はてなキーワード: 残酷物語とは
私の紅衛兵時代: ある映画監督の青春 (講談社現代新書 1008)
目次
●群仏──街に繰りだす紅衛兵
●狂灰──いくつもの死と生
概要
一九六○年代後半,中国の若者を熱狂させた紅衛兵運動は,いまや全面否定されるに至っている.しかし,そもそも彼らは何に反発し,いかなる理想を抱いていたのか.「紅衛兵」という名称の生みの親であり,運動初期のリーダーでもあった著者の体験と思索の遍歴から,文化大革命に激しく揺れ動いた時代の中国の姿が鮮やかに浮び上がる.
https://x.com/himasoraakane/status/1806139424671150100
【都知事選】石丸伸二氏「当選したら全ての都立高校の生徒会長に100万円配る」
なんか定期的に株を買わんやつはアホみたいな話出てくるけど、株を買わない人間は珍しくない。というか少し前まではまともな人間は株を買わないものだった。(自分は買う派だがこれは単に山崎元を信用しているに過ぎない)
ここ10年くらいで便利でまともなネット証券が普及してくれたけど、昔の対面式証券は本当にクソだった。どれくらいクソだったかというと「ノムラ證券残酷物語」でもググって読んでみてほしい。はめ込みだのなんだの一般の客なんてゴミ扱いで、それで恐ろしいことにこの会社が業界トップなんだわ。つまりはそういう業界。昔はヤクザとかお得意さんに損失補填なんてものあった。年配の人間なら身の回りみたらクソみたいな株だの投資信託など買わされている人を見かけるのはよくある。そら株なんか胡散臭いと思うのが普通。
株買うデメリットに株価が気になるというのがある。これは個人差が大きいから正直人による。自分は気になる派だからつい見てしまう。まともなネット証券が増えたのはいいことだが、いつでも株価を見られてしまうというのは割とデメリット大きい。株価下がって○万円損したら、なんか今日一日タダ働きかよ、みたいな気分になってついつい散漫になるし、そのそも株価見るだけで集中切れるから仕事能力にデバフかかる。出入りの若い業者と雑談してたら、株の話になったので聞いてみたけど、やっぱり業者のあんちゃんも気になるようで「実は作業中も隠れてこっそり見てるっス」とか言ってた。おいおい…(人のことは言えないが)。いくら長期的にはプラスの可能性高いっていっても、含み損抱えてるとストレスフルだし、不況来たらもう毎日市況かぶ全力2階建見て、他人の損みて気分紛らわすしかないんだよなあ。
「投資と投機は違う」とかいうけどさ、投資にギャンブル性があるのは否定できないわけで、ギャンブルや賭博の定義を見ると
https://kurihama.hosp.go.jp/hospital/case/gamble_case.html
https://keiji-pro.com/columns/184/
まあ株式購入なんていうのは法にには触れないがガッツリ賭博要素があるのは否定できない。やってはいけない、とまでは思わないが、ネットで株始めて、株式購入→信用取引→FX→CFDみたいに順調に?ギャンブル要素の強い方へ流れていく危険性って割と無視できないと思うから、あんまり人には勧められるような話ではないとは思う。
だいたい「投資はプラスサムで投機はゼロ/マイナスサム!」とかいうけどさ、証券会社の手数料分はテラ銭取られるからマイナスぶんはあるし、無配ならゼロサムじゃん。経済成長率0.5%とかの状況で2%の手数料取る銀行系証券会社の国内投資信託なんてのは実質ゼロサムじゃなかろうか。
とにかく株はギャンブル要素がある以上、向き不向きがあるもの(好きすぎても嫌いすぎてもダメ)なので、そんなに文句なしに勧められるようなものではないと言いたい。
45歳になりました記念に書く。
ネットで、「氷河期マウントはもういいよ」みたいなコメントをよく見るようになった。
思えば、氷河期ロスジェネなんてもう20年前、確かに大変だったろうけど、その間にリーマン東日本大震災コロナと、いろいろあったし
若い人が「氷河期いつまで擦ってんだよ」っていう気持ちになるのもわかる。
そんな俺は氷河期世代ではあるが、幸運なことに就職にそこまで苦労しなかった。
さすがに2浪して、やばいって思って受験も学校の勉強も頑張ったので、成績はよかた。
同じ研究室の仲間は教授推薦で地元の企業に就職したりしていたが、俺はそれしちゃうと断れないので、自力で就活したけど
ESは10社くらい、履歴書はたぶん5通くらいしか送ってなくて、2社ほど最終まで進んで、先に内定くれた今の会社にはいって19年になる。
なので、ネットでよく見る氷河期残酷物語みたいのにはあまり共感がない。自分も研究室の同期もそこまで苦労してる印象はなかったので。
この19年で結婚もしたし、子供もできたし、30年ローンで家も買ったし、バラ色ではないかもしれないけど、そこそこ楽しく暮らしているし
会社の同僚や仕事で知り合った同世代も、まあ似たような生活をしているので、40代非正規悲惨問題などはネットをしていなければ
ずっと知らなかったと思う。
氷河期世代と一口にいっても、格差がかなりあると思う。俺は普通に暮らしていく上では、氷河期世代問題を認識することはほとんどない。分断を感じる。
で、じゃあそんな40代非正規のひとをどうすべきか、みたいなことを考えるに、ちょっといい手は思いつかなかったりする。
自分もそうだが、40過ぎれば体力にも健康にも問題が出てくるし、40までまともなキャリアやら経験やらを積み上げていけなかった人を採用して
教育して戦力になってもらって、とやるのはちょっと非現実的だよな、と思う。
自分や家族を犠牲にそういう人を救おうとも思わない。自分と家族が大事。
きっと氷河期はこれからもいろいろと割を食っていくんだと思うけど、とにかく自分と家族を守っていこうとしか考えていない。
コロナ影響で突然、失職してしまったご近所さんがいる。俺がもしそうなったらと思うと、恐ろしくて震える。家族と家のローンがあって
実家には老いた父がニートの妹と暮らしている。とても頼れない。
精々、リストラ対象にならないように仕事頑張るしかできない。どうしたもんかな。誕生日にこんなこと書く時点でもうダメかもしらん。
お前らも頑張って生きろよ。あばよ。
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
知識不足による誤解・曲解と(SES・準委任と派遣契約が区別できてないとか)
ごっちゃになってて、知ってる人にも知らない人にも読んで得しない文章だなあと思った。
「ここ最近の話」で言うと、ユーザー企業が人に割く予算はますます減っているので
エンジニアリング能力を提供できない人間には金を払わないユーザーが増えてる。
金額に見合わない目に見えるレベルの無能は秒で替えろと言われる。
一日中Excel表いじってるだけの仕事が許されるとか逆においしいし
SES会社は簡単にクビにするほど人は余ってないし、無能なだけならどうにか使おうとする。
「多くの場合、派遣会社の営業は客に従うため客が「安くこき使いたい」と考えて
低評価で低賃金を主張したら余程の事がない限り営業は客に従う」ってのも、
営業は客にヘーコラしてる印象かもしれないが、馬鹿じゃなければ高く売りたいに決まってる。
SESの場合メンバーの評価は客からの評価を鵜呑みにせざるを得ない状況は大いにあるが
もちろん、それがメンバーの給与に反映されてるかどうかは別で、
客には高く売って給与は安く抑えるというのがSESで儲ける常套手段なのがクソという話はある。
「こっちは金を出してるんだから教えることに時間を取ることもミスすることも許さない」
なんてのはSESなのになんで客が教育しなきゃいけないんだとしか思えないし
(小さいミスが大きな損害に直結するような運用はおかしいとかいう話は別)
「専門学校でプログラミングを学びjavaの資格も取った新卒が客先でシュレッダー係りになっていた」
という話にしても、
まず「専門学校でプログラミングを学びjavaの資格も取った新卒」ってどうなのってのと
前述の通りシュレッダー係に金払う余裕があるユーザー企業って今日びどれだけあるねんってのがあって、
雑用メンバー入れられる余裕のあるチームならベテランもいるだろうし
ある意味では成長機会に恵まれる可能性さえある気がする。ガチャでレア引くレベルの確率で。
SESがクソなのは、時間単価契約なので効率よく働くより長時間働くほうが売上が上がるため
生産性向上のインセンティブが発生せず、長期間ダラダラと続ける方が会社にとっておいしい構造であり
特に若手にとっては成長機会が奪われることが大きな要因だろう。
#年齢がある程度いってて特定の領域に特化して技術力が高い人など、SESがうまく機能するケースもなくはない
人件費の差額で儲けるモデルだから売上のない社員がいると利益率が目に見えて下がるため
ちゃんとした研修をしている時間はなく(時には虚偽の経歴で)すぐに客先に送り込まなければならない。
また勤務時間が長すぎる、人間関係がきつい、現場の業務が自分のやりたいことと乖離しているなどの理由で
現場を離脱したくても会社は社員の思いより売上確保を優先して継続させる方向に力が働き、実際そうさせることが多い
#もちろん会社によっては社員の気持ちを優先してくれる場合もあるんだけども
#自分も過去に「この客はやばい、すぐ抜けさせてくれ」と訴えて2ヶ月で抜けたことがある
そもそも社員の幸福と会社の幸福が一致しないビジネスモデルであるのもクソである要因だろう。
「せざる負えない」は「せざるを得ない」だぞというのが言いたいことだ。
あなた方が行っている行為は、言論弾圧や自由な発言、使い方を全否定する運営方法であって、
Qiitaの運営事務局は、いつからそんなに莫大な権限を持ったのでしょうか?
Qiitaは言論弾圧して、そこまでして恐怖政治を行いたいのですか?
私個人が、広告塔を貼って、利益を得ていたというのであれば話は別ですが、
普通に投稿して、広告も貼っていないので、私には利益は一銭も得ていません。
そんなに自由に使われたくなければ、インターネットの世界からQiitaは退場して頂け無いでしょうか?
個人的な感情で、私個人を攻撃するのであれば、このカレンダーに記事を提供して頂いた他の皆さんを巻き込む
必要は無く、私の記事だけ削除なり、非公開にすればよいのではないですか?
そちらが感情的に削除や非公開を繰り返すのであれば、インターネットの自由を取り戻すために、
私が御社へ伺って、直接対面の話合いで決着をつけようではありませんか。
たった一人のユーザを潰すのに、必死になっているQiitaは会社として、Webサービスとして
みっともないです。
ここは逃げずに、メールではなく、対面で話し合いを希望致します。
このやりとりは、私一人が記事を提供しているわけではないので、
2017年1月6日 20:49 Qiita/Qiita:Team Support :
##- 返信の際は、この行より上にご記入ください -##
mesakaさま、
Qiitaのご利用及びアドベントカレンダーの作成ありがとうございます。
http://qiita.com/advent-calendar/2016/free_zankoku
こちらのアドベントカレンダーを作成していただきましたが、作成フォームに記載の通り
Qiitaでのアドベントカレンダーはプログラミングに関連するものに限定しております。
https://qiita.com/advent-calendar/2016/calendars/new
当アドベントカレンダーの投稿を精査させていただいた結果、
多くの投稿がプログラミングに関連しないと考えられるため、削除させていただきます。
よろしければ代わりにAdventarの利用をご検討ください。
削除は2017年1月10日午前0時(日本時間)以降の実施を予定しています。
当アドベントカレンダーに登録されたQiita上の記事が削除されることはありませんが、
利用規約にもとづいて記事を個別に非公開にするなどの対応を取らせていただく場合があることをご了承ください。
なお、バックアップのため当アドベントカレンダーの情報を本メール末尾に添付します。
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URL:http://qiita.com/advent-calendar/2016/free_zankoku
概要:
フリーランスで良い面ばかり宣伝されていますが、悪い面、ひどい目にあったことを匿名っぽく書いて、心の傷をなめ合いませんか?
プログラミングやシステムだけ知っていても、エンジニアとして生きていけないと思うんだな。本来ならば会社の飲み会で先輩から教えて貰うことを、このカレンダーでは、おっさんが淡々と語ります。技術的な話も書くかも知れないし、エンジニアとして生きて行くために必要な知識を、若いエンジニアに知っていて貰いたいというお節介なカレンダーです。
どうしても削除したいらしい、私のadventカレンダーを。
この記事は「フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016」15日目のポエムです。えっ、まだ12月15日じゃない?あぁ、そんな事もあるかもしれないですねぇー。でも気のせいじゃないですかたぶん。
まず前置きですが、mesaka さんの書いた記事が萌えましたねぇ。じゃなくて燃えましたねぇ。まぁ、会社にバカにされたっていいじゃないですか。社員プログラマーにバカにされたってしったこっちゃありませんよ。Qiita ユーザーにもバカにされ、はてブに晒され、社会からゴミ扱いされたかどうか分かりませんが、フリーランサーはそれでも生きている限り契約を繰り返し日々前進していかねばならないのです。愚痴ることで生きていけるのなら問題ないのです!というわけで、mesaka さんには最終日の日記でも燃料を投下してほしいと思うわけです。よろしくお願い致しますm(_ _)m
前置き終わり。さてさて、僕がフリーランスだった2004年頃に体験した、奇妙で残酷な作業依頼のことを書きたいと思います。
フリーランスになる前はゲーム会社で社員プログラマーをしていました。コンシューマやアーケードゲームを何本か開発したのですが、ゲームの発売が近づくと月400時間以上の長時間労働を行います。そんなことを何回もやっていると人間は壊れます。裁量労働制の裁量ってどんな意味だろう、、、と考えながら3年働き、もうダメだなと思った時に同期の10人は誰も残っておらず、一番最後の退職者となりました。その後1年は携帯ゲーム会社でゆるふわな開発を行い、元気がでてきたところでフリーランスとして働き始めました。
初めての契約は 3DRPG を開発している会社と結びました。準委任契約なので会社に出向し決まった時間働き、毎月決まったお金をいただく形です。業務内容はプログラミングとそれに関連する作業となります。関連する作業は曖昧ですが、まぁ雑用含めてお仕事するうえでの作業全てなので、社員プログラマーと働き方はそんなに変わってない思います。
一般的なプログラム作業であれば、例えば MMORPG の開発ではマップ表示を担当しましたが、これはマップ担当の3Dデザイナーさんとデータの仕様などを決めていって、あとはプログラミングするだけのお仕事です。この開発ではプログラム全体の設計とプログラマーのまとめ役もやっていたので、メンバーへの指示出しやタスク管理もプログラミングに関連したお仕事です。
少し変わった作業だと PS2 で発売した 3DRPG のコードを渡され、「VisualStudio で動くようにして。大丈夫、描画エンジンだけ DirectX で動くものを別で用意したから」という依頼だったりします。幸いにして同じような依頼を前職の社員のときに受けていました。その時は PS 用に発売した 3D 格闘ゲームのプログラムを渡され「ナムコのSystem12基板で動かせるようにしてよ。大丈夫、PSと System12 の違いは CPU のクロックが違うだけだから」というものでした。どちらの依頼もプログラムと向き合うだけの作業なのでとても単純なです。CodeWarrior で書かれたコードを VisualStudio でコンパイルすると2万くらいコンパイルエラーを吐き出すのですが、それをもくもくと修正するだけです。
新人プログラマーの教育係もプログラミングに関連したお仕事です。ペアプロで一緒にゲームを開発していくのはとても楽しかった!あと成長していく新人かわいいぺろぺろ。
当時その会社ではまだバージョン管理ソフトを使っていませんでした。社員毎に Samba のディレクトリがあり、そこにプログラムファイルを配置して共有を行っていました。さすがにこれは不味いと思いバージョン管理ソフトの提案も行いました。前職では CVS と Microsoft Visual SourceSafe を使用していましたが、CVS には悪夢(マスターアップ1週間前にデータが壊れる)しか思い出がない事と、Visual SourceSafe は無料ではなかったため、当時流行りだしていた Subversion を検証したレポートを作成し、それをもってシステム管理部門を説得するということもプログラミングに関連したお仕事でした。システム管理部門は企業のガーディアンですので、そうそう実績のないソフトウェアを会社内の PC にインストールさせるわけにはいきません。2004年頃の Subversion は Ruby など新しい技術を使う Web 業界ではそれなりに認知度があったかもしれませんが、C++ も使わず C のみで開発を行っているゲーム業界での認知度はとても低いものでした。時間をかけじっくりとシステム管理部門を説得していく必要がありますが、これはプログラミングに関連したとてもとても大切なお仕事です。
なお、会社から社員にならないかとの提案を頂いたのですが、当時はフリーランスという契約のみで結ばれた、ときには人情のかけらもない綱渡り状態にスリルと興奮を感じていたため断りました。24歳という若さのためか、それとも前職で壊れた頭がまだ治っていなかったのかはわかりません。
そのようなプログラミングとプログラミングに関連する作業を行っていたところ、プログラマー全体を統括するマネージャーから奇妙な作業依頼を受けました。それはとある社員プログラマーのスキルチェックをして欲しいというものです。
新人教育でもなく、サポートしながら一緒にゲームのプログラミングを行っていくのではなく、スキルチェックです。スキルを見るならペアプロでもしてゲームの実装を行っていくのが良いと思ったのですが、製品にそのプログラムを入れたくという事で却下されました。また、スキルチェックに僕の時間をあまり使ってほしくないそうです。まぁそりゃそうだよねゲーム開発に時間使わないと。そこで、既存の開発とはまったく関係ないプログラムの課題を出して実装してもらいました。
しかし、まず課題を説明するところから問題が出ます。こちらの説明を全部紙にメモっているのですが、話が先に進むとメモれないとのことでメモり待ちが発生しました。口頭で2分くらいで伝わる仕様が10分くらいかかります。全部話しを聞いてから後でメモるのではダメなのかなと思ったのですが、どうもこのやり方でしか話が聞けないようです。
翌日に進捗を確認したかったのですが帰ってしまっていたので、次の日の朝に進捗を確認するとまだ実装中とのことでした。分からないところがあれば聞いて欲しいと伝え、作業を続けてもらいます。毎日こちらから進捗を確認するのですが、もう少しでできるという返事を貰う以外に特にアクションを起こしてきません。そんな状態で1週間が経ちました。ちなみに課題は1日くらいで実装できるものと想定していました。そして、この状況をマネージャーに説明し、チームメンバーに入れれるかという質問には難しいと答え、作業は終了となりました。
フリーランスの解雇は簡単です。しかし、社員の解雇というのはとても難しいものです。金の横領など分かりやすい行動をとった場合は別ですが、プログラミングスキルが低い事で一方的に解雇しようものなら逆に訴えれて終わりです。僕の今まで関わった会社さんでも、解雇した社員が訴えを起こさない代わりに和解金を要求し成立したケースもありました。スキル不足の社員を解雇するなら、社員にその事を納得してもらい円満に退職してもらうのが良いと思います。納得してもらうには情報が必要です。「○○を依頼しましたが、あなたは達成できませんでした」という情報をいくつも集めて納得してもらいます。退職していかれた社員プログラマーがフリーランスの僕のところに来る前、2人の社員プログラマーのもとでスキルチェックを受けていたそうです。僕で3人目だったわけですね。それら3人分の評価を伝え、納得してもらい退職してもらったのだと思います。
なんにせよ、一連の流れの中で僕は社員に印籠引導を渡すという残酷な作業をしていたわけです。正直楽しい作業ではありません。このような不幸なフリーランスを増やさないためにも、社員の方々には採用時のスキルチェックをしっかりと行って頂きたいと思う次第です。というかそいう首切り作業は社員でやって。。。あ、でも外部委託した方が会社としてメリットが大きいか。
こちらの会社さんがある意味消滅と言ってしまえるような状態になったので別の会社で社員として働いたものの、また頭がおかしくなってたのかフリーになり、受託用の個人会社まで設立し、その会社も今年で閉じ、今はサンフランシスコで英語の勉強と趣味のプログラミングをしています。あまり普通ではないので最初の会社でアホになってからそれが治ることはなかったようです。長時間労働マジ怖い。
自己紹介が遅れましたが akiraak といいます。Qiita に糞ポエムを晒すのは公衆衛生上よくないと思い増田に排泄した次第です。Qiita ではこんなのを書いています。
感想を探したけど、ニュースになっている割に多くない。あったとしても、「良かった!」「感動しました!」的な、映画館から出てきた観客がインタビューされているCMみたいなのばかりが目立つ。
とにかく又吉直樹という人は、善良で優しい人間なのだと思う。小説の登場人物は皆、基本的にモラリストだ。好感が持てるし、きっと広く読者に受け入れられるだろう。
文章力もある。稀に装飾過多の悪文が挟み込まれるものの、全体的には読みやすく、表現も豊かだ。おそらく読書家で勉強家なのだろう。
多くのタレント本がそうであるように、本作も半自伝的物語が綴られている。個人的に、純文学は自分自身について書くべきだと思っているので、題材として正しいと思う。
全体のストーリーは、主人公徳永と才気走った先輩芸人神谷さんを中心に描かれる、芸人残酷物語だ。おもしろうてやがてかなしき何とやら、と言った感じの、切なく泣ける中編に仕上がっている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
(「その」の連続が多少気になるが、)グッと来た。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをして顰蹙を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
このくだりも良い。近年よく見る、遅咲きのプチ一発屋芸人の悲哀が伝わってくる。
葛藤、焦燥、栄光、そして挫折を描く普遍的な青春物語として、出色の出来かもしれない。
著者の「笑い」に対する熱い思いも、信仰告白のように誠実に語られている。芸人の話だから、当然漫才のような掛け合いシーンが多い。本職だけあって、どの場面も面白く読め、さすがだと思った。
ただ、コンビを解散する主人公の最後の漫才が、感動を押したいあまり、ネタとしてはイマイチというか、そもそもアイデアとして凡庸で(おそらく「帰ってきたドラえもん」のラストが元ネタ)、ちょっと拍子抜けした。
最初に書いた通り、登場人物が皆善良なのが、読んでいて少し物足りない。もっとドロドロした内面や、反吐が出るような不快な気分にさせる場面も見たかった。例えば、破天荒系の芸人の神谷さんがラスト、逸脱した行為に及ぶ場面があるのだけど、すぐに主人公の圧倒的な正論によってたしなめられる。それは、ツッコミが正しいツッコミをしているだけとも言えるが、正論が免責事項のように細かく冷静にセリフで説明され、何となく冷めてしまう。「政治的正しさ」にそこまで配慮するのは、著者が(つまり主人公が)テレビで仕事をしているからで、キャラクターとしては正解なのだけど、やはり萎える。
お笑い芸人は常識人ゆえに、常識をズラしてネタが作れるわけで、だからこそ自分に正直な小説を書くと、良心的で分別のある物語になるのかもしれない。それは作風であって間違いではないし、太田光や劇団ひとりの小説も似た印象を感じた。
まぁ、元記事の大学(院)出身な私なわけですが、母校の残念な出来事にしょんぼりしてます。
ただ、こういった進学・進級に関するトラブルは東北大に限ったことじゃなく、特に理系の大学では多かれ少なかれどこにでもある話だ。
留年がかかった実験レポートを本人の目の前で丸めてゴミ箱に投げ込んだ教授の研究室で学生が首吊ったなんて事件もあったよなぁ・・・某大で。
就職が決まった学生なんかとっとと放流しちまえばいいのに、たいした指導もした記憶もないくせに修士論文の一次審査直前になって慌てて研究成果に目を通して、「今までなにやってたんだ!」と罵ったあげくに修了させず、ついにはM4なんて珍妙な院生を作った某大とかね
こんな残酷物語なんて実は珍しくない。
しかし、博士課程に関してはこういうリスクが100倍以上高まるという感覚もある。
大体、ここ数年ちゃんと博士号取って入社したドクターコース出身者なんて見たことねぇ。(一応、一部上場企業メーカーです)
大概、単位満了で退学・・・・だ。(それでも本人たちはかなり優秀よ)
たまたまダイヤモンド・オンラインで読んだけど、なんかダメな文系記者って感じ。
タイトルは
>全国に法人タクシーが約23万台もあるのに対し、個人タクシーは約4万5000台しかない。(中略)
>規制緩和以降、荒波に飲み込まれた個人タクシーの台数は全国で約630台減ってしまった。
たったの1%ちょっと?そんなの高齢化による引退で説明できて規制緩和とか関係なくない?
>1台の1日当たり平均運送収入は、2300円も減って4万8000円前後となっている。
これも5%弱減。
>物流や航空など、規制緩和で過当競争に陥った業界は少なくないが、これほど「負の連鎖」が広がっている業界は、他にないだろう。
そもそもさあ「過当競争」だなんて供給側は常に思うわけでしょ。値段が下がっただけの質の低下と供給者側の損はあるかもしれんが、
それを補うだけ消費者側にメリットがあれば、経済全体ではいい。で、そんなところは検証してない。まあそれはタクシーの運ちゃんから意見聞いてるだけの、記者だと誰だってそうだから仕方ないんか。まあ経済記者なんて経済オンチの巣窟だし。
でもさあ、「連鎖」ってのをまったく示してないんだよな、この記事で。AがBの理由になって、そのBがAを増強させてっていうような。それって経済オンチ以前に、文章の書き手として阿呆な感じがする。そんなやつが署名記事なんて持たなくてもいいのに。まあ、『居酒屋タクシー』についても、そういうのがあるって言う以上に、なんでそれが必要なのか理由を示してないしさあ。単に個タクがそういうのをやってます、個タクの台数減ってます(って言って上の数字)だけだし。
“マック残酷物語第2章”FC強化で「大量退職勧告」 (夕刊フジ)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_mcdonalds__20080526_8/story/26fuji320080526013/
「本社は手始めに、今年中に直営300店のFC化を計画しているそうです。勝てる見込みのない高野さんの裁判を続けているのは、ここで敗訴が確定してしまえば、他の店長が同じ訴えを起こした場合にも、同じように過去に遡って残業代を払わざるを得なくなり、総額は200億円になるともいわれています。店長たちが退職してFCに移籍すれば、今後の巨大リスクを一気に軽減できるということです」
なんだかなあ。
こんな所でメシは食いたくないな。
賞味期限切れてようが、変なもの入ってようが、何されても文句言えないよ。