例大祭のこと分からんけど。
例大祭?ってなんですか?
と書かれたところの「例大祭」の部分に、ほのかにアンダーラインが見えるでしょ?
これは、はてなダイアリーキーワードへのリンクになっていて、その部分はマウスでクリックできます。
例大祭をクリックしてごらん。増田内で「例大祭」の語を含むエントリーが一覧でき、かつ、「例大祭とは」という、例大祭に関するはてなダイアリーキーワードへのリンクが表示されるから。このリンク先に、解説されていますよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://phpspot.org/blog/archives/2007/04/javascriptie1.html
http://phpspot.org/blog/archives/2007/04/javascriptie1.html
こいつらなんなの?アホなの?document.constructorでよくね?
ただメインイメージについては、素材次第でだいぶかわってくる。
イケサイ載ってるサイトでも、
「これ写真がいいだけじゃん」ってのもあるからなぁ。。。
駄目クリエイター、略して駄目クリちゃん。
駄目クリちゃんは出来上がりがひどいのを素材のせいにする。
しっかりした仕事をする人なら、素材のひどさをフォローする作業に手間をかける
orはじめから素材をあてにせず別の素材を自分で探してくるんだが。
それで「私は仕事に手を抜かない主義。
こんな素材を持ってくるなんてバカにしている」
とか言い訳するんだから、おかしくて仕方がない。
現実として同じ素材でもっといいものを作る人がいて、
出来が悪いのは素材ばかりのせいじゃないと皆わかってしまったわけだがね。
素材にうるさいというならわかる。
(実際そんなクリエイターは、どんなにひどい素材をもらっても
一流の仕事にしてしまうのだが)
経済学者なら、普通に「かわいそう」を効用または不効用として扱うと思った。
ただ、伝統的な経済学はアダムスミス以来の政治経済学なのであって、人間社会の問題に答えることはまさにど真ん中ストレートなのであって、そこまで距離を置いていないと思う(方法論として距離を置くことはあっても、それは方法論上の便宜なのであって、問題に対する態度それ自体はまた別である)。経済学の課題は人間社会の問題に対する処方箋を描くことなので、他分野のアカデミックの人よりは熱い人多いと思うよ。
改善点を申し上げたら、別にいいんじゃないとあしらわれた。
ショックだ。ちょっとしたところだけども確かに間違っていたのにそんなに軽いなんて。
かなり真面目に考えて調べてから言ったのに。
細かいところが気になる性格だけど。
あまりの細かさにあきれて口からあしらいの言葉が出たみたいだった。
ああいう人たちの下にいると自分の特徴の細やかさを発揮できないどころが疎まれてしまいそうだ。
そう。うまくやれ、だったな。報告も自分の都合の悪いところは出ないようにしながらそつなくやれと言うお話だった。
しかし私はそんなに器用じゃない。不都合は黙秘すればいいのか。と言うとそれは違うみたいだし。なにより仕事にならない。
心身共に力が入りすぎているからそうなるんだろう。伸びやかになれば、それは、やっぱり細かさが伸びやかに発揮されるだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20080526234507
ここも抑えておくとよさげ。
自宅着やスポーツウエアなら兎も角、おしゃれ着はドライ用洗剤でドライモードで洗わんとすぐにヘタルぞ。
ヘタッた服を着ていると、問答無用でオタクか低収入にしか見えんから注意な。
折れ的には安い服をゴシゴシ洗って、すぐ買い換えるよりも、良い服を丁寧に洗って長持ちさせる方が
財布に優しいし、おしゃれに見えるぞ。
横からだが、捨てられる確率は同等じゃないだろ。
逆に言うと、分かれる回数が多くなるほど閾値は下がるというか。
と言うか、
妊娠したとき、父親の特定が容易
から
「処女は自分を捨てて他の男に走ったりしない」と思い込む
につなげるのは穿ちすぎじゃね?
そんな突っ込みいれるなら、処女・非処女のメリット表書いてよ。
自分女だし、非処女にありがたみあるとも思ってないから
男目線で考えてみただけなんだw
男の視点だとどうなるのか気になるしさー。
卒論の題材を宮澤賢治にした。うさんくさくて嫌いな人も多いと思うけど、永遠の童貞って呼ばれるくらいだし、自分には合ってると思う。
経歴を一通り追って感じたのは「やさしくて、よわっちくて、人を大切にしたいくせに理解してもらえないと周囲を憎んだりして、ほんとに一生ぐるぐるしてた人」なんだなーってこと。
前に歩いて後ろを振り返って、悩んで苦しんで文字通り血を吐き続ける姿は、決して美しいものじゃない。でもその愚直さに惹かれるって人も多いはず。(自分もそう。)
「雨ニモマケズ」から超出来た人っていうイメージ持たれることもあるけど、決してそんなことはなくて、自分の中の醜いものや汚いものを持ちながら、こんなんじゃだめだ、もっと良く生きたいっていうのをそりゃもう必死に求めていたんだよね。
賢治は死ぬまで親のスネかじり続けて、仕事もころころ変えたりして、晩年に「今までの生き方は理想主義にすぎた」みたいなことを言ってる。
自分も積極的に「賢治みたいに生きたい」とは言えない。禁欲して粗食で我慢して最愛の人を失って自分も若死にするなんてしんどすぎるもん。
でもどうだろう。賢治の童話は教科書に載って子供に親しまれているし、賢治の詩は多くの人の支えにもなっている。(自分もそう。)
一生ぐるぐるし続けたからこそ、賢治の言葉には説得力がある。真に迫ってくる。賢治先生のぐるぐるから学び、いつか自分のぐるぐるを解消したいなーとか思う。まぁ一生ぐるぐるかもしれないけど。