はてなキーワード: 綴りとは
出勤したらレジに長蛇の列が出来ていた。10分以上早くに着いたが、着替えるなり早く来てくれとせっつかれてフロアに出た。すると2レジの自動釣銭機が詰まって、1レジだけで対応していた。1レジは新人大学生バイトのFさんが担当していて、年配の男性客が騒ぐ大声が店内に響いており、結構地獄な状況。
こりゃちょっと見るくらいじゃ済まないと思い、忘れないうちに勤怠を打って(10分以上前に打つのは本当はダメなんだけど)、壁にかけてあったマニュアルを持って戻った。
マニュアルは見えるところに掛けられていたというのに、2レジ担当者はテンパり過ぎてマニュアルを読んでも目が滑るだけだったようだ。わかるー。私も当事者だったら、マニュアルが目の前にあるのに対応出来なくなる。
マニュアル1ページにある通り、釣銭機を開けてチェックポイント①と②を指差し確認したら、詰りは観られなかった。2レジ担当者はここまで読んでどうしようもうダメだと思っちゃったらしいが、マニュアルは数枚綴りになっており、一枚目を捲ると、チェックポイント③という項目があった。「釣銭機の◯◯◯(防犯上の理由で伏せる)の部分を確認する」私も釣銭機の深部にお札が詰まる経験なんかしたことないから、こんな所に札の詰りポイントがあるのか!とちょっとびっくりした。一目でお札が斜めに挟まっているのが見てとれたので、それを引き抜くと、たちまちレジは復旧した。
あー良かった。と思い、釣銭機を元通り畳もうとしたら、2レジ担当者は、
「ありがとうございます。増田さんは1レジのヘルプについてていいですよ」
一瞬、何言われたのかと思って言葉に詰まってしまった。なにせ相手はマスクをしている上に、元から声が高くてか細くてぼそぼそ喋る。
「だ・か・ら、増田さんは1レジのヘルプに行ってくださいっ!!」
怒っているのに声がか細く小さくぼそぼそ、聞き取りヅラさ半端ない。それを思いっきり眉間に皺を寄せて言うのだ。ヘルプに行けったって、当店のレジは半セルフレジで、袋詰めもマイバッグならお客様が自分でやるようになってるので、店員は商品をスキャンすればあとは手持ちぶさたで困るくらい。何をヘルプしろと言うんじゃ。てかこの釣銭機、今触ってる私がそのままレジに押し込んだ方が手っ取り早くね? と一瞬思ったが、こういう人ほど怒らすと面倒くさいので素直に1レジのヘルプに行ったが、案の定立ってるだけしか出来ないのでしんどかった。
2レジ復旧と同時くらいに、喚いていたお客様の順番が回ってきて、1レジまでやって来たが、お客様は一転してニコニコ上機嫌になる。1レジ担当のFさんは気立ても器量も抜群にいい。ついでに私も端っこにいて、女子二人に迎えられてお客様は顔面がとろとろにとろけていた。
「これだからもー、最新式の機械っつーのはアテんならないのォ!」
なんつって、お客様は上機嫌でお帰りになった。
二時間ほど、器量も気立てもうダントツナンバー1で非の打ち所のないFさんと組んで働く。一体どのように育てればこんないい子に育つのか! オバサン私でもついデレてしまうくらい、すごくいい子で、見た目だけでなく言動も一々可愛いFさんなのだった。天使かよ……。
そんなFさんにも変わった癖があって、それは暇があれば他人をじーっと見詰めているということだ。目が合ったとき、何か困ったことでもあるのかと思って、こっちが首を傾げると、Fさんも首を傾げ、「あ、だいじょうぶです!」と元気いっぱいです!のジェスチャーで返してくる。ごめんなさい、こんなときどんな顔したらいいか、わからないの……笑えば、いいと思うよ……。新人女性バイトを悉く潰そうとするベテランパートの人が辞めてからFさんが入ってきてくれてよかった。こんないい子が執拗にいじめられて去るところは、見たくないからなあ。
いつものストーカー客がいつもより早めに来店。最近三十分くらい早いのでは。私が普通に対応。
ストーカー客は、外からよく見える1レジに私がいないと早々に帰りがちなのだが、1レジの背後の洗い場でFさんがカフェマシンを洗っていたからか、ストーカー客の車はいつもの定位置から中々動かない。
Fさんはカフェマシン洗いが終わると、ゴミを捨てに言ったが、ゴミ箱に袋を着け替えながら、ジーッと外の一点をガン見していて、そこはストーカー客の車が停まっている方向だった。危険!
これは間違いないのだが、俺=新世代=SNS世代の作品鑑賞方法で発見したことがある。
というか別に鬼滅に限った話じゃないのだが、キャッチーだから例としてタイトルを使わせてもらった。
まず前提として、俺は20代後半。インターネット中毒タイプの人間だ。
具体的には2ch、個人の感想サイト、それにまとめサイトだ。年齢を重ねてからはTwitterなんかも始めた。
真面目に、親の顔よりおそらくPCの画面の方を長く見て生きてきた。
「アホが何か言ってる」と思っていただいて結構だが、一応偏差値はそこそこ高かったし、読書感想文では県で賞も取った程度の知力はある。
まず、結論を書こう。
つまり、
「作品に感動したかどうかを決めるのは自分ではなくなった」のだ。
そういう時代が来た。ないしは来る。
要するに、鬼滅という作品を読む・観るなりして、泣く、キャラを好きになる、続きが気になる、技がカッコイイと思う。
これらの感情を、コンテンツを楽しんだ本人ではなく、最早他人が決めているということだ。
作品の評価を自分で決める能力が、「俺=新世代=SNS世代」にはもうないのだ。
「なるほど、水の呼吸というのはカッコいいんだな」「なるほど、煉獄さんの死のシーンは泣けるんだな」「義勇としのぶさんの関係はエモいんだな」
作品を読む前、もしくは後にSNSやサイトの情報を取り入れて、上のような感想を自分の中から「発掘」し「言語化」する。
そして、自分の中の感情というものを整理し、「俺はこう思ったのだ」と認識する。
これが、現代人が作品を鑑賞し、心中で行われている工程である。
「いや流石に作品でよく描かれる、家族の愛とか……そういうのはわかるだろ?」とツッコまれるかもしれない。
それが残念ながら、わからないのだ。最早家族愛は、感情の共感の最小単位ではないのだ。
俺は鬼滅の刃を見て泣いた。煉獄さんの母が出てくるシーンでそれはもう泣いた。
だが、その感情は俺以外の誰かが発露した感情を取り入れて、これは泣けるシーンだと認識したから泣いたのだ。
上の現象、俺だけのことかと思っていた。だが、どうやら違う。現職で小さな子供と触れることが多いのだが、同じことが起きている。
若年期からSNSなどに触れていると、みんなそうなっていくのだ。
(俺はまとめサイトや2ch、俺より若い世代はTwitterやLINE、という違いはあるが)
何故こうなるのか、答えは簡単だ。
俺がどう思ったのかを考える前に、SNSやネットにはわかりやすく言語化された感想が文章や映像になって落ちているからだ。
まあ、俺達の世代だけの話ではない。
「へーこのシーンってこういう意味があったんだ!」とか、「へーこのシーンの演出ってこういう意図だったのか!」
と思ったことはないだろうか。それが極大化しただけの話だ。
監督のインタビューや評論家のテキストを見て、みんなやっていたことだ。
作品に対する解釈の補助というのは、評論家という人間に職がある時点で過去から必要とされていたのは確かだろう。
だが、おそらく今、俺達の上の世代が考えているよりも、ずっと事態は進行している。
つまり、俺にとって「鬼滅の刃」が面白い理由、それは「俺の視界内の人が面白いと言っているから」だ。
「俺はこの作品が好きだから好きな人の意見だけを集める」「俺はこの作品が嫌いだから嫌いな人の意見だけ集める」
新世代は、このエコーチェンバー現象の影響を受けないのではないのか、というのが俺の考えだ。
つまりこういうことだ。
「視界内の人間が好きだと言っているから作品を好きになる」のであり、「視界内の人間が嫌いだと言っているから作品を嫌いになる」
では、今後何が起きるのか、これが一番重要なことだ。心して聞いてほしい。
おそらく、「作品に対してどう思うか」の感情を先導する人間が今後、より重要視される。
まとめサイトでは、匿名掲示板で行われた、作品への感想が打ち込まれているだろう。
おそらく、この流れがもっと明確に商業化され、工業化されていくのではないかと思う。
つまり、
「感情の先導者」が職業的に生まれるのではないか、と俺は考えている。
現在も存在する、評論家やレビュワーといったものではない。もっとプリミティブな感情の先導者だ。
「○○が可愛かった」「○○がかっこよかった」「アレは面白い」「アレはつまらない」といった感情を、これからは代表者が綴り、
俺達は彼らが思うように、思う。
そういう時代が来るのではないだろうかと考えている。
いや、もしかしたら、もうとっくにそういう時代なのかもしれない。
貴方のお子さんが「何か」に対して抱いている感想、それがYoutuberのものではないと思えるだろうか。
つまり、「作品を見て単独で何かを想うこと」が出来る人間が、おそらくは特別な存在になっていく。
ここからは少し話がズレる。
上の話、最早漫画作品だの、アニメ作品だのに限られた話ではなくなってくんじゃないか。
つまり、親子の愛から政治、飯の味、天気……事象に対するあらゆる感情を「発露」し「言語化」するための専門職が設けられるのではないかと思う。
俺達は、おそらく他人を愛する、という感想を、他人を憎む、という感想を、他人に考えてもらう日が来るのだ。
いや、もしかしたらもう来ているのかもしれない。世界はITで繋がった。
情報量は爆発した。
もう、人間の脳が処理できる総量を超えているはずだ。
ならば、本当に人は、自分の感情が自分から発せられたものであると思えるだろうか。
我思う故に我あり。
俺達は最早「我」を投げ捨てながら生きている。
zone+ingという綴りから分かるようにゾーニングは「区分する」という意味である。
にもかかわらず、ゾーニングを求める人たちの多くは「隔離・隠蔽」のことをゾーニングと認識している。
たとえばCERO Zのゲームはそのシールが貼られていればコーナー全体が隠されていなくともゾーニングされている。
たとえばコンビニのエロ本は「成人向け雑誌」として区切られていたのでゾーニングされている。
たとえば「ラブタイツ」はツイートにハッシュタグが付いていたのでゾーニングされている。
しかし、それらを「ゾーニング」とみなさず、「何の規制もなく放置されている」と考える人たちがいるのである。
ゾーニングとは「ここに何があるかは明示するので、あとは各自で行動を選択してくれ」という理念だ。
「不快なものを私の視界にいっさい入れるな」とはむしろ反対の概念であって、だから話が食い違うのである。
では「隔離・隠蔽」の意味でのゾーニングを推し進めるとすればどうか。
もちろんそれは非常に難しい。
誰が何を不快に思うかは千差万別で、しかも運営する側には窺い知れないものだからだ。
インターネット上でなら上手くいくだろうか?
いや、どんなにブロックやミュートを組み合わせても、見たくないものは見えてしまう。
「不快なものを見たくない」という願いを実現することは不可能だ。
我々は、不快なものを排除する力ではなく、不快なものに堪える力を身に着けなければならない。
だからこそ「見せない」のはなく「見せた上で対応を選ばせる」――ゾーニングが求められるのである。
もちろん、完全には無理でも、部分的に「隔離・隠蔽」が成功することはあるだろう。
そのときはどうなるだろうか。
コンビニのエロ本は18禁ではなく、18禁に該当するような描写を避けた「マイルド」な代物だった。
にもかかわらず、あれらが「18禁」と認識され、批判にさらされたのは、
「隔離・隠蔽」によって「それが彼らの目に映るなかで最も過激な本だった」からではないか。
過激なものを隠していけば、過激さの上限はどんどん低くなっていくのが道理だ。
長年肌を隠してきたイスラム教国では生足ですら過激なエロスとなる。
いまあなたが抱く「常識的に考えてこれはNGだろう」という基準も、
既にして「さまざまなものが規制されてきた」結果として生み出されたものである。
コンビニのエロ本は、様々な譲歩をしていたにもかかわらず、あっさりと撤廃されてしまった。
「隔離・隠蔽」という形で譲歩をすれば、そのぶん相手がこちら側に踏み込んでくるだけ。
譲歩をするばかりではただ消滅するまで縮小していくだけなのだ。
おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニも電車も走ってるし本屋も図書館も徒歩圏にある恵まれた土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。
おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信の確立、通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告。広告は"広告を打つ"という段階で通信が確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたことは人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信の確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。
あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性はマルチタスクができるが男性はシングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。
そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることなく地元の公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元の公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いしたかおれを地元の学習塾に入塾させた。もっとも小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校に入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。
中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校は義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語し担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語の綴りさえ危ういような奴が高校(しかも進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身は阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)
どうにもならなかったので予備校へ入学した。予備校は商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコースが存在し、わけがわからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんなものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうから、ボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラがボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史も数学も理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。
猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿が大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である。教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師か医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授に土下座してお情けで可をもらった始末である。現在は大学のカリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものだからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知だから深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能としか言いようがない。かといって阿呆が研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。
ベトナム語は格変化とか名詞の性がないので日本人には覚えやすい言語だとどこかで読んだ気がするけど、実際に勉強してみると自分にはものすごく難しい。
なんで難しいのか考えてみると、まず声調のせいだと思う。
中国語と違ってベトナム語は綴り字のうちに声調の記号が入ってるので、まだわかりやすいといえばわかりやすいのかもしれない、けど、やっぱり全然慣れない。特に文末で高い声調のまま終わるタイプの話し方は日本語にほとんどないと思うので、本当に慣れなくて苦手。
あと、ベトナム語は似たような発音の単語が多すぎて区別できない。
ベトナム語っぽい音としてニャーとか、ニュアとか、ブアとか、ズンとか、ザーとか、ダオとか、同じような音が違う発音記号付きで次々と出てきて全部意味が違うので、覚えようとしても無理だ。
ベトナム語って、実はロマンス語系の言語に結構似てるようなシンタックスだなと思うことが割にあるんだけど、繋合動詞も格変化もないからやはり違うわけで、謎すぎる。
他の東南アジアの言語か中国語をちゃんとやっている人がベトナム語を勉強すると、わかりやすかったりするのだろうか。少なくとも自分にはさっぱりわからない。
さんざんベトナム語への愚痴を書いたけど、できるようになりたいと思っているので、何か上手い学習法があれば試してみたい。
追記:
Cảm ơn chị
(噛むウンチ)
自分はどう感じ、どう行動するだろうか?
***
私は学生の頃は弱く、恋において良い思い出はあまりなかった。初恋の時は、自分の好きな人に先に友達が告白して付き合いはじめ、私は自分の気持ちを整理できず、ダメ元で彼氏のいる女の子に告白し、当然のように振られ、友達も失った。ただただ苦い思い出だった。
それから月日は流れ、私も彼女を作ったり別れたりし、そのうち本当に愛し合える人ができ、一度は結婚もしたが、いろいろとあって別れてしまった。
離婚してからしばらくたって、自分の環境が変わった事もあり、色恋でも様々な経験を重ねた。一言で言えば、金持ちになってモテるようになったのである。モデル、グラビアアイドル、声優、AV女優など、多くの女性と遊ぶようになった。
それらの経験から私はある考えに至った。金に群がる女性は数いれど、かつて結婚したほど愛し合える女性は中々見つからない。だが今は、多くの女性に会い、見つけるまでの機会には恵まれている。そこで私は「10年後に結婚する」と目標を定めた。昔のように色恋で尻込みするほど若くない。そして今は仕事が自分の中心だ。色恋よりもすべき事がある。だから期限を定めて経験を積むと心に決めたのだ。
その期間をまだ半分を残している中で、今日の出来事が起こった。
遡ること1年ほど前、仲良くなった女性がいた。年は5つ下だが、遠慮なく私に絡んでくる子で、気兼ねなく話せる友達という感じだった。良く飲みにも遊びにも行くし、きっと「幼なじみの女の子」がいたらこんな感じなんだろうな、という女性で、私もとても居心地が良かった。私も彼女も、本当に気兼ねなく何でも話した。互いに最近ワンナイトで遊んだ話なんかも、楽しく酒飲んで笑いながら話していた。
この時の気持ちは「ザワついた」というのが最も適切な表現だと思う。悲しいとも悔しいとも後悔とも言えない、何ともまとまらない感情。その瞬間に、自分は思いの外惚れていたんだなと気付かされた。今までに会って遊んだ女性が同様にどこかの誰かとくっついても感じなかったザワつきがあったのだ。
とはいえ、数日でその気持ちも一旦の整理がついた。さすが経験を積んだ私である。成長したな俺!今はいくらでも彼女選べる!昔とは違うのだ!と歓喜すらした。・・・が、程なくして、また普通に友達として、その女性と二人で会う機会が訪れることになり、心がザワつかせられたのである。
この機会に決着をつけたい。そう思った。
もうこんなザワつきに惑わされたくなかった。次に進むには精算をしなければいけない。だが今は昔とは違う。もう無邪気に告白して玉砕する様な俺ではないんだ。少々強引でも強く押せばセックスするくらい今ならできるさ。一回ヤればもう満足して、次に進めるに違いない---!
そこまで考え、今日に臨んだのだが、ふと思い留まったのだ。結局は昔と同じ、自己満足のための行動と変わらない、また同じく自分勝手に吐き出すことで、自己完結させようとしている自分のままなら、進歩していないのだと。
どこで気づいたのかはよく覚えていない。ただなんとなく、そうしなければ、今日見て楽しんだ映画の思い出も汚れそうだな、という気持ちはあった。
そうして私は、彼女にこの日記に書いてきた内容と同じ話をしていた。
感情を吐いてぶつけるのではなく、語った。
そして、得難い友人であることは変わりないこと。
そういった話をしたあと彼女は、少し驚いたあと、とても喜び、「ちょっとだけ遅かったな!」と言って笑った。
それを聞いた私も「早く言えば良かったと、改めて後悔した!」と返し、そしてまた二人で笑った。
***
この物語を人はどう思うだろうか。様々な受け止め方があると思うが、少なくとも私は今日、自分自身を乗り越えられたのだと感じている。新しい答えを見つけられたのだと。
けど、今までとは違うのは、互いの思いを知って笑い合った上での友達となった。今後も友情が続くとしても、また別の展開があるにしても、この物語は終わらず前に進んだのだ。
突然ですが、私には虚言癖があります。
簡単に言うと病的な嘘つきです。
けれどこの場では、嘘は吐かずに本当のことを綴りたいと思っています。
当時両親の離婚話があり、母についていくことになっていた私は、引っ越して転校することになるかもしれないという話は聞いていました(住んでいたのが父名義の分譲マンションだったため。当時の母の収入ではローンを払えなかった)。
結果としては転校しなくても良い場所への引っ越しになったわけですが、私は話を聞いた時点でクラスメイトに「転校することになる」と話してしまっていました。そうしたらどうしたことか、今まで私を空気扱いしてたクラスメイトたちが優しくなったんです。
それが私にはすごく嬉しかった。それまで人と接するのが下手で、どうしたって浮いてた私が、優しくしてもらえた。それだけで嬉しかった。
まぁ結局転校はしなかったので、嘘つきだと言われ(事実噓つきですが)それをきっかけに苛めを受けることになるわけですが(それ自体は自業自得だと思っています)。
その時に懲りればよかったんです。でも私は違った。「もっとバレないような嘘を吐こう」という方向に行ってしまった。
小さなことだったらやる気もないことを「やる」って言ったり、大きな嘘なら身の上にだって嘘を吐いた。
大きな嘘はバレやすいから、嘘を吐く場はネットが多くなった。嘘がバレたらみんな離れていった。それは「本当の私が嫌いになったから」じゃなくて、「嘘つきを信用できないから」なのに、私は「本音を言ったら嫌われるんだ」と思ってしまった。嘘がどんどん重なっていった。
いつの間にか私を形成するものはほとんどが嘘になった。嘘の中でしか生きられなくて、その嘘を本当っぽくするためにまた嘘を重ねた。
それでも嘘はバレた。バレて人を傷つけて、傷付けられて、何度痛い目を見ても私は嘘をやめられなかった。
記憶に残っている一番優しくされた記憶が、嘘をついた時だったから。
嘘は良くない。そんなことはわかってる。けれど、本当のことを言っても誰も私に味方なんてしてくれない。
こういうことを言うと「正直に言って向き合えば大丈夫だよ」なんて言う人がいる。じゃあ、貴方は「自分を守るためなら他人をいくら傷付けても構わないと思っている」人間にやさしくできる?お風呂なんて大嫌いで、言われなければ入りたくなくて、そんなのと友達でいられる?詐欺に引っかかって100万の借金背負って、裁判にまでなったような奴と仲良くなりたいと思ってくれる?
思わないでしょう? だって私は思わない。
私自身がこんな自分を嫌いで、なかったことにしたくて、なのに他人になんて受け入れられるわけがない。
許されてしまったら、私の今までの人生を全て否定することになる。
演技性パーソナリティ障害の傾向があるけど診断基準には満たないと言われた。
カウンセリングにも通ったけれど、どのカウンセラーも合わなかった。それすらも「本当の私は誰も必要としてくれない」という気持ちの後押しになってしまった。
今日も私はきっと嘘を吐く。
「ロシア語の表記揺れはなぜ起きるのか」(anond:20200904111105)の増田だよ! みんな前の増田ではたくさんのブクマありがとう!
全米オープンで大坂なおみ選手が優勝したね! おめでたいね! そして決勝戦の相手はアザレンカ選手だったね! 名前をニュースで聞いて「ん?」と思って気になって調べてみたらやっぱりベラルーシの人だったね!
前回の増田を踏まえて、ベラルーシ語の事情についてちょっと語るね!
ウクライナでは苗字の語尾に-енкоってつく人がとても多いんだ! ちょっと前のオレンジ革命では、ティモシェンコとかユーシェンコとか、そういう名前をたくさん聞いたね!
この「~エンコ」で終わる苗字は、ウクライナだけじゃなくてロシアやベラルーシにも分布してるよ! 函館空港に強行着陸したベレンコ中尉とか、ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領とか、一度は聞いたことがある名前だと思うな! ちなみにこの形の苗字は男女で形が一緒だよ!
そして、アザレンカ選手の苗字も、この-енкоで終わる苗字の一種なんだ!
え? どういうこと? って思うかもしれないけど、Wikipediaでアザレンカ選手の名前を調べてみるとよくわかるよ! ロシア語版でもウクライナ語版でも、彼女の苗字は「アザレンコ(Азаренко)」って書かれてるんだ!
じゃあどうしてそれが「アザレンカ」になるのかな? そうだね、ロシア語の強勢に関するトリビアを思い出してみようね!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音される、っていうのは前の増田で説明したよね! だからХорошоは「ハラショー」なんだね!
これは発音と綴りが乖離してるので、学習者からするとちょっとめんどくさいかな! ロシア人の子供も書き取りテストとかで間違えたりするらしいよ! 日本の子供も「ぼくわげんきです」とか「これおください」とか書いちゃったりするもんね!
だから、強勢が置かれないоは、語源的にはоであってもаって書かれるよ! ロシア語の「頭」はголова(ガラヴァー)だけどベラルーシ語だとгалава(ガラヴァー)、「牛乳」はロシア語でмолоко(マラコー)だけどベラルーシ語だとмалако(マラコー)になるよ! ロシア語で「ベラルーシの」という形容詞の女性単数生格形はбелорусскойだけど、ベラルーシ語だとбеларускайになるんだね!
ここまで読めば、昔「ベロルシア」って呼んでた国をどうして「ベラルーシ」って呼ぶのかもわかるんじゃないかな? そうだね、ロシア語Белоруссия(「白いロシア」の意)の強勢はуに置かれるから、оがаみたいに発音されるんだね! そしてベラルーシ語だとそれを忠実に綴りに反映するからБеларусь(「白いルーシ」の意)になるんだね!
だから、ロシア語では「アザレンコ」と呼ばれる苗字は、ベラルーシ語では「アザランカ(Азаранка)」になるんだね!
あれ?
そう、増田も調べてみてビックリしたけど、ベラルーシ語だと「アザランカ」なんだよね!
ベラルーシ語には現在一般的に使われている正書法とタラシケヴィチ式正書法(タラシケヴィツァ、Тарашкевіца)という2つの正書法があって、Wikipediaには現代標準ベラルーシ語版とタラシケヴィチ式ベラルーシ語版の2つの版があるんだけど、どっちを見てみても綴りは「アザランカ」だったよ!
確かに強勢は2番目のаに置かれるから、еが弱く読まれるのは言われてみればわかるよ!
だからベラルーシ語だと、アザレンカ選手のフルネームは「ヴィクトールィヤ・フョーダラウナ・アザーランカ(Вікторыя Фёдараўна Азаранка)」になるんだね!
ロシア語の「ヴィクトーリヤ・フョードロヴナ・アザーレンコ(Виктория Фёдоровна Азаренко)」と比べて、どこが弱く読まれてるか見てみると面白いね! ちなみにウクライナ語だと「ヴィクトリヤ・フェドリウナ・アザレンコ(Вікторія Федорівна Азаренко)」になるよ! 真ん中の部分は「フョードルの娘」って意味だね! 「アザランカ家のフョーダルの娘のヴィクトルィヤさん」だね!
でも、なぜか彼女は英語では「ヴィクトリア・アザレンカ(Victoria Azarenka)」って名乗ってるんだよね! ロシア語でもベラルーシ語でもなくない!?
どうして彼女がこう名乗ってるのかは、彼女本人に聞いてみないとわからないね! でも、実はベラルーシでは「正しい」ベラルーシ語を話す人はそんなに多くないんだ! 国内ではロシア語の方が通じたりするし、農村部のベラルーシ語話者が喋っているのは「方言」であって「標準語」じゃないから、きちんと教育を受けた人じゃないと「正しい」ベラルーシ語を話すことができなかったりするよ!
アザレンカ選手も、英語で自分の名前を書くときに、Azarenkaという綴りが一番自分にしっくり来るから選んだのかもしれないね!
最近の英語でのベラルーシ政治に関する論文とかでは、政治家の名前がベラルーシ語表記されることが多くなってきているね!
たとえば今話題の独裁者ルカシェンコ大統領も、ベラルーシ語読みの「ルカシェンカ」って表記されることが多いね!
日本のジャーナリストはロシア語を通してニュースを仕入れているんだろうからロシア語読みになっちゃうのは仕方ないところもあるんだけど、せっかくだからベラルーシの人名はベラルーシ語で書いてみない?
今年の大統領選挙でルカシェンカ大統領に立ち向かったスヴェトラーナ・ゲオールギエヴナ・チハノーフスカヤ(Светлана Георгиевна Тихановская)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・ヘオールヒエウナ・ツィハノーウスカヤ(Святлана Георгіеўна Ціханоўская)」になるし、その旦那さんは「シャルヘーイ・レアニーダヴィチ・ツィハノーウスキ(Сяргей Леанідавіч Ціханоўскі)」になるね! 新聞とかでは「スベトラーナ・チハノフスカヤ」「セルゲイ・チハノフスキー」っていうロシア語読みで書かれることが多いけど、「スビャトラーナ・ツィハノウスカヤ」「シャルヘイ・ツィハノウスキ」って書いてもいいと思うな!
ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクサーンドロヴナ・アレクシエーヴィチ(Светлана Александровна Алексиевич)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・アリャクサーンドラウナ・アレクシエーヴィチ(Святлана Аляксандраўна Алексіевіч)」氏になるね! よかった、苗字の表記は変える必要がないね!
わわわ、こんな人がいるんだね! 教えてくれてありがとう!
ベラルーシ語だと「アルィーナ・シャルヘーエウナ・サバレーンカ(Арына Сяргееўна Сабаленка)」だけど、ロシア語だと「アリーナ・セルゲーエヴナ・ソボレーンコ(Арина Сергеевна Соболенко)」さんだね! 苗字にあるоが全部аになってて、いかにもベラルーシって感じだね! 英語ではAryna Sabalenkaと名乗っているみたいだけど、これはベラルーシ語の忠実なローマ字表記になってるね!
いっぱいブクマコメありがとう! 気になったコメントに返信するね!
щは日本語の慣用表記とロシア語の発音がすごくかけ離れてる例だよね! 日本語だと「シチ」って書くことになってるからね! だからЩербаковも「シチェルバコフ」なんだね! 議会図書館式だとshchになるけど、これもだいぶ実際の発音と離れてる感がすごいよね!
ヴ音の表記揺れが「ヴ」と「ブ」の違いの事なら日本語の問題で納得できるけど「ヴァ」と「ワ」じゃ音が全く違うやんけ。片方は英語読みベースでもう片方はロシア語発音ベースとかなんじゃないの?
ロシア語的には「ヴァ」と「ワ」はすごく近い音だよ! 口の形が似てるんだよね! むしろ「ヴァ」と「バ」は全然違うよ! Иванを「イワン」と読んだらワンチャン通じる可能性があるけど、「イバン」って読んでもぜんぜん通じないと思うよ! 試したことないからわかんないけど! 日本人の名前の「わ」もロシア語だとваで表記されるよ!
日本語のロシア語表記って、「ロシア語から直接に翻訳されて、一般化した語」よりも、「英語やドイツ語経由で翻訳された語」の方が遥かに多いので、英語とかの時点で表記ゆれが多いのではないか。
これは日本語史的に間違いかな! 幕末からロシア人とは接触があったし、明治時代になるとロシア語を勉強する知識人が増えたから、ロシア語から直接輸入される機会はいっぱいあったんだよね! 二葉亭四迷がロシアに留学してたのは有名だよね! 現在のロシア文学の慣用表記はそういう先人たちが作ってくれたものだよ!
"Бладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人"< 間違い続けたまま辞任した安倍晋三の立場が(笑) // 「綴りと発音が離れすぎ」って、ロシア語の正書法はきちんと整理されてる方だぞ?
調べてみたけど「ウラジーミル」って書いてある記事もあったよ! 安倍さん本人じゃなくて書いた記者が間違えてる可能性もあるし、ちゃんと本人の前で「ウラジーミル」って言ってたならいいんじゃないかな?
問題はファーストネーム呼び捨てにしてることだよ! ロシア人的にはめちゃくちゃ無作法なんだよね! ロシアでは、目上の人やそこまで親しくない人は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と名+父称で呼ぶのが普通で、親しくなったなら「ヴァロージャ」みたいに愛称で呼ぶのが普通だよ! ファーストネームを呼び捨てにすることなんてめったにないよ! 英語で話してる中で「ミスター・プーチン」と呼ぶのならまだしも、通訳越しに「ウラジーミル」って呼んでたとしたらスゴイ・シツレイだと思うよ! ロン・ヤス関係みたいに別荘に誘う仲なら「ヴァロージャ」でも許されると思うけど、そうじゃないなら素直に「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」って呼んでおくべきだったと思うよ!
ロシア人って基本的に礼儀正しいから公的な場で何度か会っただけの相手をそんな簡単に愛称で呼んだりしないと思うんだよね! フレンドリーなことに定評のあるアメリカ人ならまだしも、礼節を重んじることで知られる日本人がいきなりファーストネームで呼んできたら「なんだこいつ」って思われても仕方ないと思うよ!
後半部分、まあ英語よりはマシなんだけどね! 他のもっと言文一致してる言語と比べちゃうと、やっぱり綴りと発音違いすぎって思っちゃうよね!
日本産コンテンツのロシア人名がガバガバなのはもう仕方ないと思って諦めてるよ! ただいくつか良くできているのもあるからそういうのは褒めていきたいよね! 具体的に言うと「イリーナ・ウラジーミロヴナ・プチナ」は完璧だね! ちゃんとウラジーミロヴィチ・プーチンを女性形にしてあって芸が細かいよね! 「リーリア・イリーニチナ・メジューエワ」は「リーリヤ」だったらパーフェクトだったかな! 「アレクサンドラ・ウラジミーロヴナ・リトヴャク」は父称の強勢の位置が間違っているのが残念だね!
それなりに凝った名前にしてるのに「あと一歩」っていう残念事例が結構あるよね! 「ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ」とか「アレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン」とかね! お前父称まで設定したんなら苗字もちゃんとしろよォ! って思うよね! 逆に「ジーナ・ボイド」とかいうロシア感が欠片もない名前持ってこられるといっそ清々しいよね! よくそれをロシアキャラの名前にしようと思ったよね!
ポリワーノフ式だと正確にはХатэнаだよ! ポリワーノフ式っていうのは、日本語をロシア語のキリル文字で表記するための方式で、100年以上の歴史があるよ! ローマ字に直すときのヘボン式みたいな感じだね!
キリル文字で書いとくれ。
Букума ситэкурэтэ аригато!!!
それってЮрияна。
Дадияназанは×ダヂアナザン○ダディヤーナザン
ナズェゴマツノミャフキー・ズナークヲハブイタノディス!!!
ロシア語の固有名詞、カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!
これは純粋に日本語内部の問題だから一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!
強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラジミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!
ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうときに表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単な表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別に「ヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!
ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないときは母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかないからね!
еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!
шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!
語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語の地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音の法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記になっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいから綴り通りに日本語にした方がマシだね!
ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人のロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!
そして、この文字が表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!
ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体は発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的な表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!
たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね!
そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!
хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!
яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語のローマ字表記にはいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカの議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人がローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!
たとえば、Настяっていう女の子の愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメになっちゃうね!
さらにさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語の名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときにMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね!
複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子の名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!
Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!
じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!
ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだから「ウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!
たまにロシア風のキャラクタの名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!
いくつかの理由があるよ!
これ、つまるところ英語の名詞をカタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語とロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!
Fateのサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方の表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。
奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!
ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!
言い訳すると、ローマ字対応のキーボードでキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!
アウクスブルクは煩雑な発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端でダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。
ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃないね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?
ふと、「担降りしよう」と思った。これまで一度も降りたことがない。でも降りるなら今だと思った。これはただのお気持ち表明増田です。私がただ気持ちを整理するためのもの。13年担当した村上さんから、エイトから、降りることに決めた話。
多分最初に担当と名乗りたい!と思ったのは彼で、それまでに好きになったアイドルもいた気がするけれど私の中の記憶が正しければ彼が最初の人だったと思う。きっかけは本当に覚えていなくて、初めて彼を認識したのは母親が見ていたはなまるマーケットのはなまるカフェだった気がする。母は村上さんに一目惚れして当時リリースしていた関風ファイティングを購入していて、うちにあったから聞いていた程度だった。その後47都道府県ツアーの地元公演に入り、大倉くんかっこいいなぁ〜と思っていたのにイッツマイソウルを購入したときにはすでに村上さんの担当を名乗っていた。なんでだろう、奇跡な気がする。今でも私にとっての理想のアイドルは村上さんだと信じて疑わない。
ジャニオタであることを休憩したときもあった。でも最終的に帰る場所はいつもエイトで、私にとっては実家のようなものだった。高校卒業してからはほぼ欠かさずツアーは東京公演に参加していたし、毎年現場納めはいつも東京ドーム、現場初はグローブ座でのイフオア観劇だった。本当に毎年楽しかった。
そんな中、現場に行くことを辛く感じたのはすばるくんが退所することを決めた年だった。櫻井担のリア友と入り、途中までは「たのしい!大丈夫だ!」と思ってたのに最後のロマネがだめだった。すばるくんの声が聞こえないロマネは、思ったより寂しくて、私はボロ泣きしながら地元に帰った。私が好きになったときにはすでにエイトは7人で、私は7人しか知らないけれど大倉くんの「8→1」に救われていた気がした。だから、7人で歩むことが決まったときは泣いたけれど、多分それ以上にこの時は泣いた。私の中ですばるくんというのは、思ったよりもでかい存在だったんだとそこで気づいた。ただ、その時は降りる気はなくて落ち着いたらまたオタクしたいなと思いながら別ジャンルのオタクとして生きていた。そうやって離れてるうちに亮ちゃんが退所して、気づいたときにはエイトは5人になっていた。
今年、ひょんな事からジュニア担としてまたジャニオタ復帰し、またエイトのことも追いたいなぁと思っていたときに始まったのがドリアイだった。本当に楽しい一ヶ月で、今でもロスが抜けない。なにわの日から始まってウェストは苦渋の選択で見れなかったもののエイト、Aぇ松竹、関ジュ、なにわ男子単独、Aぇ単独まで走り抜けたのは本当にいい思い出になったと思う。
結局降りる理由はわからない。けれどなにわの日に披露したエイト×Aぇの「勝手に仕上がれ」と、Re:LIVE購入がきっかけになった気がする。私はここ数ヶ月でAぇ!groupを好きになったが、きっと全力でエイトを追いかけていた頃の楽しさを思い出しているんだと思う。あの頃の売れようと藻掻く彼らを応援していた幼い自分を、懐かしんでいるのかもしれない。それでも、Aぇのことを好きな気持ちも本当で、エイトと重ねて見ている部分と彼らにしかできない部分はどちらもあって、どちらも好きなんだ。今でも村上さんが好きだし、いつまでも元気でいてほしいと願ってる。ただ、私が応援していたあの頃のエイトはいい意味で居なくなったのだ。これは失望ではなく、エイトに希望を見出しているからこその担降りだと思っていて、きっと彼らはこれからも5人でしかできないことをやり遂げ輝き続けると思う。もうすでに降りていたようなものだけれど、ただ気持ちを綴りたかっただけなのだ。最後に、「10年後またここで会おうよ」の約束を守れなくてごめんなさい。もしかしたら現場は行くかもしれないし、CDも買い続けるかもしれない。それでも、私はもう村上担でもエイターでもない。ただのクソDDなジャニオタで居続ける限り、あなた達を遠くから見守らせてください。
これはダラダラとした日記である。なんかよくある、女オタクのなっがい愚痴です。
1,620円×12=19,440円。そして、2年と7カ月。
内金したCDがまだ発売されない。
とあるジャンルがある。2012年から開始された、7年目も後半に入ったアイドルジャンルだ。
1年12カ月にそれぞれ男女一人ずつ、つまり12人の男子と12人の女子のアイドル、男女6人ずつの4ユニットがあるジャンルだ。
ネタバレをしつつ具体的に言うと、私の推しの男の子はかれこれ3年と11カ月ソロCDが出ていない。
そして何よりも問題なのが、このジャンルは少々特殊で、彼ら彼女らはこの次元に存在するアイドルという体で動いていて、私たちと同じように歳を取っていく。
それをリアルタイムでツイッターで呟いている。今日はこんな事があった。こんなところにいった。こんなイベントが今日あるんだって!みんな、大変だけど頑張ろうね。曲も新ボイスも出ないまま、月日だけが過ぎていく。
私の推しはデビュー時受験もまだ遠い先な高校生だった。今では彼も立派な22歳で、今年の秋で23歳になる。そういえば大学卒業しましたってツイートしてないな。後輩ユニットの子たちは報告してたのにな。留年したのかな。
一応ユニット曲ならアニメ2期(度重なる延期でまだ放送されていない)のOP用、男性2ユニットが1曲ずつ(ユニット曲計3曲になる)と、実はまだ出ていなかった女性2ユニットが2曲ずつ(ユニット曲系2曲になる)が出た。
出ただけ偉い。
今では遥か遠い過去。2018年1月。そのとにかくCDが出ないジャンルから、新CDシリーズ発売の報が出た。
アイドルものなのにとにかくCDが出ないジャンルでその報が出た時は、とにかく盛り上がった。もしかしたらこれが最後なのかもしれないけれど、それならそれで、きちんと終わらせてくれるなら。
(このジャンルは後輩ユニットも後から続々加入した。そちらはものすごくCDが出る。ものすごく出る。比較対象が24人だからものすごく見える。後輩たちのバーターなのか客寄せパンダなのか、24人のうち男性12人はグッズだけはかなり出た)
彼らの新しいCDが出る。久々に曲が聴ける。
12カ月2人ずつ。計24枚だ。当然というべきか、月2枚男女同時リリースするとばかり思っていた。ちょっと変わったリリースの仕方をしたとしても、新曲があるというだけで嬉しかった。
まあそもそも、一番最初、デビュー時のCDシリーズだって何故か女の子は発売が大幅に遅れたうえ、担当月関係ない時に発売されてたしな。今思えば最初から誠実な時などなかったんだな。
さておき2018年12月、ついに待望の新CDシリーズが発売開始した。最初は12月の2人。うちひとりは、3年と6カ月ぶりのCDだった。もう1人は2年と5カ月ぶりだった。
新曲1曲とドラマパート。それだけだが、久々に新しい話し声、歌声を聴いた。私が声を聞けていないうちに彼は成人していた。
(ちなみに今更だがこのブログではアニメをノーカンとする。何故ならアニメは2016年放映したが、時間軸としてはデビューすぐ、2012~13年の出来事のお話だったからだ)
1月、2月と毎月発売されていく。だがある月、男性のCDしか出なかった。その次の月も男性のCDしか出なかった。
その次の月、担当月の男女と、今まで何故かCDが出ていなかった女性のCDが出た。少し形が崩れたものの、無事2ユニット分は完走した。
さあ、次は6月だ。あの子たちはいったいどんな曲を歌うのだろう。期待に胸を膨らませた。
そんな期待にわくわくしていた2019年6月から今まで、残りの男女12人のCDはなんの音沙汰もない。
理にかなっていないようでかなっていた。2018年12月から発売開始と言っただけで、毎月発売するとは言ってないし、依然彼ら彼女らのCDは発売日不明予約受付中で、いつ発売するとも誰も言っていない。
せやろか。1年間を彩る24人ではなかったのだろうか。5月まで発売して、なんのお知らせもなく、もう1年以上経っている。
当時はまだ希望を持っていた。「あの女の子たちもずれたのだ、きっと6月から11月の子たちも少しずれながらも発売されるだろう」
希望虚しく2019年になにもなく2020年になり年号が変わった。消費税が増税し、キャッシュレス還元も終了した。ちなみに6月から9月の子たちは順当に発売されていたら消費税8%で買えていたはずだった。
2020年5月まではまだ、まだ耐えられた。「きっと今年の後半に発売される。されないわけがない。だってされないと、2年に1回のビジュアル更新がある。衣装が変わるし、そもそもドラマCD内で時間が合わなくなる」と自分を励ました。
2020年8月後半。まだCDは発売されない。今見たが、公式アカウントも公式アカウントも何の案内もない。一縷の希望を持ちアニメイトやタワレコやツタヤの商品ページを見たが発売日未定だった。
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少し話は飛ぶ。
このジャンル、男性12人は2016年から2.5次元舞台を展開している。察しのいい方ならお分かりだろうが、ひとつ前のCDシリーズ終了間際(なお当時のシリーズは男性→女性と発売していたのでこの時点では男性は全員ソロ発売済)の時期だった。アニメとほぼ同じ時期に始まった。
原作がなんの曲もドラマCDも出さず、ツイッターでわいわいしていただけの頃、というかそれは今もだが……そんな原作虚無時間に舞台は10作品公演されている。あれ、これって2.5次元舞台ジャンルだったっけ?
そして、この10作品は全てではないが、舞台オリジナル曲がある。このオリジナル楽曲は俳優が歌うものだ。この舞台、最初から今まで続投している役者さんの総歌唱楽曲数はとっくに原作のキャラクター、声優さんが歌った数を超えている。あれ、舞台ジャンルだったっけ。
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ここまで書いて、自分が何が言いたかったか忘れてしまった。以下、愚痴でしかないです。これまで以上に読みにくい文章になることを先にお詫びします。そして、わがままな文章であろうことも、無知な一人のオタクの言葉でしかないことも分かりながら、描きたい夢物語も混ぜながらつらつらと書き綴ります。
このジャンルの「時間が私たちと同じく動く」ところは長所だと思っていた。今はそんな設定が恨めしくて仕方ない。デビュー時、推しは高校生だった。大学生になった。その間、CDはほぼ出ていない。私はこのジャンルに入ったのは先のCDシリーズ発売後だった。実は前述の舞台から入った身であるが、私は彼ら彼女らがソロCDを発売する瞬間に立ち会ったことがない。
彼が大学時代どんな勉強をして、どんな仕事をして、何を頑張っていたのか私は知らない。ツイッターはずっと、彼らの日常、寮での何気ない一コマしか出さないから。時々空の写真や食べ物や飲み物の写真を載せて「今日の仕事の途中の一息」だとか、そんなツイートをするだけだ。何をしているのか、全く知らなかった。
誕生日にはお祝いSSがある。特に曲もドラマCDも出していないのに「成長しました!たくさん頑張ってきました、これからも頑張ります!」と言われても感動しない。何を頑張ったのか知らないのだ。
ある時のSSでは「気を抜いていたらあっという間に月日が過ぎる。だから今できることを今やって、毎日を大切にしたい」という旨の発言があった。「どの口が!?」としか言い様がない。
あんなに目がくりくりしていて可愛かったあの子は、2年に1回のビジュアル更新を何度もして、身長がぐぐんと伸びて、かっこよくなったけど知らないうちに知らない人になった感が否めない。私の中であの子はまだ2015年ビジュアルのままだ。2017年もまだいける。
どうしてだろう。ソロ曲をもっと聞きたかった。デュエットだって、発売済の組み合わせもまだやってない組み合わせも聴きたかった。そもそも女の子はデュエットソングを出していない。ユニットソングだってもっともっと聞きたかった。「大事な曲」だけじゃなくて、季節や何かのテーマに沿った冒険したCDだって聞きたかった。実際後輩ユニットたちは、花鳥風月やら、お酒やら遊園地やら、いろんなモチーフでそれぞれシリーズにしてたくさん曲を出している。
どうしてだろう。後輩たちは「曲だけ」のCDだって出しているじゃないか。24人のCDはずっとドラマパート付なのは嬉しいけれど、それが負担になって楽曲を出せなくなるのならいっそなしで出したってよかったのに。その時はその時で私は起こるんだろうけれど、今以上に酷くはないと思う。だって「アイドルジャンル」だし。
誰が悪いのか、これは私の予想だがドラマパートとしか思えない。だって、後輩たちは、外注ライターがドラマパートのシナリオを書いているCDはきちんと発売されているのに、24人と同じ脚本の人(以下F)が担当する予定のCDだけサイレント延期し続けている。これしか理由が考えられないというのが正直な感想だ。まだ新曲が発売されていない7月の曲をいつも担当されている作曲の方は、このシリーズが始まる前、2018年7月の時点で「曲は完成している」と発言している。2年前に完成した曲がまだ発売されていない。
推しは年下、可愛い弟と言ったポジションで、ユニットの年上から可愛がられている。それをもっと音声で聞きたかった。もうすぐ23歳になる。2次元キャラにとっての23歳って割と年上な方だと思う。いつまでも可愛いままではいられなかったのに。2次元アイドルにとって18歳~22歳って一番美味しい時期じゃないんですか?そこでどんな話だって作れたんじゃないですか?20歳、成人式の日。ユニットのセンター(Fが露骨に贔屓している)の誕生日がまさかのダダ被り。たった1ツイート、おめでとうだけで終わった。あっただけマシかな。だって大学卒業祝いはしていないんだし。
もう時間がない。だって彼らは進み続けるから。今ならまだ間に合うから。いや間に会ってはいないのだけれど、間に合っていないからせめて少しでも早く、そしてたくさん彼らの物語が欲しい。新曲が欲しい。もっと声優さんの声で喋る彼らが聴きたい。舞台も素敵だけれど、それは原作ありきじゃないの?
Fが台本を作れないなら、後輩ユニットと同じく外注すればいい。曲だけのCDだって後輩は出してる。どうして、せっかくアニメをして、アニメが終わった後の一番のチャンスに後輩のCDしか出さなかったんですか。そこで終わらせる予定だった、ならともかくグッズだけは集金用のように出し続けた。
公式が嫌いだ。嫌い通り越して憎い。絶対ないだろうが、もしこれを読まれたらF拗ねるんだろうな。拗ねてますます興味がなくなって放置するんだろうな。
センターを露骨に贔屓するSSは、センターが可愛くなるためなら本人や周りのキャラ崩壊くらい簡単にする。それは今回の話とは関係がないが。贔屓が所属するユニットが終わったから満足したんだろうか。
アニメも期待していない。キャラ崩壊を簡単にさせるFと、悪名高いナツコ、度重なる放送延期と公式サイトから消えた監督の名前。役満というやつだ。これも今回の話とは関係がないが。秋から始まる新アニメに唯一期待できるのは、流石にアニメのEDは新曲だという事だ。放送決定してしまえばこちらのものだ。……決定するだろうか。本当に放送するだろうか。
先日公式アカウントのフォローを外した。キャラクターが何をしてても「それを書いている人」の存在が脳裏をよぎる。「頑張ります」を見れば、頑張ってCDを出せ、CDで頑張っている姿を見せろ。誕生日に「成長しました」と言うなら成長を見せてもらえる機会がなかったと思う。「気付いたら大人、時間が過ぎるのはあっという間」といった発言をしたら、「なら何でCDを出さない」と思う。「俺達アイドルだぞ!」といったツイートには「3年以上全く新曲を出さないアイドル(笑)と思う。公式の全てが裏返してストレスになった。今はそれなりに快適である。
「声と音楽で彩る月々」じゃなかったんですか?ツイッターでワイワイ仕事でも何でもない話をして、舞台でアイドル関係ない異世界冒険譚をするだけのジャンルだったんですか?
その子たちは本当にアイドルですか?アイドルの仕事が出来ていますか?
CD発売するのは今年いっぱいが締め切りのようなものだ。例年通りなら、来年の1月は新ビジュアルになって設定がまた更新される。次は見た目と衣装が変わる歳になる。また推しの目が細くなる。
おそらく明日にはこのジャンルの9月のスケジュールが出る。どうしよう、また発売の予定がなかったら。6月、7月、8月は発売されなかった。駆け込み発売開始するなら9月がギリギリのラインではないだろうか。
もっといろんな曲が聴きたかったが、そんなワガママ言っている場合じゃない。目の前のシリーズくらい完走してほしい。もっといろいろ聴いてみたかったけれど。
どうしよう、明日、来月、何もなかったら。
どうしようもない。昔すぎて掠れ始めたレシートを財布の中に、ただ待つしかできない。
これは愚痴です。炎上させてほしいわけでもない。炎上したら焦ってCDを出すようなことを考えられるような公式なら、もともとこんなことになっていない。
これは私の公開用愚痴だ。気分で編集して、恨みつらみを足していくだろう。
そういえば、2018年発売予定と明記していた、ユニットドラマCD上下2巻ずつはどうなったんですか?
ツキウタ。さ~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!ふじわらさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!プロセラとセレアスのCDの進捗どうですか~~~~~~~~~~~????????wwwwwwwwwwwwwww
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。