はてなキーワード: 悲鳴とは
とりあえず以下の記事とまとめを読んで頂きたい。
https://kyodaishinde.hatenablog.com/entry/2018/04/15/172253
https://togetter.com/li/1219881
今自分が持っているTwitterやはてブロで書く勇気がなかったのでここで吐き出すことにする。
私の弟は重度知的障害、自閉症と診断されている。知能は小学校低学年レベルだが一応会話はできる。
弟に殺意を抱いたこともある。こいつさえいなければ…とか。でも常にではない。
「姉ちゃん」とニコニコ話しかけてきたり、寝息を立ててスヤスヤと眠っている弟は可愛い。
穏やかな弟なら殺意は覚えない。
弟は自閉症特有の「こだわり」を持っているが故に予定が狂ったりすると癇癪を起こす。
怒りの矛先は彼自身ではなく父、母、そして姉である私に向けられる。
癇癪を起こすと手当たり次第にそこらへんに置いてあるモノを家族に投げつける。
体当たりしてくる。
噛みついてくる。
引っ掻いてくる。
この他害行為は家族にしかしない。祖父母や親戚、知り合い、見知らぬ人など家族以外には手を出さない。人様に手を出さないだけマシなのだろうか。
自分も顔面にゲーム機を投げつけられたこともある。刃物を持ってこっちに向かってこられたこともある。
家中に弟の泣き叫ぶ声、母親の悲鳴、父親の怒鳴り声が週5~6で鳴り響く。この世の地獄か。
酷い言い方だが暴れている弟は人間ではなくただの動物に見える。彼に理性はないのか。
殺してやろうと思ったこともある。消えてくれと思ったこともある。
思っていても行動に移してはいけない。が、実行する一歩手前まで来たこともある。
「自分が今こいつの背中を包丁で刺せば両親も楽になる。自分には将来なんてないし刑務所にでも入っておこう」と思ったこともある。高校時代のことである。
「善悪の判断がつかないような身内に刃物を持って追いかけられても逃げることさえできない人たちは、苦悩や怒りを公の場で発信するのを否定する声が社会の中で幅をきかせるようになったら、どのような思いをして生きていけばいいのでしょうか。見直すべきは、家族の苦悩を省みて来なかった社会のあり方でしょう。」
結婚については心配していない。別の理由で多分できないしするつもりもないからだ。一時的なものでしょ?と思われるかもしれないがこの考えは一生変わらない。
もし、もし何かの間違いで結婚したとしても子供は絶対に作らない。障害のある子供を産み育てる覚悟がない。両親のやつれた顔を見ると自分が障害のある子供を育てるのは絶対に無理だと思った。両親と同じ苦労はしたくない。
出生前診断については否定しない。中絶することを選んだ人を批判してはいけないし、逆に中絶しないで産むことを選んだ人を批判してはいけないと思う。
結婚についてはあまり心配はしていないが親が年老いて介護が必要になる頃が心配だ。
親と弟の介護が重なったらどうしよう。親を老人ホームに入れたりヘルパーを頼むような金銭的余裕はないかもしれないし、地元以外で就職しようと考えているので自分一人が全員の介護は厳しい。仕事も辞めなくてはいけないのでは?辞めたら生活は?生きて行けるの?そして行き着く先は介護殺人…?
弟は施設に入れればいいじゃないか。それもそうだ。でもなかなか入れないのだ。
弟は現在施設入所待ち。待機児童問題はよく報道されているのでご存じの方は多いと思うが知的障害者向け施設も空きがなく待機者がそこそこいるのが現状だ。
入所は先着順ではなくポイント制で緊急度が高い人から入所する。親が亡くなってからやっと入所できるって感じ。
は?親が亡くならないと入れないの?
殺されそうになっても緊急度が高いっていえないんだ。へぇ。
他の家庭も同じだから?
殺されるかもしれない恐怖に24時間365日耐えろって無理だろ。
現在私は進学を機に親元を離れて一人暮らしをしている。「私だけ」は弟にモノを投げられたり理由もなく殴られることもなくなった。物理的に離れてるし。
つい最近親から一本の電話があった。弟に刃物を向けられ刺されそうになった、と。
精神薬も限界まで処方して貰っても癇癪を起こして暴れるらしい。役所に相談しても「他の家庭でもあることなんですからご家庭でなんとかしてください」と言われたらしい。両親も精神的に参っている模様なのでいつ心中されるか分からない。
どうにかならないかな。医療技術の進歩で弟の癇癪が軽減されないかな。今の両親を見ていると辛い。
P.S.支離滅裂な文章でごめんなさい。思ったことブワーしました。取材大歓迎です。まぁ増田だし連絡してくる人なんていないと思うけど。
先日行われた、日本では実に4年ぶりのブルーノ・マーズのコンサート
「BRUNO MARS 24K MAGIC WORLD TOUR 2018」。
なぜ私は行かなかったのだろうか。今、激しく後悔している。
その後悔の大きさは、私に初めての匿名ダイアリーを書かせるほどである。
とはいえ、私がブルーノ・マーズにハマりはじめたのは実に4ヶ月前。
この「24K Magic」というアルバムが、いや、まあ、凄すぎるからである。
(歳は30手前なので、全盛期からは外れているのだけど)
「キング・オブ・ポップ」的な何かを、誰かに託してみたいと願っていた。
でもさー、なかなかそんなのいないよね。
「Don't Stop 'Til You Get Enough」で最初に魅せた、比類なきリズム感。
「Thriller」や「Beat It」、「Bad」での、高い演出構成力に耐えうるリズム&ビジュアル&ダンススキル。
ダンスミュージック歌わせて踊らせたらもう女子はみんなメロメロだし(例えば「The Way You Make Me Feel」)、
正統派なポップで完全に世界を掌握するし(例えば「Black or White」。個人的には「Remember The Time」が好き)。
「You Rock My World」なんて、亡くなる数年前の曲だけど、
それまでで一番じゃないかってくらい名曲中の名曲で全然色あせないよ?
私が思う「キング・オブ・ポップ」は、
リズム、歌唱力、ダンス、ビジュアル、それらに支えられたカリスマ性、
それらが時代に合わせて常に変化しながらも、トータルに持ち続けられる存在だということ。
あー、うん、いるいる。そういう人、男性も女性もいっぱいいる。
でも現代で、元々マイケルを指した「キング・オブ・ポップ」を、
マイケル好きから真に後継者として認められる人は、多分まだいないんじゃないかな。
そこで私は「いや、ブルーノ・マーズこそ現代のキング・オブ・ポップ(になりうる存在)でしょ!」と声高らかに吠えたい。
「24K Magic」で一番凄いのは、それまでの彼の曲に比べて大きな振れ幅を持っている点である。
正直「Just The Way You Are」や「Marry You」のイメージからは、アルバムを通して全然異なっているのである。
9曲通して、リズムの変化球がすごい。そして、全体的に懐かしい。
敢えて「マイケルの再来」を予感させるような曲作りをしたとしか思えないが、
そのなかで、ブルーノ・マーズの歌唱力、そしてそれを支える米国プロチームによって、
懐かしいのに新しい時代を感じさせる、これはつまりどーいうことよ???である。まさにMagic。
(ちなみに曲解説はこの記事が分かりやすい。http://realsound.jp/2016/11/post-10314.html)
楽曲のクオリティの高さはもちろん、正直その変化の振れ幅に驚いた。
今後、どこまで変化してどんなふうにワクワクさせてくれるんだろう、と。
その振れ幅の大きさ、完成度の高さは、現代の「キング・オブ・ポップ」にふさわしいと思う。
舞台に登場して首の位置、手の位置を変えるだけで悲鳴が上がる存在ではないかもしれないが、
各個人が自分の好みに合わせて優れた音楽を方々から集めることのできる現代、
時代が違うわけで。
まあ、結局言いたいことは、
そういう「私的現代のキング・オブ・ポップ」の東京ツアーを逃す、ということは
次行けたとしても、「24K Magic」の曲はそんなにやってくれないだろうし・・・
と、未だにごねているのである。
違うなぁ。
上手に悲鳴を上げるのとトラックバックを多く集めるのは、全然別の話なんだよ。
そしてそれは両方とも、救われるかどうかには全く関係ないんだ。
まずその二つについてよく考えるべきだな。
そしたら次に、自分の文章を読み直して ○○だから××だ、を論理記号(http://www.ne.jp/asahi/search-center/internationalrelation/mathWeb/meidai/meidai.htm)で全て置き換えろ。
だって文章下手なんだろ? 整理苦手なんだろ? じゃぁ記号の方がいいじゃん。
それができたらその記号が○○や××の意味をそれぞれ逆にして成り立つかどうか考えてみたらいい。
どうせ助けてもらえないなら騙されても構わないよな? だったらできるはずだ。簡単だからやってみろ。ゴミみたいに飾った小説ばかり読んでいると悪化するから終わるまで本は読むな。
自分が何をしたいか分かっていない人間を助ける事は誰にもできない。
分かれば助けは必要はない。
書いた通りにできれば、分かる。
悲鳴を上げるのが上手い人は、日頃からコミュニケーションを密にとってる人だと思う。
俺たちみたいに、問題を抱えて抱えて大爆弾になったところで大声で悲鳴を上げてもそんな厄介もの誰も触りたくないと思うだけで、そうして誰も助けてくれない、誰もかまってくれないて泣きわめく俺たちが出来るわけで。
要するにコミュニケーション取りましょうって話だけど、それができたらこんな記事は出ないんだよなぁ。
あー要領良く生きたい
増田で人生の悩みを打ち明けても、ブクマやトラバに助けられる人ばかりではない。
多くの場合は無視か、正論で殴りつけて日々の憂さ晴らしに使われるだけだ。
匿名で面識のない人を親切にも救おうとする人は少ない。
それでも救いたくなるとすれば、その悲鳴に聞き覚えがあったからだと思う。
きっと、たまたま過去の自分や大切な人の叫び声に似た周波数だったのだ。
私も自分に合う悲鳴を耳にした時は、わざわざ長文で応えてしまったりもする。
他人様にアドバイスできるほど自分の人生はうまくいっていないくせに。
このあいだ、増田で悲鳴を上げた。
もう生きていられないと思って、
どうせ死ぬのなら最後に何か書き残そうと思いついて、
自分の状況や何がどう苦しいのかを書き殴った。
もう消してしまったけれど、吐瀉物のようで見るに堪えなかっただろう。
結果、数行のトラバで2発殴られた。
「甘え」「自己責任」「さっさと死ね」
よくある内容だ。自分でもそう思う。
ブクマはなく、プリントアウトを勧められ、ログの深くに沈んでいった。
それ以上の声をあげることはできなかった。
しばらく前に精神科に行った時も同じだった。
対面で話すと匿名の文章みたいに心の内を明かしきることができないから、
ずっとヘラヘラと笑いながら、他人事のように語ったと思う。
「こうなっちゃうんですよ、あはは、
こうしなきゃいけないのはわかってます、でもだめなんですよ、
やっぱ自分は発達障害か何かなんですかねえ?あははは。」
精神科として助けられることはない、と伝えられた。
武道でもやって心身を鍛え直してみては、と諭された。
渡された薬は特に効かず、3ヶ月でやめてしまった。
そういえば診察の席で、
過呼吸でおかしくなって通勤電車から逃げ出したのを言いそびれてた。
自責の念に襲われて職場のトイレでシャープペンシルを腕に突き刺していたことも。
こんなことを繰り返すうち、自分には助けを求める才能がないのだと悟った。
本当に助けが必要なとき、なりふり構っていられない状態では、
他人のことを考えないめちゃくちゃな文章になってしまうはずだ。
そんな状態でも誰かの心を射抜けてしまう、鋭い周波数の文章が出せるということ。
悲鳴を上げる才能ってそういうことだ。
私にはそんな才能がないから、こういう取り繕った文章を作ってしまう。
自分の増田で運良くブクマが伸びたケースは
自分語りをせずに最後まで取り繕えた文章ばかりだ。
悲鳴なんて伝わらないものだ、そう考えている。
結局プライドが高いのが悪い。
ネットでもなりふり構わず全てぶちまければいいのに、
下手にバズって過去の知人に知られたらだとか、
どうせ笑い物になるだけだとか、そうやってうやむやにしてしまう。
5chで相談できなくなったのも、増田で具体的な話ができないのも、
頭が悪い上に臆病なせいだろう。
いくら悲鳴でも、読みやすい文章、伝わりやすい話し方でないと人は動かない。
構成をきれいにまとめて、小粋なレトリックを添えて、
読む人の共感を誘うように書かなければ助けは来ない。
でも、そんな風に整理できる状態なら、そもそも苦しんではいないはずだ。
だから悲鳴を口の中で噛み潰してしまう。
噛み潰して飲み込むことに慣れてしまう。
そうしていずれ死んでいく未来がいつも網膜に小さく張り付いていて、
どれだけ顔を洗っても剥がせない。
崖へと続くトロッコに乗っていて、降りることができない。
いずれ落ちていく。
でも今日はまだ死なずにいられる。
今のうちに、悲鳴を上げるのが下手な人について残しておこうと思った。
いつか自分が他の誰かの悲鳴を聞き逃してしまわないように。
皆さん、聞いてくれて本当にありがとうございます。
返信+αを作っていたのですが、
長くなりそうなので後ほど別記事にて失礼いたします。
まずお伝えしたいのは、今の私は大丈夫で、
この増田自体は悲鳴ではないということです。
境遇自体はそれほど変わりないですが、気の持ちようとして堪えられる範囲です。
これは悲鳴ではなくどうにか取り繕いきれた方の文章です。
ご心配をかけてしまった皆さん、本当にごめんなさい。
また、主に時系列でいくつかフェイクを入れていました。
件の精神科には当時のつらさを箇条書きで書き殴ったメモを印刷して持ち込みました。
その上で「あなたが何をうちに求めているのか分からない」との回答を頂いております。
(次の増田で後述しますが、メモの時点で不十分だったはずです)
医者に甘えられる問題ではない、自力でなんとかするしかない。
そう痛感して、今のところ平均して当時よりはマシな状態になっています。
また、処方されたのはサインバルタでしたが
「しいていえばこの新薬だが、
あなたの状態が劇的によくなる薬などない」
と伝えられて、私自身もそうだろうなと感じております。
喉が弱い体質のせいか飲む度に軽い吐き気があり、
その副作用の割に当時の症状の改善は見られなかったので、
自分の気の持ちようで生まれ変わるしかないと考えて、
通院をやめて現在に至っております。
元増田は、伝わってほしくて、でも伝わらないだろうなと諦めてて、
それでもせめて未来の自分を救えるようにと書き残したものだったので、
望外なほど通じてくれたことが純粋にありがたいです。
まずはこの感謝を伝えさせてください。
物流関係の限界と言われてるけど、当然、郵便局の中の人も限界突破してるよ。
人手に関しては、まだ郵便局パワーで非正規かき集めてるからマシかもしれないけど、閉塞感はハンパじゃないぜ。
まずは年収。民営化以降に入ってくる奴らの給与の低下が半端ないぜ。
自分は35歳正社員なんだけど手取り月18万。年収350万(サビ残・自爆ノルマ込み)くらいだ。
なめんなよ。家族持ちなら、質素に生きても破綻するわこんなもん…
ちなみに俺は非正規から正社員登用した勝ち組なんだけど、昇給スピードは当然クソ遅い。給料高いのは公務員時代に出世した上の世代だけだよ。今の新卒も安いっぽくて、不満がたまってる。
俺は独身だからいいけど、家族持ちの正社員はボロボロ抜けてってるよ。子供を作る?無理だろ。親や祖父母が土地持ちなら別だけど、実家の支援無い人は無理。都市部の郵便局?あ~絶対無理だね。金がたりやしない。
若いのはヤマトあたりにいってるんじゃない?まあ40以上の正社員は諦めて残ってる人が多いけど。
給与が低くても将来性があればいいんだけど、郵便局のシステムのふるさはやばいぜ。
まず局長の長話。これ、実は上から「絶対やれ」と強制されてるの。
んで内容は誤配送の対策やら、売上あげろ×100。みたいな感じだ。
自爆しないと越えられないノルマを設定するあたり、改善する気ゼロ。今どきはがきの売上なんてあがらねーよ。
革新的なアイデアがあったとしても「それはどうかなぁ」と上に潰されるし、そもそも局長もやる気ないから「あ~それいいかもね」で終わり。
完全に公務員体質。公務員体質なのにノルマあり。この組み合わせは地獄ですぜ。売る気が無いのにノルマ強制は、問題起こして出場停止になった野球部がグラウンド100周するのに似てる。
売上出したところでインセンティブもねーし、皆てきとーに自爆して茶を濁してる。
「自爆引いたら後の年収が本当の手取りだよなw」なんてブラックジョークも笑えねえ
売上取れるから飛びついてるんだろうけど、ヤマトが悲鳴あげたのにうちが出来るわけねーだろ
人海戦術でこなしてるけど、システムの効率はヤマトのがましだよ。ラインで色々できるんだろ?郵便局なんて「電話」がメインだからね。高齢者が顧客に多いからITなんか導入できん。
救いは「はがき文化」が減ってる事かな。みんなメールなりラインで済ませてくれ。
そのかわりに配送が増えてるからプラマイゼロ、というか負担増のがデカイのが悲しい
帰ってきた。すごく嬉しい。
2002年の話。
ワールドカップが日本であって、地元の会場で日本代表の試合があった。
会場の外にいたから試合は見てないんだけど、入場してくる有名人を見てウキウキしたり、お客さんの歓声や悲鳴を聞いてた。
試合が終わるころ、先輩が「もう一生見れないんだぞ」的なことを言ってくれて、ホントはダメだけど試合を覗かせてもらった。
おお、中田浩二ってロングパスうまいんだなとか思ってたら、敗戦のホイッスルが鳴って、持ち場に戻った。
日当10000くらい?もっと少なかったかも。これがサッカーとの出会い。
同じころ、友人関係でいろいろあって、自己嫌悪と罪悪感に押しつぶされながら将来への不安がはっきりと見えてきてた。
1年か2年くらいヒキニート的な生活をしたり、社会にご迷惑をお掛けする形ではありながらも、
バイトやなんかでそれなりに社会復帰を果たした。社員になろうかとも思った。
それでも大人になり切れなかったので、モラトリアムとかいう知ったばっかりの概念を求めて海外へ飛んだ。
周りにはかっこいいこと嘯いても、逃げだというのは周知の事実だったと思う。歳も歳だし。
あっちに行ったら行ったでちっちゃい日本人コミュニティの中で自己顕示欲をまき散らしてて、
将来がぽっかりなんにもないことをひた隠すように、社会の細々したことを権威を持ち出して知った風なこと言って過ごした。
たくさんのかっこいい人に出会った。その中でも、一人、仏像のような人に出会った。
言葉に惚れて、逸話に惚れて、仕事ぶりに惚れた。親や先生や学校やバイトでは教わらなかった行動規範を見つけたような気がした。
地元を離れての初めての一人暮らし。と言ってもルームメイトは常にいたけど。友達はすぐにできるけど、
それでも心細さはあった。お酒とセックスに逃げた。あと、地元のとあるプロスポーツチームにはまった。
地元にいる間は、できてすぐ名前が変わったり、区が違ったり、やってたスポーツも違うから親近感もそれほどなかった。
それが、貪るように情報をあさるようになった。
海外からネットで地元のスポーツニュースやハイライトを見た。2ちゃんのスレに入り浸った。
時間が合えばストリーミングで試合を見た。チームの一人一人の顔やプレイぶりや練習風景が分かるようになると、
愛着がわくようになった。スタに足を運べるサポに比べたら、頭でっかちのふぁん(藁)だというのは理解してるんだけど、
それでも自分にとっては心細さを埋めてくれる存在になっていた。
チームの監督がコロコロ変わって、ブラジル人頼みのクソサッカー笑のあと日本人監督になった。
将来ある若手が移籍していく中、生え抜きの選手や元日本代表のベテランが活躍して、昇格争いをするようになった。
生え抜きの中に、やんちゃなやつがいた。スーパーサブ的に使われた後、チームの軸になった。
高校時代のクズエピソードのデマも、ああこいつならやりそうって思えるところが、なんとなく自分に重なって、
いろいろあって心機一転帰国する年に、チームは一部への昇格を決めた。
チームの挑戦と自分の挑戦が重なって、涙が出るほどうれしかったし、心強かった。
1シーズン目、ワールドカップイヤー。うちの10番が代表に選ばれた。試合には出なかったけど。
ワールドカップのあと、新生日本代表にあいつが選ばれて、試合に出た。出ただけだったが。
新社会人1年目の終わり、1部での2シーズン目が始まったころ、震災が起こった。
地元ではみんながあんな思いをしているのに、自分には募金することしかできない。
地元のニュースでは、チームの選手たちが自身が被災しながらもボランティア活動をしていることを伝えていた。
あのやんちゃなあいつも、いろいろとやっていたようで、心の底からうれしかった。
自分にできないことを、やってくれている。それも自分にはできないくらい大きな影響力で、
たくさんの人の支えになってくれていた。おこがましいけど、誇りに思った。
時間が流れ、なんとかシーズンが再開して、チームは好成績を残した。震災の笛wとか書かれても気にならなかった。
次のシーズンはずっと首位を走り、終盤まで優勝争いをした。その年の終わり、あいつは移籍していった。
さみしさと呆れと、ステップアップだったからうれしさもあった。
その後、チームは何とか残留し続け数年が経った。
自分にとってのチームは、2部時代は海外の、1部での躍進期は歯がゆさの、外部記憶装置みたいなもんだ。
特に2部時代の選手たちは、当時の心細さと相関して愛着が強い。妻と出会ったのもそのころだった。
当時のチームの中心にいたのが、あいつだ。
あいつは初めての移籍の後、さらに移籍したり2部でプレーしたりしつつ、昨年末で戦力外になっていた。
それが、今日、うちに帰ってくることが決まった。
海外に逃げていた自分を励ましてくれた、震災後の地元を支えてくれた、あいつが帰ってきた。
うちのバンディエラと笑顔で映ったツイッターの写真を見て、涙がこらえきれなかった。
これぞライフハック。
ろくに寝ないで仕事に行き、頭をガクガク揺らしながら眠気に耐え続けたのだが、こんなもんコーヒー飲んじゃえば解決じゃん!と思って缶コーヒーを飲んだ。
で、もう1缶飲んだらもっと頭が冴えるんじゃないかと思ってまた缶コーヒーを飲んだら、お腹が拒否反応を示した。
調子に乗るんじゃなかった…と反省しながら電車で帰宅し、いつものように全裸になってチンコを握ると、俺が知ってるチンコじゃなかった。持つだけで気持ちよかった。シコると普段の倍以上気持ちいい。
あまりの気持ちよさに感動して、満面笑顔でエロ動画を漁り、今までにないほどの幸福感に包まれながら射精した。10分後、チンコは既に準備OKになっていた。
本日のWESTival広島昼公演にて、ジャニーズWESTのオタクを一旦休むことにした。
休むといってもCDは買うし、いずれ行われるであろう次のツアーにも参戦するつもりではいる。
じゃあ何が休むんだよって話だけど、休むのは物的な話ではなくて気持ちの話だ。
2016年12月24日、人生初めてのコンサートで「私はずっとこのグループについていこう」と心に決めた。あれ程幸せなクリスマスは後にも先にもないだろうし、あの瞬間に私はいつ死んでもいいと思った。
純粋に彼らのことが大好きで、彼らが眩しかった。このグループを好きでいてよかった、濵田くんのことが好きでよかった、濵田くんの仲間がこの6人でよかったと心底思った。
しかしそんな純粋な「好き」の気持ちはいつのまにか歪んでしまった。
始まりは『おーさか☆愛・eye・哀』発売の頃だったように思う。ジャニーズWESTの並び順が変わったのだ。
それまでは重岡センターや虹色順以外の並びにこれといった決まりはなかったはずなのに、いつのまにか[小瀧・重岡・藤井]の並びが固定化された。また、この『おーさか☆愛・eye・哀』には自担のパートがなく、同三人と神山くんに見せ場となるパートが用意されていた。濵田くんには何もなかった。
それ以来、彼のポジションやソロパートを意識する機会が増えた。元からハモりパートが多い彼だったが、A面でのソロパートはこのシングルを機に少なくなったような気がする。
そんな小さなことで、そんなことを気にするなんて、メンバーみんな好きなんだからそれくらい気にするな、被害妄想じゃないのか、何度自分にそう言い聞かせたかわからない。それでも私はどんどん辛くなっていった。
私は7人一並びのジャニーズWESTが好きだった。勝ち馬しか乗りたがらない私は、適材適所で平等な彼らだからこそ濵田くんを好きになった。だからこそ並び順が変わったこと、固定化されたことが辛かったんだと思う。自分が勝ち馬に乗りたいだけかもしれないけれど。
他のオタクからしたら、自担のことばかり考えてる自分勝手な奴、7人全員を愛してやれよと思われることかもしれない。でも私は無理だった。濵田くんのことが好きなのは変わらないけれど、濵田くんのパートが少ないこと、ポジションが固定化されたこと、実際に濵田くんにあまり人気があるわけではないこと、そんなことが気になって気になって、いつしかそれが歪んだ気持ちを生んでしまった。
最終的に、他の6人に対して嫉妬のような醜い感情を向けてしまうようになった。
濵田くんが好きなあまりというより、自らの承認欲求を満たしたいがためだった気がする。
いずれにせよ、もう2016年12月24日の私はいなくなっていた。
そうなってしまってからは、応援していると気持ちが苦しくなる一方だった。こんな醜い気持ちで応援している自分も嫌になった。幸せそうな他担のツイートも、私と違って純粋に彼を応援している同担のツイートも見れなくなった。
でも、歪んだ感情になってしまっても、彼らを降りることはできない自分がいた。それは濵田くんのことがまだ好きだからだ、と信じたい自分がいる。しかし、「濵田くんが好きな私」というアイデンティティとジャニーズWESTがきっかけで生まれた人間関係のため、そしてここまでかけてきたお金と時間による意地じゃないのか?と言われて完全に否定することができなかった。どこまでも自分の感情は醜かった。
そんな複雑な気持ちを抱えて挑んだ、2月のWESTival宮城公演。生で見ればやっぱり7人全員輝いているしかっこいい。しかしどうしてもあのクリスマスほども盛り上がれない自分がいた。その後の二回の大阪公演でもそれは同じだった。
そして自分の決定的な気持ちの変化に気づいたのは今年の4月1日に入ったSexy Zoneのツアー大阪公演である。純粋に楽しかった。かっこいいケンティを見て自然と悲鳴が出た。その気持ちと悲鳴はジャニーズWESTにはなかった。
「ああ、やっぱりもう好きじゃないのかもしれない」。ちょうどSEVENTEENにハマり始めていたこともあってその気持ちは大きかった。そしてもう彼らのことを純粋な気持ちで見れないこと、好きが歪んでしまったこと、あと単純にジャニーズWESTというコンテンツへの飽きを感じた。明確に彼らと区切りをつけるべきであることを感じさせられた。
しかしそれでも濵田崇裕というアイドルを降りることはできないと思った。自分本位な醜い感情は否定できないけれど、やっぱり「好き」という気持ちが残っているのだろう。
だから私は広島公演を一つの区切りにしようと決めた。広島公演を最後に彼らに対する気持ちを整理しよう、彼らを純粋に楽しめる自分に戻るために一度彼らから離れよう、そう決めたのだ。
明確に終わらせるわけではないけれど、ここで一旦区切りをつけようと決めて挑んだ広島公演は思い出深いものになった。
「最後だからあわよくばファンサもらえねーかな」くらいの気持ちで汚い団扇を作って、まあでも案の定気づかれることはなく、呆気なく終わった1日目。ここで若干燃え尽きたところはあった。
付き合いで仕方なく、という気持ちで入った2日目。もう団扇を持つ気はなかったが、同行の友人が「せっかく作ったんでしょ!私が持つよ」と団扇を持ってくれた。席はスタンドで、スタトロが来た時にもしかしたら、くらいの距離。今まで悉く相手にされなかった私は若干諦めつつも来たら頑張ろうという気持ちだった。
そしていざスタトロが通ったとき、隣の友人の強いアピールに押され、「これが最後だから!!」と私も必死で彼に手を振り名前を呼んだ。少し離れたところに同担がいて濵田くんは彼女の「釣って」団扇に反応。もう無理だろうな、ファンサもらうことなく終わるんだろうな、その一瞬でそう悟ったその時だった。彼の視界に自分が入ったのがわかった。今までに感じたことのない確信があった。
彼は私と団扇を持って来れた友人に向けて手を振ってくれた。周りには必死にアピールするオタクがたくさんいた。それでも私の方だけを見て手を振った。
確信はあったが自身のない私は一瞬戸惑った。しかし彼はそれを察してしっかり頷きながら私に手を振ってくれた。他の同担もいただろうに、私の前を通る時は私にだけ手を振ってくれた。
「ああ、これで心置きなく最後と言える」
一瞬のその時間でそう感じた私の口から出た言葉は「ありがとう」だった。彼に届いたかはわからないけれど、本当にそれしかなかった。Twitterではネタっぽく書いたが、心の底から自然と出た言葉だった。これまで濵田くんを応援できて幸せだったな、出会えてよかったな、という素直で純粋な気持ちが久し振りに帰って来た気がした。
そして最後のコールアンドレスポンス、いつもセンターの重岡が舵をとるおきまりのコーナー。しかしなぜか今回は重岡が濵田くんを指名した。いつもはそんなこと絶対にない。自分を含めたオタクたちの戸惑いをひしひしと感じた。これはいつものネタで重岡が結局やるんだろうな、と思っていたが、本当に濵田くんの掛け声でライブが幕を閉じた。
私はこれが自分への何かしらのメッセージだとしか思えなかった。そんなわけないことはわかっているけれど、濵田くんが、ジャニーズWESTが、こんな私でもまだここにいていいよと言ってくれているように感じた。
それでも、このまま応援し続けたらまた醜い自分が出て来てしまうと思う。彼らに対する飽きが来ていることも否定できない。
だから私は彼らを応援することを休むことにした。どう言うスタンスになったのかを説明することは面倒臭いので省略するが、彼氏が一番気の合う友達になった感覚が一番近いと思う。
これから自分の気持ちが戻るかどうかはわからないけれど、一旦今の気持ちを記した。本当にいい区切りになったと思う。
マクロ的には文句なく正論だし正義なんだけど、じゃあ増田が30人の組織で29人の無能の生活費をひとりで稼いで養っていくことに同意するのかって言うとNoでしょ? この人数はどこまでもどこまでも拡大していける。ミクロ的にはこれも真実だったりするわけだよ。
そういう意味では増田こそ「口先と行動が一致してない人間」なわけだ。「無能な人を排斥するな! 社会や組織で支えろ!」といいつつその支える行動は拒否するわけだから。
「無能は死ね」ってのはさ、マクロ的に言えばなるほど社会への理解のない寝言かもしれないけれど、ミクロ的に――つまりその発言者の実感にレベルで言えば「もう限界だ。俺の能力でこれ以上他人を養うことは出来ないんだ。これ以上抱えれば俺も精神か身体を壊してしまう。これ以上俺に責任を押し付けないでくれ! これ以上俺を搾取しないでくれ! もう限界なんだ!」 そういう悲鳴でも有るんじゃないかな。
そう言い換えればなるほどと頷けるんじゃなかろうか。
半年って、寝がえり→寝返り→寝返りって、ゴロゴロ移動し始めて、本人も生きる楽しさを見出し始めて、見てるこっちもほっこりするし、うまく動けなくて泣いてても、泣いてるかわいい~~~~!!!!ってほっこりするの!可愛い!!!!
でも、おむつうんこまみれなのに、笑顔なの。そこ泣いて知らせて!!!!
人のケツの穴から、ゆる~いうんちが、ゆっくりと出てくる光景、なかなか見れないよね。
布団うんちまみれ。マジかよ!って叫んでるのに、本人笑顔なの。かわいい。許す。
ツイッターとかで、育児本当に大変って、仕事と育児だと育児の方が大変なんだからって、そういうのが主流で、大変なお母さんが、お母さん春闘をしているときに大変申し訳ないんだけど、本当に、育児楽しい。
二人目だからなのと、多分この赤ちゃんが比較的とても楽な部類の子だからなんだと思うけど。
夜寝てくれないのかな。今は3~4時間おきにおっぱい上げれば寝てくれるからすごい楽。
夜中にこっそり起きてリビングの床に筆ペンで絵を描きまくって、ノリとテープを貼り付け食器をまき散らして「ゴジラに破壊された町です」って芸術を披露したりしないから、マジで楽。育休前の妊娠8か月(まだ仕事中)にお兄ちゃん三歳にやられたときは悲鳴上げたよ。
かわいそうすぎて、「半分育休交代する?」と聞いたんだけど、「交代して、同額稼げるの?」と言われてしまった。
喧嘩うったつもりじゃないんだけど。
本当に、すごく、かわいくて、一緒にいれないの勿体ないから、交代する?って聞いたつもりだったんだけど。
本当にかわいい。
別に育児ブログとか漫画描いたりまではする気はないし、その時間もないんだけど、とにかくなんか言いたくなったので、匿名ブログに書かせて頂きました。
むかしむかし、あるところに桃太郎がいました。
ある日、桃太郎が川へ洗濯に行くと、川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」と大きくて腐りかけの桃が流れてきました。
桃太郎は興味本位でそれを持ち帰り、割ってみると、中からおじいさんとおばあさんが出てきました。
おじいさんとおばあさんはすぐさま「助けてくれてありがとう。わしらは鬼退治に行ってくる」と言うや否や裸足のまま一目散に駆け出していきました。
次の日、桃太郎が洗濯に行くと、川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」と大きくて腐りかけの桃が流れてきました。
桃太郎は嫌な予感がしましたが、桃を拾い上げて中を割ってみると、中から昨日とは違うおじいさんとおばあさんが出てきました。
「おお、ありがとう。おい、ばあさん、さっそく鬼ヶ島へ行くぞ」
次の日もその次の日も、洗濯の度に大きくて腐りかけの桃が川上から流れてくるので、桃太郎は洗濯をしに行っているのか桃を拾い上げに行ってるのかわからなくなってしまうほどでした。
「あー山で芝刈りもしなくちゃいけないんだけどな。それにしても鬼ヶ島って何だろう?」
その頃鬼ヶ島ではおじいさんが死にかけていました。おばあさんはおじいさんを守ろうとして既に亡くなっていました。
「く、くそう。これまでか…」
鬼が金棒を振り下ろそうとした瞬間「待つのじゃ!」と声がしました。そこには違うおじいさんとおばあさんがいました。
「ふん。じじいとばばあが少し増えたくらいで何も変わら…」
「待たれい!」声の方を見ると、第三のおじいさんとおばあさんがいました。その後も次々と鬼ヶ島に異なるおじいさんとおばあさんが登場し、長期戦の末、数の暴力で老人たちは鬼を撃破しました。
金銀財宝を携えて帰ってきた1000人のおじいさんとおばあさんに圧倒され、桃太郎は悲鳴と共に家を出ていきました。1000人のおじいさんとおばあさんはそのまま狭い家で末短く幸せに暮らしましたとさ。
入学してすぐ出会って3年間も付き合った同学部の彼女と先週別れた。
曰く、彼女が春休みに2週間実家に帰って地元の友達と遊んだら、その人たちがあまりにも自由に・正直に生きてることに感銘を受けたからだそうだ。
彼女とは付き合いはじめた頃から同居(というか俺が彼女の家に居候)していた。
同居してると恋人が常に横にいるから相手が何をしてるかすぐわかる。
俺はそれに慣れすぎてしまい、また、「好き」が過ぎて、彼女を段々と束縛していくようになってしまっていったんだ。
例えば、彼女の帰りが遅ければすぐLINEで安否状況を聞く、とか。
「安否状況」なんて言ってるけど、心の奥では浮気してほしくなかっただけだよ。
あと逆に、サークルの仕事が忙しかったら、彼女が部屋にいて話しかけてくれても雑に返す、とか。
そうなるとさ、彼女ってあまり話したがらなくなったり、嘘ついたりするようになるんだよね。
この「自分では歩み寄らないけど相手を束縛する」って今考えればクソ人間のすることで、彼女もそれに気付いて何度か指摘してくれていた。
でも俺は彼女の悲鳴の深刻さに気付かなくて、自分をちょっとだけ変えては、また元に戻ったりしてた。
根が面倒くさがりなのもあるね。
それで、サークルの上位職が代替わりして、俺は3月は暇になった。
その時に、昔から仲良かったオタク友達に彼女できたって話を耳にした。
陰キャのあいつにか??って思って本人に連絡してみたんだよ。
俺が驚いたのは、LINEの頻度の低さと、デートの頻度の高さ。
今まで俺は自分の彼女になんてとんでもないことをしてしまっていたんだ、って、本能を頼りに山の上に登った青年がツァラトゥストラの稲妻に打たれたような衝撃を受けたよ。
俺は彼女がいない日はほぼ毎日LINE送ってたし、デートなんか去年の秋にディズニーに行って以降どこにも行ってない。
普通のカップルはこんな感じなのか、ほんわかしてていいな、って思ったよ。
しかも俺には同居ってアドバンテージがあって、日々一緒にいる時間(朝やごはんや睡眠時間)があるのに、俺はなぜここまで彼女を束縛するのかと。
俺は猛反省して、彼女が帰省から帰ってきたらもう執拗なLINEは送らないことを決意し、また、デートプランを練った。
そして、今まで行った旅行の写真や、一眼レフで上手く撮れた彼女の写真を印刷して写真立てに飾った。彼女を大切にするしるしとしてね。
学校がなく彼女もいない期間の2週間って長くて、日々虚無をして過ごしてたんだ。
そういうところからも、普段いてくれる彼女の大切さがわかったんだよ。
2週間後、彼女が帰ってきた。
そこで、彼女から「あのね、別れてほしいの。これからは友だちになろう」……。
その時は頭が空っぽになったよ。今もだけど。
俺はもちろん反対して、本当に反省してるんだと伝えたが、彼女は「しばらく一人にしてほしい」と。
どうしても論破できなかったので、その日は諦めた。
次の日に彼女の部屋にもう一度お願いをしにいった。
……。土下座して伝えたが、断られた。
「これからは私のために稼いで、私のために生きるの」
「慈悲でまた付き合ったところで、私はもう俺くんのこと好きじゃないし」
表情と声の調子が重かった。
長くなったが、こういうことで別れたんだ。
おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
友だちか。
短い期間ではあったが彼女と俺は友だちだった。
そこからどうやって恋人の関係に持っていけたかというと、奇跡みたいな話なんだが
1. 学部の新歓1で会ってお互いにややツイ廃なことで気が合う
4. 俺が元カノとの関係を相談したら「合わないと思うなら関わらなければいいじゃん!自由に生きるべきだよ!八方美人はもたないよ!」って言ってくれてインスピレーションを受ける
昔は「出会ったのって奇跡みたいだよね」って言ったら泣いて喜んでくれたのに、今回の彼女にこれを伝えても「だからなに?思い出は思い出だよ?」。
それでな、別れた後に学部の自由スペースを通りがかったら、彼女が違う男の人と死ぬほど楽しそうに話してるわけよ。
あの笑顔は、彼女と出会ったばかりの頃と、学園祭を完遂させられた時と、旅行に行った時と、ディズニーに行った時と、そのくらいしか見たことない。
つまり恋してる目なんだよな。
気になって聞いてたらね、その男の人はファッションに凝ってて、しかも高校は地理選択で、彼女と趣味が完全に一致していた。
おまけにトークが死ぬほど上手いのよ。しかも真面目そうな見た目で。
…… 彼女と付き合ってた頃、お互いの好きなところがお互いによくわかってなかった。
彼女とのカップル成立は、高校からの開放感から来る「自由」への渇望と、入学したてのノリと、学園祭という共通の大きな目標があったからこそ成立したと、今では思う。
だって今だったらさ、俺は「合う人と付き合いたい」じゃなくて「直前まで付き合ってた彼女と縒りを戻したい」だし、手段が目的化してる。
自分を変えても縒りを戻したいってことだし、全然自由じゃない。
俺が趣味を合わせるか?これも彼女は自由意志じゃないと、結論ありきだとして、認めてくれないだろう。
しかもな、イケメンで話がうまくて趣味が完全一致 な人が、たとえ彼女持ちだとしてもさ、そんな崇高な人を一度でも見てしまったらさ、
たとえ彼女がまた俺の元に帰ってきてくれたとしても、彼女は「俺くんはこの程度だけど十分か」、俺は「俺はこの程度にしかなれないけど十分か」って、お互いに妥協するしかないじゃんか。
いやでも、これに関しては、恋は盲目だし、付き合えばなんとかなるかもしれないが、でも付き合うのが成功しなさそうだなっていうのは上で述べてる。
新しい出会い…?おれのサークル女子いねえよ。4年から別サークルは入るのも気まずすぎるだろ。
後悔先に立たずとは言うが、意識してないおまえら多いんじゃないか?
繰り返すが、おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
おれはね、アルバイトするのも、おしゃれするのも、料理するのも、部屋を片付けるのも、すべて彼女のためにやってきた、彼女がいたからこそできたことだと思うんだ。
その生きるモチベーションをだよ、自分の怠慢によって失い、しかもそれを深く反省したのに、もう彼女には反省を活かすことができない。
ところでこういう話があります: https://twitter.com/_KEN_ZEN_/status/977716389011075072
Werthers
セクハラに過敏な人ってのは、ここが戦場であることをわかってないんじゃないか?
性教育まわりで炎上してるんで持論を展開するぞ(何番煎じだろうけど)(知らんけど)
人間は成長して性徴すると性的な戦場に投入されるのが不可避なので、せめて正しい銃の撃ち方、避け方を学ばせてあげなければならない。それをしないで見過ごす親や教育者はとても酷いと思う。非人道的でしょ。だから例えばナンパのやり方と受け流し方を教えればいいんじゃないの?と言っている。あとオナテク。オナニーのやり方。
性教育せず思春期を迎えてひどいことになるのって、条約がないまま戦争やってるみたいな、第一次世界大戦で加減がわからないので大量破壊兵器つかいすぎて人が死にすぎてビビったみたいな構図と重なるんだよね。「死にすぎないように仲良くケンカしよう」っていう"程度"というものを人類は学んで、条約を作ったり大量破壊兵器の根絶を試みたりしてるわけでしょ。
日本の女性がやたらセクハラに過敏になってしまうのも、戦場であることを理解してないからなのでは?とも思う。「いや、ここは戦場だよ?流れ弾が飛んでくるのは当たり前じゃあないですか、何言ってるんですか..(困惑)」って感じなんですよね。いわゆるQBK、「急にボールが来たので」と同じ滑稽さなんですよ。ここが戦場であることを教えていないことが悪いと思うんですよ。
性的加害の正当化をしているのでは無いですよ。抑制してもなお加害はゼロにはならない、だからかわし方を身につけて、(精神的・肉体的)ダメージを低減しましょう、生存率を上げましょう。と言っているんですよ。性的自衛隊を各自が自分の中に訓練しておけ、と。
性的欲求の安全な処理の仕方を教えないのも罪だと思っている。三次元の生身の異性にいきなり触るとかダメ、ナンパして交渉せよ。性交OKの成功率を上げたければ魅力や交渉術を磨いて出直すんだな。それで間に合わないならシコって処理しろ。シコってスッキリすれば衝動も抑えられるぞ。床オナはペニスに良くないから気をつけろよ。ちんちん傷つけないようにローション使え。まんまん傷つけないよう爪切れよ。あとちゃんと風呂入って洗えよ。歯みがけよ。オナテクの宿題やったか?ちゃんと教えようよ。
そう言っているんですよ。
性教育に限らずだが、子供が生きていけるために子供を脅かすものを無くすとかいう方向性が意味不明すぎるんですよね。それ子供を弱くするだけじゃないですか。逆教育ですよ。戦場だよ? なぜ「子供を強くする」方向に行かないのか不思議でならない。どういう認知してるんだ。
なぜか「自然な食品や素材は無条件に良いもの」とされてるが、それだったらなんで人間には肝臓とかいう巨大な浄化装置が付いてるんでしょうね???? 自己で浄化しなきゃならん毒がいっぱいあるからですよ。自然界には。
世の中を見てて最近知ったんだけど、世の中には三次元とのセックスでしか性欲の処理ができない人間が居るらしくて、カルチャーショックだった。性欲をずっと二次元と向き合って自己完結してきた人生だったからね。
性欲を自己完結できない人間って、しんどいなぁ。自分が社会でやっていくための、外部への依存度が高い状態、つまり性的自立度が低い状態ですよね。それはそれで生きるのが大変そう。それって「彼氏/彼女を切らしたことがない」と豪語する人種のことなのかな。知らない世界すぎる。
それって見方によっては身体障害なのでは?とも思える。二次元で処理して自己完結する人間にしてみればそう見える。これは差別としての身体障害認定ではなくて、体がキツいなら適切な医療的措置を受けた方がいい、との提案です。風邪ひいたら耳鼻科行けとアドバイスするのと同じ。セックス依存症という精神障害もあるみたいですね。
だからセクハラ被害者の女性がmetooだので悲鳴をあげてるようなエピソードに出てくるセクハラオッサンの気持ちがずっとわからなくて、「非モテなら二次元でシコればいいじゃない」と性的マリーアントワネットになってしまっていたんだ自分は。
だけど、少しわかってきた。三次元じゃないと満足ができない人がいるのだ。
二次元で性欲を処理できない人間が、三次元という人里に出没して人を襲っているわけです。
だから、二次元の性的コンテンツを強化し、性教育によって二次元コンテンツでシコって性欲処理して自己完結するスキル、オナテクを教えることが、三次元女性への性被害を減らせるのでは?との推測ができる。
ただ、二次元で完結する悟った賢者ばかりになってしまうと、性被害者は減るだろうが、今度は三次元への性的関心が薄れていき、少子化に拍車がかかるような気もする。
タイトルのとおり。
3月30日で現任校の任期が切れて、4月2日付で80キロ以上離れた県立高校に異動することになった。
20日に教育関係の人事異動が発表されて、校内は歓喜の声や悲鳴で賑わった。
その後、学校間や教育委員会とのやりとりが行われ、「○○(教科)の先生が足りない」となり、自分たちのような非正規教員(臨時登用名簿に載っている者)に連絡が来る。
(生徒指導部長、進路部長といった分掌長を担当する場合、その先生の担当コマ数は軽減されるので、先生の人数は定数でもコマ数が足りなくなるという現象が起きる)
ちなみに、去年は3月28日に連絡が来たので、今回はかなり早いということになる。
断れるはずがない。
この県で教員採用試験を受け続ける自分のような者が、県からの内示を蹴るはずがないのだ。
今年35歳を迎えた男、独身。
「来年こそは!」と共に対策を練った仲間は、正規になったか、疲れて別の道に進んだか、自分のように毎年学校を転々としながら講師を続けているか、だ。
臨時教員の異動について連絡が来たあと、事務職員に呼ばれ、「月末で健康保険証を返却してください、翌月支給の手当があるので口座はそのままにしておいてください、任期が半年を超えた人には退職手当相当金が支給されるので別途書類を渡します」などと指示を受けた。
「今年新卒なんですよ」と言っていた若い彼女は、自分の仕事のある種の残酷さに気づいているだろうか、などと思った。
どんなに遠方に異動することになっても、正規の教員のように引越し代や赴任手当が支給されることはない。
4月2日からの任用ということになっているので、4月分の通勤手当は支給されない。
4月1日に最初の大事な職員会が開かれるらしいので、暗黙の了解で参加する。
任用があるだけマシだとは思う。
臨時教員とはいえそれなりに給料はあるので、任用がなかった年は住民税や国保の支払いにえらく苦しんだ。
いつまで続けるのだろう。
考えかけては、気を逸らしている。
自分の教え子に「体育の先生になりたい」「教育学部のある大学に行く」などと言われて、「先生はいい仕事だ!頑張れ!」と素直に言えなくなって何年が経つだろうか。
北大の売店のカフェみたいな所で、ディスプレイに流れていて見ていたんですが、非常に眠かった。そんなにCO2の排出が駄目な事で地球温暖化を進行させるといわれているのなら、事故の対策を可能な限り万全にして万が一の事故も覚悟で化石燃料を燃すのを止めて原発だけにしましょうというなら同意出来るかどうかはともかく、理屈としては通っていると思いますが。「再生可能エネルギー活用していきたいね(今はコスト割れだけどね…)」みたいな腰砕けの結論を大学で見せられるとは。
地球が悲鳴をあげています!皆さんの問題です!日本のCO2排出量は非常に多いです。生活を見直しましょう!みたいな勇ましい事を言うんだけど、みんなで考えるべきです!みたいのって、現実の前で無力過ぎる結論だと思うんですよ。別にこれ見た人が何する訳でもないですし。その割にイベントやら広報をもっとやる!っていうエネルギーが空費されそうな事には妙に積極的なのも変な感じを受けます。
女性専用車両のアレコレやら#Meetooのアレやらの話題を見ているとフツフツと湧き上がってくるものがあるのでいくつか嫌な思いをした実体験を書きます。中には20年ほど前のこともあり、未だに根に持っている、時々思い出してイライラしている、ということが伝われば…。
学校帰りの夕方。私の家から数百メートルの場所にある駐車場。見知らぬ30代くらいの男性から声をかけられ、道を聞かれた。
「僕は整体師で、整体師の会合がこのあたりであるのだけど、あの建物は知っている?」
私は男性が指差した方向がよく見えず、つい自転車を降りて駐車場の敷地内へ入っていった。
「わかりません」と答えて立ち去ろうとすると男性は「君、部活帰り?僕整体師なんだけど。何部かな?ちょっと右と左のバランスがおかしいね」と言った。
人には親切にしなければならない、を馬鹿みたいに真面目に捉えている中学生だったので、話しかけられたことにきちんと答えてしまい「はぁ。テニス部です」と言うや否や、男性は制服のスカートをめくって太ももや腰を触ってきた。
「あーやっぱりね。利き手だけを使うからバランスが悪い。もっとよく診てあげよう。あっちに僕の車があるから」と言われ、駐車場の奥の物陰へ誘われた時点でようやく「これはマズイ」と感じ、男性を振り切って自転車にまたがり逃げた。家の近所だったので強気に振り切ることができてよかった。親には話すことができなかった。
いつもの暖かい季節になると、いつものオジサンが、いつもの場所に、いつものように待ち受けていて、いつものイチモツを披露してくださっていたので、女児たちは道端のウンコくらいの気持ちで「ゲロローキモいー」でした。男児は遭遇しなかったのかな。
「誰かいる!」
個室内に潜んでいるところを見つかった男性(20代〜30代)はダッシュで逃げ出しました。逃げる後ろ姿だけ目撃しました。捕まっていないときいています。
他に交通手段がなかったので、国道沿いの道を延々とまっすぐ50分ほどかけて、自転車で高校に通っていた。国道沿いと行っても田んぼの真ん中にバーンと片側一車線。交通量は多くない。
なぜか登下校時、よくクラクションを鳴らされた。当時は交通法改正前だったので当然のように歩道を走っており、歩道には車道と隔てるガードレールがあった。
「車の邪魔にはなっていないのになんでこんなにクラクションを鳴らせるんだろう?」としばらく不思議に思っていたのだが、ある時その理由が分かった。理由は単純で、私が高校の制服を着ている女子高生だからだった。
クラクションを鳴らしながら、自転車の速度に合わせて並走され、窓を開け、ニヤニヤしながら私に向かって何かを叫ぶ運転手に、3ヶ月に1度くらい遭遇した。毎回違う人だった思う。
大きなトラックが主だった。今になって思えば、あの運転手たちは、制服の女子高生が小動物のような獲物に見えていたのではないだろうか。
休日の夜、ひとりでスーパー銭湯へ行った帰り。湯上がりの良い気分で銭湯の玄関から出た時、今から銭湯へ入る様子の60代くらいの男性から声をかけられた。
初めて行った銭湯だったので、女湯と男湯が日替わりで入れ替わるシステムなんかな?みたいなことを考えながらその男性とは別れ、駐車場へ歩いて行き、自分の車へ乗って家に帰ろうとした。すると、さっきの男性が、入っていったはずの銭湯から走って駐車場へ戻ってきたのが見えた。
ん?と思ったが気にせずエンジンをかけて発車。すると、男性も自分の車にエンジンをかけた。
んんん?
ちょっと焦って駐車券を取り出し、慌てて駐車場から出て走り出した。男性の車が後ろから追いかけてきた。なんでやねんオッサン今さっき銭湯入って行ったとこやんけ…
片側3車線ある広い道路で、10分間ほど並走された。信号待ちで隣に並ぶと、向こうは窓を開けて大声で何かを叫んでいた。
このまま帰って自宅を特定されるのは怖いので、たくさん車が止まっているコンビニを見つけ、駐車場に停めて、震える手で友達に電話をかけた。
事情を話すと、今家にいて数人で遊んでるからから今すぐおいで!と言ってくれた。友達の家までついてこなかったのでそれ以上の被害はなかったが「湯上がりの若い女」が「会話に応答した」でロックオンされてしまったのでまじ卍。
あまりにお腹が空いていたので、コンビニで買ったパンを、店の外で食べていたら50代くらいの爺に声をかけられた。
「ねぇちゃん、そんな腹減ってんのか。おっちゃんとメシ行くか」
はぁ。ちょっと行儀悪かったかもしれない。でも放おっておいてほしい。苦笑いしていると
売春を持ちかけられたのだった。
ずっとスポーツをやっていたのと、社会人になってからのパソコン仕事で整体のお世話になることが多かった。久しぶりに帰省した実家で、昔からお世話になっていた近所の整体へ行った。
小学校の時は突き指や捻挫でこの先生にお世話になっていたなぁと懐かしい気持ちもあった。今回の症状は肩こり。
先生は昔話をしながら、肩こりは腰から来ることもある、背骨が歪んでいる、と言いながら、じょじょに下へ下へと降りて行き、最終的に、尾てい骨が、とか言いながら、パンツに手を入れた。直に。
普通なら服の上からでもタオルを当てて施術をするはずなので、さすがに直はおかしいだろ、と思ったが、子供の頃からお世話になっている先生に対して何も言うことができず、だまって耐えるしかなかった。
この話を母にしたところ「あの先生、常習犯。奥さんが亡くなってからおかしいのよ。待合室、80代以上のおばあちゃんしかおらんかったやろ?」と言われた。「お母さんの友達で、60代の人、足の捻挫で行ったのに、髪の毛撫でられたって」
それから1年ほど経った頃、母から電話があり「あの先生捕まったって。ついに患者さんから訴えられたらしい」
手間も費用もかかるのに訴えてくれた勇気のある人、本当にありがとうという気持ち。他の患者からの証言が必要なら私も名乗り出る、と母には伝えておいた。その整体院は間もなく閉院となった。
一人暮らしをしていたマンションの向いにあった整体。数回通って世話話をする程度に打ち解けると、医院長直々に施術以上のことをされた。関係ない箇所をベタベタと触る、仰向けで足を回すストレッチを介助する際に、自分のイチモツに私の足が当たるように仕向ける。
上記の整体師の経験もあるので、こりゃダメだと通うのを辞めたら、やはり半年後くらいに閉院していた。
ーーー
書き始めたら一つ一つが長くなってしまい、まだまだあるのだけど書ききれない。
(整体師関連多いけど、ちゃんとした腕の良い整体師の方もいました、一応そう付け加えておきます)
女性専用車両でアレコレ言われている事に関しては、スーパーなどの出入り口に設置されている防犯ゲートくらいに考えていただけないでしょうか。自分は万引き犯ではないが、万引きをする人間は存在している。被害を軽減し、店舗を滞りなく運営するために、防犯ゲートは必要。
男の子(かわいい)が苦痛を受けて悶える様子は性癖だしめちゃくちゃ好き。
普段あんなにかわいいのに!もっとかわいくなった!って興奮する。
ギャップ萌え的な。
内臓引きずり出すタイプも読めるけど、それより分かりやすく手を折られるとか、お腹蹴られるとか、そういうのが好み。
手を折られることで好きだったことが出来なくなるとか。
例えばずっとサッカーやってたとかなら足を折って欲しい。
元の生活に戻ったあと、2度とサッカー出来ない身体になったその子にサッカーボールをプレゼントしたい気持ちがある。
ちなみに私は二次元でしか萌えない。三次元でそんなんやってたらドン引きする。
女の子のそういうのも嫌いじゃないけど。
男性向けリョナはエロとグロがごっちゃになってるのであまり好きじゃない。
この人の名前を憶えている人はどれくらいいるだろうか。
2010年バンクーバーオリンピックでとんでもないミスショットを連発し、「近江谷スルー」という、ありがたくない、かつ今でも実況スレでスルー系のミスショット時に使われてしまう隠語まで生まれた、バンクーバーオリンピックの日本のサード、かつ今の「北海道銀行フォルティウス」のメンバーである。
Wikipediaに書かれている経歴を見ればわかるが、彼女はもともとLS北見の創設者、本橋麻里とはジュニア時代からのチームメイトだった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E8%B0%B7%E6%9D%8F%E8%8F%9C
そして、チーム青森でも2007-2008シーズンから本橋とチームメイトとなり、五輪・世界選手権通じて初めて日本のカーリング代表チームがラウンドロビンを突破した世界選手権で4位に入っている。ただしこの時は近江谷はリザーブで、試合出場がなかった。
その後、近江谷は何故かレギュラーの座を奪い、それとともにチーム青森は下降線をたどり、「近江谷スルー」に繋がっていく。
バンクーバーの後、チーム青森はスキップの目黒が引退し、本橋は独立してロコ・ソラーレ(後のLS北見)を設立したが、近江谷はそこに招かれることなく、チーム青森に残った。しかし二度とチーム青森は日本代表になることはなく、2013年を以て活動を停止する。
しかし、翌2014年のソチオリンピック終了後、近江谷はなんとソチに出場した北海道銀行フォルティウス(以降、道銀)に電撃加入する。ここ数日の報道でよく目にする「吉田知那美を戦力外通告して代わりに入った」のが、近江谷だったのだ。当時、2ch(いまは5ch)の道銀スレでは悲鳴が上がりまくったのは言うまでもない。当時、実はLS北見も内紛状態でメンバーが足りてなかったが、そちらではなく、近江谷は道銀を選んだ形である。単に本橋が呼ばなかっただけだろうが。
その翌年、道銀は日本選手権でチーム結成以来始めて優勝し、世界選手権で6勝5敗と健闘した。この時は小笠原歩の相方である船山弓枝が出産のため欠場というハンデを背負っており、その割にはよくやったと言われた。
が、チーム青森の近江谷初年度と同様、道銀はこの年がピークとなってしまった。
一昨年、去年と道銀は2年連続で日本選手権で優勝を逃し、道銀の本来の目標であった平昌オリンピック出場(注:ソチはもともと目標になかった)が1年以上の時を残して閉ざされた。そして、近江谷の少し前に、小笠原の後継者候補として満を持して入ったはずの吉村紗也香は伸び悩み、今では道銀のリザーブに落ちてしまった。もう26歳の彼女に、小笠原の後釜を継げるだけの伸び目はないだろう。
結局、道銀加入時の道銀スレの悲鳴が現実のものとなってしまった。一方で、近江谷を無視したかつてのチームメイト・本橋は、メダリストをプロデュースした「名GM」として、今や引っ張りだこだ。
キングボンビー・近江谷杏菜。決して本人はそんなつもりはなかっただろうし、道銀加入後のプレーは青森時代とは雲泥の差だが、結果は「キングボンビー」以外の何物でもなかった。
小笠原・船山がもう四十路が見えた今、道銀の将来は明るくない。次は何処へ行くのだろう。