバード大学やスタンフォード大学などのアメリカの有名大学のほとんどは私立大学。
でも、はてなーは公共心が高くて、公共性への貢献からアイデンティティ上の満足を得られるであろうから、皆さんからの寄付には勝手に期待している。
②なぜ親と折り合いの悪い層にこだわるのか
これは、実際にそういう人を知っているから。金銭面で決定的に仲違いしたから。その人は大学からも去ってしまったから。
大学院に行きたいと言っていたけれど、結局コンサルに就職した。私が知っている中でもかなり天才と呼んでよいほどの頭の人だったのに、ものすごくおもしろい研究をしたはずだったのに、本当にもったいない。
セクシャルマイノリティーの立場から授業料値上げについて書いていた学生のnoteを読む限り、最近でもこの問題が解決してなさそうで非常に残念だ。
私の場合、分かりやすい経済的困難層だったことと、進学には反対したけどなぜか書類の準備には協力的だった親がいたことはすごく運がよかった。
親との折り合いが悪くて授業料免除制度からこぼれ落ちてしまうような学生をどう救うかの問題が解決しない限り、いくら支援制度の充実を掲げたとしても、学生の自助努力の水準を上げる授業料の値上げは行うべきではない。
③最後に。自分のこれまでを褒めてもらえたことはうれしかった。その一方で、危うさも感じた。
やっぱりみんな学力によるメリトクラシー(能力主義)にとらわれすぎだと思う。
特定の能力を持っている人はそれにふさわしい場所に行けるべきという考え、あるいはそれが実現された社会は、最終的にはその能力を持たない人を苦しめることにもなりうる。
学力という一つの能力のみによる純粋な選別装置として大学を機能させることと、社会全体の平等は別の話。
能力によって個人レベルでの格差を乗り越えることができたとしても、社会全体の格差は残り続ける。
世代間の社会的流動性が高ければそれはそれで問題ないのかもしれないけれど、それでもやっぱりいま・この世代において個人レベルで「負ける」人は発生する。
特定の能力による勝ち負けの発生自体をなくさないと東大ヘイトも負け組ヘイトもなくならないんじゃないか。
もちろん個々の能力ごとに勝ち負けが発生するのは避けられないけど、いろんな人のいろんな能力が尊厳をもって扱われて、トータルでみたら引き分けだとみんなが感じられるような社会になってほしいと心から思う。
だから繰り返しの主張になるけど、大学生への経済的支援だけではなく、若者向けの支援も、かつて若者だった人たち向けの支援もやるべきというのが私の立場。
「東大生は社会的に有用だから他を差し置いて特に支援されるべき」ではない。
個々人が寄付という形でその思いを表明するのは、個人の善の構想の中にある自由な選択。
でも、公的に税金を使ってやるべきような正義の話なのかは分からない。
それに、社会的に有用になることを東大生に押し付けることも適当ではないと思う。
社会貢献のためにみんな働いているのか? ジョブズは社会貢献のためにiPhoneを作ったのか?
そうではないだろう。
人々が自由にその能力を発揮して、自分の何らかの価値のために働いて、それが結果的に社会の役に立つ。それが一番健全。
最初から社会のためになんて言ってるやつはうさんくさい。個人の感想だけど。
この投稿以降は再び社会の片隅でひっそりこっそり生きる生活に戻ります。
誤字脱字は直すけど、それは何卒ご容赦を。
35歳未婚 女
生理を止めようとピルをもらいに行ったらでかい子宮筋腫が見つかる
筋腫を取る手術と子宮を取る手術の値段がそんなに変わらないので子宮を取ろうとしている
ピルも金がかかるし
実は筋腫が見つかったのは33歳のときであり、その時も子宮を取るつもりだったが婦人科の医師に反対されて2年間ほっといたのである
あのときほど強く止められはしないが、子宮は取らないほうがいい、後悔すると医師が言う
35歳の女に子宮があって何の意味があるのかと聞くと、まだ妊娠できると返ってくるわけ
高齢出産になるのに妊娠するわけないだろと返すとそんなことはない結構妊娠すると医師は言うわけだ
妊娠可可否ではなくて是非の話をしていて子供が欲しいなら若い頃に妊娠すべきであり、35以降子宮を使うべきではなく、ゆえに私に子宮は不要と言うと黙るが、毎回(手術は半年前から準備があり、毎月通院が必要)子宮は取らないほうがいいと言ってくる
おそらく後に裁判になったら嫌だなという思いが強いのだと思う
裁判を恐れる気持ちは理解するが、35の女にまだ産めますなどというのはおかしいと思う
だが、産婦人科は不妊治療で荒稼ぎしているから、金蔓に増えてほしくて高齢の女に子供を諦めてほしくないのだ
高齢出産認めるような風潮はやめさせるべきだ
また、男性についても35歳を超えると二十代に比べて倍発達障害が生まれるリスクが高まる
自分が女性だからそう思うことと、自分という個人だから思うことは別だよ。(男でもそうじゃないの?)
例えば生理がある人達からすると生理用品に高額な課税されたら困るから、やめてくれ!って言うじゃん。
その場合は、
言うつもりはない、単純に
「本当に心が女性なら女子トイレは使用しないはず」って理論に異論を申したいだけで、トランス女性が
ありませんよ。
つか子供産んで主婦やってたなら当時の一般的な女性のジェンダーロールを受け入れたのは自分だろ?
強制的に結婚させられて子供を育てさせられたのか? 違うだろ?
韓国は日本に占領され、日本の軍隊ベースに文化を植え付けてきたのだから、日本はむしろ謝罪すべき立場なのでは?
モラハラDVってそれ日本と同じ大日本帝国陸軍式のそれそのものじゃん
責任を感じるべきところだよね
https://anond.hatelabo.jp/20240711233856
ブコメに目を通して、色々思うところがあったのでコメントしていく。
正直なところ、こんな匿名ブログに下ネタを投稿して暖かいコメントがくるとは思っていなかった。もっと袋叩きにあうと思っていた。まずはそこに感謝したい。
業者の宣伝ではないかという投稿もあった。筆者はどこかに雇われたわけではないが、エッセイストを自称している。学生時代はラジオや新聞のお便りコーナーにたくさん投書しては応募者プレゼントを総なめするのを生きがいとしていた。褒め言葉として受け取っておく。
ではなぜこれを新聞に投書しないのか。まず精子観察などというネタをBANしないメディアを探さなくてはならない。さらには、投書してみたいという期待の裏に、名前や性への好奇心を明かす恐怖があった。
筆者は典型的な陰キャの学生生活を過ごしていたので、異性はおろか同性とも性の会話をしたことがない。いじめられないだけの無難で堅い人間を装って性への興味を抑圧してきた。
社会人になってからはあまり人間関係に困らず、女友達もできたのだが、女性の性に対するあけっぴろげさがカルチャーショックとなっていた。
そうなる背景を女性は教えてくれない。それが当たり前で、考えたこともないそうだ。なんとなく思うのは、生理や妊娠というのは受動的というか、たぶんでっかいうんこが出たのと同じようなテンションで会話しているのだろう。しかし射精は生理現象とはいえ、一部の例外を除いて能動的な性活動がもたらす。これが男性が性と向き合う心理的な障壁になっているのではないかと思う。
「ぬいぐるみペニスショック」という言葉がある。ぬいぐるみみたいな無難な男が性欲を匂わせることで気持ち悪くなるという現象だ。しかし、どうやっても男にはペニスがついているのである。
筆者の持論として「ペニスは男性器ではない」という考えがある。男性の尿器だ。だからトイレや風呂で丸出しになっていても恥ずかしくはない。だがひとたび勃起すれば性器となって、性器として射精に至る。女性にとって、あるいは解剖学的視点で見て同じ器官だったとしても、生きている男性にとってこれは別物と捉えらべきだと思う。そしてこの、尿器が性器になってしまう瞬間と、尿器を性器にする瞬間が、筆者にとっては恥ずかしいのである。
だから筆者は、社会的にペニスを知らないぬいぐるみとして、知らないふりをしながら、家で隠れて精液を観察しているのである。この記事を公表することは、自分の股間に、顔に、肩書きに、卑しい性器を生やすことになる。しかし本来それが自分の本当の姿なのである。だから投稿にはかなり躊躇した。
一方で、思春期から続くこの好奇心を自分の中に閉じ込めておくことにも限界を感じていた。そこで匿名のサイトに書いてみることにしたのである。
下ネタ専用のブログとか開設しようかとも悩んだが、いつかボロが出るので、ここを間借りさせてもらうことにした。これからのことはBANされたら考えよう。
この意見はよくあった。バイオの人だろうか。たしかに理系人間の端くれなので言葉選びには気をつけるべきだった。生命のように生きているように感じられた、くらいに止めておくべきだろう。
「オナ禁したらどうなるのか」
「精液をレンジでチンしたらどうなるのか」
こういうアイデアが次々出てくるのが、素晴らしく最低で楽しい。筆者には出てこない考えだった。やはり誰かに話してみるものだとウキウキした。探究心があって面白いと思った。測定ツールがもうないので数値化できないのが悔やまれる。
コメントするならば、外部条件がまだよくわからないので、実験の基本である対照実験が難しい。ブリーフのせいなのか座り仕事のせいなのか、いろんな条件が合わさるので原因が特定しにくい。なので全て推測になってしまうことは理解してほしい。
下着に関しては、申し訳ないがトランクス派の男性に試してもらって欲しい。筆者は長いことボクサーブリーフ派である。妊活のためにはトランクスにしろというのは理にかなっているし、息子には窮屈な思いをさせてしまっている。しかし息子を常に上向きにして収納したいチンポジに拘る筆者にとってトランクスというのは勇気がいるフォルムをしている。買ったら慣れるのかもしれないが、期待に応えられず申し訳ない。
熱によってどう変わるかという発想も素晴らしいが、実家のレンジを使うなんてとてもできないので近々レンジを捨てる人に頑張ってほしい。
参考になるかわからないが、精子と熱の話題ということでここで懺悔をしておくと、むかしむかし学生寮の風呂で致してしまい、熱いシャワーを浴びた精液が茹で卵の白身のように固まってしまったことがある。床についたそのゴムのような塊をベロッと剥がしてティッシュにくるんで捨てたが、さっきまで人の組織だったものが卵みたいに変質する恐怖は忘れられない。そして万が一この硬化した精液で排水管を詰まらせたら笑い物にされるところであった。諸君は絶対に真似しないように。
しかしアイデアさえあれば行動あるのみ、ドラッグストアに行って1500円出すだけだ。最近だとドンキの他、家電量販店でも並んでいるのを見た。
「楽しそうだけど女性なのでできない」
「彼女とやると盛り上がる」
前言を撤回する。1500円に加え男性も必要だった。しかし異常な男性が共感してくれれば良いと思っていた文章なので、女性にも読まれていると思うと少し恥ずかしい。精子というものは本当に妊活したい女性以外からしたら犯罪の源というか脅威みたいに扱われていると勝手に思っていた。これもリアルな女性にどこまで話せるかというと、筆者が耐えられない。匿名で良かったと思う。
じつはこの実験の後、コロナが落ち着いた頃に彼女ができた。だが前述の通り、ぬいペニが怖くてこの趣味は話せていない。一応身体の付き合いまで辿り着くことができたが、こんな趣味を抱えていたら幻滅されてしまうだろうか。もっとやばい趣味も抱えているので、バレるのは時間の問題なのだが、悩ましい。
「トイレで致すのかわいそう」
「毎日かぁ」
むしろ世の男性はトイレの他にどこで致すのだろう。仮に自室に鍵があったとしても、ティッシュで始末するより、前屈みになりながら便器に出してしまうほうが片付けが楽だと思う。あと、観察をやっていた頃はピチピチの20代だったから毎日やっていたのだと思う。高校の頃は夕方と晩の2回くらいやっていたかもしれない。今は仕事も少しずつ昇格して、息子と遊んでやる時間を作れなくなってしまった。連休だしネカフェに連れ出してしごいてやろうかという気持ちになっている。飛距離が落ちるとか哀しい先輩方のコメントが胸に刺さった。まだまだ元気な息子とセルフプレジャーを楽しんで楽しい夏にしたい。
「寝込むと濃くなる」
精液が"濃い"という言葉を見直さなくてはならないと思う。この文脈の"濃い"とは、おそらく"白みが強くてどろっとしている"という状態だと思う。風邪を引いた時に出る黄色い鼻水のような粘度というか。あれは精液に混ざる尿道や前立腺の液が少ないからで、焦らせば焦らすほどその量が増えて薄くなると昔何かの本で読んだ気がする。そのビジュアルと中身の精子が元気かどうかということに関連はないのではないかと思った。勢いのいい射精ができればビジュアルとしては素晴らしいのだが、それが男性不妊を見えなくしているのではないかという気がしている。だからこそ顕微鏡を使ってみてほしいのである。
「pudoが便利」
ありがとう。とても有益な情報を得た。筆者はamazonのロッカー預りはやったことがあるので、amazonで買えればいいなと思ったが、見つけたのでこれで久々に精子を見てみようと思う。多分相当死んでいると思う。
女性のコメントらしいが、他に何があるのだろう。筆者はコンドームしか知らなかった。それは女性の購買のプライバシーが守られているという証でもあるのだが、こうしたところで女性の生活というのは謎や秘密に溢れていると感じてしまう。
「分析的」
「探究心がすごい」
「熱心」
この辺りは誤解を生んでしまったかもしれない。医学情報という観点からすれば、この記事も民間療法レベルの怪しい情報だと思ってほしい。TENGAヘルスケアなどはきちんと研究しているので、そうした読み物を見るきっかけになってくれればいいと思う。
「人間ドックに取り入れられないだろうか」
そもそも尿検査をしなくてはならない。男性は尿も精液も同じ尿道を通るので、これが混ざると厄介なのではないかということは気がかりだ。
ところで「尿検査の前にシコると再検査になる」という都市伝説を聞くが、あれはどこまで本当なのだろうか。気になって前日に致してみたことがあるのだが、怖くなって寝るまでにしっかりおしっこをして尿道を洗い流してしまった。結局何も言われなかったのを覚えている。
「もっと書いて」
心の内に抱えたぬいぐるみのペニスを増田に投下しているので、またいつか会えると信じていてほしい。
バズったのをいいことに宣伝するのはダサいが、一応紹介しておくと、最近女性の立ちションについて調べるために性転換パンツを履いてみるという記事を書いた。リンクは貼らないので、覚悟がある人だけ探してみて欲しい。
「その時のレポート」
気軽に使えると思う。真剣に妊活に使った人もいたようだ。オモチャとしても悪くない値段だと思う。
便乗して記事を書いてくれた方もいた。ここに紹介しておく。
https://anond.hatelabo.jp/20240712135040
自分の子孫が泳いでいる感覚は面白い。それでいて自分で片付ける心境も共感が得られた。ずっと孤独だったので、仲間がいるような意識を勝手に持ってしまって安心している。
ちなみに増田が疑問視していた出し方だが、基本は尿検査のコップを思い出してほしい。メンズルーペの計量カップになっている持ち手のところを裏筋につけるイメージで持つのが良い。すこし傾斜をつけて容器の底に向けて射精すると、小便器の要領で持ち手の方に垂れていく。もし6ml以上出るのだとしたら溢れるかもしれないので注意だ。
他にも自身の妊活の思い出を話してくれた人もいて、筆者に宛てたものではないと思いながら勉強させて頂いた。筆者には妊活は程遠いというか、来ないと思うので伝聞が頼りである。性というのは本当に経験しないことわからないことばかりだ。経験値の乏しい筆者にはブコメが新鮮に見えた。
筆者は気になったことはすぐ調べるタイプの人間だ。教えてもらえないことは実験で確かめたくなる。そうして精子を調べるというところに行き着いた。こうして調べられることは調べて満足するタイプなのだが、それでも出産の苦しみはわからないし、精液検査を突きつけられる男性の気持ちも正確には掴めない。
できれば、精液検査をしたがらなかった人の意見も聞いてみたい。もちろん女友達となぜ検査が嫌なんだろうと質問されて、男性の立場で思いつくこと考えても所詮は推測。女性だらけの産婦人科に男一匹いたら拒絶感を覚えそうとか、男の中で生殖能力に優劣をつけさせられたくないとか、思いつくことはいくらでも言えるが事実は本人にしかわからないのである。
エロマンガの導入に、性教育の実技授業という定番ネタがある。あれはやりすぎだが、座学にとどまらない性への理解が必要だと思う。
少し年下の世代では、実際に高校でガラス棒にコンドームをつける練習をしたという話を知人から聞いた。流石に精子観察は成人してからやってみてほしいが、そうした実践が性への理解には不可欠だと考えている。
改めて、ぬいペニという言葉を恐れるあまり性への興味を抑圧してきた自分にとって、こんなに自由に自分が興味を持ったことについて話せる場があって嬉しかった。しばらくしてBANされてしまっても、いい思い出になりそうだ。
👩「(仮面🎭をつける)全裸のアタシを見て〜ンパシャパシャ📸📸」
👩「オ゛オ゛ッ!!オホ〜〜〜!!イグイグッ!!🎥(便器とツーショット)」
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
夫が食べたいと言うからだ
近所の肉屋で買ってきたちょっと良い肉でとても美味しいけど、段々嫌になってきた
飽きてきたのではなくて、なんか「こんな贅沢なことしてていいの?ステーキって週4で食べるもの?」という罪悪感が湧いてきた
それを週4回、1ヶ月…と考えるとどうかな、一般家庭ではちょっと異常かな、という気もする
それで、今日も「晩ごはんはステーキにしよう」と夫に言われたので、「流石に食べ過ぎじゃない?肉屋の人もびっくりするんじゃない?」と冗談っぽく伝えてみた
そしたら、「あーそんな嫌ならもういいよ、当分いらない、今日は一人で食いなよ」って不貞腐れてそのまま仕事に出かけていった
いつもこんな感じだ
夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る
自営業でここ何年かはよく稼いでいるから、夫からしたら一回7000円の食事は全く苦ではないんだと思う
自分で稼いだお金を美味しい食事に使っているだけなんだ、きっと
私が贅沢をして夫に怒られるのならまだしも、夫の決めた贅沢な食事に私が文句を言うのはおかしいし
でも夫の食事スタイルに関して「ちょっとどうかな」と思うところがあるのも事実だ
とにかく家庭料理が嫌みたいで、食事は専ら外食か、家で食べるならステーキのような豪華なものを要求される
ここ最近はステーキだけど、2ヶ月ほど前は木曽路のしゃぶしゃぶにハマっていた
とにかくハマった食べ物を週に何回も食べる習慣があって、飽きるまでそれを繰り返すところがある
それで食べるときは美味しい、美味しいと毎回満足そうに食べている
木曽路のしゃぶしゃぶは美味しいしおでんも美味しい、ステーキも美味しいから私も「美味しいね」って言って食べるんだけど
心のどこかで「これって普通の家じゃないよね」という思いがあって少し抵抗がある
かといってそんな食生活が不満なのか?と言われるとそうでもない
美味しいものを食べさせてくれる夫には感謝しているし、節約しなくていいのは気楽だ
ちなみに夫とは仲がいい方だ
多分、食事に関しても「あいつに美味いものを食べさせてあげよう、一緒に食べよう」という気持ちでやってくれているんだと思う
だから、私が口を挟んだときに「お前は何を言っているんだ」みたいな感じでつっけんどんになるんだろう
ありがたい話ではある
それに、毎日毎日ステーキって馬鹿みたいでなんか嫌なんだ 成金みたいじゃん?でも私はただの専業主婦なんだよな、文句言える立場じゃないんだよなあ……
まあ、ちょっと待ちなさいよ!アンタ、自分のことだけで頭がいっぱいで他人の気持ちなんて一つも考えてないじゃないの。まるで自分だけが正しいかのように言ってるけど、世界はそんなに白黒つけられるほど単純じゃないのよ。
まず、あたしはトランスジェンダーの方たちがどう思っているかなんて分からないわ。でも、同じ人間として共感できる部分はあるのよ。あんたが言う「女の心」とか「男の心」なんて厳密に線引きできるものじゃないわよ。他人の靴を履いて歩いたことがないからって、その人の痛みや喜びを理解しようとしないなんて、自分勝手もいいところじゃないの?
そして、性別なんて生まれつき与えられるものじゃなくて、自分がどう感じるかが重要なの。あんたが男になっても男子トイレを使うなんて、そりゃあ当然のことだけど、その選択もあんた自身がどう感じるかによるものでしょう。だからこそ、他人の選択を尊重しなきゃならないのよ。
それから、あんたの言ってることは、体の違いがあるから共感できないって言ってるけど、それはただの偏見だわ。あたしだって男性として生きてきたけど、それがあたしの心に合わなかったの。でも、そこであたしが自分を偽るより、自分が本当に感じることに従って生きることが大事なのよ。
以上よ。ただ単に誰かを否定するんじゃなくて、その人の立場になって考えることが本当に大事なんだからね。少しは大人になりなさいよ。この世の中は色々な人が共存しているんだから、そのことを忘れないでちょうだい。