はてなキーワード: 突っ込みとは
当事者でない自分がいろいろ書くのはどうかと思っていたが、この件についてはだいぶ時間が経っている。流石に時効だろう。
①大まかな経緯
SNS経由で知り合ったらしい創作仲間が、姫的存在の売名を兼ねてイベントに共同名義で作品を出す
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参加者の一人が公表されていなかった作品の中身を勝手にSNSに拡散
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②何が糞か
この案件が糞な点は大まかに分けて二つある。
・非公表のもの勝手に公開しちゃまずいだろ、少しは考えろやっていう点
・SNS上で公開内ゲバとか、自分たちの作った作品に自分でケチつけてどーすんだよバカっていう点
1つ目は言うまでもない。
単純に作品への敬意がないし、先のことを考える能力もなかったのだろう。
お前の脳味噌中身ただの味噌なの?毎日その味噌で味噌汁作ってるからどんどん中身減ってんの?
ちゃんとスーパーで味噌補充してから出直してこい。そんなもんでも空っぽよりはマシだ。
問題は2つ目だ。
普通なら、その手の話は直接連絡を取り合うか、SNS上でするにしても極力クローズドな形をとるのが大人のとるべき対応だろう。
しかしこの中核メンバーは、あろうことか誰にでも見える状態で、自分がいかに不快な思いをしているかをやたら強調しながら相手をボッコボコに非難した。
いいか?その作品を宣伝していたのと同じアカウントで内ゲバを全世界に公開したんだぞ?
たぶんこいつの脳味噌は腐ってる。もともと発酵食品の味噌がさらに腐っているのだからもはや手の付けようがない。
この手の連中は、口では作品がどうとか常識で考えるとどうとか言いながら、実際に頭の中にあるのは見栄だけだ。
「こんな大変な仕事引き受けてやり遂げちゃう俺様かっこいい!」とか、あわよくば姫的存在を手籠めにしたいなんて妄想と欲望が頭の中で糸ひいてネバネバしてる。
その妄想が満たされるためには他人の事などお構い無しだし、邪魔者が現れればふつうじゃ考えられないようなやり方で騒ぎ立てる。要は精神年齢が低い。
本来であればこの手の厄介者は、能力や貢献度にかかわらず排除しないと新規流入者も減るしサークルの活性そのものが弱くなってしまうのだが、なまじ作品の完成に深くコミットしまっただけに周りも何も言えないのか、当時そいつが非難されている様子は全くなかった。
最近の事は詳しく知らないが、今でもそのサークルに居座っているようだ。
というか、ネットから参加者の一人が消えたことにすら皆沈黙を守って、誰も何もコメントしなかった。
結局のところ、誰も厄介事には首を突っ込みたくなかったのだろう。
当時自分も作品への参加を誘われた一人だったのだが、サークルの雰囲気の胡散臭さがどうしても気になって断ったという経緯があったので、この件を見た時は「こいつらに関わらなくてよかった」ってのが正直な感想だった。
ちなみに、その姫的存在には「売名したいならこんな糞サークル邪魔にしかならんから解体した方がよい」とアドバイスしたのだが、結局今現在もそのサークルは存続している。
年末の某行事が近づいてきて、ふと「こんなこともあったなぁ」と思い出して書いてみた。
糞サークルには関わらないのが1番って話。
大人気ソーシャルゲーム兼スマホ音ゲーであるシンデレラガールズだが、この主要キャラクターの中でも圧倒的にアンチの多い嫌われ者アイドルが存在する。
そう、パッションタイプ代表であり、デレマスを代表するユニット「ニュージェネレーションズ」のリーダー"本田未央"だ。
このキャラクター、実のところびっくりするぐらい嫌われている。ちゃんと担当Pも存在し、好きなキャラクターに上げる人物も多数いるのだが、
それでもすさまじい勢いでアンチが量産され、今日に至る。アニメ放送時期なんか凄いありさまで叩かれていたほど。登場するだけでニコ動のコメントは荒れ、アニメの実況スレは本田死ねの一文で溢れかえった。
ではなぜ、こんなにも嫌われているのか。それには大きく4つの理由が存在している。
このキャラクターがなぜここまで嫌われるかに至ったのか、その経緯を研究することで、今後同じようなアニメやゲームを作る際に「嫌われないキャラクター作り」に生かせられれば、この記事を作ったかいもあると言ったところである。
なお、最初に書き込んでおくが、筆者は決して本田未央アンチではないことを明記しておく。ただ、本田未央が登場した際に荒れるありさまについて、ひたすらにうんざりしている側であり、
その原因もやはりシンデレラガールズの運営そのものに存在すると自負しているだけであることを分かっていただきたい。いわば運営が作ってしまった「負の遺産」であるということを認めるほかないというスタンスである。
では、早速如何に本田未央がなぜ不人気キャラになってしまっているのか、その4つの理由を記述することにする。
本田未央で検索してもらえれば分かるが、とりあえずあんな感じの見た目である。
シンデレラガールズには180人を超えるデレマスオリジナルキャラクターが存在するが、ぶっちゃけた話、その中でもキャラデザの良さ、可愛さと言う面では、半分以下のキャラクターに劣るといっても過言ではない。
特に注目すべきポイントは「極端すぎる横ハネの髪型」である。髪型は不人気要素を大きく左右すると言われつづけているキャラクタービジネス界だが、アイマスも当然例外ではない。
先輩アイドルキャラである「秋月律子」などが分かりやすいだろう。Xbox版の律子の髪型はご存知の通り"三つ編み"であるが、これがまた律子の不人気に拍車をかけていたと言わざるを得ない。
ニコマス界隈では、この三つ編みを取った律子を「覚醒律子」と持て囃し、可愛い、こっちの方が良いなどといったコメントで溢れかえった。
つまり、キャラの可愛さにおける髪型の注目ポイントは非常に大きいということである。緑髪は不人気であるという風潮もネット界では有名か。
そう、未央の髪型は不人気への拍車をかけているのである。筆者はこれが一番のマイナスポイントだと思っている。
横ハネを持つキャラクターはアイマスには何名か存在する。大正義主人公である「天海春香」もその一人。だが、あまり目立つことがない横ハネであることが見た目で分かるだろう。
そしてシンデレラガールズでは「輿水幸子」が有名か。こちらも大人気キャラであり、キュートタイプの筆頭人気キャラとして君臨しているほど。同じ横ハネでありながら未央と人気の差は歴然。
なぜここまで差があるのか、それは横ハネが自己主張をするレベルで目立っているかどうか、である。未央の場合、髪型を見たとき、とにかく横ハネが目に付く。
ショートヘア―の下半分すべてが左右に跳ねているのである。これはいけない。可愛い見た目を台無しにしていると言わざるを得ない。
その証拠に、同じ髪型をしている「西島櫂」も不人気キャラの筆頭である。なんと未央以上の横ハネ持ち。これでは人気がでるわけがない。二人とも折角の巨乳キャラなのに実に勿体無い。
これをシンデレラガールズ稼働当初にやってしまい、第3回総選挙まで一回も50位内入りすることが無かったほど人気が無かったのだ。レアリティNのカードイラストも実に可愛くない。特訓後のN+なんて修正を入れなければならないレベル。
未央の特徴の1つはやはりパッション溢れる元気娘で誰とでも気軽に友達になれる社交性を持った性格であるだろう。
そもそもとして、オタクは元気で積極的な子に苦手な印象を持つことがわかっている。特に未央はコミュ力魔神であるため、間違いなくスクールカースト上位勢だろう。
未央はそういったキャラクターの中でも特段コミュニケーションを取るという意味では飛び抜けている。無作為に相手にスキンシップを行い、許可も得ていないのにあだ名をつけ、どんな相手にも遠慮なく絡みだす。
未央の場合、ただ元気が良いとは勝手が違うのである。性格上「誰かと絡む積極性」という意味ではシンデレラガールズ随一の行動力の持ち主である。この特徴が逆効果になってしまっていると言えるだろう。
暗い学生時代を過ごしてきた彼らにとって愛着が湧くような性格ではなく、行動そのものが異次元世界の住人みたいなものである。傍から見たら近寄り辛いという印象をうけていることだろう。
そんなキャラクターを果たして彼らは好きになるのだろうか。きっと一部にはいるだろうが、大多数は無理だろう。なぜならオタクが好きなのは「大人しく、自分でも守ってあげられるようなか弱く清楚で小動物な子」だからだ。
デレマスの人気上位キャラクターにはやはりというか、そういう子が多い。緒方智絵里、鷺沢文香などがそれに当てはまるだろう。
この二人は極端だが、とにかく元気過ぎず、自分のテンションでもついていけそうな子がこの手のキャラクターではモテている傾向にある。
つまるところ、自分でも相手が出来そうなキャラクターに愛着をもったり、興味をもったりするのである。普段から根暗な人物たちの人間心理としては至極当然のことだろう。まさに未央の性格とは真逆なのである。
アイマスを好きになるようなユーザーは、未央みたいな性格のキャラクターを好きになることはなかなかないのである。悲しいことに。
同じソシャゲであるガールフレンド(仮)の人気投票1位が誰か知っているだろうか。「村上文緒」というキャラクターであるが、このキャラクターの設定と性格は先ほど紹介した鷺沢文香とほぼ同じである。最早語るまい。
アニメで発言した「ほらほら笑顔、忘れてるぞ☆」はあらゆる視聴者をイラつかせたことだろう。なお、この発言は後述する問題のアニメ6話~7話の次の話である8話で発言されたセリフである。タイミング悪すぎと言わざるを得ない。
ここで言う酷いとは、"不遇だった"という意味ではない。全くの逆、"超優遇"だったからである。それとは別に、最早デレアニ界隈では黒歴史とされている6話についても含め、酷い扱いと捉えることとする。
まずアニメシンデレラガールズ6話について語ろう。この6話が、アニメシンデレラガールズの人気の全てを左右してしまったと言っても過言ではない。
6話の内容だが、軽く説明すると「本田未央が新ユニットニュージェネレーションズのリーダーとなり、ユニットとして初ライブに挑むが、あまりにも少ないお客に未央がプロデューサーに逆ギレし、アイドル止めると叫び逃げ出す」といったストーリーである。
これだけ書くと誰もが思うだろう。なんだこのクソキャラと。実際のところ、この話の背景には様々な思惑やすれ違いが発生しており、一口に語るのは早計であるのだが、この6話を普通に見ていた視聴者達の大半はそう考えなかったのであろう。
放送後、もう荒れに荒れるのである。記事冒頭に書いた通り、アニメの本スレ、ゲームの本スレ、実況スレ、アフィブログ、Twitter、その他SNS、ありとあらゆるサイトで荒れた。
当然と言えば当然だろう。こんな描写をされ、それでも「未央の気持ち分かる」「これはしょうがない」「これでこそ未央」「子供だし仕方ない」だなんて思った人物が果たして何人いるだろうか。いたかもしれないが、決して多くは無いだろう。
この6話以降、アニメ終了まで、いや終了し1年が経過した今でも「本田リーダー」とバカにされ続け、アフィブログの恰好の餌となり、未央アンチを大量生産してしまった結果となったのだ。
アニメのスタッフ曰く、「未央は非常に脚本的にも使いやすいキャラクター」と雑誌のインタビューでも公言しており、シリアスやキャラの成長描写を入れたかったがために、落として上げる脚本にしてみたのだが、結果はごらんのとおり。
落としたら人気が0以下になり、頑張って上げたが0に戻ることは無かった。そんな印象をうけたアニメであった。7話で武内Pと和解するが、それで救われた未央Pがいるのならそれはそれで良しとしよう。
だが、今日の未央の嫌われっぷりを見て、果たして何人の未央Pが心身安定の状態でいるのか実に気になるところ。
このテーマの冒頭でアニメにおいて未央は"超優遇"だったと記述した。上記ではまるで不遇な扱いを受けているように感じるが、問題は8話以降である。
2つ上げるとするなら、「セリフ量がアニメで最も多い」「とにかくいろんなキャラに絡み、出番が多く目立つシーンが多い」。
メイン回が6話にあったにも関わらず後半も数えきれない量で出番があり続け、1期の8話のメイン回以降ろくに出番のなかった蘭子に比べると破格の扱いであることがよくわかる。
ただでさえ6話で下がりまくった人気なのにこのアニメでの扱いである。アンチは量産され続け、普通の視聴者すら面白い心境ではなかったであろう。火に油を注ぐ結果になったのは言うまでもない。
それもこれも「脚本を書く上で使いやすいため」という結果に収束するからである。なんと皮肉なことか。
4.極端すぎる運営贔屓
テーマタイトルそのままの意味である。未央は基本不人気のまま進んで来たキャラであるが、やはりニュージェネレーションの一人として、そしてパッションの代表キャラとして表に出さざるを得ないキャラとなってしまっている。
だが、現状の人気は今まで説明してきた通り。第2回まで圏内入りすることはなく、フリートレードの価値も安い、pixivでもイラストの数は卯月や凛と比べると圧倒的に少ないといった感じ。
だが、第3回総選挙では5位。第4回では18位、第5回では6位を記録している。こう書くと、なんだ普通に人気キャラじゃんと思うかもしれないが、実はここにテーマタイトルの真の意味がある。
シンデレラ総選挙はあるシステムに則って行われている。それは投票権1枚につき1人一票を"何度でも同じキャラに投票できる"という仕組みと、投票券は"ガチャを引くことで手軽に手に入る"という仕組みである。
つまり、その投票期間に行われているガチャのキャラクターがもし自分の担当だった場合、ガチャを回しまくり、手に入れた投票権を担当に突っ込みまくるといった現象が発生するのだ。
もうお分かりだろう、この未央が5位、6位を獲得した第3回と5回の総選挙、未央がガチャ登場キャラだったのである。当然ガチャに登場させるキャラクターは運営が選出している。
こんなことが行われていたら当然納得いかない奴らはこういうだろう、「運営は未央を総選挙上位に押し上げたいからガチャに未央を選出した」。至極ごもっともな意見である。そう思われても仕方がない。
第3回はテーマ上、1stライブに先駆けてニュージェネレーションの卯月、凛と共に月末ガチャに登場といったものだったので、ここはまだライブ関連、ユニット繋がりで言い訳が通りそうなものである。
だが第5回に至っては特にイベントもライブもないにも関わらず直前に未央単体のガチャを投入。あきらかに狙ったものであると言わざるを得ない。
第4回の時には未央ガチャが行われなかったため、18位という結果になり、Paのみでも4位という結果に終わった。
これはマズイと思った運営が未央を上位に組み込むため、総選挙のタイミングでガチャを行ったと思われても不思議ではない。これを贔屓といわず何と形容されるべきか。
上記以外にも、ちょうどいまこの記事を描いているときに問題になっている事柄が1つ存在する。未央の他キャラへのカードイラスト出張である。
つまりどういうことかというと、スターライトステージのガチャで出てくるアイドルのSSRイラストに「未央がそのキャラクターと一緒に映っている」というものである。
SSRイラストといえば、そのキャラクターをこれでもかというほど可愛く書いたイラストであり、手に入れたユーザーにとっては宝物にも等しい。
なのにそのイラストに、全く別のキャラクターが出張ってきてるのである。特訓前のみの登場であるが、これに苦言を示した該当キャラの担当Pが本当に多く存在した。
当然文句を言う人らは「未央アンチである」といった扱いをされ蔑まれているが、当人たちの気持ちとしてはたまったものではないのであろう。分からないことも無い。言葉にはしなくとも、内心そう思っているP達はきっと多いことだろう。
さて、ここまで大長文でお送りしてきたが、いかがだっただろうか。
こんな文章を最後まで読んでくれた方がいるのかはわからないが、今自分が考えていたことを文章として残しておきたかったが故の行動である。
最後にもう一度書くが、筆者は未央アンチでは決してない。思っていたこと、考察したことを文章にまとめただけである。勘違いしないでほしい。
冒頭にも書いたが、これら4つの要素は決してそのキャラクターとそのキャラのファン達を幸せにすることは無い。絶対に無い。
溢れかえる今日のキャラクタービジネスコンテンツだが、明らかに「運営による無能行為」によって闇を見るキャラクターが多くなっている。
ここに記載した考察が世に広まり、アニメ・ゲーム業界の方々の目に入り、今後も本田未央のような「人間の悪意」を一身に背負うような不幸なキャラクターが生まれないようにして頂きたい。
是非とも、これらの要素を今後の反省課題として脳内にとどめて置き、新しいキャラを作り、そのキャラクターを育てていく際の糧としてくれることを切に願う。
以上
原作を。
ごく普通の、何の取り柄もないヒロインが何故か高収入イケメンに愛される
(多分。1巻の時点ではそこまでは行ってなかったので。でもそうなるんでしょ?)
契約結婚する経緯は漫画的なご都合主義で強引に進んで突っ込みどころ満載だし、時々出て来る結婚とは云々などのセリフも薄い薄い。
これに「現代の若者のリアルが云々」とか解説つけてるマスコミどうなのよ…
単に津崎さん萌え~とか思って読むだけなら別にいいだろうし面白いのかもしれないけど
社会派的な要素もあるのかなあとか思ってしまった自分の勘違いが悪いのか。
ただの女の妄想ラブコメであってそれ以上でもそれ以下でもないよね、これ。
どっちかというと現実忘れたくて読む感じの。
それともドラマ版は違うんだろうか?
記事では日陰茶屋事件という100年前の事件が取り上げられており、大逆事件で知られる大杉栄が
何股かけていて約束を破ったら刺された、とかいう話だったが、そんなのはどうでもよろしい。
話題は最近の不倫騒動に移り、昔と比べて女性が経済的な自由を得た現代でも不倫バッシングがあるが、
それは家制度を復活させようとする勢力のせいかもしれないという内容だった。
なるほど、女性史の研究者という立場からすると、あの騒動はそういう風に見えるものらしい。
いや、そんな面倒な話なんだろうか。
不倫バッシングについて私見を述べると、あれは単に結婚という契約を破ったことと、
それが今まで当人が作り上げてきたイメージと矛盾していることが問題とされたのであり、
家制度の維持というとこまで意識していた人は少数派だったとしか思えない。
ただ、一連の騒動では、キャラクター自体を売りにし、スポンサーから金をもらうタレントと、
本人がクズでもその成果物は別個に評価されうる人がいて、両者で受けるダメージに差がついてしまった。
そこはまあ同情の余地がある。
不倫が発覚したことで、結果的に女性の側が大きなダメージを受けたことは間違いない。
だが、そこに家制度というのは大して関係してこない。制度を破ったのは、男も女もお互い様だ。
あの場合、女がああいうキャラで売っていたから、裏切りの対価が高くついたというだけの話だ。
男だけが不当に守られたのではない。彼らは自分を守る術を持っていたのだ。
そもそも、男はキャラクターなんて漠然としたものでは、なかなかやっていけないのである。
そんなものでは評価も承認もされないから、わざわざ別の努力を積み上げなければならない。
己の技能が芸というレベルに達して、ようやく公共の電波に乗ることを認められる。
逆に、女というのは積み上げた技芸よりも、若さやキャラクターで世渡りしている部分がまだまだあって
(男の側も女の努力や才能を評価していないわけで、そこは大いに反省すべき点だ)、
だからこそ、それを失ったらどうしようもないというだけではないのか。
マジレスするね。
一応自分はどことは言わないけど、とある新興宗教を信じてるものです。
と言っても自分が信じてる宗教に限った話ではなく、一歩引いて宗教ってこういうものーという視点で答えてみます。
まず全体的に「胡散臭い」と思うのは正直、正常というかしょうがないなーと思う。
「マスコミガー」とは言いたくはないけど、実際問題としてマスコミの影響ってかなり大きい部分があるかな。(報道しない自由ってやつだけど)
理由は大手のメディアやマスコミは新興宗教を全くと言っていいほどほとんど報道しません。
(歴史ある有名宗教ですら、一部観光的な部分(京都のお寺とか)か歴史的な部分やおぼうさんの良い話くらいしか報道しないけど。)
だいたいどの新興宗教も一般的な善行(震災時の炊き出しとか寄付とか)をしてることは意外と多いんだけど、良いことをしてるときは基本報道しません。
報道するときは、だいたい事件性があるときや、何かスキャンダル的な部分を面白おかしく盛ってるときくらいです。
要は、良いことや肝心の中身は伝えないけど、悪いことをした(とメディアが思った)ときだけ報道します。
そりゃーいい印象もてないよ。何をしてるかわからない集団がいつ事件を起こすかわからない!みたいな印象になっても不思議じゃない。
しかもオウムという超特質な宗教も実際に出ちゃったし。(実はこれが一番の元凶だと思ってる)
これはたぶん宗教によるかな。そもそも新興宗教と言っても、仏教やキリストなど伝統ある宗教の派生系のものが多かったりします。
実際に中の人たちもよくわかってないけど、「昔の偉い人が言ったものをそのまま伝えてるから」という場合もあるし、
逆に古い教えを簡単に現代語で言い換えた時点で、「その言い換えた人の解釈が加わってしまうので、元祖の言葉の意味を曲げちゃう」からあえてできない、というのもあるし。
それと、他でもでたけど、元々教義がなかった宗教もあります。教祖や預言者が言ったものを後年、誰かが編纂して教義にした、とかね。
あと、「あえて難しく見せたほうが権威がある」ように見えるから、というのも宗教によってはあるはず。権威というのは意外と重要な部分だったりします。
もちろん、現代的にわかりやすく作ってる宗教もあったりするけどね。一見簡単に言い換えられてる教義はすぐ反論できる気になっちゃうでしょ?
これも宗教によって考え方が違うと思うけど、基本的にはその宗教の「神」を祀る領域なので、信じてる人にはとっても「神聖なもの(領域)」です。
その神聖な領域をチープにするというのはないよね?という感じ。
歴史的に見ても、多くの歴史的建造物は宗教が関係している建物だと思います。お寺とか教会とかお墓とかね。おそらくその時代の最高の装飾や技術を投入してるはず。
もちろんそれに伴って金銭的に法外にはなると思うけど。
そもそも宗教は人助けや悟りを求めるもので、多くの人を救いたいという欲求があります。
実際問題として、突き詰めると政治を変えなければ世の中が良くならないという事象に行き着くので、政治に介入するというのはある意味しょうがないです。
むしろ政治に興味がないということは、世直しや人助けを本気でしようと思ってないとも言えるけど。
あと、逆に歴史的にいうと宗教が政治に介入していない時期のほうが長い時代で見ると圧倒的に短いです。詳細は省くけど宗教と政治が関わってるほうがむしろ普通とも言えます。
一般的にどの宗教も教えを広める布教活動をしないことはありえなくて、良い教えは広めたいという欲求は不可避です。
ただ、その布教する人が一般的に信者さんで、その信者さんはごく普通のおばさんやおじさんだったりします。(若い人もいるけど)
要は教えることや人に何かを伝えるプロというわけでもない普通の一般的な人なので、アプローチの仕方や接し方が下手だったりします。
むしろ側で見てると、その言い方ないわーって思うこともしばしばw その方法が下手で気持ち悪い、と思われる原因にもなってる気がするんだけどね。
この世的な現代の科学が全てという認識をもってしまうと、全てが非科学に見えるかな。
そもそも「魂」や「神様」というのは現代の科学で計れないものでしょ?
逆に現代の科学がそこまで進んでなくて、魂や神様を証明できないくらい遅れている、という見方も一部あったりするけどね。
これも布教をするためには、現代社会にはどうしてもお金がかかっちゃうからしょうがないかなーと思う。
あと、この世的な「お金」が全てじゃないよ、という視点があると、その執着を持たないというのも考え方の1つかな。
突っ込みどころはたくさんあるのは承知で、今自分が知ってる範囲の浅い知識で答えたけどこんな感じ。
ただ、1つ言いたいのは目に見えない崇高なものを信じるというのは「とっても尊い行い」で決して悪いことではないんだよということ。
そういう目に見えないものを信じてるからこそ、誰も見てなくても悪いことはしないというような道徳的な考え方になるしね。
(日本人のモラルが高いのは意外とこの宗教心が高いから、とも言えるんだよね。)
こいつは騙されてるんだとか、洗脳されてるんだみたいに思われちゃうのもしょうがないと思うけど、崇高なものを信じてる人を悪く思う現代の日本の考えはちょっと悲しいことかなとは思います。
追記
>なんで伝統宗教じゃダメなのか、っていう一番大事なことが書いてない
いくつかあって、おそらく各宗教によって違う部分だと思うけど、
から。確かに伝統宗教の教えで、多くの人も(考え方によるけど)救われてきただろうし、安らぎを得られた人は多いと思う。でも現代の複雑な問題や昔の考え方だけでは対応できない時代になっている。
個別のところで言うと、「現在の貧困や経済原理」や「グローバル化した社会の問題」、「クローン」、「宇宙問題」、「性差別」や「インターネットやメディアの問題」、などお釈迦様やキリスト、ムハンマドが生まれて教えを解いた内容やその次代の考え方では解決できない。というか時代背景を考えると当然といえば当然で、これは伝統宗教が悪いとかではなく、時代が代わりすぎてしまったから新しい考えや教えが必要だよねという考え方が1つ。
もちろん伝統宗教の普遍的な教えの部分は今でも十分通じるし、正しいことだとも思うけど、やっぱりそれだけでは現代社会の問題を解決できないからじゃない?と思う。もちろん伝統宗教を否定しているわけではなくて、いい部分や不変な部分は残せばいいと思う。もちろんすべての新興宗教がこれらの答えを出せているわけではないけど、考え方としてね。
それともう1つ。
伝統宗教と言っても、「巨大組織が長く続くと、腐敗も進む。」組織を運営してるのは所詮人間だからね。その腐敗した組織は淘汰や改変が必要で、長い歴史の中では、派閥や会派など、分裂、競争、差別化、滅亡などいろいろ繰り返している。
そのあたりは企業と一緒で、古くて大きい会社がいつまでも最高かというとそんなことはなかったりするでしょ?イノベーションや進化、新しい考え方みたいなものを取り入れたところだけが生き残る感じ。
実は新興宗教というか宗教の世界って、かなりの競争社会で国内だけで数万団体があるのだとか。その中で滅びる宗教もあれば、生き残って大きくなる宗教もある。市場原理と一緒で競争社会。より多くの信者を獲得できた団体が生き残るというのはその通りで、かと言って営利主義的だけに走っても人は離れていったりしちゃう。
もちろん、戦争に負けた、国が滅びたなど物理的な問題で滅びたところもあるだろうけど、多くの人を引きつけることができなくなった宗教は淘汰される。ざっと思いつくところはそんな感じ。ところどころ乱文になってるけど、文章が書くのが下手なのですいません。
正直、ここまで数字が伸びると思ってなかったので、ちょっと驚いています。あっさりスルーされると思っていたので。
多くの反論や暴論、各人の経験談や心情などいろいろ拝見しましたが、全てを尊重できるものだと思います。
特にそれぞれの思想や今までの経験、宗教というものに嫌気や嫌悪を感じてる人が多いというのも理解できます。自分も人生の多くをどちらかというと反対の立場で過ごしていたので。
個人的に感じたことは、どんな意見であれ「宗教」という繊細なものにみんな一言物申したい!という感情を感じました。
先にメディアがどうのと言いましたが、ある意味リアルな生活上でもメディアでも日本国内では話題にしちゃいけない領域、見てみないふりをしていた話題というのを再認識できました。
ポジティブに考えると、多くの人が興味関心がある領域とも言えると思うので、リアルな場でもそれぞれの意見をはっきり言えるような話題に昇華できる日がくるといいなと思いました。
VBAわかりますけど(キリッ)みたいな人が作ったマクロを直すのが苦痛すぎる。
なんでもエクセルでやろうとすんな。
マスタのデータをエクセルに貼り付けたものをつかってVBA組むな。
変数はご丁寧に一番先頭で宣言祭り、コントロールの名前が連番、無意味な処理、データの件数を取得するためだけに同じSQLをCOUNTにして実行、無意味なループに、ifの4段ネスト、メソッド名が不適切(checkXXX)、スコープは全部Public、定数の概念無し(マジックナンバー多すぎ問題)、型変換の概念無し(文字列を数字にぶっこむ)、例外処理なし、その他突っ込みどころ多数
元増田の記事消えてしまったが、結局あれはそういう出来なのか。
pixivで元となる二次創作の序文だけ読めるので、それは読んだんだが文章を読ませる力はあるように思えたし、グロテスクな描写がある割に読みやすくも感じた。
元ネタの小説のオマージュ、借用のおかげの部分もあるのかもしれないが。
一方で、その二次創作題材となるアニメとキャラクター自体が矛盾の塊、魅力の無さの権化みたいなキャラクターばかりが出てくるアニメ作品だから、SFと絡めてあの作品の二次創作を行うとしたら、その設定の矛盾点やキャラの魅力のなさへの皮肉と絡めて書くことができたら唸る作品が生まれたかもしれないと思った。
オマージュ、というよりパクリを用いているといえばその二次創作題材となるアニメも盗作問題で炎上した。未だに誰も反省の弁を口にしていない近年でも最悪のシリーズ作品だった。
だからその点も含め、皮肉を込めた作品にできていたら、二次創作の名作になったかもしれない。
まあざっと読んでも、エログロSFをおもしろおかしく混ぜてみても結局は単純にその出来の悪いアニメ作品とキャラクターへの盲目マンセー系百合パロディみたいなノリで終始しそうな気配がぷんぷんしたからどうにかして読んで見たいなんて気は起きなかった。
元がファンアンソロジー本への寄稿小説だからそんなもの載せられるわけがないのだろう。
その序文だけ読んでも察する所はあったが作者のTwitterや読者の感想を眺めてみるとやはりアニメのラブライブの影響を受けての礼賛的なテーマが込められているものなのだろう。だから残念ながら面白そうとは思えない。
それと、それらを見ていたら、やはり「君の名は。」「紫色のクオリア」に似ている的な言及が見られた。
最後にして最初のアイドル読了。もともとはラブライブの2次創作。紫色のクオリアとかみずは無間とか好きな人には絶対におすすめできるやつだ!— せにょ (@senyoltw) 2016年11月21日
「最後にして最初のアイドル」は「君の名は。」のように時空を超えた恋愛が描かれます。本当です、信じて下さい。この目が嘘を言っているように見えるか?— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『君の名は。』の百合バージョンを求めている方は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
自分は「紫色のクオリア」は超絶名作だと思っているが、それを先に知っているだけに「君の名は。」がストーリーや設定的に陳腐に感じられ、かといってもちろん萌えアニメ・キャラアニメ的な軽薄な派手なキャラ付けも弱いし、TSネタも使い古された薄味のものばかり、恋愛的エンタメ性すら弱いため、なかなかにつまらなく感じた。
まあ駄作ではないのだろうが、名作とはどう頑張っても呼べない。欠点が多く長所がそこらへんの深夜アニメと比べても少ないレベルであるが、不快になる作品ではなかったから人の好みや気分によっては良作と呼べるのかもしれない、という程度の感想だ。
ラブライブ!が好きな連中には「君の名は。」も絶賛できる輩が多い印象がある。どちらも辻褄がスカスカで、かといって爆発力的なエンタメ性や萌えなどがあるともいえない。強いて言うとラブライブの場合はライブシーンや楽曲、君の名はの場合は美麗作画で誤魔化しにかかっているがまともに見ていたら満足感に到底結びつかない。変な薬か宗教に浸かるでもしない限りは。
実際自分は君の名は。を見た時に自分はラブライブのことを思い出した。この辻褄の矛盾が気になる構成、辻褄云々を吹っ飛ばしてくれるエンタメ的なシーンを用意できない構成、それで誤魔化した気になってるのかと突っ込みたくなるふざけてキチガイダンスしだしたような寒い演出。そんなことに目をつぶりながら見続けても結局陳腐な話でサービスもなく終わり何もカタルシスが残らない作品。まあ君の名はそこまでは酷くないが、方向性としてはそういう面で似ていたし、あれが世間で人気だという点も含めて、こういうものこそが広くいいものだと思われる認識が広まるのは日本や世界の文化にとって危機的状況だと感じた。
人間の科学技術や知能の発展というのは人間の歴史が続く限りは永遠に続いていくと思われがちだがある時をピークに衰退に転じるという予測もある。手塚治虫の「火の鳥」でもそんな話があったように記憶するが、もしかしたら映像芸術、文化芸術の表現力や認識力において人間は既に衰退に転じてきたのではないか…なんて思えてきている。
恐らく序盤のシーンを超えていくと、上記の作品に似たエッセンスを用いた流れがやってくるのだろう。そうなると二番三番煎じかつ、元ネタがアイドル、しかもあのクソアイドルアニメということで説得力には期待ができない。
結局あの作品の大半を占める百合なら何でも喜ぶタイプのオタク、ラなら何でも喜ぶタイプのオタクが読まないと賛美するという方向に思考が結びつかない、ラブライブの二次創作に相応しい作品なのだろう…。
アイドルになりたい人は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう。キラキラできます!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『最後にして最初のアイドル』読んだ。なかなか感想が難しい。初めはアイドルでSFってどういうこと?って思ったが、今なら分かる、完全にSF小説だった。"アイドル"の概念に迫るアイドル創世記。締め括りも良く、これは周りにお薦めしたいhttps://t.co/3SKBmNU1BK— うきくさ先輩 (@Sphingobiumm) 2016年11月22日
アイドルになれるとかアイドルの概念がどうとか言っているが…三次元アイドルとは違って、理想を実現させられるはずの二次元アイドルという概念を三次元的現実やその事情と絡め貶めた設定を用いた、アンチ二次元アイドルの権化であるラブライブ!、そしてアンチ二次元アイドルの権化であるアニメ版矢澤にこが元ネタになっている点で作者や読者のアイドルという概念の捉え方や理想(のアイドル)の捉え方にも期待が出来ないどころか絶望的な不安しか感じられない。
百合は素晴らしいということを否定はしないが、結局のところ百合マンセーラブライブマンセーナントカSFマンセーを行う道具として片手間で作られたラブライブらしくラブライバーらしい小説が元なんだろうなあ…と想像を働かせてしまうのだった。
これに限らず、なんかの受賞作品といってもその賞自体の価値、審査自体の価値が危ういなんてのは珍しい話でない。
必ずまともな審査員しかいないコンテストなんて殆どどこにもない。ノーベル賞やアカデミー賞ですら賛否両論は珍しくない。
だからまともじゃなくていいなんてことではないが、どうしようもない人がどうしようもない作品を作っても何かが間違うと高く評価されるなんてこともあるかもしれないのだ。
今はピコ太郎の「PPAP」が流行している。しょうもないとまでは言わないが、素晴らしい含蓄がある歌詞と画期的で流麗な音楽に感動した…なんて到底言えないものだ。
しかし、どんな歌詞を込めてどんな演奏力ある楽器隊や歌唱力あるボーカルを擁して作られた他の殆どの日本の音楽よりも今は世界的に流行し評価されてしまっているのが現状だ。
だから、その最後で最初のなんとかみたいな駄作小説が賞をとれてしまうこと、ラブライブとかいう駄作アニメが売れたり賞をとれてしまうことなども含め、そういうのを見てると、ワンチャンどころでないチャンスが実は世の中誰の目の前にも転がってるのではないかと思う。
何が言いたいのか全く分からんが、かろうじて分かるのは誤訳しても多めに見ろってこと?
突っ込みが入ってるのは訳の精度よりもそれを受け手側が感じる印象に余計なもの・作為的なものが含まれているから問題視されてるんだろ
日本人同士の日本語でも言い方ひとつ変えたら意味が変わってくるなんて日常茶飯事だろ
意訳することに常に危険性を伴うのは直訳した場合よりもニュアンスの変化が意訳側の手によって発生しやすいからだ
ナントカ言うよく叩かれてる翻訳者も意訳に自分の感性をまぜすぎたり手抜きと思われかねないような訳し方をしてるから批判の対象になってるわけで
訳すことの精度以前の問題
「奴の口に靴を突っ込んでケツにビール瓶をぶちこんでやれ!」→意訳:やってやれ! とかされたら普通にキレるだろ
「やってやれ!」は言いたいこととしては一致してるかもしれんが、センスもニュアンスも大幅に変更されてるだろ
そんなの同じ作品を見てると言えるのか?アイヘイチュー!
単語の意味を間違えているとかそういう意味で叩かれるのはむしろ殆どない
大体、納期に間に合わすために自分都合の意訳して、そのユニークとユーモアの無さに失望されているだけ
まだ直訳のほうが感慨深かったのにっていうのは意訳のせいで物語への没入感じが損なわれてしまったから
それなら日本語的におかしくても直訳することで想像させた方がまだ作品への貢献度は高い
思いつかなかったから直訳しましたっていうのは一件翻訳者の敗北にも取れるが、
直訳は文化的背景さえ理解していれば受け手側は正確に消化できるが、
意訳ではちゃんとヒアリングで全部単語を拾い切れてないとその差異に気付く間もなく次のシーンへ移ってしまいある所で整合性が付かなくなったり伏線を回収しそこねたりする
それを選択できないのは単に個人的都合の保身に走ってプライドを守りたいがため
だから叩かれる
http://b.hatena.ne.jp/entry/yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
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マーシャルマクルーハンは「メディアはメッセージである」「人間の拡張」「メディアの法則」といった今日に至るメディア論の基礎となる理論を提唱した批評家、そして英文学者である。
彼の著作である「人間拡張の原理」「メディアの法則」は、ヴァルターベンヤミンの「複製技術時代の芸術」やウォルターリップマンの「世論」とならぶメディア論の重要文献であり、彼らはメディア研究に関する学部に所属する学生がまず初めに名前を拝見することとなる人物である。
知らずにメディアを語るのは恥ずかしいが知っていても決して自慢にはならない、マクルーハンはそんな存在である。
メディアというと僕らはついマスメディアを連想してしまうが、ここでいうメディアは「媒体」である。
マクルーハンのメディア論は媒体、つまり直接関係のない複数の事物を繋いで作用させるもの全般に関する論理なのだ。
それまでメディアは運送用ダンボールのようなものでそれ自体に意味はないとされていた。
メディアという容れ物に収められた内容にばかり注目していたのである。
しかしマクルーハンはメディアそのものから人は情報を読み取ることを指摘した。
中に入っているものが同じでもAmazonのダンボールかみかん箱かで印象が変わるように、
同じメッセージでも発信元が違えば意味合いが変わってきたりするということだ。
ざっくりいうと人間の五感や認知や運動の能力がメディアの力によって拡張されるということ。
例えば新幹線という交通媒体を使えば3時間半で東京から大阪まで移動できるし、
こうしてwebや増田を使えば駄文をとてつもない数の人々に晒すことができる。
それもこれも生身の人間だけでは不可能なことであり、メディアによって拡張されているからこそ為せる技なのだ。
しかし拡張をすれば元々使っていた身体機能が活動に関与する度合いが低くなり終いには身体機能を切断(抑圧)つまり麻痺させてしまうという所までがマクルーハンの持論。
拡充
そのメディアは、社会や人間の生活のどの側面を促進したり拡充するのか。
衰退
そのメディアの出現前に支持されていた(あるいは傑出していた)どの側面をかげらしたり衰退させたりするのか。
回復
そのメディアは何を衰退の影から回復させたり再び脚光を当てたりするのか。
逆転
災害時に避難所の男の人が生理用品を猥褻物だと処分したとかで話題になった時にも、生理はこういう物だから生理用品がないと困りますよって普通に説明してる人に、女に生理用品なら男にもオナホをとか昔の人みたいに草を丸めて突っ込んどけとかめっちゃ噛みついてる男の人達が居た
急に生理が始まって服が血で汚れたので早退しようとした塾講師が許されず血で汚れたまま授業をさせられたので退職したって話でも、生理を我慢してトイレでやれ!!と噛みついてる男の人が居たし、我慢できるわけないだろって突っ込みに昔の女はできたと噛みついてきてるのもいた
何であんなに生理ネタを見つけたら無知丸出しで噛みついてくるんだろう
無知なのは仕方ないにしても何で無知な分野で上から目線で説教しようとするんだ?
恥ずかしくないのかな
親父は高卒で職を転々としながら今は工場のようなとこで働いているらしい。
ほとんど会話することがないが、隣の部屋で誰かと電話しているのが聞こえた。
20~30代の他の社員にいろいろ言われたり、行動がのろくて殴られたり蹴られたりもしているらしい。
親父は年金をもらえないので老後の貯金のために働いているのだが、
うかつに障害でも残ると俺の負担が増えるので、どこかに相談した方がよいのか悩んでいる。
書く必要はないが書いてないとどうでもいい突っ込みが来そうなので先に書くと
・親父は同居しているが生活費は全部俺が出している。なので給料はまるまる貯金。
父親が4歳、5歳くらいの子供二人に包丁で野菜を切らせて、カレー作りの手伝いをさせるって動画。
一見微笑ましいんだけど、よくみると二人とも猫の手をしていない。しかも、大人用の大きな包丁で極太の野菜・・・。
手を切っちゃうんじゃないかとこっちがヒヤヒヤする。一方で親父はカメラを回して涼しい顔(見えないけど)
で、父親が言い放った言葉が「バーカ。ちゃんと猫の手しないからよぉ~?本当馬鹿だな~」
その言い草はないだろ、と思って腹が立った。
父親曰く「何はともあれとりあえず体験させることが重要。失敗から学ぶ事のほうが多い。」らしい。
言いたい事はよくわかるんだけど、「猫の手をして切る。」という基本知識を教えたり、子供用包丁とか小さな野菜を使った簡単な作業から始めさせない?
この親は自分の子供の指が切断されても、特に気にしないのだろうか。
完全に余談だけど、この家族、他にも突っ込みどころというか変な所がいっぱいあって、例えば晩御飯が納豆ごはんと味噌汁だけだったり(育ち盛りの男の子が二人いるんだよ?)、長男中学3年生なのに身長140cmくらいしかなくて、ガリガリだったり・・・。栄養失調っぽくて見てられない。
こういうのってどこかに通報したほうがいいんだろうか?
他所の家庭の教育をいちいち気にしすぎかもしれないけど、子供を持つ一人の親として、そして何より子供っていう被害者がいるから黙ってられない・・・。
なんだか目覚めた中学生みたいな感じで糞笑える。
最高にムカつく。
前歯の裏に親指を滑りこませて、人差し指の第二関節を陣中に押し当て、テコの原理を最大限に使ってねじり上げ、そのまま頭を脇に抱え込んで前歯と陣中をデストラクションしつつ、その勢いを駆ってそのまま人差し指と中指を喉の奥に突っ込み、親指の太い関節でもって顎関節を外し、左手の手刀で喉仏を粉砕したい。
でもそんなことをしても、俺が結婚できるわけないし、虚しいだけなんだよな。
孟子も「愛は弓術に似ている。隣の人間が当てたからと言って、その人間を非難してもしかたないから」というようなことを言っているが、まさにそういうことなんだろうな。
結婚したい。
愛したい。
ってやっぱり『価値のあるものを作りやすい』ところにあると思うんだよね
システム開発会社で働いているとシステム開発って本当に金がかかると感じる。
市のHPにあるクソみたいな検索システムとかでも云千万単位の金がかかってることなんてザラにあって、
なんでそんなにお金がかかるかっていうとプログラミング作業以外のコストがでかいからなんだよね。
システム会社がシステムを作りたい人からどんなシステムを作りたいのか聞き出すのにもかなりの予算がかかるし
それを資料として落とすのにも、それが全体に共有されるのにだって予算がかかる。
設計が終わっても自分用の便利アプリを作るのとはわけが違って品質を保証するために
テスト仕様書を書いて、ユニットテストを書いて、他機能に変な影響を及ぼさないか調査して、
コード書いてる時間よりその周辺の作業の方が時間がかかったりする。
会議なんて始めてしまえばもう最悪で、給料×参加人数×時間分の予算がかかるし、
勿論それらには僕達労働者の有給休暇分や社会保障費分も含まれてしまう。
最終的な見積もりを出す頃には「なんでこんなしょぼいシステム作るのにこんだけ金がかかるんだよ」
例えばJaneStyleや2chMateを代表とする2ちゃんねるブラウザ、
アレなんか長年に渡り積み重なったユーザーの要望が集約されてるから機能数はかなり膨大で、
これをそこらのシステム会社に作ってくれとお願いすると恐らく数億どころじゃ済まなくなるはずだ。
でも、これらは実際に数億円かけて開発されたわけではない。
規模は個人か多くても数人で、予算だって開発者のモチベーションが予算という感じで
数億円どころかむしろ0円に近いはずだ。
例えばこれを建設業界に例えてみよう。数億といったらもう豪邸だ。
「そこらの会社にお願いしたら数億円かかる豪邸を大学の友達3人で集まって作りたい。
僕達バイトしてないから予算は1万円。お金はないけどやる気だけはあります。」
なんて言ったら「アホか」で一蹴されるだけだし、どう考えても現実的じゃない。
でも、IT業界に限ってはこれは十分現実的に考えられる話だし、そういう例は実際に何個もある。
まず企画設計開発全部自分な個人開発ならコミュニケーションコストが0に等しいし、
技術力がある人だけで集まれば一番開発効率の良い技術を好きなように採用できる。
『数億円の価値があるものを自分で生み出せる』なんかロマンがあるじゃない。
数億円の価値があるものを生み出せるスキルがあれば、アイディアさえ良ければ一攫千金も狙えるかもしれない。
なんか夢がある。
『ソラニン』って映画みて、オッサンのハートがイグニッション。
即レスポンス、即土日会おうとのこと。
いやしかしね、俺、もうアラサー。メンバーは20歳前後の3人。
怖くね?
ってかね、熱い思いを語られちゃったんだけど。
ヒモや実家暮らしはダメなんだって、だって、「音楽で食っていくのにそれは恥ずかしいでしょ」
え???
俺の中のデビルが叫んでいるんだ「ヒップホップで食っていくのは無理だ」って。
そもそも、俺、『ソラニン』を見て考えたのは、「こんなデブのおっさんみたいな風貌の奴でも、後輩から慕われてキスされるとかあるの?中年素人童貞卒業しちゃえるんじゃねバンドやれば?」そういう下心しかない。
あの、確かに、友達にはなりたいよ、20歳の若者たちと。飲み会とかカラオケはぜひ行きたい。
でも、申し訳ないけど、バンドは趣味程度でやりたいんだよねえ。
うん。
無理なんだよね。
でもでも、土日に一応面接あるらしい。
タトゥーとか入ってるゴリゴリの若者が着たらひいちゃうんだけど、大丈夫だよね?
あった瞬間、「なんだこのオッサン!?」ってなりそうだけど、大丈夫だよね?
セフレ見つけたり、女の子に惚れさせて風俗で働かせたり、そういういわゆる勝ち組男の青春がしたいだけなんだ。
オッサン、勉強ばっかで安定的な人生で社会の勝ち組になったから、そういうアウトローのおいしいところもかじってみたいだけなんだ。
怖い、土日に会って殺されないか。
いや、殺されるどうこうよりも、若者の熱にあてられて、次の音合わせとか平気で参加しちゃうかもしれないじゃんん。
怖え。
若者の『熱』が怖いぜ。
バンドの内容は、あやふやで、アニソンやるって言ったり、キュウソネコカムとからしい。
バックレる予定満々。
まあ、バックレても話のネタになるし。
思いがけないほどエログロだったりするし、
なんでかっていうと簡単で、それぞれその時期にクソな人間が表舞台に立ちやすいから。
若い女は記号的な存在だからそこから外れる存在(要するに見かけが悪かったり、暗かったりする)は奥に押しやられる。
おっさんは社会的な地位を得はじめるから、そこに居づらい存在(見栄えが悪かったり、ファンキーだったり)は排除される。
若い女のなかでも飛びぬけてどうしようもないやつは大体すぐに結婚して消えるし
人間ってのは成長するもんだから、遅まきに思慮深くなったりする。
おっさんは排除されないが、その分明確に避けられるようになる。
昔は男友達と話すのが好きだったけど、今は女の人と話す方が好き。でも、それは俺が成長したからでない。
クソ女がやっとこさ同じ水準に立ち、思慮深い女が表舞台に立てるようになったからだと思ってる。
もちろん男友達がクソになったってのもある。
“社会的立場”だってよ。いままで放棄してきたものを、あっさり拾えるなんて思ってんじゃねーよってなる。
まぁ情があるから嗜める程度にするけどさ。考え方が甘すぎる。
それで老けていく自分の顔を見るたび死にたい気分になってしまう。ああいう風になってしまうのかと思うたび吐いてしまう。
意外と自分の顔ってのは世間に溢れていて、例えば鏡は勿論のこと、
免許証や社員証、記念の写真、夜になるとガラスなんかにも反射する。
とくに最後のは凶悪で、暗いところは暗く映るもんだから、余計に老けて見える。
電車で死ぬ奴が多いのは、構造上の問題、老けこんだ顔がそこらじゅうのガラスに反射するからでないか?
盲点だったというのが水面で、反射するのは分かっていても、先に透明だという概念があってよくない。
ふと見ると私の顔が浮かんでいるのだ。この前はコーヒーだった。慣れない喫茶店など行くべきでない。
良くなかったのは、ある程度飲んでから、私の顔が混入していると気づいたことで、
そんなものが胃袋に入っていると、まるで胃液にも私の顔が映っているように思えてトイレに駆け込んだ。
大便器はいけない、水が張っている。洗面台に吐き出した。鏡がないかと不安だったが、幸い治安が悪いらしい、
あったであろう痕跡のみで、悪しき銀板は撤去されていた。心置きなく私の顔を吐き出した。
それで、出したもの流して、知らぬ顔でさっさと店を出ようとしたが―考えれば当たり前の話だが―排水管は詰まっていた。
だから、排水管に指をつっこんで、かきまわしながら、少しづつ流していく作戦にでた。重労働である。
さっきまで自分の腹にあったものに手を突っ込んでいるのだから、気分は当然よくない。
そこに自分の顔が浮かんでいたコーヒーが混ざっていると思うとなおのことだ。
生命線やら結婚線やらに、今日食べたBLTサンドや私の顔が染み込んでいくのを感じると、
「このままでは碌な人生にならない」と「人間には他人に尻を拭いてもらわなければならないときもある」と、
そういう考えが浮かんできて、普段なら選択しないが、藁をも掴むとはこのことで、最良の判断と錯覚してしまった。
それで手を引き抜こうと思ったが、抜けない。指がはまってしまったのだ。
何度か引き抜こうと手を引っ張っていると、今まで混じりあっていた胃の残留物と水分が、物理の神秘で分離を始めた。
そうなると地獄である。私は吐しゃ物に手を突っ込みながら、それが凶器に変貌するのをただ眺めるしかなく、
完成された自然の鏡が私の顔を映し出すと、途端にもう一度吐き出してしまった。
それで、このままだと良くないのはわかっていたので顔を上にむけたが、一度のぼった半固体は私の胃に帰ることなく喉を上り下りした。
苦しくなって下を見るとそこには私の顔が浮かんでおり、今まで以上に老け込んだ顔には、何というか生命の危機を感じた。
そんなものを見れば、余計に具合が悪くなると、顔を上にむける。しかしむけると苦しくなって下を見る。それの繰り返しだった。
息を吸うのもゲロを出すのも困難で、吐しゃ物にまみれながら私はそこで気を失った。
どれほどたったのか、私はようやく落ち着いて、その場に座り込んだ。
なんとバカだったのか、老けようが昔の私のように、芯の通った人生を歩めばよいのだ。
それを、勝手な条件付けで、老けたら酷い人間になると思い込んでいたのだから間抜けである。
これじゃそもそも、記号的でない若い女を排除してきた連中と同じでないか、
取り敢えず上着を脱いで、カバンに入れ、そそくさと店を出ることにした。
振り返ると洗面台に頭を突っ込んだままの私の体があった。
何の性的意図もなく物理的に影の落ちる部分に落としたら性的だとかおかげで修正された駅乃みちか死ぬほど不自然ですよ中略
オタ絵が萌え絵か抜きにしてどちらが自然ですかそれすらも解りませんか
みたいなどえらく自信に満ちた上から目線で例の二枚を貼ってきたのだが、どう見ても修正前の影は前から強風でも吹いてるか水で濡らして足にベッタリくっつけないと実現しない影で、オタクはそれすらも解らないのだなぁと笑ってしまった
当然修正前の影は不自然だと突っ込みが入ったのだけどもう必死に否定している
写真をはってもらったら光源が後ろだから股間に影が出来ないと言うし、オタクがほら影が出来てるじゃないか!!と写真をもって来るが全部体につくラインで片足を前に出しているポーズ
確かに修正後はノッペリしてるよ、金けちってショボい萌えエロイラストレーターに仕事を頼むからリアルな絵が描けなくてこんなド下手くそなエロ影以外つけられないんだよと思ったらラブライブの有名な人らしくて、だからこんなにオタク達が必死なのかぁと生暖かく笑ってしまった