はてなキーワード: 設立とは
間違い
https://milterm.com/archives/3836
米陸軍大学校の研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報の研究を行った。
チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍が現代戦の要求に適応するのを助けるために、この取組みを計画した。
1973年、米陸軍は戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。
米軍のベトナム介入は米陸軍の士気を低下させ、ソ連製兵器を装備したエジプト軍がヨム・キプール戦争で米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。
これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリン・コマンドを設立した。
新組織は、1973年のヨム・キプール戦争を研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。
今日、米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。
国防組織が20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシア・ウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。
それは、高度な自律型兵器システム、人工知能(AI)、そして米国が第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である。
ロシア・ウクライナ戦争は、米陸軍の戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。
米陸軍の戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。
ちなみに、米国はイラクとアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。
大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。
採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。
この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊の既存の空白を埋めることもできない。
つまり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在の作戦環境にはそぐわないということである。
大規模な戦闘作戦に必要な兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。
ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側の観測筋をいまだに驚かせるような方法で適応している。
わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシアの能力は、米国とNATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力の重要さを示している。
簡単に言えば、ロシアは21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。
国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要な方法のひとつである。
ウクライナの戦場は同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。
ウクライナの戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時に既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である。
米国は、現代戦の現実を直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。
今日、米軍は採用の危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわずか23%である。
現状では、志願兵だけの米陸軍は米国の抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。
長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。
米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合、戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国製兵器を使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険にさらす可能性もあるため、ウクライナのように外部からの支援が可能かは不確かである。
マイクロチップや軍需品製造のような産業で事業の継続性を確保するためには、危機時に供給を制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術を使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスしやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。
より多くの米国人が防衛インフラの仕事にアクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国と同盟国の両方に必要な兵站上の能力容量を持つことになる。
米陸軍大学校の研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報の研究を行った。
チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍が現代戦の要求に適応するのを助けるために、この取組みを計画した。
1973年、米陸軍は戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。
米軍のベトナム介入は米陸軍の士気を低下させ、ソ連製兵器を装備したエジプト軍がヨム・キプール戦争で米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。
これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリン・コマンドを設立した。
新組織は、1973年のヨム・キプール戦争を研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。
今日、米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。
国防組織が20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシア・ウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。
それは、高度な自律型兵器システム、人工知能(AI)、そして米国が第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である。
ロシア・ウクライナ戦争は、米陸軍の戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。
米陸軍の戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。
ちなみに、米国はイラクとアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。
大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。
採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。
この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊の既存の空白を埋めることもできない。
つまり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在の作戦環境にはそぐわないということである。
大規模な戦闘作戦に必要な兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。
ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側の観測筋をいまだに驚かせるような方法で適応している。
わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシアの能力は、米国とNATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力の重要さを示している。
簡単に言えば、ロシアは21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。
国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要な方法のひとつである。
ウクライナの戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時に既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である。
同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。
米国は、現代戦の現実を直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。
今日、米軍は採用の危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわずか23%である。
現状では、志願兵だけの米陸軍は米国の抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。
長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。
米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合、戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国製兵器を使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険にさらす可能性もあるため、ウクライナのように外部からの支援が可能かは不確かである。
マイクロチップや軍需品製造のような産業で事業の継続性を確保するためには、危機時に供給を制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術を使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスしやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。
より多くの米国人が防衛インフラの仕事にアクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国と同盟国の両方に必要な兵站上の能力容量を持つことになる。
https://anond.hatelabo.jp/20240910195015
https://anond.hatelabo.jp/20240911001210
高卒地方在住弱者男性がいなさすぎて増田は糞だなと思ったので書く
俺以外にも弱者男性の誰か書けよ
32歳
地方在住
体重は63
顔は学生時代の卒業文集でクラスのイケメンランキングで二位だった
物覚えはよく要領はいい方だが、うっかりミスとか平気でやらかすので信用ならない
学生時代の友人は30人程度で、ほぼ毎日友達と遊んでおり中学生時代は同学年で最も友達が多かった
女性遍歴は母親への憎悪が強すぎて学生時代に彼女を作るとか考えられなかったが、社会人になってから知人に彼女を作ることを勧められコンパに参加
義務感で渋々行き人生で唯一となったコンパ経験だが、そこで彼女が出来た……が、なんやかんやあって別れる
別れた時は3分ぐらい凹んだが、それ以降思い返す事はなかった
彼女が俺より高身長で細身のモデルみたいな美人(俺視点では)だったが、今では名前も顔も何も思い出せない
不安定な時期も遠い過去になり過去のトラウマを大分払拭し他人に優しく出来るようになってきたので、婚活したいがスペックが低すぎて足踏み中
友人関係ではないが、サークルを設立し代表をやっていたのでLINEの友達登録は仕事外のプライベートだけで120人程度はいる。全盛期は70人程度は在籍していた地元では大きなサークルだった(代表交代して縮小したので過去形)
酒はノンアル、タバコは吸わない、ギャンブルはしない風俗は極稀に行くが会話を拒否してたので、女を物扱いしてるとか嬢に言われた
ゲームは複数の対戦ゲーで上位ランカーの経験ありで学生時代からゲームは強かった
しかし、俺自身はゲームで強いことに価値をあまり見出だせず友達と楽しくゲームをしていた過去を思い出しながら寂しくゲームをやってるだけのおじさんなのだ
なおネット上の友人もゲーム強い奴が多いので、あんまり自慢にならない
派手でケバくても何も気にしない
整形と豊胸はポジティブに捉えてる
よくネットでオタクチー牛弱者男性は自分が純粋だと思い込んでて相手にも清楚を求めるとか言う奴はいるが、俺には全く当てはまらない
なおオタクなので二次元も好き(社会人になってから美少女動物園にハマった)
ちなみに素人童貞
やらせてくれそうな女は若い時なら頑張れば見つけられるかもしれないが、今だとなあ……
俺のような弱者男性もっと書き込めよ!非モテ揃いなのは増田っぽいけど、婚活で簡単に成婚出来そうなボンボンのエリート大卒スペックばっかしがよお……
勉強を頑張っていい学校を出れば所得が上がる可能性もあるけど、生まれたタイミングによってはいい大学を出ても意味ない。
あくまで定型発達で、就職氷河期のころに20~30代でないことが前提条件なんだろうなあ…。
ただし、平均でみれば、結婚して、子どもがいて、家族仲良く、住んでいる地域や建物に満足して、未来を明るいと思い、ストレスをためずに生活することが幸福度を高めることが示されている。
さらに、所得水準が(同時に正規雇用であることが)婚姻率に大きく影響していることを考えれば、勉強して良い学校を出て、きちんとした仕事に就くことがその前提にあることは明らかだ。
もちろん、これは全体の平均の話であり、個別にみればいろんな幸せがあることは確かだが、幸せの方程式は、意外と昭和から変わっていない、ということなのだ。
「日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる
出勤前のただのガス抜き
日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/
国立大学が法人化されてから20年、日本の大学における研究力の低下は歯止めがかからない。
研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。
この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。
大学の研究力がここまで低下した理由は、個々の教員の能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策の問題。
個々の教員の努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。
国の研究力は(国内の研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。
それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。
大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員の研究時間が無いことについて書く。
現状、ほんとうに時間がない。まったくない。
(わたしだって、ゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)
その原因の1つは明らかに「教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。
この20年間、大学は教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。
これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。
しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員の時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。
学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。
この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシーの明確化、カリキュラムマップ整備(笑)、シラバスの整備(笑)、成績評価の厳格化、学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポート、リメディアル教育(高校の内容の再教育)、海外留学支援、インターンシップ支援、情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。
反転授業、アクティブラーニング、グループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。
一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。
一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポートの負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義のレベルも下げざるを得ない。
アカハラ、パワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生の日常生活の支援、メンタルサポートも必要となってくる。
入試の多様化は入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス、高校訪問、パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。
では、こういった教育改革によって大学を卒業する人材の質は向上したか。
おそらく底辺層、落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである。
(それでも、大学の教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)
全体的に講義のレベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。
初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。
その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。
では、大学院はどうか。
大学院の重点化、大学院教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。
修士の学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生は即戦力にはならない。
博士の学生や専任の研究員が減少し、修士の学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナスの生産性だ。
こうやって育てた修士の学生が博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。
ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本のアカデミアは学生にも見限られている。
こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば
国内トップクラスのスポーツ選手に対して、地元の中学高校の部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。
さて、今後の展望。
これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。
活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コースの設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。
文部科学省(財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。
博士の学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員の研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。
思うに郵政省には、保険不正利用による優生的ステルス迫害虐殺があったと思う
郵政省時代のかんぽ生命は現金で満期保険金受取りができたので、ここ経由でまとまった現金をやりとりすることができた(子供に生命保険を掛ければ割が良く、受取人本人確認などなかった時代)
自民の敵は迫害虐殺しとけ!という状態なら米軍駐留も安心というわけだ
土地バブル崩壊とオウム麻原が現れたあたりで統一教会はメディアから消え、内閣もころころ変わったように見えたが、郵政省の現金払いをどうするの問題もあったからではないか(規制案に当省や保険・司法団体から妨害が入っていたのではないか)
結局、保険・郵政省・司法団体は、郵政省は尻尾切り、隠蔽係として金融庁を設立することで合意し、橋本龍太郎が省庁改革、小泉純一郎が司法改革をやった
それで大蔵省は財務省になり、金融担当大臣には竹中平蔵がつき(2002-2004)、その後の中川昭一(2008-2009)、仙谷由人(2010)、松下忠洋(2012)は早世し、安倍菅内閣ではずっと麻生太郎が担当した(2012-2020)
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
正教会 | カトリック |
---|---|
主教 | 司教 |
顕栄 | 変容 |
生神女 | 聖母 |
至聖三者 | 三位一体 |
イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
はい。私は2020年の春にアメリカの団体、Intimacy Professionals Association(IPA)で養成プログラムを修了し、IPA公認として活動を始めました。コロナ禍だったのでオンラインでした。ICは2017年ぐらいからアメリカで活動が活発になりました。その頃ちょうどワインスタインの事件※があり、一気に需要が増えたんです。
※ニューヨークタイムズ紙が映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏による数十年におよぶ性暴力および性的虐待の実態を告発する記事を掲載した。 記事によると、ワインスタイン氏は1990年代から社内の女性スタッフや自社作品に出演する女優、若い女優志願者などに暴行と虐待を繰り返していた。この告発をきっかけに#MeToo運動が広がった。
――日本ではまだ資格を持っているICが浅田さんを含めて2人だと聞きました。
ええ、知っている限りでは2人ですね。
「どうやったらなれますか」「資格が必要ですか」「お手伝いがしたい」とたくさん聞かれるのですが、資格があればできるというより、資格を取るために勉強したことをきちんと理解してるかどうかが大事だといえますね。
――「資格があればいい」というものでもない、と。状況の違うそれぞれの現場での対応が必要でしょうしね。認定制度はどんなカリキュラムなんでしょうか。
現場での仕事の前に理解しなければいけないことがたくさんあるんです。
ジェンダーやセクシュアリティに関する知識や、人権のこと。同意を得ることの大事さ。何がハラスメントで、どういったものがトラウマになるのかなどが含まれます。とても繊細なことで、誰かを傷つけてしまう可能性がありますから。
――浅田さんは「株式会社Blanket」を設立して日本でICの養成にも乗り出すんですね。需要が増えているんでしょうか。
私はスケジュールの関係で断っている作品もありますし、2人では足りてないですね。ただ需要が増えているとはいえ、一気に大勢の方をトレーニングすることは考えていません。
明治初めの1873年に、庄屋一家殺しをしたりして、鉱山を買い集めた二三郎一派などの鉱業家がいた
マサチューセッツに学んだ鉱山事業家の団らが設立した東京銀座の井三生命の資金が、暗殺妻の送り込みに使われた
ところが、暗殺妻の子の一人が、事故の策謀に気づき(整形外科が治療を拒否したからである)、2008年にネットで弁護士に公開相談
すると井三Gは、自賠責の日同あい保険を買収し、さらに子イジメを画策
井三生命は名称を変えさせねばと、本日生命に売却し樹大生命という社名にした(2019年)
暗殺妻の子は裁判所からも冷遇されているが、すんでのところで敗訴は逃れた
暗殺妻の子にとっての悪は、日同あい保険を持つADMSホールディングスか、井三生命を買い取った本日生命かと言えば、前者であろうし、また200万円で井三に買収された整形外科医や、裁判資料を横領した弁護士、ひき逃げ事件を区検へ送致して略式裁判で終わらせた東京地検も、暗殺妻を保護している老人施設も、夫院内事故死事件を受理しない警察も、いわば悪である
さて悪はどう滅ぶかである
政府認可の学校は、一般に.ac.jpドメインを持っているような学校のことだ
政府に「大学」「専門学校」と認可されるには、さまざまな制約を満たさなければならない
つまり、企業グループが集まって学校を作り、企業にとって必要な人材を育成するカリキュラムを作るわけである
このような学校は市場主義において非常に合理性が高いと考えられるが、私はこういったシステムが流行っていない現状が不思議でならない
少子化も影響している気はする。子供は偏差値の高い学校から順番に選ばれていくので、企業としては偏差値の高い学校の生徒を取るだけでよくなっている
つまり企業は能力の選別はするものの、大学には「教育の内容」を期待していないわけである
企業認可の学校が存在しない理由として、企業の教育への関与が薄いことが挙げられる
企業は、教育機関に対して高い期待を持たず、単に優秀な学生を採用することに重きを置いている
また、企業が自ら学校を設立しない背景には、教育事業に対するリスクやコストがある
教育機関を運営するには、多大な資金と時間が必要であり、短期的な利益を追求する企業にとっては、魅力的な選択肢ではないのかもしれない
さらに、少子化の影響で学生数が減少している現状では、企業が新たに学校を設立しても、十分な学生を確保できないリスクも存在する
しかし、企業認可の学校があれば、企業は自社のニーズに合った人材を育成できる可能性が高まる
教育内容が企業の要求に即したものであれば、学生は卒業後すぐに戦力として活躍できるだろう
これは、企業にとっても大きな利点となるはずだ
このように、企業認可の学校が成立しない現状は、企業の教育に対する姿勢や、教育事業への参入障壁が影響していると考えられる
しかし、今後の社会の変化や企業のニーズの進化に伴い、こうした学校が登場する可能性も否定できない
企業が教育に対してもっと積極的に関与するようになれば、企業認可の学校が現実のものとなる日も遠くないのかもしれない
萌えミリタリーアニメ界隈で精力的に活動していた友人は、「特定の作品を認める・認めない」などの萌えミリ界隈で何度も繰り返されるいざこざに嫌気がさしており、合同誌制作をきっかけに炎上の的にされてしまい界隈を去った。
また、友人は「自分の好きになった作品がすぐ展開終了になること」に強いコンプレックスを抱いていた。そんな彼が「毎日新情報が来るし、絶対に展開が終わらない」新天地として見つけたのがVtuberだったが、見る見るうちに転げ落ちていった。
久しぶりにその友人と会う機会があったが、もはやアニメ漫画を捨てている状況で、ゲームもVtuberのプレイしたゲームしかやらない。あれだけ高く積みあがっていた積みプラモデルの数々も、全て売り払ってVtuberへのメンシやスパチャ代に消えているらしい。
会話のレパートリーもいかにVtuberは素晴らしいか、Vtuberを認めないアニメ漫画のオタクがどんなに醜いかという内容しかない。もはやミリタリーすらどうでもよくなった彼は、あれだけ嫌っていた萌えミリ界隈の口汚いオタクかそれ以上の攻撃性を持つようになっていた。
「Vtuberは生きているアニメキャラなんだ。ギャルゲーの進化系なんだ。」こんな支離滅裂な発言をするまでに落ちぶれた友人に、もはやかつて共にアニメを語った姿の面影はどこにもない。
俺が昔好きだったA(仮名)というイラストレーターも、オリジナル同人誌の商業化が頓挫してからVtuberへとのめりこみ始め、潤羽るしあ解雇の際にAが「解雇される理由が全くない、3期生の絆は理不尽な解雇に負けない」と擁護を始めたのに呆れてフォローを外した。
現在、Aは完全に同人を捨てて、鳴神裁を妄信する個人Vと結託してVtuber事務所を設立していると聞いたが、詳細は知らない。
人の弱みに付け入り洗脳するコンテンツであるVtuberがカルトでなければなんなのか。このような文化を野放しにしてはいけない。
村上財団開いた村上世彰は自分の経済犯罪疑惑で家宅捜索入った影響で多大なストレス受けた娘が流産して孫を失っている
その際に苦悩する娘の相談相手として母子支援事業をしている駒崎弘樹を招いた
村上財団はそれから設立されて母子支援を主としており失った孫を供養するための巨大な墓標のようなもの
一方で村上は渥美陽子も溺愛していて大株主やってる会社の社外取締役などプレゼントしまくっている
村上はどちらを取るのか
コパイロット教えて
一般社団法人って儲かるの?
回答を生成しています…
一般社団法人も利益を上げることは可能です。ただし、NPO法人と同様に、得た利益を構成員や役員に分配することはできません。その利益は、組織の活動や目的に再投資する必要があります12。
一般社団法人の収益源としては、会費、寄付金、助成金、サービス料や商品販売などがあります2。また、一般社団法人は営利目的の事業を行うことも可能であり、利益を上げること自体は問題ありません3。
ただし、一般社団法人の設立や運営には、社会的な信用や透明性が求められるため、しっかりとしたビジネスモデルと運営体制が必要です1。
他に具体的な質問や知りたいことがあれば教えてください!
コパイロット教えて!
NPO法人って儲かるんですか?
回答を生成しています…
NPO法人(非営利組織)は、基本的に利益を追求することを目的としていませんが、利益を出すこと自体は問題ありません。ただし、その利益は役員や会員に分配するのではなく、組織の活動や社会貢献に再投資する必要があります12。
NPO法人の収入源としては、寄付金、助成金、会費、サービス料や商品販売などがあります2。しかし、設立初期は寄付や助成金を集めるのが難しく、安定した収入を得るまでには時間がかかることが多いです1。
また、NPO法人の平均年収は一般的に低く、設立初期は無給や低給で働くことを覚悟する必要があります1。そのため、NPO法人を設立する主な目的は、社会問題の解決や公益活動であり、金銭的な利益を期待するものではありません1。
何か他に知りたいことや、具体的な質問があれば教えてください!
我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。
私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います。
そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療・福祉分野の財・サービスを提供する事業に対し、「女性のためのアジア平和国民基金」が支援を行っていくこととなりました。
日本国民の真摯な気持ちを表れである「女性のためのアジア平和国民基金」のこのような事業に対し、貴政府の御理解と御協力を頂ければ幸甚です。
我が国政府は、1995年の内閣総理大臣談話によって、我が国が過去の一時期に、貴国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしました。現内閣においてもこの立場に変更はなく、私自身、昨年6月に貴国を訪問した際に、このような気持ちを込めて旧蘭領東インド記念碑に献花を行いました。
そして貴国との相互理解を一層増進することにより、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の下で、歴史研究支援事業と交流事業を二本柱とした取り組みを進めてきております。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。
USAボクシングは2024年からトランス女性を女性として参戦させる方針を決定した。
「マイク・タイソンをご存じで?」
「ああ、もちろん」
アメリカンジョークのようだが議員は本気でマイク・タイソンに女子選手を殴らせてもOKと考えていた。
バンダム級世界王者ブロンドボンバーはトランス女性と戦ったら殺されかねないと反対意見を出していた。
私はトランスジェンダーそのものに異は唱えないし、あなたは幸せをつかみとればいいと思う。
だが現実的に、生まれながらの女性とトランス女性は同一ではないんだ。
そして彼はそれを完ぺきにこなした。
アメリカのボクシング業界は、女を殴りたい女装男のために女子ボクサーは死んでもいいと、彼らはそれが正義だと思い決定した。
世界で何が起こってるんだろうな本当に…。
一日中SNSに張り付いては「海外では〜」だの「絵師の権利が〜」だのご高説を垂れ、AIとAI利用者に対して呪詛を吐く。
それで社会が変わると本気で思ってるのか?
本気で規制したいのならスマホポチポチしてないで現実社会で行動を起こせ。
法律や技術の専門家を交えて、オープンな形で具体的な規制案を練れ。SNSで仲間内で議論してても何も始まらねえだろ。
ブログやメディアから始めてセミナーや講演会を開催し、地道に一般人に啓蒙活動しろ。社会のメインストリームは真っ当な仕事に就いて汗水垂らして働いてる人たちなんだから、きちんとその層に生成AIのデメリットについて教え込め。
不買運動をやるなら覚悟を持ってやれ。「○○はもう使いません」発言や自分のイラストを、無断学習でAI開発してるX社のSNSで投稿するな。AI推進してる企業の製品を何か一つでも使わないと決めたならGoogle,Apple,Microsoft,Meta,Androidの製品も同様に使うな。行動に一貫性を持たせろ。
自分たちで団体を立ち上げて、政府にロビー活動しろ。LUUPだって業界団体の設立から公道での実証実験に至るまで何年も地道にロビー活動して、ようやく道路交通法改正にこぎつけたのに、SNSでピーピー喚くだけで規制できると思ってるお前らの頭が心配だ。
声をあげてれば誰かが何とかしてくれると思ったか?政府や企業、そして世間はお前らのお母さんじゃねーんだよ。自分たちは正しいのだから待ってればいつか手に入るなんてただの幻想だ。欲しいものがあるなら自分たちで掴み取れ。社会を変えるのはいつだって目的を持って一歩一歩行動した人間だ。今すぐXを閉じて、自分には何ができるのかよく考えろ。これだけ言っても何も響かねえのならAIに淘汰された方が人間社会のためになる。
蓮舫は立憲民主党内の野党共闘路線の大きな一角だったのでは?論を書いた増田だけど、立憲・小沢氏、次期代表「泉氏でやったらまた沈没」 支持しない考え:毎日新聞を読んで、更に立憲民主党内で野党共闘支持派が都知事選で野党共闘を行ったことによって現職小池百合子都知事へ肉薄するという華々しい結果を持って蓮舫の立憲民主党代表就任を目論んでいたのではないか?
ただ、その計算は石丸伸二元安芸市長の想定外の出馬によって狂ってしまい、野党共闘路線を裏で糸引いていた小沢一郎も流石に計画修正をせざる得ず、泉立民代表への不信を内外へ煽って野党共闘支持派の結束を高め、豪腕として知られる政界の破壊屋小沢一郎は立憲民主党を割って計画修正を最小限で留められる野党共闘路線の新党設立を目論んでるのではないか?という予想
もちろん立憲民主党を割れば政党として規模の優勢が得られにくくなるが悪い話ばかりでない。以前から批判を浴びている泉立民代表派閥や野田元首相派閥などの野党共闘路線の不支持としか取れない歯切れの悪さ、非協力的な姿勢を立憲民主党として動いている間は利害関係から如何ともしがたかったが、蓮舫新党であるならば純粋な野党共闘路線政党なので政党内の意思統一は容易い
野党共闘支持派が抜けた立憲民主党の泉立民代表派閥や野田元首相派閥からしても小沢一郎派閥や蓮舫派閥との利害関係の拘束力が弱まり、外部政党として交渉が可能なのでこれまで以上に動きやすくなり、何なら国民民主党と再合流なんてのも非現実的じゃなくなる
蓮舫新党は野党共闘のハブとして駆動することによって、都知事選で力の入った支援をしてくれた日本共産党と友好な関係を築きつつ、古巣の立憲民主党や旧民主党として繋がりのある国民民主党との連携はもちろん、包括的な野党共闘を実現するため日本維新の会と交渉することだって可能になってくる
蓮舫新党は野党共闘によって自民党の悪政を打倒し日本初の女性首相を生み出すという志に希望を見出す国民のための非常にわかりやすい政党となるのではないか、そしてこれは今最も望まれている政党なのだと思いたい