はてなキーワード: シャッターとは
個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。
そういう人結構多いと思う。
でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。
純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。
純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。
歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。
最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。
曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。
それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。
・漫画家
こちらも同じく最終アウトプットが漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。
原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家は絵描きになれ。
一人で漫画家になれないから徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。
また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。
受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬。
・絵描き
最近数多いる有象無象の商業イラストレーターの多くは純血ではない。
二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい。
その多くが純血。
0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。
己の体をくりえいとしている。
・写真家
どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。
シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。
・映画屋
・アニメ屋
・ゲーム屋
勘違いされがちだがこいつらも偽物。
なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能だから。
商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。
ただ、産業が巨大なので中にいる人間のプライドは高く純血ヅラするものが多い。
でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。
純血の定義は一つ。
それ以外は すべて偽物。まがいもの。
純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。
そして、
純血は純血のみとしか通じ合えない。
尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。
いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。
でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。
ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタクの感想とか読んだりしてちょっと悲しかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。
でも個人的にあの劇場版はポジティブに評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。
弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観の説明を徹底的に排除していて、
そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、
そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置とかいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、
霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市そのものみたいに。
そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験を映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。
翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。
東亜重工や珪素生物など原作のキー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、
シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)
ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな「物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。
好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。
「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。
ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界だから原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。
原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。
(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作の雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性が皮肉にもそれを示しているように見える。
身近な発達障害者と左利きを見ると、左利きも人知れず生活に困難を強いられています。英語で障害は困難を意味する difficultyと言います。
なぜ左利きは健常者なんですか?
参考
世の中の製品(道具や機械、楽器など)は、右利き用に設計されているものが多い。これは左利きにとって不便なだけでなく、危険性が高い場合がある。また一般に左利き用の製品は右利き用に比べ割高であり、経済的負担を強いられる。
機械の操作ボタンの多くは(向かって、以下同)右側に配置されている。
エレベーターのボタン、パソコンのテンキーやエンターキー、カメラのシャッターボタンなど、ほとんどが右利きを前提にしている。ただし定員の多いエレベーターは左側にもボタンがある機種もある。
テレビ受像機の電源スイッチや、自動販売機の硬貨投入口は向かって右側にある。
ノートパソコンのマウスの差込み口(USBジャック)、DVDなどの光学ドライブは右側についているものが多い。また有線ネットワークアダプタのコネクタが左側に付いていることが多く、ケーブルを挿すと左側のスペースにはみ出るほか、CPUクーラーの排気口も左側に付いていることが多く、熱気が左側に排出されるためマウスを左側に置きにくい。
マウスを使用する際、メインでクリックする方を左ボタンとしている。(右手の場合に押しやすい人差し指が左ボタン、押しにくい中指が右ボタンに配置される)
電話機の受話器は左手で持つように配置・配線がなされている。右手でダイアル・またはプッシュボタンを操作したり、メモを取ったりするため。
缶コーヒーや缶ジュース等の飲み口(プルタブ)は右手で開けやすいよう、切り口が左奥方向に折れていく構造になっている。
アイロンの電源コードは本体右側から出ている物が多い。左手でアイロンをかけるとコードが邪魔になる。
机に引出しが付く場合は概ね右側にある(ただし学習机では引出し部分が机の左右どちらにも置けるものもある)。
公衆電話ボックスの折れ戸式の扉は、左手では非常に開けにくい構造になっている。
電子レンジやコインロッカーの扉は左開きであるが、これは左手で開けて右手で品物を出し入れするためである。
文字の多くは上から下への縦線と左から右への横線で出来ているが、左から右への横線が左手では書きにくい。これは習字や英語の筆記体で特に問題になる。左利きは紙を右へ傾けて字を書くと横線が左上から右下への斜線になるため書きやすくなるので、多くの左利きが無意識のうちに紙を傾けて書く。また鏡文字を書いてしまう左利きもいる。
横書きで左から右へ文字を書く場合、書いた文字に左手が触れ、乾いていないインクがにじんでしまうことがある。(縦書きやアラビア文字、ヘブライ文字ではその心配はない。)
なお左利きでも右利きと同様にペンの鞘を右手前に倒して(ペン先を左前につきだして)持つ者もおり、その場合は上記の左から右への横線の書きにくさや、横書きの際に乾いていない文字に左手が触れるといった問題が起こりにくく英語の筆記体も普通に書ける。
はさみの噛み合わせはほとんどが右利き用であり、左手では非常に扱いづらい。(刃が噛み合わない。)ただし左利き用や両利き用のはさみも存在する。
片刃である日本剃刀、小刀、和庖丁の多くも右利き用である。また両刃であるカッターナイフも左手で持つとロック部分を手のひらで覆うかたちになるのでしっかりと握ることが出来ない。
缶切りも本来は右手で引く力を利用して開けるが、左手では押し込む操作となる。(近年ではプルトップ式が主流になり、困難は減った。)
錠前、コルクスクリュー、パチンコなどは、右手で回転しやすくなっている。なおスロパチンコにはCRサンダーVという左ハンドルの機種があった[8]。
剣道では利き手に関わらず、右手が柄の鍔側・左手が柄頭を握るように指導される。
まだまだ山のように左利きは社会生活に困難があり発達障害者と同様、社会においてできないことも、右利きより得意なこともあります。人口割合もどちらも15%で日本にはそれぞれ1000万人暮らしています。困難があっても見えにくかったら障害者扱いされないのですか?
どうやら明日の27日から長篠合戦と小牧・長久手合戦の屏風が展示される様子でしたわ。
インターネットで簡単に事前確認できる情報からは分かりませんでした。
作業中のシャッターの隙間から少しだけ長篠合戦の屏風が見えましたわ
およよ・・・
代わりにデジタルで拡大して屏風絵をみれるタッチパネルを触ってきました。
兜を脱いだ姿はみんな髪型が同じですわ。
あそこに大砲を据えられたら大変なのでは?
そうでなくても木曽川の対岸に大砲を設置されると滅多撃ちですわね。
模型にあった城内の馬場で飼われている馬は二カ所あわせて17頭でした。
180度ターンの説明を読んで、どんでん返しの語原に気づきましたわ。
という気になったけれど、検索したら忍者屋敷か歌舞伎が語源みたいですわね。
道を挟んで向かいには同じチケットで入館できる「からくり展示館」が
ありました。
木の歯車やクジラの髭で複雑な動きをするからくり人形に驚きです。
自分で操り人形を操作してみれる展示があり、からくりサーカスを
ふと思い出しましたわ。
でも、いい写真を撮るためにはそれだけの準備と仕上げが必要になる。
みんなに知ってもらいたいことは、プロが写真を仕上げる上で撮影という行為は作業全体の1~2割程度に過ぎないということ。
つまり、写真一枚に対して払ってもいいと思う5~10倍の金額が本来支払われるべき報酬だ。
そういうふうに言われても今画面の前で皆がキョトンとしているのと同じで、カメラマンはつねにこのギャップと戦っている。
スマホやデジカメで気軽にパシャパシャ撮れる時代だから尚更高い金額を払うことに抵抗があるかもしれない。
でも、安い金額で良いと言うなら、結局はその程度の写真しか手に入れることはできない。
それでいいならそれでいい。それで良くない人だけが、それなりの金額を払えばいい。
ただ、いい写真を生み出すためには、大抵次のような内容が必要になる。
・ロケハン
・情報を正しく引き出すためのコミュニケーションスキルの習熟
・機材などの設備投資
・状況に合わせた機材選び
・シーンづくりのための周囲に対する協力依頼
・写真選定眼
・レタッチ
・出力
・出力機材の設備投資
つまり、カメラマン側は、受け取る報酬から逆算して、これら作業を少しずつ間引いていくということになる。
それで仕上がりを見ても大して変わらないと言うなら、それで満足する程度の理解力なのだから、高い金額を払う必要はないし、仕上がりに満足できないならもっと高い報酬を用意すればいい。
それだけのことである。
特にフリーランスという道を選んだのであれば、支払われる金額で品質を変化させるより、セルフブランディングの投資だと思って誰もが感動する写真を仕上げるべきだ。
写真で生きていきたいなら、人が感動する写真を撮れ。それでまず名を売れ。
言い方はどうあれ、先によこせというのはまったくもって良くない。恥を知るべきだ。
常に会場に20台の可動カメラを用意して5~0.01Hz(手動で調整)でシャッターを切ると同時にサーバーに転送し写真判定計算を回す。
人のカメラマンも一人用意しておいて、その写真も同様に撮ったと同時にサーバーに転送し写真判定計算を回す。
ガウシアンフィルタを掛けるか微分するかして境界線(連続値)を得る。
顔検出はSURFとかで適当に。表情検知はCNNでできると予想。
顔が検出されなければ除外。
(そもそも「欲しい写真」「そうでない写真」を訓練データにしたCNNで「いい写真」が分類できないか?)
(全身・顔強調)(二人・一人・多数)などで分類しタグ付け
主にステージ写真(ライブ、演劇、プロレス等のスポットライトと客席に向ける照明がある媒体)を専門に撮ってます。
なんとなく淡々と今まで仕事としてこなしてたけど、幼馴染みの結婚式の写真を撮った時に
『あ、私は多分この人にとって、欲しい写真を何百枚のうちのたった何枚しか撮れてないかもしれない』
って現像をしながら思いました。
仕事(ではないけど)として、私の持ってる技術を全て彼女の為に出したつもりでした。
最高の祝福を自分の持っているもので彼女に送ったつもりでした。
ブライダルは記録写真であり、そうじゃない最高の写真を求められます。
それは私の技量不足(もあるかもしれませんが)ではなく、私の視点の違いだと思います。
両増田の意見は重々わかるのですが、やはりブライダルに関しては現場に慣れている人かちゃんと学校でブライダル業界を専攻していた人に任せるべきだと思います。
同じ様に、ステージ写真はスタジオ写真を専門にしているカメラマンには多分演者が求めている写真はあまりないと思います。
お互いの欲求が一致しないのです。
写真を撮るとは、たった四角に写ったものを収めるだけの誰でも出来そうな行為ですが不思議なものです。
100人が同じ物を撮れば、違うものになる、全員シャッターを切るという共通の動作をしているのにも関わらず違うものになる不思議な行為です。
【追記】
http://anond.hatelabo.jp/20170415172249
その日は参列者ではなく、持ち込みカメラマンとしての出席でした。
基本親しい友人や親族からの以来は内容にもよるけどそれ以上の他人が絡まない限りギャラを辞退する(勿論最初から用意もしてくれない人からの依頼は断る)のと、幼少期からの幼馴染みだったのでこちらからも御祝儀を出しました。
私に撮ってほしいと彼女が式場に手配してくれました。すごく嬉しかったです。
でも私は、今まで結婚式はショーだと思っていたので参列者の邪魔にはなってはいけない事を重要と思い普段の立ち振る舞いで撮影をしていましたが、まずそもそも『結婚式はショー』という概念が違ったんだと思います。
気にしてみてると、式場カメラマンって結構グイグイ前まで行きますね。
やはり専門分野との違いを察せなかった結果だったと思います。
私の勉強不足と甘かった考えです。
ちなみに私は結婚式をやりませんでした。
東北の田舎から東京の大学に進学した女子大生です。もう私の生活は限界です。
勉強ができたし田舎が大嫌いだったから東京の大学に進学した。本当は私立の大学に行きたい学部があったけど学費が桁違いだったので諦めて国公立を受験した。
まず大学受験にかかる交通費や入学金や新居の敷金礼金は銀行から200万円借りて乗り切った。残ったお金は生活費の足しにする予定だったのに父親の昔やってた事業の借金返済に使われた。
学費の安い大学に受かった。引越し業者を使うお金も無いからスーツケースに少ない服と毛布だけ詰めて東京にきた。しばらくは服を床に敷いて毛布に包まって寝た。カーテンを買えるお金ができるまではシャッターを閉めて生活した。
大学生活一年目は、おっさんと月20万円の愛人契約を結んだ。おっさんに飽きて捨てられるまで一年間続いた。
進級して二年生になれた。おっさんに捨てられたので風俗で働いた。そしたらメンタルを病んで大学に行けなくなって留年した。
留年したら学費の免除も奨学金も止まった。また風俗で働いた。過食嘔吐と自傷癖が酷くなった。食べたもの全部吐いて15キロ痩せた。ブロンとお酒の力を借りて大学に行って単位はたくさん落としたけどなんとか進級はできた。
そして今月3年生になれた。もう風俗で働ける精神力もない。でもお金もない。オナクラで知り合って仲が良かった友達が最近自殺した。嘔吐をやめたら太った。66キロになった。キャバクラやガールズバーでも雇ってもらえない。デブ専の風俗で今までより安い値段でまた働くしかないのかな。奨学金は利子付きで月に10万円借りた。東京で月10万でなんて生活できるわけない。学費もこれからは払っていかないといけない。家賃は駅から徒歩20分の六畳ワンルームで月5万円。後期には20万円かけて大学の海外実習に行かないと卒業できない。本当は運転免許だって取りたかった。
もう自分の父親より年上の気持ち悪いおっさんに抱かれるのも体を触られるのも嫌だ。
大学で勉強して友達作って、大好きな彼氏とだけセックスをして、卒業したら英語を生かしてBOPビジネスでみんなが幸せになれる仕事をしたかったのにな。
(追記)
こんなに反応してくれる人がたくさんいるとは思ってなかった。あまりにも酷い酷いと言われすぎて、そんなに酷かったのかーって気付かされるほど。
質問があったけど、最初の200万円は国の教育ローンです。銀行って書いたせいで憶測を招いてしまってすいません。私は妹もいたから国の教育ローンは通りやすかった。貧乏家庭こそ教育ローンだと思う。使い込まれたけど。
普通のバイトは高校生の頃からやってて、東京に来てからも居酒屋やコールセンターで働いたよ。風俗はソープ、イメクラ、ピンサロ、デリヘル、オナクラを転々とした。風俗と並行で居酒屋とか普通のバイトやってる時期もあった。その結果、バイトと学業と一人暮らしの両立ができなかった。風俗を増やせばメンタルが崩れて、普通のバイトを増やせば生活が崩れた。最後の方は自傷やブロンODが酷くなって普通のバイトはできなくなった。
私は貧困連鎖を断ち切りたかった。「東京の良い大学を卒業して良い会社に入って自分の子供には不自由させないようにバリバリ働くぞ!」と思って進学した。進学さえすれば奨学金とバイトと学資ローンの200万円で何とかなると思ってた。でもそんなのは夢物語でよっぽどメンタルと体が丈夫じゃない限り、貧乏家庭は大学になんて行かない方がいいという事が分かったよ。次の人生に生かそう。これから親の助け無しでの大学進学を考えてる高校生の子にも私と同じ道は歩まないでほしいな。
身バレだけは避けたいから個別に連絡はできなかったけど、見ず知らずの人間のことをこんなに心配してくれる優しい人が世の中には沢山いるんだと思って泣きました。優しいコメントをくれた人達本当にありがとうございました。
そんな住宅街で野焼きをしている家がある。
住んでいる場所の南側のお隣さんである。(私がマンションで隣が一軒家)
住み始めてから一度も関わったことはないが、何度か見かけたことはある。
私は基本的に窓をあまり開けない(シャッターもしている)のだが、ひとたび野焼きが始まると家の中は焼けた臭いで充満する。
洗濯物だけでなく、さげている衣類にも臭いがこびりついてしまう。
とても困っているし、イライラしている。
隣の家の野焼きが法律や条例に引っかかるかはさておき、この住宅街で野焼きをすること自体非常識であると思わないのだろうか。
畑にとって野焼きは重要であることは理解できる。(そもそも隣は畑ではないが)
しかし、それはあくまで“近隣住民に迷惑をかけないこと”を前提に行うものではないだろうか。
雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。
静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。
世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜のライトアップをしている。
知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。
ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。
寝椅子に近い座椅子に腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。
感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。
お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇の香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。
素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼
その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラのシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。
じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。
ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い。
照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。
延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。
RainyMoodみたい、眠い。
寝た。
羽織ったままだった外套が背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい。
先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。
見た。立った。帰る。
夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、
ほんとに見てないのだろう。
今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。
帰りは一段と寒さが増していた。
「俺がそこにいた!」
初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い
『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ
これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある
つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる
だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる
自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井は映画監督を目指していたそうだが、
カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける
だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう
その対象が持っていた熱や存在感、当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まりを向井は冷たいと感じた
そういった客観性の集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる
語り手の俺が登場人物としての俺や少女を描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか
ではザゼンだとどうなのか
カメラの技術が進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳のカメラ技術もこなれてしまった
だが、世間の当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動)
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
だから語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない
そこで向井はリフレインに注目する
同じ場所で言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマ一コマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常)
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井はカメラのシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ
とはいえこの主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代は当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色も自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写の対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在のザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか
ブログもツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ
証拠を集めるのに子どもの同意を取り付けるのが一番の難点だろうね。
スマホはボイスメモやカメラなどの機能を咄嗟に起動して使えるようにしておこう。
(ちなみにXperiaはスマホ側面のシャッターキーを長押しするだけで録画が開始するよう設定可能。)
そして、明白な証拠が残せそうなことがあれば恐れずにその光景を録画させるよう言っておこう。
録音は加工や文脈での言い逃れが聞くが、映像だと言い逃れは不可能。
秘密録音は不法侵入になる場所や裁判所を除けば問題ない。完全に合法とは言えないが、ストーカー目的などを除けば違法ではない。
ただし、その録音の内容を漏らせば違法になりうるので、警察や弁護士など必要性を認められる人以外に聞かせてはならない。
撮影も脱衣所など裸になる場所や不法侵入になる場所を除けばグレーゾーンだが、明確に違法ではない。これも不特定多数に公開厳禁。
婚活マジメにやり始めたアラサーのオタクだけど、一般の婚活で趣味を存分にアピール出来ないのがもどかしくて思い切ってオタク系街コンに参加してみた。
ちなみにアニメはそこそこ観てて、声優や作監にもそこそこの知識があって、好きな作品は円盤買ったりフィギュア買って家に飾ったりしてるので一般の友人は滅多に家に呼べないけど、クリエイティブな事は一切してないタイプのオタクです。
形式は、飲食店ワンフロア貸切で、4人掛けテーブルが並び、食事はバイキング。
今回は人数の関係上、30分で女性が移動していくタイプのパーティーでした。
■良かった点
① 安心できる
全く見知らぬ人たちばかりだけど、みんなオタクなんだと思うと話す前にちょっと親しみ持てるので、普通のパーティーよりも会話を始めるハードルが低かった。
あと、コスプレしたスタッフさんも会場内にいて親切に対応してくれたり盛り上げてくれてて、感じの良い雰囲気だった。
プロジェクターで延々アニメOPが流れてたのも、話のきっかけになってよかったかな。
② 思ったより普通だった
私が参加した会は総勢150人超だったんだけど、ざっと見た感じ、男女問わずいかにもな容姿のオタクは少なかったように思う。普通に、大学の地味目なサークルの集まりみたいな感じ。
あと、男性陣もそこそこ気を遣ってくれる人も多く、好きなものの話はしてくれるけど、こっちの話も聞いてくれて、和やかに話が進む場面が大半だった。
また、事前に好きな作品や系統を書いた自己PR文を送り、印刷されたものが冊子として参加者に当日配られていたので、それを見ながら話を広げたり出来るのもよかった。
飲み物を取りに席を立つこともあったけど、他のテーブルも和やかに会話が弾んでるところが多かったように思う。
③ 二次会もよかった
こちらも参加者がそこそこ多かったようで、一次会と会場が離れてたこともあり、集団でみんなでぞろぞろ行くのか…?と思ったけど、エレベーターで生じたタイムラグとかでいい感じに散り散りにみんなが会場を目指す感じになっていたのと、二次会受付が会場となる別ビルの地下にあって目立ちにくく、またスタッフさんのスムーズな対応で早々に会場に入れたこともあり、繁華街の中でもスマートな移動が出来ていたように思う。
ドリンクオンリーのフリースタイルな二次会で、自由に参加者同士話せるので、ここで気になった人に話しかけたり盛り上がってるグループなども散見された。
狙ってた人が二次会にも来てたならいいチャンスだったと思う。
一次会では話さなかった人が、自己PR文と名札を見て話しかけてくれた場面もあって、真面目に参加してる人も多いんだなぁという印象を受けた。
一次会と二次会と合わせてそれなりの数の人と話せたのは、まぁよかったかな。
■気になった点
事前に知れる情報が少ない
私が婚活に重点をおいて参加してたからかもしれないが、プロフィールとして、年齢や職業や現居住地くらいは提示されててほしかった。勿論男女問わず。
年齢が分からないと真剣な交際に発展する気が相手にあるのかどうかがそもそもはっきり分からないので、踏み込んで親しくなっていいのか迷った。
個室パーティーはあるけど街コンには参加したことないので、この要望が的外れだったらごめんなさい。
このイベントに関して気になった点はこの1点くらい。
① 食べ物はきれいに食べろ
女性が移動する形式だったので席を何回か移動したんだが、終盤になっても小皿に汚く盛り付けられた食事が残ったままの人がいた。
片付けますか〜?って聞いたら、いやまだ食べるんでいいでしょとか言われたんだけど、お前らと他の女達が食い散らかした残飯なんか絶対手つける気しないし、てかそもそも食べ方汚くてテーブル汚れてるし、その上に自己PR冊子とかそのまま置くからパスタの油で冊子汚れてるし。
会費払ったんだし、たくさん食べたい気持ちも分かるけど、小分けに何回か取りに行くとかしてさぁ。
初対面の人との食事な訳だから、もっと清潔感に配慮して。クチャラーとか以前の問題だよ。
割とオタク〜な外見の人と話をした後に、話し終えて速攻話しかけきた奴が、あいつちょっとイタくない?同じ男からみてもあれはないんだよね〜、で、はあぁ???ってなった。
一般寄りの感覚ちゃんと持ってますアピールかもだけど、初対面の人に対して、他人をこき下ろして相対的に評価を上げようとする方が屑でしょ。
あと、〇〇はこのジャンルの中でもカスなんだよねーと唐突に話題に上がった作品を批評してきた奴もいて驚いた。
ネットでよく見るくそみたいな批評をする人ってほんとに実在したんだって感じ。
空気悪かったんで別の話題を出したらそれもそれで批判してくるし、物知りな俺すごくないアピールもほんっとにやめた方がいい。初対面でやることじゃないし、自分の印象しか下げないよ。
こういう典型的な勘違いオタクは、本気で出会いを求めるなら、絶対1回は普通の街コンなり婚活パーティーなり行って、一般の男性の気遣いを見たり、女性の反応をみて色々学んだ方がいい。もしくはハイスペックになって札束で女を呼び寄せるしかないんじゃないかな。
すごく感想長くなってしまったけど、全体としては初参加でそこそこ楽しめました。
いいなと思った人とは連絡先も交換できたし。
街がある
道がある
ふと見ると道に座りだす者がいる
通行の邪魔になったりしている
歩く人々、その中には様々な年齢、性別、容姿、職業、服装、体臭
座っていた人は立ち上がってビラを配っていた
ラーメン屋がある
うるさい
足取りの軽い女のヒールは美しい。
その後ろにはトロトロ歩いているお婆さんがいる
遅い
さらに遅いのが来た
腹が減る
だが、見た目は良い女である
そこに脂成分多めの親父が横を通過する
美女を撮ろうとしたのに、脂親父が前を通るし暗がりでシャッターを切ったのでブレた
親父がブレた!美女は写ってない!!
おっ親父が焼き鳥屋に!!
脂は伊達ではないことを知る
夜10:30
子供が一人で歩いている
塾だろうか
先程のような人々が全員、足早に歩いている
早く帰りたいのだろう
駅員は外人と揉めている
呑みに行った
そこに異国の女性がいた
何か違う魅力にため息が出た
だが香りは覚えている
酔った足取りで撮ってみた
碌でもない
梯子
彼は憤っていた
インテリジェンスについて学んだ
冷静で熱い奴は嫌いではない
梯子から放水
ストッキングを久々に見つめる
網目が大きいやつだ
引っ張ってみた
素晴らしかった
始発で帰る
商店街にはひと気がない
そこを歩いている毛皮の人間がいる
ビール片手に
彼女はビラを配っていた。
「それどこ大賞」の審査員の末席をつとめさせていただいたのですが、
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/12/22/110000
実は当初、審査コメントの文字数このくらいでよろしく、という指示をすっかり見落としてしまい、最初に間違えて書いたロングバージョンがありまして、せっかくなのでここに公開しておきます。受賞者のみなさんおめでとうございます。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2016/10/12/220000
「買い物で人生が変わりました」と言われても「それはまあそういうこともあるだろうな」としか思わないかもしれません。「買い物がテーマのブログコンテストなのだから、一番ど真ん中だよね、あざといよね」と穿った見方もできるかもしれません。けれど20年にわたる人生の変化と、その中心にあった買い物とをこれほど簡潔に描き、心から「ああ、買い物で人生は変わるのだなあ」という感慨をもたらしてくれる記事は、これを除いてほかにありませんでした。
「45で買ったストラトキャスター」という素っ気ないタイトルの「45」。その〈価格=45万円〉を表すようにも読めなくはないけれど、冒頭2行ですぐ、筆者にとっての「45」が〈年齢=45歳〉であることがわかります。「35で転職。37で離婚。/それから8年が経っていた。」。そして3行目に「子どもと妻がいなくなった生活。」と続きます。わずか2~3行に濃密な行間を含み、 id:aonbo さんの10年間のほんの一部が明かされます。
10年前、臨時収入を手にした、ゲームが趣味の45歳。「(うーん、このお金で何か自分にごほうび?)」の「自分にごほうび」という表現も、ちょうど10年前っぽい気分です。そんな中、とあるきっかけが id:aonbo さんに「(そうだよな。もうオレ45だよ。ゲームはそろそろやめようかな。)」と小さな一歩を踏み出させ、そこから一本のストラトキャスターを買うことによって、物語がはじまります。こうやって生きていけるのだな、と思いました。この記事は、ひとつの小さな人生賛歌です。
ところでこの記事、読後感は「ああ、人生」という感じなのですが、実は「人生」ということばは一度も出てきません。一貫して「生活」と書かれているところにも、ご本人のパーソナリティが感じられます。ぜひ賞金の30万円で、また次の10年の「生活の楽しみ」になるような買い物をしてください。おめでとうございます。
http://akasofa.hatenablog.com/entry/2016/10/19/182759
つい「買い物」だけで満足してしまうことも多いですが、あくまで「買い物」はスタート地点で、使いこなせるようになっていく歓びこそが醍醐味なのだと感じさせる記事でした。「上達」を言葉で伝えるのはむずかしいですが、「カメラの上達」を伝えるのにブログというメディアはぴったりですね。
親バカ目線と子どもの目線がちょうど交わるところに結果としての写真がある、という感じもほほえましかったです。親が「美大生」とか「サブカル」とか評するにつれ、「最初は美大生も、子どものような純粋な好奇心のもとにシャッターを切るんだな」ということにあらためて気づかされたりしました。
子どもの視点からしか写せない写真の魅力というのもありますね。子どもに使い捨てカメラを渡して撮られた写真だけを集めた『Childlens』(リトルモア、2003)という写真集があります。このまま id:akasofa さんのお子さんのカメラの腕がさらに上がっていってついにプロの写真家になったりしたら、その上達していく軌跡をまとめた写真集をぜひつくってください。ぼくは買います。
http://walking-gourmet.hateblo.jp/entry/2016/10/15/164806
『買い物』することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう」というストレートな書き出しから、その「楽しさ」のルーツとして、子どものころの買い物の記憶、それと結びついた場所の記憶を辿る旅なのですが、行き先がまさかの「屏風浦」。id:s06216to さんがご存知かどうか定かではないですが、「赤い電車」を歌ったくるりのもうひとつの京急ソングとして、その名も「屛風浦」という隠れた名曲があります。ぼくの「屛風浦出身という人もいるのだなあ」というどうでもいい感想は本当にどうでもいいのですが、ノスタルジックな主題からしてもBGMとしてこれほど最適なものはないので、よろしければぜひ「屛風浦」を聞きながら読んでほしい記事です。
迷いながらも、風景をたよりにこっちかなと進んでいく感じ、「久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれどぼんやりとした記憶を頼りに歩き始めた」という感じが、写真もとてもきれいで、鮮やかに描かれています。ぼくも久々に自分が通っていた駄菓子屋に行ってみたくなりました。住んでいた部屋や遊んだ公園はなくなっていた、そして、探しものも見つからなかった、という話で終わるのかと思いきや……というところもよかったです。ちなみにぼくは、一枚20円のころでした。
少し前のことだけど初めて宅配搬入、宅配搬出を初めて利用した。
前に書いたスタジオYOUで同人誌を委託した話はこっち→http://anond.hatelabo.jp/20160808151953
■申し込み
まずは通常のサークル申し込みを行う。いつもオンラインで申し込む。
■搬入
◇準備
まず手頃なダンボールを用意する。
そこに既刊やグッズを梱包。
◇郵送
その中にダンボールの側面に貼る紙(今回は黄色かった)が入ってる。
イベント名、スペース名を書いてダンボールにガムテープでべたりと貼った。
スタジオYOUから届いた封筒の中に搬入についての項目がある。特に下記は要確認。
・どの日にちに届ければいいか?(3日間指定があって、どこでもいいとのことだった)
・宛先
レジで「元払いの伝票下さい」と言う。
ボールペン借りてその場で宛先などを書く。宛先は封筒の中の紙参照。
紙取り出すのめんどくさかったので写メってから行って、それみながら書いた。
2日目に届けてもらおうと思ってコンビニに行ったら「今日は集荷終わったのでその次の日になります」と言われてヒヤっとした。
3日目に届くことになったので問題はなかったけど。
送るときは早いに越したことはない。
伝票の控えは当日使うのでとっておく。
◇当日
イベント会場の受取場へ行く。受取場は封筒の中の会場図に書いてあった。スペースによって受け取る場所が違うらしい。
入場してすぐ、キャリーを持ったまま向かった。
伝票控え見せてくださいと係の人に言われるので渡す。
手順がわからず、不安で早めに行ってしまったけどそんなに時間かからない。
■搬出
◇準備
どこから搬出すればいいのかわからなかったが、イベント終了間際にアナウンスがあった。
終了間際になるとシャッターが1つ開くので、そこで集荷を受け付けてるとのことだった
(間違えておかえりのクロネコヤマト宅配サービスってとこに聞きにいってしまった。そっちは一般参加者且つプレミアム会員向けのサービスだったらしい)
時間は、今回のイベントでは15時に搬出受付を締め切るとイベント中にアナウンスがあった。
なので14時過ぎたくらいからぼちぼち準備を開始した。
私はガムテープ持参していたが、搬出口にも置いてあったような?あまり覚えていない。
◇搬出口へ運ぶ
1個だし、それほど重くもないが、手で持ち続けるのは地味に大変だと思ったので、
他の人は台車に乗せていたり、手で持っていた。
◇搬出口
搬出口に着くと、元払い伝票、着払い伝票が用意されていた。
ボールペンもあった。
送り主部分は「同上」でOKだった。
◇列に並ぶ、会計
その伝票と、ダンボールを持ったまま列に並んだ。
伝票は貼らずにそのまま。
列は元払い列と着払い列があった気がする。
すごく並ぶ訳ではなく、せいぜい10分弱くらいだったような。
前の方に行くと、長机があって、そこに荷物を乗せて係員に重さ測ってもらう。
伝票を渡し、料金を書き込んでもらう。
そのあと列の並んでると会計場が見えてくる。そこで先ほどの伝票を渡し、料金を支払って完了。
一眼バリバリ使ってる人でも、出来上がった写真はスマホと大して変わらんとか言いはじめて頭痛がしてくる。
そういう人は意味もわからず一眼買って、市場活性化に貢献してくれたらいいと思います。
所有欲を満たすことも大切なこと。どうぞどうぞ。レンズ沼はこちらです。
一番に言われるのは画質の違い。
で、これをわからんと言っている人ははっきり言って一眼レフを使う必要がない人です。
言い換えると、写真を撮るということイコールシャッターを切ることと思っている人。
そういわれてピンとこない人はカメラ向いてない。スマホで撮ってSNSにアップして狭い世界で駄サイクルを楽しんで下さい。
カメラというのは、基本的に全て絵作りがされています。これは例外なく全てのカメラがそう。
細かい話は端折るけど、理由は単純。今の技術では現実に存在する全ての要素をカメラで写しきれるわけがないから。
わかりやすいのはダイナミックレンジや色空間。それでわからんて人は勉強してこい。
さらに、ただでさえ絵作りされている中でデジカメが画像データを作成する上で現像という避けて通れない過程がある。
それをカメラ内でしている人は、さらにカメラメーカーの意図による絵作りがされた写真を撮っていること。
もう少し言えば、RAWデータ撮影、現像という行為をしたことがない人。
つまり、画質の違いがわからんという人はこのあたりにいる人たちと置き換えて支障がない。
メーカーは、撮影された写真を少しでも綺麗と感じてほしくてあの手この手で元の写真をカメラ内でいじり倒します。
その傾向の違いによってメーカーの好き嫌いが別れたりするわけです。
そうして作られた写真を見て、画質の良し悪しを議論しようとしても、それはカメラそのものの画質について議論しているのではなく、処理ソフトの性能について議論しているに過ぎません。
つまり、君たちはカメラの話をしているようでソフトウェアの話をしていたというわけ。
そんなものは同世代のカメラ並べて大差があるわけがないし、スマホがその性能を上回ることがあるのも当然といえば当然。
そうやって作られた写真をさらにレタッチしておりじなりてぃとか言ってしまうのよね。うぇーい。
以上。コレで納得できた人は帰ってよし。
でももし、写真を撮るということイコールシャッターを切ることとから脱したい人は、これから先に目を通しておくことをお勧めする。
頑張ってまとめてもこの長さだから無理強いはしない。早く帰れ。
中級機以上のカメラに備わっている機能で、最近ではスマホでも撮影できるようになった。
それこそカメラの素子(フィルムにあたるもの)の性能と、レンズの性能、絞り、シャッタースピードだけで作られた色すら決まってないデータです。
写真にするのに現像という作業が必要で、その差によっては出来上がりの違いに大きな差ができてしまうもの。
カメラの仕組みを理解していないと結局カメラ任せの現像と同じものかそれ以下になってしまうという、まさに初心者お断りながら基礎的な仕組み。フィルムのままでは写真にならないように、これをしないとそもそも写真は出来上がることはない。
でも写真なんて綺麗ならいいんじゃね?って思った?
おめでとう!その通り!それこそが消費者の本音!クライアントも同じこと言う!言うよねー!
だから最初から言ってる通り、そういう人には一眼レフは必要ありません。
スマホで撮って、あとでぼかしエフェクト入れるのが一番安いし綺麗で簡単。
だけど、表現したい人は違う。
メーカーが作った絵作りに乗って、それが自分の作品だなんて口が裂けても言わない。
最後まで人の作ったものの上に乗っかることしかできない世界だけど、少しでも多くの要素を自分でコントロールしておきたい。
そんな人のためにあるのが一眼レフであり、RAW撮影という機能のついたカメラ。
それで、その基本となるRAWデータの画質は、カメラの性能=価格に基本的に比例する。
それが分かる人のために、高いカメラは存在するし、それがわからない人がどれだけいらないと言ってもなくなることはない。
これはレンズにも言えること。
交換レンズもものによって同等のスペックでも価格が全然違ったりする。
違いがわかる人、そういう性能を求めている人がいる以上存在するもので、それがわからない人には不要なもの。それがわからない人は沼に落ちる。それが分かる人の養分になるために。感謝。
まとめると、出来上がった画質はそれほど大差ないということ。
だけど、そこに至るまでに通る道筋や目的が全然違うのだから、そもそも議論が不毛だという結論。
それがわからない人間だけがとやかく言っている問題で、プロが見分けられなかったからって、それはそれで優れた性能ですねって言うだけの話。
もちろんダイナミックレンジやノイズ量、ボケ味などカメラの価格に比例して有利になるものはある。さらにこれは光学的な問題なので物理的に解決することはできない。
ただ、それだからといって写真的に優劣が生まれるかどうかは別。
特に写真には撮影者と被写体の関係性が色濃く現れるもので、写真の評価はどちらかというとそちらに重点を置かれる場合が多い。
そうなればそもそも画質に対する議論なんて不毛そのものでしかなくて、つまりは撮りたい写真に応じた機材を選べばよいということになる。
ただし、そうしたコンパクトで安価なカメラやスマホに比べて、基本的に高級なカメラには圧倒的な違いがある。
決定的瞬間とはまさに瞬間である。
その瞬間を逃さないためには、カメラに高い信頼性が必要となる。
起動の速さ、ピントの精度と速度、連射速度、バッファ枚数、カメラにおけるシーン判断力、あらゆる要求に答えるシャッター速度、暗所における感度とノイズ量、長時間露光に対するカメラの安定性、カメラの操作性、要求に応じたカスタマイズ性、過酷な環境下で耐えられる堅牢性、、、数え上げればまさにキリがないほどの機能がカメラには集約されている。
それに価値を見いだせない人間にしてみれば、高級カメラを買うということはまさに無駄遣いでしかない。
しかし、様々な環境下で失敗の許されないプロが機材を選ぶとするならば、どちらを選ぶかは言うまでもないことだ。
様々なプロがいる中で一眼レフを選ばないプロも当然存在する。それはつまり自らのニーズを正確に判断できているからの選択であって、だからといってプロすら一眼レフを必要としないという結論にはなるわけもないのだ。
カメラメーカーもその辺を曖昧にすることで素人に高級機を売ろうとするのもわかるが、そろそろこんなつまらない議論には終止符を打って頂きたい。
結局はこの辺のことを理解できない層が虚栄心やら妬みなんかの薄汚い感情で、目を輝かせる初心者立ちを追い払っているのが現状ではないか。
そもそも機材は自由だ。
自分がいちばん使いやすいもの、愛着を持ったものを使うのが一番だ。
それでもし、進んでいく先に不満や問題を抱えたのであれば、具体的な悩みを持って色々なお店や信頼できる経験者に相談してみるといい。
もしかしたらそれはカメラではないかもしれない。でもとにかく探すことが大切だ。
カメラ店以外にも、色々な思いつく限りの売り場を回ってみよう。
そうしてはじめて、自分の表現を自分でコントロールしていると言えるようになる。
それは、どんな高級なカメラを使って表現者を気取ることよりも大切なことだ。
はじめに、写真を撮るということイコールシャッターを切ることではないといったのはそういうことだからだ。
表現とは道具の選び方から始まっているし、被写体との関係の築き方、撮影状況に合わせた機材の選択、そのための下見や事前準備、現場に合わせた状況判断、一瞬を逃さないための機材の習熟度、撮影後の現像による仕上げ、人の目に見せる瞬間の演出、運など、数え切れないほどの目に見えない労力を投じてはじめて完成に近づけるものなのだ。
あとの言いたいことは前回とおんなじだ!
フラットデザインの流行以降思うようになってはいたんだけど、iOS10になってさらに強く感じてる。
自分やこの記事を見るような、そのデザイン以前から使ってる人やPCスマホ等に慣れてる人なら感覚的に使えるし大した問題はないんだけど、
還暦をとっくに過ぎたうちの父親(PCやiPadでニュースを見たりはできる程度)のような人にとってはどんどんわかり難くなっていると思う。
さっき父が仕事(自営業)で紙の書類と地図を取引先にメールで送りたいからやり方教えてくれと言われて教えようとしたんだよね。
んでスマホやタブレットのEvernoteや専用アプリとか使えば良いんだけど、とりあえず普通にiPadのカメラで撮ってそのまま添付するのが一番簡単かなと思って
写真撮らせてGmail起動させたまではいいけど、添付ボタンは薄い灰色のクリップアイコンだけだしカメラロールから写真を選択するのはなぜか最後英語だし、
送信ボタンは飛行機アイコンだし、こりゃ慣れない人が一人でやろうとしても無理だわと思ったのでした。
あと標準のカメラアプリも、よく母親がiPhoneで写真撮ろうとして間違ってスワイプしてて動画やタイムラプスとかになってたり、いっつもシャッターボタン押し過ぎてバースト連写してる。
なんかiOSの例ばかりになってしまったがAndroidでもWindowsでも似たような傾向だと思う。
現実世界の方でもセブンのコーヒーの機械が話題になったりと色々あるよね。(最近のやつはいつの間にかちょっとわかりやすくなってた気がする)