少し前ラノベの性的な表紙は規制すべきか、という話が盛り上がったが、このキズナアイポルノ論争も同じ線上にある問題だと考えている。
つまり「性的な表現を公共の場所に出すことの是非」という論点。
他の論点もあるのかもしれないが、本稿ではこの論点についてのみ語らせていただきたい。
まず、その表現が性的であるという理由で規制されることは正当であろうか?
ここで刑法175条や青少年保護育成条例などについて引いておくべきだろうが、ここでは割愛する。
そういった法理とは無関係に、性的な表現は規制されるべきという想いが先験的に私の中にある。つまりこの場合の規制は自主規制のことを言っていると思っていただきたい。
中には表現の自由を錦の御旗に、「どのような表現でも規制されるべきではない」という意見の持ち主もいるかもしれないが、
そのような論者も、例えば性行為そのものを誰もが見える場所(公共交通機関内など)で実行している人間を目の当たりにすれば、
子供への悪影響、女性の性的な消費、公共秩序の擾乱などが認められなかったとしても許しはしないだろう。
性的な営みというのは、日常昼日中に属する類のものではない。非日常の閨房に属するものなのである。
性交は閨房で実行する分には非難されるいわれのないものだが、衆人のなかで行うようなものではない。それは子供が見ている見ていないなどとは無関係にそうだ。
この点については異論もないものと思う。(それとも性交をおおっぴらに見せびらかしてもなんの問題もないという考えの人もいるだろうか?)
さてそれでは、どこからが一線を越えた性的表現で、どこで表現することが公共の場或いは閨房だと考えるべきだろうか?
昭和の「チャタレー事件」では、「チャタレイ夫人の恋人」という小説が最高裁でわいせつであると判断され発禁を受けたが、
今の時代あの程度の内容は公開されている個人のSNSなどでいくらでも溢れかえっている、いやもっと過激な内容だって。
逆に白昼堂々テレビで女性の裸を晒すことが許容された時代も、深夜番組でアダルトビデオの紹介をする番組などもあったが、これはいまや批判にさらされてテレビという場からは消えた。
つまりどこで線引きされるかは社会通念の問題であり、時代と場所によって今までも大きく移り変わってきたし、当然これからも移り変わっていくものだ。
書店の棚というのは公共の場だろうか?そうかもしれないし違うかもしれない。
ライトノベルの表紙の萌えキャラは過剰に性的だろうか?そうかもしれないし違うかもしれない。
女性アイドルは過剰に性的だろういか?そうかもしれないし違うかもしれない。
ことほど左様に線引きは曖昧で、その時代その場所の人間たちがなんとなく合意していくしかないというのが実情であり、
「性的であれば規制しろ!orするな!」「この表現は性的だ!or性的じゃない!」と、罵り合うのは全く無益だと思う。
個人的には、現在巷間に於いて許容されている程度の他の表現の性的な度合いを過剰に逸脱しているとは思えず、
キズナアイを性的だという理由で排斥することに正当性があるとは考えられない。
言えることは、この程度だと思う。
その「過剰に逸脱しているとは思えない」という基準が古いよね、変えていこうよってのがフェミ側の意見でしょ。 現在巷間に於いて~なんて言ったって意味がない。現状をあるべき形...
これ、どうみても保守の議論だよね。
せめて「あるべき形」を分かりやすく人間の言葉で提示してもらえれば議論も進むだろうにのう
「古い」とか「あるべき姿」ってのが頭の悪い思い上がりっぷりを如実に表しててすごくいいと思うよ
自覚ないマヂキチ