zone+ingという綴りから分かるようにゾーニングは「区分する」という意味である。
にもかかわらず、ゾーニングを求める人たちの多くは「隔離・隠蔽」のことをゾーニングと認識している。
たとえばCERO Zのゲームはそのシールが貼られていればコーナー全体が隠されていなくともゾーニングされている。
たとえばコンビニのエロ本は「成人向け雑誌」として区切られていたのでゾーニングされている。
たとえば「ラブタイツ」はツイートにハッシュタグが付いていたのでゾーニングされている。
しかし、それらを「ゾーニング」とみなさず、「何の規制もなく放置されている」と考える人たちがいるのである。
ゾーニングとは「ここに何があるかは明示するので、あとは各自で行動を選択してくれ」という理念だ。
「不快なものを私の視界にいっさい入れるな」とはむしろ反対の概念であって、だから話が食い違うのである。
では「隔離・隠蔽」の意味でのゾーニングを推し進めるとすればどうか。
もちろんそれは非常に難しい。
誰が何を不快に思うかは千差万別で、しかも運営する側には窺い知れないものだからだ。
インターネット上でなら上手くいくだろうか?
いや、どんなにブロックやミュートを組み合わせても、見たくないものは見えてしまう。
「不快なものを見たくない」という願いを実現することは不可能だ。
我々は、不快なものを排除する力ではなく、不快なものに堪える力を身に着けなければならない。
だからこそ「見せない」のはなく「見せた上で対応を選ばせる」――ゾーニングが求められるのである。
もちろん、完全には無理でも、部分的に「隔離・隠蔽」が成功することはあるだろう。
そのときはどうなるだろうか。
コンビニのエロ本は18禁ではなく、18禁に該当するような描写を避けた「マイルド」な代物だった。
にもかかわらず、あれらが「18禁」と認識され、批判にさらされたのは、
「隔離・隠蔽」によって「それが彼らの目に映るなかで最も過激な本だった」からではないか。
過激なものを隠していけば、過激さの上限はどんどん低くなっていくのが道理だ。
長年肌を隠してきたイスラム教国では生足ですら過激なエロスとなる。
いまあなたが抱く「常識的に考えてこれはNGだろう」という基準も、
既にして「さまざまなものが規制されてきた」結果として生み出されたものである。
コンビニのエロ本は、様々な譲歩をしていたにもかかわらず、あっさりと撤廃されてしまった。
「隔離・隠蔽」という形で譲歩をすれば、そのぶん相手がこちら側に踏み込んでくるだけ。
譲歩をするばかりではただ消滅するまで縮小していくだけなのだ。
将来、スカートをはく女性もゾーニングされるべきだろう。 足を見せるなら自宅でやってくれと。
ハッシュタグがついてるからゾーニングされてるってどんなジョークだよwww 全裸男が「変態です、注意してください」って胸に大書して真昼間のオフィス街を走り回ってて捕まって「注...
Twitterって特定のキーワードやハッシュタグを指定してミュートできるみたいね。
そういや今回どんなゾーニングのハッシュタグがついてたの?「オタクの萌え絵」ってハッシュタグがついてたの?
ゾーサイス