はてなキーワード: 田舎暮らしとは
地方の人口減少について考えるとき、田舎暮らしの魅力発信の難しさもあるなと思えてくる。
田舎に住む人々が自分たちの生活の魅力を発信するのは、かなりのハードルがあるだろう。
情報発信の訓練なんて受けていない普通の人たちが、どうやって都会の人々に訴えかけるか?そんなの簡単じゃない。一見して、都会の煌びやかさや便利さには勝てるわけがないように見える。
そこで、アーティストや漫画家、音楽家などの表現者に地方に住んでもらって、彼らの創作を通じて地域の魅力を発信するという試みを促進してはどうか。
表現者たちは地方の「稀人」として受け入れられ、その地で創作と発信の技術を磨く。これは単なる人口増加対策ではなく、地方の文化を底上げするボトムアップのアプローチにもなるだろう。
表現者たちが地域に溶け込み、その魅力を創作活動を通じて発信すれば、都会の人々の目にも新鮮に映る。自然の美しい風景や、地元の人々の温かさ、伝統的な行事などが彼らの手によって魅力的に表現されれば、田舎暮らしの価値が再評価されるかもしれない。都会で飽和状態のアーティストたちも、新たなインスピレーションを求めて地方に目を向けることになるだろう。
このアプローチは、「クールジャパン」のような上からの文化発信よりも、地道な底上げ効果を期待できる。上から予算を付けて行う試作は、往々にして「広告」「マーケティング」に終始するのだ。商品としての創作が存在することを前提に、それを売り込むことを考える。しかし、当の創作者が育たなくては、持続的な商品の創造は起こらない。ボトムアップの施策も必要だ。
もちろん、受け入れ側の地方自治体やコミュニティのサポート次第で問題も起こり得る。表現者たちが安心して創作活動に専念できる環境を整えるために、一定の監視と調整は必要になるだろう。
この連休は久しぶりに実家に帰ったのだが、その際「つらかったら戻ってきて一緒に暮らせばいい」と老いた両親に言われた。
その場では、二人だけで暮らす寂しさはわかるが、私の仕事はどうするんだよ、と思って反発を感じたけれど、
両親の年金はそれなりにあるらしいことがだんだんわかってきたし、私も、贅沢を知らない人間なので、投資に回したりするほどの貯金を積み上げてきた。
それに、この人手不足なら、地方では職も選べるほどあるんだろう。
今の仕事は他の人に比べたらかなりラクな方だと思うのだけれど、昔ほどの思い入れは無くなって、まあやめてもいいかなと最近は思うし。
結婚もあまり意欲が無く(最近、実家に近づかなかった原因がこれだった)、気づけば子供を成すには無理な年齢になってきた。
それなら次世代に遺す財産も必要なく、それを使い切るつもりなら、親とほそぼそ暮らしていつかはそれを看取り、
自分もなんとなく仕事をして、なんとなく生涯を終えるというのでも、あながち悪くないのかなと思えてきた。
こうして都市で暮らしていても、昔ほどは楽しくない。趣味もやり尽くした感がある。
だから、人々が田舎暮らしを考え出す気持ちもわかりつつあり、それなら、合わせて親の面倒も見たりするか、といった気持ちなのだ。
子供間、同性間、性別関係なく発生しうる被害への警告と可能性を考える注意喚起、きっかけとして。
つたなく語られる一切を、環境、人物、何かの実在と関連させないでください。
この作品は悪意が滲んでいます。 ですが騙されないでください。
これに痛みを感じる様な優しい人の子ほどきつく注意させておかないと巻き込まれ怪我をします。
……しました。
◯◯◯◯?◯◯◯◯。…………さん、にー、1。 …………それじゃ、始めるよ。…………◯◯ちゃんはその時……何年生だったかな?
…………二年生……三年……あれ?でも四年生?
…………その後ろに隠している宝箱の中身は何かな? 教えてもらえる?
ん? これ? …………ええと。………中はバンソウコウ。 …………ピンク色だったり、水色だったり、楽しい模様だったり素敵な模様もあるんだ。だから集めてる。凄く怖い模様もあるよ。でも殆どがかわいい模様なの。 かわいい猫のもあるの。 全部傷まないように保存してるの。でもこれは僕もきっと大人になっても絶対に触っちゃ駄目。
……そんな事無いよ。 僕の格好みてよ。どう見ても男の子だよ。でしょ? だよね?
でしょ。僕は男の子のはずだもん。
それで……その宝箱の中身を開けたりは?
壊れて出来ない。名前付けてたけど誰にも見せたことない、みせちゃいけない秘密……。だって……バンソウコウが宝箱に入っているなんて変でしょ、絶対。そんな気がする。
そうだね、怪我もないのにバンソウコウがいくつも在るのは不思議かもしれないね。……なんで集めているの?
…………さっき言ったよ?
……そうだったかな? じゃあ、集めはじめたきっかけは何だったのかな?
………………………………………………………痛かったから。
……納得だ。 それで痛いってどこかな? それと、痛いって誰かに伝えた?
ううん。誰にも知られたくなかったから。 誰にも言っていないし知られたくない。家族の誰も知らない。教えない。誰かに言ってほしくもない。
体のどこかに怪我でもしてるの? すりむいたりでもしたのかな?
ううん。 怪我はないと思うよ。今は。 ちょっとだけ痛みは有る気もするけど。 ……犬の咬みあとぐらいはあるかも。
そうなの、よければ服を捲って見せてもらえる?
……見たいの? 見せたくない。 前?……ん?あれぇ?……だいぶ?ちょっと前の?事だし、………今のぞいてみたけどやっぱり傷も何も残ってない。 用もなにもないのに見せるっておかしくない? ……裸は特別な人しか見せちゃ駄目なんだよ。 見せたくない。
……そうだね。 見せたくないなら見せなくていいよ。……君の事をよければもっと教えてくれる?
……僕は、小学生になる時こっちに引っ越してきました。 田舎暮らしに憧れもあったんだってお父さんは言ってた。 それと猫が好きです。 犬は前は怖かった……近所の番犬に2回も脚を噛まれた。 でもこっちに来て飼ってみたらそんな怖くもなかった。親が心配したのかと思う。 追っかけっこもジャンプも好きで……。……悪い癖がつくって親に怒られたぐらい元気でかわいかった。散歩は嫌いだったけどちゃんとした。大概、言われてだけど。怪我をさせちゃって後悔もした。ずっとずっと前に? ……? 死んじゃったけど。でも隣の家の犬は凶暴だった。……やっぱり猫が好き、引っ掻かれたりも逃げられたりもするけれど、猫が好き。ず〜と一緒。
声も、ゴロゴロの音も、尻尾も、撫でた手触りも。お腹は特別なんだ、猫にも僕にも。 スリスリしてくるのも好き、大好き……。 知ってる? 喉の下をくすぐるとゴロゴロ喜ぶんだ。 ……野良猫に咬まれたこともあるけど苦手にはならなかった……。
……他には好きなものは?
本を読むのも好き。歌は好き、歌うのも好き。きれいな声で上手なんだって。聴かれるのはあまり得意じゃない。見られてると緊張するし。 ……写真とか作文とか漢字書き取りや英語は苦手だけど。やっぱり本を読むのが好き。いろんな事を、世界を知れて、広がるんだ。 影響も受ける。 でも覚えるためじゃないよ? 会話の全部は思い出せないのと同じようにね。 ……あと理科、科学関係も好き。いろんなものが好き。 ……嫌いなものはないかな?
嫌いなものがない?
嫌いなものはないよ、不得意なものはあるけど。英語は読めなくて悔しくても、その状況以外、嫌いとは思わないでしょ? みんな簡単に嫌いすぎると思う。
苦手や不得意は、嫌いということではない?
言葉の通り。言葉が違えば意味も当然違うよ。 アレルギーでも大好物。はあるように。 それに……嫌いってよくわからないんだ。それに、いつか好きになるかもしれない、と思うし。
……?……わからない。 ……違う……と思う。おかしくは無いよね?
……言った事を少し知っただけだと思う。
……そうだね。僕とはちょとは仲良くなれそう? それとも友達にはなれなそう?
わかんない……どっちでも"絶対"ということはないと思う……。
……思う。……断定が嫌いなのかな?
嫌いというか……なにかそれはイヤな気がする。好きになれる可能性を捨てるのがいやなのかも。……わかろうとすることは好き。好きになるものが増えるのも好き。……よくわからないものがもっと増えるけど。
好きはあるのに嫌いは無い。 ちょっとすてきな見方だね。 ……もしかして"嫌い"は嫌いなのかな?
……ヘンな言い方だけれど……そうなのかも。けどなんか不思議な言い方……。
嫌われることはどう思う? 平気?
全然平気じゃないよ。 ……でも状況次第で上手くいくとは限らないないんだ。だからしょうがないと思う時もある。
……そういえば、君ははじめに"絶対"という言葉を使ったけど、どうして?
そう? おぼえて無いけど言ったかもしれない。 どこで言ったんだろ?
(拒絶に対して断定する事への拒絶感がある? 嫌い嫌われることに対する恐怖感があるのだろうか? 子供ゆえの生存本能によるもの?)
お兄さんだけ聞きすぎじゃない? 僕だって聞いていい? 例えばゲームとかする? RPGとかは?
うん。◯◯◯◯クエストとかはまったなぁ。 冒険して探検して困った人を助けて……。
僕もやってる。 一日1時間だと、セーブに悩むんだけど。 猫飼ってるなら踏まれて消えないようにしなきゃ。
まさか、ウチの子は良い子だからそんな事しないよ。…………よし。ソレで遊ぶ? ウチの猫も連れてこよう。
よし!やろうか。
一時間だけね。
ふふっ。誰にも言わないのに良い子だね。
……マフィンおとなしいね。 ずっとなでても平気な子なのかな?
……そういう子だからね。……………それじゃちょっと前の話に戻るよ。その宝箱に集めだしたバンソウコウの事、…………どうして痛かったの。
……………えーと………………引っ越してから友達が出来たんだ。 高学年のお兄ちゃんだった。みんなを引っ張ってく感じの。家に遊びに来てくれたし、ラジコンとかすっごい強いゴムのパチンコ…スリミングショットとか、エアーガンとかスケートボードとか爆竹とか。かっこいいのも凄いのもいっぱい持ってた…………。僕の趣味とはちょっと違ってた。
それで?
…………お兄ちゃんのお兄ちゃんがいたんだ中学生の。 お兄ちゃんの友だちも。 なんか楽しそうな感じだった。 でもなんかちょっとワルそうところもあったかな。 でもそのお父さんはうんと怖いんだって。よく知らないけど。
そうなんだ。それが関係するんだね?
…………………ひみつ……
……うん?
……場所はどこだか言える?
場所はわかんない、行けないうちに……家よりあっち。ぐらいにしか思い出せなくなちゃった。
どんな場所?
…………杉の生えた竹と笹の藪の中。 おっこちそうな崖ギリギリ。 眺めはいまいちだった気がする。
ここらだと、そこら中にありそうだね。 秘密基地にはもってこいだ。
…………うん。 自転車でね、遠くに出かけたんだ。 自慢の宝物いっぱい持って。 ……お兄ちゃん達は秘密基地がどこだか探してた。秘密基地だから友達がわかんないように遠くに作ったんだって。
そりゃ秘密基地はバレちゃいけないもんな? それで?
…………無かったんだ。 秘密基地。
無かった?
うん。ずっと奥の奥まで行っても無かった。
そうか。それで?
…………言いたくない。
そうか。 じゃあこうしよう。 僕も聞いたら忘れる。もちろん君もね。そういうの得意だからね。
ふ、変なの。 言えるわけ無い。
…………そう? それを引き出して聞いてあげて欲しい。って聞いているよ。 い、い、た、く、て、しょ、う、が、な、い、で、しょ?
そn…う?…………なのかな?
い、い、た、い、は、ず、だ、よ? ………何があったの?
え、っと、そこら中に………笹と。 あとライターとスプレー缶と、エアーガンと、カメラとあと……。
(心の拒絶か、賢い子だ。何があったか。の意味をすり換えているな……。)
何でそんな事になったのかわかる?
……たぶん。みんな怖かったんだと思う。 知らないのに、理由つけて誘導して、使い物にならなくなった物を僕のせいにした。
それで? ……肌を見せたくないことは関係する?
お医者さんとか平気だよ。今じゃプールとか温泉とかも勇気いるけど普通に入れると思う、たぶん。行ってはいないけど。
僕はお医者じゃないもんなw(またすり換えたな。)
そうだよ。 お医者さんごっこじゃ駄目に決まってるよ。……きっと変だよ。 子ども同士じゃないんだから……。 僕でも怒るよ?
お医者様だと思って話をきいてくれないか? な、に、か、つ、か、わ、れ、た?
…………全部。 それに何処にも何ももうないよ。 見えないところにも、消える傷しかないはずなんだから。
……全部っていったよ?
なにか言えない、そういう事をされたのか?例えば服を…
お、おど、さ、れた……の。 い、 い、いろんな、こ、こと、い、いわ。……れ。 ボ ク は。
(またギリギリ言えるものに置き換えた。) ……マフィン、逃げちゃったね。……休憩しよう。
…………落ち着いたかな。続けられる?
うん。 ……怖かった。……でも可哀想だったんだ。……あまり言いたくない。
……可哀想?(今度は話をすり換えている……。合理的に回避しているな。)
……そういう事か……全部被って黙らされたと。
うん。 あ……言いたくないと思ったのは僕……友達だったから……。
…………それでスケープゴートになったのか……。 (......純粋な悪意だろ。優しさで自ら縛られてしまったのか。)
……うん。
お、意味知ってるのか。 よく知ってるねぇ。
……そう?
その後は?
日が暮れたギリギリに家に帰って、お母さんにもっと早めに帰りなさいって怒られちゃった。それからお風呂に入りなさいって言われて入って……。
それから?
別に……あとは何日かして洗ったシャツなのにチクッとしてすご く……泣きたく…なっ…た。
………ん……わかんない……どっか行っちゃったし。あの家ももう無いし。
………………もう、何も思いたくない。こんな……。だれも誰にもこんな思いにあわせたくない。 そんなの絶対に、……僕が死ぬほうがマシだ。
……そうだね。
……でも。
……でも?
……言えない、死んでも言えない。 …………でも。
でも? バンソウコウだらけになってでも僕は僕を嫌いになれない、僕自身に僕を。そして僕は愛して欲しかったんだって。そういうことなんだと思う。
言いたかった事は吐き出せた? …………他に言いたいこと、聞いてほしいこと、やってほしいこと何かあるかい?
…………………無い、色々あるけど、もう思い浮かばない、疲れちゃった…………。
………もういいの? 家に帰ったほうがいい?
はい、帰ります。…………ありがとざいました。……じゃぁこれで。…………お願いします。
......……そうか。ではこれで…………。 癒えぬ気持ちも、話した事実も、いっ、さ、い、を、わ、す、れ、る。…………それでいいかい? ……………………………………………3、2、1。
それから◯◯日後の夕方、こちらは◯◯のお友だちでしたかと。彼の番号から電話がかかってきた。
しばらく答えを躊躇した後に、唾を飲み込みハイと答えた。
それで、もう彼はいないのだ。と知った。
たったあれだけの会話だったはずなのに。吸った空気が重い。 心臓が重苦しい。血すら重く、重力が強くなったと錯覚を覚え壁に寄りかかった。
…………死ぬほうがマシ……か。
壊れては何処にも救いなど無かった。 生きるという過酷さを知っていながら、優しさに包んで知らずと死を差し入れた。
……これじゃぁ……まるでお医者さんごっこの命の軽さじゃないか。
……グラスに大量の氷と飲めもしない酒を注ぎ入れた、意味も無し、と。流しに向けて思いっきり叩きつけ何もかもを叫びとともにぶち撒けて。
そして指を流しの縁に全力で打ち付けて……この件は終わった。
傷だらけの腕にそっと隠されていた宝箱。壊れたタブレットと同型を取り寄せ、基盤以外をすげ替えててみたら動いた。ロックはやはり0417だった。 そこにはバンソウコウに例えられた物語。非実在青少年が幸せを作り上げる喜び。痛み無き快楽、痛みを塗りつぶす強烈な痛み、絶望を踏みしめる強さ。利用されることすら価値であるかの如く。救いようもない救いが彼が、自身を愛し、生かす痛みとして秘匿されていた。
「ジャンプルーキー!」っていう漫画投稿サイトがあって、そこでは「連載争奪ランキング」ってのがある。
「連載争奪ランキング」で人気1位になった作品はジャンプラで「インディーズ連載」枠として連載できる。
このシステムの成功例としては『ラーメン赤猫』とか『幼稚園WARS』があるが、そういう一部の成功例を除けば作家はアマチュア中心なので、そのクオリティも粗挽きなことが多い。
ジャンプラの読者層とも違うため、ルーキーではウケたものの連載時には鳴かず飛ばずってことも多々ある。
しかし『群青幽霊』の問題点はクオリティではなく、その内容がルーキー時とかなり異なっていたこと。
その作品が人気で連載権を得たのに、連載するのは違う作品ってのは、アリなんだろうか。
編集部が内容の確認をするって規約にも書いていて、それでこの作品が連載しているんだからアリってことなんだろうけど、ルーキー時からその作品を追っていた読者(連載権獲得に貢献した人たち)からすれば期待外れだろうね。
そうして“満を持して”連載された本作は1話から閲覧数が少なく、物議を醸すほど注目されてもいないんだけどね。
いわゆる「なろう系」と呼ばれるジャンルってアマチュア発のレーベルなこともあって、ある作品の設定や物語構造が流行ると皆それに乗っかって、検索で引っかかるよう関連付けして閲覧数を伸ばすって潮流がある。
結果、先駆け作品を表面上だけなぞったような、似たり寄ったりな作品が蔓延する。
まあ、これはなろう系に限った話ではなく、ジャンルや構造が同じなら似てる部分が多くなるのは当然で、その括りでパクリだなんだっていうのはナンセンスだと思うけれども。
それに、その程度のことは些末な問題だとメインの読者層も理解しているので、大半は“なろう系の手あか”を気にしたりしない。
でも、それが手垢まみれになると『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』という作品ができる。
これの序盤がね、『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』って作品と似すぎてるんだよね。
それぞれ原作とコミカライズ版があって、どちらとも『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』の方が先にでている。
特にコミカライズ版は絵がついたことで、余計に似ている部分が顕著になっている印象。
両作品とも序盤の数話は無料で読めるんで、気になる人は検索してみるといい。
フォローしておくと、似ているのは序盤だけで以降は独自のストーリーを展開していくので、頭のてっぺんから足の爪先まで“やってる”とまではいわない。
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。
最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。
アジア、アフリカ、中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
ドラマ「おしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベースが敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリ、ホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲でしか外に出歩かないのだ。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。
一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
嫁ぎ先である日本社会、日本人男性に漠然と失望している場合、希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームから温かい視線を旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師という言葉で表現した。フーテンの寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、さらに時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女時代(1970年代)は、都会の夏休みのラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと=田舎をそもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア)女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。
旅行好きの女性の特徴と男女差
旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。
歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境や文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性が自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。
一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験を故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性が社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。
故郷と都会の関係性の変化
現代の日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。
この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域で価値を見出し、生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性が旅行を通じて自己実現や自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。
旅行は、日常からの一時的な脱却を提供し、新しい環境や文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行が自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。
周りには山と森と田んぼと畑だけがある。木苺やアケビがなっていて、道を外れると古い文字が刻まれた石碑があった。山の中で迷子になり、でかくて怪しい雰囲気の池を見つけたりした。そのまま適当に歩いていたら集落に出たためその辺の人に助けてもらったことを覚えている。その後何度山に入ってもあの池に行けたのはその一回だけだった。よく無事だったな
逆に山を探検していた同級生が裏庭に転がりこんで来たこともある。裏庭には蓋を開けちゃいけない穴?みたいなのがあるから危ないところだったかもしれない。その時は祖父が送っていった。
牧場でもないのに牛を何頭か飼っていた。出産に立ち会い、子牛に名前をつけて育てていた。人生で唯一ペットと呼べる存在だ。最後はトラックに乗せられドナドナされていくのを見送った。子牛はオスだったから多分お肉になっただろう。
どこに行くにも遠くて、小学校へ通うのも一苦労だった。小学三年生まではスクールバスがあるけど、スクールバスの来る場所までがまず遠い。毎朝五時に起きなきゃいけなかった。四年生以上で自転車通学解禁されたけど、朝早く起きないと学校に間に合わないのは変わらなかった。
給食の白米が持参だったのは農家ばかりだからだろうな。月・水・金曜日が米の日で、皆のご飯が保温器で温められていた。
茶色くてフサフサの毛虫を筆箱で飼うのがクラス中で爆流行りしていた。虫が嫌いな人間は生きていけないだろう。
学校がある町の方では春と秋に祭りがあって、色んな店が出ていたけどいつも行く店は決まっていた。いじわるなお婆さんの飴玉屋。先に飴を選べとか先に金を払えとか毎回言ってることが違ったんだよな。怖かったけど、その飴玉は特別に美味しく感じて大事に大事に食べたのを覚えている。
人間は面倒だったな。繋げた和室に集まる酔っぱらいのおじさんは何を言ってるのか分からないしうるさいし。離れた集落の子の家にこっそり遊びに行ったのにどこからかバレて電話がかかってきて、すぐ帰ってこいって怒鳴られたし。祖母からすればあそこは遊んじゃいけない家の子、とかそういうのだったらしい。
こうして書き出してみると、良い思い出も嫌な思い出も同じくらいあるもんだ。今は離れた地方都市に住んでるからこそ良い思い出だったなと思える部分もあるし。子どもだから受け入れてたけど、もう一度あそこで暮らせって言われたら絶対無理。
ここ数年で「独身だったから詰んだ」瞬間がいくつかあったのでご紹介。
数年前のコロナ禍中に40度近い高熱を出した。職場に連絡すると「発熱外来でコロナの検査を受けるように」との指示。病院までは10キロほど。病院に連絡すると、「公共交通機関は使わないでください」「電車、バス、タクシーはダメ」「自家用車でお越しください」
車は持っていたものの、目眩がひどく視界がグニャグニャするためとても運転は無理。同僚に頼むとその人も濃厚接触者になり欠勤になるのでそれも無理。10キロ、2時間くらいかけて歩いていきました。外の気温は35度くらいなのに寒くて死ぬかと思った。
病院に着いたら院内に入れず「お車でお待ちください」。車がない旨を伝えたら、予想外だったらしく簡易テントに案内された。35度超の野外を寒いと感じた私ですら暑く感じたけど、一体何度だったんだろう。
幸いコロナは陰性だったので帰りはタクシーでかえったが、陽性だったら帰り道で死んでたかもしれない。
・救急車
ある夜、急に全身の痙攣に見舞われた。手足から始まり、顔面の皮膚まで震えだして息がしづらくなりこれはヤバいと「救急相談」みたいなのに電話。救急車を呼んでくださいとのことだったので119番し、着の身着のまま遠くの病院に運ばれた。その後処置が終わって帰ってよいと言われたのは深夜3時。「ご家族に迎えに来てもらってください」
いや、無理だが?
タクシーは朝7時まで営業しておらず、救急の待合室で寝巻きのまま待つこと4時間。病院への万単位の支払いの次は万単位のタクシーの支払い。泣いた。
アマゾンのブラックフライデーセールでピクセルウォッチ1が安くなっていたので買ってみた。
タッチ決済便利そうだなというのと先日リリースされたpip-boyデザインのインターフェース(テレビゲーム「fallout」シリーズで出てくる腕時計型ガジェット)に惹かれてしまった。
便利!ってなることもあったり、は?ってなることもあったのでこれから買おうとしている人の参考になればと思って書き残す。
2万5千円くらい出して買ってよかったかどうかについては、良かったとも言えないし失敗したとも言い切れないレベルだと思っている。
・持ち物管理が楽になった
今回スマートウォッチの導入を検討した一番の理由としては、買い物や移動のときに財布からカードもしくはどこかのポケットからカードケース出してというモタモタした手順を省きたいと思ったところであった。また、キャッシュレスタッチ決済をスマートウォッチに集約することで管理しなければいけない持ち物を減らし忘れ物を無くしたいという目的もあった。
pixel watchはgoogleペイ対応の上、suica機能も付けられるため、キャッシュレスタッチ決済が使えるシチュエーションでは金払う→腕時計を端末に寄せるという手順で済ませられるというメリットは非常に魅力的で、実際スマートウォッチ導入後は身軽に外出できるようになった。
・通知機能が思いのほか便利
使って見てスマホに来た各種通知をすぐに確認できるのは思いのほか楽なことを思い知った。メッセージ系の通知を確認できるのはもちろん、片手にスケジュール管理機能の出張所があるのは非常に便利で、スマホを使ってスケジュール管理している人には手放せなくなるアイテムといっても過言でもないだろう。
着用したまま寝ていると睡眠時のコンディションが見られるという事でやってみたところ、実際にデータが出てきており感動した。フーン程度にしか思っていなかった機能だが実際にやってみたら案外面白いものである。
どういうメカニズムでデータを採っていてどの程度信頼性があるものかはさておき、寝不足と感じるときとそうでない時を比較することで自分に適した睡眠導入ルーチンを作り効率的に回復できたらいいなと思っている。
・操作性
これはまあ当たり前すぎて仕方がないもので許容しているつもりではあるが、やっぱり操作性が悪い。
スマートウォッチからの入力は出てくるキーパッドか音声入力かとなるがいずれも操作性や反応、シチュエーションによる入力の制限がかかるのでスマートウォッチは基本スマートフォンに入力しているものもしくは出力されたものを確認するツールとして扱うべきなのだろう。
厳密にはピクセルカメラをpixel watch、google pixel両方に導入することで純正リモートカメラ機能は使うことができるようだ。逆に言うとpixelカメラを導入できないスマホ以外は現状使うことができない。自分の中では一番「は?」となった部分。
今年9月まではgoogleカメラという形でplayストアからインストールできたようだが12月現在は消え去っており非常にやきもきしている。
バッタもんのカメラリモートアプリを使うことでリモートカメラ機能は使えるが動作がぎこちなかったり広告が出たり見た目が雑だったりと異物感が強い。田舎暮らしでスポーツサークルをやっている自分の現状の生活だとタッチ決済以上に使う機能なのでこの躓きは個人的にかなり痛い。
pixelカメラではない現行機種androidユーザー全員が使えるgoogleカメラアプリを再リリースしてもらうか、wearOS用のカメラ操作アプリをリリースしてほしい。
届いたスマートウォッチのセッティングを手早く済ませ、鼻の穴を膨らませながら近くの商店でタッチ決済してみたところ接触が悪くカードを出すのと同じくらい時間がかかってしまった。といいつつも財布出さなくていいことに体の軽量化を感じたが、画面を当てまくっているとそのうち液晶が傷だらけになりそうなのはふと気になった。まあカバー付けているので気になったらカバー変えればいい話ではある。
また、スマートウォッチの位置から来るリーチの足りなさに使いにくさを感じた。おそらく自分の周りにあるお店のレジ機能の構造が手を伸ばしてお金を置く、カードを当てるという距離感になっておりスマートウォッチが付いている手首の位置だと決済機の位置まで微妙に届かず腰を曲げたり屈んだりと調整が必要なことが多々あることに「思ってたんと違う」となってしまった。
ド田舎暮らしのため上のようなシチュエーションにぶつかっているが都心部であればスマートウォッチ決済がしやすい構造のお店も多そう。
まあこの問題はスマートウォッチでのタッチ決済という動きに慣れたら解決しそうな部分である。
便利になった部分は非常に多い。しかしスマートウォッチのほとんどの機能はスマホを出せば問題ないわけで、スマートウォッチを導入すればみんながみんな楽になるとも限らない感じはする。
自分の場合はなんとなくで導入したので新しいガジェット!というワクワク感による買って良かった補正は受けているが、冷静にありがたみがあるかと言われると考え込んでしまう。睡眠データや心拍数データとかfit系アプリを上手に使っていったらメリットが増えていきそうな気もするが。
今年27歳になった。
高校生くらいから服が好きで、せこせこバイトしては古着屋やらメルカリなんかを使って大量に服を買っていた。実家が都内だったので買う場所も着て遊びに行く場所も無限にあった。
そして大学院卒業から3年経過、田舎の工場に就職した。毎日作業着生活、休日は登山かキャンプかスキーでキラキラした服はクローゼットにしまったままの生活。
最近、結婚に伴い引っ越すことになったので、服を整理することになった。
といっても田舎で働いてるので、あまり飲み会も遊ぶ場所もなく、持ってる服も学生の頃のものばかり。こんなの持ってたなあ…と思って着てみると、もう恐ろしい程に似合わない。
学生のころ1番好きなブランドはAnmillで、他にもトッコクローゼット、ミッシュマッシュ、ナイスクラップ、オリーブデオリーブ、なんかで服を買っていた。
そもそも全部数年前の服だから流行遅れというのもあるんだろうけど、シルエットがもさい。生地が安い。顔に合ってない。ボディラインに合ってない。
3年でこんなに似合わなくなるのかって愕然とした。
とりあえず慌てて全部セカストに投げ打ってsnidelとかMERCURYDUOとかプロポーションボディドレッシングとかの昔は高くて着れなかったブランドの服をいくつか買った。価格帯あげればカワイイ系でもまだいけるかと思って…
でもこれもいけて30そこそこくらいよな多分。
どうしたらいいんだ。
30代の綺麗系の服が好きな女ってどこのブランドの服着ればいいんだ。
田舎のネズミと都会のネズミでは田舎のネズミは最終的に「田舎暮らしの方が性に合ってるよ」ってなって田舎に帰って終わるけど、人間の場合は「俺には/私には田舎暮らしの方が性に合ってるよ」では終わらないよな。
いや、「性に合ってる♩」って言った本人は良いのかもしれないけれど、田舎の絶望に襲われるのはその子孫な訳でタチ悪い。
正直、人間関係とか閉鎖的なコミュニティなんてコミュ力でいくらでもなんとかなる。田舎の絶望ってのはそんなもんじゃないんだ。
都会を選んだ人間の子供は歯列矯正による綺麗な歯並び、幼児教室による高い身体能力、ハウスダストのない綺麗な家と正しい子育て法による健康な身体、進んだ教育による知力と外国語能力、正しいファッションセンスやマナーを手に入れる。
一方、田舎を選んだ人間の子供は「虫歯さえなければOK!」な田舎の歯医者で診られて歯ガタガタ、ごく一部の先天的にスポーツが得意な子供以外は学校でトラウマを植え付けられるか自信を失いスポーツ嫌い、ハウスダスト塗れの田舎屋と祖父母世代の因習により喘息やピロリ菌持ち、九九ができて「ハウアーユー」が言えればOKな知力と外国語能力、アベイルのドラゴン英字ファッションに先史時代と同程度のマナーや教養。
そして田舎の子供はやがて大人になり、職を求めて向かった都会で都会の子供と出会って絶望する。
最早どうしようとも埋まらない差に絶望しながらどうにか頑張るも、元々都会の子供より身体が脆弱なので田舎由来のピロリ菌で胃癌になるかHPVで女は子宮頸がん、男は咽頭がんになって死ぬ。
これが悲しい現実。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
自分はボーナス無しの年収160万の田舎暮らし。責任ゼロの仕事。のんびり仕事して、のんびり家庭菜園して暮らしている。
田舎にいる前、低学歴ながらも中小企業で年収400万円に達し、少し出世してボーナス込みで年収500万円になろうかという時、仕事の責任が増え、休みでも会社の携帯が鳴り、仕事外での付き合いが増え、いとも簡単に諦めた。
年収(だけではないが)が高い人の精神力というのは、持とうと思って持てるものではなく、プロのスポーツ選手並に強靭。
それなりに年収を貰う為に生じる責任と仕事をこなす能力というのは、凡人がそう簡単に持てるものではない。
自分の能力と合った環境を客観的に判断できれば、割と楽に生きられる。
もちろん消費が生じる贅沢はできないが、そんなのは当たり前で、物欲を駆り立てられる広告が町にもスマホにも溢れ毒されてしまっている(ちょっと極端な言い方)人がこれに気付くのは難しいかもしれない。
とにかく、個人的には社会の仕組みやサービスを作る人などなど年収が高いサラリーマンは自分にとってはプロのスポーツ選手やアーティストと同等だと思っている。
今の若い子はよりそう思っている様な気がするけど。
田舎暮らし=家と土地と畑を持ってるおかげで、生活費が安く済むんでしょうね。
都会気分で引っ越すと痛い目にあうよ
家賃安いとこなんか築30〜50年くらいの不便なアパートしかないし
なので不便な場所の安アパートに住めば暮らせるけど、田舎はまじでなんもないよ
「ネットがあれば地方でも」つってるけど映画館も美術館も博物館もないけど耐えられんの?
サブカル系のイベントも店も何もかもないし「サブカルってなに?食べ物?」くらいの人しか田舎にはいません
リアルで語り合える人誰もいません
オフ会だのコミケだの、行くのに10万円〜とかかかりますよ無理でしょ
日本のバンドのライブツアーもせいぜい県庁所在地にしか来ないよ
洋楽やクラシックは諦めましょう、クラシック生演奏なんか田舎民には存在すら知られていません