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2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩暗喩の使い方が致命的に間違っています

選挙権を持つ国民を、尊重して記事を書くべきです。

もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。

制度設計排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義陰謀論と具体的に何が違いますか?

そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。

なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。

シロクマ先生が、「自分マスメディア一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。

投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。

その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやす自分肯定してくれる者への同調に繋がります

よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者馬鹿にして良いわけではありません。

ブコメについて

別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラ現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現些末な問題と言う立場をとるなよ。

読み取り方の問題じゃないし、皮肉から何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。

2024-11-18

anond:20241118091855

パヨは「何度も言ってるけど」って枕詞が好きみたいだけど

普通は同じこと何度も言うのは無駄から

2024-11-11

結婚相手に求める条件

30代半ば、ずっと彼女無しの男。最近少しうまくいくかも?って感じの女性出会ったのだが、色々と気になる点がありすぎて今後どうしたものかと考えている。

まず、私の状況を少し述べる。私は仕事の都合で、ここ4年ぐらい日本から遠く離れた国に住んでる。住んでる街は日本人がほぼいない。なので女性出会えるって時点でなかなか貴重な状況。

相手女性とは某SNSで知り合った。会話を交わすうちに、ほぼ同年代女性で、かつそれほど遠くないところ(といっても200km離れているが)に住んでいること、相手自分と同じように旅行が好きということが分かった。

見た目も、すごく美人というわけでもない年相応の顔だが、笑顔とかが素敵な感じがして良い印象だった。話していて楽しいし、会いに行ける距離だし、見た目もまぁ好み。相手も話が尽きない感じで話してくるし、比較的手応えがある。

ここまで挙げると文句無しな感じなのだが、この先さらプロセスを進めていくとなると気になる点がある・・・。それが一つでないのだ。いくつか挙げてみようと思う。

食事マナー

まず、食べ方が汚いのだ。箸で食べるものなどが犬食いで食べていて、大変見苦しい。ボロボロとこぼしているのをみると非常に食欲が無くなる。食べきれない大きさなら箸で切るとかすれば良いのに。そして、それを口に頬張った後は口を開けてクチャクチャ食べていて、対面に座っていると何を食べているのかが見えてしまって萎える。終いには寄せ箸である。ここまで来ると、一緒に食事をするのが大変不快に感じてしまう。外国暮らし比較的長いとはいえ、ある程度までは日本暮らしていたのだから当然そういう教育を受けていると思うのだが、食事だけでここまで気なる点が出てくると、一般の家で躾として教わるような他のことも怪しいんじゃ無いかと思ってしまう。

食の好み

食の好みは人それぞれだと思っていたのであるが、嫌いだったり避けているものが多すぎる。

まず酒が飲めない。これは結構いるのでわかるのだが、匂いを嗅いだだけでダメと言われると、家で私が飲むことも叶わなさそうである

その他、主菜になるような肉や魚に関しても嫌いなものが多くて、家での食事メニューもかなり限られそうな感じがする。

そして、何より食の好みに疑似科学的な要素を持ち込んでいる(アンチ砂糖みたいなやつ)。ダイエット等で言われるやつらしいのだが、食事の全てで「これは砂糖が入っているから食べられない」と言っている。精製されてる糖類はだめらしい。「健康食事は人体が必要栄養素をバランスよく摂ることで、ダイエット砂糖摂取量じゃなくて摂取カロリーと消費カロリーの差をどうつくるかの問題」だと思っている私には、こうした疑似科学をずっと聞かされると正直辛い。

衛生観念

以前彼女の部屋に遊びに行った時に、彼女のベッドやソファーなど、特定家具に座るどころか、絶対に触れないよう釘を刺された。潔癖症なところからくるものだとは思うんだけど、自分が汚いものとして扱われているようでショックだった。そして、そんなに潔癖なのに、部屋が汚いのである。綿埃みたいなのが塊になっていて、カーペット家具の隙間にどっさり溜まっている。ぶっちゃけ私の部屋のどこよりも埃が溜まっている。ここよりも汚いと思われているのかと思うと悲しみを覚えた。より親密な関係になったとしても、これだけ潔癖だと体の関係になるかは正直わからない。

コミュニケーションの頻度

コミュニケーションの頻度と内容も辛い。お互いの勤務時間休日が異なることもあり、長文の電子メールを数日おきに返すやり取りをしている。礼儀としてもらった程度の分量を返すようにしているのだが、どんどん分量が多くなっている。もともと私が筆無精な性格なところもあり、長文の返信を書くのが負担だし、平日は仕事自分自由時間がほぼ取れない生活なのだ。なので、必死の思いで絞り出した自宅で自由時間を使って返信を書いている。

そしてそもそも、その内容もここで挙げているような気になる点がどんどん見えてくる(食の好みだったり、後述する金が無い事など)ので、どう反応したものかと返答に苦慮することがある。

経済的価値観

そして最後に金の使い方である。私は日本企業から駐在外国に来ており、別に特段の高給取りではないものの、普通に食べて、定期的に趣味のものを偶に買っても貯金ができる程度は給料を貰っている。一方で彼女は現地の企業フルタイムで働いているものの、職種的に最低賃金ギリギリしか貰えないらしい。そのせいかお金の使い方が圧倒的に違っているのである。何を買うにしても、その購入基準に「高い」や「安い」の枕詞がつくのであるカフェで飲むコーヒーの種類からファストフードチェーンで頼む食べ物、はたまた遊びに行った場所選択肢にその値段いくらであるかというのが最も重要ファクターとして存在するのである別に高いものが最高とは思わないし、私も学生時代お金が無い惨めさを味わっているのだが、相手学生ではなく30代半ばである。そんなに節約したいなら、カフェに頻繁に行くことなんて辞めて投資にでもお金を使うべきだと思うのだが・・・。私としては、持参したコーヒー公園で飲むとかでも良いのだが、お金を使ってカフェなりレストランなりにいくなら、その瞬間だけはその考えを忘れて欲しい。

そして、何より、これを言ったらおしまいなのだが、私は毎週のように往復数時間車を運転して会いに行ってるわけで、移動にかかるガソリン代や駐車場代、車の洗車代など、カプチーノアメリカーノミルク分の差額どころか、エスプレッソマシン自体がが買えてしまうほどのお金を使っているのだ。正直、私にだってこれは毎週払い続けるのは結構かかるなぁという印象がある金額である自分は会いたいと思ってこうして自分お金を使っているのに、相手は安いかいか価値判断しか動いていないことが透けてしまって大変辛い。会えない時は電子メールのやり取りをしているのだが、その会話の端々からも「安い」「高い」といった言葉が出てきている。もし今後より進んだ関係になった際、この価値観を常に聞き続けないといけないかと思うとげんなりしている。

雑感

ぶっちゃけ、上の要素を我慢して攻略を引き続き進めていけば、結婚はできちゃいそうな手応えを相手の反応からは感じているのだが、生活に及ぼす影響が甚大な要素が多々あって、これからどうしたものかと考えてしまう。

年齢や居住地問題もあり、選り好みできる立場では無い気がするのだが、あまり生き方が違う気がする。最近大統領選で人々の間には信じられないほどの格差や壁があることが改めて示されたけど、これもその一例なのだろうか。それとも、私が気になると挙げた点は大抵の人が当てはまるもので、私の判断基準おかしいのだろうか?世の中の結婚している人たちはどう結婚して、どう折り合いをつけているのかが気になって仕方ない。

そろそろメールが届く頃である。なんて返そうか。

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2024−1112 追記

数年ぶりの増田だったけど返事がもらえて嬉しかった。以下返信です。

anond:20241111112152

コミューニケーション、実は最初はもうちょいと頑張ってた。

勤務時間前とか、休憩時間とかを使ってできる限り早く・・・で返信してたんだよね。それこそ、仕事メールよりも真面目に書いてて、朝起床時には届いているメール昼過ぎぐらいまでには2500文字ぐらい返信してた。休日もそんな感じでやってたので、自分時間が全く取れなくて、ストレスめっちゃ溜まってしまったのよ。

指摘してもらった通り、金と食い物っていう生活で大きなウェイトを占めている部分なのが僕も気になってるんだよね。

今まで何回かあった限りでも、アレは食べられない、コレは好きじゃ無い、ソレは砂糖が入ってる・・・って言われるパターンが多くて、どこ行っても同じようなものでかつ安いのを食べる感じになってて。

正直、楽しいってのが、その人との話が楽しいのか、珍しく自分好意を向けられたことが嬉しくて楽しいって感じているのかがよくわからなくなってる。

ちょっと地雷感があるってのはまさにそうだよな。認めたくは無いけど、薄々感じてた。

とにかく、友達のままでいるって選択肢を示してくれてありがとう

anond:20241111112504

心底からソバイスすると、潔癖症ってのはいかに相手のことを不潔扱いするかにかかってる

招待されて素直にホイホイ上がってる時点でおまえの負けだ

ソバイスと自虐しつつ、「いか相手のことを不潔扱いするかにかかってる」という洞察をもたらしてくれてありがとう。考えたこともなかった。

だけど、その他言われたことを考えてみると、確かにそうやってマウンティングというか、優位に立ちたいって気持ち彼女にあったのかもな。

なんか、そういうところを踏まえると余計に難しそうな感じがしてきたわ。

想像もしていなかった返信だったんだけど、すごく嬉しかった。ありがとう。めちゃくちゃ参考になった。

2024-11-07

SNSありがちな正義ハンマーしつつ免罪符を打つ枕詞「もしこれが本当に事実なら」

私は怒りたいし燃やしたいけどファクトチェックは面倒なのでしません。事実だった場合に私は正義執行できるし、事実でなかった場合も免責の通り私は炎上に加担しておらず悪くありません。

2024-10-20

anond:20241020082747

問題になっているのは、「何も悪くないのに弱者男性になってしまう」ことだ。

ネタマジレスするけどたいして弱者じゃないのに自分弱者カテゴリに落としてくる奴ばかりだろ

弱者男性だけど」って枕詞つけないと注目してもらえないからな。

2024-10-09

職場キモいおじさんが嫌い

ハゲ自分ネタにしてる(滝行してるとこに加工した写真とかを自分で作ってる)。

プレイングマネージャーだけど人間マネジメントが壊滅的にできない。

常に口角が下がった喋り方、不機嫌そう。

ミーティングでの基本スタンスダメだし。

チームの雰囲気が悪いという課題がもう2年くらい現場から上がってるけど、対策が「全員で集まって1日しゃべり場しかない。

常に忙しいが口癖。

人に何かを頼まれると必ず初手で「忙しくてできないと思うんだけど...」と言う。

なのに重要なことを決める段階になるとなぜか現場ポジションの顔して何も決めない。

語尾やツッコミなど全てがアニメ口調。「〇〇でござる!!」とか本気で言う。

全社総会みたいなフォーマルな場にも「働いたら負け」みたいな変な柄のTシャツ着てくる。

飲み会でめちゃくちゃ自分語りする、最近はひたすら婚活の話。

喋ってるうちに興奮してくるとツルみたいな甲高い声で叫ぶ。

ハラスメントしないように気をつけてるつもりらしく、「女性にこう言うこと言うと嫌がられると思うんですけど」とか枕詞つけた上で結局言う。

すぐに自分のことを老害とかインターネット老人会とかという。

こんなんなのにまだ33歳。

2024-09-22

anond:20240922210850

最低最悪って枕詞つけておかないと、アタマのわるい支持者に勝手自民党なんかの信者にされるからな。

あと、野党は最低最悪以下だって事だよ。

まずい飯とうんこだったら、普通はまずい飯を喰うんだよ!

これはカレーだ!といってウンコ喰うのは脱糞民主党くらいのもんだ。

2024-09-17

anond:20240916153057

結論から言えば、高1で英検2級レベルを取ろうとしているレベルなら一度は止めたほうがいいかも。

実際に2年目くらいに就職のことを考えて教育やなんちゃら社会なんちゃら部に転部する人もそこそこもいる。

手前味噌だが、国際系の学部に行って一年留学してJTCに入社した子どもの中~社の過程でも書いてみる。

の子場合英語めっちゃくちゃ苦手だった。

学校の定期考査くらいなら8,9割取れるけれど、

高校受験英語ともなると偏差値は40以下もざら。

英検2級は周りの子の影響で取ってたけど。

それでも、国語数学のお陰で何とか早慶付属入学

高校時代英語試験は苦手だったが、趣味環境が変わったことで次第に好きに・得意になっていった。

趣味、というのはインターネットを通じて外国の人とチャットゲーム交流を深めること。

環境、というのは、部活や校外活動を通して外国人と交流を深めること。

そういう経験と、手段としての英語に触れることで英語海外について興味を深めていった。

その後、海外留学等に興味が出てきたようで、

最初費用面もあって親として反対していたもの

なぜ行きたいか、について熱心なプレゼンを用意していたので結局折れて通った。

で、何でこんなことを言ったかといえば

英語ってのは、日本人にとってどこまで行っても所詮第二外国語なわけ。

そこらに十数年住んでるインド人や、中国人でもなんでもいいけど会話したことある?

日本語お上手ですね~という褒め言葉には、あくまで"外国人にしては"という枕詞が外れることはない。

なぜなら基本的人間母語思考するから

から普通は何か英語手段としたコンテンツが前提あって然るべきなのよな。

そういう意味で、英語(だけが)得意というのは解せない。

だって、あらゆるコンテンツゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが)が日本語なわけで

そうであればまず国語の方が成績が高いはずで、次いで数学もついてくる。

英語だけ突出して成績が良いというのには何か理由があるはず。

英語が好きになった経緯を深堀りしたほうがいい。

例えば傾向的に女子英語が得意なのは、コツコツ勉強すればすぐに結果に表れるから

ゲームと同じ。単語熟語を覚えて適当に口ずさむだけで点数取れるから

そういう思考英文科に行くのなら、反対したほうがいいと思う。

どのレベル英文科に行くのかは分からないけれど

シェイクスピアだのギャッツビーだのヘミングウェイだの一冊でも読ませたことある

自分だって一冊も読んだこともないど。

ただ、こういう匿名掲示板の言説を真に受けて、絶対に辞めさせよう、という気持ちは持たないでほしい。

あくまで親は、藁人形として反対するだけ。

納得できるだけの材料を持ってきたのなら、全力で応援してあげてほしい。

2024-09-15

貧乏人のひがみ

 かなり幼い頃、英会話CMをみながら親が、

英語だの英会話だの言うけど、おまえら日本語正しくつかえてっかーって話だよな」

 と言った。

 それをまに受けた。中学になっても「日本語を正しく使えないくせになにが英語じゃ」と、まったく勉強せず、三年生のときに、“do” と “be” の意味がわからない自分に気づいた。両親は夏目漱石の『こころ』すら読んだことがないらしい。

いじめ」という言葉が広まるまえに、わたしはいじめられていた、らしい。わたしはその、嫌がらせをしてくる奴らのことを、友達だと思っていた。つらくても楽しい気持ちはずっと保っていた。でも友達たちといて、仲間に入れてくれることはなかったから、親に話すのは「〇〇くんが仲間に入れてくれなかった」「〇〇くんに殴られた」「〇〇くんに無視されてる」しかなかった。

 親はそんなわたしのことを見てなのか、

「おまえは耐えててえらいよ。〈憎まれっ子世に憚る〉っていうでしょう。きっとおまえは凄いおとこになるよ」

 と言った。そのことを、一年前に入院した病院出会った、統合失調症父親よりも年齢が、一回り上の男性に話した。男性は、

いじめられてるーって、親がなーんにも対処しないで、子どもを〈憎まれっ子〉って言えちゃうのは、おかしいよなあ。おれはそれは、ぜったいにおかしいとおもう」

 と言った。

 両親はよく、我が家のことを話すとき枕詞のように「うちは貧乏から」と付ける。わたしは家が貧乏だと感じたことは、一度たりともない。

 お寿司が食べたい、とそうせがむわたしをみてか、スーパーで安い刺し身を買ってきて、酢飯を作り、母親と一緒にお寿司を作っていた。我が家ではそれを〈貧乏寿司〉と言っていた。〈貧乏寿司〉には、いくつか外れがある。中にとんでもない量のわさびを入れているのだ。こいつに引っかかったら、顔をしかめて「水、水!」と叫ぶしかない。いや、記憶によると、そう叫ぶことすらできなかった。数年後、父親マイホームを建てた。わたしはそこで「ねえ、また〈貧乏寿司〉がたべたい」と言った。

 中学にあがって、担任教師との相性が頗るわるかった。というのもわたしが捨てた、英語担当であったし、なんにせよマークされていた。無視されたり、授業中に〈できない生徒〉として吊し上げられたり。

 しょうじき、イヤミ先生だなあ、としか思っていなかった。同じくマークされてる友達同士で、提出物にその先生似顔絵を描いて提出したり、授業中に顔を見合わせて、いっせーので突っ伏して、終わるまで顔を上げなかったりして楽しんでいた。

 担任教師について親に聞かれると、その、嫌だったことをよく喋った。楽しかたことが思い浮かばなかったからだ。

 一年も終わりになるころ、親が、いまさら担任教師について直訴してくる、だのなんだの言っていた。わたしお小遣いで手に入れたゲームをやるのに精一杯だったから、軽く流しておいた。それでも聞いてくる。「なにされたの?」「なにがいやだったの?」「つらかった?」などと。いらだちが高まってくると、アタマが熱くなった。わたしは涙を流していた。なんの涙かは知らなかったけど、親はきっと、わたしがつらかったから、こうして涙を流しているのだろう、と、思うのだろう、と考えられたから、声を大きくしてワーンワーンと泣いた。親は

「これまでつらかったでしょうに。よしよし。つらかったらかあちゃんことも、頼っていいんだよお。パパだっている」

 と言った。わたしは、正解だったんだなあ、と思った。

 母親は、校長学年主任、その担任教師と話をしてきたらしい。当時はその内容を知らなかったが、どうやら校長とは、学年が上がった際に、その担任教師わたしを同じクラスにしない事を、確約していたらしい。わたしの大好きな人は、その担任教師クラスになった。

 卒業式の数日前、クラス先生たちが演説のような、羽ばたくキミたちへ、的な話をした。

 その担任教師は、

英語というのは、道具です。ええ?! と思われるかもしれません。が、あなたがたが学んできたものは、実際に使われている〈言葉〉です。私が話している、あなたがたが話している日本語と、同じです。思考ツールなのです」

 と話し、先生がたのお話のなかで、もっとも、心に残った。

 YouTubeで、高級住宅街についての動画を見た。コメント欄には、両親みたいなのがウジャウジャいる。

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-08-29

呪術廻戦オタでありフジファブリックファンが抱いた巻頭カラー感想

Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。

先に本旨を要約すると、私はポジティブ感情からネガティブ感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。

雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動フジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。

【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】

8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。

結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。

そのとき感情Twitter本垢(フジファブリックはじめ音楽日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドファンであることが伝わってきたことなど。

そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。

そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。

さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。

このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。

正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。

そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。

①悲しみ に関して

私の人生をかけて愛したバンドアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿散見されること。

フジファブリックという文字志村正彦人生結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。

彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンメディアは素敵な言葉を紡いできた。

作者に批判言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為言動行為者の一面に過ぎず、行為者そのもの価値観人間性否定するものではないと私は思う。

そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。

ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。

このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なから経験したのではないだろうか。

同じように、五条悟を愛するがあまりフジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。

作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。

6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャー責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷プレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。

②怒り に関して

こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。

前述した強い軽蔑言葉フジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。

次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画ファンによる考察(という体裁下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。

ご存知の通り、志村正彦2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である

しか本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケート個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。

対して創作物登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。

フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバー実在人物であるがために、当然プライバシー尊重されるべきである。実際、ファンインタビュアーメンバー私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。

命日や享年というデリケート情報を持ち出して、その事実安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリー勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。

曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報コンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。

例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的ストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。

から、「この位置五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているか五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。

Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。

こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。

それと同列で、当人感情勝手想像してバンドファン家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。

私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、

曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。

からこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者ファン努力している。

それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。

あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。

個人的言い得て妙だと思ったのが、志村時代リアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。

フジファブリックはメンバー関係者ファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべものは信頼の置ける先輩ファン

もちろん、一連の話題モヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。

奇しくもこれの執筆最中更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分認識できた。

あらゆる表現物すべてにおいて、意味意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現意図として無意識に語られるもの特に特定属性への偏見差別に関しては無視してはならない)。

少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。

祈り に関して

簡潔に言えば、こんな言いがかりイチャモンをつけている暇があったら、問答無用フジファブリックを聴いてください!ということ。

件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています

対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています

この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後アルバムMUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語主人公をずっと務めてきた事実があります

そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。

これを踏まえて考えてみるとどうでしょう

映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語主人公であることが示唆されるでしょう。

さらに、アルバムスウェーデンメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDドキュメンタリー映像が収録されています)。

また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。

フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。

暇つぶし花屋女性店員デートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性お嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、

それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。

そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。

ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。

北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音ドラえもんタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます

このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています

最後に、現体制の3人のメンバー言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています

ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます

Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実バンドの曲が生まれ事実楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。

フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタク感想でした。

P.S.それっぽいキーワード検索したら筆者を特定やすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメホワイト企業を教えてください✌️

2024-08-27

anond:20240827140147

ちなみに削除対象になる例は

回答:飛行機買えばいいじゃないですか。

回答:車なんて買わなくていいです。

なんだけど、

高級車買えと、飛行機買えって大差ある?軽自動車を買いたい(貧乏と推測できる)って意図をくみ取ろうよ

それとも、安全を考えると、という枕詞さえおけば飛行機買えも別に問題なくなるわけ?

飛行機のほうが事故率考えると安全なのは確かだよ、うん。

2024-08-25

anond:20240825130308

それは思う。海外女は自立してるし意見を主張しない人間大人と見做さないので、もっと強気にハッキリと意見主張する。

相手にはっきり罵詈雑言をぶつけて媚びない。


日本女は「普通男性は違うけど」とか被差別属性のくせにいちいち枕詞に変な配慮つけすぎ、優しさを強い言葉を使わないことだと考えてるので批判すら遠慮しがちでやり方が弱い

男性に媚びすぎ

反差別ですら自分でできない。ぜんぶ理解してくれる優しい王子様待ち、受身

2024-08-16

枕詞警察ってなんでいないんだろうね?

枕詞は5字って決まりがあるんやなかったか

2024-08-14

anond:20240814234039

SNSの反応は~」とか枕詞使えばいくらでもニュース捏造できるからな。

最近までオランダ4年住んでたけどここまでしょーもないマスコミの国欧州には無いぞ?

2024-08-05

anond:20240805075238

すべからくは、スベスベマンジュウガニ塩辛がくせーのなんの、の略です。

枕詞のようなもので、意味はとくにありません。気にしないのが賢明です。

2024-07-31

三大 会議中に不要枕詞

・これくらい言わなくてもわかると思ってました~

・前にも言ったと思いますが~

・ごめん、オレの頭が悪くてわからないと思うんだけど~

他には?

2024-07-25

anond:20240724183913

日本の」と枕詞をつけるときは、必ず海外ではどうなのか考えろ。

 

大抵は「ヒトの」クソさの話してるぞ。・

2024-07-14

暴力は許されないけど」って枕詞つけつつも

山上安倍心臓への弾丸で開いた穴から日本の膿が出まくってるの見ると、山上弾丸を俺は真っ向から否定できる自信がない

撃ち殺しても膿なんて出ないぐらいクリーンじゃないと、「暴力は許されない」なんて胸張って言えない気がしてしま

撃ち殺さなくても良い意味で変わっていくのが理想なんだろうけど、きっと山上弾丸記憶から薄れていった頃に、第二の山上が出てくるんだろうな

2024-07-11

anond:20240710183433

必要ときはさっきも言いましたが、を枕詞にして説明してる(主に会議

会話続ける気ないときはさっきも言ったよねーで終わる(主に雑談

2024-07-05

anond:20240705135138

枕詞に「マイナーですが」とか「知らないかもしれませんが」って付けてやってるタイトル言う。

「へー」ならそれでいいし「それ面白いの?」みたいに言われたら簡潔に好きな点アピール

その後で「○○さんは子供の時ゲームかしました?」みたいに返せば大体何とか会話できる。

2024-07-01

追記したやで】介護カウンター

追記やで】

ぶっちゃけデイサービス職場近くにあると嬉しい人もおるやろうけど、ワイ的には自分で連れて行くのもしんどいときあるから多少遠くても家までお迎え来てくれて引き渡せるのが楽だったりするかな!でも介護度とかにもよるだろうしいろんな選択肢が増えるとええよな!あと施設ヘルパーさんも相性とか介護度とかで向き不向き出てくるしな!

介護しんど〜ってなるし、理屈が通らん人間相手にする点で共通点あるし子育てしんどいのも分かるんだけど、

子ども子育て)の方が価値があるとか、

社会荷物ではなく資産だとか、

一番社会に貢献してるだとか、

それをそのまま言葉にしないでも、会話の端々や雰囲気に滲ませてくるの悲しいし辛いやで

介護も大変ですね」を枕詞にしたらあと好き放題言えると思われてんのも悲しいやで

病児や障害の子育てはもっと大変だと思うし、その子どもたちは税金を納めない可能性が高いけどそれを「社会荷物を産んだ」ってその子たちの親に言うのか?とか、

独身者たちがあらゆる面でフォローして育休関連制度を下支えしてる中で無邪気に

七五三前撮りしたんで自慢させてくださ〜い」

とか言って子ども写真見せようとする場面に遭遇して、明らか興味ないけど愛想笑いしながら会話に付き合う独身従業員たち見ると色々思ってしまうやで。

会話のあれこれ全て「うちの子が」に絡め取られるのも辛いやで。

なんのハードルも感じずに家庭の話ができるのは良いことだけど、彼らも持病と付き合いながら仕事してたり、色々困難抱えて仕事してること考えたことあるか?!

みたいな気持ちにもなってしまうんや。

カウンターして不幸自慢やしんどさカードバトルしたいんやないんけど、そうでもしないと見えてないもの、見てこなかったものがあると気づいてもらえないんやで。それはワイの力量不足やし、そのために父ちゃんを使ってしまってるのは申し訳ないと思ってるやで…

あとワイはい人参食べれるやで

追記終わりやで】


早期の認知症父ちゃん介護するワイ!

隙あらば自分の子供の話したがる育児世帯従業員お話に付き合って差し上げ奉ってる子なし従業員との軋轢を粉砕するために介護ネタカウンター食らわせて日々頑張ってるやで!

子持ち見てると介護する人間のこと透明化してやがんな!と腹立つこと多くてな!!!

子持ち「(子どもの都合で休むときに)会社子ども連れてきていいんなら全然連れて来るんですけどぉ笑笑

ワイ「いいすね!!わいの父ちゃんも連れてきて良いすか?!手がかかる点では仲間!!あ!事務所トイレだとちとうちの父ちゃんには使いにくいかガハハ!」


子持ち「社内に託児所欲しいですよね〜」

ワイ「わかる!社内にデイサービスあると嬉しい!ワイが働いてる間に近くで父ちゃんの面倒見てもらえるのはありがたさマックスなんよな〜〜!!!

子持ち「うちの子ってほんとバカで〜笑笑」「見てくださいうちの子写真〜〜笑」

ワイ「うちの父ちゃんも………あ!父ちゃんがいま認知症でわけわかんないからって勝手に話の種や笑いのネタやにするのは良くないっすよね!いや〜気をつけま!!!


ワイがおるとこで子持ちが家族の話しなくなって静かになったやで。

あれだけにんじんブロッコリー残すとキレ散らかしてた父ちゃん認知症になったらにんじん残してて父ちゃんも実は嫌いだったんかい!っていうのが最近の気付きや。

2024-06-30

Sanitary Panelsを取り上げたドキュメンタリーを観た。モディのインドやばい感じは、知ってはいたけど思ったよりひどそう。

BBC嫌がらせをしたり、かつてヒンドゥー過激派破壊したモスク跡にヒンドゥー寺院建設したりとかはニュースで聞いていたけど。

この前の選挙与党議席を減らしたらしいのは、まーよかったと思う。

世界最大の民主主義国家”なんていう枕詞は慎重に使おうよ。

2024-06-29

アベという大魔王の討伐によってもたらされた最大級精神報酬の味を知ってしまったはてな民はもう戻れないよ

anond:20240629193559

しかも自らの手を汚すことなく、支持する側の勢力は血に塗れることもなく、どこからともなく現れたただのテロリストによって殺されるという、完全にリスクゼロの展開で特大の超ハイリターンを得てしまった

当然、その精神報酬を味わうための大前提として、自らは常に正義の側に立ち続ける必要があるため、このことについてコメントするときには、「テロを許さない」「殺人殺人」「司法の場で裁かれて欲しかった」などの至極真っ当で典型的正義言葉を必ず枕詞に添える

が、実際はアベの死によってもたらされた様々な恩恵に、なんなら自身も気付かぬままほくそ笑み、その最大級の美酒の味に酔いしれていて、その後に出てくる言葉こそが本心なのは誰の目にも明らかだろう

現実として日本の様々な闇が大魔王アベの死後に次々と暴かれていって、長年に渡る悪魔化に耽溺した人間ほど精神報酬は大きくなるのは当然で、その代表たるはてな民たちはこの先もずっとその味を忘れられなくなるだろう

今はまだ大魔王アベの遺した魑魅魍魎たちをより大きな悪魔として育て上げることに熱心だが、それらが首尾よく討伐された後も、どこかの誰かを悪魔化して次の大魔王を生み出すことだろう

考えてもみろ、今この状況で、バイデン暗殺されたら、トランプ暗殺されたら、どのような理由が背後にあったとしても、それぞれの敵対勢力が大いに盛り上がることは想像に難くないだろう

日本はまさにそれを、このSNS時代に一度体感してしまっているんだよ

もう戻れないさ

2024-06-27

百合マンガ好きって大げさにほめすぎな気がする

枕詞として「あくまでも百合マンガの中で」ってのがつくべきなのに、

マンガ単体としてみてもすごく面白いだったり完成度高いだったりそういう感じで言われるとめっちゃ期待外れ感があるものが多い

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