はてなキーワード: 大軍とは
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孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側
多くのコメント・ブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございます。https://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください
B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下
スパルタ王レオニダス指揮下のギリシア連合軍がペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。
・彭城の戦い
漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽は精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略に成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態に太刀打ちできず20万人以上が戦死した。
23年 ★緑林軍1万vs新43万
劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。
ブーディカ女王率いるケルト人がローマの支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。
・博望坡の戦い
劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備は撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇を撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。
383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万
華北統一に成功した前秦が東晋征服のために大軍を派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。
・チェラーミの戦い
アラブ人の支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入、イスラム教徒を撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。
・黄天蕩の戦い
韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。
屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏を源義経が追撃した。平氏は大軍が後に続くとみて敗走した。
・下赤坂城の戦い
楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府は楠木正成と護良親王を討ち損ねた。
1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000
千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。
・船上山の戦い
1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000
後醍醐天皇が隠岐の島から脱出すると伯耆国の武将名和長年が挙兵し、隠岐国守護佐々木氏を攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。
倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。
・ビルスの戦い
1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万
スイス軍がチューリッヒを包囲したことにより、フランスと戦争に突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍と死闘の末に壊滅するが、フランス軍は2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。
・土木の変
1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万
明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝も捕虜となった。
・九頭竜川の戦い
越前制圧を目論む一向宗と朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙、朝倉軍は夜襲により一向宗を撃退した。
・セントラの戦い
1519年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万
征服者コルテス率いるスペイン軍がマヤの大軍と交戦。マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲はわずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオの女性マリンチェを得た。
・オツンバの戦い
1520年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン・トラスカラ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万
アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬の威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢が戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。
・プナの戦い
1531年 スペインのペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000
スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民と交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。
・ディーウ包囲戦
1538年 オスマン・ポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラート連合軍2万2000
ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。
・スィゲトヴァール包囲戦
1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン軍10万~30万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がクロアチア総督ズリンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍はほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退を余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。
・今山の戦い
1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万
佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利を確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。
・木崎原の戦い
島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官の伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。
信長は石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。
・天目山の戦い
1582年 戦国時代・甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000
織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。
・沖田綴の戦い
1584年 戦国時代 ★島津・有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万
連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。
・岩屋城の戦い
島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話の提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。
・忍城の戦い
1590年 戦国時代・小田原攻め 成田軍2000vs★豊臣軍2万~5万
石田三成ら率いる大軍が忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。
・四川の戦い
1597年 慶長の役 ★島津軍2000vs明・朝鮮連合軍10万
島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲を使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。
田辺城に立て籠もった東軍を西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍は積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後は後陽成天皇の命で開城したが、西軍は関ヶ原の戦いには間に合わなかった。
関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍が真田昌幸率いる西軍と交戦した。足止めを食らった東軍は関ヶ原に間に合わなかった。
1762年 七年戦争 ★スペイン軍100vsイギリス軍2000
イギリス軍がニカラグアの処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。
・アラモの戦い
1836年 テキサス独立戦争 テキサス軍200vs★メキシコ軍4000
当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人がメキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。
・雨花台攻略戦
湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。
サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パスを防衛する南軍が北軍の攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍は100名が死傷し、350名が捕らえられた。
・カマロンの戦い
1863年 ナポレオン三世のメキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ軍2000
65名の外人部隊は現金300万フランを輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊は目的地へ現金を届ける事が出来た。
1879年 ズールー戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000
ロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。
・アブ・クレアの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000
ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。
・アブ・クルの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000
ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。
盧溝橋付近で日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由に中国軍を攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争のきっかけとなった。
・タラワの戦い
1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000
タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊とアメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。
・拉孟の戦い
1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は8000人が死傷した。
・騰越の戦い
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。
・アンガウルの戦い
1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000
日本軍歩兵第59連隊第1大隊が守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団が攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍は玉砕したが、米軍も2000人死傷した。
・一江山島戦役
1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000
人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。
・ロングタンの戦い
1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500
ベトコンがオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。
参考作品「デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」
・ロンゲワラの戦い
1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000
ラジャスタンのロンゲワラ村でパキスタン軍とインド軍守備隊が交戦。インド軍は航空機の支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった
1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000
アメリカ、マレーシア、パキスタンからなる多国籍軍が、民兵のリーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵と交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍は目的を達成したが、100名以上が死傷した。
参考作品「ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」
安倍の代わりに総理大臣になって、はてな的な思想を完コピして改革を行おうにも抵抗勢力が強大過ぎて屈服するか降ろされると思う。総理大臣は独裁者ではないのだから、たとえ自分1人だけが正解を知っていても他人を説得して動かさなければならない。
コロナが現れた! コマンド? アベノマスクを配らなければ解決するような簡単な問題ではない。
劉禅の代わりに姜維に北伐をやめさせて国力を蓄えることに専念したところで時が来れば魏に攻め滅ぼされるだろう。
晋の恵帝に成り代われば八王の乱を止めて異民族の台頭を防げたか? 力を持った外戚・皇族・側近の激しい対立をどうやって収めるのか。皇太子すら殺すようなヤバイ奴らだ。死にたくなければ恵帝みたいに黙っているのがよかろう。
アッバース朝の最後のカリフは書道や読書にふけっていたというが、彼の代わりにモンゴル帝国を撃退できる自信がない。敵が大軍を率いて押し寄せてきたら現実逃避して読書でもやるのが自分にはお似合いだ。
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。
防衛能力がなかったら輸入品が何も買えなくなって交渉国の面倒な仕事を全部させられるだけになるから最低限国際間で死ぬ人の準備が必要
殺されたら被害を届けて国の集まりで多いほうが交渉を有利に進めようと判断してもらえるので軍隊は必要
日本が独自の文化と日本人の安全を願うのだったら団結して国防を含めた国益に貢献すべき
外国ではみんなやってる自民族の確立のための努力をしてないのは南国パラダイスの古民族と日本人くらいなもの
日本は何度か受けた空襲で民間人の死者被害を戦争法違反で訴えるべきだったが戦争で勝とうとして被害届をださずに腕に覚えのある知人をたよってみんな負けたので結果負けた
第二次世界大戦はアメリカが警察を押さえてた 日本を降伏させたのは「UN」アメリカではなく国際連合 国際間組織が実質降伏させたので悪いのは日本という事
(いまは国際連合を中国が抑えているので数年来抑圧してるチベットとかウイグルとか最近の香港などは中国の正義がまかり通ってる)
戦争で死ぬ役割がでると意見として死なせるなという風潮がおきて国民の何割くらいまで被害がでると戦意が喪失されるという結果に至るのであらかじめ死んでもよいまたは死ぬため死なないようにする訓練を受けたものが必要になるので死なない国民をつくるために兵隊を組織する
人間が人間を殺すという行為自体は効率が非常に悪く一人が一人ないしは三人程度を相手にすることくらいが限度 そのため数千の大軍に数百の軍勢が勝利したり中央突破できたりする
これを全否定するのが核兵器 つづいて大量殺りく兵器 人を殺すのが戦争なのになぜ効率化がよくないのか 暴力の勝ち負けが戦力の維持が不能になることだから 第二次大戦では戦力自体は日本は底なしだった(一億総何々)
日本は何割まで死ねば戦意を喪失するかという基準がアメリカの想定をはるかに超えていたため脅威とされそれを人道的と称して講和にもちこんだ(原子爆弾による民間人の大量殺戮で上層部の情に訴えた)
戦争のルールを覆すので日本は降伏後そういうのはダメと教育に盛り込まされた ベトナムでは軍備量だけでは勝ててない ベトナムは民間人を含めてやたらと殺しても許されない程度に世情がうごく情報網の発達があった 中国は情報統制がうまくいってる(と思ってる)のでこそっと民族殲滅をしてる(ばれても国連に食い込んでるので黙殺)
軍備合戦になると天井知らずになるという危惧について、軍備合戦の天井は相手が戦力の維持が難しいと思わせるところまででよい
国際協力や単体の戦力などで、もし状況が悪化した場合安全維持の名目で他国が護衛に入ってくるとそれに見合った戦力を維持することが難しいとなるところで十分
また軍事目的の産業で国内生産があがる 国力の増加で内需を軍需にまわせる この循環のための一次産業は金属と油でよいため生産性が高い
生産性の低い弱小食物輸出国が植民地支配を免れているのは国際的な連携において面倒な生産部分を担っているため 近代化するといやがらせをうける
軍備の生産をつづけると償却材がでてくるので紛争地帯が必要になる 金属と油のあるところには軍事介入が容赦なくされる
日本語がわからない人に簡単に説明すると、防衛目的で人の壁を築ける人がいないと被害届を出せる状況にもっていけないので、敵がきたら前にたって死なないように抗う人が必要なだけ それが防衛の人の仕事
境界線に敵が軍事力をもってきたとき、アルバイト募集で「最前線で生活する人募集」でも軍隊と同じ役割ができる(国際組織が正常に機能していたら、国際法違反とかで訴える)がそんなのだれもこないのであらかじめ死ぬように(死なないように)訓練されて、死んでほしくない人のかわりになる仕事がいる(兵力)
毎回殺されてから被害届をだすのもなんなのであきらかに国際的に定められてる蛮族がくると攻撃してもよいため攻撃手段はほしいところ
人が人をころさないという事が絶対的に保障されたら、被害が発生しないので、補償の必要はないので、補償を履行させるための力が必要なくなる 人が人をころさないとはいえないから力が必要でそれが殺される局面において抵抗するだけの軍備
欧州の国みたいに国単体では軍事力はないがほかの国から出してもらってるところもある
永久に戦争しないって宣言してる国が軍隊をもっているのは攻め込んで戦争する、悪い奴は積極的にやるとかのためにあるわけではなく、攻撃されてもみんなの役に立っている事は自力で防衛するのでわたしの国をいろんな国むけに使ってほしいという事のため
永久に戦争しない宣言の国の銀行員が不正な行動をしたとき軍隊がないので国際的な介入がされたとき実質支配権が安全確保のためという名目の上でその軍事力の国がもつことになる(その時々の違反を正しい「保安部隊」が維持するため)
巨大な兵器や新しい武装や洗練された技術者(兵員)が必要なのは その場所まで移動する手段が必要なため巨大な引っ越し業者(生活もできる)という隊が必要なだけ(兵隊)
最新設備や強い武力は相手が攻撃してきた場合それに耐えかつ攻撃者を撃退することが可能であるようにするため(できるだけ自軍は死んでほしくない相手は正当防衛で事の次第による)
海や陸や空においてそこで人が活動しなおかつ問題に対処する能力が必要な人にそこにいてもらうための能力が軍事力
日本はそんなに気にしなくていいよアメリカがそれ出してあげるから(問題があった場合は正義と平和のために「アメリカのルール(アメリカ軍)が動くけどね)というのを国際間協力という名目で沖縄とか全国に基地(被害者となってくれる率先して前線に引っ越してくれる役の拠点)を設けてる
もちろん日本に問題があった場合は、国際協力として「アメリカ軍が日本の拠点を制圧する」ってことがあってもしょうがないよね(しょうがなくないので自衛は必要だと思われる)
巨大な軍備があれば国は守れる それはたしかに守れる それは人が人を殺すのは効率が非常に悪いという点から人が多く兵器の数があれば強いわけではない
現に核兵器がそれを示して結果を出している しかたなく民間人を殺すけどというのを武力というなら兵力としてそれを備えないのが核非武装 防衛はあくまで自衛の手段で攻撃をしてくる民間人ではない敵対者(時に人間という前提でほぼ人間)
どの戦争でも核保有すればいいだけ ただ核兵器の使用目的が破壊と殺戮のみなのでこれほど純粋に目的を完遂するものはないので保有国はほかに保有国がふえることを厳しく制限している
内戦や移民のつづく国は軍備を高めて核を保有すれば近隣国との交渉もしやすく豊かになっていくが一般的な兵器が余る国はそれを消化したいしその的を国際協力という名の元に他国から募りたい
中国が国連でアメリカソ連の兵器の消化を紛争地帯でしないよう根本的な解決を試みたら具体的な中国の問題に実力を行使するかもしれないが国防費の循環とGDP成長を握られているのでおおよそ悪いとは言えない
「藤原先生は、『鎌倉時代以降、特に江戸時代に機能してきた』武士道を『今こそ復興させるべき』と言わはります」
「これ、ほんまやろか?」
「事実かはともかく、冗談やありません。そんなんは、大本営発祥の地、真珠湾攻撃を立案実行し戦陣訓を生み出した関東地方だけでやってください」
司馬遼太郎 このあいだ、カセットで東条英機の演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科の出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実の軍事情勢がどうなっていても、インパールへ大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。ともかくあの調子の演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。
「いわゆる標準語て、作られた経緯からして『ジークジオン弁』やんな」
「他にも、藤原先生は『武士道には禅や儒教の精神が流れ込んでいる』て言いながら、『禅や儒教は舶来のものじゃないか』という意見には……」
「て答えるだけで、儒教の方は全スルー。いくら講演を元にした本でも、論説として荒っぽすぎる。藤原先生が武士道の中で最も重視するんは、その儒教が言う『惻隠』、弱者への愛情やのに」
まあ面白いっていえるのは最初の数巻で敵の大軍が押し寄せてきたとこくらいまでだろ
絵柄はろくにかき分けできてねーし、本題のメインストーリーはちっとも進まずにうちわのランキング戦(笑)とかをずっとやってるし
(不倫じゃなくて)ミルトンの方の失楽園は比喩表現にクソデカ要素が詰め込まれているので面白いという話。
かっこいい平井訳を適当に抜粋していく(怒られるかな?この長さなら大丈夫だろう。あと改行は無視しているのでちゃんと楽しみたい人は買って読むように)
彼[=ベルゼブブ]がそう言い終わるか終わらぬうちに、早くも天使の長[=サタン]は岸辺に向かって歩いていた。天井の火で鍛えられたずっしりと大きく丸い彼の楯は、いかにも重々しく背後に投げかけられていたが、両肩に懸っているその楯の茫々たる円形は、さながら月そっくりであった−−そうだ、例のトスカナの科学者[=ガリレオ]が、斑点だらけの表面に何か新しい陸地か河か山を発見しようと、望遠鏡を通し、夜ともなればフィエゾレの山頂から、というよりヴァルダノから眺めているあの月の球面そっくりであった。
そしてガリレオを出しくるあたりのスケール感も別の意味ででかい。学説が異端視されて自宅に囚われの身となっているガリレオが遥か遠くの月にを眺めて自由に思索を巡らせる、というなかなか情緒ある描写。でも、その天才ガリレオの自由な思索の動き回る領域である月、これがただの楯!サタン、あまりにデカい。
彼は携えていた槍を(これまた、これに比べれば、巨大な旗艦のマスト用にと、ノルウェイの山中から伐り出されるいかなる亭々たる松の大木も、小さな棒切れにしか過ぎなかったが)、杖代わりに用いて身を支えながら、
息もつかせぬクソデカ描写が続く。この時代は、西欧諸国が帆船で全世界に進出した大航海時代の後、軍艦としてよりゴテゴテとしたでっかい船が作られて、各国の主要な戦力として重視されていた頃。その中でも旗艦と言えば大将とかが乗る船で一番デカイ船。それが棒切れになるようなデカイ槍、それをサタンは杖にしちゃう。サタン、強そ〜〜。
炎炎たる地面を、かつて紺碧の天上を歩いた時の足取りとは似ても似つかぬ不安な足取りで、歩いていった。円蓋のようにただ火、火、火で掩われた灼熱の世界が、これでもかといわんばかりに、彼の体を苛んだ。にもかかわらず、彼はこれに耐えに耐え、ついに、焔をあげて燃えている火の海の岸辺に辿りつき、すっくと立ちはだかり、依然として天使の姿を保っている麾下の軍勢に、大声で呼びかけた。
一面火の灼熱の世界(地獄)、きびし〜〜。その中を歩き抜くサタン、つえ〜〜〜。
虚脱したもののように、累々と横たわっている彼らの様子は、亭々と聳えるエルトリアの森がこんもりと樹形をおとす当たり、ヴァロムプローサの流れに散りしく秋の枯葉、さながらであった。それとも、−−かつてエジプトの王プシリスに率いられた軍勢が、約束に背き、憎悪にかられて、ゴセンに住んでいたイスラエル人を追跡し、結局紅海の怒涛に飲まれてしまい、その漂う死骸と破壊された戦車の残骸を、安全に対岸にたどり着いていたイスラエル人が眺めたことがあったが−−その航海の岸辺を荒れ狂う疾風を武器としてオリオンが襲ったとき、その一帯に散乱詩流れ漂った菅の葉のようであった、とでもいおうか。意気沮喪した敗残の戦士たちが、火の海を蔽うて幾重にも重なり合い、横たわっている姿はまさしくそのようであった。そして自分たちの無残な変化に、ただ驚愕しているのみであった。
サタンは大声で叫んだ。地獄のうつろな深淵は、隅々までそれに反響した。「王者よ、権力者よ、勇者よ、今でこそ失われたりといえども、かつてはお前たちのものであった天国の栄華よ!そうだ、天国は失われたといわれなければならぬ、もしこのような恐慌状態に永遠の霊を有するお前たちが陥っているとすれば!............目を覚ますのだ!起き上がるのだ!さもなくば、永久に堕ちているがよい!」
もう単にアジとしてかっこいい。「永遠」ないし「永久」(eternal)という時間的クソデカの天丼もある。
彼らはこの声を聞き、恥じ、翼を拡げて飛び立った。
その有り様は不寝番の任務についていた連中が、つい眠り込んでいるところを恐ろしい上官に見つけられ、未だ目を覚ますか覚まさないうちに、慌てふためいて起き上がり、右往左往するのに似ていた。彼らも、自分たちの置かれている窮状を認めないわけではなく、痛烈骨を噛む苦痛を感じていないわけでもなかった。だが、統率者の声に翕然として直ちに従った
すげ〜数のすげ〜奴らをここまで恐れさせるサタンさんまじぱねえっす。
−−その数、実に無数。エジプトを災禍が襲った日、アムラムの子[=モーセ]がその力強い杖を国土の四方に向かって揮い、東風の流れに乗った国運のような蝗の大軍を呼び寄せると、その大群は神を冒瀆して憚らぬパロの全領土を黒々と夜の如く蔽いかくし、ナイル河の全域を暗黒に包み込んでしまったことがあるが、その時の蝗の大群と同じぐらい、悪しき天使たちの群れも無数であった。それが、上から、下から、四方八方から、吹き出す焔に囲まれながら、地獄の天蓋の下を匆々に飛び回っていた。
はいはい、多い多い。はいはい、焔ね。はいはい、みんな元気元気。まーたモーセ、話がデカイ。でも蝗。
やがて、彼らを統率していた偉大な大帝がその槍を高く掲げ、所定の進行方向を示すかの如く幾度かそれを打ち振ると、それが合図となって、天使の軍勢は整然と均衡を保ちつつ硬い硫黄の上に降りたち、あたり一面の平地を埋め尽くす…。この雲霞の如き大群に比べれば、繁殖力豊かな「北国」の冷たい腰から生まれた蛮族が、ライン川を超え、打ニュー部側を超え、さらに怒涛のように南下し、はてはジブラルタルの南から灼熱のリビアの砂漠地帯にいたるまで展開して行ったときのあの大軍などは、とうていものの数ではなかった。地上に降りたつや否や、直ちに、あらゆる軍団、あらゆる隊から、その司令や隊長が一斉に最高指揮者の立っている場所へと急いで集まってくる。いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。
「大本営、隠蔽、大言壮語……欲得ずくの自己陶酔は、日本に悲惨な戦禍をもたらしました」
「陶酔が国を亡ぼすんやね」
「近年の政治家さんを見てると、あることに気づくんよ」
鳩山由紀夫さん:
野田佳彦さん:
安倍晋三さん:
小泉進次郎さん:
「なるほど。何言いたいか大体わかってきた」
「大本営的な風土は、まだこの国に残ってる。ほんで、ここに挙げた皆さん全員、関東出身のいわゆる標準語使いです」
司馬遼太郎 高等師範の二人の教授が標準語のアクセントを作る作業をなさっていた関係上、〔昭和初期から〕高師付属と学習院とで、きちんとした標準語教育が始まる〔……〕。
司馬遼太郎 このあいだ、カセットで東条英機の演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科の出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。〔……〕ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実の軍事情勢がどうなっていても、インパールへ大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。〔……〕ともかくあの調子の演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。
「上方(かみがた)の人間からしたら『よう笑わんと言えるわ』やんな。酔いっぷりが酷いわ」
「標準語て、本格的な教育が始まってまだ百年経たへん人工日本語やのに……」
「作られた経緯考えたら、『戦争演説語』『ジークジオン弁』やんな」
「大本営、隠蔽、大言壮語……欲得ずくの自己陶酔は、日本に悲惨な戦禍をもたらしました」
「陶酔が国を亡ぼすんやね」
「近年の政治家さんを見てると、あることに気づくんよ」
鳩山由紀夫さん:
国会の委員会質疑で「小泉総理、あなたは恐ろしい人だ」→ 場内が笑いに包まれる
野田佳彦さん:
首相として消費増税を「心から、心から、心からお願い申し上げます」→ ニュース視聴者を引かせる
安倍晋三さん:
ウラジオストクで「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」→ プーチン大統領に鼻であしらわれる
小泉進次郎さん:
「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままでは」→ 言い直しを切り取られたようにも見えるけど……
「なるほど。何言いたいか大体わかってきた」
「大本営的な風土は、まだこの国に残ってる。ほんで、ここに挙げた皆さん全員、関東出身のいわゆる標準語使いです」
司馬遼太郎 高等師範の二人の教授が標準語のアクセントを作る作業をなさっていた関係上、〔昭和初期から〕高師付属と学習院とで、きちんとした標準語教育が始まる〔……〕。
司馬遼太郎 このあいだ、カセットで東条英機の演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科の出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。〔……〕ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実の軍事情勢がどうなっていても、インパールへ大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。〔……〕ともかくあの調子の演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。
桑原武夫 いうとる、いうとる(笑)。などというひやかし方もありますね。
「上方(かみがた)の人間からしたら『よう笑わんと言えるわ』やんな。酔いっぷりが酷いわ」
「大本営、隠蔽、大言壮語……欲得ずくの自己陶酔は、日本に悲惨な戦禍をもたらしました」
「陶酔が国を亡ぼすんやね」
「近年の政治家さんを見てると、あることに気づくんよ」
鳩山由紀夫さん:
国会の委員会質疑で「小泉総理、あなたは恐ろしい人だ」→ 場内が笑いに包まれる
野田佳彦さん:
首相として消費増税を「心から、心から、心からお願い申し上げます」→ ニュース視聴者を引かせる
安倍晋三さん:
ウラジオストクで「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」→ プーチン大統領に鼻であしらわれる
小泉進次郎さん:
「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままでは」→ 言い直しを切り取られたようにも見えるけど……
「なるほど。何言いたいか大体わかってきた」
「大本営的な風土は、まだこの国に残ってる。ほんで、ここに挙げた皆さん全員、関東出身のいわゆる標準語使いです」
司馬遼太郎 高等師範の二人の教授が標準語のアクセントを作る作業をなさっていた関係上、〔昭和初期から〕高師付属と学習院とで、きちんとした標準語教育が始まる〔……〕。
司馬遼太郎 このあいだ、カセットで東条英機の演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科の出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。〔……〕ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実の軍事情勢がどうなっていても、インパールへ大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。〔……〕ともかくあの調子の演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。
桑原武夫 いうとる、いうとる(笑)。などというひやかし方もありますね。
「上方(かみがた)の人間からしたら『よう笑わんと言えるわ』やんな。酔いっぷりが酷いわ」
城内に響く浪人のため息、どこからか聞こえる「今日で落城だな」の声。
無言で逃げ始める兵士達の中、日本一の兵・真田信繁は独り曲輪で泣いていた。
上田合戦で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる仲間たち・・・
「どうすりゃいいんだ・・・」信繁は悔し涙を流し続けた。
どれくらい経ったろうか、信繁ははっと目覚めた。
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい甲冑の感覚が現実に引き戻した。
「やれやれ、帰って調練をしなくちゃな」信繁は苦笑しながら呟いた。
立ち上がって伸びをした時、信繁はふと気付いた
曲輪から飛び出した信繁が目にしたのは、大坂平野まで埋めつくさんばかりの大軍だった。
千切れそうなほどに旗が振られ、地鳴りのように鬨の声が響いていた。
どういうことか分からずに呆然とする信繁の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「源二郎、出陣だ、早く行くぞ」声の方に振り返った信繁は目を疑った。
「た・・・太閤殿下?」「なんだ信繁、かってに関白殿下を隠居させやがって」
「三成殿・・・」 信繁は半狂乱になりながら陣立てを見渡した。
一番備:福島正則
二番備:加藤清正
三番備:堀秀政
四番備:前田利家
五番備:小早川隆景
六番備:真田昌幸
七番備:大谷吉継
八番備:石田三成
九番備:豊臣秀吉
暫時、唖然としていた信繁だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった。
「勝てる・・・勝てるんだ!」