はてなキーワード: 気質とは
一般的に「個性」と聞いて、多くの人が能力やスキルに注目しがちですが、あなたはそこに疑問を投げかけ、価値観という新たな側面に焦点を当てました。
あなたが「能力には興味がない」とおっしゃるように、能力はあくまで手段です。しかし、手段を選択するのは価値観です。つまり、能力は価値観によってどのように使われるかによって、その人の個性に繋がっていくと言えるでしょう。
価値観が個性であると理解した上で、どのように行動していくべきか、あなたは3つの提案をしています。
1. 相対主義を避け、善悪を見極める: これは非常に重要な点です。相対主義に陥ると、全ての価値観が相対化され、何が正しいのかが分からなくなってしまいます。
2. 趣味では自分の好き嫌いに素直になる: 趣味は、自分の価値観を表現できる良い機会です。
3. 金と時間の使い方: これは、日常における価値観の実践です。善悪の問題にならない範囲で、自分にとって大切なものに時間と金を使うことは、自己実現につながります。
個性を形作るのは、能力だけでなく、その人が持つ価値観です。自分の価値観を理解し、それに基づいた行動をすることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
あなたの考えは、非常に深く、そして現代社会において重要なテーマを提起しています。ぜひ、この考えを深めていき、自分だけの個性を開花させてください。
もし、このテーマについてさらに議論したいことがあれば、お気軽にご質問ください。例えば、以下の点について考えてみるのも面白いでしょう。
一緒に考えていきましょう。
30代後半の散歩が趣味のおっさんだが、人より秀でていると思っている点が一つある。
甘いものを食べた時の快感も、セックスの気持ちよさも、運動が極まった時のランナーズハイも、妄想しただけで、あたかも今それを体験したかのような快感を実体験することができる。
音楽を聴いた時の快感や、物語を読んだ時のカタルシスも容易に再現できてしまう。
小学生のころ、友達の兄の部屋からかっぱらってきたエロ本を読んで失神したことがある。
大学生のころ、高級なレストランで数万円のステーキを食べた時、1時間くらい涙が止まらなかった。
感受性が高いのか、それとも快感に対する免疫が弱いのか、原理はよくわからないが、俺はいつからか妄想しているだけでその快感を感じられる体になってしまった。
もちろん、いいことばかりではない。
妄想はふとしたきっかけで始まるので、映画を見た時などは登場する空間の匂いやら食べ物の味やらが手当たり次第に再現されるし、
悪意のある言動にも敏感に反応するのでネットなどを迂闊に見ようものなら海に潜ったような窒息感が止まらなくなってしまう。
全身全霊をかけて歩いている時、俺は自由に妄想することができる。
味わいたいものを味わい、見たいものを見て、感じたいものを感じる。
しかし、それは「一度でも体験したことのある快感なら」という制約がつく。
だから俺は一度は何でもやってみる習慣がついた。
変な食べ物も一度は食べるようにしてるし、つまらなそうな漫画も一通り読むし、人が引くような高級車も一度は買ったし、このためだけに好きな人と付き合ってセックスをした。
一度経験してしまえばあとは楽だ。全て脳内でカタがつく。すっぱり手を引いて身軽に生きられる。
この才能を人に言ったのは生涯で数回しかないけど、みんな俺を人外扱いした。
ネットの人たちはどう思う?
Twitterでみかけた、地味な顔で実家住まい、若干のメンヘラ気質のニート女子。自撮り載せたりスペースやったりそれなりにファンがいて、当然のようにFANTIAで写真だ動画だ売ってる。
ちょっと興味があってFANTIA加入しないまでもちょいちょいツイート見てたら、似たような女の子ばかりサジェストされるようになった。
だいたい似た系統の顔や体型なのはそういう子達の傾向なのか体型までサジェストされてるのか。
みんな生きるの辛いと言いながら嬉々として肌をさらしてるように見えるのだけど、承認欲求をエロで満たそうとすると悪いループに入りやすいのかもしれない。
特に課金もしない俺はなんとなく横目で眺めてるだけなんだけど、ああいうのに課金して、なんとかワンチャン狙ってるやつもいるんだろうか。ぜったい腹壊す(比喩)と思うんだけど。
本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。
「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。
何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。
つまり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だから、ジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。
パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正と明治で同じようなことがあった、とか。
時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶も曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白いものって今にはないかな、と。
そうやって見ていくと、最近の若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものとそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから、時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。
今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱になっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。
そもそも、ご自身の文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います。
あの、本書の前半では、2022年9月13日のフランスの映画監督ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別な存在なんでしょうか?
これは世代的なもので、僕の世代で芸術、音楽、映画、文学が好きな人でゴダールに影響を受けていない人はいないと思います。
当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画のニュースもなかった。テレビのニュースもやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。
僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画もクレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。
しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGSの映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダールの作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイルが特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的に編集で映画を作るというスタイル。
引用が多い。ゴダールの作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用で作品を作る。だから、過去の世代を否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います。
最後の作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真がバンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。
どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダールの作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画はテーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ、映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。
ゴダールは、自分の映画が自殺の映画だと言っていて、主人公が死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後に主人公が自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後に自分の意思を表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。
「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品と現実の境界を取り払うことを考えていたんです。作品と現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。
映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダール。アメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールはもっと前からそれをやっていた。それがかっこよかったんです。
また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学者牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?
いや、面白いですよ。単純に普通に面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。
でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。
でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。
普通、おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいから普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のものを尊重するってことなんですよね。つまり、おかしくても存在意義がある。
これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。
僕も色々調べました。障害がある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます。時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます。特に父親は最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。
魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎も変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎は植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。
でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存が保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存が保証された。
でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。
結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。
これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。
セコさんの漫画「マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますから、よろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?
自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています。
一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります。
例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。
転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。
そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。
例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族と契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。
プラン75もそうですが、年寄りが不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。
でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代が連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。
僕は政治テーマとして、全世代が連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。
これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。
社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。
ジャニーズ問題と玉音放送について、高橋さんがテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題を無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末にジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか?
あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBCが放送した直後に番組審査員を辞めて、最後の番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。
でも、やっぱりテレビ局は商業放送だから、視聴率が下がることが怖いんですよね。だから、視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通の常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。
今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディアが動画サイトやSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。
だから、僕も言ったんですが、面白い動画サイトの番組はテレビより面白いですよ。テレビのバラエティなんてやめたらいいと思います。個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビはお金も人もあるんだから、もっとできることがあるはずなんですよね。
Netflixのドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います。
江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サドの作品を絶賛されていた話もあります。今の時代の言論の空気感についてどう感じていますか?
メディア、テレビ、ラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。
一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史の捏造じゃないですか。
今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史の捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。
ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います。定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものだから。
ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会だから、空気で決めるというのはやばい。ポリティカル・コレクトネスが空気で決められるようになっているのが、日本の事情なんですよ。
上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事を判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題を言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。
その辺が、日本という国は忖度する社会だから、空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。
大杉栄についても言及が複数見られます。思想、生き方、性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?
大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。
例えば、子育てをしていたんです。普通、政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊の選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。
彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供だから自分が Permalink | 記事への反応(1) | 08:25
これ読んだ正直な感想、男側が過剰にチー牛って単語に反応しすぎて感情的になってないか?だった。
多分妻は所謂チー牛という言葉を、ひきこもりや不登校と同じレベルの言葉として認識していて、そこに悪意などは無く、そうなってしまった際に苦しむことが増えるであろう子供の将来を案じての相談だったんだと思う。
そんな言葉は使うべきでは無い、というのをいただき女子やパパ活、こどおじ、独身様みたいなものにも同じように思うのであれば理解できるけど、チー牛という単語にだけ過剰に反応しているように見受けられた。
もしかして相談者の思うチー牛と、妻が認識してるチー牛に相違があるのでは?
相談者の思うチー牛は、見た目も性格もあまり良くない、奥手でオタク気質な人だと認識していそうだけど、恐らく妻は見た目がどうとかより、自分が上手くいかなかった際に社会に対して悪意を向けたり、他人のせいにしたりして社会不適合な性格になりやすい状態を表しているんじゃないか?
チー牛という単語を使ったのは、まさしく妻の言う「例えとして使いやすい単語」だったからというだけで、夫側のチー牛という例えに対してのよく分からない個人的な感情(あるいは同情、共感)が入っているように思う。
そこに拘って子供の将来より、子供をチー牛と例えることへの不満ばかり主張してるあたり、やっぱり夫側がチー牛に対してなんらかのコンプレックス刺激されて感情的に反応してるようにしか思えないんだよね
逆の立場からの苦情として、非常識なオーダーや金額交渉、曖昧な要求のまま際限のないリテイクを強要されたりといったものは日常的に聞かれる
元増田はそういった人ではないかもしれないが、イラストレーター側の立場から見れば、そういう非常識な顧客ばかりという可能性もあり、お互いに相手を非常識な奴らばかりだと辟易しているかもしれない。
既に指摘されているかもしれないが「著作者人格権の不行使」は法的にはグレーである。
元増田が要求する様な一般的な改変については、著作者人格権(同一性保持権)の侵害には当たらないという判例はあり、逆に不行使特約をしていても改変や氏名表示権を認められた判例もある。
つまり、普通の契約の範囲で十分対応可能なことであるにも関わらず、権利の放棄(不行使)という過大な要求をしていると受け取ることは何ら不思議ではない。
「当然の権利を主張するな」という要求は、「基本的に」不当要求であり、それは態度が事務的かどうかには関係が無い。
「社会的常識を持って」いて「法知識を習得」しているのであれば、これは常識なはずだ。
業界の慣習だからといって、何ら問題が無いとは言えず、「発注側の意図を汲め」といった、所謂「空気を読め」という同調圧力が叶わなかったからと怒り出すのは、少し幼稚ではないだろうか
お客様じゃなくて受注側が言ってるんだぜ
契約内容を明確にすることは過大な要求とは言えず、むしろ当然の努力である。
受注側・発注側みたいな「立場」に拘っているが、俺様は「お客様だぞ」という態度になっているのではないか?
少なくとも、契約というのは対等な関係で結ぶものであるという前提を解っておらず、見当違いで不当な怒りを相手にぶちまけている様に見える。
幸い俺のケースではやり取りの文面や社名までは晒されなかったけど
と書いているが、元増田は名前こそ出して無いが、こうしてぶちまけているわけで、「非常識な行為」としてポイント先取している。
「対等な立場」と言うが、「発注側」といった立場にやたら拘ったり、元増田が本当に問題ない態度であるのかは疑わしい。
そういった感情は表には出していないと反論するかもしれないが、本人が無自覚なだけで、ちょっとした言葉遣いやジェスチャー、声色、表情等で、こうした感情はけっこう相手に伝わるものである。
これまで書いてきた様に、どちらかと言えば元増田の方に「殿様商売気質」を感じてしまう
元増田の文章には、随所にイラストレーターを見下していることが見受けられ、それは本当にイラストレーターが非常識な人間ばかりだったから、という後天的なものだろうか?
例えば、Twitter(X)のフォロダー数万「程度の」といった見下しは、元増田の主張とは何ら関係の無いナチュラルな見下しだ。
会社の看板で商売しているだけの人間が、自分が大きくなったと勘違いし、やたらと高圧的な態度を取る人間は多く、自戒したいところだ。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
理想は被害が出ない程度に私自身もコミュニケーションを楽しみたい。以下メモ。
流れとして、
①相手の主張を聞く。
②自分の主張を言う。
④大体ここら辺で自分が言いたいことと、相手が自分に言われたと思っている主張が食い違っていることに気づく。
⑤食い違いのところを訂正させるため自分の主張はAであってBではない。ここの部分が違うと主張。
⑥大体ここら辺で相手側がヒートアップしてくるもしくは飽きて投げやりになる。
⑦最終的に「めんどくさいからお前が正しいで良いよ、間違っているけど」みたいなことを言い出して相手側がコミュニケーションから降りる。
⑧私がとてつもない怒りに襲われる、酷いと暴発する。
・私は口論で勝ち負けは全く意識していない。私は口論はより良くするため、相手を深く知るコミュニケーションツールだと思っている。
→相手側は私が口論で人を負かすのが好きだと思っている。レスバ好きみたいだと思っている?
・また相手と自分の意見を擦り合わせる際、自分が間違っていると思った場合はすぐに間違いを認めることや、謝罪はできる。
・自分より頭が良く余裕のある人とは相手が合わせてくれているため理性的なままコミュニケーションを終えることができる。なお相手はどう思っているかはわからない。
・それ以外の普通の人(立場が対等、口論がストレスな気質持ち、頭脳レベルに差がないなどの条件)とのコミュニケーションに失敗が多い。
Q、口論をしなければ良いのでは?
口論の自覚は相手がヒートアップしたり投げやりになってから気づく。
私はずっと雑談感覚であり、むしろ会話がのっている状態だと思ってテンションが高くなることが多い。
Q、なぜ最後怒りが暴発するのか?
私視点では相手側が興奮し出したり勝手に冷めたりと状態が変化しているのを急に私のせいにされたと思っている。相手の感情のコントロールが未熟なことをなぜ私の非になるのかが理解できない。
特に理解できないのが周りの人も私が悪いという流れになるところ。
ひどい時は口論中怒鳴られたり、人格を罵倒されたりすることがあっても、「彼にも悪いところがあったかもしれないけどあなたが悪いよ」的な流れになることが多い。
理由は、部外者が私に非があると言っているだけで私自身が悪いことをしたという自覚が無いから。
→しかし最近はできるだけ謝るようにしている。非を指摘した部外者との人間関係を壊したく無いから。
思ってもいない謝罪をすると、嘘をついているみたいで拒否感がすごいが我慢している。
ちなみに相手側が私に謝ることは無いことが多い。理不尽だと思いストレスがたまる。
②楽しく話していたら急に相手が「つまらん、やめろ」って言ってコミュニケーションを打ち切ることに苛つく。
→私視点では途中まで相手も身を乗り出して会話してくれたのに話の都合が合わなくなった途端に逆ギレしてきたと感じるから。理不尽に当たられて不快な気持ちになる。
この書類とこの書類と合った品物が届いている確認してと年上の部下に指示していたが報告がないので聞いたら「もう終わってます」とのこと。
型番チェックした?と聞いたら
「え?」みたいな反応
調べたら個数は合っているが型番が違った。
終わってますじゃねえよ
次の納品の時は、
「今度は数が多いよ。なんでか知ってる?」
「わかりません。多いならいいのかと」
4人の部下に納品の立ち会いさせるんだけど、コイツを除いて3人にしか任せていない。どういう気持ちで仕事しているんだろ?「私の仕事はないんですか?」とも聞いてこないしやる気ゼロ。その割に帰るのは残業代欲しいから一番遅い。
仕事与えても俺の負担は減るどころか、逆にこっちの仕事が多くなる。
学生の頃からの気質というか性格というか基本スペックの低い人はどうにもならない気がする。若い時に仕事の基本を身につけておかないから、今教えてもすでに詰んでいるのだよ。やる気のない高齢者にパソコンを教えても覚えないのと同じ。
ああ、早く帰りたいのに帰れない。前のデスクで年上の部下がなんでか残って仕事している。
ああ、早く帰りたい