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2019-11-09

anond:20191109150841

心配させてスマンことでした、件のブログ内で検索しまして、ヤキトリ画像も見てきたよ~(アレ元は伏見稲荷門前町の雀焼きやないか~い!オレも喰ったことあるwww

よーするにムカシ80年代バイクギャルブーム(苦っ笑)んとき男がさんざんバカにしよったへっぴり腰の女乗りのことですかい・・・

2017-05-14

[] 那智

那智黒 (なちぐろ)とは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町周辺(新宮市三重県熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町など)で

販売されている名物の黒飴のことである製造販売である那智黒総本舗の本社工場東牟婁郡太地町所在する。

  

1877年明治10年)創業和歌山県代表する観光土産でもあり、高野山等の門前町でも店先で良く並んでいる。

「黒あめ那智黒」の商品名で、株式会社那智黒総本舗が製造している。熊野特産である那智黒石で作られた碁石にちなんだ

お菓子として生み出された。鹿児島県奄美大島産の黒砂糖をふんだんに使用している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E6%99%BA%E9%BB%92

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412085744

北朝鮮はどう出るかダービー」絶賛開催中のようなので、時流に乗って一口ベットしておこう。

 

初手は日韓国内における同時多発テロ

爆弾BC兵器かは知らんけど、そこそこ死人のでるようなやつを同時に起こす。

ターゲット米軍基地門前町複数大都市

基地のものには絶対手出ししない。

状況から考えて犯人が誰かは明白であっても、日韓政府公式声明を出すまでには必ずタイムラグがある。

日本韓国ではビビった小市民と頭に血が上ったタカ派が喧々諤々の議論を繰り広げて大混乱が生まれる。

アメリカは表向き両国同意になしに攻撃はしないというスタンスを取っているので、両国政府が動揺している間は手出しできないだろうというのが北朝鮮の狙い。

そうやって、アメリカブレーキが掛かっている隙に、間を置かず、いつもの人工衛星」の打ち上げを強行する。

アメリカ迎撃してこなければ万々歳。

体面は守れたとばかりに、あとはひたすら沈黙を貫き通してアメリカが痺れを切らして撤退するか、中国が良い感じにとりなしてくれるのを待ち続ける。

 

とまあ、こんなところでどうでしょう

偉い人、採点よろしく。

2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170313151405

元横増田だけど、大丈夫、ちゃんとバカにしてるよ。

だって元増田は、自分で見つけたり考えたりしないでどうぞ歴史ごらんになってとなってるのしか、楽しめなさそうじゃん。

深大寺なんて、なんであの場所に古いお寺が残ったかなって考えるだけでワクワクするのに

元増田は、寺の見学ルート観光用の門前町ゲゲゲ通りあたりを見て人が多いなって感想っぽいじゃん。

それで「一応400年の歴史があるんだし、もっとどうにかならないものかなー」って言われてもさ、

どうにかならなきゃいかんのはどっちだよって話じゃん。

そもそも史跡なんて後から作れないのに笑 見る方がその場所に合わせて楽しみ方の技を変えないでどうすんだ。

用意されたものの方が好きなら、物凄く楽しませる用意をしてくれるテーマパークのが楽しいと思うよ

http://anond.hatelabo.jp/20170312190945

関東に来たら、地域にある小さな神社や寺を楽しむ術を身につけることをお勧めする。

たとえば神社境内には、縁起の碑、末社御神木忠魂碑、ほかには伊勢神宮参拝記念碑、何か地元の偉い人の銅像などがあったりする。観光地寺社のようにわかやす歴史はないが、その地域歴史に対する想像力をかきたてるものがそこかしこにある。

たまたま人がいれば、気軽に話しに応じてくれることが多い。ある小さな町の観音堂で、管理している地元のおじさんからお茶をもらいながら2時間くらい、堂の管理方法から息子の自慢話までを延々聞かされたこともある。観光地ではこういうことは基本的経験できない。

寺社建築仏像などが好きだとか、門前町の賑わいが好きだとかい場合はまた話は変わってくるけど、歴史が好きなのであれば、小さな地域寺社も楽しみ方次第だと思う。

2016-10-09

リスト(66件)

1010005015883 東京都千代田区内幸町1丁目1番7号
3010001135997 東京都千代田区内幸町1丁目1番7号
3000012010018 東京都千代田区永田町1丁目6-1
7700150003510 東京都千代田区神田淡路町2丁目9損保会館内
2010001033087 東京都千代田区神田美土代町1番地1
3010005001213 東京都千代田区神田美土代町1番地1
5010002033604 東京都千代田区飯田橋1丁目12番14号
5010405010448 東京都中央区日本橋小伝馬町7番16号ニッケイビル5階
6010005014757 東京都中央区月島1丁目15番7号
9000012110002 東京都港区六本木1丁目9-9
9010401101445 東京都港区南青山2丁目2番15号
2010405009410 東京都港区新橋2丁目3番7号
2010401022549 東京都港区新橋5丁目13番6号
1010405009411 東京都港区新橋5丁目18番7号
9010405013307 東京都港区芝浦2丁目11番5号
7010405010446 東京都港区芝浦2丁目3番31号
1010405010443 東京都港区芝2丁目31番15号
2010405002712 東京都港区芝4丁目1番23号
1010405004569 東京都港区芝5丁目36番7号
9010405010378 東京都港区虎ノ門1丁目2番8号
9010405002771 東京都港区虎ノ門1丁目7番6号升本ビル
3010401023397 東京都港区虎ノ門2丁目10番1号
3010405009863 東京都港区虎ノ門2丁目2番5号共同通信会館
8010401126014 東京都港区赤坂2丁目2番19号アドレスビル
9011105004026 東京都新宿区住吉町8番5号曙橋コーポ2階B
4011101006303 東京都新宿区新宿1丁目36番7号
6010005018634 東京都文京区白山5丁目1番3-101号
3010505002347 東京都台東区池之端2丁目7番17号
7010505002418 東京都台東区池之端2丁目7番17号
5010701011793 東京都品川区大崎2丁目1番1号
3011005005708 東京都渋谷区代々木2丁目23番1号
5011205001736 東京都中野区本町3丁目29番10号
4420002013185 青森県弘前市大字茂森新町1丁目1番地11
8370301001248 宮城県石巻市松並1丁目14番地1
1010401015891 福島県郡山市熱海町安子島字固後利山7番地17
8140001026361 福島県二本松市茶園1丁目95番2号
5050003002843 茨城県水戸市堀町1123番地4
4050002008875 茨城県ひたちなか市大字稲田566番地1
1050001004639 茨城県那珂郡東海村大字村松字平原3129番地の29
6050001004691 茨城県那珂郡東海村大字村松字平原3129番地の45
1050005001731 茨城県那珂郡東海村大字村松字館沼225番地の2
6050005001751 茨城県那珂郡東海村大字村松4番地33
1050005001632 茨城県那珂郡東海村大字白方字白根2番地の4
7050005001750 茨城県那珂郡東海村大字白方白根2番地の4
6050005002007 茨城県那珂郡東海村大字舟石川765番地1
2060005009021 栃木県宇都宮市簗瀬1丁目6番18号
8030005017335 埼玉県白岡市小久喜260-4
5020001043223 神奈川県横浜市磯子区新杉田町8番地
3110005008017 新潟県柏崎市荒浜1丁目3番32号
9110005007327 新潟県柏崎市元町24番30号
7220005005445 石川県羽咋郡志賀町安部屋亥の34の1
2210001011163 福井県敦賀市三島町1丁目9番6号
6210005006420 福井県敦賀市吉河37号1番地
7210001010854 福井県敦賀市木崎51号31番地の3
7210001010540 福井県敦賀市沓見129号1番地1
5210001016011 福井県敦賀市白銀町13番29号
9110005014901 福井県敦賀市神楽町2丁目1番4号敦賀商工会議所内
4210001010898 福井県三方郡美浜町佐田第64号毛ノ鼻1番地の37
6180003005519 愛知県名古屋市中区門前町四丁目24番地 
2120001043050 大阪府大阪市西区土佐堀1丁目3番7号
6140001012966 兵庫県神戸市兵庫区和田崎町1丁目1番1号 
3260001020092 岡山県苫田郡鏡野町上齋原1539番地の1 
8240002023587 広島県東広島市西条町下見4623番地15 
1250005007510 山口県下関市新地町5丁目1-C-409 
6250001007550 山口県下関市新地町5丁目1番C-409号 
4500005006847 愛媛県西宇和郡伊方町湊浦1995番地1

2016-08-20

京都神社仏閣をいろいろ巡ってみた後の率直な感想

清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。

金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。

銀閣寺質素建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気

東寺五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。

二条城石垣普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。

龍安寺教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。

醍醐寺観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。

西本願寺建物デカいので近くで見ると圧倒される。

仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。

上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。

三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。

平等院建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。

宇治上神社観光客ほとんどおらず、静謐神聖雰囲気平等院に来たらここにも立ち寄るべき。

天龍寺建物庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。

北野天満宮】まあ受験生なら言ってもいいんじゃね―の?ってレベル

八坂神社】提灯がいっぱい飾ってあるっていうくらいしか印象に残ってない。

2016-04-29

[] 宇佐市

宇佐市(うさし)は、大分県北部国東半島の付け根に位置する市。

  

全国4万社余りの八幡宮総本宮宇佐神宮があり、正月には全国からの参拝客でにぎわう。また本願寺別院東西とも)も旧北東部

広大な地域管轄するものでこれも規模は大きい。また市内には宇佐神宮以外にも観光名所が多く、県内有数の観光都市である

  

宇佐神宮門前町として発展した宇佐地区特に宇佐)、本願寺別院寺内町として発展した四日市地区港町として発展した

長洲地区の3地区が、伝統的に経済的同時に文化的中心地である

これ以外はほぼ全域が農村地域であり、県下最大の穀倉地帯となっている。

  

2005年平成17年3月31日 - 宇佐市院内町安心院町新設合併し、新たに宇佐市が発足する。

  

産物として、麦焼酎いいちこ」が全国的に有名な三和酒類が駅川地区山中存在し、全国に出荷される「いいちこ」がすべて

ここで製造されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%B8%82

2015-02-13

[]

寒川は、神奈川県中央部にある相模国一の宮 寒川神社門前町で知られる高座郡の町である2013年7月1日現在茨城県阿見町に次いで関東地方で2番目に人口が多い。寒川ときくとそんなに人が住んでいないイメージがあったのに、2番目に人口は多いのは驚いた。一度、寒川といえば有名な寒川神社に八方除けをしにいったな。寒川はいい街

2014-07-10

増田に書けばフィクションって事で許されるよね!8

外は台風

境内は当然無人。

まあ聖職者様というのはエアコンの効いた建物の中から外を荒れ狂う台風を眺めるだけの簡単なお仕事です。

いやー外仕事とかじゃなくて良かったわー営業とかだったら大変だったわー。



ガラッ(ビュウウウウゥゴオオオオオォ)…パタン




ボロボロの人「アッ!!……ハア…ハア……」

「(おいおい何だよこの要救助者は)」

ボロ「ずみまぜん、ぐるばのぼばらいをぼねがいびます(訳:すみません、車のお祓いをお願いします)」

「……。」



バ カ な の ?

なんで? なんで今日来んの? 今台風来てるよね? どう見ても、車のお祓いに来るべきお日柄じゃないよね?




「それでは住所からお願いします」

ボロ「ハア…ハア…〇〇県〇〇市…」



ハイ、250km先の市町村名出ました。

隣県どころかさらにもう一つ隣。

ホ ン ト に バ カ な の ?



「それはまた遠くから今日生憎のお日柄ですし、道中大変だったでしょう?(訳:こんな日に来んじゃねえよゴミ)」

ボロ「ええ…でも今日納車だったので…折角だから祓いしようと…思って…」



うん、お前の住所、どう見ても別のデカ神社門前町だよねぇ。さすがに知ってるわ。

なぜそこへ行かない? なぜそこで朝の内に済ませて、今日台風から家で大人しくしていようって結論に達しない?



ボロ「いつもこの神社でやってもらっているので…」

「……。(あーあーせっかくの新車に枝やら生木やら葉っぱやらゴテゴテと…)」



注:車祓い交通安全を祈願するためのお祓いです。台風下での運転は危険なのでやめましょう。



ボロ「ご祈願料はこちらで」

はい、確かに(可もなく不可もなくの額だが…ガソリン代を考えたらなぁ)」



その余計にかかったガソリン代を祈願料に上乗せして、地元神社に御祓いを依頼した方が、遥かに喜ばれます

交通安全祈願に、納車したばかりの新車を軽く転がしがてら近場の神社へ来ました」と話の筋も通り。

わざわざ長距離運転してやってくる必要もなく。

時間も浮き。

台風ハンドル取られつつ何時間も運転する危険を冒さずに済みます

な ぜ 「 こ の 神 社 じ ゃ な き ゃ ダ メ ! 」 と 思 っ た の か



「こちらが交通安全ステッカー…、になるんですが。お車今このような状態ですので…どうぞ晴れた日にでもお貼り下さい…。」

ボロ「はい



大雨やら台風やらの日に無理して来られても、神社ステッカーすら貼れません。



「以上でお祓い済みましたが、どうぞお気をつけてお戻り下さい」

ボロ「ありがとうございました」



再び、横殴りの雨の中へ突っ込んでいく新車。ていうか張り付いてるもの多すぎてもう新車には見えない。かわいそ。

とんぼ返りするしかないんだろうが、ろくに休憩も取らずに来てるっぽいし、悪天候下の悪路を往復数時間とか果たして体力的に耐えられるのかね。

ちなみに天候が最悪な時はなぜか祈願が多い傾向がある。ドMなの? 参拝者ってみんなドMなの?

というか、

交 通 の 危 険 を 冒 し て 交 通 の 安 全 を 祈 願 し に 来 る な ん て、 バ カ な の ?



ちなみにひとつだけ言っておく。

お前らが「この神社が好きだからここで祈願受ける!」とか決め打ちして、何かあるたびにわざわざ行く必要もねえような遠くにあるデカ神社に行く。

そうすると、地元の小さい神社には金が入らない。

神社収益が入らないから、その小さい神社宮司は食っていけないわな。

するとその宮司はヨソに勤めて生活費を稼ぐしかなくなる。

そうなると、ますますその小さい神社宮司が不在の状況が続き、荒れ放題になり、まれに発生する祈願依頼にも全く対応できない。という悪循環を迎えるわけだ。

こうして、デカ神社と吹けば飛ぶような神社との収益格差ますます開いていく。

いいか。「アテクシこのパワースポットが一番強力だと感じるからこの神社にいつも行くんざます!」とか言ってねえで、

何かあったらおとなしく氏神へ行け氏神へ。

氏神ってのは要するにお前らんちから一番近い神社だよ。お前らに似合いの小さい神社だよ。

宮司宅のインターフォン連打してでも、宮司叩き起こしてでも、とにかくそこで祈願してもらえ。

無理矢理にでもそうしていかないと、「収益が上がらない→儲からないから後継者もいない」で早晩潰れちまうような小さい神社が全国には山ほどあるんだよ。

わかったか、このテレビメディアに踊らされるだけのスピリチュアルバカどもめが。

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325203530

その他読書感想

★「三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった。

 調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文素読」を叩きこまれた世代

 以降は「近代教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい

 今で言えば、「1~2歳の時にスマホ経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?

三四郎を読んでると、西片町辺りが舞台で出てくる。

 東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?あの辺り、今でも明治香りがする。

 25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰ってた。

 (ルート東大正門→西片町三田線春日新宿線笹塚明大前井の頭線

 悪い東大生は、井の頭線定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)

 自動改札のない時代お話である

 ※西片町って、三浦展によれば「第一山手」なんだよな

★「三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる。

 まあ当時大久保東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん。

三四郎の友人が貸家を探すエピソードが描かれてる。

 裏返せば、「不動産仲介業」という職業が当時はまだ確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた

 田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。

 いわば「不動産仲介業の未成熟」が「文士村」を生んだ。

 ※トキワ荘も、不動産仲介業の未成熟の賜物?

 不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景だった。

 逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える

★「三四郎」で、本郷エリア寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷寄席があったと聞いている。

 その後映画館になったようだが、戦災で消失し、東大界隈は映画レスな街になった。

 戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったのだろうか?

 元々東大って「学生門前町」の類が発達しない。

 映画館がないほか、雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない。

市電が急速に発展したせいで、三四郎市電に乗り間違うエピソードがある。

 当時の市電網で誤乗するくらいだから、2014年の東京圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ

★「三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。

 日露戦争でそんなに男性犠牲になったとも思えないので、感染症栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう。

 適齢期性比が男性過剰に転じたのは、実は高度成長以降だったりする。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

 
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