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はてなキーワード: テーブルとは

2020-12-21

カレー香り

 香り言葉にならない。

 先日、たまたま入ったカレー屋で、注文を待つ間、カレー香りはいったいなんのにおいなのだろう、と考えた。

 スパイス香りだろうか。しかスパイスとひとくちに言っても、ガラムマサラとか、コリアンダーとか、いろいろある。カレーによって使っているものも違うだろうし……。

 そう思いながら嗅ぐカレー香りは、鼻を抜け、喉を通り、お腹を鳴らす。

 待ちきれずに銀色スプーンをとると、ほんの一瞬だけ、自分実家テーブルについて、プラスチックのちいさなスプーンを握っているような気になるのだった。

 言葉にならない香りは、言葉を知らないこどもの頃を思い起こさせる。

 ものごころついたころ、家では私と姉のカレーけが甘口だった。だからきっと、スパイス香りに混じって、すこしマイルドで甘い香りがしていた。きっとそれは、私にとっていちばんしっくりくる「カレー香り」で、言葉にはしきれない、私の思い出の中だけの香りだ。

 香りはいつもそんなふうに、自分だけのものしかない。

 自分だけというのは、さみしいような、とくべつなような感じがする。

 ちいさなころ、そこら辺に落ちている石ころをとくべつなものだと思って集めていた。はじめは母にも内緒にしているのだが、そのうち、こっそり見せてあげたくなって、たから箱から出してしまう。それを見せて母がよろこぶとうれしくて、だけど私だけのたかものではなくなってしまたことに、すこしがっかりする。

 香りは見せられず、聞かせられない、私だけのたかものだ。

 同じ香りを嗅いだときには、思い出といっしょに、たから箱からそっと取り出されてくる。

 注文したバターチキンカレーがやってくると、私はカレー香りたから箱に大事しまって、スプーンを握り直す。

 

 

2020-12-20

よく食べに行ってる安い居酒屋食堂があるんだけど、

なぜか毎回隣のテーブルに座っている客が「何で〇〇が人気なのかわかんないんだけど」って話をしてる。

〇〇に入るのはヒップホップアーティストとか人気アニメとか映画とかで、しかも同一人物ではなく、毎回違う客が似たような話をしてる。

ある日は大学生が「何であのアニメ人気なのかわかんないんだけど」って言ってたり、ある日はジジイが「ヒップホップの何が面白いのかわからんのだけど」とか話してたり。

安い食堂逆張りトークには何かの相関があるのかもしれない。

2020-12-18

anond:20201217233901

在日外国人の人々を排斥する立場には回らないつもりだとしても、それは差別だ」「悪感情を持たなかったとしても、それは差別だ」

こんなの普通にある話だよねということでしかない

今回の例のように関わりがなければ本人の属性に対して悪感情を持たない(≒関わりがあれば本人の属性に対して悪感情を持つ可能性がある)ってのは直球の偏見だし、排斥悪感情けが差別ではないってのも当然の話だ

ハーフなら日本語以外の言語も話せるんでしょ?すごいね」「ハーフからかっこいいよね」こんなのは悪感情ではないが悪感情と表裏一体の偏見であり、差別

排斥悪感情のみが差別(だからそれをしなければ無謬である)っていう理解も、逆にそのことを指摘したらじゃあ何もしないことは全て差別なのか!?とブチ切れるのは低レベル理解しかないよ

後の言い訳ゴミみたいなもんなのでお前のクソ理論テーブルに乗る気はないけど

(人の心はブラックボックスなのだから実際起こってみなければ分からない!とかそんなので偏見持ってることや差別してしまうことが肯定されるわけはないよね)

日本人的な修辞表

はい偏見のもの

日本人を含めた殆ど全ての人間に対して知性を認めておりません

日本人を含めた所で外国人に対する蔑視肯定されるわけではありません



無理して長文にしようとしてガンガン人種属性に対しての偏見開陳しまくるのはマジで思考力が足りてないんやな

人が多いところを避けろと言われても。

新型コロナ感染リスクを避けるために人混みに行くのは避けましょうって言うじゃない。あれ、絶対住んでいる地域で人混みの感覚が違うよな。都心に住んでいれば日常の往来だけど田舎に住んでいたら人混み認定だろうし。

会食の捉え方や人数も、日頃接している場所や習慣で感覚違うよな。一人一人サーブされるような高級料理店で広いテーブルを囲んでやる会食が当たり前な人と居酒屋でこじんまりと皿をつつきあう会食が当たり前な人じゃ会食のイメージが違うだろうし。

医療従事者と個人居酒屋宿泊経営している人とでも感覚違うよな。あと、身近な人にどっちの従事者が多いかでも是非の判断変わってくるよな。

 

もう何がどうかよくわかんね。

絡むを判別するときユニークな英数字を表すカラム名って何が良いんだろう

例えば申し込み時に発行する英数字文字列みたいなやつ。

テーブル名_id」もなんかインクリメントのidと重複するからあんまりよくないしな…

申し込み番号って意味から「application_number」って言うのも思いつくけどと、英数字って意味じゃなくなるし…

application_code ?

request_word ?

何が良いんだろう。

2020-12-17

ダメなほうの製造業しぐさが様々な業界侵食しつつある説

そりゃフェイルセーフフールプルーフ必須だよ。間違えたら動き始めないっていう仕組みはすごいし、TypeScriptとかRustが人気の理由もよくわかる。

ツールは育っても、運用者側が「ダメな方の製造業しぐさ」をやってないか?FMEAって概念もないやつがマトモなFSFP設計ができるのか?大した影響もないちっちゃな可能性を必死で潰すのに、データベーステーブルをイチ従業員が消せる状態にしたままだったり。

製造業いたことあるパーソンとしては、人が介在するなら、起こりうることは起こる前提でやるべきではあると思ってる。電源付いたままの工作機械には、かならず誰かが腕か脚を突っ込む。だから腕脚を突っ込める状態になるとき機械内部が動かないような状態にする、は当然やるべき。でも、人が介在しない自働機械の通常動作に「人が介在したら」を折り込む必要はないのだ。その「人が介在したら」は、異常動作のほうに折り込むべきなのだ。それは良くないほうの製造業しぐさだ。その前に、人が介在しなくていいシステムを作るべきなのだ

で、最近のその他業界特にシステムやさんが、やたらと「ユーザーがアホなことしたら」にこだわるくせに、「我々運営側がアホなことしたら」を異常に軽視してるパターンが見受けられる。

めんどくさいんで具体例は書かんが、人はやらかすぞ。「俺はやらんしww」って言ってる奴は2回やらかすし、「俺はやってしまうかもしれないから気をつけよう」って奴も100%やらかす。「人はやらかす生き物だからやらかしうるところは潰そう」って奴もいつかやらかす。やらかしても大丈夫、大きな影響が出ないようなシステムを作るのがシステムやさんのやくめでしょ。トカゲの尻尾切りで満足しないで。

製造業安全屋さんをシステム屋に引っ張ってきて見てもらえ。ずさんさを散々指摘されるぞ。現場猫でキャッキャしてる場合じゃねーぞ。

2020-12-14

anond:20201214100412

自分もこないだ取引先の通夜に参列したら葬祭場の対策が「やってます感」は過剰なんだけど「いやこれ意味ねえ」ってなった

焼香だけして早々に立ち去ろうと思ったんだけど

「ぜひ精進落としにお立ち寄りください」と言われて断れずに部屋に踏み込んだ

そしたら空調万全で空気がこもりがちな部屋の窓を開けるでもなく空気清浄機だけ置いてて

ふるまい料理大皿から取る形式そのままで使い捨て手袋を渡されて「これはめて料理を取ってください」と

席は立ち席なので椅子こそないんだけどコップの配置とか「いつもの隣り合うぐらいの距離」で

テーブルアクリル衝立を置いて正面は遮ってるが隣同士は遮らず

わず「ヒイッ」って声漏れそうになった

もう怖いので誰もいないテーブルの開栓してないウーロン茶の瓶を開けてコップに二口ぐらい注いで飲んで

「これで義務は果たした!」と逃げるように去った

 

実をいうと「オンライン会葬サービスネット中継見るだけ」というのも申し込めたのだが、

いたことない業者HPからペイパルクレカ払い強制というのが安全性判断つかなくて申し込まなかった

正直「こんな怖いなら素直に弔電にしておけばよかった」と後悔した

 

会葬のふるまい料理なんて全員に簡単弁当土産を持たせるぐらいでいいと思うし

使い捨て手袋なんて世界中供給がひっ迫してて価格高騰してるものをなんて馬鹿無駄遣いしてんだよとツッコミ入れざるをえない

業者も何をやっていいのか頭が全然働いてないし、葬儀主催者にしても参列者にしても誰もが

「せいふの言ってること難しくてどうすればいいのかぜんぜんわかんないよー」って感じなんだと思う

2020-12-13

今年買ってよかったもの

Google Nest Hub

朝のラジオ体操、天気、ニュース音楽、近所のお店の開店時間やちょこっとしたこと検索せずにこれに聞く。

リビングテーブルの横に置いていて大活躍

Googlehomeは持っていたけど、画面があるのは思った以上に便利。

画面は正義

自動コーヒーメーカー

自宅勤務になってコーヒーを一日に4杯ぐらい飲むようになった。

スイッチ一つでコーヒーが入れられる手軽さを知るともとには戻れない。

もともと丁寧にコーヒーを入れる趣味はなく、淹れたてを手軽に飲めたら良い派なので大満足。

手軽さは正義

ストレッチポール

日中パソコンに向かっているので背中が凝る。

でもモノグサなのでストレッチ体操は面倒くさい。

凝ってきたな、と感じたらコレに縦に乗る。

肩甲骨の間にポールを入れて左右に体を揺らすといい感じにほぐれる。

健康正義

4Kディスプレイ

メリットはとにかく画面が広い!

左右にウィンドウを2つぐらい平気で並べられる。

から何かを比較検討したい時なんかは比較したいものを左右に並べて見比べられる。

オンラインマニュアルを参照しながら、もう1つのウィンドウで実作業したりも余裕。

ウィンドウを切り替える手間がなくなるだけでだいぶストレスが減った。

普段ノートPCを使っているのでノートPCディスプレイも含めると画面空間が本当に広くなった。

広いのは正義

アーチサポート ハーフインソール

今年買って良かったモノで一番かも。

これを使ってから日常の通常動作で体が疲れることがほとんどなくなった。

電車通勤でイスに座らなくても平気。立ちっぱなしでもぜんぜん体が疲れなくなった。

たまに10キロぐらい歩いてみることがあるけど、歩いても体はほとんど疲れない。足が裏がじんわり痛い程度。

ただし、こうなるまでには少し時間がかかる。俺の場合は1ヶ月ぐらいかかった。この辺りは個人差があると思う。

おかげで仕事から帰ってきても元気なままでいろいろと活動できるようになった。

俺はIT系プログラマから、家に帰ってきてから技術的な学習とかやったりしてる。学習するのに体は意外と重要。正直、それまでは学習しようと思っても疲れ切っていて出来なかった。

デメリットは値段。

俺がamazonで買ったのは1万円をちょっと超える。

インソール自体はいろいろ種類はあってだいたい千円から二千円ぐらいが主流で、それに比べるとダントツに高いけど、効果を考えると全然安いと思ってる。

なんせ体が疲れづらくなる。

今まで体のメンテだと思って定期的にマッサージ屋に行ってたけど行くのをやめた。必要性を感じなくなったから。

少なくても俺にはかなり合ってた。

健康はかなり正義

実家の裏山が切り崩されてソーラーパネルが設置されることになった

その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。

元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設老朽化や各種インフラ経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。

それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。

からこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。

それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。

年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。

令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。

平成震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来エネルギーから歴史教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。

現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネル推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術国威発揚煽りを受けた全廃、と言ったところだ。

どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。

実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付け中間の様な形で供与された受精遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。

(科学技術という側面において現代日本中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)

米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。

そんなことだから中間貯蔵施設という名目の、事実上最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け政府行政と大多数の国民NIMBY精神遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。

とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字候補からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。

(日本による宇宙開発の数少ない世界成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)

実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力エネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。

ただ、ひかりから降り注ぐ高密度マイクロ波分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。

安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金雀の涙と来れば宜なるかな積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。

とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代権益ホルダーとなることを選んでいった。

反対に、新規基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。

結局、ひかり設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。

結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネル3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要比喩披露した大臣メディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。

そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである

「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」

私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。

彼の父親町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前出馬を見越して付けた名前だと言っていた。

(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)

その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。

しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。

彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。

「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」

この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。

誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さら用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。

あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。

なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。

であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。

そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。

まったく、本当に大変な役回りだと思う。

返す返す、自分には出来る気がしない。

翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。

アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。

子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。

…いや、いや。

地元を出て戻らぬお前に心を痛める権利などあるのか?

よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?

もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。

もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。

帰路。

実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。

思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。

2020-12-11

狭いコミュニティで「辛辣な事を言う人間」についてと「見返す」事の脆弱性

物事には「言いかた」ってものがある。

まり認めたくない話の一つなのだが、人間には感情というもの存在する。

例えばデブが服屋に行った時に「デブは着れる服が少ないんだからこーいう服でも着てろ」なんて言いながら服を差し出す店員なんていない。「身体ラインが柔らかい人はこんな感じの服が似合いますねー」とかなんとか、外敵から種を守る綿花のように、或いは訪れた人間脂肪のように柔らかい言い回し必死に探しながらサイズが大きくて身体ラインが隠れる服は無いものだろうかとサーチして少しでも小気味よく服屋を後にしてもらおうとするだろう。言ってる事は同じで事あるにも関わらずどうやらこの違いは心象というものに大きな影響を与えるらしい。

商売に限らず人間関係というものにおいてネガティブ言葉なんぞ使うべきではない。そんな文明人にとっては真夏の晴天に太陽を見るより明かな不文律を物ともしない人種がいる。それは殊職場というコミュニティ存在し、そうでなくとも度々見掛ける事がある「良かれと思って人に辛辣な事を言う人間」だ。人の落ち度や欠点孔雀の羽のように押し広げながら恫喝しそれを悪びれもせず虫を潰して遊ぶ子供の如くくりかえす。そんな人間がこの世にはテーブルコショウの瓶に入っている胡椒の粒程度には存在する。

これが頓珍漢な事を言ってるならまだマシでコミュニティから駆除対象になるだけであるのだが、鯵刺が魚を捉えるが如く寸分の狂いも無く正論を叩きつけてくる人間がいる。得てしてそういう人間は、本人は「デキる」人間であるが為にコミュニティ地位も高く、対して言われた方はぐうの根も出ない状況に追いこまれ雨風に晒されるトタンよろしく初めは徐々に、やがて一気に錆が回ってくる。

この手の人間への対処法として、よく「見返してやれ」という意見存在する。非常に前向きな意見であるが、それは人参を吊されて延々と走り続ける馬の如く愚かな行為である。仮にその過程の上で一定以上の実力を得て相手を「見返せた」として、その相手は「アイツは俺が育てた」というハウステンボスもびっくりの花畑を咲かせそれを自身成功体験にしてしまい、また別の人間「教育」を施し悲劇再生産が始まる。成功体験がある以上その過程で心が折れた人間がいたとして「使えないヤツだった」と思うだけでそこに自らを省みる思いは存在しない。

一つだけこれを回避する「見返し」かたがある。それは相手凌駕する実力と地位を身に付けた上で「私怨」を報しめながら自身のやった事を反芻させ相手コミュニティ地位を下げる事である修羅を狩る物はまた修羅にならなければいけない。だが概ねの場合そうはいかないだろう。それまでその人物がそのコミュニティにいたということはその存在は許容されている訳であるから、「余計な騒動引き起こした」という事で自身コミュニティ地位も一緒に下がる事を覚悟しなければいけない。コミュニティに全体に対する寄与差し引いた時の総評がどうなるかは場合によりけりだ。

悲劇再生産は止まらない。

AI婚活ディストピア的な何か

俺の名前は蒼太。ごく普通の家庭のごく普通男子高校生だ。今日も退屈な授業を終えて自分の部屋に戻って暇潰しする、何の刺激もない普通の一日を過ごす。部屋に帰ったって特にすることはない。趣味動画鑑賞とゲームフリー小説読書くらい。

「紙で買ってる本も動画で有名になった小説コミカライズか。本当にどこにでもいる普通男の子って感じだね」

そういうこと。って今誰がしゃべってた?

はじめまして!私アカネ!いずれキミと結婚することになるから、今から同棲始めるね。ヨロシク!」

と、いきなりまくしたてる目の前の少女。外ハネの栗色の髪とクリっとした丸い目が印象的な、見た目も喋り方も快活そうな同年代女の子だった。

 

※ ※ ※

 

「ちょ、ちょ、ちょっと、母さん、何で俺の部屋に女の子がいるんだ?!!!

「アラ、言ってなかったかしら。婚約者アカネさんよ。今日からここに住むことになったの」

1階で在宅の仕事をしていた母さんが部屋から出てきて何事もなかったかのように話す。昔からこの人は重大なことを何もなかったかのように受け流しちゃうんだよな。寛容というか大雑把というか……

母さんの話はこうだ。去年から施行された政府によるAI婚約者マッチングサービスで、俺とアカネ92.6855%というとんでもない高い数値を叩きだしたらしい。まだ高校生ということで結婚卒業してからの話になるけど、どうせ結婚するなら善は急げということで早速家に来たんだという。

 

AI結婚相手決めるって何か変よね。ただAIの決定に必ず従う必要はない、選択肢が増えるだけだから問題ないって話だったから気にしてなかったんだけど、まさか自分の息子が影響受けるとはねぇ」

そう言うと母さんはリモート会議のために部屋に戻った。何のフォローもなしかよ……唖然とする俺を横目にアカネは「汗かいちゃったかシャワー借りるね」とずかずかと風呂場に入っていった。

 

その後も俺が状況を理解する暇もなく事態は進んでいった。アカネはあっと言う間にわが家に馴染んで一緒に晩御飯を作って食べ、夜はうちの家族テレビを見ながら盛り上がった後、「今日は疲れちゃった」などと言って俺のベッドでさっさと寝てしまった。

俺は……これどこで寝ればいいの?

母さんは「一緒のベッドで寝ればいいじゃない」なんて言うけどそんなわけに行かない。今夜は居間ソファで寝ることにしよう。

 

しかし、アカネの奴、明日から学校とかはどうするんだ?

 

※ ※ ※

 

その疑問はすぐに解決した。もううちの学校に転校する手続きは済んでいたのだった。自己紹介でいきなり俺の婚約者だと公言して教室中をざわつかせたものの、持ち前のマイペースさと人の間合にグイグイ入っていく積極性であっという間にクラス中に友人を作っていった。ただ昼休みになると友人の昼食の誘いを全て断り、今俺の隣席でお弁当を広げている。

 

AI結婚相手を決めるなんてねえ……それって正しいのかしら」

今そこで別の弁当を開きながらぶつくさ言っているのはミドリ保育園からの俺の幼馴染だ。サラサラ黒髪と色白の、まあ客観的に見ると美少女だな。ただ子供の頃からつきあっているか特別感情は湧かないかな。いつも一緒に昼食べてるけど。

「だいたい結婚って人生経験して、相手のことを知って、十分考えてからするものでしょ。こんな相手の選び方なんて不自然人間味がない」

箸を振り回しながらミドリが熱弁する。

「その人生経験相手への理解を肩代りしてくれるのがAIじゃない。事実最初に会って直感したわ。蒼太と私は相性抜群だって。例えばこのお弁当、私が朝作ったんだけどどう?昨日会ったとは思えないくらい好みピッタリだと思うんだけど」

アカネが俺のお弁当を指して言う。これアカネが作ったのか。卵焼きソーセージサラダオーソドックスながら彩りも栄養も考えられててこれはなかなかの……って思わず評論してしまった。隣でミドリジト目で見てる。俺じゃなく弁当を見ろ。

「お弁当くらい私も持ってるけど」ミドリ対応する。いや持ってきてることを対抗してどうする。自分が作ったんじゃないのか。案の定アカネに「作ったのお母さんでしょ?」とツッコまれてるし。

「とにかくこんなの不健全よ!私は反対だわ!」食べ終ったミドリプリプリ怒りながら席を立って行った。

 

この昼の出来事アカネの興味を引いたらしく、帰り道でも晩御飯でもミドリ話題を振ってきた。家族ぐるみの付き合いだったから親は色々エピソードを語っていたけど、そういえば俺はミドリのことをどれだけ知ってたんだろう。

保育園の時からとにかく頭がよく、俺と違ってSFとか社会問題とかの難しい本をいつも読んでるイメージあったな。あとは……

 

※ ※ ※

 

次の日、あんなに怒ってたはずのミドリはいつもと変わらず俺の席の隣に座った。いつもと違うのは自分の鞄から二つお弁当を出してきたことだ。二つ目は俺が食べるように言ってきたけどそんな話聞いてないぞ……というかその絆創膏だらけの指は何だ。空けてみると黒焦げの卵焼きに生焼けっぽい豚肉がぎっしり、これ食えるの、、?

「いや、蒼太のお弁当なら今日も私作ってるんだけど」アカネが横から口を挟もうとしたが、今日ミドリは負けてない。

「作っだん゛だがら゛食べでよ゛……」涙目になりながらものすごい迫力で弁当を俺の目の前に突き出す。これは断れない。今日はこれを食べよう。

「あのー、私が作ったやつ、そのまま残されるのもショックなんだけどー」

ミドリ覇気に押されながらもアカネも引き下がらない。しょうがない、こっちも食べよう。こうして2人前の弁当を無理矢理腹に詰めこんだ俺は--

 

--5限目の途中で腹を壊して倒れた--

 

「ずい゛ま゛ぜん゛、早退ざぜで下ざい゛……」

「おう、わかった。それにしても随分顔色悪そうだな、何があった?」

ミドリさんが作ったお弁当を食べてお腹壊したみたいです」

あなたが無理矢理二個もお弁当食べさせたからでしょう?!」

授業中でも喧嘩する二人。そんなことはいいから早く家に帰らせてほしい。

「「私が付き添いで帰ります」」

ミドリアカネもそう言って引かないので、しょうがいから三人でバスに乗って帰った。

家に戻った俺は自分の部屋で寝込んでいたが、どうもミドリが家に居座っているっぽい……

 

※ ※ ※

 

居間ではアカネミドリと蒼太の母親が話しこんでいた。

 

ミドリちゃんの話もわかるけどアカネさんも自分意思でこっちに来たからねえ……」

「とにかく!私はAI人生決められるなんて認めません!これ以上AIなんかに頼りすぎたら、就職も、出産も、個人意思というものがなくなります。そんな社会健康とは言えません」

別に私は構わないわ。それに昨日も言ったけど私はAI任せなんじゃなくて蒼太

「会って2日で呼び捨てしないで!それにアカネさんの意思はいいとして蒼太自身気持ちはどうなのよ!」

「そういえば蒼太の方の結婚相手の相性って調べてなかったわね」

「そこは心配ないですよお母さん。92.6855%なんてなかなか出ない数値ですよ。相性AIの相性指数の平均は……」

平均値 42.8632、中央値 28.95、最頻値 29.5!」ミドリがスラスラ答えるので若干アカネが引いてる。

「じゃあ念のため蒼太から見て相性のいい人も見てみましょうか。まさかアカネさんより高い数値は出ないとは思うんだけど」

 

そう言うと母は診断サイトに蒼太のマイナンバーを打ちこみ始めた。緊張の面持ちで画面を覗きこむミドリアカネが話しかけた。

「そう言えば昨日から気になってたんだけどさ、」無視するミドリに構わずアカネは続ける「あなた蒼太のこと好きで私に嫉妬してない?」

「そうよ」ミドリは俯きながら絞り出すように答えた。「黙ってたけど、ずっとずっと蒼太が好きだったの。だからこんなAIなんかに出された数字なんか信じない。蒼太と結婚するのは私なんだから!」

 

検索結果が表示される。先頭に出てきたのは相性値92.6855のアカネマイナンバー。決定的な結果だった。

しかしその直下、同じ相性値92.6855のナンバーが出力されていた。

「え?」アカネは大きな目を更に大きく見開いて画面を見つめる。「こんな値2つも出ることって……」

「というかこれ誰……?」母も困惑していた。

その直後、マイナンバーカードを見ながら呟いたのはミドリだった。

「この番号……私だ……」

 

※ ※ ※

 

居間テーブルを五人が囲んでいる。アカネミドリ、母さん、仕事から帰ってきた父さん、地獄の腹痛から生還した俺だ。

脅威の高相性値を2つ、それも同値で叩きだした事実にどう対処するか、みんな考えあぐねていた。

 

「あ、そうだ」父さんが呟いた「いっそのこと三人で結婚すればどうだ?」

何を言ってるんだこの父は。呆気に取られていた俺を置いてきぼりにして父さんは続ける。

「数年前くらいか結婚は二人でするもんだけじゃないって運動が盛んになってるじゃないか。もうそろそろ日本法律も変わってね、蒼太が結婚するくらいの頃には三人で結婚できるはずだよ。こういうの、選択肢が増えるだけだから問題ないって気にしてなかったんだけど、まさか自分の息子が影響受けるとはねぇ」

「アラいいわね。オープンな世の中になったわぁ」母さんも呑気に賛同してる。いいのかこの展開。

 

いいんじゃないそれ。まあ家庭的な私が居れば家のことはだいたいできるし、ミドリさんの役割いかもしれないけどね」

へぇ~、そんなこと言うけどアカネさん、あなた今日英語の小テスト、15点しか取れなかったみたいじゃない」

「ん゛!何でそれ知ってるのよ!」

「そんな調子じゃ子供教育は無理ね。私が家庭のことを見てないとどうなるかしら~~?」

 

俺の居間黄色火花を散らすアカネミドリ

そんなことを気にせず目出度いと呑気に盛りあがる父さん母さん

 

俺、これからどうなるの?

2020-12-10

おススメの電気自動車

anond:20201207153550 の補足。

電気自動車の最大の利点が毎日家で充電できてわざわざガソリンスタンドに行かなくてよくなること、そして遠出や出先での充電も想像するほど大変ではない、ということは伝わったと思う。今日は細かい利点と、おまけに今から2年くらい先までをめどに、日本で買えそうな電気自動車でおススメなモデル独断偏見でまとめようと思う。まずは細かい利点から

税金も安い

自動車取得税自動車重量税自動車税などは、それぞれの税額テーブルの一番安い数値が適応される。住んでる地域によって細かい違いはあるけど、必要税金はだいたいその地域における軽自動車と同じくらいだと思うとイメージがつくかと思う。

スマホとの連携

車に乗っていなくてもスマホから暖房を入れられる。これは地味に便利で、特に夏日や雪の中で屋外駐車をするときに大いに助かる。去年の雪の日にはガソリン車が凍り付いてる中、5分前から暖気して溶けかけた雪をさっと払って颯爽と出発できた。

充電をする時間スマホコントロールできるので、電気代の安い夜間に充電をする、などの小技も使える。

スムーズで静か

ATMTシフトするたびにぎくしゃくする挙動がないし、止まってても感じる振動もない。高速でもエンジン音が社内に響くこともないので、後部座席普通に会話ができる。音楽もよく聞こえる。


さて、おススメモデル。私は普通労働者小市民なので、ポルシェベンツアウディモデルS/Xは無視します。高級車はたぶんいい車なので、お金がある人は買って幸せになろう。なお、居住地によるが車両価格に対して40~80万ほど国や自治体補助金が使える。

日産リーフ(現行)

330万円のベースグレード(40kWh)で300㎞の航続距離があり、これくらいあれば遠出もストレスなくこなせる。が、前述のように水冷バッテリー温度管理がないため、電池劣化が早いのが弱点。そのため、中古車価格も安くなっている。買うなら中古がいい。もしくはアリアを待て。

日産アリア

日産社運を賭けた電動SUV2021年発売予定。価格は500万円からベースモデルで65kWh、上位モデルは90kWhで航続距離500㎞。水冷による温度管理もついて、リーフより高いだけある。日本車ならこれ。

テスラモデル

500万円のスタンダードレンジプラスで400㎞、700万円ロングレンジで560㎞の航続距離がある。私が乗ってるのはスタンダードレンジプラスだが、航続距離的には十分。迷ったらこれを買っとけば間違いはない。

テスラモデルY

少しだけ大きいモデル3。日本で使うには大きすぎるかも。

プジョーe-208

390万円から。50kWhのバッテリーを持っていて、現時点でコスパ的には一番いいモデルである。なお、これより50万以上高い450万円のHonda eは、35kWhのバッテリーしか積んでいない。

VW ID3

フォルクスワーゲン社運をかけて開発した電気自動車欧米版。現時点で欧州で一番売れてる電気自動車日本では2022年発売?性能的にも値段的にも、テスラモデル3に対抗してくると思われる。

VW ID4

フォルクスワーゲン社運をかけて開発した電気自動車北米版。日本では2022年発売?打倒テスラモデルYの筆頭候補

FIAT500

ルパンの愛車。欧州ではベースモデル(24kWh)が270万円ほど、上位モデル(42kWh)でも320万円ほどと、たいへんコスパがいい。日本発売時期は未定だけど、同じような値段なら選択肢に入れるべきである。見た目的には一番好き。

インスタント味噌汁のみそ

インスタント味噌汁味噌ディスペンパックにして欲しい

もうあるのかな

赤味噌白味噌をあわせて搾ったり、手軽に合わせ味噌もできていいんじゃないかと思うんだけれど

いま、市場にある大半のインスタント味噌汁は、価格帯の高いものフリーズドライブロックタイプや、ペースト状の味噌パウチにしたタイプ

味噌パウチのものでも、具が多いタイプは、味噌とはべつにフリーズドライの具が入った袋が入っている。

パウチ味噌は絞るのが面倒だし、口の部分に味噌がべったりついて、一時的テーブルに置いて、まとめて捨てるってことができずに不便。手が汚れることもある。

ディスペンパックになるか、一部あさげなどで商品化されてる、フリーズドライで粉末状の味噌タイプにならないかなあ

今以上に包装にコストが掛かるとフリーズドライ価格帯とぶつかって、だったらフリーズドライを選ぶ、ってなっちゃうのかな

2020-12-09

Markdownテーブルって絶対もっと簡単な構文があったよな!

なんかこう、ほら、もっと配列感覚でさくっと書けるような、簡単な、なっ!?

2020-12-08

anond:20201208000045

テーブルの上に置いとけば誰かもらってくね

丸亀製麺でもらえる券を捨ててるやつが結構いる

割り箸捨てるとことかテーブルの上とか

3枚集めれば卵とかとろろがもらえるからもったいない

2020-12-06

anond:20201205221927

わたしのターン!ドロー

「取り分け小皿」を守備表示で召喚

ターンエンド!

カード激流葬」発動!テーブルのお皿を全て破壊する!

あれ?

2020-12-05

マスク会食とか

ようやく行政認識も、グループの成員間でなされる会話時に飛ぶ飛沫こそがダメなのだという認識に到達した。

せっかくここまで来たんだから、不便とか圧迫感とか同じものが食えないとか、そういうのは諦めて、テーブル上のアクリル板設置を義務化しよう。

4人がけテーブルなら4つに仕切るんだ。

それを嗤うなら、レジ前にあるアクリル板なんてほとんど無意味だよ。

マスクせず喋る同士を仕切るのが最も重要だ。

そいつらが知り合いかどうかは関係ない。

anond:20201205141728

テーブル型のインベーダーとか平安京エイリアンがあってな、100円玉積み上げて連コインして遊んでたよ

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-12-04

今日おもひでぽろぽろ

がっちゃん、びちゃあ。

びしょびしょびしょ。

隣の隣のグループのニキがコップ倒したやで。

隣の席まで床も椅子テーブルも水びしょびしょや。

人がいなくてよかったな。

「置いたコップの場所が悪いんや」

ニキが悔しそうに呟いてるのが聞こえてきたやで。

あれ、なんていうの。感染対策のガードのペラペラの仕切り。

テーブルナプキン持ってニキがひょっこり顔出したやで。

ワイ将理解

コップの位置のせいちゃう。ニキがでかいんや。

肘か腰がぼこん当たったんやろ。

(店の人のせいにしたらあかんなあ)

ワイ将思ったけど口には出さんやで。

スポーツウェア着たニキは強そうやった。

ワンパン、ワイは負けるやろ。

たっぱと筋肉の量がちゃうかった。

おそろしあ。

真面目ニキは何度もナプキンでふきふきしてるけど間に合わへん。

テーブル半分拭いても椅子も床もびしょびしょ。

呆れるほどびしょびしょや。

(ニキはコップ全部倒したんか?)

せっかくごはん食べに来てるのにニキは一人でふきふきしてる。

いつまでふきふきするんやろか。

グループのもんは誰も手伝わんのか?

哀れに思ったワイ将テーブルの呼び出しボタンをみーーーって鳴らしたんや。

店員がぱたぱた注文取りにくるやで。

「へいお待ち」

「すんまへん。隣の床と椅子がびしょぬれやねん。ふきふきお願いできまっか?」

「合点承知の助」

店員はぴゅーと厨房行ってぴゅーと戻ってきた。

手にはチンペ(キッチンペーパーともいう)。

ささっとさっと椅子も床もテーブルの拭き残しも1分でクリア&ビューティホーや。

電光石火やった。

ぴかぴかやで。

ワイ将は生暖かい目で(よかったのお)と喜んだ。

ニキは恐縮して「すんませんすんません」「水倒してしもたんや」と店員にぺこぺこしとった。

一件落着や。

さあ、ニキ。腹いっぱいメシ食えばいいやで。

そうやってランチ時間は過ぎていったんや。

ワイ将、思うねんけど、食べ物落としたり水倒したらすぐ店員ヘルプ出したらええんや

店員素人の数段上をいっとる。

ささっと解決してくれるやで。

放置が一番あかん(知らんで客を通したら食べログとかで「汚い!不衛生!服濡れた!」って悪口書かれる。放置あかん)。

原状回復したくても自力回復できん、無理や思ったらすぐヘルプや。

2020-12-03

anond:20201203094004

上のゲーム例書いた者だけど,正直今の言語だとどっちも似たようなものだけど

くらいの理解問題ないと思う

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