いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。
でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。
ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタクの感想とか読んだりしてちょっと悲しかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。
でも個人的にあの劇場版はポジティブに評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。
弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観の説明を徹底的に排除していて、
そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、
そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置とかいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、
霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市そのものみたいに。
そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験を映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。
翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。
東亜重工や珪素生物など原作のキー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、
シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)
ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな「物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。
好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。
「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。
ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界だから原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。
原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。
(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作の雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性が皮肉にもそれを示しているように見える。